原著から読むな

 なんかしょうもない新書本のタイトルみたいですが、これが私の近現代思想を学ぶ上で最も効率のいい方法だと思います。
 つまり哲学者になるわけじゃないんだったら、いきなり哲学者が書いた小難しい原著を無理して読み解くのでなく、概要をかいつまんだ、決して論文の参考文献欄には書けないであろう、『図解雑学』あたりを読んでから、原著にチャレンジしたほうが、彼らの思想のスタンスがとってもイメージしやすいんです。

 私は恥ずかしながらハイデガーの『存在と時間』(翻訳本ですが)を一生懸命読んで、でもその内容が、小難しい文章の割に、思ったほど大したことなくて「こんなこと俺だって思いつくよ」などとたわけたこと言ってた時があったんですが、でもしばらくして「ハイデガーの生きてた時代を考えてみると、あの当時、これを書いたのはすごかったのかも」と反省したんです。
 
 どういうことかというと、生意気な私は、ハイデガーを現代の科学や思想と同列に比べていて「ああ、大したことないな」と言ってたんです。
 つまり「歴史」という観点がすっぽ抜けていた。この歴史という観点が、あるのとないのとでは、近代の哲学を理解するのは大違い。
 「この哲学者が生きていた当時はこういう思想が流行っていて、しかもその時代にはこういう事件や戦争があって、だから、この人はここをこう批判したんだ!」ってなるわけです。

 つまりその哲学者を取り巻く当時の状況(横軸)と、その哲学者がそのような哲学に至った歴史的経緯(縦軸)を理解すれば、けっこう難しい哲学も原著だけ読むよりははるかに入ってくる。
 『図解雑学』のような概要本の優れた所は、一冊の中に何人も哲学者が時代順(これが重要)に載っていることです。これはハイデガーの本だけ読んでも、見えてこない哲学史の流れが見えてきます(ハイデガーも自身の著書で多少ほかの哲学者、カント、ヘーゲルなどを引用しますが、哲学史の概要なんてものはもちろんありません)。
 んで哲学は、先人の影響、もしくは批判から新たな哲学が生まれるので、ドゥルーズを評価するのも、それ以前の哲学を知る必要があるし、彼が生きていた時代も学ばなければならないんですよね。当たり前なんですけど。

 さて、そのように近現代の哲学、思想の連鎖を傍観してみると、私は「近現代の思想の歴史って、主観を疑い続けて、その裏にある構造(システム)を見つけ、客観重視の科学の思想に近づき、最終的に科学と合流したのかな?」って感じがします。
 哲学史と科学史どっちも詳しい人がいたら、ぜひそういった本を書いてほしいところです(天才、佐倉統さんがちょっとやってくれてますね。ありがたや)。絶対リンクしてる所あります。
 ただ、それ(近代思想と科学思想)が(例えば、海を挟んで隔てられた別の大陸の動物が収斂進化をしてたまたま似たような)関連性が薄いが同じ時代を共有したことで、結果的に似てしまった現象なのか、二人三脚のように、近代思想と科学思想が積極的に相互作用してきたのかは、私にはまだわかりません。
 哲学の本には科学のことなど書いてないし、科学の本には哲学のことなど書いてないんです。
 
 暇があったら私がやってみようかな。エントロピー間違える、馬鹿なりに。
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