モンスターズ・ユニバーシティ

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 お前はちっとも怖くない。でも怖いもの知らずだ。

 いろいろあって一日遅れで入学してきました。

 今年度の授業はもう終わったよ。遅かったな。

 いやなんとか間に合ったwもう物語の冒頭から泣きそうになっちゃった。班活動でどの班にも入れてもらえなくて「マイクまた先生と組みましょうか?」って流れよくあったからなあ・・・
 だからあ、これオレの話だっていきなり尋常じゃない感情移入がw(目から水)挙句の果てには先生の教卓の横に席があったからねw「田代席」ってw
 だからそうとう孤独耐性はついたよwそれはそれで教育効果だよね。今私たちに必要なのは恋や夢を語り合うことじゃなく、ひとりぼっちになるためのスタートラインだから。・・・で、そろそろ恋や夢語っていい?w

 いきなり思い出話しちゃった。ごめん。でも、やっぱすごいね。この前読んだ『ウルトラマンが泣いている』(円谷英明著)でもつくづく感じたけれど、普通シリーズものってどんどんつまらなくなるんだよね。
 最初が優れた作品ほど、そこで描きたいテーマは描ききっている場合が多いから。『ジュラシックパーク』だってそうだった(ただし映画版。)。
 私も続きものを最近やって(ゴールデンウィークになんとか完結)、シリーズを重ねるごとにだんだん描くテーマがなくなってきてそれを痛感したんですが、あの経験で勉強になったのはキャラの良さを信じること。
 つまり前作と同じものをやるんじゃなくて、いっそ前作のエッセンスだけ抜いて別のアプローチで物語を構成すれば、そこまで失速しない。そしてシリーズ全体を貫くエッセンスさえあれば、見てる側はそこまで断続を感じず連続的なものとして認識してくれる。なにしろ同じキャラは出てくるんだしw

 とにかくピクサーはそこがうまい。『トイ・ストーリー』はエリック・エリクソンのようなライフサイクル論を元に成長していくおもちゃたちに年代ごとの課題を与えたし、『カーズ』はモータースポーツ愛をそのままに映画のジャンルを変えちゃったw
 その点『モンスターズ・インク』は続編が発表された時すごい不安だったんだ。あのお話の続きを考えるのって辛くね?ってw
 サリーとマイクは最後にある種のルールクラッシャーをしでかしたから、そのオチで逆転した設定を続編で活かすのは厳しいぞと。
 そしたらなんと過去の話にするって言うじゃないですか!私は『モンスターズ・ユニバーシティ』ってタイトルを最初に聞いて「あれか、あの二人あのあと会社辞めて大学の先生になって後発を育てるのか」って貧困なイメージを持っちゃったんだけど、それ絶対つまらないもんねw才能がない!

 でもそれって実は半分当たっていたwこれって舞台が学校だから、すごい教育者像について考えさせられる内容だった。テーマとしてはちょっと前の『シュガーラッシュ』(どんなパッとしない人でも社会の一部を構成している)、ピクサーなら『レミーのおいしいレストラン』(全ての人に才能があるわけではないが、誰が優れたプロフェッショナルになってもおかしくない)、もっと古いところなら『ダンボ』(デメリットを受け入れて別の切り口でそれを昇華させよう)が近いかな?
 そう考えると、この映画もディズニーが何度も描いてきた普遍的なテーマを扱っていることが分かる。

 ピクサーってそういうディズニーのストレートな寓話(悪く言えばお子様向け)に、リアリティの概念を持ち込んだのが革新的だったよね。どの作品も単純な完全平等主義をテーマにしているわけではないのも印象的だ。
 ここで重要なのは、そこで持ち込んだリアリティがギリギリディズニー的なテーマ、愛、夢、希望を壊さないレベルであるということ。
 つまりジャック・ラカンのいう脱構築なんだよね。深読みすれば、このテーマはアンチテーゼを内包しているよという。ブーメランというか。ヘビがしっぽ飲んじゃっているというか・・・
 ヘビといえば武田鉄矢風のモンスター大学生が「触角と蛇の翼は~」とかよくわかんない歌弾き語ってたのが爆笑だったなwドラえもんのリトルスター・ウォーズかってw(あとなんだあの校歌はw)

