教育哲学覚え書き

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。そして元旦さっそく勉強をしている私。エライ!というか、今年の冬休みって今日しか休みがないんですよ。だから勉強できるときにやっておかないと。私エラいぞ(二回目)。
 というか宿敵の日本史が年末に攻略できたことで、今ちょっと向上心がモリモリなのかもしれない。去年の今頃は脳のキャパシティがオーバーして参考書放り投げてたけどね(^_^;)・・・あれはオレじゃねえ!

参考文献:小沢周三、小沢滋子、影山昇、今井重孝著『教育思想史』

ソクラテスの対話法
紀元前5世紀頃登場したソフィストと呼ばれる職業教師は、オリエント文化と交流が深い新しい植民都市の出身者が多かったため、伝統的なギリシャの慣習にとらわれることなく、既存の価値観を相対化した。彼らはアメリカのセレブ御用達の弁護士のように、何が正しいか正しくないかは置いておいて、訴訟に勝利するための法廷での振る舞い方、弁論術を有料で教えていた。
当時活躍したアリストファネスは古き良きアテナイを愛する作家であり、自身が書いた喜劇『雲』において、ソフィストによるラディカルな教育論や相対主義の功罪を描いた。この劇においてソフィストと共に痛烈にカリカチュアされたのがソクラテスである。作中ソクラテスは若者を堕落させる利口ぶった破壊的哲学者として描かれ、まるでソフィストの代表格としての扱いであったが、実際のソクラテスはむしろソフィストの相対主義を批判し、人間がよりよく生きる普遍的な原理を追求していた本質主義者だった。とはいえ、アリストファネスから見れば、どちらも皮肉(エイロネイア)を用いる、口が達者な憎たらしいインテリに見えたのかもしれない。
ソクラテスは相対主義と、それに伴う道徳の軽視(=エゴイズム)がはびこった当時の国家を改善するためには、若者を教育し直さなければならないと考えていた。
当時のソフィストの言い分は以下のようなものである。

法律→多数者が勝手に取り決めた。パターナリズム。
国家の秩序→勝手な拘束。パターナリズム。
道徳→政治教育による洗脳。パターナリズム。
神々の信仰→自由な活動を規制するためのオカルト。パターナリズム。

ポストモダニストやリバタリアン(とそれを誤解したツイッタラー)が主張しそうなことはこの当時のソフィストによってだいたい論理展開されていたといえよう。例えば、哲学者プロタゴラスは「人間こそが万物の尺度」だという有名な言葉を残している。
ペロポネソス戦争によって、これまで普遍的なものであると信じられていたアテナイの伝統的価値が揺らぎ、主観は客観に勝り、何が善く、何が美しく、何が正しいのかは個々人の自我が恣意的に決めているに過ぎないとうそぶくソフィスト。そんな彼らの鼻をあかしたのがソクラテスだった。
倫理的義務や行為は、個人的な好み(ドクサ)に由来はせず、精神の本質である正しい知(エピステーメー)に由来するとしたソクラテスは、「ソクラテスより賢い人間はいない」というデルフォイの神託を確かめるために、名だたる賢者、政治家、芸術家を訪ねた。ソクラテスはその際、自分の主張はせず、ひたすら聞き役に回り、相手の論の矛盾点を指摘した。これを対話法という。対話法は産婆術が得意だった母親を持つソクラテスが、自分は賢者ではないけれど助産師のように他の人が知を生み出すサポートくらいはできるのではないか、と考えていたことに由来する。
さて、この対話法の結果は散々なものだった。世間で賢者とされる人々は自分自身を頭がいいと思い込み、自分が専門とする領域の知識は豊富でも、人生における哲学的命題(善美の問題)については何も知らなかったのだ。彼らに決定的に欠けていたものは「自分が無知であることを知る」というメタ的な自己認識(…と謙虚さ)である。
そしてこの「無知の知」をソクラテスは誰より心得ていた。これによりソクラテスは当時のどんなインテリよりも賢かったことが証明されたのである。
しかし魂(プシュケー)に徳を備えることが人間の卓越性であると考えたり、知性を持つ有徳者ではなく、クジで代表者を決めてしまう当時のアテナイの民主政治を批判したソクラテスは、アリストファネスのような誤解も含めて若者に危険な思想を流布していると捉えられ、最終的には処刑されてしまう。退廃したアテナイ市民の周りをうるさく飛び回り、その無知に対して警鐘を鳴らした「アブ」の死であった。

プラトンの教育思想
プラトンはイデア論で有名な古代ギリシャの哲学者で、師匠のソクラテス同様、普遍的な真実の知であるエピステーメーが存在すると考えた。しかし人間はイデア(永遠不変の本質)の虚像にすぎない現象界に住んでおり、理性でイデアを捉えエピステーメーを獲得しなければならない上、それができる人間は限られている。
プラトンは人間の魂の性質を理性をもつ魂(支配者階級)・気概を持つ魂(防衛者階級)・欲望を持つ魂(生産者階級)の三つに分けた(三分説)。これに対応する徳はそれぞれ知恵・勇気・節制であり、全ての人が自分の天分を守ると正義の徳が成立する。この知恵・勇気・節制・正義をギリシャ4元徳と言う。
プラトンは知恵の徳を持つ理性的な人間が王にふさわしいとし、理想国家の実現には、哲学者を王にするか、王を哲学者にするべきだと考えた(哲人政治)。そのための教育メソッドが『国家』に記述されている。

