地学実験覚え書き②

 こんばんは。2016年も終わりですね。思い返せばろくな年じゃなかったから、とっとと過ぎ去って欲しい。いい事といえば、数学の単位がほとんど優で取れたのくらいだな。あと真田丸が楽しかった。おわり。
 ちなみにアキヒトさんの誕生日に、三浦半島の城ヶ島でフィールド調査をしてきたので、そのレポートを抜粋して掲載します。この巡検に関しては、リアルデザーテッドアイランドみたくてちょっと面白かった。攻略サイトみたいなマップとか作成したり、謎の洞窟があったり。

C0VpWfpUsAAFTOV.jpg
ハインツ「閣下洞窟です。いかがいたしますか?」

城ヶ島巡検マップ(デザテ攻略サイト仕様)
マップブログ用.jpg
ポイントAで注意事項の確認、調査用具の準備を行い、島の西部から反時計回りに散策し、島の東部へ向かった。城ヶ島の地質は、西から東にかけて新しくなっていくので、堆積した順序に沿って巡検を行なったことになる。
城ヶ島を含む三浦半島南部は、新生代第三紀(鮮新世~中新世)の地層である三浦層群から成り、さらに三浦層群は三崎層と初声層という二つの異なる地層で構成される。
城ヶ島では島の北端部と西部に三崎層、島の東部に初声層が広がり、島の中央に二つの地層の境界(断層)がある。
また北米プレートに沈み込む形で北上するフィリピン海プレートによって火山活動や地殻変動が度々起こり、大規模な海岸線の隆起、それに由来する露頭が島のあちこちで見られる。

級化層理2.jpg
三崎層(堆積年代1200~400万年前)
凝灰質シルト岩とスコリア質凝灰岩の互層。フィリピン海プレートの衝突によって本州側に付加した。スランプ構造や生痕化石が見られる。城ヶ島西部に分布。

発声層.jpg
初声層(堆積年代400~300万年前)
「はっせそう」と読む。火山から噴出したスコリア、軽石質の砂や礫からなる凝灰岩層。三崎層同様にフィリピン海プレートの衝突によって本州側に付加した。
クロスラミナが発達。城ヶ島東部に分布。

B:傾斜した露頭
ポイントB.jpg
ポイントBから矢印方向へ岬を見た写真。
本来水平に堆積していた地層が、プレートテクトニクスのプレッシャーによって横倒しに倒れてしまったものだと考えられる。
実際にこの露頭には所々断層が確認出来、城ヶ島の地殻変動が活発であったことを物語っている。この露頭の傾斜方角は北上がりの南落ちで、城ヶ島西部がフィリピン海プレートによってコンスタントに南からの強い力を受けていることが分かる。
岬の地面には綺麗な断層が所々にある。

断層注釈入り.jpg
断層がひとつの場所で二つ走っている。写真の右が南。左が北である。
白い凝灰岩層に注目すると、断層A(赤いライン)が圧縮力による逆断層、断層B(青いライン)が引張力による正断層であることが分かる。
これは、矛盾する力の働き方が同時に起きているように見えるが、城ヶ島周辺のプレートの動きを踏まえると、南からフィリピン海プレートによる圧縮力がかかっているはずである。
したがって、もともと断層Aを生じさせるような圧縮力が南からかかったことによって、断層Aの左にあった地層が相対的に下向きの力を受け、それによって断層Aの左の地層に引張力が生まれ、二次的に断層Bを作り出したと考えられる。
また、断層Bを示す青いラインが下の方でずれているのは、断層が生じたあとにも継続的に南から北に向かって水平方向の強い力が働いていることを示していると思われる。

B:海岸段丘
海岸段丘は、海岸線沿いに分布する階段状の地形で、海岸線の段階的な離水(地盤の隆起や海面の低下)の繰り返しによって、波で海食される位置が断続的に後退してできる。
城ヶ島の海岸段丘は、1703年の元禄地震や、1923年の関東大震災による地表の隆起によって形成された。

海岸段丘のでき方
海食崖①.jpg

①山地や丘陵が直接海に面している岩石海岸が、波の浸食や風化によって削り取られ海食崖ができる。このとき海中にある崖は波がぶつかってこないため侵食されず平らな面(波食棚)が形成される。
海食崖②.jpg

