参考文献:板倉聖宣著『科学と教育 科教育学を科学にするための理論・組織』
授業プラン《電気を通すもの・通さないもの》
《電気を通すもの・通さないもの》は、金ピカや銀ピカの光沢のあるもの(金属)は、すべて電気を通す性質があるということを生徒に学習させるために、身近な一円玉から、日常的にはあまり見ない方鉛鉱や黄鉄鉱まで、電気がつくかどうかを、ひとつずつ予想を立てながら、実際に実験していく授業プランであるが、仮説実験授業自体で考えれば、生徒に学ばせたいのは、実験のドキドキ感や、知的好奇心、科学的な物の見方そのものであると言える。
つまり、教科書に書かれている正解の確認作業ではないので、原理的に生徒が授業のイニシアティブを握るしかなく(あらかじめ予想を立てて目的意識を持って実験に参加する)、だからこそ楽しいのである。
このような仮説実験授業のポイントには以下が挙げられる。
①取り上げられる問題が、小学校や中学校でやっていないようなもので、しかも大人にとってもかなり難しいということ。
これは、あらかじめ正解を知っている人が退屈しないし、勉強ができる人と苦手な人の差がなくなり、同じ土俵で授業に参加できる(つまり予習や復習が意味をなさない)。
②その問題について学校で全然教わっていないとは言え、考え方の筋道が全くないわけではないということ(電気や電池自体の断片的な情報はなんとなく持っている)。
これにより、誰しもが問題の予想を選ぶことができる。
③問題の予想をする際には、あくまで「事実」(電気がつくかつかないか)のみを取り上げ、仮説を出し合うわけではないこと。
これにより、問題の論点が明確化し、次の実験へテンポよく進むことができる(仮説を考えるのは高度であるため)。
④予想が合っているかどうか確認するための実験そのものの手順は非常に簡単で、専門的な技術を必要としないこと。
これにより誰もが気軽に授業を行える。
総じて、実験に参加する敷居をできるだけ下げているものの、予想を立てる内容自体は意外に高度であることがわかる。そのため、生徒は実験結果の展開が読めず(予測できない)、ワクワクしながら授業に参加できる。
このような仮説実験授業が生徒にとって魅力的な理由は、仮説実験授業が、一般的な学校の情報詰め込み型の授業や成績とは異なる、生徒の主体的でクリエイティブな物の見方を尊重しているからだろう。
「易しい問題から難しい問題の順に教えるのがよい」は正しいか
著者の板倉聖宣は、「易しい方から難しい方に行け」と言っても、ほんの僅かな難易度の差しかない問題がずっと続いたり、反対に難易度の差がありすぎるのは授業としてはあまりよくなく、結局は程度の問題であると述べている。
その上で、2つか3つの選択肢のある質問をしたら、だいたい同じくらいに各選択肢を選ぶ人数が分散する方が、子どもは挙手がしやすいと主張している。
易しい問題は、1つの予想に偏る上に多数派が正解してしまうので、少数派の不正解者が自信をなくし、次の問題で積極的に挙手をしなくなってしまう。
したがって、1つの予想に偏ってしまう問題を行わざるを得ない場合は、多数派が間違ってしまうような難しい問題の方が望ましいというわけである。
もっと言えば、易しい問題から難しい問題の順序で授業をすすめると、いつも不正解な人が決まってしまい恥をかかされ、正解者の方も当たりっぱなしで、バカバカしい問題をやらされ続けているということになり、お互いあまりいい気分にならない。
これが難しい方からやると、少数派の正解者は、大多数の人が外れた問題に正解したのでいい気分になるし、外れた人もほかのたくさんの人も外れているので別に恥ではないと考える(つまり不正解者の学習意欲が低下しない)。
このように板倉は、授業を行なう教師ではなく、授業を受ける子どもの立場に立って、授業の組み立てを考えている。
この視点は、授業が教師と生徒の信頼関係で成り立つというような、教育的な意味でも重要だが、板倉がこの視点を重視するには、もう一つ大きな理由があると思われる。
それは板倉が、科学的な認識について「他人との関係において認識する」ことが一つの筋だと主張し(『科学と教育』144ページ)、科学理論は社会的な同意(コンセンサス)によって客観的に担保されると考えているからである。
それゆえに科学の教育は、多人数が参加する「授業」でなければならず、そのために参加者が尻込みせず積極的に授業に参加できる雰囲気作りが必要だというわけだ。
私は、この主張は、理科の授業にとどまらず、現代の民主主義社会にとっても(民主主義が少数派の意見を反映しにくいシステムであるがゆえに)、非常に大切なことだと思った。
板倉も著書でこのように述べている。
少数派であっても自分の意見を貫徹する方法は二つあります。封建的なやり方は、自分が天下の王様になることです。しかし民主主義社会では、少数派でありながら自分の意見を貫徹する方法がまだあるわけです。それは、「科学の方法」です。そういう「少数派が勝つ方法を学ぶ」ということの含みもあって、私はどうしても集団教育でやりたいわけです。(145ページ)
授業プラン《光と虫めがね》
授業プラン《光と虫めがね》の流れは以下の通りである。
質問1:あなたの家に家に虫めがねはありますか?
