正確だけどピンと来ない問題。
キャロル・キサク・ヨーン(名前が面白い)著。これもこしさんから借りた。しかもこしさん研究が忙しいらしくて、この本、買って一度も読んでいない。まさに一番風呂を譲ってもらったっていうwさすがにビニールを私が開けるわけにはいかないから、幕張のつけ麺屋でビニール入刀はさせたけど。
まあ、タイトル通り、自然界の植物や動物をどうやって学名をつけて分類するかっていう話なんだけど、これ読んでみると、分類学の本というよりは、どっちかというと心理学とか哲学の内容の本だったりする。
それを象徴するのが本書のキーワードである環世界センスという概念。
もともとはフォン・ユクスキュルって人のアイディアで、ハイデッガーとかにも影響を与えたらしいんだけど、どういうものかって簡単に説明すると、例えばヘビは赤外線が“見える”ので、ヒトとは異なる世界に生きているとかよく言うじゃん。あれ。
つまり、それぞれの動物が認知する世界観のことらしい。そう言う意味で、ヒトとして生まれちゃった以上、オレたちは“ヒトの感覚器官の枠組み”でしか外界を認識できないから、どうしても制約があるんだという。
実は、直感的な分類っていうのは、まさにそういった環世界センスの産物で、これと現代の科学的な手続きに基づく“正確”な分類っていうのは大きく乖離、むしろ衝突しているってことらしい。
ほいで、これ分厚くて文字も小さいから、難しい専門書っていう印象を受けるけど、レベルはかなり易しくて、生物学の知識が全くない人でも楽しんで読めます。つーかスティーブン・J・グールドの科学エッセイのがずっと難しいっていうね。
第1章「存在しない魚」という奇妙な事例
分岐分類学だと、側系統が全部崩壊しちゃって、つまり、魚類とかのグループはなくなってしまうという、割と有名な話なんだけど(魚類を認めようとすると、その子孫である両生類や爬虫類や鳥類や哺乳類も魚類ってことになってしまう。Ohボーイ)。
どうやら聞いてみると、分岐分類学者はかなりヤなやつらしく(あとがきで三中先生も、そして別の本でも金子隆一さんも言ってた)、おめーらのせいで、一般人が生物学と距離を置くようになって生態系に興味関心を持たなくなったんだよ、どうしてくれんだ、まだ分類されてないような生き物が名前もつけられる前にどんどん絶滅してくぞ、クレーディストファッキュー!みたいな著者の心の叫び、しかと受け取った、みたいなチャプター。
魚という分類はあります!
第2章若き預言者
つーか、若き預言者って誰のことだ!?それはオレだ!!お前は・・・!そうリンネ将軍だ!!ババーン!・・・というわけでリンネの業績と人となりの話。
リンネって実は、すごい傲慢なうぬぼれ屋で、友達にしたら、そのナルシストぶりにぶっ飛ばしたくなりそうだけど、それがチャラになってお釣りがくるくらいのことをやってのけたんだよっていう。
リンネの時代はまさに博物学の大航海時代で、世界中から様々な植物や動物の標本が集められてさ、いよいよそれをすべて分類するには、かなり使い勝手がいい簡潔な分類体系が必要になってきて、そこでメシア的に現れたのがジェネラルリンネだったってわけ。
彼が28の時に発表した『生物の体系』の分類一覧表は、まさに生物の分類における世界地図のように崇め奉られ、プロ・アマチュア問わず、全世界の標本収集家(博物学者)のバイブルとなったらしい(でも同人誌並に薄い本だった)。
