韓国の歴代大統領覚え書き

 なんか安倍政権になってからずっと仲悪いけど、ここ最近はキャッチオール規制だなんだで本当に絶交寸前の日韓関係。
 自分が高校生の頃くらいは、日韓共催ワールドカップとか、冬のソナタとか、ヨン様とか、すごい関係が改善した印象があるんですが、竹島の日あたりからやっちまったな感があるというか。
 というかさ、向こうの政治家の発言がすごいのはどうにもならないけれど、せめてこっちの政治家は、この問題に関して売り言葉に買い言葉をするメリットはないというか、「ただいま事実関係を確認中です」とか記者の質問をいなすとか、ノーコメントとかできないものなのかね。
 この状況で正論で反論しても、お互い熱くなるだけでどうにもならないじゃん。それにホワイト国外しに正当化があったとしても、ちょっと経緯に意地悪なところがあったとかはあるんじゃないか。そりゃ、向こうも怒っちゃうよ、みたいな。

 でもまあ、なんで現在の韓国ってあんな社会なんだろうっていうのは歴史的な経緯があるわけで、この状況をきっかけに韓国史を振り返ってみるのは有意義な夏休みの使い方なんじゃないでしょうか。
 ちなみに、韓国の大統領は大変だと思う。国民の怒りを買い国外逃亡したり、起訴されたり、自殺したり、暗殺されちゃうパターンが多い。
 こういう事実だけでも、日本の総理大臣や、アメリカの閣下とは異なる国民性があると思われる。まあ、大統領の方も結構すごいことやってたりするんだけどね(権力を盾に不正がしやすい仕組みになっている)。まさに修羅の半島。

参考文献:池上彰著『そうだったのか!朝鮮半島』

昭和

初代~3代:李承晩(1948~60)
イ・スンマン。韓国最初の独裁者。
もともとは朝鮮王家につながる没落貴族で、英語が堪能なジャーナリストだった。大韓帝国時代に国王の高宗を譲位させようと画策するが失敗、アメリカに渡り哲学博士号を取る。その後朝鮮半島に戻ると、日本に祖国は併合されていたため再びアメリカに亡命、最終的に祖国に戻ったのは日本が降伏したあとで、70歳の時だった。
とりあえずクリスチャンとアンチ共産主義ならどんな人物でも信頼しちゃいがちなアメリカによって、韓国の初代大統領となったイ・スンマンは、憲法制定にあたって、国内の法学者が主張する日本式の議院内閣制を退け、アメリカ式の大統領制を主張した。韓国はまだ政党政治が未熟だからという理由だったが、本音は自分が絶大な権力を握りたかったからである。
ちなみに、内政のリーダーである首相は議院の同意を得て任命されるが、イ・スンマンは党の意向を無視したため、求心力が暴落、第二回の総選挙で大敗を喫するが、運がいいのか悪いのか、朝鮮戦争(1950~53)が起き、首の皮はつながった(戦争のどさくさに紛れて自分に反対する国会議員を共産主義者ということにしてまとめて逮捕した)。
また、この時、竹島が入っていることで有名なイ・スンマンライン(平和線)を国際法を無視して設定している。
さて、大韓民国発足で取り沙汰されたのは、日本統治時代からの親日派の処遇であったが、イ・スンマン政権の中枢にいる官僚や、親日派を取り締まるべき警官、政治資金を提供してくれる財界人らも親日派だったため、摘発は尻つぼみに終わった。
つまり、新政府の中枢は日本に仕えた親日派であったため、日本と戦い韓国を建国したという建国神話をでっち上げる必要があったのである(実際には正式な政府でもなんでもなかった上海の臨時政府を日本の支配と戦い祖国建国を勝ち取ったということにしたが、自称臨時政府の全権特任大使のイ・スンマンがそもそも当時朝鮮にいなかった)。ここら辺は北朝鮮と似ている。韓国の反日のルーツはこういった事情があった。
さらに、政権初期では政敵の金九(キム・グ。臨時政府の中心人物)を暗殺、国民を驚かせた。
憲法で禁じられていた3選を狙って選挙で不正(投票箱をすり替えたり、改憲案が国会で否決されると四捨五入すれば賛成は3分の2なので可決という強引な論理を展開)、選挙中も政敵を次々に暗殺、逮捕、処刑していった。
ここまできたらレジェンドモードを継続させたいと、4選を狙って再び不正選挙を実施すると、さすがに国民の怒りを買い四月革命が起き、ハワイに亡命。そこで生涯を終えた。
四月革命についてはいろいろひどいので(警官にデモ隊を殺害させたり、呆れた軍隊が大統領の命令を無視して静観するなど)調べてみてください。