②その後、地盤の隆起や海退で海岸線が後退し、海食作用が起こる場所が相対的に低くなる。
海食崖③.jpg

③再び別の場所で海食崖ができる。このサイクルをくり返すことで階段状の地形ができあがる。
海食崖④.jpg

B:おう穴・タフォニ
タフォニ.jpg
写真でも分かるように、この海食崖の表面にはところどころ蜂の巣のように穴が開いているが、これは生物が開けた跡でも、軽石や玄武岩のように内部のガスが抜けた跡ではなく、海食作用によって礫が波打ち際にぶつかりできたものだと考えられている。
波によって岩盤の割れ目に入り込んだ礫は、水流によって回転し岩盤を削り取るという。こうして岩石の表面にできた円形の穴をおう穴という。
実際、この崖周辺の風は風速10メートルを超えるほど強く、波の勢いも激しいものがあった。
さらに他の浸食作用の例を調べると、タフォニである可能性もあるのではないかと思った。タフォニとは、風が強い海岸で海水が勢いよく岩石に付着し、その後海水の水分が蒸発、岩石中に残された塩類が結晶化することで膨張、岩石を内部から破壊しできる穴のことである。
タフォニは砂岩や凝灰岩の崖で見られるということなので、この穴はタフォニである可能性も高いと思われる。

C:互層
三崎層群.jpg
異なる種類の層が交互に重なっている地層を互層という。
このポイントの崖は三崎層群に属するので、白い凝灰質シルト岩と、黒いスコリア質凝灰岩の互層が明確に確認できる。この二つの地層はともに堆積岩である。

凝灰質シルト岩(白)は、火山灰の混ざった砂泥岩で、堆積時に火山の噴火があったことがわかる。その時の火山灰が砂や泥と一緒に河口に堆積したと思われる。

スコリア質凝灰岩(黒)は、スコリアを多く含む凝灰岩のことで、こちらも火山活動によって形成されたことがわかる。
スコリアは黒っぽい穴だらけの岩石のことで、鉄やマグネシウムの割合が高く粘り気の少ない玄武岩質マグマが噴火の際に上昇し、圧力が下がったために、内部に含まれていた揮発性分が抜け、多孔質になった。ちなみに白っぽいものは軽石と呼ばれる。

この二つの地層が交互に堆積しているということは、この場所はかなり活発な火山活動がコンスタントに起きていることがわかり、さらに、この互層の間隔(厚み)で過去に起きた噴火のペースや規模を調べることができる。
大規模な噴火の場合は、大量の火山灰が降り積もったはずなので地層が厚くなり、小規模の場合は地層の厚みが薄くなるはずである。
しかし、なぜ同一の場所で、白と黒の二種類の火山灰やマグマが堆積しているのだろうか。
以下の3つの可能性が考えられる。

①近い場所に二つの火山がある。
②二種類のマグマだまりがある。
③同じマグマでも噴出するタイミングで色が変わる。

この中の③をマグマの結晶分化作用という。

スコリア質凝灰岩.jpg
また、スコリア質凝灰岩の地層の中には、写真のように礫状の凝灰岩が含まれている層も見られた(写真の下側が北)。
この凝灰岩の礫は変成作用を受けていないので、マグマの熱にさらされていないことがわかる。

黒っぽいスコリア質凝灰岩の中に凝灰岩の礫が含まれている、ひとつの仮説としては、地上にもともとあった白っぽい凝灰岩が、風化・侵食の後に河口に運搬されることで礫になり、その時海底から吹き出ていた未固結の玄武岩質溶岩の中に取り込まれたのではないかと思われる。
しかし、運搬堆積作用で海底のマグマまで運ばれてきたとすれば、下部で粒が大きくなり、上部で粒が小さくなる級化層理が見られるはずである。
これは、この地層が河口付近で形成されたと考えると説明ができる。凝灰岩質の礫・砂・泥が河口に運ばれると、軽い砂や泥は沖合にまで運ばれるが、礫は河口付近で沈んでしまう。こうして大きな礫のみ、局所的に玄武岩質のマグマに取り込まれたのではないだろうか。

