酷評は作家として自分の首を絞めるぞ

 まいった。一日中描いている割にあまり漫画が進まないぞ。

 ただの下書きなのに、もしペン入れやるとしたら予めなぞる線を決めといた方が全然楽なことを知っているから、すっごい丁寧になっちゃう。これは悪く言えば思い切りが無く、経済的ではない。おっそい。
 そして今のシーンはメカやらEVA服やら細かいものが多くて・・・大体私はこの手のSFアニメろくに見ていないから、メカのデザインを考えるのも一苦労。
 Googleで「宇宙船」とか検索してヒットした画像で使えそうなものをパクリだと思われないように「ハイブリット」してます。EVA服はNASAから頂きました。またJAXAの宇宙旅行の本も役に立ちました。

 つまり得意なもの、描き慣れたものしか出ない漫画を描いていればいいものを、脚本を練る段階ではそれに絵を入れる大変さなんて考えてないから、「おっ宇宙。いいんじゃね~ん?」と面白ければ興味本位で取り上げてしまうのが運のつき。
 つまりやりたいこと(理想)と、今の自分が描けるもの(現実)が若干ずれている。で「若干なら・・・まあ、なんとか描けるだろ」って感じで楽観視して挑戦するから時間がかかっちゃう。
 これってまさに美術教育における「思春期の危機」そのもの。

 思春期の子どもは、自意識が高くなりすぎて精神が不安定になり、アイデンティティが拡散する・・・つまり理想と現実のギャップに苦しむという「思春期の危機」は、もともとエルンスト・クレッチマーが考えたのですが、美術教育で言うならば思春期の危機と言ったら「ヴィクター・ローウェンフェルド」ではないでしょうか?
 ローウェンフェルドいわく(自他問わず)絵に対する批判意識の高まりが、思春期の子どもの絵を描くことに対する苦手意識を産み、絵画離れを促すということで、つまり自分が描きたいものという「理想」と、自分の画力の「現実」のギャップに苦しみ、かといって自分の理想通りの絵が描けるように訓練や努力をするのは御免なので、絵を描くことそのものを放棄してしまうと言うことです。

 「こいつの絵は下手だ、ここのパースが狂っている」などと批判意識は結構ですが、そんなことやってばっかりでは、自分が絵に要求するレベルが高くなるだけで、自分の画力と大きく乖離してしまうのは必至。自らの首を絞めているようなもの。
 よって常に自分の現在の画力と向き合って、徐々に要求を上げていくべきだと思います。それができないから、ほとんどの人は絵を描くことから「逃げ」てしまう。

 この苦手意識の形成のプロセスは、なにも美術に限った事ではないでしょう。数学、運動、恋愛・・・自分の現実とは無関係に増大する自意識が、結局全てを放棄させてしまう。場合によってはイラつき、ぐれてしまう。
 そんな自分なんて大した人間じゃないよ、と自分をもっと冷静に見られれば楽になるのになあ・・・それは一見逃げであるようで逃げではないと思います。
 大した人間じゃないなら努力すればいいわけで・・・なんか体育会系のK氏がいいそうなセリフだけど。

 かつて偉そうに生徒の作品を酷評する口の悪い絵画の教員の話をした時(愚痴ったw)、養護学校の教員のKO氏はこのように冷静に分析しました。「そいつこそ絵を描くことに憶病になっているのではないか?」と。
 「人の絵を馬鹿にすると言う事は、自分が作品を発表する時に、よほどの物を作らないと酷評される可能性がある。だから露骨に画力が解る写実的な絵画ではなく、抽象芸術、コンテンポラリーアートに逃げているのではないか?なんだかんだ言って生徒に言った言葉が自分に跳ね返ってきているんじゃないか?」
 確かに優れたプロは素人に寛容だもんなあ・・・というか素人にうだうだ文句言うことに興味がない。自分(とその作品)にしか興味ないからw。

 批判や文句なら誰でもできる。素人だってできる。やはり三流品でもモノを作っている人の方が、批判だけの人よりもすごいのかもしれない。
 そう思わないと、何も作らず文句だけ言ってる人が最強になってしまう。実際最強なのかな?だからそういう人は結構増えた。私も含めて。
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