『中国化する日本』

 3年くらい前に出た新進気鋭の歴史学者與那覇潤さんの大ヒットベストセラー本。書店でも人気ランキング第一位に入ってたのを見かけたんだけど、なんだかんだでスルーしちゃってて、そういやこの本まだ読んでなかったな、と買ってしまった。
 しかし当時はなんでこんなんがバカ売れしたんだろう。まず「中国化」というワードが「みんな死ぬしかないじゃない」ばりにキャッチーだったことが挙げられよう。
 この「中国化」という言葉が厄介で、まず一般的な歴史学で用いられる「中国化」・・・漢民族を中心とした中華文化に他の民族や国家が取り込まれてしまうような意味合い(台湾など)で使っていない。
 そういう中国脅威論がやりたい人はネット掲示板に行ってください、というわけだ。言っとくけど、この挑発的なセリフはオレじゃないからね!この本に書いてあるんだってば。それに、最後まで読めばわかるけど、お前が行けよってなっちゃうんだけどね(^_^;)
 與那覇さんが言いたいのは、中国の歴史は宗の時代でだいたい完成し、この宗こそが普遍的道徳観を持った独裁権力と“その他大勢”という、現代にも似た流動的な自由主義経済を最初に実現させた先進国で、それに比べれば日本はおろか西洋だって遅れてるぜっていう、高校までの歴史の教科書には載ってないけど、本人曰く大学の歴史学や学会ではもはや定説らしい中国観だ。
 ここまで読んで、親日反中の人は怒ってこの本を放り投げちゃうかもしれないけれど、実は與那覇さんは別に中国を持ち上げて日本や西洋を蔑んでいるわけじゃない。

 というかもっとひどい。こやつは遠まわしに中国も馬鹿にしている。

 日本も中国も西洋もメタレベルでまとめて蔑んで、茶化して(それになぜか映画やアニメなどのサブカルチャーもぶち込んで)ネタにしているという、まあ底意地の悪い本なんだ。
 これは客観的に論証するために、全てを相対化しているわけではないし、むしろ逆だ。自分でもちゃんと定義できていない曖昧な二元論(※でもキャッチー)を絶対的な尺度にしている時点で、全然実証的じゃない。
 與那覇さんが言うように、こんなことに現在の歴史学会がなってるんだとしたら、むしろやばいんじゃないかって思うんだけど(みんな思いつきで議論しとんのかい)、さすがに出版して3年経つとネット上にも冷静な批判をする人たちが現れて、ちょっとホッとしてます。よかった~やっぱり歴史学の人たちもまともなんだっていう。
 こんな「目立てば勝ちなんや」的なやり方でアリなら、真面目に研究をしているたくさんの歴史学者さんがわりを食っちゃうもんな。
 最近では国立大学で文系分野を教育学部を含めてごっそりリストラしちゃえみたいになっているらしいから、そう言う意味で今後は淘汰圧が上がって、どんなインチキやハッタリでもいいから話題になればいいと言う戦略を選ぶ学者もどんどん出てくるだろう。
 だから、小保方さん騒動もそうだけれど、そういうことをしなかれば学者の世界も不景気で食っていけないっていうのが『中国化する日本』の本当の裏テーマなんじゃねえの?って、私は思うよ。

 話がそれちゃったから戻そう。で、古代から現代に至るまでの日本史を、「中国化」VS「江戸時代化」という二元論を強引に当てはめているから、まあほころびがひどくて、ちょっとやばくなってくると、「あの学者も言っています」「学会では常識です」というリーサルウェポンを惜しげもなく繰り出してくるという。
 私さ、学者の本で、「~~さんという偉い人も言っています。だから正しいのです」なんていう論理整合性の担保の仕方をやっている本、初めて見たよw
 もちろん、自分の論の説得力を増すためにほかの学者さんの意見を引用したりするのは、当たり前のことなんだけど、この人のやり方って結局は責任逃れのツールとして使ってるんだよ。つまりもしこの本の理論の矛盾が、賢い奴に指摘されても「いや、これ私のオリジナルな説じゃないんで・・・」って逃げれるわけ(信じられないかもしれないけどこの本はマジでそんな“保険”がいたるところでかけられている。まあ確かにこの二元論自体は別に目新しいものじゃないんだよな。大きな政府か小さな政府かっていうだけの話で、高校の政経の教科書レベルなんだよね)。

