『学問のすすめ』

 著者は言わずもがなTHE一万円福沢諭吉さん。明治4年(一冊の本として売られたのは明治13年)に出版されたベストセラー啓蒙本(70万部売れた)。
 情報7days ニュースキャスターでおなじみの斎藤孝先生が現代語訳を手がけたのはずいぶん前から知ってて気にはなっていたんだけど、とうとう今になってしまった。

 福澤諭吉さんといえば、もって回したような言い回しが嫌いな人で、彼の「わかりやすく相手に説明できないってことは、自分が説明できるほどちゃんと理解していないってことだ」って主張は、若かりし頃の私に大きな影響を与えた・・・というか、私もわざとジャーゴンというか小難しい言葉を使って偉そうに言う人が嫌いなので(美術系の大学に結構多い)、できるだけ相手に伝わるように誠意を持ってわかりやすく解説するのは大切なことだと思うんだけどね。頭がいいならもっとわかりやすく言ってくれよってw
 んで、本当は自分でもちゃんと理解してないんじゃないか?とか疑うと、こういう人に限って屁理屈だけはうまくて、聞き手に想像の余地がないなんて面白くないじゃないか、とかいうw
 それとこれとは違うと思うぞ。会話や議論は現代アートじゃないんだから。

 齋藤先生:学者によっては、人にわかられてしまうともう新たに出すものがないという人もいれば、内容がたいしたことがないのでわざわざ難しい言葉を使ってごまかす人もいます。正確さを期して難しい言葉を使うケースもありますが、わかっていることの本質をクリアに相手に伝えようとする姿勢自体が欠けている場合もあるのです。その多くは、啓蒙的能力の欠如と、百パーセント理解されきってしまうことへの恐れに起因します。(p241 解説)

 てわけで、そもそもそんなに難しい本じゃないんだけど、今回の斉藤さんの現代語化で読みやすさを心がけた古典の名作が小学生にも読めるくらいにさらに読みやすくなった。
 斉藤さんがなんでこんなことしたかっていうと、大学で『学問のすすめ』読んだ人いる?って聞くと読んでいる人がほとんどいないんだって。数百人に聞いても読んだ人0人。
 で、斉藤先生って明治大学の先生なわけじゃん。明治大学生ですら読んでいないってことは一般の人なんて多分まったく読んでいないってことなんだよ。

 私は十代の頃に出来心で読む機会があったんだけど、この本の影響かどうかは知らないけれど、社会問題に関する私の判断基準は本書のものと大きく変わらない。
 福澤さんっていうのは、巻末で斉藤先生も言ってる通り、とっても論旨がクリアな人でストレート、逃げも隠れもせず、言い訳なしで体当たりでぶつかってくるような気持ちよさがある。
 だから偉そうなことを言っているのになにも行動せず、挙げ句の果てにその知識が社会のために行動を起こさない言い訳になっちゃっているような人を福澤さんは、無価値であるとバッサリ批判する。
 福澤さんが定義する「学問」とは自分自身の自立のために用いるのは当たり前であり(よって経済的な自立は誇るべきことではない)、他者や社会のために役立てて初めて価値がある。つまりとっても実学的な主張の持ち主なわけだ。

 一身独立して一国独立す。

 とにかくその批判や論考はまったく時代を感じさせない。第2編では時空を超えてニート批判をしていたり(第17編では引きこもり批判)、また第6編では、私的な復讐は絶対に許されず(『キックアス』の親子などバカもいいところ)、どんなにこちらの筋が正しくても民主社会のルールに則って、現状に即した社会批判を展開している。今こそ、再びこの本が必要な時なのかもしれない。

 ・・・とか言ってもどうせみんな読まないと思うから、章ごとに私が面白いなって思った箇所をここにメモっておきますw
 本当は実際に本を買って読んだほうがためになるし、斉藤先生も喜ぶってもんなんだろうけどね。

自由と平等について(初編 学問には目的がある)
 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・・とか言うけど、なんか世の中みてみると、賢い人もいればバカもいるし、貧乏人も金持ちも、地位の高い人も低い人も色々いるよね・・・その差は、その人が学問を学んだか学んでないかによって発生する。
 西洋では『天は富貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える』というけど、人間は生まれた時は平等。ただその人がしっかり学んだ結果、社会的地位が高く、豊かな人になっているってだけ。機会は平等なんだから、人はみんな学ばなければいけない。

