ティラノサウルスの化石の古さ

 昨夜放送された「頭脳王」という番組。私は仕事で最後の方しか見れなかったんですが(フィリップス曲線とかクォークが出題!)ななななんと恐竜の問題があったということで、恐竜ファンとしては絶対解いておきたい!と、問題を調べて計算してみました。

 ティラノサウルスの化石に含まれる炭素14の量は5.16×10-3838
 現在生きている生物に含まれる炭素14の量は1.2×10-12

 ※ただし
 log0.51.2=-0.361
 log0.54.3=-1.29
 log0.55.16=-1.55
 log0.510=-3.01

 何年か前にブログで取り上げたけれど、炭素14は5730年たつと、総数の半分はベータ線を出して安定した窒素に変わるから(ベータ崩壊)、1.2×10-12あった炭素14がものすごい時間を経て5.16×10-3838まで量が減った(窒素に変わった)って考えればいい。

 つまり

 ティラノサウルスが死んじゃった時点の炭素14の量×半減期を何回繰り返したか=現在のティラノサウルスの化石に残っている炭素14の量

 と式を立てればいい。放射性同位体は、半減期が1回来ると、2分の1に、2回来るとさらに減って4分の1、3回来ると8分の1・・・と所さんの組曲冬の情景のように減っていくので

 1.2×10-12×2分の1のX乗=5.16×10-3838

 となる。で1.2×10-12をイコールの右に移項して

 2分の1のX乗=(5.16×10-3838)÷(1.2×10-12)

 2分の1のX乗=(5.16÷1.2)×(10-3826)

 2分の1のX乗=4.3×10-3826


 ここで

 X=ほにゃらら・・・

 の形にするには高校の頃に出てきたlogを使う必要がある。これが私は理屈自体は割と簡単なんだけど、表し方がとにかく覚えにくくて、すごい嫌だった。地震のマグニチュードとかはこの指数対数で出すんだけどね。

 例えば
 
 32=9
 
 で、これは中学校で習うから楽勝だけど、この小さい数字(ここでは2)を指数って言うんだけど、こいつをメインにした式を作る場合は

 2=log3
 
 という形にする。つまりlog39とは3を何回かければ9になりますか?という意味になるってわけ。

 だからさっきの式

 2分の1のX乗=4.3×10-3826

 は

 X=log0.54.3×10-3826

 X=log0.54.3+log0.510-3826

 となる。

 よって
 
 X=-1.29+log0.510-3826

 さすがにlog0.510-3826の方はちょっと桁が凄まじく小さいので

 10の-3826乗ってことは小数点が左に3826回動くってことなので

 -3826log0.510

 に変形してから
 ※真数についている指数はlogの前に係数として出せる。(例log29=log232=2log23)

 -3826×-3.01

 =11516.26

 となる。

 よって

 X=-1.29+11516.26

 X=11514.97

 となりこのティラノサウルスの化石はなんと11514回も半減期を繰り返したことになる。

 で、炭素14は5730年で半減期を一回、倍の11460年で半減期を2回・・・という感じで減っていくから、11516回やるには5730×11514になって

 化石の年齢は65975220歳ということがわかる。

 とんでもなく太古の遺物である恐竜の化石に半減期が短い(!)炭素14を使うことってあまりないって博物館学では教わったんだけど(すぐに枯渇するから誤差が大きい)、でも6600万年前といえば白亜紀後期だし、炭素14でもあながち見当はずれの結果は出ないということがわかった。もちろん恐竜の時代と現代で生物に含まれる炭素14の量が変わらない(地球の大気組成が変わらない)という前提が必要だけど。

 そしてこれをあっさり解いてしまう東大医学部。
 さらに日本史の試験が明日なのに全然関係ない記事を深夜に書いている私。こやつらの一度読んだ本は暗記できてしまうチート頭脳が欲しい。

 追記:こしさんと話したんだけど、この問題、仮定の

 ※ただし
 log0.51.2=-0.361
 log0.54.3=-1.29
 log0.55.16=-1.55
 log0.510=-3.01

 が、おかしくて、底の0.5を常用対数で出しちゃって真数でかけちゃってるんだよね。本当は底の変換公式を使うからlog0.54.3はだいたい-2くらいになるはずなんだ。
 でもさ、仮にも天才東大生とかが解いてる問題で、問題自体にミスがあるってあるのか?っていう。だいたい高校で数学得意な人は気づくような、すごい初歩的なミスじゃん。
 で、計算し直すとこの恐竜の化石の古さは7000万年前くらいになっちゃって、まあ白亜紀後期(マーストヒリト期)には変わりないんだけど、ちょっとティラノサウルスの時代とずれてしまう。
 つーか、こういう問題を解くのが得意な秀才の決定的弱点って、問題の枠組みの中で答えを出すのはすごいけれど、前提そのものにはあんまり疑ってかからないってことなのかな。そんなことに、いちいち疑ってたらテストの点数に反映されないしな。例えば自分の意見を論理的に表現する記述問題とかはどれくらい得意なんだろうっていう。
 だから、あれなんだ。音ゲーのめちゃくちゃ上手い人を見ているような、そんな感じ。プレイはメチャすごくてとんでもないけれど、その音ゲー自体は作れないんだっていう(^_^;)

