ウォルト・ディズニーの約束

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆ ブーメラン注意☆☆☆☆☆」

 泣かないで。ミスターバンクスは大丈夫。

 そうじゃないの。アニメが耐えられなくて…


 最近特に多いんだけど、長いこと漫画を描いていると、よくサブカルチャーにすごい詳しい人だって思われてしまう。
 私が「いや、あまり見ない」と言っても、そういう質問をする人って「またまた~w」みたいな感じで取り合ってくれないんだけど、つまり好きじゃなかったら漫画なんて描いていないだろってことなんだろう。
 確かに漫画を描くこと自体は好きだけど、それと漫画やアニメといったサブカル全般が好きで読んだり見たりするのは別の話だ。しかし、この釈然としない感じは何なんだろう。
 見ず知らずの人に「漫画を描いている=漫画やアニメファン」と決めつけられるのが納得いかないのだろうか。
 もちろん私だって漫画やアニメに全く興味がないわけじゃない。アメリカのカートゥーンとかピクサーとか好きだし。ただ「アニメ好き=日本の美少女が出てくるやつが好き」みたいなイメージが引っかかるのかな。よくわからなかった。

 そんな作り手のモヤモヤをかつてないほどにリアルに描いたのが、この『ウォルト・ディズニーの約束』だろう。
 作り手自身ですら合理で割り切れていない感情に、振り回されるウォルト以下ディズニースタッフ。傍から見れば、この原作者のトラバース夫人は、気難しくて超わがままに見えるんだけど、一つのシンプルかつプリミティブな疑問に突き当たる。なぜ作者は自分の作品に桎梏とも言えるほどの思い入れを持ってしまうのか。
 私はUstreamの放送の最終回で、自分が漫画を描く理由について喋ったんだけど、確かこんな内容だった。
 どんなに現実で嫌なこと、悲しいことがあっても、「いつかその思い出を漫画に使おう」と思えれば乗り越えられるって。それが自分が創作を続けている理由なんだって。
 我ながらいいこと言っているけれど(自分で言う人)、この映画のテーマがまさにそれだったんだ。もちろん作り手は、読んでくれる人を楽しませるためにも作品を作っているんだけど、もっと根本的な理由は、おそらく自分自身への救済なんじゃないかって。

 私、この映画、予告編を見るにてっきり、トラバース「脚本通りにやってください~!」みたいな『ラヂオの時間』的な映画だと思ったんですよ。
 でも、想像以上に重い映画で、しかもすごいメタ。だからこの映画を語るっていうことはメタをメタで論じることになり、自分の歯を噛めないように不可能なわけだ。
 普通の作品なら、人が一生懸命作った作品を、偉そうに一段上から俯瞰して「こういう見方ができるよな」とか「ここは上手いけどここは下手だな」とか考察できるんだけど、この映画の構造自体が、それを既に試みているので、作品と同じ地平に降りて論じるしかない。超越者の超越者にはなれない。
 私が、この映画を恐ろしい映画だと思ったのはそこなんだ。こんなブーメラン映画、天つば映画はないよ。全国のクリエイター震撼の映画であることは間違いないと思う。
 この映画を語ることは、すなわち自分の作り手としての手の内を語ることにほかならない。それは、すごいバツが悪いことなんだ(^_^;)

 そもそも自分に超自信(とコミュ力)があれば、自分を表現する媒体として創作なんて回りくどいことはしないのだ。
 ツイッターなどを眺めていて痛々しいなって思うのは、思いのほかたくさんの人がプライベートな感情をそのまま吐き出せば、本当の自分を受け入れてくれる人がいる、もしくは本当の自分を自分自身が受け入れられると思っていることだ。
 しかし、私はそれは違うと思う。ネットが公的な場所だよとか言う以前に、ありのままの(私的な)自分なんて素晴らしいわけないのだ。
 今、自分がどう思っているかを、まったくの建前なしでつぶやけば、えげつない欲望と、恨みや嫉妬や憎しみ、そういった動物的な感情だけになる。そんな自分を、果たして素晴らしい存在であると肯定できるのだろうか。

 この前『怒り新党』でマツコDXが、巷のモテテクニックについてこんなことを言っていた。

 身だしなみに気をつけるのは、モテ技なんかじゃなくて、社会人として最低限のマナーじゃない?

