主に板倉聖宣を学ぶ単位。
しかし歳をとると思考の嗜好も変わるんだな~、若い頃はこういう竹を割ったような主張が好きで、衒学的なこと言う奴をこのオレに分かるように説明できないこいつがバカとかボロクソに言ってたんだけどさ、まあ衒学的なのは今も大嫌いなんだけど、そのさ、自分を賢く見せようとしてわざと難しい言葉を使うんじゃなくてさ、まだ言語化されていないような新しい概念とか思想をなんとか一生懸命ひねり出そうとしたうえでのよくわからなさっていうのも世の中にはあるじゃん。
で、そういう、綾みたいなものがある思想の方が、最近は「え?どういうことだろう??」って知的好奇心が刺激されて、心に残ったり、好きだったりする。
言い切られちゃうとこっちはさ、ちげーよかよくぞ言った!しかないじゃん。ツイッターの発言なんかはそんなんばっかなんだけどさ。
やっぱりさ、世の中にはよくわからないとか保留っていうのも大事だよなって。そっちの方が世界は豊かなんじゃないかってね。
んでさ、板倉さんはさ、本当にバッサリわかりやすく言ってくれる人でさ、科学哲学なんかを始めて学ぶ人はさ、もう究極的に分かりやすいから、ネットで喧々諤々な不毛な議論してねーで、この本を一冊読めばいいだろって思うんだけどさ、この人はパラダイム・シフトを認めてなくてさ。
あれはアメリカで流行っているからみんな使っているだけで、植民地根性が抜けないんだよなあ、って言ってて、それはそれでいいんだけど、板倉さんのこの「なんで回路をつなぐと電気が流れるんですか?」って聞かれて電気が流れるように作ってあるからですって答えちゃう、この潔さっていうか、自明なことはいちいち突っ込むんじゃねーよ的な、行動主義的な態度は、すごいアメリカ哲学っぽいよなっていうw
あいつらって神がいるかどーかは知らねーけど、その人が神を信じて幸せなら、とりま有用なんじゃねーの?みたいなこと言うじゃん。このズバリ言うわよ感が、学生時代はすごい好きだったんだけど、今はあまりに身も蓋もなさすぎて、永遠に答えが出ない問いでも、もうちょっと深く思考しようぜよってなってんだよねw
参考文献:宮地祐司著『生物と細胞 細胞説をめぐる科学と認識』
授業プラン《生物と細胞》の第1部「生物と細胞」
《生物と細胞》の第1部「生物と細胞」では、細胞の発見者として有名なフックの経歴や、彼が生きた時代背景をはじめとして、フックがどういういきさつでコルクから細胞を発見したのかを、子どもでもわかりやすいイラストと文書でまとめている。
著者が第1部で主張したいことは、フックは顕微鏡を使って観察したもの(ノミやシラミなど)を手当たり次第に写生したのではなく、「ただデタラメに見るだけではなく、筋道だてて見ていったら、みんなが気がつかなかったことが見つかるかもしれない」(本書14ページ)と、観察や実験をする前に、あらかじめ仮説や予想をたててから、顕微鏡を覗いたことである。
これは本書では仮説実験と呼ばれ、著者が重視する重要な概念になっている(いわゆるアメリカの哲学者パースが唱えたアブダクションのことだと思う)。
さて、フックの細胞発見につながる「仮説」は、「コルクが水に浮かぶのは目に見えないほど小さな隙間がたくさんあって、それで水に浮かぶのではないか」ということだった。
しかし「たくさんの隙間に水が入ってしまったら、逆に水に沈むのではないか。となると、なにか特別な仕組みがあるのかもしれない」という自説の確認をするために、フックはなんの変哲もないコルクに対して強い目的意識を持って観察したのである。
こういった、観察の前にまず予想を立てて、そのあと実際に観察することによって自分が立てた予想が正しいか間違っているかを確かめるという、17世紀にフックが行ったプロセスを読者にも追体験してもらえるように、本書の構成は工夫がされている。
例えば、本書では問題と結果のページのあいだに必ず、読者(特に複数を想定)が予想を立てられるように、いくつかの予想の選択肢が提示されている。
脂身、髪の毛、爪、骨、さらに目の水晶体・・・これらも本当に小さな部屋の細胞で出来ているのだろうか?読者は自分が選んだ予想が本当に正しいのかを、クイズ番組のように、いや当時のフックのようにワクワクしながら検証できるというわけだ。
私は科学者ではないが、本書を読んで強くこう思った。自然科学の研究の醍醐味はまさにこの「予想の検証」にあるのではないだろうか。