フューリー

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ 閉所恐怖症注意☆☆☆☆☆」

 あの戦車バケモノか。

 凄惨な奴隷いじめの実態を描いた『それでも夜は明ける』など、誰もが目を背けたい不愉快なテーマの映画を作り出した謎のイケメンブラッドピットが贈る戦車版プライベートライアン。
 私、何年か前に講談社の編集者に「戦争とかそういう漫画はうちは求めていない、そんなの読みたい読者は誰もいないんです、不愉快だから」って言われたことあるんだけど、確かに娯楽作品の文脈では、こういう戦争の実態を描いたって儲かるわけはないんだよ。
 でもさ、でもさ、やっぱり私は悔しいんだよね。アメリカの映画文化ってさ、撮るべき映画(※(C)ノラネコさん)っていうのもちゃんと作るじゃん。スピルバーグ監督の『アミスタッド』の時と同じこと言ってるけど。
 エンターテイメント万歳ヒャッハー!みたいなイメージの国な割に、なんというか当事者意識みたいなのも高いからさ、つーか今なお戦争に足突っ込んでいるからさ、こういうことができちゃうんだよね。

 スピさんの『プライベートライアン』もそうだったんだけどさ、この映画って別にストーリーないんだよ。あらすじなんて「5人のアメリカの兵士が戦車に乗ってドイツ軍と戦う」で終わっちゃうわけで。
 つまり「ありの~ままの~戦場見せ~る~のよ~」みたいなものでさ。戦争を変に美化もしないし、かといって反戦がやりたいわけじゃないと思うんだ。
 かつていろんな事情があってこういうことが起きちゃったんだよねってのだけ見せて、あとは見た人がどう感じるか委ねるっていう。
 だから方法としてはドキュメンタリー映画にかなり近い。こういうどっちにもぶれないバランス感覚を持って、自然主義的に戦争を描くって日本人はなかなか難しいんじゃないのかな。

 ちょっと前に話題になった『永遠の0』なんかは私見てないから何とも言えないんだけど、安倍政権一押しってことは、やっぱり大東亜戦争や当時の軍部を多少美化してんのかなあとか。それとも、いち特攻隊員の人の犠牲心だけにフォーカスしているのかな。
 そう言う意味で言えばさ、毎回毎回戦争映画で悪役というかやられ役に甘んじてくれているドイツの人ってやっぱり日本人よりも偉いというか、心底あんなこと起こさないように反省してんだろうなあ。ヴァイツゼッカー大統領じゃないけれど「過去に目を背ける者は現在にも盲目である」というか。
 もちろんドイツにも右の人もいるだろうから「いいかげんにしてくれ」って思っている人もいるんだろうけど。でも総合的に日本の方がこういう国際舞台での振る舞いはちょっと無神経なところがあるよね。

 ただ、ここまで言ってあれだけどさ。この映画って、両軍を客観公平に描いてはいないからね。戦争ってそういうものじゃないじゃん。参加する以上どっちかの立場で戦わなきゃいけないんだから、アメリカの戦車の話になる以上、ドイツの方の言い分なんてわからないわけよ。あくまでも一人称視点だから、あの部隊にカメラ片手についてっている感がすごいんだよ。
 したがってドイツなんて、国家総動員法みたいに、女子供も戦争に参加させて、反戦とかラブ&ピースとかタワゴトぬかす臆病者は問答無用で晒し首じゃい、みたいな異常な集団くらいに描いているけれど、実際にアメリカ兵がそう思ってしまったものはしょうがない。それは彼らの見た“真実”なんだろうから。

 戦争映画の素晴らしさって言っちゃアレだけど出来の良さの判断基準って私が思うに二つあって、一つが観客を“いち当事者”として“戦場”に放り込めるか、もう一つが戦争の当事者たちの狂気をどれだけ描けるかだと思う。
 ベトナム戦争からか湾岸戦争からかは忘れたけど、今じゃ戦場の様子ってテレビで中継するの衝撃が強すぎて大衆が反戦に回るからNGになってるんだけど、だからイラク戦争でもウクライナ問題でもイスラエルパレスチナ問題でも「戦闘で大変なことになっています」ってニュースで報道されてても、対岸の火事感すごいじゃん。
 テレビの前で寝っ転がって鼻ほじくって「へ~そうなんだ~」で終わり。全然胸なんて痛んでないんだよ。人間って結局自分の身近な出来事にしか必死にならない想像力あるんだかないんだかわからない生き物だから、海の向こうの遠い国でどれだけの人が酷い殺され方しても、オレには関係ないで済んじゃう。

