新感染ファイナルスクーリングということで体調絶不調・・・つーかむしろ風邪でふらふらな状態の中、薬剤師さんに「風邪でも絶対休めないあなたへ」的な状態なので、引きかけの風邪ウィルスをwyped outする商品を教えてくれと懇願し、パブロンメディカルNと高麗にんじんドリンクを購入、これらのアイテムで弱った体をだましだまし立ち上げ、なんとか三日間しのいできました。
で、どう考えても小学生レベルしか英語力がない自分にとって不安すぎる英語のスクーリング、まさかの初回から抜き打ちリーディング&ヒアリングテストで、1000点満点中411点という低得点を獲得し、コンピュータ診断で汝は英検3級レベルに過ぎぬとverdictを受けました。
なんでこんなunspeakableな仕打ちをするんだろうとI was so terrified that I didn't know what to do だったんだけど、これは複数のレベル設定がされたtaskを、それぞれ英語力が異なる学生に振り分けるための、rather、アンダーアチーバー層への配慮だったのだ!これで私は気兼ねなく、イージーレベルの課題に取り組むことができたのです。
・・・しかしそのレベルがすでにムズイ。ルンゲ警部(C)浦澤直樹の元ネタで有名なジェレミー・ブレット主演の『シャーロック・ホームズの冒険』のエピソードのひとつ、「謎のブナ屋敷(Copper Beeches)」(奇しくも小学生のころ初めて読んだホームズのお話)の原語版を字幕なしで鑑賞するんだけど、登場人物のセリフをヒアリングし、さらにそれを紙に英語で正確に書き写す(つまりスクリプトを作る)という聴作文と呼ばれる訓練で、どう考えてもaccomplishmentsがない私にはヘビーなのがきちゃって、半泣き状態。
特にルンゲ…じゃなかった、ホームズがかなり気分屋な気質で、頭の回転が遅い連中(たいていワトソン君)に対してちょっとむっとすると、全盛期のたけしのように早口になり(しかも表現が気取っているらしい)まったく聞き取れないし、初心者向けの依頼人ミス・ハンターのセリフも私には千尋の谷から這い上がるが如し高く、つーか風邪なのか知恵熱なのか、いや両方のエフェクトだってことで頭痛がとまりませんでした。
たとえば単語なら意味を知っているやつなら聞き取れる(ただしluxuriantとかsacrificingとかinclined to thinkとか知らないのは無理)んだけど、aとかtheとかisとか-sとか-edとかの単独で意味をなさない機能語(屈折形態素)は、ネイティブのやつらは弱く発音するらしく(日本語にはこういったウィークニングはないため、英語圏の人が日本語を聞くと強弱なしの騒々しいマシンガントークに聞こえるらしい)、そうなるとsyntax――ある程度の文法知識がないと、板倉聖宣じゃないけど、見えども見えず、聞けども聞こえず・・・いくら耳がよくても認識することは不可能だという。
だから、ちょっと海外に滞在して、ボキャブラリーにものを言わせ、ネイティブとの会話の大体の意味がわかったからって英語ができると思うのは下衆の極み、文法こそ至高なのである!という、イデオロギーというかアジェンダが、先生にはあるわけ。
確かに、聴作文の観点で言うならば納得なんだけそ、これは上級者向けだよな~って思いました。文法ってなにがいやらしいかって、強固な規則性があるように見せかけて、その実は例外だらけなんだもん。カモノハシいすぎだろ、みたいな。
それに聴作文の力がかなり要りそうな同時通訳の人とかになるわけじゃないしな、でもまあ、ネットで奈津子がしばしば批判されてるのも、そういうイデオロギーの人がほかにもいるってことだろうな。
ちなみに、ヒアリングの題材としてよく取りざたされるのがオバマさんの演説らしいんだけど、先生いわく内容はともかくトランプ大統領もなかなかで、「メキシコの連中が我々アメリカ人の害になっている!」とうそぶくとき、いつも with us って言ってるらしいのだけど、これはwithを「~と」という意味ではなく「~のもとで」という意味で使用している、とてもいい例だと絶賛してました。内容はともかく。
個人的にインタレスティングの意味で面白かったのが、聴作文の教材でTEDのプレゼンみたいな即興性のある、実際の思考に沿った発話を用いると、語法的には不正確であるため、聞き手がその不正確な部分を補って組み立てなおして理解しなければならず、話し手が本来の意図を聞き手に伝えたというよりは、聞き手がかなり主体的に思考しているだけにすぎないということ。東浩紀的に言うならば、誤配の理論というか。
だから、そういった聞こえた英語を機械的に文字に起こしてみて意味がつかめないものは、基本的に教材としては不向きであるという。確かになあって。創作も含めたコミュニケーションってシンプルな伝達ゲームに見えてそこが難しいんだよな。
ルンゲ・・・じゃなかったホームズも以下のようにトラバース夫人級に怒っております。
that in these little records of our cases which you have been good enough to draw up, and I am bound to say, occasionally embellish.
