パンチラ職人論

 私はよくまあこんなどうでもいいこと(漫画)をこだわっていやっているよなって言われます。主に親に。

 どうでもいいって言われちゃうと、もう文化のレーゾンデートルそのものがガラガラ崩れちゃって、「どうでもいい」とは、なんてモチベーションを奪う言葉なんだって気がしますが、実際今日も耳の上に髪の毛がかかる表現の仕方についてずっと悩んでいて、ああ我ながら読者の人にはどうでもいいような自己満足的なことを悩んでしまったな、と反省してます。
 あ~塾の仕事の前に漫画描いちゃダメだな。別の次元にワープしちゃってみんなの中間試験の結果なんてどうでもよくなる(暴言)。

 クリエイターって受け手を意識して面白いものを割り切って作る商売人的側面と、自分の表現手法にとことん追及していくような芸術家的側面があって、そのバランスが超難しいと思っています。
 この二つは時に対立するものの、実際にはかなり相補的なものであり、芸術家的こだわりを全放棄したものが果たして、受け手を喜ばせる商品としていいものになるのだろうか?という問題があります。

 たとえば少年漫画では男のスケベ心を食い物にして「パンチラ」などのエロ描写を盛り込みますが、そのパンチラを書くときにその漫画家の画力が幼稚園児並みであったら、いくらみんな大好きパンチラでも人気はとれないと思うのです。
 パンチラが商品足り得るパンチラになるには、パンチラ描写を極めなければならず作家の修行が必要で、その矜持にはただ「読者が喜ぶからパンチラを練習してみよう」という単純な動機だけでは決していきつけません!(断言)その程度で男のスケベ心が動かされると思うか!

 パンチラを描く奴は元来パンチラを描くことが大好きなのです!
 
 つまり彼らパンチラ職人は、自分の好みがたまたま市場のニーズに合致した幸せな奴らでして、そういう意味で漫画家は意外と平凡で普通の感性の人の方が成功すると言われているのでしょう。
 そんな私は恐竜の骨の数とかを数えて復元図を描くという、まったく市場のニーズを無視したこだわりばっかやっているので、かなりやばいことに・・・

 だからよく言われる「漫画は作品ではなく商品として割り切れ」は全くの詭弁なんです。クリエイターはそんなニヒルに創作活動なんて絶対にできないはずです。
 売れるからパンチラを描くのではない。ただ描きたい。これが真実でしょう。
 
 畜生、なにが商品だ。自分がエロいのをそうやってごまかしているだけだろ江川!


 追記:
ninkikiji.jpg

 人気記事ランキングはなにかがおかしい・・・どう考えても科学の記事でも恐竜の記事でもない・・・
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