幕が上がる

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 こんなレベル目指してたんだね、みんな。

 弱小演劇部が、元天才演劇部員だった美術の先生の指導のもと全国制覇(っていうのか?)を目指す映画。本日公開だったらしく、ほぼ半額で見れた。
 設定からして、『タイピスト!』を彷彿とさせるスポ根ものの文化部版というか。つまり所さんの笑ってこらえて一億分の富士ヶ丘高校演劇部みたいな話だろ?と思って、出かける前に「絶対所さんの笑ってこらえてみたいな映画だった」って見たあと呟くよな~ってツイートしてたんだけど、ところがどすこい、めっちゃ身につまされる映画でした。『アオイホノオ』と『塀の中の中学校』を足したようなインパクト。ムロツヨシ出るしな。
 一般的にはももいろクローバーの初主演映画ってことで、アイドル映画的な認知のされ方をされているんだけど、一部のファンが見るだけじゃもったいないクオリティではある。
 ももいろクローバーっつっても私『ドラゴンクライシス!』と『モーレツ宇宙海賊』のうた歌った人達くらいしか知らなくて、誰がどれだか、そもそもクローバーが何人いるかすらわからなかった。結局五人組?ユッコとガルルと部長はなんとか判別。ふ・・・二人足りない・・・転入生の子か。

 ほいで、私はあんまり邦画を観ないんだけど、ノラネコさんにクリエイター気質の人と教育に携わる人は見ろって言われて、どっちも該当しちゃった以上見てしまったんだが、これアイドルマスターの映画がやりたかったことをめちゃくちゃ上手に実写でやった感じなんだよね。
 アイドルマスターのファン、ももいろクローバーのファンへのサービスシーンは、まあ私どっちもニュートラルだから、別にいらないんだけど(鍋焼きうどん出てくる謎のシーンとか)、そういうシーンを抜いて、脚本の完成度がどっちが高いかって言ったら断然こっち。
 アイマス映画での「キラキラしてない」が、こちらの『幕が上がる』では「光」になっているだけで伝えたいことは驚くほど一緒。ちょっと小太りな後輩の子が中盤スランプに陥るのも一緒。
 しかし、この映画にあってアイマスになかったのは「不安」だな。アイマスはマーチャンダイジング上、ガチな不安は構築できないもんな。
 十代の青春ってなにが特徴かって言えば、将来自分が一体どんな方向に進むかわからない、まだ何者でないがゆえの不安だよね。何者でもないっていうのは辛いっちゃ辛いんだけど、裏を返せば、何にでもなれる可能性も残されていると言えるから、十代を華麗に通過した大人は「きゅん」ってなるんだろうけど。
 まあ、これも過去の美化にすぎないとは思うけどね。現実は、十代だろうが、いくつだろうが、選択の余地なんてそんなにないって私は思うんだけどね。ねえよ、無限の可能性なんかって。人間なるようにしかならないよって。おさまるところにちゃんとおさまるよって。
 ただ、そういった自分の能力に対しての残酷な判決が先送りされているがゆえに、十代は悩み葛藤し、時に調子に乗る、と。
 これは、なにも意地悪でそう言っているんじゃなくて、さ。それはそれで人生楽しいよっていう。知らぬがパラダイスっていうのあるじゃん。将来どうなるかなんて、いくつになっても実はよくわからないし、だからこそ突き詰めれば死ぬまで不安なんだけど、だからこそ終わりじゃないと。
 十代が過ぎたくらいで「自分の人生はもう決まった」ってウジウジいうこともなかろうて。今とそんな変わんねえよって。まあ、十代は今後の人生をどう生きていくかのベースになるから、そう言う意味では悔いのない学生生活を送ったほうがいいかもね。じゃないと「学生時代に戻りたい」と過去を美化する大人になっちゃうぞって。

