『新書がベスト』

 これを読めば新書がどんどん嫌になる!

 著者は書評家の小飼弾さん。ベーシックインカム本の『働かざる者飢えるべからず』がなかなか本屋に置いてないので「小飼さんの本何でもいいからありますか?」と店員さんに聞いたらこれがあった。

 帯に生き残りたければ新書を読め!と書いてあるように「新書をたくさん買って読め!」って言うだけの本(新書)。もっと言えば新書だけ読んでいればいいと。
 なんか「新書を出す出版社に抱き込まれて書かされている企画本じゃねえか」って思うんですが、この本は少なくとも私には全く逆効果。書いてあることにあまり共感できない。
 読書オタク、いや新書オタクのたわ言としてはちょっと面白いけど。
 しかしなんで熱狂的なファンって、いつもそれに興味がない人や嫌いな人にも強引に自分の解釈を理解させようとしたり(それがダメだと愚痴ったり)布教活動したがるんだろうか・・・逆効果だと思うんだけどな。

 基本的にこの人の文章はオラオラ系。オレの言う通りについてこい!ダメならお前は情報弱者だ。死ぬまで情報に踊らされ、機械より安い労働力で搾取される!
 このように人に一方的に価値観を強制されるのが私は嫌いで、こういう内容のオラオラ本を読む人は、実際の対人関係でも強い主張をする人に憧れを抱いたりする人なんでしょうが、その時点でオラオラ野郎にいいように騙されている可能性もある。

 情報弱者になるのが嫌なので、この本に書いてあるとおり新書を300冊買ったんですけど、結局読めませんでした。

 こんな人がいるから、商売は成り立っている。出版社は大喜び。

 本文でも書いてあるように、本を読むときは「信者」ではなく「読者」にならなければいけない。つまり批判的に読めってこと。
 だから多様な価値を相対化できる人は、こんな本馬鹿馬鹿しくて、2丁拳銃読み(両手に新書を持ち2冊同時に読み進める方法)なんてお前だけの特殊能力だろ!って突っ込むに違いない。

 今の時代どんな仕事でも文章を書かなければいけない。そのような知的なアウトプットをするためには1000冊以上の本を読まなければ話にならない。と小飼さんは言います。
 そして本の8割はダメな本であり、いい本に当たるにはとにかく数を読まなければいけない。ここまでは納得できます。

 しかしその具体的な方法論がかなりラディカル。読書レベル0の人にこれを強制させるのは、普段運動していない人に無理やりエベレストを登らせるのと一緒であまりに酷。

 小飼さんが勧める、読書を習慣づけるための方法とはこんな感じ。
 タイトルや内容でえり好みしていると情報が偏るので、まずは新書が300冊入る本棚を購入します。そこに特定のレーベルの新書を、ジャンル問わず何冊も一度に抱き合わせで買って(大人買い)最終的に300冊入る棚を埋めていく。
 新書は安いので一度に300冊買って本棚がついても24万円程度!この値段で人生の勝ち組に慣れるなんてあらお得♪って感じ。
 24万円出してまで中毒的な読書オタクになりたいと思う奴って何人いると思ってるんだ?

 さらに納得できないのがハードカバー本を徹底的にバカにすること。滅びてしまえ!って本当に書いてあるw。
 ハードカバー本よりも新書がいい理由は一つに安いって言うのがあるんですけど、「生き残るための読書」をするには、さまざまな分野の情報をかいつまんで頭に入れることであり(小飼さんの勧める“読書”とは「読みとばし」も「斜め読み」もOKであって、本に書いてある文章全てを読んで読解することではないことに注意!)、ハードカバーと違って表紙もしなり、片手でどこでも気軽に読める新書は、サイズ的にもうってつけ。と言うわけです。

