結局みんな学校が好き

 教師が本当に足りないらしい。自分が受けたときは倍率が48倍(しかも露骨なコネ採用)とかあったのに、なんと2倍を切る勢い。

 そこで教員を確保するために政府が提案したのが・・・

①教員免許更新制の廃止
②教員免許取得に必要な単位を減らす
③そもそも教員免許がなくても教えられるようにする
④教員免許の有効期限が切れた人の復職の推進
⑤教職の魅力の向上に向けた広報の充実、などの天才的アイディア。

 マジでそういうことじゃねえから。

 つーか、これがOKなら、かつて教員免許の更新を忘れて無免許で教えてて世間からフルボッコにされた先生はどうなるんだっていう、怒りと悔しさしかない(忘れたとは言わせねえ)。
 そもそも、質の高い教員の確保がこれでできるのか?むしろ低下するんじゃないかっていう。でも、あれか。もう教員に学術的な知識は求めていないと、割り切ったというか。
 
 一番必要なのは、どう考えても労働環境の改善で、残業代を出すか、残業をなくすか(≒業務の選別と縮小)のどちらかしかないんだけど(個人的には後者だと思うが)、多分実行するのが面倒くさいので、教師という職の魅力を広報的にPRするっていうことになっているんだろう。

 でも、今や最も倍率が低い公務員試験って、警察でも自衛隊でもなく教員採用試験になっちゃっているわけで、ミソもクソも関係なく、現在大量に採用しちゃっている教員が、ベテランになった時が本当に怖いよ。
 基本的に、同僚に無理やりカレーを食べさせるなどの、いじめまがいのパワハラとかモラハラをする教師って、大量採用の「でもしか世代」だったからなあ。みんながみんなではないまでも、絶対数が多いから、もれなくヤバいやつが混ざっているっていう。
 で、こういう先生ってメタ認知ができないから、偉そうに教育論を訓垂れるんだよな。

 だから、もう国民国家的な学校教育っていうシステムそのものが限界というか、そもそも地域一帯の子どものお守りを一手に引き受けさせるというコンセプトに無理があったというか、だから自分も子どもが生まれるわけだけど、まず学校に教育を期待しちゃダメだし、できることならルソーの『エミール』のように幼少期は自然の中で自由に遊ばせたいよ。
 でも、子どもを学校に通わせないと親って捕まっちゃうのかな。でも憲法26条って別に親を罰するものじゃないしな。

 だいたい、子どもの教育なんてまずもって親がやるべきで、学校は勉強だけ教えてくれればいいんだけどな。道徳とか、集団生活とか、友情とか、青春とか、そういう学校の先生がコントロールすることが不可能なものまで、要求する方が悪いんだって。場を設けるだけでいいよな。
 で、人間なんて2人以上集まれば、なにかしらのトラブルはあるんだからさ。なのに、それをすべて学校や教師の責任にするから、こうなる。
 いじめは絶対に起きるし、その解決方法は絶対にメソッド化できないから、業務の一つにしちゃいけないと思う。だいたい教員間でやってるじゃねえかっていう。まず、そっちを解決しろよっていう。

 結局さ、みんな学校が好きなんだよ。だから学校に過度な期待をする。教師が嫌いだとかなんだって大人になってまで言っている人多いけどさ。そもそも教師に対するハードルが高いんだって。
 だから、そのハードルを下げて、どこの誰でもできるような仕事にすれば、最初に挙げた政府の取り組みはあながち見当はずれでもないかもしれない。
 いいよ、勉強の方は自分が教えるから。
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