ついにやってきた、夏休み国語大作戦!
・・・一年あっという間だなあ。
てことで、手始めに古典から攻略中です。今回は『平家物語』の現代語訳なんだけどさ、あらためて思うのは、古典の現代語訳って現代語じゃねーよな。
とりあえずなんとか現代人が意味を読みとれるくらいに古典の文法を直訳しているだけで、まあ原文を尊重しているっていうのもあるんだろうけど、こんな言い回ししねーよとか、いとおかしくねーよとか、すごい読みにくい。文章ってやっぱり読みやすさが命じゃん。
しかも、古典で読む文章って学術的な記録文章というよりは、とどのつまり娯楽作品なわけで、文法どうこうよりも、その作品の核となる面白さをまず味わわせたほうがいいんじゃないかっていう。なんで、いきなりつまらねー“作業”をやらせるんだっていうね。
だから、今回は原文のニュアンスを尊重し、だいたい文法通りに翻訳した、いわゆる「現代語訳」と、読みやすさを重視した「超訳」の2ヴァージョンでお楽しみいただきたく存じ候う。
『平家物語 木曾の最期』
これまでのあらすじ
平安時代末期の覇者である平氏を都から撃退した武闘派サムライ源義仲(故郷から木曽義仲と呼ばれる)であったが、彼らの軍隊はお行儀が悪く、都の人に迷惑をかけてしまっていた。
源平合戦の黒幕――後白河法皇は、お前はもう用済みだと言わんばかりに、源氏の総大将源頼朝に義仲を消せと命じる。
こうして都に範頼、義経などの鎌倉軍が侵攻(宇治川の戦い)、義仲の愛人の巴御前(※つよい)など濃いキャラクターの活躍もあり木曽軍は奮戦したが、結局は多勢に無勢ということで木曽義仲は敗走。義仲の運命やいかに――!?
現代語訳ver.
木曾左馬頭(さまのかみ)のその日の格好は、赤い錦の直垂(ひたたれ)に唐綾威(からあやをどし)の鎧を着て、鍬形(くわがた=兜の飾り)を打ち付けた兜の緒をしめて、立派な装飾のされた太刀をさして、石打ちの矢(猛禽類の尾羽で作った矢のこと)の、その日の戦いで射て少し残っているものを頭よりも高く背負って、滋籐の弓(黒漆を塗り藤を巻き付けた弓)を持って、世に名高い木曾の鬼葦毛という、非常に太くたくましい馬に、金をあしらった鞍を置いて乗っていた。
あぶみを踏ん張って立ち上がり、大声をあげて名乗るには、
「昔聞いたことがあるであろう(昔聞きけむ)、木曾の冠者(自分のこと)を、今は見ているであろう(今は見るらむ)、左馬頭兼伊予守、朝日の将軍源義仲だ。(お前は)甲斐の一条次郎と聞く。お互いに(打ち合うには)いい敵だ。この義仲を討ち取って、源頼朝(兵衛佐)に見せるがよい。」
と叫んで、駆ける。
一条次郎は、
「今名乗ったのが大将軍だ。者ども、討ち逃がすなよ。取り逃がすな若党、討ち殺せ」
と言って、大勢で取り囲んで、我こそが討ち取るといって進撃して行った。
木曾義仲勢は300騎あまり、6000騎の(一条次郎勢の)中を縦に、横に、四方八方に、十文字に駆けて、(彼らの)後ろに出たところ、(味方の軍勢は)50騎ほどになっていた。
そこを突破していくと、土肥の次郎実平の軍勢2000騎が支えている。そこも突破していくと、あそこでは4~500騎、ここでは2~300騎、140~50騎、100騎と、突破してくうちに、(味方はたった)主従5騎になってしまった。5騎になっても、巴は討たれなかった。
木曾殿が
「お前は、さっさと、女なのだから、どこへでも逃げろ。私は討ち死にしようと思うのだ。もし人の手にかかって自害をせずに死んだならば、木曾殿は最期の戦いに女をお連れになっていたなどと言われるのは、残念である。」
とおっしゃっても、逃げようとしなかったのだが、あまりにも(木曾殿から)強く言われるので、巴は
「見事な敵がいないでしょうか。私の最期の戦いをご覧に入れたい。」
と、控えていたところに、武蔵国に聞こえる力持ち(大力)、御田八郎師重が、30騎ばかりで現れた。
巴は、その軍勢の中に駆け入り、御田八郎に(自分の馬を)押し並べると、(御田八郎を)むんずとつかんで馬から引き落とし、自分が乗る馬の鞍の前部(前輪)に押し付けて動けないようにし、首をねじ切って捨ててしまった。
