国文学覚え書き⑦

『方丈記』
歌人、鴨長明による『徒然草』と並ぶ中世随筆文学の最高峰。鎌倉時代に成立。
当時の天変地異や遷都などによる悲惨な世相を精細に述べ、人生や社会の無常をニヒルに説くと共に、自然を友とする静かなロハス生活の日々も描いている。
もともと、こういう諸行無常な自然観が日本にはあったのに、いつから自然には本来の形があり、人間がそれを破壊しなければ半永久的に続いているに違いないという、つまらぬイデオロギーにナチュラリストはかぶれてしまったのだろうか。自然はオタクのショーケースじゃねえんだ!という、そんなあなたにこの一冊、ケン・トムソンの『外来種のウソ・ホントを科学する』!

ゆく河の流れ
ゆく河の流れは絶え間なく、しかも流れる水は常に変わってゆく。
よどみに浮かぶ“うたかた”(泡。クラムボン)は、一方では形が消えたり、その一方では形ができて、長いことその形を維持することはない。
この世に生きる人と、住む場所も、またかくのごとしである。

玉を敷き並べたように美しく立派な都の中に、棟を並べ、屋根の高さを争うかのようにぎっしり立ち並んでいる、身分の高い者や、低い者の住まいは、時代が経ってもなくならないものではあるが、これは本当にそうなのかと調べてみると、昔から存在していた家というのはまれであることが分かる。
あるものは去年焼けてしまい今年造っている。あるものは大きな家だったのが落ちぶれて小さな家となっている。
住む人もこれと同じである。場所は変わらず、人も多いが、過去会った人は、2、30人のうち、わずか1人か2人である。
朝に人が死に、夕方に人が生まれるというならいは、本当に水の泡に似ているのである。

私は知らない。
生まれ死んでゆく人は、どこからやってきて、どこに去っていくかを。
また、これも知らない。生きているうちの仮の宿にすぎない住居を、誰のために心を悩まして建て、何のために目を嬉しく思わせようとするのか。
その主と家とが、無常を争う様は、言うならば朝顔と露に違いない。
あるときは露が落ちて花が残ることがある。残るとは言っても花も朝日を受けていずれは枯れてしまう。
また、あるときは花がしぼんでも露が消えずに残っていることもある。しかし、消えないとは言っても夕方を待つことはないのである。
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