もちろん自然科学の研究には武谷三段階理論のような帰納法もアプローチとしてあるし、科学者側の事前の予想はバイアスや見落とし(昨今では不正や改ざん)をはらむかもしれないが、著者はそういう場合にも、まずは科学者側の主体的な働きかけ(アブダクション)なしでは科学という文化は成立しないと考えている(本書5ページなど)。
つまり、科学とは客観的で無味乾燥な学問ではなく、もっと血の通った主体的で楽しい活動なのだということを、著者は強く訴えているのである。
細胞の発見から細胞説の提唱まで170年かかった理由
シュワンが『動物および植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究』を発表し、細胞説を提唱したのは1839年で、1665年にフックが最初に細胞を発見してから、なんと174年も経っている。自然科学の発見は漸進的なデータの積み重ねによるものであるという一般的なイメージでは、この空白の時期は説明がつかない。
著者は科学的認識は、目的意識的な実践・実験によってのみ成立する(本書112ページ)という板倉聖宣の主張を引用した上で、シュワンは観察を行なう前に、「種や部位を問わず動物の体はすべて細胞からできており、その細胞が増えて変化することによって成長が起こる」という普遍的な仮説を立てていたと論じている。
つまりシュワン以前にも顕微鏡で細胞を観察していた科学者はたくさんいたが、「植物の発生の原因は細胞が増えて変化することだ」という友人シュライデンとの会話をきっかけに、すべての動物の部位は細胞で出来ているに違いないと考えた上で顕微鏡を覗いた科学者は、シュワンが初めてだったと言うのである。
それは、結局、「主体的に予想を立てた人が、その170年間に1人もいなかったからだ」という結論に、ボクとしては落ち着いたわけです。(『生物と細胞 細胞説をめぐる科学と認識』105ページ)
目の水晶体をありのままに詳しく観察したところで、それが細胞で出来ているなんて気づくはずがありません。(同書117ページ)
したがってシュワンは、目的意識もなく手当たり次第にいろいろな細胞を調べて、細胞説にたどり着いたのではない。
彼には「細胞説の検証」という明確な動機があり、その上で観察を行ったからこそ、一見細胞で出来ているように見えない部位は、もっと若い状態のものを観察し、それでも分からなければ発生段階の胚にまでさかのぼって、粘り強く細胞説を検証したのである(でなければ、目の水晶体の細胞は“見れども見えず”だったに違いない)。
以上のように科学の発見とは漸進的なものではなく、あるときをきっかけにして急進的に起きる。これをトマス・クーンはパラダイム・シフトと呼んだ。具体的にはダーウィンの進化論や量子力学の発見などがこれにあたる。
つまり、パラダイムとは、その時代その時代に生きる人間の科学的な認識を規定する思考の枠組みのことで、著者はこのクーンの哲学を「客観的にものを認識するためには、主観の働きを活発化して実践することによって主観と客観を対決させることが決定的に重要なんだ」(本書101ページ)と板倉聖宣の文脈に沿って解釈している。
授業プラン《生物と細胞》の第2部「細胞と生物」
《生物と細胞》の第2部「細胞と生物」では、たった一つの細胞で生命活動をしている単細胞生物の紹介から、単細胞生物のようにヒトの細胞も環境を整えて栄養を与え続ければ生かしておけるかどうかを問題提起し、そもそも生き物が生きているというのはどういう状態を指すのか?という哲学的な思索を試みている。
例えば、人間の体を構成する細胞一個一個は定期的に死に、3ヶ月ほどで体のすべての細胞は交換されてしまうというが、このような新陳代謝は、個体としての人の死ではない(細胞としては死んでいるが、個体としては生きている)。
これとは逆に、ヘンリエッタ・ラックスさんの子宮がんの組織「ヒーラ細胞」は、ヘンリエッタ・ラックスさんが病気で亡くなったあとも、1951年から現在に至るまでシャーレの中で生き続けている(個体としては死んでいるが、細胞としては生きている)。
つまり単細胞生物では「細胞の死」はすなわち「個体の死」であるが、多細胞生物において「細胞の死」と「個体の死」が一致しないというのだ。
本書はさらに面白い例を挙げる。ヒトの体は60兆個の細胞で出来ているが、医者が「ご臨終です」と言った瞬間、その人の60兆個の細胞すべてが一斉に死ぬわけではない。となると細胞が全体の何割死ねば、個体の死と考えていいのだろうか?