その後、身に付けていた武具を脱ぎ捨てて、東国の方へと落ち延びていった。義仲の家来の手塚光盛(手塚太郎)は討ち死にし、手塚盛重(手塚別当)も敗走した。
今井の四郎と木曾殿の主従二騎になって、おっしゃったことは
「日頃は何とも思わない鎧が今日は重くなったぞ」
今井四郎(※家来なので「候ふ」を連発する)が申したことは
「御身もまだ疲れてはいません。馬も弱ってはいません。何によってひとつの大鎧を重く感じることがありましょう。それは味方に軍勢がいないので臆病になってそう思うのでしょう。兼平一人がお仕えしているだけでもほかの武者千騎分だと思ってください。
矢が7つ8つありますので、しばらく防ぎ矢(敵の攻撃を防ぐために射る矢)をいたしましょう。あそこに見えますのは粟津の松原と申します。あの松の中でご自害なさいませ。」
と、言って打って出る途中で、また新手の武者が50騎ほど現れた。
「殿はあの松原へお入りくだされ、兼平はこの敵を防ぎましょう。」
と、申したところ、木曾殿がおっしゃったことは
「義仲は都でいかようにもなるところであったが、ここまで逃れて来たのは、お前と同じ場所で死のうと思うためである。別々の場所で撃たれるよりも同じ場所で討ち死にしよう。」
と言って馬の鼻を並べて駆けようとなさると、今井四郎は馬から飛び降り、主君の馬の口に取り付いて申したことは
「弓取り(武士)は、長年にわたってどのような高名がございましても、最期の時に不覚を取れば長い傷でございます。御身は疲れてらっしゃいます。後続の軍勢はございません。
敵に押し隔てられ、どうでもいい(人の)郎党に組み落とされなさって、お討たれになられたら、あんなにまで日本中で評判が高かった木曾殿を、誰それの郎党が討ち取ったなどと申されることは口惜しゅうございます。ただあの松原にお入りくだされ。」
と申したので、木曾殿は
「それでは」
と、言って栗津の松原にお駆けになさる。
今井四郎は、たった一騎で50騎ばかりの中へ駆け入り、あぶみを踏ん張って立ち上がり、大声を上げて名乗ったことは、
「日頃噂にも聞いていたであろう、今はその目でご覧あれ。木曾殿の乳母子、今井四郎兼平、今年33歳になる。そういう者がいるとは源頼朝(鎌倉殿)までもご存知であろうぞ。兼平を討ってお目にかけよ。」
と言って、撃ち残した8本の矢を、つがえては引き、つがえては引き、さんざんに射る。生死は分からないが、即座に敵8騎を撃ち落とす。
その後、刀を抜いてあちらに対峙し、こちらに対峙し、斬って回ったが顔を合わせる者はいない。敵の武器などを多く奪い取った(分捕り)。
ただ「射取れや」といって中に包囲し、雨の降るように射たけれども、鎧が良いので裏へ貫通せず、鎧の隙間を射ないと痛手も負わない。
木曾殿は、たった一騎で粟津の松原に駆けられたが、正月21日の夕方なので、薄氷が張っており、深田があるともしらずに馬をざっと乗り入れたので、馬の頭も見えなくなった。あぶみで馬の両ばらをにつけた泥よけ(あふる)を蹴っても蹴っても(あふれどもあふれども)、鞭で打っても打っても動かない。
今井の行方がわからないので、空を見上げられた甲の内側を、三浦の石田の二郎為久が追いかけてきて、弓を十分に引き絞っていきなり射た。深手なので甲の正面を馬の頭に当ててうつぶされたところに、石田の郎党二人が加勢してきて、ついに木曽殿の首をとってしまった。
太刀の先に貫き、高く差し上げ大声を上げて
「この頃、日本国にその名を轟かせなさった木曾殿を三浦の石田の二郎為久がお討ち申したぞ」
と名乗ったので、今井四郎は戦っていたがこれを聞き、
「今は誰をかばうために戦いをするべきであろうか。これをご覧あれ。東国の方々。日本一の剛の者が自害する手本を。」
と言って、太刀の先を口に含み馬から逆さまに飛び落ち、貫かれて死んでしまった。こうして粟津の合戦はなくなったのである。
超訳ver.
