小さな命が呼ぶとき

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 科学には時間がかかる。そう説得しろ。

 いや~いい映画だった。頭は切れるが協調性のない理系バカの哀愁を描いた素晴らしい映画。
 筋ジストロフィー病の一種であるポンぺ病(厳密には筋ジストロフィーではなくライソゾーム病という違う病気の一種らしい)という難病の治療薬を作るため、偏屈な老医学者「ロバート・ストーンヒル博士」と、ポンぺ病の子を持つ脱サラビジネスマン「ジョン・クラウリー」が手を組んでベンチャー企業を設立する話(とはいえこのベンチャー企業は大企業ザイマジェン社に売っちゃうんだけど)。

 私の酵素はマンノース―6―リン酸という生物学的マーカーを持つ。現在私だけがこのホスホトランスフェラーゼと言う遺伝子のクローン化に成功している。
 そのためより多くのマンノース―6―リン酸をリソソームタンパクに結合、そのおかげでより効果的な量の酵素を細胞に送り届けられる。


 こういう理論(だけ)を振りかざす独りよがりな芸術家タイプと、地に足ついたリアリストが、「いくら理論が素晴らしくても金がなければ机上の空論と同じだ!」とケンカしながらも、一つのことに取り組む話って大好き。
 というのは昔自分も漫画を描いては出版社に通い、漫画を作品と言うよりは商品と考える編集者との打ち合わせを経て作品を仕上げなければいけなかったから、こういう状況って少しは分かるつもり。
 
 こういう話って、漫画家(医学者)は編集者(ビジネスマン)を理解して、編集者は漫画家に歩み寄れば、もっといいものができるんじゃない?ってオチになりがちだけど、厳密にいえばそうじゃなくて、哲学や立場の違うふたつの勢力が葛藤することでいいものって生まれると思う。
 漫画家が変に「売れれば作品の質なんてどうでもいい」なんて割り切って仕事しちゃうと読者の胸をうつ作品はできないし、編集者が「これが面白いと思わない読者はバカだ!」と大上段からお客さんを批判しちゃうと大衆受けは絶対しない。
 だから和解ではなく、自分の信念を維持しながら異なる信念の持ち主と付き合っていかないといけない。これは繊細な芸術家にはとっても辛いことで、今商業誌に連載している漫画家って心身ともに相当タフだと思う。

 私は別に編集者とのやり取りが嫌になったわけじゃないけど、この時不運にも難病を発病しちゃって、厳しいスケジュールで漫画を描くことが困難になってしまった(出版社も遠かったし)。
 とはいえ今も深夜、場合によっては夜明けまでペンを走らせている事があるけど、昔に比べればまったくダメ。

 治療法不明の難病と言えば、この映画、実話をもとにしたってことは、ポンぺ病は完治はしないものの薬で延命はできるようになったってことだろうか。
 私もそうだけど難病って完治はしないから、どうやって病気と付き合っていくかって話になる。私はこの病気(←死にません)とはもう7年の付き合いだけど、多少価値観が変わった。
 ものごとに対して消極的になったというか。もともとそんな行動的でも社交的じゃなかったけど。
 もし急に病状が急変して周りに迷惑をかけたら・・・という杞憂が常に付きまとうのが最初は嫌だったんだけど、もう「時限爆弾野郎」として割り切っている。

 それにこの映画が好きなのは、ハッピーエンドなところ。とりあえず日本では信じられないほどのスピードで新薬が完成して、しかもそれをすぐに臨床試験出来て(いろいろあったけど)、ジョンの子どもは一命を取り留める。
 同じ病気を題材にしながら、日本の「24時間テレビ」とかでやる感動系ドラマとは大違い。あれって本当に嫌がらせもいいところで大嫌いなんだ。病人が最後に大体死ぬから。
 アレ作った奴ら、同じ病気で闘病中の人がそのドラマを見るとか考えないんだろうか?あんなバッドエンドドラマ見ちゃったら「俺も死ぬんだ~」って哀しい気分になるだけじゃん。冗談じゃないよ。
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