戦慄!テキストが全て英語・・・!
当たり前か・・・英語の単位だもんな。つーことで適当に翻訳。歴史の本としては結構記述がシンプルだったので(反乱したけど負けちゃいました、おしまい、みたいな)、他の歴史の本で、もうちょっと詳しく調べて追加した箇所もあります。
参考文献:Antonia Cunningham, Essential British History : key dates, facts & people summarized
※洋書の場合はタイトルを『』で挟まず、そのままイタリック体だそうな。
『イギリス史の要点』みたいなタイトルだと思う。
Roman Britain(ローマン・ブリテンの時代)
ローマ人は、ヨーロッパ、中東、アフリカを征服し巨大な帝国を築いた、中央イタリアからの人々だった。ジュリアス・シーザー将軍率いるローマ軍は、ガリア戦争中の紀元前55年と翌年にブリテン東北部に侵攻した。先住の部族は攻撃に抵抗したが、最終的にローマ帝国に屈服し税を支払うことになった。
ローマ人は43年に引き返し、47年にはセヴァン川とトレント川までの北に伸びた地域を占領した。ローマ人は独自の行政システム(キウィタス)を構築していたが、忠実な地方部族には支配権を与えていた。
Boudicca's revolt(ブーディカの反乱)
ブーディカはイケニというイギリスの部族の女王で、二人の娘と共に、61年に圧政的なローマ政府に対する反乱や抵抗を主導した。
この暴動は属州ブリタニカ最大規模のもので(反乱は23万人に上った)、イギリスも破壊し尽くされ、数万人もの人々が虐殺された。しかし訓練されたローマ軍(主に投槍)によって最終的に鎮圧され、ブーディカは服毒自殺した。
その後、ローマ人は支配地を拡大し、イングランドとウェールズを反乱鎮圧後約50年にわたって支配地に置いたが、スコットランドは依然として敵対的で征服されていなかった。またローマ人は決してアイルランドは征服しなかった。
The Roman legacy(ローマ帝国の遺産)
ローマ人は、イギリスに書物やアルファベット(現代英語のほぼ半分はローマ人の言葉のラテン語に由来している)、洗練された法制度、排水システム、ガラス窓の家、セントラルヒーティングなどをもたらした。
また、スコットランドからウェールズ、コーンウォールまでの直線道路が敷かれたことで、国内外の貿易や通信が改善し、大陸から新しい食糧がイギリスに渡った。
ローマは大陸ヨーロッパにおいて野蛮な民族の侵入を防ぐために410年にイギリスから軍隊を引き上げた。こうしてローマ帝国が残した文明は徐々に崩壊した。
Britain in Anglo-Saxon times(アングロサクソンの時代)
5世紀にイギリスは、北ヨーロッパから来たアングル人、サクソン人、ジュート人に侵略され、600年までにイギリスのほとんどがアングロサクソンによって占領された。多くのネイティブ・ブリトン人は侵略を免れるためにウェールズ、スコットランド、コーンウォール、アイルランドへ逃亡した。
7世紀までには、イングランドは7つの王国が覇権獲得を目指して争っていた。強い王国は弱い隣国をしばしば支配していた。ノーサンブリアという国が最も強かったが、メルシャはその後オファ王の支配下に置かれた。オファは自身を「キング・オブ・イングリッシュ」と名乗り、その後、9世紀にはウェセックスはアルフレッド王の支配下に入った。
Anglo-Saxon society(アングロサクソン社会)
最初は小規模な農業コミュニティーで暮らしていたが、7世紀には町が出現し、貿易が増加した。サクソン人の王はエーヌという戦士の貴族によって支えられた。人口のほとんどは自由農民だったが、ネイティブ・ブリトン人の奴隷もいた。アングロサクソンの言葉で奴隷(slave)は、富を意味していた。
アングロサクソン社会は、家族と地主に対する忠誠心が基盤となっていた。6世紀に始まった最初の書面による法律は、この原則に依存していた。アルフレッド王の治世では、これはより定式化した。
アングロサクソンの氏族は、彼らが所有する土地の価格に基づいて、訓練された多くの戦士を提供する義務があった。
Government(政府)
主要な決定のほとんどは国王と顧問評議会によって、また、地方の決定はウェセックス地方のアルフレッド評議会によってなされた。これらは氏族と聖職者で構成されていた。
900年のイングランドは、シャイアやカウンティーズという領域で組織され、それぞれはシャイアリーブ(→シェリフ。州長官)によって管理されていた。シェリフは税金を徴収し、法と秩序を執行した。
