江戸時代後期
18~19世紀。
都市だけではなく農村にも貨幣経済が発展したことで、貧富の格差が深刻な社会問題となった。
これに対し幕府は、江戸の三大改革をはじめとする様々な政治改革を行なったが、うまくいかず諸藩や民衆の不満は増大していく。
またロシアやイギリスといった列強国が日本に迫り、国内外共に問題を抱えることになった。これを江戸時代の内憂外患と言う。
徳川吉宗
8代将軍。
1716年に7代将軍家継が早死し、家康の血統が途絶えたため、紀伊の藩主である彼が次の将軍に大抜擢された。この反省で、吉宗の次男の田安家と、四男の一橋家ができている。
暴れん坊なイメージがあるが、実際な質素堅実な人で、いくら天下泰平の世でも浪費グセが付いたら非常時にいっぱい働けないと、素食を続けた。
吉宗は側用人の側近政治をやめ、初代の家康のように自ら率先して政治を行ない、大岡忠相を江戸町奉行に任命するなど有能な人材を積極的に登用した。
大岡忠相は、お白州が有名だが、たびたび大火災に見舞われた江戸の防火対策(火除け地の設置や、町火消しの組織など)などにも尽力している。だからドラマではサブちゃんと仲がいいのね。
ちなみに大飢饉や疫病で亡くなった人々を弔うというコンセプトで隅田川花火大会を開いたりもしている。
享保の改革①足高の制
町奉行のポストは3000石の石高がないと就けなかったが、身分に関わらず有能な人材を登用したかった吉宗は、その人が不足する石高を在職中に限って支給した。
例えば石高2000石の人を使いたい場合、1000石を支給し就任させた。
享保の改革②上げ米の制
1722年。大名に1万石につき米100石を上納させた。その代わりに参勤交代の負担を半分にした(江戸にいる期間を半分にした)。
享保の改革③定免法
豊作凶作にかかわらず年貢率を固定し、年貢率を4割から5割に引き上げた。
享保の改革④株仲間公認
物価を安定させるため、株仲間を公認。製造、販売の独占権を与える代わりに税を課した。
享保の改革⑤新田開発
商人の力を借りて米の増産を狙った。
幕府の石高は1割以上増加し、これらの取り組みから吉宗は米将軍と呼ばれた。
享保の改革⑥相対済まし令(あいたいすましれい)
借金の訴訟を幕府は一切受け付けず、当事者同士で解決させた。
享保の改革⑦勘定所再編
勘定所を司法担当の公事方と、財政担当の勝手方に分けた。
享保の改革⑧サツマイモの普及
青木昆陽に普及させた。サツマイモは甘藷(かんしょ)と呼ばれた。
享保の改革⑨目安箱設置
庶民の意見箱。ここに届けられた意見によって、ドラマでもお馴染みの貧しい人を対象にする医療機関、小石川療養所が設置された。
享保の改革⑩公事方御定書
裁判の基準を明確化。奉行の気分とかでなく、ちゃんと判例に則った裁判をさせた。
問屋制家内工業
有力百姓である豪農と、都市の問屋が手を組み、農村に資金や原料を投入して組織された。
逆に貧しい小百姓や小作人たちは豪農と対立、労働問題が起きた。
百姓一揆
享保の改革後に頻発。
17世紀初めには旧侍層の土豪が中心だったが、17世紀後半になると村の代表者が領主に直訴する代表越訴型一揆(だいひょうおっそがたいっき)になった。下総の佐倉惣五郎といった一揆の代表者は、大塩平八郎的に伝説化している。
17世紀末には、武力を伴う大規模な惣百姓一揆に発展、藩領全域に及んだものは全藩一揆と呼ばれた。
享保の飢饉
1732年。冷夏とイナゴやウンカの大量発生による西日本の大飢饉。
これにより江戸の米の価格が高騰、打ちこわしも起きた。
田沼意次
10代将軍徳川家治に厚く信頼され、側用人から老中に大出世した人物。
経済に明るい彼は、商業活動を利用して財政再建を目指し、定量計数の銀貨である南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)の鋳造(それまでは銀の塊を重さで測ってちぎっていた)や、幕府直営の銅座、真鍮座、朝鮮人参座などの設立を行なった。
他にもロシアとの交易の可能性を探るため、最上徳内(もがみとくない)を蝦夷地に派遣している。