4代:尹潽善(1960~62)
ユン・ボソン。
イ・スンマンの恐怖政治の反省から憲法を改正、大統領は形式的な国家元首となった。キム・グ暗殺事件や、朝鮮戦争でのアメリカ軍による住民虐殺の真相を追求し、国内を民主化させようとするが、指導力に欠けたため、社会は混乱、若手の将校がクーデターを起こすスキを与えてしまった。リーダーはパク・チョンヒ少将だった。

5~9代:朴正煕(1963~79)
パク・チョンヒ。日本名は高木正雄。
軍事クーデターにより大統領に。彼は反共で知日派(満州の士官学校卒)だったため、アメリカも黙認した。クーデターが成功すると、クーデターに協力した軍人をまとめて逮捕する後醍醐天皇ばりの非情な野心家で、徹底的な反共政権を行なった(共産主義を称えるだけで逮捕)。
憲法を改正し、副大統領職を廃止、大統領任期を4年、再選1回、国会を二院制から一院制にした。さらに、クーデター政権だと正統性に欠けるため選挙を呼びかけるが、与党の都合のいいように選挙制度を改正している(立候補の際に適正検査がある、政党に所属していない議員は立候補できないなど)。
反日ガチガチのイ・スンマンと違い、日韓交渉を積極的に進めるが、これに反対する学生運動が勃発、パク・チョンヒは彼ら若者を弾圧している(この時逮捕された若者の中にはイ・ミョンバクもいた)。
1965年には日韓基本条約が調印。韓国が朝鮮半島唯一の合法政府であること、日本から韓国への資金供与、イ・スンマンラインの撤廃、在日韓国人の地位の確定などが結ばれた。
また、同年結ばれた日韓請求権並びに経済協力協定での資金援助(3億ドルの供与と2億ドルの低金利貸し出しに加え3億ドルの民間の資金協力)を下に積極的な開発独裁を行い、漢江(ハンガン)の奇跡と呼ばれる経済成長をもたらした。
また、ベトナム戦争ではアメリカに協力、お礼の戦争特需も起きている。ちなみに、ベトナム戦争では韓国軍兵士がベトナムの住民を虐殺(機関銃乱射、四肢切断、強姦、焼殺)しているが、これを報じた新聞社が退役軍人たちによって襲撃されてしまったため、韓国国内ではこの出来事は未だにアンタッチャブルとなっている(キム・デジュンのみベトナムに謝罪)。
経済成長を実現させたパク・チョンヒは選挙に圧勝、2期目に突入するが、やはりイ・スンマン同様、レジェンドモードを継続させたくなり、南北対話を口実に再びクーデター(維新クーデター)を実施、再選禁止規定を削除した。
また、皮肉なことに、その北朝鮮にパク・チョンヒは暗殺されかけている(青瓦台襲撃未遂事件)。この事件の報復の経緯は『シルミド』などの映画で描かれている(ランボー並みにすごい。しかもこっちは実話)。
この時は命拾いした独裁者パク・チョンヒも、結局1979年に酒の席で自身が設立した諜報組織KCIAの長官に暗殺された。これはクーデターであったとされ、クーデターで始まりクーデターに終わる大統領人生だった。