Scotland(スコットランド)
スコットランドはローマ人に征服はされていなかったが、先住民族のピッチェスはアイルランドやスカンジナビアの海賊と戦わなければならなかった。
スコットランドの名は、6世紀の初めにそこに住んでいたアイルランド人のスコット族から由来している。
彼らはダルリアダ王国を創設し、徐々に支配圏を拡大した。スコットランド人の王、ケネス・マクアルピンは、最後のピッチェス王エオハンがヴァイキングとの戦闘で死んだあとの843年にスコットランド全土の王となった。
The Viking invasion(ヴァイキングの侵略)
スカンジナビアの船乗りであるヴァイキングは、8世紀に北ヨーロッパを攻撃し、デンマークのヴァイキングは789年にイギリスに、795年にアイルランドに到達した。
彼らは871年には、イースト・アングリア、ノーザンブリア、ヨーク、メルシアを支配し、ウェセックスにも進出した。
アルフレッド王は878年にエディントンの戦いで彼らを退けた。アルフレッド王はデーン人(のヴァイキング)にキリスト教を信仰させ、彼らはデーンロウとして知られるイングランド東部の一部に住むことになった。
886年、アルフレッド王はロンドンを獲得しデーンロウを除くすべての国で王として君臨した。
アルフレッドの孫のアゼルスタンは926年にデーンロウを押収し、国はアングロサクソン人によって1013年まで続いた。
しかし、その後もヴァイキング侵攻は繰り返され、彼らはデンマーク王(=ヴァイキング)のスヴェンに降伏し、アングロサクソン王のエゼルレッド無思慮王はノルマンディーへ逃亡した。スヴェン一世の息子のクヌートは王になった。
しかし、デーン人の血統は1042年に絶え、エゼルレッドの息子のエドワードが王になった。エドワードは信心深い王として知られ、ウェセックスの伯爵の娘と結婚したが子どもには恵まれなかった。
彼が1066年に亡くなると、ノルマンディー公ウィリアム、ウェセックス伯ハロルド、そしてノルウェー王のハーラル三世という三人の男性がデンマークの王位継承に並んでいた。
Christianity(キリスト教)
キリスト教は3世紀にローマ人によってイングランドにもたらされた。異教徒であったアングロサクソンがイギリスにやってくると、キリスト教はほとんどなくなってしまったが、一部のキリスト教徒のイギリス人がアイルランドやウェールズに逃げたことで、ローマとは独自に教会が発展、ケルト教会として知られるようになる。
597年、ローマ教会のリーダーであるポープ(ローマ教皇のこと。ここではグレゴリウス一世)は、アングロサクソンの宗教をキリスト教に改宗するためオーガスティンという修道士を派遣した(のちの初代カンタベリー大司教)。彼は、イングランドへと影響力を拡大しようとしたケルト教会と衝突を引き起こした。
664年には、ケルト教会とローマ教会のどちらの宗教法にイギリスが従うべきか決めるための会議がホイットビー(ノース・ヨークシャーの港町)で開催された(ホイットビー宗教会議。主な議題はイースターの決め方)。会議はローマに有利に進み、イングランドはローマ教会に従うキリスト教国になった。
The Normans(ノルマン人の時代)
ノルマン人、もしくは北部人――は9世紀にフランス北部に定住したヴァイキングの子孫である。彼らはカール大帝の死後のフランク王国の分裂に乗じて侵入した。
911年にロロを首領とする彼らヴァイキングは、フランスの王を大君主として受け入れるとともに、キリスト教に改宗し、現在ではノルマンディーとして知られている地域を支配した(独立国家として認められノルマンディー公爵になった)。
その後、1066年にエドワード一世証聖王が亡くなると、王位は当時10歳のウェールズの伯爵ハロルドが継承したが、ノルマンディー公爵のウィリアムとノルウェーのハーラル・ハルドラーダも王位を主張し三つ巴の戦いになった。10月、ハーラル・ハルドラーダはイングランド北部に侵攻したが、スタンフォード・ブリッジの戦いでハロルドに敗れ戦死した。
The Norman invasion(ノルマン征服)
その3日後、ウィリアムはヨーロッパ最高の騎兵を率いて侵攻を開始した。サクソン人は優れた兵士ではあったが、大規模な騎兵隊を育てたことはなかった。彼らはヴァイキングの歩兵との戦いに慣れていたのである。これはノルマン人に利点を与えた。