もうひとつの仮説としては、海底に堆積していた凝灰岩の地層を、玄武岩室マグマが下から砕き割って、その後固結したという可能性があるが、黒っぽい玄武岩質マグマの温度は、噴出時には1200℃の高温に達するので、マグマが海底である程度急冷された後に、タイミングよく礫が取り込まれないと、変成作用を受けてしまう。

最後の仮説は、この礫がマッドボールであるというものである。マッドボールとは、未固結のシルト岩が海底地滑りによってちぎれて礫のようになる現象である。この海底地滑り説は、後述するスランプ現象とも整合性がある。

C:スランプ構造
C0r_8LrVIAA2IWi.jpg
特定の地層だけがシワが寄るように曲がっている異常堆積構造をスランプ構造という。
褶曲であるならば、上下の地層と共に曲がるはずだが、スランプ構造では上下の地層は直線的なままである。
写真の真ん中の地層だけが圧縮力を受けたとは考えにくいため、シワの寄った地層を構成する堆積物がまだ軟らかかった時に、地震に伴う海底地滑りが発生、摩擦が小さい地層の上部が波打つ形で変形したものだと考えられる。
この時、波打った地層の上部にすでに別の地層が堆積していたかどうかは意見が分かれている。

スランプ構造のでき方(仮説A)
①硬い地層の表面に軟らかい地層が乗っていた。
スランプ構造①.jpg

②地震もしくは、海底の傾斜角度が4°(安息角)以上になると地滑りが発生する。これにより、表面の軟らかい地層だけ滑り落ち、シワが寄った感じに曲がる。
スランプ構造②.jpg

③シワが寄った軟らかい地層の上に再び地層が堆積した。
スランプ構造③.jpg

スランプ構造のでき方(仮説B)
①硬い地層の間に軟らかい地層が挟まれていた。
スランプ構造④.jpg

②軟らかい地層の上の硬い地層が海底地滑りを起こし、それに引きずられる形で真ん中の柔らかい地層が変形した。
スランプ構造⑤.jpg

D:海食洞
海食洞.jpg
海食崖の侵食がさらに進むとできるトンネル。
洞窟上部の形状から、海岸線が二段階に変化したことがわかる。

海食洞のでき方
①海食崖がある
海食洞①.jpg

②海食崖が波によってさらに削られる
海食洞②.jpg

③地震によって陸地が隆起し、海食の位置が相対的に下がる。
海食洞③.jpg

D:級化層理(グレーディング)
級化層理.jpg
(写真の左が北)
同一の地層(単層)の下部から上部に行くほど粒の大きさが連続的に小さくなっている構造を級化層理という。
時間とともに運搬速度が小さくなると、ストークスの法則により、最初に粒の大きい重い礫が、次に砂が、最後に水に溶けていた泥が積もっていくため、このような順序だった階層ができる。
この級化層理によって地層の上下判定をすることができる。
この海食洞の地面の級化層理を調べると、もともと西が下で、東が上であることがわかる。つまり、地層累重の法則により、西の地層が古く、東に行くに従って新しくなっていることがわかる。

E:生痕化石
生痕化石.jpg
生物の足跡や巣などの化石を生痕化石という。
写真のものはゴカイの巣穴だと思われる。
この巣穴はもともと空洞だったが、その中に土砂が堆積し地層が重なったあとに、その部分だけを残して地層上部が風化すると、このような凸型の生痕化石(ポジ型化石。カスト)ができる。
凸型の部分だけが残るということは、地層の上部が残り下部が風化したと考えられるため、何らかの原因で地層ごと上下がひっくり返った可能性がある。
もしくは、巣穴に詰まった堆積物だけが風化に強ければ、この写真のように残ると考えられる。

F:フレイム構造
フレイム構造3.jpg
下の地層がまだ固まっていない時に、上からさらに新しい地層が堆積することによって、地層の境界が炎のような形になることをフレイム構造という。
城ヶ島のフレイム構造は、堆積する地層の色のコントラストが明確であるため、世界で最もフレイム構造が綺麗に見える場所だと言われている(実際、地学の資料集でも城ヶ島のこの場所の写真が掲載されている)。

フレイム構造.jpg
フレイム構造のでき方については大きく3つの説がある。

①海洋生物説
ヒラメやエイといった海底を這い泳ぐ生物が付けたという説。
生物学者が主に提唱。海底にミステリーサークルを作るフグ(アマミホシゾラフグ)などもいることから可能性はなくはないが、城ヶ島のフレイム構造はあまりにも広範に及んでいるので、生物が作ったとなるとかなり多くの個体数が必要になる。

