シンドラーのリスト

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 こんなことなら浪費グセを直しておくんだったな。

 家庭や学校で大人が「いじめは良くない」とか綺麗ごとの説教するよりも、この映画見せればみんないじめやらなくなるんじゃないか。この映画に描かれるナチスドイツによるユダヤ人の虐殺はいじめの究極形だ。
 学校で感想文を書かせると「戦争は良くないと思います」「平和は素晴らしいと思います」という一辺倒のリアクションで終わってしまうが、戦争や虐殺をしたくてこの世に生まれた人間はいない。いけないことはみんなわかってるんだ。なのに人間の歴史では時にこういうことが起きてしまう。自分とは離れた世界のことと遮断しないで、不愉快かもわからないけれど考え続けていこう。
 もちろんこんな深刻な映画を見ても、1000人に一人くらいヒャッハー映画として楽しんじゃう人がいるのも否定はしない。それは個人の自由だ(頼むから実行はしないでくれ)。
 そして、ユダヤ人をゲームのように嬉々として殺したナチスの将校の気持ち、ちょっとわかるって正直に言う人のほうが、案外信頼できる人物かもしれない。というのも、とある実験では2.8%のドライバーがわざわざ道をはみ出してまで動物をひき殺したのだという。
 私たちの心の2.8%にはそういったスーパーヴィランが存在するのだ。

 アメコミ作家グラント・モリソン氏は『スーパーゴッズ アメリカン・コミックの超神たち』の最後の章「スター、伝説、スーパーヒーロー、そして超神?」で、偉業に対する価値が下がった現代では、誰もがスター、伝説、天才であり、ならいっそ行くところまで行って、みんなでスーパーヒーローを名乗ってはどうだろうか?と提案した。私が印象に残った一節を引用したい。

 多彩なマスクやコスチュームで正体を隠し、身を挺して地域に貢献する、この先駆者たちはいったい何者であろうか?オレゴン州ポートランドには“ゼータマン”がいる。彼は町内を巡回し、ホームレスに食事や衣服を送っている。ジョージア州アトランタの“クリムゾン・フィスト”は、月に二回街に繰り出して助けが必要な人々を探す。
 (略)しかし、衝撃的なことに、カーテンや家電製品で身を固めた彼らは、実在するのだ。(581ページ)

 ふと私たちは、線路を渡って街に入ってくる二人に目を留めた。その片割れは髭面の普通の男であり、一見何の変哲もないコミックファンであった。しかし、もう一人はスーパーマンだった。(略)ファン大会でよく練り歩いている、貧相だったり、太鼓腹だったりするスーパーマンとは異なり、身ぎれいで、たくましく、ハンサムだった。
 (略)駆け出して二人を捕まえたダンと私は、自己紹介し、事情を説明し、いくつかの質問に答えてほしいと“スーパーマン”に頼んだ。彼は承諾し、コンクリートの車止めに腰かけた。片膝を胸のマークにあてたその様子は、完全にくつろいでいた。これこそスーパーマンの座り方であると、その時私は思った。決して傷つくことのない者は、常に悠然とくつろいでいるものである。一般的なスーパーヒーローが好む、威嚇的な身のこなしは彼には必要ない。突如として、スーパーマンに対する新たな視点が開けた。私たちは質問した。「ロイスについてどう思う?」。「バットマンについては?」。返答する声色や内容は、まさにスーパーマンそのものであった――「私や、私の行動をロイスが真に理解することは決してないだろう」。「バットマンは人々の心の暗黒面だけを見つめている。いい面にも目を向けてくれればいいのだが」――実に説得力があった。(588ページ)

 
 600ページ以上にもなる分厚い本なんだけれど、なかでも私はこの章が大好きで何度も読み返した。スーパーヒーローは実在するのだ!と。
 ニコニコ動画やピクシブで確かにクリエイターやアーティストの地位は相対化し、誰でもそれらを名乗れるようになった。ではモリソン先生が言うように誰もがスーパーヒーローになることはできるのだろうか?
 かつて日本でもタイガーマスクが恵まれない子供にランドセルを届けてくれたことがあったし、最近ではご当地を守る戦隊ヒーローがたくさんいるらしい。実に勇気づけられることだけど、問題は自分自身が実際に困った人に出会ったら、どれだけのものを犠牲にしてその人を救うことができるのだろう?ということ。
 そんな利他的な善行は歴史の本に載るような聖人君子しかできないよ、と人は思う。私もそう思っていた。

 しかしスピさんが『ジュラシック・パーク』の次に撮った(!)この映画を見て私の英雄観はかなり変わった。1100人のユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーは決して超人でもなければ人格者でもなかったということだ(※この映画のシンドラーを論じています)。
 私はこの映画すごい長かったからか、最後の方(車も売っときゃよかった)しか覚えてなくて、今回再び見てみたんだけど、シンドラーってもともと一攫千金を夢見る野心的なベンチャー起業家で、戦争に乗じてユダヤ人を安く使って大儲けしようとしていた、めっちゃ業の深い人だったんだ。
 もうホリエモンとかワタミみたいなもんで、平時の今、シンドラーが生きて鍋工場やってたら、ブラック企業とか言われてツイッターで叩かれていただろう。ポーランド人よりもユダヤ人を積極的に雇用したのは、とにかく安く使えたからだ。
 英雄は時代が作るとか言いたいわけじゃない。私が衝撃的だったのはこんな人でも英雄的な行為ができるんだっていう希望。つまりワタミの社長だって、もしかしたら時と場合によってはシンドラーなのだ。