これらの改革によって商業活動は活性化したが、賄賂やコネによる人事が横行、武士の風紀は乱れた。
そんな田沼意次の時代には、浅間山が噴火したり、天明の飢饉が起こったりと多数の死者が出るような大事件が相次ぎ、さらに対外貿易を考えていた息子の田沼意知(たぬまおきとも)は旗本に刺殺、彼自身も将軍の代替わりの際に罷免された。
松平定信
11代将軍徳川家斉の老中で、徳川吉宗の孫。福島県白河藩の藩主。
田沼意次の政治を改め、質素倹約をうたった吉宗を理想に諸改革にあたった。
寛政の改革①農村再興
飢饉で食い詰めて江戸に流れていた農民たちに、旅費を出して農村に帰らせた。
そして次の飢饉に備えて穀物倉に米を蓄えさせた。
寛政の改革②都市の治安回復
無宿者や再犯の恐れのある犯罪者を人足寄場に収容し職業訓練を行なった。
北野武監督の『アウトレイジ ビヨンド』でも中尾彬さん演じるヤクザの親分が、刑務所のことを寄場というが、ここから来ているらしい。
寛政の改革③風紀の引き締め
朱子学のみを正当な学問とし、幕府の統制下の学校で朱子学以外を教えるのを禁止させた。これを寛政異学の禁と言う。
また庶民の楽しみだった娯楽小説を次々に規制、銭湯の男女混浴も取り締まり、あまりに厳しい改革は、将軍、大名、庶民すべての反感を買い、「白河の 清きに魚の 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」や「こんな世の中じゃ長生きしたくないポイズン」など、汚職にまみれた田沼時代を懐かしむ風潮さえ生まれた。
尊号事件
1789年。実父の典仁親王に上皇の尊号を贈ろうとした光格天皇が、松平定信に拒否され、これに関わった武家伝奏などの公家が処分された事件。
これにより松平定信は将軍家斉と対立し、退陣した。
また幕府と朝廷の協調関係は崩壊、天皇の権威は尊王論とともに高まっていく。
徳川家斉(とくがわいえなり)
11代将軍。
質の悪い貨幣の大量生産で幕府財政を一時的に潤わせたが、大奥とともに浪費生活を繰り返した。
これにより物価は高騰、農村は荒廃、治安は悪化したため、家斉は1805年に関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく)を作り、関東の巡回させた。
また1827年には関東地方の村に寄場組合を作らせ、地域を警備させている。
徳川家慶(とくがわいえよし)
12代将軍。
1837年に家斉から将軍職を譲られる。しかし実権は大御所となった家斉がやっぱり握っていた。
江戸時代の内憂外患
天保の大飢饉:1830年代の連年の大飢饉で百姓一揆や打ちこわしが多発。
大塩平八郎の乱:幕府の役人の大塩平八郎による貧民救済のための武装蜂起。
生田万の乱(いくたよろずのらん):大塩に影響を受けた国学者の反乱。
ラクスマン:ロシア大使。1792年に根室に来航。
近藤重蔵と最上徳内:1798年に択捉島を調査。
レザノフ:ロシア大使。1804年ラクスマンの入港許可証を使って来航。幕府に追い返された。
間宮林蔵:1808年に樺太を調査。
ゴローウニン:ロシア軍艦艦長。1811年に国後島に上陸し逮捕、抑留された。
フェートン号事件
1808年。イギリス軍艦フェートン号が、オランダ船を追って長崎に侵入、日本のオランダ商館職員を人質に、水や食料を要求して退去した事件。
これを受けて、幕府は1825年に外国船の撃退を命じる外国船打ち払い令を出した。
モリソン号事件
1837年。アメリカ商船モリソン号が来校し、漂流した日本人の返還と貿易を求めたが、外国船打ち払い令によって撃退された。
これを批判した渡辺崋山や高野長英は幕府によって勉強会ごと処罰されてしまう(蛮社の獄)。
水野忠邦
大御所の徳川家斉が亡くなったあと、徳川家慶のもとで政治を主導。
享保の改革と寛政の改革を手本に、権威を失いつつあった幕府の立て直しを図った。
天保の改革①倹約令
贅沢三昧の将軍や大奥にまで適用。
人情本を規制するなど、庶民の風俗も取り締まったため、庶民から非難轟々だった。
天保の改革②人返しの令
