パクリ交雑論

 明日から開催の上海万博。公式テーマソングが日本のアーティストの曲とほとんど同じだとか、公式キャラクターのデザインもほとんどガンビーくんとか、連日テレビがネガティブキャンペーンをやってくれちゃっていて、中国の方も「パクリこそ中国の文化だ!」と居直っているらしいですが、私としてはあまり「あれもパクリだ、これもパクリだ」と、類似点を探し出すのも趣味が悪いな、と思うんです。
 そんなことやったらきりがないですからね。

 おそらく全ての創作は、なにかしらの作品から影響、着想を受けて作られているだろうし、それは作品だけに限らず、その当時の歴史、文化、学問全般に及びます。
 しかしその一方「著作権」という概念があって、これは夏目房之介さんが『マンガ学への挑戦』で詳しく論じてくれているので、あまりここでは深く掘り下げませんが、著作権には大きく「作家を守るための著作権」と「そのような作品を共有する社会全般を守るための著作権」という概念があって、日本ではそれは主に前者の意味で使われることが多く、その点においてもこの国が「作家主義的」であると言えます。

 ただ私は「ちょっとここが似ている」とか、いちいち重箱の隅をつつくような状況はあまり好ましくはないと思います。
 私は新たな創作というのは進化と一緒で「交雑」であると考えています。つまり進化が遺伝子プールのシャッフルならば、創作というのは「ミームプール」の掛け合わせであり、それ以上のものではない。
 だから新しさというのは単に交雑の度合いによって決まるのであり、「これはあれとそっくり!」と言われてしまう作品は交雑の度合いがちょっと低いのかもしれません。
 たとえば映画『第九地区』はジェフ・ゴールドブラムの『ザ・フライ』と似ているところがあるのですが、それでもあの映画に新しさを感じるのは『第九地区』が「南アフリカのアパルトヘイト問題」や「CBSドキュメント」と『ザ・フライ』を交雑させたからなのではないか?と思うのです。

 万博のパクリとちょっと違うのが「海賊版」なんですが、中国のように文化として横行すると、作家の収入が減っちゃうかもしれないので(印税とか、著作権料が入らないとか。よく分かりませんけど)、それは最終的に社会に負のフィードバックをもたらすのかもしれませんが、岡田斗司夫さんの言うように「あまりいちいち目くじら立てるな」という人もいます。
 ガンビー君を考えたクリエイタ―にとって、自分の考えたキャラをああいった万博のような場で堂々とパクられ、似たようなキャラクターを作られるのは、モチベーションが下がる嫌なことだと思いますが、ガンビー君をそのまま安く売る分にはあまり腹も立たないのかな?と。
 確かにブックオフなどの中古書店や、ネットのグレーゾーンのファイルの共有などによって困るのはクリエイタ―ではなく出版社などの売り手で、クリエイタ―としては「一人でも多くの人に自分の作品を楽しんでもらいたい!」と言うのが第一なんでしょう。あとはそこそこ食って行けるお金があれば、もう十分だと。
 
 中国の海賊版は中国人のモラルどうこうではなく、貧富の格差が激しい社会の構造が原因のような気もするので(正規品が高すぎて、所得が低い人には手が出ない)、なかなかあれをすぐに撲滅するわけにはいかないのでしょうね。
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