 ここでいう学問は難しいことをたくさん知っていればいいってことじゃない。それはいくら正論でも机上の空論で、最優先でやるべきことは、手紙の書き方や帳簿のつけ方、計算の仕方といった普通の生活に役に立つ学問である。できるだけわかり易い言葉で教育すべきだ。

 自由とわがままをごっちゃにしちゃダメ。いくら使っているのは自分の金だ、人に迷惑かけてないだろ、といっても、酒や風俗でやりたい放題遊んではいけない。そいつは結局ほかの人の悪い手本になってしまう。社会の害になるようなことは慎むべき。

 自由独立とは一個人だけではなく国家全体にも言えることだ。欧米列強国といっても結局は同じ人間。学び合い、譲り合いの精神で付き合っていこう。
 外国に我が国が好き勝手にやられそうな時は国家のために命懸けで戦うのは当たり前だが、中国のように外国人をすぐに差別して馬鹿にしてた挙句、結局外国にやられちゃうようなことはないようにしよう。自分の力、相手の力を客観的に分析することが必要だ。

 これからは生まれや身分によって社会的地位が決まるのではなく、その人の人間性や才能によって社会的地位が決まる。つまり社会的地位が高い人が尊いのは、その人自身が尊いのではなく、国家のために尊い仕事をしているからである。
 だから政府に不満があったら遠慮せずに意見を言うべきだ。不満を抑えて政府を恨むよりも、合法的な抗議の手段をとって積極的に行動するのが筋。
 なにも学ばず、働かず、行動をしない恥知らずな人々が増えると、当然社会の治安は悪くなる。そうすると社会秩序のために政府は規則を締め付けなければいけない。厳しい政府は愚かな国民が作るのだ。国をよくしていこうとするならば、自分の行動を正し、ちゃんと学ぼう。

基本的人権について(第2編 人間の権理とは何か)
 難しい本を読んでりゃ学があるってわけじゃない。現実の世の中に適応し、社会貢献できなければゴミといっしょ。
 どんな人も基本的人権を侵害してはならない。金があって社会的地位が高いからといって、その立場を利用して、社会的地位の低い人をいじめてはいけない。これは相撲取りが腕の力があるといって、一般人の腕を折るのと一緒だ(※諭吉はこの比喩が好きw)。普通の人だってその腕で問題なく生活ができるのに、理由もなく相撲取りに腕を折られる道理はねえ。切り捨て御免とか最悪。

 学問がなく、物の道理も知らず、食って寝るしか芸のない人間がいる。

 こういうニートはダメ。政府と渡り合えるような人間になろう。もしも暴力的な政府を避けたいならば、今すぐ学ぼう。

国民主権について(第3編 愛国心のあり方)
 国民と政府は同等と言ったけど、国家と国家だって同等だ。もちろん今は差があるけれど、そういった差はあらかじめ決められていて変えられないようなものではない。今日のバカが明日は賢いかもしれない。かつて豊かで強大な国が今は植民地だったりもする。
 我が日本国民も一生懸命学んで、しっかりと気力を持てば、西洋人など恐るるに足りず。いい国とは交際し、悪い国は打ち払えばいい。

 一身独立して一国は独立する。つまり自分自身に独立の気持ちがない人は、国を想う気持ちも薄い。人々が独立心を捨て依頼心ばっかりで一方的に国に頼ってばっかりだと、内政問題ならまだいいが、外国から侵略されたとき誰も国家のために戦おうとしなくなってしまう。
 国民主権なんだから、国民はお客様スタンスであってはいけない。こんなこと欧米の国では当たり前過ぎて、笑われちゃうよ。
 政府も独立心のない国民の方が支配しやすくて便利とか思っちゃダメ。足元を救われて愛国心のない国民によって国家が売られることだってあるのだ。
 国民を政府が一方的に束縛するのではなく、国民を解放し、ともに苦楽を味わおう。