 仮にそこにたどり着いても、そこは“どこでもないどこか”なんだよ。

 そういや、ずいぶん前に、専門学校かなんかで映像教えている(詳しくは知らない)ノラネコさんと、クリエイターを目指す学生をどう教育するかやり取りしたことがあったんだよ。
 ノラネコさんいわく、義務教育の美術とかじゃなくて、専門的な学校でも、表現したいものがないのに表現者を目指す人が割といるんだって。つまり、映画やアニメを見るのが好きなだけなのに、自分がクリエイターだと錯覚しちゃっている人がいる、と。まあ、漫画研究部とかでたくさんいる「読む専」ってタイプなんだろうけれど。漫研だけど漫画の原稿は描かないっていう。
 で、こういう人たちは、課題は真面目に作ってくれるらしいんだが(まあ自分から通っているから当たり前か)、自由に作っていいよって言っても何もアイディアが出てこないんだって。
 これは、図工や美術の授業でも度々取りざたされる自由に作れって言ってもどうやりゃいいんだコノヤロー問題なんだけど、カリキュラム上ある程度強制されて美術を受けている中学生ならともかく、ノラネコさんはある種プロのクリエイターの卵を育てる立場だから、このタイプどうしてんだろうなあって思って、自分に描きたいものがないことを素直に認められない人に対してはそっと引導を渡しているんですか?って尋ねたんだよ。
 そしたら、そうじゃなくて、映画って集団で作るものだからそれこそいろんな仕事があるじゃん。つまりみんながみんな「作家」である必要はないわけで、でも映画業界をあまり知らないと「映画を仕事にする=映画監督になる」くらいしか思いつかない。これが悲劇なんだ、と。
 映画監督にはなれなくても、映画に携われることは他にもたくさんあるよ、といろいろな可能性を紹介してあげるのが、クリエイター学校の先生の仕事なんだみたいなこと言われて、なるほどなあ、と。

 さて、この映画には二人の先生が出てくるんだ(作劇上重要な先生は実は三人だけど)。一人がムロツヨシ先生で、この先生はもともと理科の先生で、正直演劇のことなんてさっぱりわからないけれど、文化部の顧問って運動部に比べてゆるくて楽かなくらいのノリでやっている、かなりリアルなタイプの顧問。当然、部員からは軽く侮辱の憂き目にあっている。
 部員たちに偉そうに演劇を教えれるほど詳しくないから、とりあえず「芸術は自由だ。好きなようになりなさい」とそれらしいことを言って部員の周りをウロウロしているだけなんだけど、意外なのはノラネコさんは教育者としてムロツヨシタイプなんだってこと。あんな待遇を学生から受けているのだろうか(^_^;)
 でも、勘弁して欲しいよね。演劇部のある学校には必ず演劇を専門とする教員がいるとは限らないからね。だから、学校の部活ってその競技の素人が顧問を受け持つ悲劇が度々繰り返されていて、部活動は外部の専門家に任せてもいいんじゃないかって話も最近あるんだけど。
 だから、若い男の先生ってだけで「よし!運動部!」って白羽の矢が刺さる場合があるので、私も近い将来アメフト部顧問とかやっているかもしれません。そんときは木村くん(※現役のアメフト選手の友達)に泣きつきます。でも、これも不思議だよな。教える方も教わる方も悲劇だと思うぜ。部活って指導者が変わるとぜんっぜん違うらしいからね。
 