彼らは、ヘイスティングスの戦いでハロルド率いるイングランド軍(サクソン人)を打ち負かし、ノルマン人のウィリアムが正式にイングランドの王として君臨することになった。それは英国史上最も決定的な戦争の一つであった。
これ以降のイギリスにおける全ての王と王女は、ウィリアムと何かしらの関係がある。
さて、多くのサクソン貴族はウィリアムを王として受け入ることに抵抗を示した。その蜂起は1069年から70年の冬にかけて続き、ウィリアムは反抗的な勢力を徐々に制圧していった。
ウィリアムはスコットランドにも攻撃を加えたが、スコットランド王を屈服させることはできなかった。
ウェールズにおいては、1094年と97年の蜂起にかかわらず、ノルマン人は1100年までにウェールズのほとんどを支配した。
Royal government(王立政府)
ウィリアムによる統制により、ノルマン人が多数の権力を握る強力な中央政府が作られた。ウィリアムは毎年三回、国王評議会(キングス・カウンシル)の開催を呼びかけ、政策について主な貴族や教会指導者と話し合った。
別の機会では、王は国の法律を王室を通じて公式に伝えた。彼は政治だけでなく国内の任務も行っていた。
今日の多くの政府の仕組みは、これらノルマン人の役人の職務によって発展している。例えば、中世の財務府であるエクスチェッカー(今で言う財務省)は当時税金を納めるために使われていたチェッカー布が名の由来になっている。
ウィリアムは、州長官にはアングロサクソン人をそのまま登用した。彼らは法と秩序を維持し、税金を徴収した。
The feudal system(封建制度)
ノルマン人は封建制として知られる新しい社会制度をイギリスに導入した。
それは職務、権利、忠誠心の複雑な連鎖に基づいており、土地所有、軍事サービス、税金などの生活の側面を支配していた。
王(ザ・キング)
誰もが王に全面的に忠誠を誓っていた。
↓
貴族(ノブレス)
王から広い土地を与えられた。貴族は王に納税し、自身の軍の騎士と一緒に年間40日間戦わなければならなかった。
↓
騎士(ナイト)
騎士たちは土地を農民に配り、法と秩序を維持した。
騎士たちは領主(貴族)に納税し、王の軍隊で共に戦わなければならなかった。
↓
農民(ペゼント)
農民にはふたつのタイプがいた。自由農民(フリーペゼント)は土地を所有または借用した。農奴(ヴィルン)は領主に献金をして自分の土地で働いた。
Relations of with France(フランスとの関係)
ウィリアムの治世を通じて、フランスでは陰謀や反乱があった。
これらはフランスの王とアンジュー(フランス北西部の公国)の伯爵によって支えられ、両者はウィリアムの富と力によって脅かされた。
ウィリアムが1087年に死ぬと、彼はノルマンディーを長男のロバートに残し、次男のウィリアム二世にはイングランドを与えた(彼は1100年にハンティングで事故死し、三男のヘンリー一世に代わられた)。
分割された継承は多くの問題を引き起こした。それぞれの息子がもう一方の土地と権力を奪い合ったからである。
イギリス海峡(イングリッシュ・チャンネル)の両側に土地を保有していた貴族たちは、一度に大軍を送るのは難しいと判断していた。ウィリアム二世による二度の試みのあと、ヘンリーは1106年にノルマンディーを侵略し、これを併合した(ティシュブレーTinchebrayの戦い)。ロバートは1134年に幽閉先で死亡した。
The civil war(イングランド無政府時代)
ヘンリーの唯一の正当な息子のウィリアム・アデリン王子は1120年にホワイトシップ号の水難事故で溺死し、王の血統は危機にさらされた。1128年、ヘンリーは娘のマチルダ(女帝モード)をアンジューの伯爵であるジェフリーと結婚させ、アンジューとの戦争を終わらせようとした。
しかしヘンリーが1135年に死ぬと、ブロア(フランス北中部の市)のスティーブンが強引にフランスからロンドンに入り、イングランドの王となった。
1139年、マチルダは世襲の権利に基づいて王座を主張した。こうして始まった内乱はだらだら続いたが、1153年にスティーブンの嫡男が原因不明の急死をすると、妥協がみられた(ウォーリングフォード和平協定)。
その後もスティーブンは王として支配を続けたが、マチルダの息子のヘンリー二世は彼の後継者として認められた。こうしてブロア朝は一代限りで終わり、プランタジネット朝が始まった。
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