 この本では「ハードカバーは捨てるつもりで買う」とか言ってるけど、本当のバイブル(『ジュラシックパーク』など)は私はハードカバーで保管しておきたいし、私は新書の内容の方が著者の主観的な説教ばっかで、全然捨てやすい。
 最近の新書ブームってそんな感じがしませんか?なんで売れる新書ってあんなに読者に説教口調のオラオラ本??
 テレビ番組でも一時期強気な口調でズバリ言う変な占い師を信じたり、今はなんだろ?疑似科学がブームかな?脳科学的にうんたらとか。
 もしかしたら今の日本人って民主主義に退屈していて心の奥ではオラオラ独裁者を求めているのかも?って思います。小泉政権が人気があったように。そこに批判的意識は皆無です。

 まあハードカバーでも買って後悔したのはあります。逆に新書でも私はごくわずかですが、バイブル的な良書はあります。
 ただ昨今の新書ブームでミソもクソもたくさん刷られた新書はほとんどガッカリ本だと思う。タイトルだけで引きつけたり、内容が無かったり、萌絵を入れとけばいいかとか・・・(コレは新書じゃないか)

 そしてハードカバーの「文庫落ち」について。これは大反対。ハードカバーは文庫落ちするのを待ってから買えば、その本が読むに値する内容である確率が高くなるから、それから買った方がいいという話なんですが(充分な数の人が読むと出版社が判断しないと文庫化しない)、この発想は大衆が評価するものはいいはずという民主主義的、市場主義的発想が強い気がします。
 実際ブームになったり人気があるものの中には、面白かったりするものもあるのですが、社会現象になっている時点で、中庸な誰でもわかる当たり障りのない内容である可能性は高いし、一般受けするという意味での「いい本」=自分だけの知の体系を構築する上での「いい本」は異なる場合もあると思います。
 私はよく欲しい本が絶版だったりするのですが、それが読むに値しない本であるとは思いません。でないと大衆受けの悪い自然科学本は滅びてしまえでもいいはずです。

 さて、小飼さんが主張する“生き残るための読書”ですが、これがそもそも”私のイメージする読書”とは違うんです。
 読書は所詮ただの娯楽。テレビもゲームも漫画も数学も、そもそも楽しいから発展したわけであって、それがなくたって生きてはいける。
 さらに小飼さんのような社会的な「勝ち組」って言うのは結局、本も読まない情報弱者がたくさんいることによってなりたっているのではないか(スケールフリーネットワーク)。
 だから小飼さんは「教養のない庶民のみんな!本を読まずに情報弱者でいてくれてありがとう。おかげでいろいろ儲けさせてもらってます!」って感謝こそすれ、本を読まない奴はみじめな人生が待っていると脅すのはまずいんじゃないか?

 もっとも言いたいことは、自分の役に立つかどうかで教養をつけようとする姿勢そのものに問題がある。
 教養とは基本的に役に立たないものであり功利主義的に膨大な情報を入れたって、それこそ知識や知恵といった「知の体系」なんて形成されない。
 膨大な情報を脳内でどうやって有機的に関連付ければいいのか?そういった説明がちょっと弱かったのが大変残念。
 「脳内マップ」と言う言葉が45ページに出てくるけど、実際1000冊、10000冊読んだって面白いアイディアも出せないし、面白い話もできない人はいる。
 「本を読んでもそこから得られる知識は机上の空論」という悪しき偏見は、読書家は内向的だから価値観が閉鎖的という短絡的イメージと、本を読めない人の子供じみたジェラシー(ふん!別にプラトンなんて読んだって意味なんてないやい!)が融合されて生み出されていると思う。
 しかし、それは本を読む読まないとは違う次元の、その人の気質の話なんだ。

 前にも記事で書いたけど、私は本を読んだら、仲のいい友達もしくは読書仲間に会ってその本の内容を議論するような場がなければ「知の体系」は作り得ないと思う。 
 そこで初めて実生活に教養がほんのちょっとだけ役に立つ。話のタネになるだけだけど。
 でもそのような社交的な情報交換の楽しさが再び読書しようという動機づけになり、本を読むのに積極的にはなると思う。
 だからいくら300冊入る棚にぎっちり新書を入れて、お客さんの人目につく家のリビングにおいても、友達がいなければ意味がない!

 結論:こんな新書こそ捨ててしまえ!
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