 空気が変わった――ヤバい。楽しい。

 んで、もう一人がかつて「演劇部の女王」とかちょっと恥ずかしい二つ名を持っていた新任の美術教師吉岡先生。配属早々生徒にググられてしまう展開は私も一緒だったんだけど、演劇部顧問のムロツヨシ先生を差し置いて、演劇部員の心をがっちし掴み、バシバシ専門的な指導で彼女らのレベルを上げていく。
 しかし、ガチで演劇の道へ行くということは、結局はローリスク&ローリターンのカタギの道から、太く短いヤクザロードへのポイント切り替えを意味する。だから吉岡先生は念を押して部員の言質を取ろうとする。私は責任取れないよ?と。で、部員の「大丈夫です。これは私たちの人生ですから」というコメントを受けた後、この人はとんでもない決断をしてしまう。
 そこらへんの急展開から、私はこの映画にやられちゃって。うわ~おっそろしい映画だなって。「芸術は麻薬」と語った北野武作品かよって。吉岡先生は裏を返せばメフィストフェレスっていう悪魔だよなあってw
 で、私はムロツヨシよりは、吉岡先生だなあって思っちゃった。実行するかどうかはわからんが、気持ちはすごいわかるよ。学生ですごい才能のある子に出会ったら触発されて「わしも若いもんには負けんわい」ってやりたくなっちゃうから(単純)。
 しかし凄いのは、あの先生初任者研修受けているんだよ(ムロツヨシをいなす為の嘘じゃなかったら)。私も2年前惜しくも落ちたから知ってるんだけど、「高校美術」という一年に一人くらいしか受からないような超難関の採用試験を受かっているのに“あの選択”はロックすぎるぜ。
 まあ実技教科って実践ができて初めて学生に「お~」って尊敬されるようなところもあるしなあ。でもそれくらいスキルあったらプロも射程に入っちゃうんだよな。そのジレンマね。

 つまりさ、ここに呪いの構造があってさ。プロになれなかった芸術家は、自分より若くて才能のある子達を育てる側に行くしかないらしいんだ。美大生に聞いたところ、この業界はそういう構造らしいんだよ。
 東京芸大なんて学歴としちゃすごいけど、そこからプロの作家になれる人なんてひと握りだし、そういうプロも作品だけじゃ食ってけないから芸大に行くための予備校を経営したりして、んで、その予備校で泣きながら石膏像を描いた夢とガッツある学生が芸大に受かって、でもやっぱりほとんどの芸大生が挫折して、また将来の挫折予備軍の学生たちの指導に回るという、円環の理(懐かしいな、これ)。
 私なんかは学校で美術教えているとは言え、専門のクリエイターを育てているわけじゃないからまだ罪悪感はないんだけど、あ~でもどうなんだろう。私もA級戦犯なのかなあ。
 でもさ、言い訳するわけじゃないんだけどさ。高校3年間演劇に夢中になるくらい、人生長いし別によくね?とも思うな。演劇や芸術表現系の道は確かに生涯年収激減するルートかもしれんが、この前の映画みたいに地獄の戦場に送り込まれるわけじゃねえし。
 ちょっと大学受験失敗して一浪するくらいじゃん。普通に大学受験するよりは、普通じゃないルートを勢い任せに選んでも、まだ取り返せるのが若者のいいところな気もする。
 実際私なんて、あれだぜ。高校時代、生徒会と漫画描くことしかやってなかったからね(あとデザーテッドアイランド)。大学受験も受験日忘れていかなかったという前代未聞の失敗をして浪人しちゃったけど、今もなんとか生きているし、楽しいし。
 逆に部員と全国とか目指せて羨ましいよって。漫画って個人競技だからさ、割と孤独だったぜ。紙とインクだけがと~もだ~ちさ~♪

 まあ、グダグダになっちゃったけど、アレだ。ムロツヨシよりは吉岡とはいえ、私は受験日が同じだった日本大学芸術学部脚本科よりも群馬大学教育学部を選択した人間だからな。
 これがもし、日大に進んでいたら、吉岡ルートだったかもしれないけど、どんな職業も結局尊いからね。十代の頃すごいキラキラしてる専門職だと思っていた漫画家や学者も、大人になればただの職業の一つって相対化されてしまったのが切ないよ(ツイッターのせいだ)。
 逆に超身近だった学校の先生がこんなに専門的な仕事だっていうのもわからなかった。歳はとるものである。とりあえず美術部の指導気を付けよう。

 どうやっても宇宙の果てにはたどり着けない。けれど切符だけは持っている。
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