『夜回り先生いじめを断つ』

 いつからか凶悪犯罪までいじめになってしまった。

 夜の街の聖者の二つ名を持つ水谷修先生が滋賀県大津市のいじめ自死(※)事件を受けて執筆した本。水谷先生の本は、これまでにも何冊か読んだんことがあるんですが、今回の本は、いつもの散文的というか日記的な感じではなく、いじめを主題に、割ときちっとした構成の本に仕上がっている。

 ※水谷先生は自分で自分は殺せないからということで「自殺」という言葉を使わない。

 これを読んで思ったのは、まず学校の先生にできることは少ないということ。水谷先生はマスコミの報道などで一緒くたにされてしまった「いじめ」的行動を、「不健全な人間関係」「人権侵害行為」「犯罪」の三つに分けた上で、学校の先生が対処できるのは悪口や無視といった「不健全な人間関係」だけだと論じる。
 人間誰しも合う合わないはあるわけで、悪口(人を嫌いになる権利)も禁じてしまったら、そんなのはもう全員アウトになってしまう、と。

 とはいえそれが他者の人権を侵害するにまで発展したら法務省人権擁護局が対応、犯罪だったら警察、家庭裁判所が対応するべきで、問題なのは児童生徒のトラブルをなんでもかんでも抱え込んでしまおうとする学校の体質なのだと指摘している。
 これは体当たり先生水谷先生としては結構意外な論だと思ったんだけれど、よくよく考えてみれば、水谷先生ほど児童相談所や警察と連絡を取り合っている先生はいなかった。

 そしてそこまで大きなトラブルになってしまったら、いさぎよく学校や教育委員会を責任を取るべきであると。隠蔽などもってのほかだ。それは未来を担う子どもたちに「大人ってすごいみっともない存在なんだなあ」という失望を植え付けるからである、と。そりゃ大人になりたくないわな。未来には絶望しかないわな。刹那的に生きるわな。
 確かに学校っていうのは生徒にとっても教職員にとっても閉鎖的な場だなあとは思う。でもそこで起きた犯罪を隠蔽しちゃうのは、よくよく考えれば隠匿罪というか刑法的にもアウトな事なんだよね。それなのにいじめで自殺が起きても教育委員会や学校がなにも罰を受けないのはおかしいと思う。隠蔽は犯罪!

 これはネットとかで過剰に叫ばれる、いじめ厳罰化とか、いじめやった奴死刑とか、いじめた奴はネットで個人情報晒してもOKとか、そういう怒ればいいんだ的な話ではない(つーか最後のはいじめだから。つーか犯罪だから)。
 水谷先生はもっと厳しく、いじめが起きてしまった以上、やった方もやられた方もいじめという問題から逃げずに戦いぬくしかないと考えているんだ。
 だからやった方は自分のやったことの責任を取って罰を受けるべきで、そして被害者に謝罪をしなきゃ“救われない”。連載打ち切りのようにうやむやに終わらせちゃ絶対ダメなのだ。

 さらに、いじめる側もいじめを行なった背景というものがあるわけで、そこを解決しない限りいじめの根は断てない。人間、誰もがいじめしたいな~と思って生まれてくるわけじゃない。
 水谷先生はいじめっ子は絶対もっと強いものにいじめられているという「いじめっ子傀儡説」を唱えている(すいませんこの言葉は私が今作った)。結局利根川先生も兵藤会長の傀儡みたいな。
 だからこそ、いじめられっ子も、いじめっ子も救われなければいけない(結局どっちもいじめの被害者だから)と訴えている点で、ネットの加害者叩きとは本質が決定的に異なるわけだ。

 ただこれを成し遂げるにはには学校だけじゃ荷が重すぎる。だから、いじめが起こったらとにかく騒ぎを大きくすべきと水谷先生はいじめを受けている子や保護者の人に勧める。死んじゃったら取り返しがつかないから。いじめを知って手を差し伸べる大人の数が多いほど、その子が救われる確率は上がるのだ。
 それで勘違いだったらどうするんだ、まるでモンスターペアレントじゃないかという反論も来るかもしれないけれど、いじめがなかったらなかったでいいじゃないか、と。
 この話を聞いて私は『ウルトラセブン』のキリヤマ隊長を思い出したよ。

 なんともなければ、それでいいじゃないか。我々が無駄な働きをすればするだけ地球は平和ってことだ。

 本当だよね。それでいいんだよね。

 だから私『3年B組金八先生』すごい好きで、金八先生ってすごいいい先生だと思うけど、あの人校長先生にしちゃダメなんだなって思った。全部抱え込んじゃうから。
 『ファイナル』で景浦くんっていう不良の子を金八先生は更生させようと頑張るんだけど、景浦くん、街でカツアゲするわ、先生ぶっ飛ばすわ、教室で暴れるわで、とにかく荒れまくってるんだよ。加藤勝でもそこまではしてない。つーか加藤勝は漢。
 水谷判定だと、街で見ず知らずの人にやったら絶対に警察に捕まることは、もはやいじめとか非行じゃなくて「犯罪」になるから、あの時は校長先生がとった「即警察に通報」が正しい判断になるわけなんだ。

