生きた化石は古くない

 中間種における記事で、dario氏が私の記事を誤解した原因は、私の文章の書き方の悪さと、現代でも生きている生物を「原始的」と呼ぶ風潮だと思います。

 ウミユリやシーラカンス、ワニ、サメ、カブトガニ、ムカシトカゲを「生きた化石」とか「原始的な」とか言いますけど、あれはあれで「原始的な特徴を今なお残した“現代の”生物」と言えます。
 「古生物=原始的生物」は違うってことですね。言葉ってややこしいですけど。原始的の“的”がくせものですね。

 首の短いキリンであるオカピも決して古代生物ではありません。そもそもキリンの祖先に当たる生き物がどういう姿か分からないので、もしかしたらオカピの方が進んでいて、キリンの方が原始的特徴を残しているとも言えなくもありません(おそらくキリンを先祖帰りさせれば、徐々に首は短くなるだろうけど)。
 オカピとキリンを生んだ「原始的な」中間種はもうとっくに滅んでいるし、今生きている生物は「大進化の結果」です(哲学的に言うならば、時間はとめられないので進化の途中とも言えますが)。
 私たちは哺乳類などの動物においては大進化の結果しか、実際に生きている姿を見ることができません。あとはマンモスのようにフリーズドライされた死骸や化石です。

 ここでのポイントは「現代に生きる私たち人類と、現代に生きる原始的なシーラカンスは“同じだけ新しい”」ということでしょう。シーラカンスの進化の歴史だけ、ジュラ紀から停滞しているわけではないのです。
 逆を言えば、進化による変化が長い時間ほとんど変わらないのは、もう変化しなくても十分環境に適応しているからであり、ある意味「歴史上他の生物に比べて早くに完成系にたどり着いた優秀な生物」とも言えるのです。

 結論:今生きている生物に古いも新しいもない。みんな同じく新しい。
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