秋の内田樹祭り

 やべ、10月大してブログ書かずに終わっちゃう。最近は落ち着いてパソコンやってる時間がなかなか捻出できないし、まあ多少時間あってもソニックブレイド描いているからブログが放置されちゃうんですが・・・というか、やっぱツイッターが良くないね。
 あれで、短文書いてなんとなく満足しちゃうんだよな。ツイッターやめれば、この日記も更新頻度上がるんだろうけど。ツイッターやる前はほぼ毎日書いてたからね。ツイッターとブログを両立できるマロさんはすごいよ。
 え~と、で、最近は病院で本読んでいることが多くて、主に内田樹さんの本なんだけど。『下流志向』で衝撃を受けてからすっかり「たつ兄」と勝手に慕っているんだけど、や、慕っている割には最近はまったくこの人の本読んでなかったけど、久々に内田樹分を補給したくなって。秋の内田樹祭り開催ってことで。実はちょっと前には夏の池田清彦祭りもやってたんだけど、理系の本って割と社会をメタに突き放したようなものが多くてさ、そのあっけらかんとした爽快さが欲しい時もあるんだけど、今は私生活的に文系を欲してるんだよな。

『寝ながら学べる構造主義』
 構造主義をこしさんに教えた時に、こしさんが最初に読んでいた・・・気がする本(^_^;)私は最終的に橋爪大三郎でガッテンしたけど、やはりたつ兄の内田節で構造主義を知るのも切り口としては面白いかもしれない。
 意外とたつ兄、構造主義に大しての自分の意見とかはこの本の中で一切書いていない。意外!しいて言えば歴史や社会の中で懸命に行動することを奨励したサルトルの主張は「こういうの私は大好きなんです」って言ったくらい。確かに好きそうだ。ちなみに私も好きですwつーかそれしか私たちには選択肢がないよね。他人事じゃないんだから。
 あとは本文中で特に説明のキレが素晴らしかった箇所を、ちょと。

巷の入門書について
 専門家のための書物は「知っていること」を積み上げてゆきます。そこには、「周知のように」とか「言うまでもないことだが」とか「なるほど…ではあるが」というようなことばかり書いてあり、読む方としては「なにが『なるほど』だ」と、しだいに怒りがこみ上げてきます。(8ページ)
 そして、知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、実は、「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです。(11ページ)


フーコーについて
 制度に「疑いの眼差し」を向けているおのれの「疑い」そのものまでが「制度的な知」として、現に疑われている当の制度の中に回収されていくことへの不快。そのことに気づかずに「権力への反逆」をにぎやかに歌っている愚鈍な学者や知識人への侮辱。(112ページ)

ラカンについて
 橋爪大三郎ですら「よくわからん」といい、当然私もこの人の言っていることがどこまで比喩で、どこまでガチなのかが分からなかったんだけど、さすがたつ兄。難解だし、ラカン先生の言いたいことのごく一部しか記述できませんとエクスキューズしながらも、丁寧に解説。
 というかこの本を買ったのもたつ兄だったら強敵ラカンもうまいこと説明してくれるんじゃないかなっていう期待があったから。
 ラカンの理解を助けるために、あらかじめフロイトの深層心理学を「構造主義に影響を与えた前史」ということで解説するのは見事としか言い様がない。
 池田清彦さんの『構造主義進化論入門』もそうだけど、やっぱり思想や哲学(及びそれに付随する学術的見解)は当時の文脈、つまり歴史のバックボーンを抑えないとうまく解説できないんだよな。
 感想としては、ラカンのカウンセラーの対話に対する考察って確かにロランバルトのテキスト論に似てる。患者さんと医師の共同作業なんだね。
 相手の言っていることを理解したり病理の原因をつきとめたりするんじゃなくて、聞いてますよって返事をしてあげることがカウンセリングでは一番大事っていう話なわけだ。仮にそれが真実でなくても話すことで救われる、みたいな。
 女性の愚痴を聴くときはちょっとそこらへんまで考えようと思ったけど、多分理解することをペンディングして熱心に聞くって、自分みたいな理屈人間には相当辛いと思う(^_^;)だから男と女は分かり合えないんだろうね。
 そう考えると、この人はなんて心の広い人んだって尊敬しそうになったんだけど、カウンセリング受けて治療費払わない患者には容赦なく平手打ち。社会的コミュニケーションの枠内に戻してあげることがラカン先生のセラピーの最終目標なので、必ずサービスには料金を払わせたそうな。そこはスパルタなんかい!w