というかさっきから、将軍ってなんやねん、マッドマックスか!って感じなんだけど、リンネっていうのは生粋の植物バカで、植物で軍隊作ったらこのオレが最強、よって将軍みたいなノリで将軍を自称していたらしい(自分を批判する植物学者はその軍隊ヒエラルキーの末端においていたことは言うまでもない)。
ちなみにリンネ、学生時代は医学部に進学したんだけど、とにかく貧しくて、穴のあいたボロボロのかっこうで借金背負ってフラフラしてたら、セルシウス温度のセルシウス・・・のおじさんに拾われて、そのあしながおじさんに分類学についての神がかった才能を見出され(シナモンの葉っぱを見ただけで月桂樹の仲間だと推理して当てた)、シンデレラガールズ的に国の英雄になるっていうね。
まさに赤塚不二夫とタモさんに通じる感動物語である。でもムカつく。
第3章フジツボの奇跡
タイトルが爆笑。
これダーウィンの話ね。その衝撃的な内容のため、発表したら絶対大炎上間違いなしだった『種の起源』。ダーウィンは悩んでいた・・・
ダーウィン「やべ~な、叩かれたくね~な、どうしよう、でも進化って絶対起きてるしな~どうすればいいべ、そうだ、友達のフッカーにメールすんべ。
よう、フッカーどうしたらいい?え?生物学に喧嘩売る以上は、お前もなんでもいいから好きな生物を研究して、その上で進化論を提唱したほうがいいだって?あ、そうか、専門家って門外漢に偉そうなこと言われるとブチギレるもんな。わかった、じゃあある種のポーズとして、なんか生物研究するわ。
う~ん、でもオレ博物学者だから、標本収集するのは得意だけど、生物の分類はオーウェンとかに任せっきりだったからなあ・・・やったことねえし、めんどくせえぞ。
あ、そうだ、このちっぽけなフジツボを分類するんがいいや。これは楽そうだし、一年もあれば分類できるべ。」
フジツボはダーウィンを苦しめ、予想外の知的葛藤を経験させた(73ページ)。
というわけで、気軽に始めたフジツボの研究だったが、やがて泥沼化し、ダーウィンVSフジツボの戦いは8年もかかってしまった。
ダーウィンの子どもが友達の家に行ったら「それで、君のパパはどこでフジツボを見てるの?」と言ったくらいである。
なんでこんなことになったのか、実はダーウィンはフジツボの個体差に当たるような差異を厳密に観察しすぎて、どの個体とどの個体が別の種類で、どの個体とどの個体が同じ種類なのか、なにがなんだかわからなくなってしまったのであった。
ダーウィンは、一体どこでグループの境界を区切ればいいんだよ~もうフジツボやだよ~怖いよ~オレが何したってんだよ~とノイローゼになったらしいが、結局この個体間のわずかな差異こそが個体変異、つまり進化の結果を証明することにつながった。
第4章底の底には何が見えるか
生物の分類の何が難しいかって、どこからどこまでを同じ種にして、どっからを別種にするか、その境界が曖昧だということは、ダーウィンVSフジツボでお分かりいただけたと思う。これを馴染み深い炭酸飲料水の分類で置き換えてみると・・・
「ちょっと待って。シエラ・ミストとセブンアップ、スプライトはどれもほとんど同じ味だけど、フレスカの味はずいぶん違うよ。フレスカだけ別にして、全部で五グループにすべきじゃないかな」(※こんな感じで決めていたらしい)
だから、種のカウントなんて研究者によってまったく違っていて、私はこういうのって学会でコンセンサスが取れているルールがあるとずっと思ってたんだけど、それどころか、研究者の個人の独断と偏見で決めていたっていうね。