 シンドラーを英雄にしたのは、結局経理を担当したユダヤ人のシュターンって気もする。彼が頭を使って、真っ先に処分されちゃうような弱い立場のユダヤ人を雇用し、なんとか命を救おうと裏工作をしていたわけで(私も先に粛清される部類の人間だと思われる。1980年代のジャパンに生まれて本当に良かった)。
 んでそれに気づいた我らが社長シンドラーは、もちろんこう返す!「冗談じゃないよ!」THE保身!気持ちは分かるぞ!
 それがナチスのユダヤ人排斥が激しくなるにつれて、シンドラーもついにユダヤ人の青田買いを開始する。自分の工場の労働力にするためにではなく、収容所送りになるユダヤ人の命を救うために。
 彼の手段と目的がいつの間にか変わった動機は大したものじゃない。それは誰にだってある罪悪感だ。『リンカーン』でも思ったけど、スピ監督は歴史的な英雄を、一般的な悩める人間に落とし込んで演出するのが、得意というか好きらしい。

 シンドラーは、勧善懲悪の作品ならば極悪非道の敵キャラである、ナチスの将校を接待し、おだてて、すかして、賄賂を贈り、ユダヤ人を金に物を言わせてガンガン買って行く。
 ホリエモンは「人間お金で買えないものはない!」とか言って世間の顰蹙を買ったけれど、この映画やツチ族フツ族内戦を取り上げた『ホテル・ルワンダ』などを見ると、それはある種の真理だということを認めざるを得ない。

 人の命はお金で買えるのだ。

 もし当時のシンドラーにあの地位と資産がなければユダヤ人を一人も救えなかっただろう。もしポール・ルセサバギナさんにミルコリンホテル副支配人という地位がなければ1200人のツチ族はナタでバラバラに殺されていただろう。
 地獄の沙汰も金次第。どんなに汚い手だろうが、手段を選ばずに切れるカードは全て切ったからシンドラー社長は大勢の命を救うことができたのだ。

 英雄には二つのタイプがいると思う。シンドラー社長やルセサバギナさんのように、凄惨な状況に不可抗力で巻き込まれちゃって、なにがなんだかわからないまま英雄になってしまうタイプと、ガンジーやネルソン・マンデラ大統領のように、そもそも不屈の闘志が自分の中に存在するタイプ。
 前者は言ってみれば優柔不断が吉と出て、後者は頑固さがものを言った。つまりスーパーヒーローにはどんな気質の人でもなれるのだ。必要なのは社会的な立場なのかもしれない。ガンジーはもともと南アフリカ共和国の弁護士だ。

 なんで急にガンジーが出てきたのかというと、リチャード・アッテンボロー監督の『ガンジー』も一緒に借りてきて、英雄映画祭りをやってたんだよね。あと『ガンジー』も『シンドラーのリスト』も『ジュラシック・パーク』に関係してるじゃんw
 『ガンジー』の冒頭部で、ハモンドさんがガンジーをどんな人間として描こうとしているかがわかる。1893年のこと。ガンジーが列車の一等車に乗っていたら、おめーはインド人だという理由で列車から放り出され、その時の屈辱がガンジーの太陽にトリチウム注いでしまったのだ。
 これって考えてみれば結構個人的な感情なわけで、それがきっかけになってインド独立までこぎつけちゃうんだから、本当にシンドラーとは真逆のタイプの英雄だ。

 テロは圧政を正当化する。
 善意はともかく支配するというのは侮辱です。
 正しいとは思うけど、ここまでしなくても・・・(『ガンジー』)


 頑固者というだけでは収まらないレベルの意志の強さが、不暴力不服従という聖人しかできないような運動を多くのインド人に実行させた。
 その結果、ある時には集会を行った1500人の命が犠牲になった。シンドラーやルセサバギナさんが救った人の数よりも多い数字だ。それでもガンジーは自分の意思を貫いた。こう考えると、この手のタイプの英雄と独裁者は紙一重というか、ガンジーは世界一の頑固者だったんだと思う。
 頑固といえばアパルトヘイトを撤廃したマンデラ大統領も似たりよったりで、無理ばっかして全然休もうとしないし、二人とも逮捕と刑務所暮らしはへともないらしい。

 私が我が運命の支配者。私が我が魂の指揮官なのだ。(『インビクタス負けざる者たち』)

 運命を支配した英雄ガンジー、マンデラ。運命に翻弄された英雄シンドラー、ルセサバギナ。ガンジーやマンデラの生き様はちょっと常人にゃ無理だけど、シンドラー社長くらいの英雄なら、ある程度の社会的立場とほんのちょっとの良心(罪悪感)でなれるはずだ。
 そして『フェアゲーム』で私は自己保身で人はいくらでも残酷になれると言ったけど、実はその逆もありうるんだっていうことを私は知った。自己保身のためなら人はどんな英雄的行為も厭わない。
 シンドラーが最終的にあそこまで熱心にユダヤの人を救ったのは、チャリティー活動に目覚めたとか、いいことをしている俺に酔ったとかそういうことだけじゃない。
 もしシンドラーの活動が中途半端に終わったら、それこそ自分の身の上が危ないからだ。そう言う意味で途中から彼には選択の余地はなかったのだ。
 さあネットでワタミを叩いているキミたち!カーテンと電化製品を用意してスーパーヒーローになろうじゃないか!

 助けが来ないわけありません。虐殺を目撃するんですよ?