17、8~20歳までは音楽と体操
20~30歳までは算術、幾何学、天文学、音調学
30~35歳までは弁証法を学ぶことで善のイデアを認識できるようにする。
この教育を受けた人が35~50歳までのあいだ実務を修練して哲人王として国家を統治する。

これは良い王を育てるための教育であり、近代の公教育とは意味合いが異なる(帝王学に近い)。だが哲人王にふさわしい人物を見つけ、その人の素質にふさわしい教育を順序だてて行うという意味では、カリキュラム論の先駆けであるともいえる。

モンテーニュの『エセー』で示される教育観
モンテーニュはルネサンスの人文主義者。
遊びを通した自由な教育や、子どもの特性に合わせた教材の選択や支援、そして、それを行なう教師の資質や専門的能力を重視したエラスムスの教育法を学んだ両親によって育てられた。
モンテーニュは子育てを親が行うとどんなに賢い親でも甘やかしすぎてしまうので、他人(=教師)に任せるべきだと考えた。そして、子どもにどんな教師を付けるかによって教育の成果は決まると、教師の役割と、その選択の重要性を主張した。
教師の選択基準について、モンテーニュは、その教師がどれだけたくさんの知識を知っているのかよりも、人格や判断力を重視すべきだと考え、古代ギリシャの知徳合一を評価した(主知主義的な詰め込み教育を否定したと言える)。
教育の最終的な目標を徳のある人格の涵養であるとしたモンテーニュが特に重視した学術分野は歴史と哲学である。歴史は年号を丸暗記するのではなく、過去の人物や出来事を追体験し、自分の判断力の育成に活かすことを、哲学は小難しいことをしかめっ面で考えるのではなく、頭を柔らかくして楽しんで学び、それを自分の人生の生き方に具体的に役立てることを主張している。実学的なのだ。
さらに徳の涵養については大人、子ども、愚鈍、利発関係なく、快楽を育むものであり、それを養うのは努力ではなく節制であるとした。
また、教育とは、教科書だけではなく、あらゆる事物や経験を通して行うことができるとし、強制や体罰に訴えず子どもの自主性を重んじるべきだと考えた。これはルソーの教育論に影響を与えている(間違った行動も子どもの自由にさせ、その結果自業自得で苦しませることで、それがいけないことだと子ども自身に気づかせる手法など)。
ほかにも、モンテーニュは旅行の教育的意義(異文化体験)を説いている。

ルソーの教育論
ルソーはフランスの啓蒙思想家。近代教育思想の始祖、子どもの発見者といわれる。
当時のヨーロッパでは「子ども」という概念は実はなかった。子どもは「小さい大人」とみなされ大人と子どもは区別されていなかったのだ。ルソーは子どもが大人とは異なる独特の存在であることに着目し、その発達的特性を踏まえた教育メソッドを『エミール』において表したのである。
さて、ルソーは人間の理性を礼賛したほかの啓蒙思想家とは異なり、文明を否定的に捉える特徴がある。つまり人々の不平等の起源は文明(私有財産制など)であり、人間は理性によって人間になるのではなく、心情によって人間になると主張した。
ルソーの提唱した教育は「自然」「人間(他者の働きかけ)」「事物(物質的環境)」の三つの要素から成り立つ。この中で人間の力でどうにもならないものは自然であり、この3つの要素を調和させるためには、自然に人間と事物を合わせるしかないと考えた。
ルソーは、文明と離れた自然の状態によって育てられた人間は、人間本来の姿を持ち、自分自身の価値が自己の内部に存在するが、その対極である社会人の価値は、社会との関係という外部基準によって決まるものであるとした。
ルソーは「教育とは機械ではなく人間を作るものである」という有名な言葉を残しているが、ここでいう「人間」とは「もっぱら自分のためだけに教育された人間」を言う。これは自分自身さえよければいいという利己的な人間ではなく、人間として生活することができる能力を持った存在を指す。つまり肉体的にも精神的にも自立した存在を理想としている。この生きる力は、本来自分自身の内部にあるものであり、これを自然と呼んだ。
自然が人間の中で発達するには、

感性的判断(幼少年期)
悟性的判断(少年期後期)
理性的判断(青年期)