つまり“なんとなく”っていう。これのどこが科学だ!って批判されちゃうのはわかる。根拠ねえのかよ!ってw
当時、分類学者は、対象をできるだけ細くしようとする細分主義者(スプリッター)と、できるだけおおまかに分類しようとする統合主義者(ランバー)に分かれつつあった。そしてどちらのグループも、分類学をだめにしているのは相手のグループだと考えていたのだ(106ページ)。
この地獄の戦いは、すっごいわかる。恐竜の属名もできるだけまとめて減らそうっていう人いるしね。ナノティラヌスはティラノサウルスだろ、とか。ドラコレクスはパキケファロサウルスだろ、とか。
自分が中学生の頃は恐竜の種類って300くらいだったんだけど、今はおそらく二倍以上に増えてるんじゃないか。少なくとも恐竜に関してはスプリッターの勝利だな。
それでも分類学者の中には、もうちょい科学的な手続きで種を決めていこうよという改革派もいた。
そのひとつのアイディアが、コモンガーデン実験、略してCG実験。植物の差異と生育環境の相関を調べる実験である。寒い気候と熱帯気候の植物を同一環境(コモンガーデン)で飼育して、二つが同じように生育すれば、その差異は生育環境によるものであり、じゃあ同種、みたいな感じ。
しかし、こういうアイディアも、保守的な体質の分類学の根本的な変革には繋がらなかった。
さらに、ダーウィンのせいで、ただでさえ研究者の根拠のない主観や感覚で決めていた分類学が更に根底から揺らいでしまう。
なにしろ「種」という枠組みが、時間が経つと変わってしまう(進化する)って言うんだから、種を定義するのは本質的に不可能ということになる。
だが、その問題に果敢に立ち向かった最後の男がいた・・・!その名は鳥類分類学者の巨匠エルンスト・マイア・・・!
マイアはニューギニアの原住民も、西洋の科学者と同じように鳥類の種類を正確に区別しており、やっぱり種というのは普遍的な概念なんだと確信をした。
そしてマイアは種をこのように定義した。「種とはその中で交配する、あるいは交配できる野生の個体群で、ほかの種との間で子を持つことはできない」と。いわゆる生殖隔離の概念である。
しかし、仮に交配できても野生環境では絶対にしないとかそういう場合や、じゃあ実験室で人工授精させたとしても、それは交配ができるということになるのか、とか、もっと言えば多くの生物は有性生殖をしない!マイアの定義は、「種問題」というアポリアをさらに深めてしまったのである。
これを受けて、マイアの同僚のシンプソンは、古生物学者を見ろ!化石なんて交配を確かめられないのに種を仕分けしてるぞ!と言い、種を「独自の進化的役割をもち、長い年月をかけて、ほかの種と交わることなく進化してきた一連の個体群」と定義、種の存在をかたくなに信じた(実際は古生物学も現生以上にコロコロ変わっているのは言うまでもない)。
しかし、この定義においても、その個体群が「ほかの種と交わることなく進化してきた一連の個体群」であることをどうやって確認すればいいのだろうか??
こうして、分類学者はいたずらに混沌をもたらすだけの連中と認定され、科学者から嫌われていった。ほいで、収集家の旦那に呆れる奥さんのごとく、博物館にあるよくわからねえ標本の山と一緒に、この時代遅れな研究者たちも一斉処分しちゃえ、となった。分類学者の狩猟シーズンが到来したのである!