その日の木曽義仲は、赤い服とチャイナスタイルの鎧を着て、角のついた兜をかぶり、立派に装飾された太刀をさし、戦いで余った矢を背負い、黒い弓を持ち、そして有名な“木曾の鬼葦毛”という、非常に太くたくましい馬に、金をあしらった鞍を置いて乗っていた。
義仲は、あぶみを踏ん張って立ち上がり
「昔聞いたことがあるだろう、木曽のルーキーと呼ばれた男を!今見ているこの私こそが、その源義仲だ!
お前は山梨県の一条次郎と聞く。互いに戦うにはいい敵だ。この義仲を討ち取って、源頼朝への土産にするいい。」
と、叫んで敵に駆けていった。
一方の一条次郎が
「今名乗ったのが相手のボスだ。野郎ども、討ち逃がすなよ。ぶち殺せ!」
と言うと、一条の軍勢は大勢で義仲を取り囲み、我こそが討ち取ると次々に義仲に挑んでいった。
木曽義仲の軍勢は300騎あまり、対する一条の軍勢は6000騎である。その中を縦横無尽に駆けて、軍勢の後ろまで出たところ、味方の軍勢は、300騎から50騎ほどにまで減っていた。
一条の軍勢の後ろには、伊豆の次郎実平という武士の軍勢2000騎が守りを固めていたが、そこも突破していくと、その次には4~500騎が待ち構え、その次には2~300騎、140~50騎、100騎と・・・キリがなくそれらの軍勢を突破してくうちに、結局味方は主従5騎になってしまった。
ちなみに5騎になっても、義仲の愛人の巴は討たれなかった。
義仲は 「お前は女なのだから、どこへでも逃げろ。オレは討ち死にする。その時、もしお前がいたら、木曽は最期の戦いに女を連れてたらしいよ、と死後みんなにからかわれてしまう、それはちょっとやだ。」
と、巴を逃がそうとしたが、巴は逃げようとはしなかった。
しかしあまりにも義仲がしつこく言うので、巴は
「では、骨のある敵はいないかしら。私の最後の戦いを見せてあげるのに。」
と鼻息荒くスタンバッていた。
すると埼玉県で有名な力持ち、御田八郎師重というわかりやすい噛ませ犬キャラが、30騎ばかりで現れた。
巴はその軍勢の中に駆け入り、御田八郎に自分の馬を並走させると、八郎をむんずとつかんで馬から引きずり落とし、自分が乗る馬の鞍に押し付けて動けないようにすると、八郎の首をねじ切って捨ててしまった。超つええ。
その後、巴は身に付けていた装備を脱ぎ捨て、東の国の方へと落ち延びていった。
また、義仲の家来の手塚光盛(手塚太郎)は討ち死にし、手塚盛重(手塚別当)も敗走した。こうして5人だった義仲の仲間たちは、ついに2人だけになってしまった。
すると義仲が「日頃は何とも思わない鎧が今日は重く感じる」と弱音を吐いたので、家来の今井四郎は、こう言った。
「あなたはまだ疲れてはいません。馬も弱ってはいません。では、なぜ鎧が重く感じるのか、それは味方がいなくなってビビっているからです。(※ズバズバ言う四郎)
ですが、ご安心を。兼平一人がお仕えしているだけでも、一般的な武者千騎分(当社比)だと思ってください。
矢がまだ7、8本ありますので、しばらく敵の攻撃を防げます。
あそこに見えるのは粟津の松原という場所です。敵にやられちゃう前に、あの松の中でカッコよくご自害なさいませ。」
その時、新手の武者が50騎ほど現れた。
「殿はあの松原へお入りくだされ、兼平はこの敵を防ぎましょう。」
と今井が言うと、義仲は
「私は都でどうなるとも知れないところであったが、ここまで逃れて来たのは、お前と同じ場所で死のうと思ったからである。
別々の場所で討たれるよりも、同じ場所で討ち死にしよう。」
と言って、自分の馬を今井の馬に並べて駆けようした。
だが、今井四郎は馬から飛び降り、義仲の馬の前に立って
「武士は、生前にどんなに高い人気があっても、最期に不覚をヘタをこけば面目丸つぶれでございます。
義仲様はやっぱり疲れています。幸い、後続の軍勢はございません。
わたくしは“木曽義仲っていたじゃん。あいつさ、結局よくわからないモブキャラに討たれたんだってさ”なんて後世で言われるのは、悔しいのです。なので、ただあの松原に行ってください。」
