ブリッジ・オブ・スパイ

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 ボウリングのストライクは一件だ。十件じゃない。

 スポーツでもビジネスでもそうだけど、参入する人の絶対数が多いと、なかにはとんでもない天才だとか、英雄的な人が現れることがある。ということで、さすが訴訟大国アメリカ。とんでもない弁護士がいたもんだぜ。

 時は冷戦。世界は、人間を幸せにするのは自由か平等かという対立するおせっかいによって一触即発の危機に瀕していた。
 そこで活躍したのがエスピーワイ。相手陣営に潜り込み、超法規的に諜報活動を行なうという、法を遵守する弁護士とは真逆の任務についた人々だ。
 私はてっきりトム・ハンクスがスパイで活躍する映画だと思っていたから、冒頭で登場する画家(※スパイ)が主役だと思っていて、トム・ハンクスもさすがに老けたなあ。痩せちゃったし禿げちゃったよ。とか思っていたら、いつものトム・ハンクスがそのあと出てきて、え、スパイじゃないの!?ってじゃあこのハゲ誰やねんっていう。

 しかし、スピルバーグ監督はもうバカ映画に飽きちゃったのか、史実を題材にした硬派な映画ばっかり撮ってるけど、今回の映画はその中でもトップクラスに地味。スパイ映画なのに全くアクション(=暴力)シーンがなく、全編交渉。
 そう、現代の民主主義社会を成り立たせているのは言論、対立する相手と根気づよくコミュニケーションをとり続ける姿勢こそが大切なんだということなんだろう。
 かのキルケゴールはヘーゲルの弁証法を「あれもこれも」と批判したが、アウフヘーベンは希望なのだ。なかなか現実で実現しないから希望なんであってね。
 もしケネディとフルシチョフが、キルケゴール的に「あれかこれか」一本で突き進んでいたら、確実にユーラシア大陸は滅んでいただろう。しかし現実には、その後ホットラインが敷かれたっていうね。

 さて、商業主義で映画をやるならば、暴力をやったほうがいいんだ。暴力の肯定とか否定とかの問題は置いといて。暴力は頭を使わなくていいし、原始的な感情を刺激するから血が騒いでワクワクする。
 しかしスピルバーグ監督レベルになると、その桎梏を超えたレベルで映画を作れるからすごいし、ほとんどのクリエイターっていうのは、そういった倫理観とか義務感よりも、全能感を味わいたいとか、賞賛されたいとか、既存の価値観を壊したいみたいな自己中心的なリビドーの方が強いから、多分こういう映画を作れる立場になっても作らないだろうし、作れないんだよな。
 私もやっぱり、今回はさすがに地味だし、救いがなさすぎるだろ、スピさんって思ったら、最後の最後でちゃんと「僕のパパは世界一」的なアメリカのホームドラマ的カタルシスをちゃんと繰り出してくれるから、ああやっぱり天才だなあって、まあ毎回感じてるんですけど、今回も納得してしまった。

 でもアメリカってやっぱりフロンティアスピリットなのか、考えることがベンチャー的というか、常識の斜め上をためらわず実行するよね。
 だいたい、国家の命運をかけた交渉事を、政府レベルじゃなくて、民間、もっといえば一個人に丸投げしちゃうって滅茶苦茶じゃね。しかもその職務内容は秘密で、失敗しても責任は取らないからっていう。
 そんなリスクしかない仕事誰が受けるんだって話だけど、アメリカはやっぱり国旗に忠誠を誓う愛国者の国なんだよね。いやそれが欧米のナショナリズムでは当たり前なんだろうけれど。
 で、やってくれる人がいるっていう。ほいで、やったらやったで、同じ愛国者に鉛弾撃ち込まれるという。それでも国家への忠誠を捨てないという。キャプテンアメリカが実在するんだよな、あの国は。

 普通の妻子のいるパパンなら、この時点で家族の安全を取ると思うんだけど、ドノバン弁護士はそのまま突き進み、釣りという名目で長期出張をしてしまう。やっぱり、彼は愛国者であるという以上に、弁護士のプロフェッショナルなんだよね。
 法曹というものが彼のアイデンティティや矜持になっているからこそ、スパイ活動という法を逸脱した行為に対して、あくまでも法に則って裁きを下し、法の支配の正当性を示す。ちなみにアメリカという国家はとりわけ司法権が強い。
 学校だってそうなんだ。規則を破る子に「いいよいいよ」って物分りよく特例も認めちゃうと最後、規則は形骸化し、東ドイツのような無法地帯になってしまう。
 規則は確かに鬱陶しい。運転免許を取るとおのれポリスメンと思うことも多いし、私は法律学概論の単位に苦戦しました。
 しかしホッブスの『リヴァイアサン』よろしく、無きゃないで非常に恐ろしいことになる。私たちは生まれた時から法治国家にいるから、法が機能しないという状況を想像できない。法がどれだけ私たちを守ってくれているかというメリットを忘れてしまう。

 愛国心、国家の安全を守るためだったら、法やルールを超法規的に無視していいのか。これは、特に今の日本の政治を見ていると考えさせられるテーマなんだけど、じゃあ愛国心や国家の安全がどこから生まれているかと想像すれば、それはやっぱり法なんだよね。
 イェリネックじゃないけど、法がなければ主権はない。主権がなければ国家はない。そう考えると、国家のためにという建前で法律を無視しちゃう人は、一体何と戦っているのか注視する必要はあるよね。
 もちろん政治というのは現実としてゴリ押ししないと何も決定できないっていう局面はあるとは思うのだが。
 それでも私たちは決して法と言論を放棄してはならない。現実はそうじゃねーしと過去の人々が命懸けで獲得して現代の私たちが享受しているものを冷笑しちゃうと、もったいないゴーストが出ます。セーフティバーに触ってはいけない。それを引くのは私の役目。

 アイルランド系にドイツ系。我々を米国人と規定するのは、ただ一つ。規則だ。
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