10代:崔圭夏(1979~80)
チェ・ギュハ。
パク・チョンヒ暗殺時に首相だったため大統領に繰り上がった、名ばかり大統領。80年の光州事件(粛軍クーデター後の戒厳令や、有力な野党指導者である金大中の逮捕などに反対する大規模な抗議行動。光州は金大中の出身地)によって大統領を辞任。最も在職期間が短い大統領となった。
光州事件はただのデモではなく、空挺部隊と予備兵の武器を奪った市民との市街戦で、軍が光州市を封鎖したため、現地の情報は国内では一切報道されず、海外メディアだけが報じる異常事態になった。
光州の包囲が続くと、徹底抗戦派と政府と手打ち派が分裂、前者だけ残ったところを軍が戦車を投入して蹂躙、公式発表では189人の犠牲者が出たとされるが、光州市民は2000人以上がなくなったと主張している。
これを鎮圧したチョン・ドゥファンは、光州事件の首謀者は金大中だとして、金大中を軍法会議にかけ死刑判決となった。
ちなみに、当時の韓国軍の作戦統制権はアメリカ軍だったため、この弾圧はアメリカが承認したことになる。これがのちの韓国の反米意識につながった。

11~12代:全斗煥(1980~88)
チョン・ドゥファン。
パク・チョンヒの暗殺クーデターを鎮圧するためのクーデター(粛軍クーデター)を指揮して軍部を掌握した大統領(一心会という私兵を育てた)。
光州事件でも軍を指揮し、その後も三権を掌握、軍事的独裁を貫いた。特に言論統制を進め、地方紙やテレビ局を統廃合している。
大統領就任後は、任期を7年に延長。再選も禁止とした。
パク政権時代に悪化した対米関係を改善するため、レーガン大統領に接近、金大中の強引な死刑判決を取り消すという条件のもと、アメリカでの米韓首脳会談を実現させた。この会談で、アメリカ政府は、カーター政権時の朝鮮半島からの米軍の引き上げを撤回、むしろ増強を約束した。金大中は政治活動をしないという約束でアメリカへ渡った。
強硬策を続けたチョン・ドゥファンだったが、警察官のリンチまがいの取り調べが繰り返されること(当時は取り調べ=拷問が普通だった)に怒った市民運動や、アメリカの圧力、翌年のソウル・オリンピック開催などをきっかけに民主化に踏み切った(六・二九民主化宣言)。これにより、言論の自由や地方自治体の選挙が認められ、また、大統領選挙も国民による直接選挙に変更された。
1987年には大統領の直接選挙を盛り込んだ憲法が成立、大統領の任期は5年、再選なしになっている。ちなみに、この改憲で違憲審査を行う憲法裁判所ができた。
退任後は院政を目論んだが、かつての民主化弾圧や不正蓄財を問われ、国民に謝罪、財産を国庫に返納し、山寺にこもっている(後のキム・ヨンサム政権時にノ・テウとともに無期懲役刑を言い渡され、最終的には特別赦免)。山本圭一さんか(^_^;)

平成

13代:盧泰愚(1988~93)
ノ・テウ。
チョン・ドゥファンの後継者で彼と共に軍事クーデターに参加、士官学校では同期だった。
反軍事政権の野党(金泳三と金大中)が民主化よりも大統領の椅子に固執し分裂したため、大統領に当選。今回はクーデターではなく、民主主義的な手続きで大統領が変わることになった。
ちなみにこの時の選挙は軍事政権か、それとも民主化政権か、というよりは、韓国各地の地域間の対立、意地の張り合いが浮き彫りになったものだった。
大統領となったノ・テウは、民主化の世論の流れを受けて、親友だったチョン・ドゥファンの不正蓄財(官房機密費みたいな隠し金を貯めていた)を追求、彼の家族を次々に逮捕していったが、ノ・テウ自身もチョン・ドゥファンと同じくクーデターや不正蓄財を問われ、懲役刑が確定している(のちに特別赦免)。
ソウル・オリンピックを成功させ、冷戦時代に国交がなかったソ連や東欧諸国と相次いで国交を樹立、91年には北朝鮮とともに国連に加盟、92年には朝鮮戦争の北朝鮮側の支持者中国とも国交を結んで、北朝鮮を驚かせた。