フロイトについて
 「無意識の部屋」に閉じ込められて「冷凍保存」された記憶を「解凍」すると、「昔のまま」の記憶が蘇るというふうに考えるのは、おそらく危険なことです。記憶とはそのような確かな「実体」ではありません。(177ページ)

構造主義全体について
 すでに見てきたように、構造主義は党派性やイデオロギー性とはあまり縁のない、どちらかといえば象牙の塔的な学術
 これは私もこしさんに構造主義を紹介する時に力点を置いて説明したところ。現代の科学的アプローチと親和性が高いのも、構造主義が特定のイデオロギーを持たず、メタ的に相対化するからだろう。しかし当初はサルトルに代表される実存主義ブームと激戦を繰り広げたことは、実は高校倫理でも習う人は習っている。

『呪いの時代』
 「言葉が届くとは分かり易く書くということではありません」と、わかりやすく書いている内田さん。尊敬だ。自分の世代的にポストモダンとかニューアカとかじゃないからな。こういったラディカルな記号化に対するアンチテーゼの方がしっくりくる。アニメとか映画とかでもSNSが出てくるとなんか抵抗があるし。
 こんなに普及しているのになんでなんだろ?オレはもう時代おくれおじさんなのか!?って思って、ちょっと考えてみたんだけど、ネットってパブリックな場にプライベートな私念をぶちまけるから、あれなんだよね、その、美少女アニメで美少女がトイレでウンコしているところは書かないじゃん。そういうことです。わざわざウンコを作中取り上げることもないよなって。
 そんな感じで第1章、第2章はネットプロレスへの批判。第3章は日本の政治家のリーダーシップについて。これは『補訂版政治学』第15章「政策過程」とほとんど同じ内容だけど、表現が面白い。
 第6章は昨今話題・・・いや、もう廃れてる?の草食系男子について、ペルソナ的に考察。ペルソナは沢山あるに越したことはないっていう意見新しいなw
 第10章と第11章は原子力問題と科学哲学なんだけど、原子力という制御できない強大な力に対する(内田さんが推察する)欧米と日本の対応の違いがすごい面白かった。
 この内田説によればジュラシックパークは欧米よりも(戦後の)日本人のが心に突き刺さって、ゴジラは日本人よりも欧米の人のが感情移入するに違いない。恐竜という強大な力を前者は金儲けのビジネスに過ぎないと卑小化させて、現実的な恐怖心を押さえ込んだわけなんだから。
 また、科学の説明がなかなかの内田節で面白かったので引用。

 科学性というのは端的に言えば、「世界の成り立ちについてのあらゆる理説には賞味期限があり、かつそれが適用される範囲は限定されている」という肚のくくり方のことである。「言い換えれば、自分の使える知的な道具の有限性、自分が準拠している度量衡の恣意性、自分が自称を考量する時に利用する計測機器の精度の低さについての自覚のことである。さらににべもない言い方をすれば「自分のバカさ加減」についての自覚のことである。(300ページ)

 この本では、フランス哲学の専門家だったたつ兄が特にレヴィナスに深い影響を受けているのもわかる。確かにポストモダン的でないエシカルな思想家という意味ではレヴィナスと共通点あるかも。・・・と、思ったら、『街場の共同体論』で「僕の哲学的な師はレヴィナス先生です」って公言してました(^_^;)

 汝、呪うなかれ。
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