 だけど、あの映像を見た人は「怖いわね」っていうだけで夕食を続ける。
(『ホテル・ルワンダ』)

スター・トレック イントゥ・ダークネス

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 お前がオレなら同じことしただろ?論理的に。

 ここのところ劇場で観た映画がそこまでシンクロしなくて、感想記事が体たらくで申し訳ないのですが(^_^;)ついに来た!これは面白い!すごい完成度!つまり書く事がない!見てくれ!
 2009年公開のJ・J・エイブラムス版『スター・トレック』の評価が高かったのは聞いていたのですが、こういう『スター・ウォーズ』のようなサーガ系宇宙SFは新参者お断り!みたいな敷居がなんかあって、敬遠していたんですよね(サーガ嫌いの私)。
 でも本家の「転送してくれスコッティ」(マイクル・クライトンのSFで引用)が知りたくて、ついにこの前DVDを借りてきてみたら、もうキャラがすごい起ってて、続きも見たくなっちゃったw
 んで、くだんのスコッティが今回『トイ・ストーリー3』のリトルグリーンメンのようなすごい美味しいところを持っていくのでお見逃しなく。

 なんかこういう完全無欠な映画みちゃうと、日本のサブカルチャーはもう萌えにしか逃げ場がないんじゃなかってがっかりしちゃう。
 思い出すのは、忘れもしない日比谷(だっけ?※忘れてる)で、あの『アベンジャーズ』を見た時。うわ!ついにハリウッド映画も日本の漫画のようにキャラ起ちさせるようになったのか!って衝撃だったんですが(のけぞった)、この映画もすっごいキャラがいい。
 まあこれは、JJ監督の手腕だけじゃなくて、もともと『スター・トレック』シリーズが積み重ねた遺産が良かったわけで、そうなるとずっと前からアメリカのほうがキャラクターを起たせるのはお手の物だった可能性もあるのですが・・・
 でもいくら素材が良くても、脚本や演出の仕方によってはレッツ三角コーナーなので、やっぱりJJさんとその一座が上手なんだろうな。キャラの動かし方がうまいよ。

 ドラマ作りの王道は①ライバルと②恋人と③強大な敵。つまりどれもが物語にゆらぎを与え不均衡をもたらす要素。そしてそれらは主人公の輪郭を際立たせ、補完させる、ある種の鏡像であるのが望ましい。
 主人公と正反対の要素を持つライバルキャラは少年漫画では王道だし(相変わらずあの二人は仲が悪くて大好き)、『戦火の馬』のベネディクト・カンバーバッチ演じる、超人類カーンは、前作のネオナチっぽい船長よりもずっと魅力的で強大な敵だ(無骨で繊細なハゲ船長もキャラ設定としては悪かなかったんだけど、前作はまずもってメインキャラクターを登場&説明しなきゃいけなかったから、あんまハゲの心情を描く尺が残らなかったように思われる)。

 おいおい②のヒロインはどうなったんだって言うけど、そんなんスポックに決まってるじゃんね。もうこれ、ホモ映画の最高傑作だよね。ちょっと泣いちゃったもん。私高校が男子校だったし、なんかホモ映画が好きなのかもしれない。
 『80日間宇宙一周』も最初『スター・トレック』みたいに熱い男と冷静な男の話で作ったんだけど、あまりにホモホモしちゃったからミグを女性に変えちゃったのはUstreamでも話したけど(ロシア系なのに苗字が男性なのはその名残)、やっぱオレそういう傾向があったのか。まあいいや。今度もし新しいタイトルの漫画を描くときは自分を受け入れて堂々とホモの漫画描きます!(なんの宣言だ)
 
 おいトンガリ耳。立派だがオレはどうなる?
 キミの彼氏は文句ばっかりだ。キミには悪いが、あいつの前髪をむしりたくなる。


 う~んごちそうさまです。
 
 て、ことでホモ漫画家を宣言したところで筆を置いてもいいんだけれど、これは批評とか不満とかそんなんじゃないんだけど、ちょっと気になったところだけ喋らせて欲しい。
 それは先ほど魅力的といった敵キャラ、カーンについて。遺伝子操作を受けて長い間冷凍保存されていた種族のカーンは、超人的な戦闘能力を持つ武闘派な上に、とんでもなく頭が切れる頭脳派だ。ひょろっとスマートで狡猾・・・Tレックスではなくてヴェロキラプトル的ないやらしさがある。
 まあ言ってみれば、ガンダムのニュータイプとかそう言った人類よりも半歩優れた新人類。私は武闘派な敵よりも、こういう知恵の回るずるくて卑怯な策士的な悪役にしびれるので、カーンの悪知恵には大いに楽しませてもらいました。

 これが下手なアニメとかだと、こういう知能指数が高い種族出しても、普通の人類との差別化ができなくて、結局ロボット動かせるのが人よりもちょっと上手いとか、とりあえずIQの桁を大きくしとけばいいやとか、そんなところにしか差異を出せなくなっちゃうんだけど、このカーンは本当に知能指数高いんだろうなあって雰囲気がある。
 まあ悪役の常ってことで最後は、同じく理屈型人間エポックにいっぱい食わされちゃうんだけれど、ここはハリウッドの大作映画だから仕方がない。
 強大な敵を倒せないまま、主人公たちが無力感を知ってそのまま終わっちゃう話とか、私は個人的にはすごい好きなんだけど(スピ監督の『宇宙戦争』とか。私の漫画でも本当に悪いやつはそのまま正義を出し抜いたまま勝ち逃げしちゃうことが多い)、まあそういうオチじゃ一般大衆のカタルシスが得られないのもわかってる。

