デカルトについて

 この記事はdescf氏の疑問の解答です。でも私、哲学研究者じゃないので、大体しか分かりません。あしからず。

 考えてみれば、世の中に確実なものなんてないって気付きます。そうやって「世界の全てを疑って、それでも疑いようのないものを見つけよう」と考えたのが、数学者のデカルトです。
 このやり方を「方法的懐疑」って言って、「じゃあ自分の存在も幻で存在しないかもしれない」って、究極的にデカルトは疑うわけなんですけど、でもそうやって疑っている以上、疑っている自分の存在は、存在していないと疑えないことになるので、「じゃあ自分は存在してるんだな」って結論が「われ思うゆえにわれあり」という言葉です。

 実を言うとデカルトの方法的懐疑とかの思想は、どっちかというと自然科学よりで、まあデカルトって科学者でもあるからなんですけど、以後の科学哲学や、「自己そのもの」の研究に大きな影響を与えています。
 たとえば、量子力学や動物行動学のフィールド研究などで、今はやばい事態になっている「客観的再現性」という科学の考え方があるんですけど、大雑把に言うとこれは「実験や観察をしている研究者は、研究対象とは無関係な、客観的なものとして基本的に疑っちゃダメ」ってことなんですけど、これって「自分の存在は疑わない」デカルトの思想を受け継いでいると思います。

 このように、主体(研究者)と客体(自然)を分けて考える哲学のやり方こそデカルトの哲学で、以後このラインで自然科学の研究や、自己を対象とする哲学(カントとか)が行われていきます。今は不確定性原理とかでくずれました。
 デカルトには他にも「心身二元論」と言う功績もあるのですが、これはバイオロジーの第1回で触れているのでそちらをご覧ください。
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