14代:金泳三(1993~98)
キム・ヨンサム。
金大中に選挙で勝つために、政敵のノ・テウ陣営と手を組むという、自民党並みの卑怯なことをした。ノ・テウ的にも金大中が大統領になると光州事件の弾圧の責任を問われるため、願ったり叶ったりだった。
韓国史上初の文民の大統領で、軍の改革(軍閥解体)と、かつての大統領たちの不正摘発(架空名義や第三者名義の預金を本人名義に強制的に書き換えさせるなど)を進めたクリーンな政治家だったが、自分の息子も収賄と脱税で逮捕されている。
ちなみに、チョン・ドゥファンとノ・テウは遡及処罰で裁判にかけられた。これは近代国家ではありえないが、理屈よりも感情で動く韓国の実情をよく表していると思う。
また、96年には先進国クラブであるOECD(経済協力開発機構)に加盟を果たしたが、この結果、対外債務が膨れ上がり、韓国経済の脆弱性が露呈されてしまった。
さらに、国内では、特急列車やフェリーが転覆したり、航空機が墜落したり、手抜き工事のデパートの底が抜けたり、何百人もの死者を出す大型事故が相次ぎ、この責任も何故か問われることになった。
韓国では、こういった事故が起こると指導者が天に見放されたと判断されるという(天人相関説)。
とりあえず、任期は満了できたが、国民からは失敗した大統領という烙印を押されてしまった。

15代:金大中(1998~2003)
キム・デジュン。自分が印象に残っている最初の大統領。
死刑判決を受けたり、アメリカに追い出されたりと、激動の人生を歩んだが、大統領選挙4度目のチャレンジで悲願の当選。
彼もまた、キム・ヨンサム同様、当選のために、自分を敵視していた保守派キム・ジョンピル(パク・チョンヒ政権時のKCIA初代長官)と手を組んでいる。
しかし、やっと大統領になったものの、韓国経済はアジア通貨危機やIMF通貨危機など未曾有の危機的状況にあった。
少し詳しく言うと、当時のアジアの通貨はアメリカドルと連動していたため(ドル・ペッグ制)、当初はドル安だったが、95年以降アメリカが強いドルに方針転換すると、芋づる式にアジアの通貨の為替相場も上昇、これにヘッジファンドが目を付け(アジアの通貨そんなに価値ないだろ)、タイのバーツなどのアジア通貨を空売り、その結果、タイや韓国のドルが不足し、固定相場制は崩壊、変動相場制に移行、不相応に高額だったウォンは暴落してしまった。これによりヘッジファンドは大儲けできたが、韓国は深刻な不況に突入する。
そこで、韓国はIMFから外貨を融資してもらうことになるが、その代わりに、これまで不透明だった韓国の金融や経済を透明化し、アメリカ型の自由市場経済になることを要求、経営破綻した大手の国内銀行は外資系にバンバン売却されてしまった。
しかし、労働組合に顔が効いた金大中は、朝鮮戦争以来の国難と言われた危機的状況をなんとか脱し(IMFの融資は2001年には完済)、経済を立て直すことができた。
とはいえ、その結果韓国は所得格差が広がり、親族間で助け合っていた伝統的な韓国社会は変容してしまう。
外交面では、北朝鮮に対して融和的な太陽政策を進め、2000年には金正日と初会談(この功績によりノーベル平和賞を受賞している)。
日本に対しても親日的で、日本語もペラペラ、韓国社会に日本文化(映画やドラマ、漫画など)を解禁、小渕総理との日韓共同宣言では、日本が韓国の植民地支配を公式に謝罪、韓国の方ももう日本に謝罪を求めないという未来志向の両国関係が確認された。しかし、その後新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書が文科省の検定を通ると、日韓共同宣言の破棄が全会一致で採択されてしまう。西部邁さんとかがちょっと関わってたやつだな。
とはいえ、その後日韓共催ワールドカップが開催、韓国チームを日本の若者が応援する姿が報道されると、韓国内の反日ムードは一時的に影を潜めた。
そんな、金大中も地縁政治からは逃れられず、三人の息子が斡旋収賄で有罪判決を受けると、マスコミの猛攻撃にあい、退陣することとなった(本人はクリーンだったが、彼によってくる人間が金儲けの誘惑に勝てなかった)。
その後は、政治から離れアカデミックな世界に身を置き、2009年に亡くなると国葬が行われた。これは悲惨な末路が多い韓国の大統領のなかではかなり幸せな晩年だったといえよう。