 よく自然体とか言うけれど、あれも何もしていないわけじゃない。人間は努力して人間になるのだろう。ありのままでは個性も自分らしさもない。ただの「ヒト」ってことなのだろう。
 我々モテない男は、そこをすぐに勘違いする。モテるやつは生まれつき顔がいいから、なにもしなくてもモテるんだ、と。馬鹿である。モテる男は、あ~これはモテて当然だよ、というくらいマメに相手のことを気遣っているし、努力を重ねている。
 誰かに自分のことを受け入れてもらうのは(マズローでいう他者承認欲求)それくらい高度で難しいことなのだ。

 そして、そのための手段としてクリエイターは作品を作り、そのままさらけ出すと確実にドン引きされるであろう、私的な欲求や感情を表現する。
 作品は意識しようとしなかろうと、作者自身のアイデンティティとは切っても切り離せないのだ。その証拠に自分の作品も、十代の頃描いたものと、二十代のころ描いたものでは、作中のテーマやメッセージにおいて、明らかな“変化”が見られる。ある部分は伸び、ある部分は消えてなくなってしまった。
 歳を重ねるということは、それだけ現実に対する視座が広がり、豊かになり、そして相対化されてしまうということなのだ。

 あなたのやっていることは無責任よ。無防備なまま子どもを社会に送り出す。

 私は、トラバース夫人同様、全部主人公の思い通りになり、お気楽で何も葛藤がないアニメや漫画があまり好きじゃない。あれは「作り話ですから」と、創作と現実をわけて考えられないのだ。野暮だと思っていてもダメ。
 現実はそんな都合のいいものじゃない。だから嫌な現実を忘れるために、ああいう作品を見て癒されるという言い分も頭ではわかる。でも共感が致命的にできない。
 リアルと作品が断絶しているなんて考えられないし、それは創作に対する侮辱にも思える。だからトラバース夫人は、ディズニースタジオのやり方や、アニメ、さらにはノー天気なアメリカ人とその文化に対しても徹底的に拒絶反応を示した。
 正直、私が戦艦やクリミアの女性検事を萌えイラストにして遊んでいるのを、馬鹿げているとうんざりしているように。
 彼らは、幸か不幸か創作と現実の“断絶ができる”人なのだ。
  
 約束する。なにがあってもあなたの愛する物語を汚しはしない。

 メリー・ポピンズが子どもたちを救いにやって来たですって?


 この際だから言うけれど、私、あのディズニーランドのCMがダメなんだ。日本のアニメみたいな女の子がディズニーランドでどんどん成長していくやつ。
 あんな人工的な虚構のテーマパークで、あの女の子は生涯を終えるのかっていうのに気持ち悪さを感じたわけで。
 だいたい東京ディズニーランドって私と同い年だからね。まあ本家のアメリカ合衆国も大して歴史がないけれど、ディズニーランドなんてそんなもんだからなあ。トラバース夫人も「あなたの金のなる木でしょう?」とバッサリ(本人に言うのがすごいw)。

 しかし、どんなに悪態をつかれても笑ってくれる運転手ラルフさんとの交流で、トラバース夫人のアメリカ人に対する偏見は少しずつ変わっていく。
 ヘラヘラしているからと言って、彼ら全てが大人になれない子ども、ピーターパンなわけではない。現実は辛く厳しいということは、大人である以上十二分に承知している。夢や魔法なんてありもしない空想だって分かっている。それでも“今を生きるために”必要なんだ。
 確かに夢だけでは食っていけない。つーか生活ができない。かといって、夢が全く無くても人は生きてはいけない。そこがこの世の中の難しいところだ。
 どんなに頭でっかちで、合理的な人にも必ず非合理的な側面がある。それは否定できないだろう。理系の人が美少女アニメのあのメガネザルみたいな眼球に突っ込まないように。
 
 人は皆心の中に子どもがいる。
 
 私は、幼児の頃からすごい臆病な気質だったらしい。ちょっとした段差ですら、怖がってその場で立ち往生(ってまだハイハイの頃だけど)してしまうくらいのペシミスト。今も飛行機が怖いし。それ、この前も言ったか(^_^;)
 そんな昔のことを思い返して、ハッと繋がった。創作が現実とつながっていなければならないというのは、単なる作品を作る上でのモットーやスローガンではない。
 私は創作を通してでないと辛い現実を受け入れられないのだ。
 なんというコペルニクス的転回。そう言う意味で、私は断絶ができる人よりもずっとずっとずっと空想の世界に生きている。空想とは一種のフィルターであり、臆病な私が現実に向き合うための緩衝材なのだ。

 この映画を見て、後味の悪さを感じた人は多いはずだ。そしてそのほとんどが創作をしたことがあるクリエイター気質の人だろう。純粋に「いい映画だったね」と感動して清々しい気持ちで劇場から出ていく人とは違う世界に住んでいる人たち。これは踏み絵なのだ。
 スクリーンの中のウォルト・ディズニーはトラバース夫人ではなく、観客席の我々に向かってこう言っている。

 ・・・で、キミ自身の作品は?
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