②荷重痕(ロードキャスト)説
下の白い凝灰岩層が堆積し、続成作用で完全に固化する前に、上からスコリア質砂岩が降ってきて、白い火山灰がその衝撃で舞い上がり、上下の地層が混ざり合うことで、炎のような境界ができたというもの。テキストにも書かれている最も一般的な説。

③液状化現象説
海底地震によって下の白い凝灰岩層がある種の液状化現象を起こし、炎のような境界を作ったという説。
液状化現象が起こると、比重の小さな構造物は浮き上がり、その上に乗っていた比重の大きな構造物は下に沈み込む。
F地点のフレイム構造も、下の白い地層よりも上の黒い地層の方が粒の大きさが大きく比重が大きいため、液状化が起こる可能性はあると思われる。また、フレイム構造が広域に及ぶ理由も説明できる。

G→H:向斜構造
向斜構造.jpg
(南東方向に撮影。写真の左が東、右が西)
地層がお互いに向かい合う形で傾斜している構造を向斜という(※その逆は背斜)。
写真の左側の地層の傾斜方向が南西、右側の地層では東になっている。
このような地形は、床に敷いた布の一部を水平に手で押すとそのポイントを中心にシワが寄るように、島の地表が北上するプレートのプレッシャーによって大きく褶曲していることを示している。実際に毛布を南から押して見ると、この地点のようなU字型の褶曲地形ができた。
褶曲②.jpg

G→H:差別侵食
選択的侵食.jpg
フランスのケスタ地形のようなギザギザ。白い凝灰質シルト岩だけが選択的に風化され、両端の黒いスコリア質凝灰岩が綺麗に残っていることがわかる。
泥岩などが乾燥・湿潤を繰り返すことによってもろくなることをスレーキングという。
泥岩が降雨や波によって水分を吸収する(毛細管現象が起きる)と、泥岩内部に含まれていた空気を押しのける形でこれを圧縮させ、岩石の粒子同士を引き離してしまうのである。
しかし、黒い軽石(多孔質)であるスコリアを含むスコリア質凝灰岩も、白い凝灰質シルト岩同様にスレーキングの影響を大きく受ける(一般的に凝灰岩も泥岩も軟岩として知られる)はずなので、凝灰質シルト岩がスコリア質凝灰岩と比較してスレーキングによる風化に弱いことを証明する必要がある。
もしくは別の原因があるのかもしれない。この場所だけ顕著に差別侵食が起きている点も興味深い。この謎を解くのはあなただ。(丸投げ)

I:正断層&逆断層
二つの断層.jpg
断層Aが逆断層、断層Bが正断層である。
テキストなどでは異なるタイプの断層と紹介され、その形成メカニズムも異なるような印象を受けるが、これら二つの断層は同一メカニズムによって作られることが分かる。
つまり、圧縮力による逆断層の発生によって二次的に引張力が生まれ、逆断層に付随するかたちで正断層ができるというものである。

J:三崎層と初声層の境界
地層群の境界2.jpg
(写真の左が西、右が東)
同じ高さで、東に歩くと三崎層から発声層に突然変わるポイント。
地質年代で言えば三崎層よりも発声層の方が新しく、三崎層の上に発声層が堆積するため、このように三崎層の真横には並ばないはずである。
三崎層の隣に発声層が並んだ地形は以下のような手順でできたと思われる。

①三崎層の上に発声層が堆積した。
地層境界①.jpg

②プレートの活動によって西部が隆起し、東部が沈降する。
地層境界②.jpg

③同じ高さに三崎層と発声層が並ぶ。
地層境界③.jpg

K:クロスラミナ
クロスラミナ.jpg
細かい泥が堆積したシルト岩が見られることから、三崎層の堆積場所が沖合や深海であったと考えられるのに対し、発声層の堆積場所は浅瀬だったと考えられている。その根拠の一つとなったのが、写真のクロスラミナである。