 もちろん『3年B組金八先生』はドラマだから、結果的に大事にならずに景浦くんも立ち直ったけど、現実はドラマのようにはなかなか行かないからね。
 でもこのドラマ演出による倒錯って興味深いなあって。「教師を殴るのはもはや犯罪行為です!通報します!」っていう校長先生はすごい臆病な保身の人に見えて、「待ってください!景浦にもう一度チャンスを!」とか言ってる金八先生は、すごい立派な先生に見えるけど、学校に警察の介入を許す、あの校長先生は若いのになかなかだよなあって。
 水谷先生的には、さらにそのあと不祥事の責任を取って金八先生とともに処分を受けるべきだってことなんだろうけど・・・ 
 
 そういえば、去年知り合ったスクールカウンセラーの先生がそこらへんの対処のプロで、その先生が言うには、とにかく学校は児童相談所や警察とのパイプを作り、情報交換をコンスタントに行なうべきだ、と。
 でも一部の教育委員会や校長先生は学校にそういった外部の人たちが介入するのをとにかく嫌がる。でもやっぱり程度によっては人の人生や命がかかっている問題だから、介入が嫌とかそういう次元の話じゃないと思う。

 そのスクールカウンセラーの先生の経験談は、ちょっとここでは書けないけど、やっぱりいじめ問題の根源には、その子の家庭環境が大きく関係していて、私も経験の量だとその先生には全然かなわないけど、塾や学校で数え切れない学生と関わって、やっぱり家庭の影響力ってすごいな、とは思った。
 そして水谷先生も「いじめの原因は、その子ども自身にあるのではなく、その子どもの家庭や学校、地域などの社会にあるのです」と言っている(本書99ページ)。そんな大きな問題を一人の先生が解決できるはずはない。それはある種の傲慢だ。

 なんかだんだん落ち込んできちゃうけど、今の日本ってとにかく責任を押し付け合う社会になっちゃったよね。全部原因は“自分以外のもの”のせい。いじめはいじめた奴捕まえておしまい。それで終わりだろうか。本当に?
 水谷先生はいじめの責任をみんなで分かち合う社会を望んでいると思うんだ。これはいじめに限ったことじゃない。民主主義だってそういうものじゃん。そういう議論の方向に、ぜんっぜんネットはいかないけど。多分みんな酔っぱらいながらテレビのニュースにやじ飛ばしてる感覚なんだろうな。そんな大人見て今の子どもは育つわけだよ。どうなるんだ。

 それとこの本で知ったんだけど、水谷先生は小さい頃やっぱり大変な家庭環境と、壮絶ないじめにあっていて、その時にいじめっ子のグループ?の女の子に刃物で怪我を負わせちゃったらしいんだ。
 そのトラウマみたいなものが、今の水谷先生を突き動かしているのかもしれないけど、私は逆にいじめられたっていうよりは、どっちかというと人に当たっちゃった経験があって、さらにその経験が本当に恥ずかしいんだけど、大学時代の教育実習でやってしまったんだよね。
 その集団がみんなイライラしていると、結局自分より弱い立場の人にそのストレスをぶつけてしまうという。もうみっともなくて情けないんだけど・・・

 考えてみれば「郷に入れば郷に従え」っていうのはおそろしいよね。もうその学校とは抗議文も出して教育委員会も巻き込んで、さんざやりあったんだけど、もう自分ひとりの力じゃどうにもならなくて。指導教官の先生には迷惑かけるし。
 で、いつまでも正論押し通しても単位は出ないし、単位出なきゃ卒業できないし、ストレスで病気になって留年するし、だから、もう心を殺して乗り越えることにしたんだけど、まあとんでもないところで。
 とんでもないところならお前は人に当たっていいのかって言われるのはわかってる。もちろんダメ。許されない。

 結局、この問題は数年後、やっぱり問題視する大人たちが現れてくれて、学校の環境は改善されたらしいけど、絶対当時の現場にいた教職員は責任取ってないんだよ。それが悔しい。
 具体的に言えば、その実習仲間に私が無視や嫌がらせをしたわけじゃない。ちょっと冷たく接しちゃったんだ。んで仕事でちょっと意見の相違があって、大人気なく理詰めで攻めちゃったんだよ。もうああいうことは二度とやらないように反省している。理詰めよくない。
 私はやっぱり人よりも多少弁が立つから、そういう人間は人を理詰めで責めちゃいけないんだ。プロのボクサーが人をどついたら、そのパンチは凶器と判定されるじゃん。

 だからあの時はどうすりゃよかったんだろう?って今もたまに思う時がある。あの学校に屈するべきじゃなかったのかな。もう異様な環境だったからね。みんなイライラしてて。そこに通っている子は大丈夫だったのかなあ。
 んで単位の方はAだった。あの学校はちょっとやそっとじゃAを出さないけど、お前らのルールでとことんやってやるよって心を殺して仕事したから。悔しいじゃん。さんざ喧嘩して、中途半端な成績で教育実習終わるのは。それが自分にできる精一杯の反逆だったなあ・・・

 そういえば昨日、ひさびさに教え子にあったんだ。その子に「田代T(そう呼ばれる)もいつかは丸くなっちゃうんですか?」とか言われたんだけど、やっぱり自分の保身のためになあなあにしちゃうのはよくないのかもな。
 あ~もうわからねえ!私、最近、二言目には「社会人は妥協たいせつ」とか言ってる気がする!どうしよう!30歳になっても私はこんな感じで中学生みたいに悩んでいます。
 いじめの話がなんか自分の懺悔みたいなことになってしまった。もっと人に優しくありたい。
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