百姓の出稼ぎを禁止。江戸にいる貧民を強制的に帰郷させた。
飢餓で荒廃した農村の債権を図ったものだったが、江戸を追われた無宿者や浪人が江戸周辺の農村に流れたため、スラム化、治安が悪化してしまった。
天保の改革③株仲間の解散
徳川吉宗や田沼意次が奨励した株仲間を、物価高騰の原因であるとして解散。
しかし物価上昇の本当の原因は、生産地から上方市場への商品流通量の減少、すなわちディマンド・プル・インフレーションであり、株仲間の解散は商品流通量をさらに減少させてしまった。
天保の改革④棄捐令(きえんれい)
困窮する旗本や御家人を救うために、幕府から旗本や御家人に支給される米の仲介業である札差(ふださし)に低金利の融資を命じたが、札差に不満が残った。
天保の改革⑤上知令(あげちれい)
江戸や大阪周辺の50万石の土地を直轄化し財政の安定を狙ったが、譜代大名や旗本の猛反発を受けて実行できなかった。
工場製手工業(マニュファクチュア)
天保の改革の失敗の背景には農村の変化もあった。
19世紀前半の農村では、工場制手工業が発展し、生活に困った百姓は田畑を捨てて工場の賃金労働者に転職してしまったのである。
こうなると当然、幕府は年貢を取り立てられないので、幕藩体制の根幹が大きく揺らぐことになった。
藩政改革
頼りにならない幕府に見切りをつけた諸藩は、中級下級武士から有能な人材を取り立てて、藩営専売制や藩営工場設立など、自ら藩政改革を行い出した。
これを成功させた藩は雄藩と呼ばれ、薩摩、長州、土佐、肥前など明治維新の中核を担った藩が該当した。
雄藩①薩摩藩
藩主島津斉彬が鉄の精錬に使う反射炉や造船所、ガラス製造所を建設。
調所広郷(ずしょひろさと)は黒砂糖の専売強化や琉球王国との貿易で財政を再建した。
島津斉彬から藩主を継いだ島津忠義はイギリス人技師の指導のもと、日本初の器械紡績工場を建設、スコットランド商人グラバーから洋式武器を輸入して軍事力を強化した。グラバーって死の商人だったんだ。
雄藩②長州藩
村田清風(むらたせいふう)が紙やロウの専売制を整え、越荷方(こしにかた)を設置し、下関を通過する貨物船から商品を購入、その委託販売などを行った。
雄藩③土佐藩
おこぜ組という改革派の藩士たちを起用。支出を緊縮させた。
雄藩④肥前藩
藩主鍋島直正が均田制で農村を復興。有田焼などの陶磁器の専売によって財政を再建させるとともに、反射炉を備えた大砲の製造所を作るなど軍事力を強化した。
江戸時代後期の学問
元禄時代の古典研究が発展した国学が登場。
儒学に比べて自由な研究が行われ、批判精神も強まった。
国学
荷田春満(かだのあずままろ):外来思想は儒学も、仏教も、洋学も全て排除。
賀茂真淵:たおやめぶりを女々しいと批判。
本居宣長:『古事記伝』。たおやめぶりを真心の表れと評価。
平田篤胤:復古神道。
洋学
西川如見(にしかわじょけん):長崎でヨーロッパの見聞を記録。
新井白石:イタリア人宣教師シドッチから得た知識を『西洋紀聞』などに記録。
徳川吉宗:青木昆陽や野呂元丈にオランダ語を学習させた。
前野良沢と杉田玄白:『ターヘルアナトミア』を翻訳。
大槻玄沢:太陽暦の元旦にオランダ正月として新年会を開催。蘭学の入門書『蘭学階梯』を書いた。
稲村三泊:大槻玄沢の弟子。蘭日辞書の『ハルマ和解』を作成。
平賀源内:物理学者。エレキテル(静電気発生装置)の研究。
伊能忠敬:ティコ・ブラーエやケプラーなど西洋天文学を勉強し、彼を一目置いた徳川家斉の命令で17年かけて大日本沿海輿地全図を作る。
志筑忠雄(しづきただお):オランダ通訳者。『暦象新書』でニュートンやコペルニクスの説を紹介。
緒方洪庵:大阪に蘭学校の適塾を開く。
シーボルト:ドイツ人医師。長崎に鳴滝塾を開く。シーボルトは帰国の際に日本地図を勝手に持って行っちゃったので国外追放になった。
江戸時代後期の教育
藩が作った学校は藩校と言い、城下町から離れた場所に藩によって作られた学校は郷校(ごうこう)と言った。
大阪町人の出資によってできた懐徳堂からは、既成の学問を合理主義的に疑問視した、富永仲基や山片蟠桃が出た。