 で、「それでいいのか?今でこそお前らのんきだけど、歴史を振替ればわかるようになんかのきっかけで平和な日常なんてあっさり崩れちゃうんだぞ」って、戦争の実態を大人なんだから少しは考えろ!と見せてくれるのがブラッドピットやスピさんやスタローン兄貴(ランボー4最高でした)みたいな人なんだろう。
 余計なお世話だって言われればそれまでなんだけどね。こうして毎日安心してお布団で寝れるっていうのがすごい幸運な状況だって、少しはありがたく思ったほうがいい気はするよね。
 つまり、せめて映画くらいは戦場で戦う当事者として疑似体験しやがれっていう。実際は映画って匂いもないし、結局のところ76ミリ砲弾がスクリーン突き破って観客席で爆発しない以上、絶対安全圏からの物見遊山ではあるんだけど、ガルパンとか見てるオタクとかこういう映画どう思うんだろうって。兵器を喜々として語っているけれど罪悪感ないのかっていう。

 私は所ジョージさんと秋元治先生の感想が気になるんだよね。秋元先生は『こち亀』の前にベトナム戦争か何かを題材にしたすごいシリアスな漫画をやろうとしていたくらいだからね。
 昨今『艦これ』の影響で、にわかにミリオタを自称する人が増殖したけれど、私はあのゲームに抵抗があってさ。日本の平和ボケというか、無神経さもここまできたかって思ってるんだけどさ。
 『フューリー』を見て、艦これが嫌いな理由がわかった。あのゲームってさ、司令官のプレイヤーが戦艦の少女を、しかも司令官に好意を寄せているような少女たちをなんのためらいもなく戦場に送るゲームなわけじゃん。
 女の子もあのゲームはまっているから一概には言えないけれどさ、火だるまになったり首が吹っ飛ぶような恐ろしい戦場に、自分を好きだと言ってくれる女を出撃させるような男は私はろくでもないやつだと思う。
 てめえが守りやがれって。ハーレム漫画のさらに先を行ったよなって。あんなもんに愛なんてねえよ。嫁とかなんとか言うならその女の子のために真っ先に戦って死ななきゃダメなんじゃないのかって。そりゃオタクはモテないよって。安全圏で偉そうなこと言ってるだけだもん。

 私だって臆病で戦争なんて絶対いやだけどさ、せめてドイツの街で真っ先に白旗を振って「子ども兵だけは助けてくれ」言ったメガネの先生風の人くらいにななりたいよ。
 自分の生徒を見殺しにしてまで生き残ることはないよなって。すげ~嫌だけど、大人になるってそういうことなのかもな。
 だから昨日のツイッターでのやり取りじゃないけれど、自分のしていることをちゃんと心得ていて、自分のすべきことを黙って行なえる人ってかっこいいんだろうな。人に責任をなすりつけない。そういうことができる大人があまりにも減っちゃったんだろうね。
 だいたい戦争に行っちゃった以上、オレの代わりに銃弾に当たってくれなんてやれないもんね。お腹痛いからお前オレの代わりにトイレ行ってくれができないのと一緒だよね。

 そういや、今は日本と中国の関係が悪いってことになっているけれど、両国にホットラインはないものの、どうやら日本の防衛省と中国の人民解放軍はマメに連絡を取り合って戦争を回避させようと対話をコンスタントにやっているんだよね。
 結局、戦争になっても自分は関係ないよって思っている人だけが過激なこと言っているだけでさ、いざ戦争になって最初に命をかけて戦わなきゃいけない人たちは、戦争なんて望んじゃいないんだと思う。なったらなったで、私たちには頭の下がる「カント的な義務感」というもので戦地に赴いてくれるんだろうけれど。
 だから、そういう人が『艦これ』やるぶんには別にいいな。『艦これ』ユーザーは徴兵までいかんでも、あのゲームをやることで収益金が戦時国債みたいに自衛隊に支払われれば、なんか丸くおさま・・・らないか。本当アレやっている人はどういう了見でやってんだろう。

 なんか話逸れちゃったから、話を『フューリー』に戻すけどさ、戦車のなかって狭いし、臭そうだよな。戦車が主題の戦争映画ってありそうでなかなかなかったけれど、なんか一時期の潜水艦映画とテイストが近い。詰め込まれている感が。敵との戦い方も潜水艦の魚雷当てと似た感じがあるし。
 ドイツのティーガー戦車が当時の戦車界でいかに化け物じみていたかも納得。中盤の戦車戦がもう映像資料としてもDVD欲しいくらい。
 戦車の乗組員って戦車という一つの生き物の臓器を分業している感じがする。だから結束力が命。『パシフィックリム』のロボットは二人乗りだったけど、戦車は5人6脚だもんな。リアルの方がよほどすごいことやってるじゃんって。
 だから戦争に行った人ってみんな「戦友以上の濃密な人間関係は二度と構築できない」って言うもんね。部隊が一つの命になるんだろうか。
 新入りの副操縦士ノーマンが荒くれ者のフューリー号の乗組員たちに「マシーン」と受け入れられ、最終的にすっごい皮肉なラストを迎えたのには心が揺さぶられた。あのシーンはかつてのノーマンなんだよね。で、多分あの若いドイツ兵も、ノーマンたちの功績によってアメリカ兵に殺されちゃったんだろうな。