仮に「全体の半分の細胞30兆個以上が死ぬことが個体の死である」と定義するなら、29兆9999億9999万9999個と30兆個の境界はなんなのだろうか?
まるで哲学のテセウスの船のような命題であるが、著者は個体の死は連続的に起こるものであり、ここからが個体の死という一瞬は存在しないと論じている。
そして章の後半では、心臓や小腸、肝臓といった臓器の働きに、一個一個の細胞がどのように関わっているかを、クイズ形式で取り上げている。
心臓の細胞は心臓と同じように細胞一個一個も伸縮しているのか、小腸の細胞は細胞一個一個がそれぞれ栄養分を吸収しているのか、肝臓の細胞は細胞一個一個が栄養分を貯蔵しているのか、などの興味深い問いが続き、これによって生徒は、細胞一個一個の働きがたくさん集まって、臓器全体の働きは成立しているということを楽しみながら学習できるようになっている。
つまり、生命活動とは、細胞一個一個がそれぞれ仕事をしていることによって成り立っているのだ。したがって細胞を壊してしまうと、全体の働き(個体としての生)は失われてしまう。
部分は全体を兼ねるというわけである。
いくら細胞をたくさんスケッチしても細胞説が提唱できなかった理由
フックの「コルク細胞の発見」(1665)からシュワンの「細胞説の提唱」(1839)まで174年かかったわけだが、フックが王認学会で発表したノミやシラミなどの写生図をまとめた『ミクログラフィア』(1655)の影響で、顕微鏡を使って微小な世界を観察する人は当時もたくさんいた。イギリスの医師ネヘミア・グルーもそんな一人で、顕微鏡を使って植物の組織の緻密なスケッチを残した。
しかしこれほどまでに細かいスケッチをもってしても、「生物はすべて細胞からできている」という細胞説の発見にたどり着くことはなかった。
グルーは植物組織の模様の美しさや精巧さを、いかに本物そっくりにスケッチするかということに関心があり、「生物はすべて細胞が集まってできているにちがいない」という見立てをして観察に臨んだわけではなかったのである。
実際グルーは、フックが名づけた「cell(小部屋)」という言葉を使わずに「bladder(袋)」という言葉で細胞(に当たるもの)を呼んでおり、フックの研究を直接引き継いだわけではなかった。
またグルーが細胞を認識せずにスケッチを行っていた間接的な証拠としては、細胞と細胞の仕切りを繊維の縦糸と横糸のように描いていたことからも伺える。
とはいえグルーの図は大変美しく、見ごたえがあり、例えばミカンの実のつぶつぶはひとつの細胞であるという俗説が誤りであることを検証できるほど、緻密なレモンの図も残されている(実のつぶつぶの中にもさらに細かいたくさんの細胞がある様子がしっかりと書かれている)。このようにグルーの図を引用し、参考書に書かれる段階で間違った説明がなされることもあった。
いずれにせよ、「フックがコルクの細胞を発見してから、しだいに、いろいろな人が顕微鏡でいろんな生物をのぞいて、だんだん生物は細胞からできているらしいということが言われるようになった」という歴史観(本書146ページ)は誤りで、「生物はすべて細胞が集まってできているにちがいない」という予想を持って確かめようとする人が現れない限り、いくらグルーのように顕微鏡を用いて正確なスケッチを書いたところで、細胞説という科学的な認識は生まれなかったのである。
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