官から民へ(第4編 国民の気風が国を作る)
 民主主義国家において、政府は内側の生命力で、国民は外部刺激のようなものだ。現在の我が国で遅れているのは「学術」「経済」「法律」である。日本は長いあいだ専制政治に慣れてしまって、自分の意見を言えなくなってしまっている。でもこれからはそれではダメ。

 官僚はろくなのがいないように思えるけど、実際会って話してみると度量が大きくて立派な人物である場合が多い。でもなんでそういう人たちが集まるとバカっぽく見えるのか不思議である。その原因は慣習とか気風というものに縛られすぎているからである。
 ならばいっそ、賢い学者(主に洋学者)や知識人は公務員になることにこだわらず、民間で活躍すべきだ。日本には政府はあるが未だに国民がいない。ならば我々慶應義塾の同志が手本を示すことで国民の教育水準を上げていこう。それには官僚になるのではなく民間で働いたほうが都合がいい。つーか民間でやれ。有能な人材が政府を去るのではないか?というお便りも来たが、外国に行くわけじゃないし、同じ日本で仕事をするのだから問題ない。民間主導でもっとやってみようよ。
 民間では食っていけないなんて立派な人物が言う言葉じゃない。そんなに才能があれば官だろうが民だろうがどこでも食っていけるはず!
 ちょっと官僚になって大した仕事もせずに偉そうな人は我々慶應義塾の仲間じゃない。

物質的自立と精神的自立(第5編 国をリードする人材とは)
 第4編は学者向けに書いちゃったからちょっと文章が難しかったかもしれない。ごめん。この第5編も学者向けでちょっと難しいかもしれないけど、ほかの編はわかりやすく書くから、4編と5編だけ読んで「難しい本」って判断しないでね。

 今の日本は明治維新からまだ10年も経ってないのにかなり物質的には豊かになった。でもそれだけじゃまだ足りない。レンガ造りのビルや鉄橋とかをみて政府のすごさにビビって卑屈になっちゃダメ。これからは中産階級の力が重要になってくる。文明は民間が発展させ、政府はそれを保護するだけなのだから。
 学者は文明を育てる立場として、国民における「文明の精神」が衰えていくのをほうっておいてはいけない。メタな立場に逃げてただ現状を嘆いているのは無責任だ。まだまだやるべきことは多い。頑張ろう。

法治国家について(第6編 文明社会と法の精神)
 法律はとっても大切。私的な復讐は気持ちはわかるけど、絶対ダメ。それをやったら復讐の連鎖になるし、犯罪者と変わらない。だから忠臣蔵を美化してはいけない。あれはバカが47人いただけ。暗殺で幸せな世の中が来たことはない。
 法は尊いが絶対不変なものではない。納得がいかないなら正当な手続きで訴えるべきである。

 実際この前、うちの慶應義塾でも文部省とひと悶着あったんだけど、いくらこっちが正しいからって勝手に規則違反をしていいわけじゃない。泣く泣く涙を飲んで外国の先生の採用を諦めたよ。この出来事は、ひとつの塾だけの不幸ではなく、日本の学問にとっての大きな損失であって、内心「バカバカしい規則だなあ」とは思ったけど・・・これに関しては近日中あらためて出願しなおすつもり。

社会契約について(第7編 国民の二つの役目)
 国家を会社と例えるならば、国民は経営者とお客の二つを同時に兼ね備えているようなももだ。でも国民全員が社長にはなれないから、何人かの代表者を置こう。この代表者を自分たちが選んだからには、代表者の決めた方針を無視して勝手なことをやってはいけません。
 酒を売ろうとしている会社なのに、酒が嫌いだからと社員が勝手にぼた餅を発注したらその会社は倒産します。

 およそ世の中に、何がうまい商売かと言って、税金を払って政府の保護を買うほど安いものはない。(95ページ)

 ちょっとお金を払うだけで、泥棒や強盗に入られる心配も、旅行中山賊に襲われる心配もない「安心」を買えるのだから、税金くらいケチケチ言わずに気持ちよく払ってやろう。
 
 とはいえ、政府が政府としての職務を果たさなかったら、どんどん批判しよう。契約違反だから。ダメな政府に対してどういう手段をとるかはいろいろあるけど、武器や暴力を持たず、正しい道理で政府に訴え続けるのが最善である。
 本当にどうしようもない政府だって結局は同じ人間。力を持って敵対すれば水掛け論だが、静かに道理を持って接すればいつか必ず報われる。よりよい社会のために自分の人生をどう使うかを考えよう。