 理想は平和だが歴史は残酷だ。

インターステラー

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ TARSのキャラ☆☆☆☆☆」

 オレたちが“橋渡し”だったんだ。

 夢の階層構造という超独創的な設定を繰り出した、ロジカルな脚本の映画ならお得意のクリストファー・ノーラン監督による『2001年宇宙の旅』。
 ノーラン監督って、観念に逃げずに広げた風呂敷は最後には論理的にきっちり畳むから、人類が星間飛行(インターステラー)して新たな段階に進化する、あの映画をどうやって料理するか、ちょっとだけ気になっていた。
 けれど、自分もかつて宇宙旅行の漫画作って、最後は恒星間飛行をやったから思うんだけど、この手の宇宙旅行を題材にした物語って結局落としどころのパターンはある程度限られていて、大筋の内容は似てしまうんだよね。

 漫画もそうですが現場のすぐれたクリエイターたちは「どっちの国が上」なんてことにはこだわらず、敬意あるパクリ合いに努めているわけですよ

 SGA屋さんがこんなシニカルなツイートしてたけどさwパクリ合いっていうか、もうやれる選択肢が限られてるんだよね。収斂進化に近いというか。それこそスターチャイルドにでも進化しないと、人間の感覚的な枠組みでは到底無理っていう。

 で、やっぱり自分が何年か前に書いたやつと一緒で、それはなにかっていうと、宇宙というすごいマクロなスケールをやろうとすると、それは人間の領域を遥かに凌駕するものだから、結局人間にもわかるように説明すると、微分するしかない。ほいで、すごいマクロとすごいミクロって、人間には未知のスケールである点では共通しているから、つなげてしまおう、と。
 だから、なんだかんだで個人的な話、オレのアジフライに気づけ赤松的な、顕微鏡サイズのエモーションというか、ユング的なインナースペースにして、ごまかすしかない。
 自分も、最終章で広大な宇宙とは真逆な微生物の世界を研究している人をキーキャラクターにしたり、最後の超高速飛行で主人公の夢を見せたのはそれであって、多分光を超えるとか、ブラックホールに落ちるとかっていうのはさ、死ぬのと一緒で、彼岸に行くようなものだと思うんだよね。

 この前に亡くなっちゃったおじいちゃんが、亡くなる数日前に「白い光が見えたよははは」とか言ってたんだけど、あれはマジなのかっていう。死んで消滅すると闇じゃないんだっていう。
 実際にこの映画のブラックホールも輝いててさ、あれは割と科学的には正しい可能性があって、漫画書くときに色々な宇宙の本読んだら、ブラックホールって実は吸い込み穴であると同時に光や電磁線の噴射口でもあってさ、だからダムみたいなものなんだよね。
 もちろん重力がすごくて、光(およびそれを基準にする時間)すら脱出できないわけなんだけど、なにやらジェット噴射しているぞっていう。
 この映画でもキーワードになった「重力」っていうのがネックで。あの力だけ未だによくわかってないからね。未だによくわかってないけど、めっちゃ身近なわけじゃん。電磁力や原子間力とかは論理的に決着ついているけど、なかなか実感できないじゃん。コンセントで感電とかすればあれだけどさ(^_^;)
 でも重力はジャンプするだけで、あ、落ちてるってわかるもんね。なのに一番理論物理学者が手こずっているっていう。量子化できないんだよね。もしかしたら、あの力だけは、ニュートン物理学どころか、量子力学の分類にも収まらない対象なのかもしれない可能性はあるよね。となると、重力が一時期の「DNAの突然変異」とか「エヴェレットの多世界解釈」とか「エントロピーって知ってるかい?」みたいなインチキSFのマジックワードになる可能性はあるよね。
 
 この『インターステラー』で一番『インセプション』らしいというか、お前こればっかやなって思ったのが通信技術のくだりだよね。地球からのビデオメッセージが別の銀河にいる宇宙船に届いてしまうっていう。
 あれはどうなんだろう?例えば光通信を使ったとして、あの宇宙船が5光年くらい先にいるとしよう。で、地球からメッセージを送って宇宙船に届くと5年かかる。つまり宇宙船の人は、5年前の地球の人のメッセージを見ることになる。
 ただし作中でも言っていたように、あっちの銀河の惑星は地球よりも何十倍も時間が経つのが早いから、そうなってくると、プラスマイナス、マイナスくらいでほぼリアルタイムで受信できても矛盾がないっていう。つーか原因と結果が逆転しないまでも、アキレスとカメのパラドクスというか、全然論理的にやりとりできるよっていう。
 こういう相対性理論っていうのは、実際に超音速ジェット機で証明されちゃっているのが面白いよね。あ、時計の針ずれたっていうw
 