と食い下がるので、
義仲は
「じゃ、そんなに言うなら」
と、栗津の松原へ駆けていった。
こうして、今井四郎はたった一騎で、50騎ばかりの中へ駆け入ると、あぶみを踏ん張って立ち上がり、大声で名乗りを上げた。
「日頃、噂にも聞いていたであろう、今はその目でご覧あれ。木曽殿の乳母子、今井四郎兼平!おかげさまで今年33歳にならせていただきました。(※意外とこっちのほうがニュアンスが近い気がする)
そういう名の男がいることは、あの源頼朝も知っているであろう。ならば、この兼平を討って私の首を頼朝に見せてみよ!」
こうして戦闘モードに突入した今井は、撃ち残した8本の矢を、矢継ぎ早に放った。すると、全ての矢がスナイプショットし、即座に敵8騎を撃ち落としてしまった(生死は不明)。ジェレミー・レナーか。
矢が全て尽きたため、今度は刀を抜いてあちらこちらに斬って回ったが、今井の相手になる者はいなかったので、敵の武器などを多く奪い取ることができた。
敵は「ぶち殺せ~!」と、今井に向けて雨の降るように矢を放った。しかし、今井の着ている鎧のクオリティが良かったために、矢は貫通せず、また鎧の隙間でないと痛手も負わなかった。
一方の義仲も、たった一騎で粟津の松原に駆けたのだが、その日は冬の夕暮れどきで、地面に薄い氷が張っており、彼は、深い田んぼがあるとも知らずに、そこに馬を乗り入れてしまったので、ズブズブと沈んでいき、結局馬の頭も見えなくなった。
これはやばいと、あぶみで馬の両ばらを蹴っても、鞭で打っても、うんともすんとも動かない。
ふと心細くなった義仲は、今井の行方を探そうと振り返った。――これが義仲の命取りとなった。
三浦の石田の・・・なんちゃらという男が現れて、空を見上げ、隙を作った義仲の頭を矢で射抜いてしまった。
これが致命傷となり、馬の上でうつぶせになったところを、石田の仲間二人が加勢して、あっさり義仲の首をとってしまった。
石田は、義仲の首を刀の先に突き刺し、それを高く差し上げると
「最近、日本で話題沸騰だった木曽義仲を、この三浦の石田の二郎為久が獲ったど~!」
と叫んだので、交戦中だった今井は
「もう戦う意味がなくなってしまった。それではみなさん、最後に武士が自害する手本をお見せしましょう。」
と言って、刀の先を口に入れて、馬から逆さまに飛び降り、自分で自分を貫ぬいて死んでしまった。こうして粟津の合戦は終わったのである。
解説
『平家物語』は13世紀前半に作られた軍記物語で、作者は不詳。日本中をまわった琵琶法師によって文字の読めない庶民に弾き語られたことで有名である。
この世のすべてのものはいつかは滅びて無くなってしまう(諸行無常)という仏教的な教訓から始まる寓話だが、平安時代末期に栄華を誇った源氏のライバル平氏を悪逆の限りを尽くす暴君として描き(むしゃくしゃして奈良の大仏を焼くなど)、その滅亡をある種の因果応報とする点においては、中国の儒教思想の影響も読みとることができる。
庶民の間で受け入れられたのは、こういった分かりやすい勧善懲悪のストーリー(正義の源氏VS悪の平氏)によるところが大きいだろう(とどのつまりスター・ウォーズ)。
さて、『木曾の最期』では、平家を都から追い出し華々しい活躍をした木曾義仲が、源頼朝の軍勢に討ち取られてしまういきさつを描いたもので、朝日の将軍ともてはやされた義仲が、自らのミスであっけなく殺され、逆に義仲の護衛が武士として見事な死に様(自決)を見せるという対照的な結末が印象に残るチャプターである。
そこに漂うのは北野武映画的なニヒルなペーソスに他ならないが、都を占拠した“悲劇の武将”木曾義仲の態度は、やはり“おごれる人”であり、その死亡フラグは読者に約束されているのである(実際には木曾義仲の都での乱暴狼藉は『平家物語』の創作らしい)。
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