劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆ 睡眠効果☆☆☆☆☆」

 やっぱりいけないと思うよ。自分勝手にルールをやぶるのは・・・

 いや~頭痛がする映画。こんなに頭使う映画ってクリストファー・ノーランの『インセプション』以来だなあって思っていたら、わりと、というか、かなり『インセプション』っぽい話だった。まあ、あっちは階層構造で、こっちはトランス構造なんだけれど、物語の要素が複雑なのは五十歩百歩?
 とにかく論理のつじつまをテキスト(セリフ)でまとめて合わせちゃうから、ちょっとでも気を抜くと、何言ってるんだかわからなくなっちゃう(^_^;)
 とはいえ、パッと見シュールだったり(今回もキリコやマグリットを引用)、破綻しているように見えるけど、ちゃんと前作を踏まえておおまかなロジックは成り立っているのが相変わらずすごい(細部はファジーでわからんw)。この脚本家の人はテキストの人なんだろうね。

 さて、言うまでもなく『魔法少女まどか☆マギカ』は、リアルタイムでかなりハマったテレビアニメで、とにかく脚本がしっかりしていて、さらにブラックで意地悪な展開とかなかなか好きだった。
 ただ、続編製作決定!ってアナウンスがあったとき、内心(やめたほうが・・・)って思ったのは私だけじゃないはずだ。
 もう9話の大どんでん返しをみんな知っちゃっている以上、「このアニメはそういうアニメだ」って見ている方も身構えちゃうし、そうなると作る方は、いっそNOどんでん返しというどんでん返しをやるか、世界“外”存在のルールをさらにインフレさせるしかない。んで、やっぱり後者をやってきたという・・・そう言う意味では、前作を踏まえたすごい正統派な作り。
 世界外存在ってのはハイデガーの世界内存在の対義語みたいな感じで今勝手に作った言葉なんだけど、まあ超越者のこと。
 アメリカ映画でよくある、この世界の文明は宇宙から来た知的生命体によって授けられ、そいつが我々の神だったんだっていうID展開。『2001年宇宙の旅』の記事でも言ったけれど、この手法の問題点って、じゃあその知的生命体を作ったのは誰だよって合わせ鏡のように神の神の神の神・・・ってキリがないところ。
 んで、この映画はそこを果敢に切り込んでいったのが、意外とありそうでなくって面白かった。

 この映画、とりあえず三つの勢力・・・というかメインキャラクターを整理させないと、もうわけがわからなくなっちゃう。
 まず、「まどか」ちゃん。この子は、魔法少女が絶望して悪役の魔女になっちゃうというこの世界のルールを最終的に変えてしまったという女の子で、もう自分自身が重力とかエントロピーとかそういった自然法則化しちゃったので、ルール書き換え後の世界には存在自体がなくなってしまったという人。
 じゃあ絶望が臨界点まで達した魔法少女はどうなるかというと、なんか魔女になる前に、まどかさんが天から降臨して、なんか天国的なところに連れてかれるというwこのシステムをマミ・トモエ(2011).は「円環の理」と命名している。

 で、ここからが『叛逆の物語』になるんだけど、「キュウべぇ」ってのがいて、この動物は魔法少女が魔女になった時に放出するエネルギーを利用している知的生命体で、私はブラックF先生のヒョンヒョロみたくて、彼がわりと好きなんですが、Qさんにしてみれば、エネルギーを出す前に魔法少女を成仏させちゃうまどかシステムは「なにしてくれとんねん」って話で、なんで魔女にならないんだろうって、まどかシステムブロック装置を開発、絶望エネルギーを爆発させないでえんえんと蓄積させるとどうなんだろうって実験をしだした。こういう知的探究心旺盛なところ見習いたいと思う。

 その実験台になった人が、前作で唯一生き残った魔法少女の「ほむら」ちゃんで、まどかが病的なほど好きなのに、まどかが世界のために身を投げ打って消滅しちゃった事実を知っている唯一の人という。
 んでなんか、前作の最終回ではけっこうメンタル的な面を克服して、一人で戦い続けていたんだけど、やっぱり限界が来て、あまりにまどかに会いたいがために脳内でまどかワールドを妄想し、その中にひきこもり始めちゃったという。そこらへんから物語は始まる。そしてそこらへんがとにかく眠い。
 
 つまりQにとってはまどかが邪魔で、ほむにとってはまどかルールを覆させようとするQが邪魔なわけで、結局ほむは、自分が魔女化すると天からまどかさん来て、そうなると「犯人あいつか~」ってQにバレて(観測されて)まどかがQに干渉されちゃうから(ここら辺シュレーディンガーの猫の話なんだろう)、ほむは永遠にまどかからの救済を拒み続けて、なんか絶望をこじらせて巨大化するんだけど、それを不憫に思った、前作で魔女になっちゃった「さやか」ちゃんと、なんかよくわからない白い人が、まどかシステムブロック装置みたいなのを破壊して、ほむをまどかに救済させる。
 んで、ハッピーエンドかと思いきや(長い)、ほむの「まどか超好きパワー」が、救済しに来たまどかすらもなんか取り込んじゃって、ほむ自身も新ルール化する。

 ほんで、ほむがルールを書き換えた世界が構築されて(そういや、オイ魔獣とかの設定どうなった)、やっとまどかと一緒に暮らせるようになったんだけど、なんか「ルール勝手に破っちゃダメだよ」って(あなたに言われたくない)まどかに引かれちゃって、ほむは絶望して投身自殺をしたらしい・・・らしいっていうのは、あれだ。私の記憶もルール改定時に改ざんされたらしく、なんかこの映画の記憶が断片的なんだよ・・・恐ろしいやつだ、ほむ。

 うそです。ところどころ寝てました。

 で、笑えたところ。
 一つ目。配給がワーナーブロス。
 二つ目。ほむが「正直マミは苦手だった」って言うところ。

 私って、テレビシリーズ放送時に、このアニメの黒幕はほむらなんじゃないか?っていう説を提唱し続け、見事に誰にも相手にされなかった経験があるんだけど、この映画でほむが見事なヒールっぷりを見せてくれて満足だった。
 そして、結局ルールを変えてまで、まどかに会えたのにそのまどかにドン引きされるラストとかも、なんというか救いようがなくてけっこう好き。イソップ童話オチだよねw
 なんにせよ、これで、まどかもほむもどっちも自然界の法則を書き換えちゃったわけだけど、まどかの方はみんなのために、ほむの方はまどかのため(・・・と思いこんでいる自分のために)ルールを変えちゃったのが対照的だ。方や女神風。方やデビル風・・・
 まあ、こういったメタ的な世界で、世界外存在がああだこうだやるのって、昔の神話のお話みたくて割とこういうアニメでは斬新なのかもしれない。善悪二元論的な北欧神話や『マイティ・ソー』というか。

 でも、なんだろ。この映画、構成というかテンポがいまいち自分には合わなくて、『まどマギ』は1話30分を毎週見る分には面白いけど、まとめて一度に見る話じゃないのかなあって。
 それに、あの長ったらしい変身バンクとか、あれ五人分やるのかよ勘弁してよって思ったし、『まどマギ』の世界なら、変身バンク中に待ちきれなかった敵にマミさんあたりが食べられちゃったほうが、このアニメらしくて面白かったと思うんだけどなあ・・・
 だめか。『スターシップ・トゥルーパーズ』見て、頭を冷やしてきます。
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