 ただ欲を言えば、ここまで知恵が回る新人類描けたんだったら、艦隊攻撃の動機が、もっと、なんか、頭良いものにならなかったのかなって気はした。結局悪の秘密結社お馴染みの「劣等な人類を滅ぼし我々の世界を創るのだ!」っていう、もうアニメや映画で何百回繰り返したんだっていう優生思想で、これはちょっと時代遅れだよなあって(^_^;)前作のハゲ船長の動機の方がまだいいよなって(ガリ勉へのバカの復讐)。
 高い知能指数を持つキャラといえば、私の『80日間宇宙一周』でも、最終章で宇宙で一番頭のいい人間を出したんだけど、バカなりに知能指数が高い人ってどういう思考をするのかな?って想像した時、どうやっても優生思想にかぶれないよなあ・・・ってことになったんだ。
 だって、分子進化の中立説とかネオダーウィニズムとか考えれば、遺伝子の多様性を残しておくほうが長期的にはメリットがあるわけで、別に下等な民族を滅ぼすなんて面倒くさいことやったって意味ないじゃん。ラディカルな自滅思考があるならまだしも(ただそれって頭いいか?ってなるね・・・w)。
 多分カーンさんって長いこと冷凍睡眠していたから、思想が1940年代から進歩しなかったと思われる。デリダとかドゥルーズ=ガタリとか、ポストモダン思想の本とか読ませれば、もうちょいどうにかなったのかもしれないよね。「パレートの法則だと!?馬鹿な~~~!!」とか言って、『働かないアリに意義がある』を持ったままガクリと膝をつくカーンさんとか見てみたかった。

 私の漫画のイルミナは、もうちょい現代的な学者ってことで、もう全部宇宙の運命を受け入れちゃってる人にしたんだ。いくら頭が良くても人間である以上、神ではない。だから自分ひとりでは宇宙の運命は何も変えられない。
 仮に頑張って世界を平和にしたところで、2億年後には海は沸騰しちゃうし、そうなれば地球から生命は滅ぶし、太陽も宇宙もそのうち消滅しちゃう。頭のいい人っていうのは、そんな感じで自分がちっぽけな存在に気づいちゃうと思うんだ。
 まあパッと見、ただのネガティブな人になっちゃったんだけど、キャラのコンセプトはそんな感じで、世界に希望も絶望も持っていない、顕微鏡の世界だけに生きる人畜無害な人にしたかったんだ。テロをしたってどうなるの?っていう。ああいう破壊行為って実は理屈にかなってないんだよ。感情なんだよ。
 でもそこまで悟っちゃった人でも、小さい頃一緒に遊んだ男の子にもう一度だけ会いたくて・・・みたいな感じで最後に人間らしさを見せるという。でもやっぱりただの気弱なオタク少女に見えるねw

 あ、でも、カウンセラーの先生とかの話では、うつの人って意外と頭がいい人がなりやすいんだって。多分ロジックで考えすぎて、いろんな選択肢がたくさん見えるんじゃないのかな。
 で、どれを選んでもうまくいく可能性が低いっていうことになって(世の中運だからこれは事実なんだけど)、どれも選べずにフリーズしてしまうというか。「ええ~い考えるのめんどくせーや、どうにでもな~れ」っていうおバカな行動ができない。
 とはいえ、バカを擁護するわけじゃないけど、この世界ってすっごい複雑かつファジーで、究極的にはロジックや計算でどうにかなるもんじゃないんだよね。
 そこを割り切ってもうちょっとバカになれば、一歩は踏み出せるのに。まあ踏み出した先に画鋲があるかもしれないけど・・・
 オレ達って寿命が決まっているからね。天災を必要以上に恐れちゃった『アルフ』のエピソードじゃないけど、取り越し苦労で人生終わっちゃったら笑えないよ。

 話がそれたけど、そんな感じでカーンの動機だけはちょっと古くてベタかなって思ったけれど、映画全体で言えば、かなり世相を反映していて、この前の『フェアゲーム』で、CIA職員の情報リーク事件って近いうちに映画になるよな、とか言ってたじゃん。
 この映画がまさにそれで、情報化とグローバル化ががもたらした、俺たちは一体誰を信じればいいのかという閉塞感と、マイケル・サンデル的な究極の選択がテンポよく作中で展開され、2時間以上の長尺を全く飽きさせない(思い返せばカーンの引渡しとかスノーデンさんっぽいしねw)。
 私、見る前は「うわ~2時間半!?上映時間なげえよ~見るのやめようかな」とか、案の定弱音吐いてたんですが、生まれて初めて二時間以上の映画で一度も集中力が落ちず、疲れなかった!というか、ちょっと体力が回復した!
 私が、この映画で一番驚いたのそれだよ。超ヒットした『ダークナイト』でも『アバター』でも、私だんだん疲れちゃって結末どうでも良くなってたからねwなんか広大な宇宙の映像ってアルファー波的なのが出て癒されるのかな。
 冒頭で原住民(たくさんいるジョニー・デップ)もエンタープライズ号を拝んでたしね。あのツカミでこの映画の面白さは約束されたよねw

 ボーイズラブ。それは最後のフロンティア。

パンズ・ラビリンス

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 あなたはもうこんな夢物語を信じたりする歳じゃないでしょう?

 デルトロ祭り第三弾。公開前、テレビ東京のショウビズカウントダウンで、とんでもない映像のインパクトで視聴者にトラウマを与え(私だ)、ギレルモ・デル・トロ監督の名を世界に轟かせた話題作。
 もう見る前から、どう考えてもポジティブな映画じゃないってことは分かっていたので、精神的に私が調子に乗るまでは見るのを控えていたんですが、結局今になっちゃった。それもCnoteのけんこさんがごり押ししたからやっと重い腰を上げたっていう(^_^;)

 ほいで、この前の『ヘルボーイ』の記事で「デルトロ監督はビジュアルがダークなだけで、内容は割と王道でそこまで暗くはない」という傾向を見出そうとしていたんですけど・・・

 暗い。暗すぎる!!(´;ω;`)

 もうすごいよ。冒頭一番最初のシーンで主人公死にかけてるwんでなんでこういうことになっちゃったの?って感じで、少女の鼻血が巻き戻され、物語が長~い回想に入るんですが(回想が本編!)、この映画って『ウォッチメン』のごとく物語の構造が円環になってて、実はもう最初のシーンのナレーションでオチを言っちゃってるというwでもそれがオチだとは所見の人にはわからないように作っているのがうまい。

