インテリジェントじゃないデザイン

 『進化の存在証明』第11章は、動物の解剖学的見地から創造説を批判しています。

 どういうことかと言うと「全知全能の神様が動物を設計なさったのならば、生物の構造はここまでまどろっこしく複雑にはならないだろう?」という皮肉のきいたイジワルな論法なのです。
 しかも口の悪いオーストラリアの学者のセリフを引用するから手に負えません・・・(笑えるけど)

 第11章では、“なぜか”網膜が後ろ向きについていたり、“なぜか”像を逆に結んでしまう「目」や、“なぜか”尿管をぐるりと迂回するルートになっている「輸精管」、木の上で生活しているのに“なぜか”下向きについているコアラの育児嚢(赤ちゃん落ちちゃうって!)など、さまざまな「インテリジェントじゃないデザイン」の例が紹介されます。
 そのなかでも、多くのページを割かれて説明されているのが、キリンの首にある「反回神経」なのですが(ドーキンスはキリンの解剖を見学したらしい)、確かにこれは文章じゃさっぱりついていけない程、ややこしい構造になっていて(この説明がこの本で最も難しかった)ドーキンスも「知的でない設計だ」とか「設計者の面汚しである」とかボロクソに言ってます。

 つまり生物とは、すこしずつ微調整を重ねながら複雑化していくのであり、「設計図の書き直しができない」ことを意味しているのです。
 進化は悪く言えばドーキンスの言うように行き当たりばったりで、例えばエンジニアに最も効率のいい心臓の動脈の“配線”を一から再設計してもらえば、こう(肺動脈、肺静脈、大動脈、大静脈のルートがぐちゃぐちゃで中学生泣かせ)はならないだろうということです。

 ドーキンスはキリンの反回神経は、動物のダメダメ設計のほんの「氷山の一角」であると述べた上で、「私たちは動物を外観だけで判断するとデザインという幻想に圧倒されるが、それは動物を外側から眺めた時だけで、(解剖して)内側から眺めた時には印象は正反対になる」と、この章を締めくくっています。

 この章でわかることは「進化は小さな変化の積み重ねによって漸進的に起きた」という事です。徐々に小さな変化を重ねていくと考えれば「インテリジェントじゃないデザイン」も合理的に説明がつくからです。
 つまり変化は、考えようによっては「最も合理的」に働くのです。それは「現在の状況(体の構造)における“最小限の変化”で、目的(環境への適応)を達成する」ということで、程度の差はあれ、変化は常に「経済的」なのだと思います。
 
 ※ドーキンスは「急進的で大きな突然変異とは、精密機械を足で蹴っとばすか、配線をでたらめに切ってつなぎ直すようなものであり、ひょっとしたらそれで性能がよくなるかもしれないが(ちびまる子ちゃん家のテレビみたいに)、その可能性は極めて低い」とし「それに対して小さな突然変異は、精密機械の例で言うならば、抵抗器を一ついじるような小さな修正に相当し、突然変異は小さければ小さいほど改良につながる可能性は高くなる」と述べています。この例えはとてもわかりやすいです。
 私はこの例えに「小さな抵抗器をいじるだけの方が最終的に安く済む」という点も付け加えたいと思います。

 目の例で言えば、確かに目に入った光は、光を受容する視細胞を持つ網膜でデータ変換され、目の奥の視神経に到達し、やっと脳にデータが転送されますが、この一見まわりくどく得策ではない設計も、目を進化で作る上では最善の結果だったに違いありません。
 そもそも目の発生はとても複雑で、なんと目のレンズは、発生の誘導を連鎖させて外胚葉由来の「表皮」から作っているのです!
 つまり目は、冷蔵庫の残り物で作ったチャーハンのように、もともとあった表皮(と脳の一部)という「ありあわせ」で作った器官であり、スポーツバイクのカウルからニコンのデジタルカメラを作ったようなものと言えるのです。これって逆にすごくないですか?
 我々の祖先が「プロジェクトX」並の地道な苦労を重ねて目を作ったことがうかがえます。うう、目から水が・・・
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