性差別と家制度批判(第8編 男女間の不合理、親子間の不条理)
 人間の分限を間違わずに生きていけば、他人に咎められることも天に罰せられることもない。他人の権利を侵害しない限り、個人の権利は保証される。他人の利害に関しない限りは、ほかの人からあれこれ言われる筋合いはない。
 ただ女性はどうだろう。子供の頃は親に従えと言われ、結婚したら夫に従えと言われ、老いたら子に従えと言われる。子供が親に従うのはともかく、残りの二つはいくらなんでもあんまりではないだろうか。世の中ひどい亭主もいて、それをただ我慢しろなんてひどい。不公平である。

 男女の割合は、西洋の研究ではちょっとだけ女性が生まれる割合の方が男性と比べて少ないらしい。つまり妾を取る風習は自然界のどうりに反する。ケダモノと言って良い。
 「妾は子孫を作るためだ、孔子だって後継がいないのが最大の親不孝じゃないか」と反論する人がいるが、相手が孔子だろうが知ったこっちゃねえ。
 お年寄りにとって孫ができるのは嬉しいことだが、孫ができないからといって親不孝というのは言ってはならない。そんな屁理屈言う前に自分の胸に手を当ててみて考えてみなさい。
 これは親だってそうだ。さんざん好き勝手に生きてその結果貧乏になり、そこで急に頑固親父になって親孝行しろとはどこまで恥知らずなのだろう。

知識人の社会的義務(第9編 よりレベルの高い学問)
 この編は故郷の友達に当てて書きます。

 経済的に自立しただけで偉そうにしてはいけない。それはやっとアリのレベルになったってだけで、誇るようなことじゃない。自然界では自活は当たり前。動物に負けてはいないよというだけだ。
 人間は社会的な動物である。文明とは先人の人々が一体となって、今を生きる我々に譲り渡してくれた遺産であって、そのスケールは一個人の土地や財産とは比較ができない。その恩恵に預かっている以上、我々には社会的な義務が発生するのだ。
 この世界に生きた証を残し、これを長く後世に伝えることこそ、我々の仕事なのである。仕事には時勢に合う合わないがある。しかしそう言う意味でも現代(注:明治時代です)は自由にいろいろなことがやれてチャンスなのだ。

国際競争論(第10編 学問にかかる期待)
 これからは外国と競争しなければいならない時代に入っていくだろう。日本の名を辱めず外国に誇れる国際人になろう。
 「外国の長所を学んで、短所を補おう」というが、今はまるで我が国にあるものは全て短所で、外国にあるものがすべて長所のように思ってはいやしないだろうか。日本にだって欧米には負けない進んだ文化や風習(公衆衛生)がある。卑屈になる必要は全くない!
 もっと大きな視野を持とう。

専制政治批判(第11編 美しいタテマエに潜む害悪)
 専制政治は仮にリーダーが超人的な素晴らしい政治家でも、国民の自立を促さない。優しい親が子供がいくつになっても世話を焼き続けるようなものだ。そして政府と国民は親子ではない。
 政府が国民生活すべてを管理するような仕組みは結局のところ空想の産物、理想論である。これからは「名分」ではなく「職分」の時代なのである。

議論の仕方(第12編 品格を高める)
 口頭でしゃべると言うのは、内容の重要さはさて置きなかなか面白い。文章にすれば大したことがないようなものでも口で言葉にすれば、人の心を動かすこともある。だからある程度の定形、伝え方は大事。
 学問はただ本を読んでいればいいというものではない。重要なのはそれを生かすことである。学問の本質とは精神の働きにある。物事を「観察」し「推理」することによって自分の意見を組み立てていこう。
 本を読み、本を書き、人と議論して初めて学問をやっている人と言える。自分ひとりだけでできないことは多い。
 いろいろ知っているからといって自己満足しないように。後発は先人を超えることが重要なのだから、先人に追いついて満足するなど、考えが足りない。常に上を目指そう。
 また誰がどう考えてもダメなことを鬼の首を取ったかのように非難するのは議論のレベルが低いと言わざるを得ない。そんな議論をすればかえって人にバカにされるだろう。

自由主義と自己責任論(第13編 怨望は最大の悪徳)

 ねたむな!