というわけで、博物学の時代から受け継いだ保守的な環世界センスを捨てられなかった分類学は、「種は変化し続ける」という新たな環世界センスによって皮肉にも破壊されてしまった。
なんとも哀れな分類学者たちだが、著者はこう締めくくる。
しかし悪いことばかりではない。当時は誰も気づいていなかったが、生物の分類に関して独自の見解を曲げようとしなかった進化分類学者は、後に、別の意味で英雄とみなされた。彼らは知らず知らずのうちに、滅びかけた信念の擁護者となっていたのだ。それは、生物世界の認識は――科学的認識とどれほどかけ離れたものであっても――正当にして重要な地位を持っているという信念である(130ページ)。
第5章バベルの塔での驚き
バベルの塔のお話は人間の言葉をバラバラにしたが、生物の分類の仕方はバラバラにしなかったよっていう話。
つまりレヴィ=ストロースとか構造主義の本でお馴染みの、未開の部族の思考パターンも文明人とあまり変わらず合理的だよっていうやつ。
人間である以上、共通する普遍的な分類の傾向っていうのがあって、それをいくつか紹介している。
でもまあ、それは後回しにして、面白いのが、その事実にたどり着くまでのフィールドで未開の部族の人を研究した人類学者、民俗学者のエピソードの数々である。・・・本当に苦労したんだなあって思う。
調べ始めてすぐにわかったのは、民族分類の研究は途方もなく困難な仕事だということだった。この種の情報の収集には、多大な困難が伴う。一見、それは簡単なことのように思える。一本の植物、あるいは一匹の動物をつかんで、「これをあなた方は何と呼ぶのか」と現地の人に尋ね、その答えを書きとめていけばいいのだ。しかし、その分野の研究者が収集しているのは、生物の概念やカテゴリーや言葉であり、それは生物をつかんで名を尋ねるよりはるかに難しい作業なのだ。(略)多民族の生物分類法を集めるには、その分類に含まれる生物を熟知するだけでなく、その名前、詳細な描写、分類の土台となっている言語体系と概念のすべてを、正しく理解しなければならない。「この動物をあなた方は何と呼ぶのか」と尋ねて、ある答えを得たとしても、それがすべての哺乳類を指す言葉なのか、それとも小型哺乳類を指す言葉なのかはわからない(142ページ)。
例えば、すごいキノコに詳しい部族がいたんだけど、「うちの部族はキノコに名前をつけてないっす」とか言っちゃったり、つまり“詳しすぎる”ので、文明社会からやってきたど素人に一から教えるのが超めんどくさかったからってう。
他にも「インドリインドリ」というキツネザルの名前は、現地ガイドの人が「見てごらん見てごらん」って言ってたのを名前と勘違いしたとか、もっとひどいのは「私はこの草の名前を知らないから、おじさんに聞いてみます」とか、現地人が冗談半分でテキトーに言った「ズボンの中のうんこ」とか、ひどい学名の生き物がいろいろいるっていう。
じゃあ、このようなやっかいな調査から、どのような分類法に関する共通点が明らかにされたのか?それが以下である。
①標準的な形から、ひときわ目立つグループを選び、それ以外は無視する。
②ヒトはいくつかの動物や植物に名前をつけずには言われない。
③よく似た生物は、家族関係に例えてしまう。
④その生物の形が連想できるような名前を付けがち。
⑤民族分類の上限は600種類まで。
⑥ウィリスのくぼみカーブ(大体の属は一属一種であることを示す曲線)に従う。
④は面白い実験があって、生物学ど素人の人に、魚と鳥類の学名を見せて、その学名が魚か鳥かを聞いたら、57%の確率で当てたっていうね。
つまり“語感”って意外とモノを言っているんじゃないかっていう。
もっと単純に、「タケテ」と「マルマ」っていう二つの名前があったとして、どっちが丸い図形の名前だと思いますか?ってやっても、だいたい「マルマ」を当てるんだって。こちらは大人の95%、二歳児でも60~80%が「マルマ」は、尖っている図形よりは丸い図形に合う名前だって思うらしい。
⑤も面白くて、なんかどんな部族でも、専門家でも明確に把握し覚えられる生物の種類って600なんだって(だから生き物の種数も600前後になることが多い)。
ホントかよ~って著者が、旦那や友人に試したところ、なんか種類を列挙するのに4時間くらいかかったらしいけど、だいたい590くらいだったんだって。
この600はギリギリ行かないって、私もすごいリアルな数字だと思う。
で、私も実験したくなってさ、ポケモンはどうなんだってマロさんに聞いたら、ポケモンって当初は150種類くらいだったんだけど、今は800種類くらいいるんだって。これが600種類だったらよっしゃ~!だったんだけどねw
つまり、これは人間の認識能力を超えて種を作りすぎってことになる。だからすべてのポケモンを言える奴っていないんじゃないかな。ポケモン言えるかな?って昔あったけど。言えねえよ。作りすぎだろっていう。
ちょっとキリがないので、後半はまた機会があったら。今日は、鈴木貫太郎THEムービーを見に行きたくての。
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