『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』

 今日のいじめ問題は、教育基本法の改正論議で問題とされたような「規律の乱れ」から生じたものでもなければ、一部の政治家が指摘するような個人主義の行き過ぎから生まれたものでもない。
 むしろ社会学者のD・リースマンが『孤独な群衆』で他人志向型と呼んだような、個々の自律性を確保できずに互いに依存しあわなければ自らの存在確認さえ危うい人々の人間関係から、そしてその関係自体が圧倒的な力を持ってしまった病的な状態から生まれている。(51ページ)


 著者は社会学者の土井隆義さん。この前の研修で講師の先生にオススメされた新書。私もかつて、酒鬼薔薇事件の影響で、こいつらみんな猟奇殺人者だろみたいなレッテルをマスコミや文化人に貼られた世代で、だから、この本も、かなり特殊な事例を一般化してんじゃないか、とかは思うんだけど、若者のメンタリティについてなかなか考えさせられる。ノリとしては岡田斗司夫さんや東浩紀さんみたいなサブカル評論に近く、スラスラ読める。
 つーかこの人は単純に、ケータイ小説とかの若者文化が好きなんだと思う(^_^;)研究というだけでは、あんなもん読めないもんw
 実際土井さんは、あとがきで謙虚に今の若者のメンタリティは自分自身にも多少は当てはまるし、社会的規範やイデオロギー(対外的な要因)を重視するか、自己の感情や身体感覚(対内的な要因)を重視するかの違いに優劣関係はなく、その時代のその時代の状況に彼らなりに適応しただけ、とダーウィニズムを論じているが、私はこの本に出てくる友達地獄っていうやつ感じたことない。
 友達地獄っていうのは、学校やネットなどで繰り広げられる、ゆるふわで、ナイーブで、お互い偏執的にまで気を使い合う“優しい関係”の維持に疲労困憊、満身創痍になることを言うらしい。まあチャムグループのことだと思う。
 ちなみにこういう、誰も傷つけたくないし傷つきたくもない、という腫れ物に触るような、もっと言えば地雷原を恐る恐る歩いていくようなコミュニケーションは、そのコンテキストの外部にいる人に土足で踏み込まれると一転排他的で、いじめの温床となるとも。
 そう考えるとツイッターのクラスタとかは、これだよな。SNS疲れっていう言葉が一時期あったけど、友達地獄の同義語と言ってもいいだろうな。
 で、これはこれで高度なコミュニケーションをとっているとは思うんだ、だけど認知的な問題として、学校にしろネットにしろ、そういった人間関係が純度100%のピュアな関係だと思っているのはなかなかキツイよ。
 会社で上司や取引先に気を遣いまくっているサラリーマンが、その関係をピュアだって思い込んでいるようなもんだろ。つまり友達地獄って、実はワーカーホリックな問題なんだな。

 また、この本の76ページで、どちらも日記小説を書いて若くして自殺した少女の高野悦子と南条あやを比較してるんだけど、その三十年のタイムスパンの中で「変わりゆく私」から「変わらない私」に若者の意識の変容があるとか言ってて、結局のところ、やっこさんらは変わらない本当の自分を求めているらしんだけどさ、その割にはアイデンティティを貫く芯みたいなものがねえなっていうのは、結局他者だったり社会にコミットして自分を相対化しようとしたりする機会を拒否しているから、逆説的に変わらない本当の私を求めている割に、自傷行為くらいしか、つまり身体的なレベルでしか変わらない私を実感できないっていうことになっちゃってるんだっていうね。いや、これだって実感できてるか怪しいけどね。自己満足だろっていう。必死な思い込みだろうっていう。
 どんなにたくさんの絵を模倣してもどうしても自分の作風が出てしまうのと同じように、どんな経験をしてもどうしても変わらない部分っていうのがやっぱり人にはあって、で、それを認識するにはやっぱり自己の外部のモノと自己を相対化して、比較して、で、自分という存在は本当にウンコみたいな存在だってことを知って、それでも、ま、いっかってウンコとして生きるのが人の道なんだけどな。
 だから、こういう人らはすごい自己愛が強くてナルシストなんだけど、反面すげえ真面目なのかもわからないよね。まあ私は苦手なタイプだけどね。
 だって、『トイ・ストーリー』の1がそんな話であってさ、あの映画でもわかるように、こういう現実を受け入れるのってだいたい小学校くらいでもう来るじゃん。あ、自分って自分が思っている以上に大したことねえなっていう洗礼。
 それでも、いやいや自分は大した存在であるはずって、見て見ぬふりして、中二病みたいに騙し騙し行けちゃうのかね、今の子どもって。すげえな。
 自分が絶対的な尺度になっちゃっているっていのは『オレ様化する子どもたち』でも論じられていたんだけど、それをある種の悲劇として同情的に書いているのがこの本の特徴だろうか。『オレ様化~』だともう少し問題意識があったからね。
 実際、私もこれ何とかしたほうがいいと思うよ。マズローの欲求の段階で考えると、若者の目標が自己実現欲求の段階から承認欲求の段階に降格しているわけで、退行になっちゃってるからね。逆に、そこまで子どもを社会が追い詰めちゃっているということでもあるし。
 でも、こういう本に書いてあることって結局わかりやすい反面、極端な例(南条あやとか)を出していることが多くて、実感としてはここまでオレ様なやつっていうのはほとんどいないっていうことは、猟奇殺人者と一緒くたにされたかつての中学生の一人として、代弁しておきたい。

 私の感覚だと中二病って100人に一人くらいの割合。
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