 自分がいったい誰なのか、どこから来たのかも忘れ、寒さや病、痛みに耐えながらやがてお姫様はその命を終えました。

 これは主人公の女の子オフィリアが空想したおとぎ話のお姫様のことかと思ったら、実はオフィリア自身の顛末を暗示していたという。
 まあ、だから見た人はほとんどみんな感じるように、これスペイン版のアリスなんだよね。それも虚構と現実を隔てる壁がすごい曖昧な『鏡の国のアリス』の方に近い。
 もしアリスの世界が、アリスの夢の中に存在する王様の夢だったとしたら、なにがなんだかウロボロスという・・・衝撃のオチのやつ。ドリーム・オブ・胡蝶。
 
 とはいえ総合的に見れば、私はやっぱり全体主義の時代に生を受け、辛い現実に居場所がなくて、虚構の世界(死や彼岸を暗示)を選ぶしかなかった、悲しい少女の話なんだと思う。
 その根拠はまあいくらかあるんですけど、例えばオフィリアの夢と現実世界の共通点から考えるならば、お母さんに医者が睡眠薬を2滴だけ入れるんだけど、そのあとオフィリアに仕えるというすっごい胡散臭いヤギ男「パン」が「マンドラゴラの根に血を2滴入れてお母さんのベッドの下に置きなさい」とか言うんだよ(どこの黒魔術だ)。
 さらにパンくんは物語の終局でも「弟の血を2滴頂戴」っておねだりするんだけど、重要なのは「2滴に意味があるの?」とかじゃなくて、シーンの順序なんだ。
 現実に起きた出来事としてお医者さんがお母さんに薬を2滴処方する様子をオフィリアが見てから、パンが2滴2滴って言うんだよ。
 つまり、この映画って必ず現実の世界が先で、ファンタジーの世界があとになっているんだ。

 よってパンや妖精の世界は、オフィリアの空想でしかないってことが構造的に暗示されていることになる。この映画が『ヘルボーイ』や『パシフィックリム』はなんだったんだってくらい救いようがないはそのためだ。
 この順序関係がてんで無秩序なら、妖精の世界が現実で、大佐やスペイン内戦の世界の方が虚構だったのかもよ?っていう『鏡の国のアリス』的解釈もできるんだけど、現実と虚構の順序関係が、オフィリアが撃たれて死んでしまうまで貫徹しているから、救いようがなかった。
 もし、オフィリアがお姫様っていう世界が現実で、現実だと思っていたものが虚構でしたって大逆転オチにするならば、あの救いようのないラストシーンのカット割りや順序はああなってないはずだ。よくわかんないから、ちょっと細かい話だけど説明してみるか。超ネタバレ。

①オフィリア撃たれる。
②穴のそばで横たわるオフィリア。
③オフィリアの手にクローズアップ(手が震えている=瀕死だけどまだ生きてる)
④手から血が滴り穴に落ちて流れる。
⑤オフィリアのそばで子守唄を歌うメルセデス。
⑥オフィリアのアップ。息が荒くなる。
⑦黄色い光を浴びてお姫様として王国へ帰る。
⑧現実のオフィリアが微笑む。
⑨オフィリアの息が途絶える。メルセデス号泣。

 やっぱり現実と虚構の順序が崩れてない。もし妖精やヤギの世界の方が現実でしたって可能性を残すなら⑨のあとに⑦を入れるはずなんだ。でもこの順序だと⑦は瀕死のオフィリアの今際の際に見た夢ってことになってしまう。
 唯一の望みは、ラストカットに出てくる妖精に変わるナナフシと(でも妖精の姿じゃないのに注目)、アリス的なドレスをかけた木の枝に咲く不思議な花なんだけど・・・あれなんだろうな。深読みをさせるブービートラップかもしれないし(^_^;)

 ・・・と、こんな感じで、この映画って本家『不思議の国のアリス』並みにメタファーだらけで、世界観や物語の構造がすっごい作り込まれている(ように見える)。なんか皮肉っぽい言い方したけれど、真面目な話、この“見える”っていうのはファンタジー(異世界)を描く上で大事で、しかも最も困難な点。
 だから、このクオリティでディズニーは『アリス・イン・ワンダーランド』やればよかったんだろうけど、あの映画を擁護するならば、このレベルの世界観はそうそう作れない。
 実は、ファンタジーの世界って見た目が不思議ならいいのか?っていったらそうじゃないんだ。まあ、視覚的に楽しめれば、それだけいいってタイプの人もいるんだろうけど、そのヴィジュアルに歴史的、文化的な根拠があると、空想の世界の説得力はずっと増す。
 つまりそれは「面白い漫画のお話のつくり方」のときにも言ったけど、その世界を支配するルールがちゃんと存在するかどうかなんだ。世界観の背骨、本質というか。

 こういう美しくもシュールで、主人公(≒お客さん)にすらルールがよくわからない世界といえば、やっぱりテレビゲームの『MYST』シリーズを思い出してしまう(あの不気味で物悲しい虚無的な歌詞のない子守唄は『MYST3EXILE』のテーマ曲を彷彿とさせる!)。
 私あのゲームがすっごい好きで、あれルール全くわからないまま本の世界に放り出されるんだけどw(そして世界一役に立たない説明書付き)、あのゲームのすごい偏執的なところは、ルールが存在しないからプレイヤーはルールがわからないのではなくて、実はルール(規則性)はちゃんとあるんだけど、それにプレイヤーは気づいていないってところ。

