小さなツリーと大きなリゾーム

 ハーバート・リードの教育モデルは、ヒエラルキーというより、樹形図や系統樹のように解釈すればいいみたいですね。確かに系統樹なら、上のほう(バクテリア)が偉いってならないですもんね。
 でも、こういう秩序だったシステムって、教師たちが無意識のうちに階級を形成してしまう恐れもあるような…隠れたカリキュラムってのもありますし。教育って難しいなあ。

 話は変わって、やはりポストモダン思想は本で読むより、その時代を経験している人に聞いたほうが、早いですね。
 「合理的な資本主義批判→理想主義的な社会主義→冷戦終結=大きな物語の終焉→小さな物語の時代、ポストモダン思想」
 うろ覚えですけど、先生の話をまとめれば、こんな流れでしょうか。

 しかしポストモダン思想はやっぱり間違っている。普遍的な「大きな物語」なんてものはもともと無いし(「ポストモダン思想の重大ミス?」の記事を参照)、逆に「リゾーム」てのは昔からあったんです。
 リゾームの考え方自体に文句はありません。問題はその使い方です。大きな物語が終わって、人々の価値観がリゾームになるなんて大ウソで、もともと大衆の心理なんて、みんな自分勝手で無秩序(リゾーム)だったんです。
 近代までが、普遍的で秩序だった「ツリー」で、ポストモダンが、相対的で無秩序な「リゾーム」ではないんです。

 どんな時代も、一部の特権階級、インテリ層の「小さなツリー」の下に、無教養な大衆の「巨大なリゾーム(地下茎)」が存在しているだけなんです。
 無秩序な巨大な根茎を、小さなツリーがなんとかシステム化しようと画策しているのが、我々の社会構造の真実だと思うのです。
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