 おおっとそれた!で、それをやりすぎちゃったのが『アイアンマン3』だった気がする。やっぱピクサーのバランス感覚はうまい。
 円谷英明さんが『ウルトラマンパワード』をハリウッドのスタッフとメソッドで作らせた時、脚本を一人に書かせず、複数の作家を使って描くことで、独りよがりじゃない安定したクオリティの物語を作り上げていることに感心したって話があるんだけど、この映画もエンドロールを見るとなんと12人の脚本家がアイディアを持ち寄ってひとつの脚本を作っている。
 結局チームに円滑なコミュニケーション能力さえあれば、そんな天才ばかり揃えなくても、アイディアって出てくるものだからね(ブレインストーミングの論理=私はスイミー理論って呼んでるんだけどw)。いや、その場をしきってまとめるやつが才能があるってことなのかw

 さて、そういうプロデューサー気質の人を日本のアニメファンってあまり評価していない気がする。日本でもてはやされるのは実際作品を作り上げているクリエイターで、その場を仕切ったり作品のスケジュール、品質管理に責任を持つプロデューサーには意識がいかない。
 でもおそらく作る側にとって一番重要なのは、そういう縁の下の力持ちがいるかいないかだと思うんだ。才能のあるクリエイターは確かに目立つ。絵がうまいというわかりやすい指標があるから。それは作品でガンガン伝わるしねw
 でもこの作品を作るためにチームを建設的な流れに導いた人が絶対いるわけだ。アニメや映画のような集団作業なら特に。

 そう、この『モンスターズ・ユニバーシティ』とはそういう話だった気がする。これピクサーのアニメーターたちが仕事をする上ですごい大切にしていることをテーマにしたんだろうね。
 確かにあのスタジオは半端ない個性と才能の集まりだけど、その才能を見出したり適切に評価するようなまとめ役がいないと空中分解すると思うんだw
 漫画業界でそれを担うのは編集者なんだけど、ピクサーもアニメを作る上で最も重視しているのはその編集なんだそうだ。優れた才能の持ち主が描いた各カットをどう構成するか。それはそれで映画の出来を決定づけるすごい作業だよ。

 赤井孝美さんいわく今の日本のアニメ会社はガイナックスの影響で「絵が上手い奴至上主義」を取ってしまったという。つまり絵を描く職人達ってなんだかんだで体育会系だから、自分より上手い下手ってはっきりわかるんだってwだからヒエラルキーができちゃう。
 その弊害で軽視されたのが進行や脚本といった絵を描かないけれどアニメに関わるポジションの人たちらしい。これを聞いたとき、だから今の日本のアニメって絵のクオリティはまあすごいけどお話がグダグダなんだ!ってすごい納得しちゃったw
 ピクサーの強さはそこだ。「怖いやつ至上主義」のモンスターユニバーシティではマイクの立場はかなり厳しいw怖くないからw

 あなたは彼を怖いと思いますか?

 普通の話だったらこんなやつ落第で終わっちゃう。絵も描けない奴はガイナックスにあらず!とか言われてwでもストレートにリアリティを持ち込むピクサーはやり口がもうちょい複雑だ。
 マイク自身は確かに怖くないが、他の人や他の物を使って恐怖を引き出し、演出する才能があったのだ。これは「いい作家がいい教育者になるとは限らない」とさんざ言われた美術教育ではすっごい心に染み入る教訓だ。
 才能のある作家は指導者になってもまだ選手でいる。だから自分を脅かす存在はおそろしくて蹴落としてしまう。それって教育者のスタンスじゃないよねって。教え子と一緒に競い合ってどうすんだってw

 オレはおっかなく振舞ってる。でも、本当はオレ自身が怖がりなんだ。

 このセリフでサリーになくてマイクにあるものが分かる。才能とは結局のところ社会が要請する基準やルールによって変わるんじゃないのか。
 小さい頃からはまっている『ダンボ』からそう思ってたけど、アメリカってそういうところが潔いというか清々しい。日本ってやっぱりマイノリティに冷たいというか同調圧力が強いんだなwそれはそれでいい面悪い面もあるのだろうけれど。

 自分が先生をやっていく上で肝に銘じたいのは、マイクみたいに子供それぞれの個性を引き出す柔軟さを売りにする指導者もいれば、学長のように一見厳しいけど、社会のルールをしっかり教えるかたくなな先生も大切だということ。
 はっきり言って生徒の受けだけ狙って迎合するならば前者のほうがいい。でも前者は前者で実は相当難しい。子供を自由にさせたら大体の場合秩序が崩壊するからw一番ダメなのは言動がぶれちゃう先生だ。そう言う人を子供は信用してくれない(´;ω;`)
 だから優しい先生がいい先生とは限らない。おっかない先生も時間が経てば大切なものを教えてくれていたのかもしれない。

 その通りだよ、みんながそれぞれ違ってるんだ。一流の怖がらせ屋はその違いを武器にする。
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