寺子屋は庶民の初等教育期間で、この時代に爆発的増加。
長州藩士の吉田松陰は松下村塾を開き、呉服屋に奉公した経験のある京都の石田梅岩は石田心学を開いた。
尊王思想
朱子学の大義名分論から。天皇が日本の王者という考えで水戸学などが主張。
日本で一番偉いのは将軍という幕府の立場を否定する考えなので、度々問題になった。
18世紀半ばには、竹内式部が京都の公家に尊王論を説いた宝暦事件や、尊皇論で幕府の腐敗を批判した山県大弐が処刑される明和事件などが起きている。
幕末になると、水戸藩の藤田幽谷と藤田東湖親子によって、攘夷思想と合体し、尊王攘夷運動となる。
安藤昌益
八戸の医者。『自然真営道』で当時の身分制度や封建社会を批判。
戦後にカナダの外交官ハーバード・ノーマンによって「日本に忘れられた思想家」として再評価される。
本多利明
『西域物語』において、西欧諸国と交易したほうが日本は豊かになるというデビッド・リカード的な自由貿易を主張。
佐藤信淵(さとうのぶひろ)
こちらも経済学者。『経済要録』で、産業の国営化と、海外貿易による振興策を提案。
海保青陵(かいほせいりょう)
『稽古談』で朱子学の影響で商人を見下す武士の偏見を批判。
化政文化
実は江戸時代に「化政」という元号はない。
12代将軍の徳川家斉の時代の文化期と文政期に江戸で町人文化が起きたため「化」と「政」を足して化政文化と呼んでいる。
化政文化の文学
出版物や貸本屋の普及で読書は民衆のものになった。
その題材も彼らにとって身近な政治や社会の問題が取り上げられ、洒落本(風俗本。キャバクラ潜入ルポみたいな内容)作家の山東京伝の『仕懸文庫』や、表紙が黄色い風刺漫画の黄表紙など、寛政の改革で規制された作品もあった。
コメディタッチに庶民の生活を描いたのが滑稽本で、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』、式亭三馬の『浮世風呂』がある。
人情本は恋愛を題材にした小説で(ハーレクイーン的な)、『春色梅児誉美』の為永春水は、内容がエロいと天保の改革で処罰された。
挿絵がない活字オンリーの小説は読本(よみほん)と呼ばれ、読本を初めて書いた上田秋成の『雨月物語』や、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』などがある。
『南総里見八犬伝』は鳥山明の『ドラゴンボール』や三谷幸喜の『合い言葉は勇気』の元ネタになった、室町時代が舞台の大ヒット長編小説で、単行本はゴルゴ並みの全98巻、滝沢馬琴は他の作品も掛け持ちした人気作家だったため、完結までに28年もかかった。
俳壇では、画家でもあった与謝蕪村、『おらが春』の小林一茶がいる。
今なお大人気な川柳(世相を風刺する季語無し俳句)は、この時代に柄井川柳によって誕生した。というか人名だったのね。
一方の狂歌(世相を風刺する短歌)には、大田南畝などの作家がいたが、やがて川柳に押された。
人形浄瑠璃の脚本では、忠臣蔵を南北朝時代にバージョンチェンジした『仮名手本忠臣蔵』の竹田出雲、武田氏と上杉氏の争いを描いた『本朝廿四孝』の近松半二&三好松洛、『東海道四谷怪談』の鶴屋南北などが有名。
都市文化
芝居小屋や見世物小屋、講談や落語などの寄席、縁日、聖地巡礼、寺社参詣・・・特に伊勢神宮への参拝ツアーは一大旅行ブームを巻き起こし、年間旅行者数500万人に登ったことがある。
化政文化の美術
まずは浮世絵。
鈴木春信は多色版画の錦絵を創始し、代表作「ささやき」を発表した。
他にも美人画の喜多川歌麿、役者絵や相撲絵の東洲斎写楽、風景画の葛飾北斎、歌川広重など。
写生画には、遠近法を取り入れた円山応挙(足がない幽霊を最初に描いた人)や呉春、文人画を描き与謝蕪村と合作した池大雅(いけのたいが)などがいる。
油絵具とともに西洋絵画も伝わり、日本の銅版画の創始者で浮世絵作家でもあった司馬江漢(しばこうかん)など日本人の西洋画作家も生まれた。
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