クロスラミナ補助線.jpg
地層の断面に見られる、弱い縞模様をラミナという。そのラミナが交差しているものがクロスラミナで、水の流れがよく変わる場所で堆積した岩石で見られる。
縞模様を切っているほうが上位の地層で、ここでは青いラインが該当する。
つまり写真の下が堆積時には上だったことになる。
このように水の流れがよく変わる場所は、浅瀬であると考えられるため、発声層は深海で堆積した三崎層と区別される。

L:馬の背洞門
馬の背洞門注釈.jpg
細い岬状の海食崖の侵食が両側から行なわれ、トンネルのように貫通してできたと思われる。
関東大震災以前の馬の背洞門の写真も残っており、震災前はこのトンネルを船でくぐり抜けられたことがわかる。しかし関東大震災による隆起によって、現在では船は座礁してしまい通れない。
写真の高い段丘が元禄地震の際に隆起した面、低い段丘が関東大震災の際に隆起した面だと写真資料から考えられる。

L:タービダイト
混濁流堆積物.jpg
地震や地滑りによって陸上や大陸棚の混濁流が海底に堆積したものをタービダイトという。
テキストによればタービダイトは級化層理が発達すると書いてあったが、写真のタービダイトには明確な級化層理が見られない。これを淘汰が悪いという。
これは土石流が勢いよく運搬されたことで、大小様々な粒子が一度にまとめて堆積したからであると考えられる。
また白っぽいマッドボールらしきものが確認できることからも海底地滑りが起きたことがわかる。

M:不整合境界
M発声層群と関東ローム層.jpg
ウミウの営巣地を観察できる城ヶ島公園の展望台から、東の海食崖を撮影したもの。遠くには房総半島が見える。
岩石の表面が白っぽいところが発声層で、これは海水の塩分がついたのではなくウミウの糞によるものである。
その上の茶色い地層が、かの有名な関東ローム層である。関東ローム層は箱根山や富士山が噴火した際の火山灰が堆積して出来た地層で、色が茶色っぽいのは酸化したからである。

 あらためて感じたのは、専門知識の重要さ。地学実験の最終日に城ヶ島へ巡検に行ったんだけど、事前に大学で判別方法や成因を学習しなければ、ただの観光旅行になっていたことであろう。見えども見えずというか。
 あと、スケールと方位の記録の重要性を強く感じた。巡検の最中では、地形や岩石の大きさなんか見ればわかるじゃんみたいな感じだったんだけど、巡検を終えて数日も経つとすっかりスケールなんか忘れちゃうんだよね。
 それに、岩石や地形ができる原因にプレートテクトニクスを考慮する際には、写真をとった方角が分からないとどうにもならないという。
 今回クリノメーターの計測は二箇所しかやらなかったんだけど、帰宅後、この二箇所の走向と傾斜を衛星写真で再確認したら、ある程度正確に一致してて、ちょっと感動した。わりと単純な仕組みの器具なんだけど、やるなお前!みたいな。
 心残りがあるとすれば、岩石のサンプルをほとんど採取しなかったこと(スコリアの小さな欠片だけお土産で持ち帰ってきた)。今度こういう機会があればマイ・ハンマーを持参し、岩石の組成や強度を確かめてみたい。
 あと、城ヶ島って風がめちゃめちゃ強くて、写真撮影の際のスケールには風で飛ばされないような重いものが必要なので、その点でもハンマーは役に立つと感じた。嗚呼ハンマー。

参考文献とサイト
『ニューステージ新地学図表』(浜島書店、2013年)

『もう一度読む 数研の高校地学』(数研出版、2014年)

千葉県公式サイト『新しい浜の誕生―地震による隆起と沈降―』https://www.pref.chiba.lg.jp/bousai/bousaishi/documents/dai3syou.pdf

吉澤孝和『量地指南に見る江戸時代中期の測量術』
http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/hyaka/publication/pbl_tell/pdf/22.pdf

小玉喜三郎・岡 重文・三梨 昴『三崎地域の地質』
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_08093_1980_D.pdf

早稲田大学大学院創造理工学研究科『三浦半島のジオサイト』
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/earth/geop/Miura-geosites2013.pdf

『エンドレスブルー奄美大島』
http://endless-blue.jp/misterycircle.html

鈴木 聡『グリーンタフ地域に分布する火山岩類のスレーキング特性に関する研究』
http://air.lib.akita-u.ac.jp/dspace/bitstream/10295/2720/1/kouhakuyoushikou1102.pdf
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