 恨む代わりに活動させて、嫉妬の念を絶って、互いに競い合う勇気を出させ、幸福も不幸も不名誉もことごとく自力でこれを獲得できるようにさせたいのだろう。つまり世間中の人をいい意味での「自業自得」にするということをその趣旨としているのだろう。(172ページ)

 そもそも面識のない相手を話の通じない敵と決め付けるのは世の中にとって大きな災いである。

 物事の相談では、伝言や手紙ではうまくいかなかったことでも、実際に会って話してみるとうまく収まることがある。(174ページ)

 言論の自由を妨害し行動を妨げるのは、なにも政府だけではない(それは自分の心かもしれないってこと)。人生を活発に生きる力は色々な経験をしなければ生まれにくい。

計画性と社会保障(第14編 人生設計の技術)
 何かを計画するときはそれを実行するためにかかる時間と難易度を考えよう。いわゆるトレードオフの原理である(C)リチャード・ドーキンス

 社会保障では保護と指図の範囲は一致させよう。これはイギリスの貧民救済でも頭を悩ませている問題らしいのだが、生活保護でお金を支給しても、無駄遣いされちゃ問題の本質的な解決にはならない。薄くするべきところを厚くして、厚くするべきところを薄くしては社会は重苦しくなってしまう。
 ただ経済的な議論に酔って、人を思いやる気持ちを忘れてはいけない。人間ソロバンだけでできてはいない。

懐疑主義と相対主義(第15編 判断力の鍛え方)
 自然科学の発展を見ればわかるように文明とは物事を疑うところから始まる。また西洋文明が100%正しくて進んでいると決めつけてはいけない。
 例えば西洋で女性の権利が尊重されているのは素晴らしいことではあるが、夫を苦しめる困った妻や不良娘がいることまでは見習う必要はない。

コミュニケーション能力(第16編 正しい実行力をつける)
 物質的な豊かさに心を支配されるな。
 いくら正論でも時と場合をわきまえろ。宴会の最中にありがたい道徳の説教をされちゃたまったもんじゃない。空気読め。こういった賢さがないのは蒸気はあってもエンジンがないようなものである。
 あとすぐ「時代に合わなかった」とか「めぐり合わせが来なかった」とか言い訳ばっかりして不平不満を言う引きこもりが多いけど(注:明治時代!)、そう言う人の表情はたいてい不幸そうである。

 ここで言っておこう。次代の若者たちよ、他人の仕事を見て物足りないなあ、と思えば、自分でその仕事を引き受けて、試しにやってみるのがよい。他人の商売を見て下手だなあ、と思えば、自分でその商売を試してみるのがよい。となりの家がだらしない生活をしていると思えば、自分はしっかりと生活してみよ。他人が書いた本を批判したかったら、自分でも筆をとって本を書いてみよ。
 非常に大きなことからとても細かいことまで、他人の働きに口を出そうとするならば、試しに自分をその働きの立場において、そこで反省してみなければいけない。あるいは、その職業がまったく違ってその立場になれない、というのであれば、その働きと重要さを考えればよい。(215ページ)


社交のすすめ(第17編 人望と人付き合い)
 人望とは実際の権力や財産が大きいから得られるといったようなものではない。その人の知性と人格によって次第に獲得していくものである。そして栄誉や人望は努力して積極的に求めるものなのだ。
 わかりやすい説明の仕方を練習しよう。また服装や表情といった見た目の印象も大事だぞ。こういうのは持って生まれたものだから努力してもどうにもならないと諦める人がいるが、手足を使えば筋力がつくのと一緒で、言葉遣いや表情も訓練でどうにでもなる。努力する前に諦めるな!(C)松岡修造
 最後に。引きこもってないで交際をどんどん広げよう。いろいろなことに関心を持ちいろんな人と会って話をしてみよう。

 人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない。
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