 ・・・だから、いろんな学者さんの意見や学説を自分の都合のいいようにパッチワークして、「どうだ、偉い人がみんなこういっている。だからオレは正しい。高校の歴史の知識しかないお前らは遅れてる~wwプ~クスクス」なんて、やられても、まあネット掲示板の歴史オタクならわかるけど、アカデミズムにいるプロの学者がすることじゃないだろっていう。この当事者意識のなさはまさにネット民。
 素人にはアカデミズム=「大学では定説」を振りかざし、プロの学者の批判には「これ誰々さんの説ですから」っていうレトリックは学者として極めて不誠実で無責任だ。その分野に詳しくない人に偉そうに知的スノッブを振りかざす、どこぞの科学オタクと一緒である。
 たけしさんが言うように、オタクとは「有益な情報を知りたい」という価値観で知識を蓄積しているのではなく、「人の知らない事を知っている、オレつええ」という価値観で生きているので(こういうのを差異化という)、情報の中身は正直どうでもいいのだ。相手が知らず、自分だけが知っている情報を持っている、それ自体がオタクのアイデンティティなんだ。

 つまりネット掲示板のオタクを馬鹿にしている割には、この人自身の行動パターンが見事にそんなオタク像と合致していて、もう豪快にブーメランになっちゃってて、これはもう最初からネタとして書いてるのか?って頭を抱えてしまう。
 「~~っていう学者が言っていました、よって正しいんです」を「グーグルで検索したら出てきました、よって正しいんです」に置き換えれば、なんとなく分かるでしょ?
 だから、ホンマでっかTVのノリで読むべき本だったのか??岡田斗司夫ゼミのノリで読む本だったのか????オレにはわからない・・・

 最後にホンマでっかTVの池田清彦さんが歴史について、意外とクリティカルなことを書いていたので引用しよう。

 歴史は物語であり、事実ではないというのは当たり前のことである。

 江戸時代から明治時代になると、我々はあたかもそこで時代がものすごく反転したように思う。江戸時代の最後と明治時代の頭はまったく違うように思う。しかし、当時生きていた人から見ると、実はそれほど大きな差はなく、むしろ連続的な面が強かったろう。
(略)
 たとえば人間の二千年の歴史を再現しようと思えば二千年かかる。
(略)
 そこで、歴史を必ずある同一性でくくって、時代区分をし、適当な物語をはめ込んで、歴史があたかもある同一性でくくれるかのように話すのである。その意味で、客観的な歴史は存在しない。(『構造主義進化論入門』176ページ)


 與那覇潤もホンマでっかTVに出ればいいんだよね。「なんか頓珍漢なこと言ってるけど、しょうがないか、ホンマでっかの人だし」ってなるし。

 與那覇さんは、地歴の教員免許に必要な必修単位(おそらく日本史)にこの本をテキストとして使っているという。そして自説と異なる意見の学生には単位を与えないらしい。恐怖である。
 私の大学にもいたけど、こういうパターナリズムな奴ほど、「学生はもっと自分の意見を自由に言え」とかカッコイイこと言うんだ。言われたら言われで感情的になるのにな。どうせ今の学生なんて自分の意見を言う勇気もないとタカをくくって見下しているのだろう。
 まともな学生なら、こんなデタラメな本は相手にしないはずだ。したがって頭がいい学生は教員になれないというおかしなことになってくる。う~ん・・・教育学部なくてもいいかな(^_^;)
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