 普通のテレビゲームはこういうルールのゲームですって説明してから、ゲームが始まるけれど、MYSTはプレイヤーには最初ルールらしいルールを全く明かさず、ある程度ゲームを進めていくにつれ、「あ、この世界はこういうルールで出来ているんだ」ってなんとなく理解できるようになっている。これは最初にやった時相当ビビった。なんじゃこりゃ!って。そして魅了された。
 こういうゲームは日本ではなかなかない。というか作れない。つーか商業ベースに乗らない。まあ、日本のゲームはどうでもいいんだけど(艦コレやってりゃいいんだよ・・・)、なんにせよ、そういった世界を潜在的に支配するルールは、最初にプレイヤーに明かされないほうがリアルだということ。なぜなら、この現実世界がそうだから。

 自分にむかって語りかける母親のことばを聴いているとき、子どもはまだことばを知りません。しかし、すでにことばによるコミュニケーションの現場に引き出されています。子どもは彼が生まれる以前に成立した言語に絶対的に遅れて生まれます。言い換えれば、子どもは「すでにゲームが始まっており、そのゲームの規則を知らないままに、プレイヤーとしてゲームに参加させられる」という仕方でことばに出会うわけです。(内田樹著『先生はえらい』172ページ)

 この事実は恐竜ファンならおなじみの世界の見方だと思う。なぜなら恐竜の時代を知ることで、人類が誕生するずっと前から生物が、地球が、宇宙が存在し、内田樹先生風に言うならば、すでにゲームは始まっていたということがわかるからだ。
 人間が一人も存在しない世界があって、さらに人間はゲームの参加者としては超新参だったっていう事実の与える、センスオブワンダーは計り知れない。
 私たちはパッと見わからないし見えないけれど、なんか世界を支配してそうな潜在的なルールを、神話や宗教、哲学、自然科学などを用いながら、歴史の中で少しずつ明らかにしていった。このように人間とは、ただルールに適応し従っているのではなく、ルールを意識の俎上にぶち上げてしまう強大な力――想像力を持つ動物なのだ。

 なぜなら何も疑問を抱かずに、ただ従うなんてことは、あんたのような人間にしかできないからだ。

 そして、その人間にだけ与えられた気高い力は、私たちに天国も――同時に地獄も見せてくれる。
 よく「子どもはおとぎ話の世界に入り込んで、現実と虚構の区別がつかない」とか「子どもは大人が忘れた想像力があって純粋でいいわね~」とか言うけれど、私に言わせれば子どもほどの現実主義者はいないと思う。
 だから大人の綺麗事や理想にある嘘や偽善を見抜き、笑ってしまう。美しい物語に素直に感動して泣くのは、子どもよりは大人の方だ(『風立ちぬ』を観て号泣している小学3年生はイメージできない)。現実と虚構の区別がつかないのは、いろいろこじらせちゃった大人の方だ。

 この映画はスペイン版アリスって言ったけれど、オフィリアは、本当におとぎ話の世界を夢見るアリス・リデルのような空想少女だったんだろうか。そうじゃなくて、あの全体主義的な現実の世界のどこにも自分の居場所がなかったから、ところてんのように虚構の世界で生きるしかなかったんじゃないだろうか。彼女に選択の余地はなかった。生まれる親と環境は選べない。そこが子どもの不幸な点だ。
 私も現実で嫌なことがあると、つい「あ、でもこれ今度の漫画で使おう」と、もう一人の自分が意識の中に現れて、客観的に自分の境遇を茶化しちゃう癖があるから分かるんだけど、オフィリアも現実世界で現実的に生きるために、空想の世界を空想とわかった上で没入していったのかもしれない。二次元の嫁がいないことなんて、きっとみんな知っているはずなんだから。
 
 そういえば、私も小さい頃はオフィリアのように、よく森や山の中に入って遊んだんだけど(昭和の子どもなんで・・・)、決して夢見がちな空想少年なんかではなく、妖精とかヤギ男や巨大ガエルの存在なんて1ミリも信じていなかったし、アニメや漫画だって小さいなころから「嘘くさい」と言ってあまりハマらなかった。
 でも森の木や霧や、雨露がついた葉っぱ(この光景は今でも鮮明に覚えている。位置もわかるけど、もう公園になっちゃったw)など、いろんな美しいものに夢中になった。ファンタジーよりもファンタジーな世界はすごい身近にあったから、人の作った嘘の話なんて必要なかった。
 だから自分は、現実ってもっと面白いのに、なんでもっとちゃんと観察しないんだよって、虚構である自分の作品を現実に接近させて表現しているのかもしれない。
 しかし私の子ども時代と違って、オフィリアの境遇はまるでアンネ・フランクのように陰惨だ。彼女はきっと私とは逆に現実を虚構に接近させたかったのかもしれない。
 どちらにしろ行き着く先は、現実と虚構の区別がつかない痛い大人行き・・・あ、死んじゃったけどね(^_^;)

 “妖精”は大人になると見えなくなるのでは決してない。大人になると面倒くなっちゃって見ようとしなくなるだけなんだよ。嘘だと思うなら今でも壁や床や天井の模様をじっくり見てみなって。今でもやっぱり顔に見えるから。(※肉体疲労時におすすめの遊び)

ヘルボーイ

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ いてえよ~☆☆☆☆☆」

 すべては茶番だってことだよ。なぜなら最後キミがすべてのありとあらゆる怪物を殺したところで一匹は残るわけだ。

 現在中ヒット上映中!の『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロ監督の実写版アメコミ映画。
 デルトロ監督作品ってまだ二つしか見てないけど、なんとなく「ダークメルヘンなヴィジュアル(あくまでも映像面の話であって内容は別にそこまで暗くない)」「登場人物はテンプレートだが一部に何故か個性が強いものがいる」みたいな傾向がある気がする。
 今回はあのデルトロの名を世界に轟かせた『パンズ・ラビリンス』も満をじしてレンタルして来たので、その直感がどこまであっているのか確かめてみよ。デルトロ祭りじゃ~!