 でもさ、私が一番面白かったのは、まああの板みたいなロボットの吹き替えなんだけど、それは最後に置いといて、科学的にいいなって思ったのは、冒頭なんだよね。
 なんだか知らないけど、地球が砂嵐に襲われててさ。作物が育たないんだよ。土壌がダメになった未来の地球なんだよね。でもこれ、お前の国(アメリカ)でよくあることだろっていうw
 アメリカの農業って適地適作ですごい大規模に同じ作物を大量に生産するから、土地がダメになって一時期すごい厳しい不作になった時があるんだ。ここらへんは中学生の地理でも習うんだけど。
 で、じゃあどうするかっていうと、なんか農家をすごい増やそうという政策に打って出るんだよね。重農主義というか。役に立たない基礎理学は置いといて、まずは第1次産業を最優先で取り掛かろうって、なんと海兵隊とか軍隊も解散して、みんなで農業やってるっていう世界観。これがいいよね。
 民主党政権の「スパコンは2位じゃダメなんですか?」発言とか、安倍政権の「三流大学は会計ソフトの使い方教えればいいだろ」的な。会計ソフトそのものは誰が開発するんじゃいみたいな。こういった、ある種反知性的な流れって日本だけじゃなくて、世界的にそうなのかなっていう。
 アメリカでもコンステレーション計画とか「意味あんの?」みたいな感じで打ち切っちゃったしね。絶対この映画作った奴「おのれオバマ!」って思っているよねw科学を役に立つか立たないかで短絡的に判断するんじゃねえっていう。
 でも流石にソ連のルイセンコイズムほど極端じゃなくて、一部の賢い奴はNASAでしっかり確保していて、いろいろ画策しているっていう。
 ここらへんの社会的背景が、冒頭でさらっと流されるだけなんだけど、風刺的で好きだった。もうバカばっかの大衆民主主義はもう全然ダメで、こっそりエリートだけでやっちゃえっていう。まあこれは今もそうで(自説の小さなツリーと大きなリゾーム参照)、建前が歴史ごとに違うだけなんだけど、こういうのを贅沢にメインテーマとはあんま関係ない設定として使っているのがすごい。
 で、最後ほんとに地球を捨てちゃうっていうのも、最後の結末をああするなら仕方がないとは言え、思い切ったなっていう。でもそのうち『WALL・E』みたいに探査機を出しそうだけどね。

 地球に生まれたからといって地球で死ぬことはない。

 本編の方はまあ、無難にまとめたな、みたいな感じだったんだけど。最初の本棚のシーンとかも最後にどうなっていくかは、割とすぐに展開が読めちゃったんだけど、あれももうちょい科学的な説明をして欲しかったかもしれない。
 私、あのシーンは絶対にダブルスリット実験のメタファーだ!って思って勝手にはしゃいでいたからねwで、マイクル・クライトンの『タイムライン』みたいな解釈をするんじゃねえかっていう。
 実際『インターステラー』もそういう回答だっただけに、マーフィーの法則までやるなら、コペンハーゲン解釈までやってほしかったよ。
 で、人類を凌駕する存在が、スケールが違いすぎて、人類に直接干渉できないっていうのは、本当自分の漫画とかぶって悔しかったよ。 とうとうそこに気付く奴が現れたか!しかもクリストファー・ノーラン監督だったか!みたいな。
 まあ自分が知らないだけで、いろんなSF作家がやってる気もするけど。そういうのがあるから私はほとんどSF読まないしね。科学の本とかで着想を得ているからなあ。
 で、神における預言者みたいな文脈で、結局何が何やら意味不明だった『2001年宇宙の旅』のスターチャイルドを解釈したところは、さすが理屈型映画監督ノーラン!って感じだよね。

 最後に一言。この映画にもHALみたいなモノリスというか人工知能が出てくるんだけど、こいつがね、すごいいいよ。
 人工知能の設定をファジー理論みたいにパーセンテージで変更できるんだけど、なんか海兵隊のパイロットロボットの払い下げだから、「ロボットの支配下になる気分はどうだ?」みたいな軍曹的口調で、「頼むからお前のユーモアの設定レベル100から75に下げてくれ」みたいなw
 で、正直レベルも100%にしちゃうと人間っていうのは関係がぎくしゃくしちゃうからあえて95%とか、あの板が気を利かせてるんだよ!!板が!!!なに、こいつのデリカシーw
 『ガーディアンズオブギャラクシー』でロケットラクーンとかアイアムグルートとかが好きな人は絶対気に入るぜ。で、日本語吹き替えがオススメ。

 人間信用レベルは?

