作り手は理性、読み手は感性

 日本語ってなかなか難しくて、なんというか曖昧と言うか、はぐらかしてニュアンスを伝える言葉ですよね。こういったはっきりと物事を相手に伝えようとしない「本来の言葉の目的としてはおかしいだろ」って言語使っているから、日本人の恋愛観も、人間関係も、空気読む人がいいとか、なんで気持ちを察しないとか、言葉を深読みしなきゃ伝達がしっかり成立しない場合が多々あるのではないかと思います。

 「人間言葉じゃ伝えきれない想いがある」とか言いますけど、じゃあジェスチャーとか表情でコミュニケーションがそれよりもできるかと言えば、そうでないわけで、やはり言葉を使いこなせなきゃ人間関係はしんどいし、楽しくないわけです。
 しかも、これは自分と他者の双方がある程度言葉をうまく扱えなければいけないので、一生懸命話し手が言葉を正確に述べても、相手が言葉を知らないんじゃ、結局伝わりません。

 芸術作品でも、「別にそれでいいじゃん。その表現媒体が他者に伝える正解が一つだと面白くないよ」とか言う人がいますが、こんな屁理屈、佐賀のがばいばあちゃんでも言いません。正解が一つじゃないからって、送り手が正解を作らなくていいはずはない。こういうコミュニケーション軽視の人がいるから、子供っぽいもめ事が起きてしまうような。

 で、なんでこんなことになったのかな?って考えてみたんですけど、おそらく「現在は映像の世紀だからじゃないか」と思うんです。映像って理屈じゃないし、でも受け手に与えるインパクトは大きいわけで。感性に訴えてくるんですよね。
 そんな映像の社会で生きているから、なんとなくのイメージでしか人は、ものを見なくなっちゃったんじゃないか、と。
 でもそれってやっぱり「なんとなく」しか伝わらないわけだから、結局相手が何が伝えたかったかは分からない。これが齟齬の原因じゃないかと思います。

 仕事とかする上でこのコミュニケーションの力はとても重要だし、漫画だって読み手を感動させるには絵の曖昧なイメージだけじゃなく、なにか明確なメッセージをぶちこまなければいけないと思います。
 で、その受け手に対する明確なメッセージを上手く発射できるかは、ノラネコさんの言葉を借りれば、やはり「ロジック」なんじゃないか、と。
 送り手は物語をロジックで組み立て、受け手に発射、受けてはそれによって感性を揺さぶられるわけで、この議論で大切なのは、「感性を揺さぶるのは感性じゃなく、意外とロジックなんじゃないか」ってことです。
 リードなんかに即して言えば、ロジックを組み立てる想像力を働かせるためには、理性と感性どちらも必要なのは言うまでもないんですが。

 大体感性だけで生きてたら、世の中絶対やっていけない。道徳とかモラルって超自我がなんだって言いますけど、理性の領域だと思うんですよ。
 例えば人に向かって「キミの顔はぼくの美的感覚に合わない。不細工」とか言ったら、こいつ友達できませんよ。

 でも逆に理性を総動員して、相手に自分の意見を的確に言うのもまずいのかな?私なんかは的確に切り込んでくるとかTくんやKO氏に言われたし、もうちょっと曖昧なニュアンスでしゃべるようにしよう。それが日本人のあるべき態度かもしれないし。
 女性も結構自分の意見言わない、奥ゆかしい男性の方が好きな人多いらしいですからね。で、自分の思いつきはやたら言うんだけど。
 結論:日本語は相手にわざわざ自分の想いを汲み取らせる厄介な言葉。
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