4つのメモリ

 いや~『進化の存在証明』は、三冊に分けて一冊1000円でもよかったくらいのボリュームの、かなり読み応えのある本でした。
 最終章の第13章のタイトルは「この生命観には壮大なものがある」で、これは何を隠そうダーウィンの『種の起源』を締めくくる一文からの引用で、なんと本章では、その一文をワンセンテンスごとに取り上げて検証しているのです!まさにダーウィン生誕200周年を記念するにふさわしい最終章と言えます。
 なんだかんだ言ってドーキンス奇麗にまとめますね。

 本章の内容は・・・クモを針で麻痺させて、自分の卵を産みつけてしまうジガバチや、カタツムリの神経系を支配し、鳥に食べられやすいようにカタツムリの眼をイモ虫のように膨らませてしまう寄生虫といった(これらの引用はこの本はしてませんが)時に残酷な生物の振る舞いの考察から始まり、生物を情報の観点から定義する「4つのメモリ論」、DNAにおけるタンパク質製造コード(コドン)の普遍性、進化は熱力学の第2法則(エントロピーの法則)になにも矛盾していないこと(地球は閉じた系ではなく太陽のエネルギーが入ってくるから)、生物の自然発生説や化学進化論、RNAワールド仮説(ドーキンスはこれを熱烈に支持)、そしてクレード淘汰と「進化しやすい胚発生」・・・と少ないページで盛りだくさん。
 600ページも読んどいてあれですが、正直この章が一番面白かったかもしれません。

 なぜこの章が面白かったのか?それは『利己的な遺伝子』でも見せたドーキンスの持ちネタ(ドーキンス自身のテーゼ)をこれでもかとぶちまけてくれているからです。
 生物を情報の媒体、もしくは複合体として捉えるというドーキンスの発想は、めちゃクールでかっこいいです。
 この「生命など遺伝子のただの乗り物さ」と言い放つクールさが時に「ロマンティックな人」の反感を買ってしまうようですが、逆に「生物ってかっこいい!」って私は思うんですけどね。デジタル生物論というか・・・

 本章の「4つのメモリ論」は、そんなドーキンスの生物観を端的にあらわすものでしょう。そしてこの論は、ドーキンスの本でも比較的ニュートラルな『進化の存在証明』でもっとも異彩を放ち輝いています。
 4つのメモリとは、遺伝子プール、免疫、神経系、文化だといいます。生物学的定義に文化(ミーム)を含んでしまうところが、なんともドーキンス流でたまりません。

 第1のメモリ「遺伝子プール」は、生物の種における38億年分の進化の情報の蓄積です。それは世代交代の際に更新され、なんと38億年たっても現役バリバリで情報を蓄えている地上最大のデータベースです。
 実際私たちが存在するのは、その前の祖先が「誰一人子どもを作ることにしくじっていないから」であり、これはテレビゲームで例えるならば、とんでもない「コンボ数(なにせ38億年間続いているから)」となり、遺伝子は半永久的に存在し続けている事になります。
 よって情報を残すことにかけて遺伝子(=DNA)の右に出るものはいないでしょう。

 第2のメモリ「免疫」は、遺伝子プールが種レベルの情報であるのに対し、後天的かつ個人的なパーソナルデータです。それはどのような病気と闘ってきたかの個体レベルの情報の蓄積であり、その抗原抗体反応の情報(獲得免疫。例えば予防摂取やアナフィラキシ―ショックなど)は、個体が死んだらそれきりパーで、子孫には受け継がれません。
 しかし個体が病気で死んでしまえば子作りどころじゃないので、重要なものであると言えます。
 そしてドーキンスが言うように、免疫とは体内のタンパク質の自然淘汰であり、視点を変えれば人体とは利根川進さんの言うように「ダーウィン的小宇宙」と言えるかもしれません。

 第3のメモリ「神経系」はいわゆる「記憶」です。それは個体の脳に記憶される情報で、人の脳は発達している分、学習パターンはネズミなどに比べて複雑で、記憶のイメージも鮮明です。

 第4のメモリ「文化」は、この高度化された人間の「神経系」によって生み出されます。文化はいわば「人為的な遺伝子」であり、遺伝子を使わずして、遺伝子のように情報を受け継ぐことができます(しかも場合によっては子から親にも逆流が出来る!)。
 ドーキンスはこの「文化版遺伝子」を「ミーム」と名づけ、これまで遺伝子の独壇場だった「自己複製子」のポジションを、文化も担えるとしました。
 どういうことかと言うと、理屈は結構簡単で、例えばバッハは現在生きていませんが、彼の作った曲は今なお楽しめますし、先代の偉大な科学者の研究を受け継いで現在の科学は進歩しています(この点からマイクル・クライトンは『ジュラシックパーク』で「科学とは空手のように長く厳しい個人の修業を必要としない、いわば相続財産のようなものだ」と述べています)。

 ミームの話で面白いのは、生物の体が遺伝子の乗り物であったのに対し、「ミームの乗り物は人間の意識だ」という点です。
 これは利己的遺伝子説以上に、人間の自由意思を過大評価する左翼的立場の人から袋叩きにあいそうですが、確かに遺伝子が生物の体(=水とタンパク質)がなければ自己複製子として機能出来ないように、人間の自我や意識がなければミームも一巻の終わりです。
 しかし逆に言えば人間の意識さえ存在すればミームは形を変えながら半永久的に生き残るのです。現に何千年も前のソクラテスやアリストテレスやデモクリトスのミームは、今なお現役バリバリで私たちに教養を与えてくれています。

 ミームの話はいろいろ面白いので今回はここで切り上げますが、とにかく『進化の存在証明』はそこまで堅苦しい本じゃなく、かなり易しく進化を説明してくれる良本でした。
 ただし高校までの生物の知識があった方が誤読しなくていいと思います。私も誤読してるかも知れないけど、かなり時間をかけて読解はしたつもりです(二週間かかった・・・)。

 最後に一言。最近女子高生のことを「JK」とか言うのが流行っているようですが(「超MM」は90年代熱病のように流行し、ほぼ絶滅したミーム)、そんな今こそ「ESK(どんな生徒も知っているの略)」を流行語大賞にしよう!
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