 んで、『ヘルボーイ』なんだけど・・・キャラが起っててなんかすごい面白かったwナチスの過激派に地獄から召喚されちゃった悪魔なんだけど、赤ちゃんの頃にもうこっちの世界に来ちゃってるから、育ちはアメリカってことになる。レッドブル飲んでるしな。
 ハリウッド映画って大抵キリスト教に似た寓話構造になっていることが多いって前に『アイスエイジ4』あたりで書いた気がするけど、このヘルボさんも異世界から人類を救済するために降臨した神の子イエス・キリストのメタファー・・・とは恐ろしくて言えない!ま・さ・か!

 人格を決定するものは?ブルーム教授は考えた。それは生来のもの?生まれた時から決まっているもの?ぼくはそうは思わない。それは本人の選択による。背負っている運命ではなく、どうやってそれと向き合うかだ。

 見た目があまりに人とかけ離れているから、仕事(FBI悪魔駆除担当)の時以外は秘密基地から出られなくて退屈しているところとか、でもたまに我慢できなくなっちゃって脱走してみんなを困らせたりとか(♪そして~おこ~られる~)、がさつなように見えて実は結構繊細の神経の持ち主とか・・・は、意外と『アルフ』なんかにも似ている。
 つまりスーパーヒーローものなのにコメディドラマのガジェットもふんだんに取り入れられているから、描ける物語に幅が効く。これはけっこううまいなあって思った。どっちも猫が好きだしね(意味は違うけど)

 ただゴツイ見た目とは違って、実はコミカルってところは、あれなのかな?まさかの最強伝説黒沢なのか・・・!?あの人の器はずっとでかいのか・・・?ドームなのか・・・!?どっちもモテないし(´;ω;`)若者に大人気なく嫉妬するところも共通点が・・・
 というわけで、とにかくヘルボーイのキャラがいいのです。『ヘルボーイ』はヘルボーイでもっているようなものなのです(よくよく考えりゃ当たり前かw)。
 異世界から来たファンタジー出身のヒーローって点は『マイティ・ソー』なんかと似てるんだろうけど、決定的に違うのは、そのギャグにもなりうるヘルボーイの人間的なネガティブな側面――貴族や特権階級特有の葛藤や悩み・・・!とかじゃなくて、一般人が一般的に抱く弱さだよね。彼女がほしいとか。彼女がほしいとか。

 あいつは変わらん。子どもだ。全く子どもだよ。

 さらに付け加えて言うならば、ヘルボーイってとんでもなく体が頑丈でどんな攻撃も「いてえよ~」で済んじゃう感があるんだけど、これは『ダイ・ハード』のむきたまご刑事を彷彿とさせずにはいられなくて・・・サマエルとの最初の戦闘シーンから、あれ?ヘルボーイって何かに似ているなって思っていたんですがw
 ここまで「痛い痛い」ってぼやくヒーローってなにげに初めてかもしれないw「痛い痛い」っていう悪魔も初めてかw
 ちなみに声は谷口節さん!谷口さんが珍しく野沢那智的な演技をやっているのも見どころ!

 さてこっからはアメコミのコンテキストのおはなし。アメコミって、日本では萌えアニメが星の数ほど塑像乱造されているように、アメリカではスーパーヒーローが星の数ほどいて、アメコミオタクでなくとも、ある程度の数を見ると、アメコミのお決まりの設定や展開がいやでもデータベース化されてしまう。
 だからグラント・モリソン著『スーパーゴッズ』でも書かれているように、パッと見どれも同じように見えるんだけど、すべてのアメコミが面白いわけじゃなくて、読んでみると出来不出来の差が歴然とあるよっていう。まあアメコミヒーロー自体にノれないっていう人もいるのかもしれないけど。萌えアニメってだけで拒絶反応(や偏見)がある人がいるように。

 一つの方程式が見出せる――つまり、〈思い悩むリーダー+大男+長い爪の男+氷の女王+情熱的でセクシーな娘+身体に障害のある指導者=大成功〉。もしかしたら、どこかの誰かが“スーパーヒーロー・チーム組み立てキット”を何人かの男たちに与えて、各々がフランケンシュタインの怪物を生み出すように競わせたのかもしれない。(『スーパーゴッズ』376ページ)

 とりあえずナチス。もそのアメコミテンプレートのひとつなんだけど、やっぱりドイツや日本は戦争に負けたし、ユダヤ人虐殺や従軍慰安婦、真珠湾攻撃と、けっこう陰湿で卑怯なことやっているから、悪役にはうってつけなんだよね。勿論当時のドイツや日本にも言い分はあるんだろうけど、現代の国際社会ではどうやってもそれを肯定できない状況になっている(ドイツや日本自身も)、っていうのがアメコミの悪役の条件にうってつけなのかもしれない。
 つまり耳尖らせて牙を生やした野蛮人にしても、まぶたとって歯ぐきむき出しのグロテスクマンにしても、旧日本軍やナチスって言っておけば波風は立たないよって。ナチスを肯定する人はほとんどいないから。ネトウヨやネオナチの人とかは怒るんだろうけど・・・

 あ、そう考えるとどんな悪役を作るにしろやっぱりそれなりのリスクを作家は背負うのかもしれない(^_^;)でもネオナチに絡まれるより大衆の反感買うほうが作家は怖いよね。大衆に売ってなんぼのもんだから・・・
 だから作家の方もなかなか巧妙にやってて、例えば『キャプテン・アメリカ』ではヒトラー総統に反逆したナチスの一部の過激派が・・・とか、うまいことエクスキューズをつけてる。
 んで、じゃあ敵が恐竜ならいいだろ、あ、動物保護団体からクレームが・・・なら宇宙の侵略者ならぶっ殺してもいいだろ・・・ってことになってってるんだろうけど、アベンジャーズの異星人チタウリなんかめっちゃ動きがテロ組織のそれで、笑っちゃったよなwお前ら絶対地球で訓練受けただろってw