 あんたよりかなり低い。

リアルとリアリティ新解釈

 よく漫画や映画、アニメで論じられる「リアル」と「リアリティ」の問題。私はせいぜい、リアルは客観的な事実で(リアリズムは美術では作者の主観を極力排除した写実主義ってことになる)、リアリティはフィクションにおけるリアルな度合い(逆にいえば作品に含まれる主観の度合い)、くらいにしか考えてなかったんだけど・・・
 例えば実際に起きた歴史的出来事は「リアル」だけど、それを元に体系化された歴史学は「リアリティ」の文脈でしかないよなあとか。

 そしたらパキPさんがすごい面白いこと言ってて

 ツッコむと作品世界の前提が崩壊するのが「リアリズム」、ツッコんでもいいけど好みの問題だよねそれ、っていうのが「リアリティ」?

 っていう新定義を発表してたんだよ。どういう流れでこんな話になったのか、仕事行っててよくわからないんだけど。
 でも、そういう切り口でも考えられるよなあ、頭いいよなあって。さらに続けて・・・

 大抵不満の槍玉に挙がってたり、作り手と受け手の感覚の祖語で悲喜劇が繰り広げられるのってリアリティの方?

 いずれにせよ、世の作品評を眺めてて、「こんなのリアルじゃない」「こんなリアル求めてない」と「リアル感あって素晴らしい」が並立してしまっているのになんかすげーモヤッとするのよなぁ。


 つまり、すごいマニアックなファンっていうのは、物語の本質的なテーマ、作り手がその作品で何を訴えたいのかとかじゃなくて、場合によっては交換可能な、すごい枝葉のところを喧々諤々と議論しているんじゃないかっていう、考察をしているのかもしれない。実際にパキさんがどう考えているかはわからないのですが。
 少なくとも私はそう勝手に解釈して、面白い定義だなって。
 
 例えば昨今恐竜マニアが集まっていろいろイベントできないとかって嘆いている人が多いけど(個人的には個人個人で楽しめばいいと思っている。べつにつるまなくてもアメリカの福音主義みたいなのでいいじゃんって)、『ジュラシック・パーク』なんかでブラキオサウルスはああやって立てないとか、ティラノサウルスが動かないものは見えないとかおかしいとか、そういうツッコミは「リアリティ」の話になるわけで、別に作品の本質的テーマにとってはディティールに過ぎないのかもしれない。もちろんディティールの積み重ねが本質的テーマを形成するのだろうから、おざなりにしすぎてもダメだけどさ。

 逆に作り手・・・クリエイター同士の議論って「リアリティ」じゃなくて、作品の背骨の組み方である「リアリズム」の是非で争われている気もする。
 言ってみれば作品って本来そこで勝負するものだし。ほとんどの人はディティールの是非は、その分野に詳しくない限り認識もされないから。
 厳密にはリアリズムもリアリティも不可分な気もするけど、優先順位という意味ではやっぱり作品を作る場合は「リアリズム」の方をちゃんと組み立てられなきゃいけないんだと思う。
 だからすっごいマニアックな人が作る作品って、あまり一般の人はついてけないんだよね。それは作品世界の前提の構成よりも、好みの問題を優先させちゃうから。
 もちろんプロはどっちもちゃんと組み立てることができて、『トイ・ストーリー4』やるぞってさっき発表したジョン・ラセター監督なんかはマニアックかつみんなが楽しめる作品を作っているわけで。

 あとさ、艦これみたいな本来ディープなミリタリーオタクしか受けないようなコンテンツが女子中学生とかにも受けてる秘密もこれでさ、戦艦はオタクしかわからないけれど、可愛い少女に興奮するのは普遍的なリアルなんだよ!
 私は「もしドラ」の時から、こういう美少女付け合せ商法に辟易していたんだけど、艦これもアイドルマスターもさ、女の子の種類がポケットモンスター並みに多いじゃん。そこがうまいんだよね。
 女性の好みこそ、人によって微妙に違うもんだからさ、その星の数ほどある「リアリティ」を、星の数ほどキャラクターを粗造乱造して、ひとつのコンテンツの枠の中で、対応させちゃうっていうのは、そりゃコンテンツの寿命も伸びるよなって。

 そういや、アンパンマンも、こち亀も、プリキュアも、マーベルなんかもそうで、コンテンツビジネスの永久機関はそれしかないぞ!って気づきだしたのだろうか。
 新しい作品よりは、かつてヒットした作品をうまく延命させる手法が確立した、というか。ただ「リアリズム」の部分をラディカルに脱構築し続けてしまうマーベルに比べて、アイドルマスターの「リアリズム」の調和性ってまだかつて(物語消費)のコンテンツ作りの枠組みに収まっているような気がする(マーベルよりはピクサーとかに近い)。それはマーベルとアイドルマスターの歴史の違いにもあるのだろうけど。
 アイドルマスターでアイドルに全く関係ない魔法とか兵器とか戦国武将が出てきたら、いよいよ「輝きの向こう側」に行ったなって感があるけどね。