の3つの段階を経る。
幼少年期では子どもを自然に触れさせ、他人の手助けなしに必要なことをやらせるべきだとする。これにより子ども自身が自力で出来る範囲を知り、それに合わせて自分の欲望を抑制することができるようになる。
少年期後期では、学問を愛する趣味を与え、それが最も高まった時に学問を学ぶ方法を教える。この時期はひとつの対象に意識を持続的に向けられるように慣らす時期であり、子どもに学問を強制せず、子どもの欲求に基づいて学べるように配慮する。
これは子どもの理性に権威に服従する癖をつけさせないと同時に、自由な発想で規則性を発見したり、観念を整理したり、道具を工夫して使えるようにさせるために大変重要なことである。
教育とは大人が子どもに何かを詰め込むことではなく、子どもを援助し付き従うものなのである(消極教育)。教師は子どもが望むものを手の届くところに置いて、その欲望を生じさせ、それを満たす手段を提供させるだけでよく、学習の主体は子どもなのである。
青年期では自分以外の他者との関係を通じて自己を研究することが課題となる。これが人間の生涯の仕事でもあり、社会秩序の中で調和を保ちながら生きていくことを学ばなければならない。しかし情念を整備するのは人間ではなく自然であるとし、自然の中で人間は己の弱さを知り、その弱さが人間を社会的にするのである。

ヘルバルトの教育論
19世紀に教育学を科学的に体系化した人物として知られる。
教育学は教育者にとって必要な科学であるが、教育者は、相手に伝達するために必要な科学知識を持っていなければならないとし、教育が単に経験や慣習だけで行われてはいけないと考えた。
モンテーニュは教師の資質について知識よりも人格や判断力を重視したが、主著である『一般教育学』で「教授のない教育など存在しない」と論じたヘルバルトは、知識を再評価したと言える。
実際ヘルバルトは、子どもの自主性を重視したモンテーニュやルソーの教育観について批判を行っている。子どもを自然に任せるのではなく、教師の適切な手だてによって子どもの興味を引き出すことが重要なのだと考えたのだ。
ヘルバルトは、教育の目的(品格の陶冶)を実践哲学、手段を心理学に依拠した上で、「専心」(一つの対象に没頭すること)と「致思」(専心で得た知識を結合させること)の二つの概念からなる4段階教授法(明瞭、連合、系統、方法)という科学的なメソッドを組み立てた。

「明瞭」学習内容を限定化することで目当てを明確化する段階
「連合」明確化された学習内容を別の知識と調整する段階
「系統」連合で学習した知識を系統化する段階
「方法」系統化された知識を応用する段階


ヘルバルトのメソッドはツィラーやラインによって継承及び発展するが(5段階教授法になる)、後にディーイらに主知主義と批判される。

デューイの教育論
デューイはアメリカ生まれの哲学であるプラグマティズムを唱えた教育学者。
知識とは環境に適応するための道具なのだと主張(道具主義)。
知識とは常に修正を繰り返す仮説であり、普遍的な真理は存在しないというデューイの主張はダーウィニズムの影響を受けている。
倫理もその時の状況において道具として役に立つかどうかが重要だとした。
このような考え方は問題解決学習(子どもの自発性を重視する児童中心主義)としてアメリカの教育に大きな影響を与えた。
デューイの教育論はしばしば児童中心主義の側面のみが強調されるが、実際には子どもの4つの衝動(社会的衝動、製作の本能、探求の本能、表現的衝動)を前提とした教育者の指導の重要性も指摘している。その上でデューイは子どもの性格と無関係に学問の体系を押し付けても教育的な効果は少なく、子どもが抱く興味や衝撃を前提にして指導を行う重要性を説いた。
さらにデューイは「子どもは為すことによって学ぶ」と、木工、金工、裁縫、料理といった生活に役立つ作業によって社会的な意味を理解させるという学習法も提示している。

福沢諭吉の教育観
福沢諭吉は明治時代の武士であり、『学問のすすめ』というベストセラーを世にだした教育者でもある。この本の初編で、世の中の身分の違いや不平等は学問のあるなしによって生まれるとし、生まれた時は皆平等であり、さらに明治時代からは、誰でも学ぶ機会が等しく与えられるのだから、誰もが学問を収めなければならないと啓蒙した。
ここでいう学問とは専門的で難しいことをたくさん覚えるといったことではなく、手紙の書き方や帳簿のつけ方、計算の仕方といった普通の生活に役に立つ学問、つまり実学である。
明治時代からは生まれや身分によって社会的地位が決まるのではなく、その人の人間性や才能によって社会的地位が決まる。つまり社会的地位が高い人が尊いのは、その人自身が尊いのではなく、国家のために尊い仕事をしているからである。なにも学ばず、働かず、行動をしない恥知らずな人々が増えると、当然社会の治安は悪くなる。そうすると社会秩序のために政府は規則を締め付けなければいけない。国家をよりよくするためにも、全ての人が学問を修めることを奨励したのである。
その意味で福沢諭吉は機会の平等は評価するものの、結果の平等は本人の学習次第であると実力主義を認めている。一身独立して一国は独立する。この主張に、強い主体性を持った国民が国家をよりよくしていくという近代西洋の政治哲学の影響が見て取れる。
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