 リアリズムなど知ったことか。おれたちが見たいのは、いかしたスーパーヒーローが、ありとあらゆる悪党をぶっとばすところだけだ!(『スーパーゴッズ』373ページ)

 読者の本音はそれなんだろうけど、作る側にも立場ってもんがある。この虚構とリアルのいたちごっこっていうのは現象学的には面白いよね。当事者としてみればたまったもんじゃないが。
 最近深夜の作業用映画が『ラヂオの時間』になっているから、大人の事情とやらに翻弄される作家っていうのがちょっと滑稽に見えちゃって・・・何をやってるんだ俺は!(C)牛島プロデューサー
 表現の自由を謳っているラディカルな編集者だって、スポンサーを怒らせるようなことは絶対やらないし、読者に反感買うようなものはいくら正論だろうが掲載しない(啓蒙<売上)。そう考えると掲載ペースも調整できて、表現も何をやってもほとんどOKな『ソニックブレイド』の環境はすっごい恵まれているのかもしれないな・・・よし漫画描くぞ!
 デルトロさんの『パシフィック・リム』に乗じてロボットVS怪獣を描く!前例ができた!(いい前例かはまだわからないが)

パシフィック・リム

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆」

 怪獣が出たら壁になってくれよ。

 評論家竹内義和さんオススメ映画。ウルトラマン、ロボットアニメ、特撮ヒーロー、ハリウッド大作、ギレルモ・デル・トロ作品が好きな人は必見の映画みたいなのだけど、私はウルトラマンくらいしか好きなのがなくて、でも竹内さんからリプライもらえたのがすごい嬉しくて騙されたと思って見に行ってきました。最近なんだかんだで公開初日にばっか見に行ってるなあ・・・

 で、ハリウッド版ウルトラマンっていう噂だったけど、あんまウルトラマンっぽくはなかった。ハリウッド版トランスフォーマー(ロボがやたらでかくてごちゃごちゃ)と、ハリウッド版ゴジラ(怪獣がやたらでかくてごちゃごちゃ)を足して2で割ったような感じだった。
 つまり王道のハリウッドアクション映画で、よく言えば娯楽大作、悪く言えば大味で予定調和。ウルトラマンやウルトラセブンにあった、怪獣や宇宙人側の哀愁とか正当性みたいなものはさっぱり描かれはしなかった。西洋はやっぱりイーブルってやっちゃうんだよね。もういい、同じくロボットと怪獣が戦う『ソニックブレイド』で私が描くから。

 さらに、私ハリウッド版ゴジラはそこそこ好きなんですが、なんかこの映画の怪獣はちょっとイマイチというか・・・ウルトラマンの魅力ってちゃんと悪役側の怪獣のデザインにも生物としての説得力があって、地球のいち野生動物として描いているところだと思うんですが・・・(にしては馬鹿でかいが)この映画の怪獣は設定が『スターシップ・トゥルーパーズ』のアラクニドとほとんど一緒で、形態もエイリアンみたいなちょっと盛りすぎなグロテスクさ。あんまこのソフビを買いたいとは思わない・・・
 なんかミツクリザメみたいなのとギャオスみたいなのがいたのは覚えてる。

 とはいえロボットやアニメが好きな人は必見の映画だと思います。日本語吹き替えはメガトロンとかシャア少佐とかコテコテのアニメ声優がやっているしね。
 杉田&林原の「ロケットパ~ンチ!」て熱くなれるかどうかが分水嶺。アラサーの私は厳しかったですwイエガーロボとのシンクロ失敗・・・!
 そういえば、技の名前を叫ぶのって白土三平先生あたりの発明なんだよね。コマとコマのモンタージュの芸術であり、細かな動きがなかなか表現できない漫画だと、忍術って言っても何が起きているか描きにくいから。ディスクリプションしてセリフで言ってしまうというw

 サンダー・クラウド・フォーメーション!

 これはこれで日本のサブカル独自のコンテキストなんだろうけど、やっぱりロシア構成主義のクリエイターのごとく、職業声優を宮崎駿さんが避ける理由はちょっとわかるよなあってw演技が大げさなんだよねwまあそれが面白いのだけど。
 例えばガンダムのアムロの声の人と、三ツ矢雄二さんがそれぞれ怪獣オタクと数学バカの学者コンビの吹き替えを担当しているんですが、この二人がすごい面白いw
 なんかこいつらの友情だけで薄い本作って明日のコミケで売れるんじゃないかってくらいwもう、ふたりの記憶をシンクロさせるところとかホモにはたまらない展開だもんwしかも怪獣との3人プレイw
 それに三ツ矢さんの方は杖をついていて、しかも幼少期の記憶で一瞬いじめにあっていたんじゃないかっていう描写もあってなかなかに涙をそそる。彼女とかいないんだろうな(´;ω;`)

 あとこの映画って日本の特撮映画のオマージュらしく、いろんなところに日本語が書いてあるんだけど、基地の壁には「尊重」「穀力」「勇気」とか謎の社訓みたいなのが書いてあって(というか穀力ってなんだ?食料自給率みたいなものか??)、さらに東京のシーンでは「ビデオ萌え健太」という看板が芦田愛菜ちゃんの後ろでヤバげなオーラを放っていました。健太しっかりしろ!!
 芦田愛菜ちゃんという日本を代表する幼女に萌え健太。日本通だというデルトロ監督の底の知れ無さが伺える。
 これは『ブレードランナー』の「強力わかもと」を抜いて、洋画の変な日本語看板選手権暫定一位ね。

 最後に一言。日本代表コヨーテ・タンゴってどこで出た?
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