 だから現代のコンテンツ消費のポイントは、何度か言うように、プロの腕の見せどころだった「リアリズム」よりも上位に、受け手の個人的なフェチポイントである「リアリティ」が来ちゃったってことなんだよね。
 昔は王様の下に法律があったけれど、今は王様の上にみんなが作った法律があるじゃん。つまり作家の絶対王制(夏目漱石の時代)から、立憲主義に民主化されたわけだ。
 もちろん民主化すればいいコンテンツができるとは限らないけれど(節操がなくなる)、ノージックによれば、コンテンツ作りに参加できる人数が増えれば増えるほど、名作が生まれる可能性は高くなるだろうから、なにより、作品の質どうこうよりも、みんなが楽しんで参加できる「場」ができるってのがいいんじゃないかって。

 で、その「場」に濃ゆいオタクが集まると、核弾頭に核弾頭がぶつかる悲劇が起きるわけ(^_^;)今回のよくわからない話も、なまじ恐竜が好きっていう人の絶対数が少なくて、「場」が狭いから生粋のオタクの吹き溜まりになってるんだよ。
 ライト化してしまったオタクにうんざりし『オタクはすでに死んでいる』を書いたオタキングこと岡田斗司夫さんは「どうやらオタク最後の楽園があったようだぞ!それは恐竜オタクだ!」って去年あたり感動してたけどな。だから誇りを持とうよ。
 私は、別に狭い世界でわいわいどうでもいいことで喧嘩してるのもエネルギーがあっていいんじゃないかなあって思う。別にそんなつるまなくていいじゃんって。オレらはアイドルマスターのプロデューサー連合にはなれねえよって。

秋の内田樹祭り

 やべ、10月大してブログ書かずに終わっちゃう。最近は落ち着いてパソコンやってる時間がなかなか捻出できないし、まあ多少時間あってもソニックブレイド描いているからブログが放置されちゃうんですが・・・というか、やっぱツイッターが良くないね。
 あれで、短文書いてなんとなく満足しちゃうんだよな。ツイッターやめれば、この日記も更新頻度上がるんだろうけど。ツイッターやる前はほぼ毎日書いてたからね。ツイッターとブログを両立できるマロさんはすごいよ。
 え~と、で、最近は病院で本読んでいることが多くて、主に内田樹さんの本なんだけど。『下流志向』で衝撃を受けてからすっかり「たつ兄」と勝手に慕っているんだけど、や、慕っている割には最近はまったくこの人の本読んでなかったけど、久々に内田樹分を補給したくなって。秋の内田樹祭り開催ってことで。実はちょっと前には夏の池田清彦祭りもやってたんだけど、理系の本って割と社会をメタに突き放したようなものが多くてさ、そのあっけらかんとした爽快さが欲しい時もあるんだけど、今は私生活的に文系を欲してるんだよな。

『寝ながら学べる構造主義』
 構造主義をこしさんに教えた時に、こしさんが最初に読んでいた・・・気がする本(^_^;)私は最終的に橋爪大三郎でガッテンしたけど、やはりたつ兄の内田節で構造主義を知るのも切り口としては面白いかもしれない。
 意外とたつ兄、構造主義に大しての自分の意見とかはこの本の中で一切書いていない。意外!しいて言えば歴史や社会の中で懸命に行動することを奨励したサルトルの主張は「こういうの私は大好きなんです」って言ったくらい。確かに好きそうだ。ちなみに私も好きですwつーかそれしか私たちには選択肢がないよね。他人事じゃないんだから。
 あとは本文中で特に説明のキレが素晴らしかった箇所を、ちょと。

巷の入門書について
 専門家のための書物は「知っていること」を積み上げてゆきます。そこには、「周知のように」とか「言うまでもないことだが」とか「なるほど…ではあるが」というようなことばかり書いてあり、読む方としては「なにが『なるほど』だ」と、しだいに怒りがこみ上げてきます。(8ページ)
 そして、知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、実は、「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです。(11ページ)


フーコーについて
 制度に「疑いの眼差し」を向けているおのれの「疑い」そのものまでが「制度的な知」として、現に疑われている当の制度の中に回収されていくことへの不快。そのことに気づかずに「権力への反逆」をにぎやかに歌っている愚鈍な学者や知識人への侮辱。(112ページ)

