科学はヒトの儀式的振る舞いを否定しない

 宗教の話になるから敬遠しているのかもしれないのですが、なぜ義務教育で冠婚葬祭のマナーを教えないんだろう・・・?
 これって人の誕生(=結婚出産)と死(=葬儀)という人生の最初と終わりを担う人生で最も大切なことなんだから、因数分解よりもこういうことこそ優先的に教えるべきだと思う。
 年齢を重ねるごとに、吉報も訃報も増えていくだろうしなあ。

 西部邁さんは「最悪の宗教なのは無宗教で(宗教のランキングの話をしているなら当たり前だ)、マルクスの唯物論などは人間の精神は物質によって決定されると言っていて最悪である」とか言っていますが、精神と言うか人間の選択が物質(金や名声、異性)で決まるというのは科学的には正しいと私は思う。
 ただ、だからといって宗教が必要はないというのはどうだろう・・・宗教というとなんか全体主義的イメージがあるので言葉を変えると、これはつまりは知能の高い動物に見られる「儀式的行動」(チンパンジーのグルーミングとか)。
 「そんなことやってなんか意味があるの?」なんてはたから見れば思うことが、その動物(とその社会)にとって重要な振る舞いだったりする。

 例えば解りやすいところで「挨拶」。あれって“挨拶自体”に特に意味ないと思う。「部長おはようございます」を「オッパッピー」に変えても成立しそうだし、やらなくても死にはしないし。ただやった方がやった方もやられた方もスッキリ爽やかな気分にはなる。それだけ。
 でも社会的な秩序を保持する上で、個人が「なんだよ、こんなん意味あるのかよ!?」っていう行動は、人間が進化の歴史で獲得した大切な振る舞い。
 「目ざましテレビ」か何かでやってたんですけど、タイでは一日に二回決められた時刻に国歌がスピーカーから流れて、その間は起立して静かにする風習があるそうです。なんとタクシン派がデモをやっている時でも、この時間中はノーサイドだったようで、タイの人にしてみればこの風習は絶対的。
 こういった国ごとで異なる儀式的行動は、他の国からしてみれば「意味わかんねえ」と思うかもしれませんが、それを踏みにじるというのはデリカシーにかけた行為。
 大体日本ほど時間にうるさい国もないし、遅刻をするのが当たり前な国はとても多い。でも我々日本人は時間を守るのは当たり前だと思っているから、むかっと来るわけで。

 ・・・で実はこのような儀式的行動は「創発」だと思う。だから生物学、もしくは進化論で充分扱える。もっと言えば、私は戦争も創発だと思っている。これについては後に詳しく取り上げるかもしれません。
 そして生物学はこれらの儀式的振る舞いを決して否定しないと思います。どうも宗教VS科学って図式があるけど、私が思うに科学は宗教的振る舞いすらものみ込んでしまう大きなカテゴリー。

 ただ勘弁してほしいのが、この逆。一見科学の話をしているようで、そこに宗教的概念を交えて布教する新興宗教とかは、もう科学じゃなく、科学をダシに使った疑似科学。
 これに似ているのが福岡伸一さんや茂木健一郎さん。彼らは科学者だけど、テレビでは科学の話をしていない(場合が多い)。
 彼らは私が思うに「生気論(生物には魂という超自然科学的存在があるという説。機械論と対立する)」者なのだと思う。
 この生気論については「バイオロジー」第一回目でも扱ったけど、科学的にはちょっとどうしようもない考え方。
 ただ私たちの意識や、宗教をはじめとする儀式的な行動が、すべて唯物論が言うように物理的(量子力学的、複雑系数学的)に規定されているとしても、それを否定することにはつながらない。そんな事を言いたかったんです。

 この話を扱ったのがマイクル・クライトンの『ロストワールド』(原作小説の方)だと思う。クローン技術で恐竜を再生したはいいが、彼らは恐竜時代(中生代)において代々受け継いできた自身の「歴史」を断絶されて現代に生まれてしまった。
 ティラノサウルスなどは儀式的行動が「本能」によるものだったから、現代によみがえっても何事もなく、子育てや家族行動をしていたけれど、悲惨だったのが知能が高いヴェロキラプトル。
 彼らの儀式的行動は、おそらく人間と同じ「ミーム」によるもの(遺伝子によって引き起こされるのではなく、教育とそれに伴う学習によって受け継がれているふるまい)であり、教育者(先代、親)なしで育ったクローン第一世代ラプトルは、その社会集団を儀式的行動によって秩序化できない。
 だから利己主義に走り好き勝手に仲間を裏切って殺したり、自分が産んだ卵を放置し潰してしまう。これって絶対人間に対するメタファーですよ。

 結論:人間の精神活動や儀式的活動は、生気論を持ち出さなくても、進化論や複雑系(=創発現象)で十分説明が出来る。よって科学の話では、霊魂とか魂の存在は「オッカムの剃刀」で切り捨てるべし。
 ただそのことは人間の宗教をはじめとする儀式的振る舞いを軽視しない。逆に重要視すると思う。ヒトが社会的な動物だというのは生物学的に研究されているから。

 だから多少宗派や地域によって誤差があるものの、冠婚葬祭のマナーは学校で教えてもいいと思う。教育基本法第15条では「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」と言っても、これくらいはいいのではないだろうか。ダメ?マナー教育。
 学校の国歌斉唱や国旗掲揚すら、個人の自由を阻害するとか言って、突っぱねる人もいるしなあ・・・まあそれも容認するのが基本的人権の尊重だけど。
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