作業1:虫めがねで新聞紙を燃やしてみる。
①太陽の光がよく当たるところに白い紙を置いて、その上に虫めがねの影を丸く映す。すると虫めがねと紙の離れ方によって、いろんな形の影ができる。
これは虫めがねのレンズが光の進む方向を曲げるため。
②これをふまえて、虫めがねと紙の距離を調節し、レンズを通り抜けた光が全部一ヶ所の小さな点に集まるようにすると、ほかのところが暗くなった分だけ、点の中の光がうんと光る。これは進む方向が変わった光が一点に集中しているからである。
作業2:次の質問についてみんなで話し合ってからもう一度新聞紙を燃やしてみましょう。
①どのようにやったらうまくもえますか。どのようにしたらうまくいきませんか。
②新聞紙と虫めがねは、どのくらいはなしたらうまくいきましたか。その距離は、虫めがねによってちがうことがありますか。
③新聞紙の黒く印刷されていないところでももやすことができましたか。(紙を燃やすこと自体が目的なら白い紙ではやらないが、科学的な認識が目的なら白いところと黒いところで燃え方がどれくらい違うのかは重要である)
[新しい科学の言葉]焦点と焦点距離:光がレンズで屈折していることを確認するため、線香から出る煙を使って光の道筋を可視化する。
この時、光が一ヶ所に集まる点を焦点という。レンズと焦点の距離はレンズによって決まっており、これを焦点距離という。
作業3:クラスにある虫めがねの焦点距離を、みんなではかってみましょう。
太陽の光を集めてものをもやす話:太陽の光を集められるのは虫めがねだけでなく、丸いガラスや水晶の玉でも可能である。丸いフラスコに水を入れたものでも、黒い紙を燃やすことができる(水から火を起こす)。
火を起こすことに苦労した昔の人は、ものをこすり合わせなくても太陽から簡単に火を起こせるなんて素晴らしいと、火を大切にした(聖火)。
ラボアジエの火付けレンズによるダイアモンドの燃焼実験や、丸い金魚鉢による火災などの紹介。
ガスの燃焼は数百℃だが、太陽光を集めると2000~3000℃にもなる。つまり遊びのようだが軽視できない科学の実験である。
問題1:①虫めがねで夜の明るい月の光を集めて新聞紙をもやすことができるでしょうか。
②白い紙の上に月の光を集めたら、太陽光と同じように丸い形になるでしょうか。月の形になるでしょうか(答え:月の形になる)。
問題2:暗い部屋で電灯をつけ、その光を虫めがねで白い紙の上に集められるでしょうか。
問題3:明るい外の景色の光を虫めがねで、部屋の中の紙の上に集めることができるでしょうか(答え:できる。しかも景色の光が映る)。
作業4:虫めがねでカメラを作る。
問題4:レンズの代わりに小さな穴を開けただけでも明るい外の景色は映るでしょうか。
カメラの生い立ちの話:900年前のイブン・アル・ハイサムの人間の目の構造と光に関する研究を紹介。暗い部屋に小さい穴を開けるピンホールカメラ(カメラ・オブスキュラ)はこの人が考えて、それがヨーロッパに波及した。
レンズ付きのカメラは1550年にイタリアの数学者カルダーノが発明、しぼりは1568年にイタリアのバルバロが初めて取り付けた。
ピントが合わせられるカメラは1657年にドイツのカスパル・ショットが発明した。
目の仕組みの話:カメラと目の構造はとてもよく似ている。
研究問題1:ロウソクや豆電球の光も虫めがねで集められるでしょうか。
①レンズをロウソクから壁の方にだんだん離していったらどういう像ができますか。
②レンズを壁の方からロウソクにだんだん近づけていったらどういう像ができますか。
幻灯機(プロジェクター)の仕組みの話
科学とは何か
近代科学が生まれた頃(16~17世紀)には「迷信」と「スコラ学(神学)」と「科学」が三つ巴になっていた。スコラ学は迷信と対決していたので、迷信ではなく列記とした学問ある。ではスコラ学と科学は何が違うのだろうか。
よく、事実に重きを置くのが科学だと言われることもあるが、スコラ学や迷信は本当に事実を大事にしないのだろうか。考えてみれば、基本的に人が信じるようなことは、どれも事実に基づいている(超能力によるスプーン曲げなど)。では、科学と、スコラ学、迷信を隔てるものは何か。
実は、科学とは事実に重きを置くのではなく(むしろ迷信の方が“事実”を重視する)、仮説と実験に重きを置くのである。
迷信は、個別的かつ特殊な事実を重視して、そこから一点突破を試みるが、科学は事実の再現性を重視し、そこから普遍的な規則性を見つけていく。
例えば「磁石は鉄を引きつける」という事実があったとき、スコラ学は、磁石に関する事実を(「磁石はダイアモンドも引きつける」「ニンニクは磁力を弱める」などといった俗説を含め)、どんなものでもかき集め、ひとつの学問として構成していく。
対する科学は、それら“事実”をひとつずつ検証し、その際に、実験などで客観的に再現できないことは、本当かどうかを判断しない(科学として扱わない)。
つまり、「再現できないから嘘だと言われても、自分は確かにニンニクで磁力を弱めたんだ」、という人がいても、科学は再現できるものだけを事実と定義しているので、そもそも迷信やスコラ学とは、基本的な原則が違うのである。
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