ラカンについて
 橋爪大三郎ですら「よくわからん」といい、当然私もこの人の言っていることがどこまで比喩で、どこまでガチなのかが分からなかったんだけど、さすがたつ兄。難解だし、ラカン先生の言いたいことのごく一部しか記述できませんとエクスキューズしながらも、丁寧に解説。
 というかこの本を買ったのもたつ兄だったら強敵ラカンもうまいこと説明してくれるんじゃないかなっていう期待があったから。
 ラカンの理解を助けるために、あらかじめフロイトの深層心理学を「構造主義に影響を与えた前史」ということで解説するのは見事としか言い様がない。
 池田清彦さんの『構造主義進化論入門』もそうだけど、やっぱり思想や哲学(及びそれに付随する学術的見解)は当時の文脈、つまり歴史のバックボーンを抑えないとうまく解説できないんだよな。
 感想としては、ラカンのカウンセラーの対話に対する考察って確かにロランバルトのテキスト論に似てる。患者さんと医師の共同作業なんだね。
 相手の言っていることを理解したり病理の原因をつきとめたりするんじゃなくて、聞いてますよって返事をしてあげることがカウンセリングでは一番大事っていう話なわけだ。仮にそれが真実でなくても話すことで救われる、みたいな。
 女性の愚痴を聴くときはちょっとそこらへんまで考えようと思ったけど、多分理解することをペンディングして熱心に聞くって、自分みたいな理屈人間には相当辛いと思う(^_^;)だから男と女は分かり合えないんだろうね。
 そう考えると、この人はなんて心の広い人んだって尊敬しそうになったんだけど、カウンセリング受けて治療費払わない患者には容赦なく平手打ち。社会的コミュニケーションの枠内に戻してあげることがラカン先生のセラピーの最終目標なので、必ずサービスには料金を払わせたそうな。そこはスパルタなんかい!w

フロイトについて
 「無意識の部屋」に閉じ込められて「冷凍保存」された記憶を「解凍」すると、「昔のまま」の記憶が蘇るというふうに考えるのは、おそらく危険なことです。記憶とはそのような確かな「実体」ではありません。(177ページ)

構造主義全体について
 すでに見てきたように、構造主義は党派性やイデオロギー性とはあまり縁のない、どちらかといえば象牙の塔的な学術
 これは私もこしさんに構造主義を紹介する時に力点を置いて説明したところ。現代の科学的アプローチと親和性が高いのも、構造主義が特定のイデオロギーを持たず、メタ的に相対化するからだろう。しかし当初はサルトルに代表される実存主義ブームと激戦を繰り広げたことは、実は高校倫理でも習う人は習っている。

『呪いの時代』
 「言葉が届くとは分かり易く書くということではありません」と、わかりやすく書いている内田さん。尊敬だ。自分の世代的にポストモダンとかニューアカとかじゃないからな。こういったラディカルな記号化に対するアンチテーゼの方がしっくりくる。アニメとか映画とかでもSNSが出てくるとなんか抵抗があるし。
 こんなに普及しているのになんでなんだろ?オレはもう時代おくれおじさんなのか!?って思って、ちょっと考えてみたんだけど、ネットってパブリックな場にプライベートな私念をぶちまけるから、あれなんだよね、その、美少女アニメで美少女がトイレでウンコしているところは書かないじゃん。そういうことです。わざわざウンコを作中取り上げることもないよなって。
 そんな感じで第1章、第2章はネットプロレスへの批判。第3章は日本の政治家のリーダーシップについて。これは『補訂版政治学』第15章「政策過程」とほとんど同じ内容だけど、表現が面白い。
 第6章は昨今話題・・・いや、もう廃れてる?の草食系男子について、ペルソナ的に考察。ペルソナは沢山あるに越したことはないっていう意見新しいなw
 第10章と第11章は原子力問題と科学哲学なんだけど、原子力という制御できない強大な力に対する(内田さんが推察する)欧米と日本の対応の違いがすごい面白かった。
 この内田説によればジュラシックパークは欧米よりも(戦後の)日本人のが心に突き刺さって、ゴジラは日本人よりも欧米の人のが感情移入するに違いない。恐竜という強大な力を前者は金儲けのビジネスに過ぎないと卑小化させて、現実的な恐怖心を押さえ込んだわけなんだから。
 また、科学の説明がなかなかの内田節で面白かったので引用。

 科学性というのは端的に言えば、「世界の成り立ちについてのあらゆる理説には賞味期限があり、かつそれが適用される範囲は限定されている」という肚のくくり方のことである。「言い換えれば、自分の使える知的な道具の有限性、自分が準拠している度量衡の恣意性、自分が自称を考量する時に利用する計測機器の精度の低さについての自覚のことである。さらににべもない言い方をすれば「自分のバカさ加減」についての自覚のことである。(300ページ)

 この本では、フランス哲学の専門家だったたつ兄が特にレヴィナスに深い影響を受けているのもわかる。確かにポストモダン的でないエシカルな思想家という意味ではレヴィナスと共通点あるかも。・・・と、思ったら、『街場の共同体論』で「僕の哲学的な師はレヴィナス先生です」って公言してました(^_^;)

 汝、呪うなかれ。
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