16代:盧武鉉(2003~08)
ノ・ムヒョン。
キム・デジュンの太陽政策を継承した左派系の大統領。貧しい農家の生まれで苦労して司法試験に合格、人権派弁護士として活動していたが、キム・ヨンサムの勧めで政界入り。
庶民派ということもあり、若者の支持者(三八六世代:60年代に生まれ、80年代に学生だった30代)が多く、インターネットを駆使して大統領に当選した。
党内基盤が弱かったため、議会運営に苦戦、さらにイラク戦争に韓国軍を派遣すると、それまでの支持者も反発、就任時は日本と未来志向でいこうと息巻いていたが、支持率が下がるとやっぱり反日になるいつものパターンとなった(2005年の島根県議会の竹島の日制定がダメ押しになった)。
また、この頃になるとイ・スンマンの反日教育を受けた世代が社会の中枢を占めるようになったため、反日運動はさらに定着するようになってしまった。学校教育ってスゴイ。
ちなみに、この頃、日本では逆に韓流ブームが世を席巻。『冬のソナタ』や『チャングムの誓い』などのドラマが大ヒット、「東方神起」や「少女時代」といった韓国のアイドルグループも人気を博している。
アメリカに対しては、FTA交渉に積極的に取り組み、韓国製品の輸出に尽力した。しかし、クレジットカードのバブル崩壊が起きたり、訪米中に北朝鮮の核ミサイル開発は一理あると発言してブッシュ大統領の逆鱗に触れたりしている。
最終的には、この大統領も収賄容疑をかけられ、なんと自殺している。また兄は逮捕。妻は起訴された。

17代:李明博(2008~13)
イ・ミョンバク。
就活でなんとか滑り込んだ弱小企業を国内有数の巨大企業にするなど、天才的なビジネスマンで、ソウル市長時代にはコンクリートジャングルのソウル市街に清流を復活させた。
また、韓国史上初の在日韓国人の大統領である。
大阪生まれということもあり、対日関係に関しては未来志向を訴えたが、経済政策の失敗や、アメリカ産牛肉輸入再開などで支持率が下がると(以下略
特に、憲法裁判所が政府の慰安婦問題に対する消極的な姿勢を憲法違反だという判決をすると、竹島上陸という強硬手段を取り、天皇に対して謝罪を要求した(ひざまずいて謝れくらいのことを言った)ことから、日韓関係は過去最悪になった。
ちなみに、日本政府は日韓基本条約で韓国が一切の請求権を放棄していることから、95年に民間の団体であるアジア女性基金を設立し、07年に解散するまで47億円を元慰安婦に支援、さらに総理直筆のお詫びの手紙も渡しているが、これはこれでマスコミに「金で魂を売った」と批判されるため、元慰安婦の人たちもなかなか受け取れない状況になっている。
北朝鮮に対しては太陽政策を打ち切り、2010年には哨戒艦が北朝鮮の魚雷によって爆破、さらに延坪(ヨンピョン)島砲撃事件も起きている。
彼もまた、息のかかった企業を使って裏金を作るなど職権を乱用し、兄とともに収賄容疑で逮捕された。

18代:朴槿恵(2013~16)
パク・クネ。あのパク・チョンヒの娘で、両親を暗殺され、自身も殺されかけたという悲しい過去を持つ氷の女王(プライドが高く他人を信頼できない)。
イ・ミョンバクとともに保守系の大統領で、韓国史上初の女性大統領である。
父親の功績から親日派なんじゃないかと期待があったが、イ・ミョンバクが最悪にした日韓関係を引き継いだため、反日を強調せざるを得なかった。
さらにセウォル号の沈没事故の対応に失敗したり(事故に遭った家族の神経を逆なでするような行動を繰り返した)、シャーマンの友達(チェ・スンシル)を国政介入させたりしため弾劾訴追、罷免された。

令和

19代:文在寅(2016~現職)
ムン・ジェイン。
自分が知る限り、もっとも日本に厳しい大統領(首脳会談で日本は同盟国じゃないと安倍さんの目の前で言った)。
出自は人権派弁護士であり、ノ・ムヒョン政権時には側近として活躍。
これまでの保守政権の汚職を正そうと改革を進め(例えば集中しすぎている大統領の権力を分散させるなど)、韓国の格差社会を改善するため弱者に優しい経済政策を進めている。
とりあえず汚職で辞任はやめてくれ。もし自分が韓国人だったら絶望しかない。
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