You have degraded what should have been a course of lectures into a series of tales.――by sherlock holmes
ギフテッド
2017-12-03 13:20:34 (7 years ago)
「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆」
私の先生よ。1+1を教えに来たわ。
この前、自分の7歳の頃の写真を見たんだよ。めかしこんでいるから753かなんかのなんだろうけど。
で、これがまた、生意気そうなガキなんだよね。こんなやつの担任になったら絶対ぶっとばすよなっていう。そういう意味で自分はつくづく学校の先生方に恵まれたなっていう。
まず、授業に参加しないからね。この映画の天才児みたいに、授業が簡単すぎて退屈してるんじゃなくて、それよりもしたいことがあって、その欲求を抑えられずにパージしているわけだから、本来なら通知表はオール1でもいいところなのに、そんなに悪い成績をつけなかった先生方は大人だったんだなあっていう。
まあ、勉強なんて個人的にはやりたい奴がやればいいだけだとは思っているんだよ。ただ、やりたくないやつよりは、将来設計の関係でちゃんと勉強したい人の方が多数派なんだから、やりたくない奴はそいつらの迷惑にならないように、せめて授業中くらいはおとなしくしとけよ、それが民主主義社会だろって思うんだけど、これも、勉強以外にやりたいことが私なんかは体を動かさないお絵かき(マンガ)だからよかったものの(少なくとも授業中ほかの子の迷惑にはならない)、運動とか多動性の子なんかは厳しいんだろうなって思う。
別の記事にも書いた気がするけど、欧米だと知的障害とかある子は特別支援教育を受けさせる義務が親にはあって、本人や親の同意がないと特別支援学級に入級できない日本とは事情がかなり違う。
また、知能が高すぎるのも障害っていう話になると、この映画のイギリスのばあちゃんみたいな考え方(メンサ的なセパレーティズム)は、アメリカにおいては義務として正当化されることになる。
ただ、ギフテッド教育については、数年前に特別支援教育を専門にやっている素晴らしい先生とその是非を議論したことがあって、その当時は私は割と肯定派だったんだよ。英才教育。
実際、公立中学でも、数学に関してだけは突出して計算能力ある子がわずかながらいるんだよね(不思議なことにほかの教科では見られない)。
だから、数学は授業のレベル設定をどの層に合わせるのかが大変だったりするんだけど、その先生はわりとギフテッド教育には否定的で、とどのつまり一部の突出した才能だけを見て、周囲が特別扱いすると、そいつはろくなやつにならないって言ってた(笑)マロさんいわく『アルジャーノンに花束を』がそんな皮肉の効いた映画らしいんだけどね。
だから、まあ、そうなのだ。この映画のメアリーも結局、数学の能力が突出しているだけで(ちょっとマンガっぽいレベルでリアリティがないが)、それ以外はまあ、そこそこ幼女として可愛い部類なんだろうけど、性格は難があるし、総合的なアベレージとしては、決してそれほど高くないっていうね。
人間って一人に与えられる功績ポイントはだいたい決まっていて、普通はまんべんなく振り分けられるんだけど、たまに振り分け方がすごい偏った奴が生まれちゃっているだけな気もする。
つまり偏っているってことは、大多数の人で構成される社会とは齟齬を起こす可能性が高いわけで、そういう社会で生きる以上は、普通の人々と切り離すのは、むしろ逆効果で人生のリスクを高めるだけであるという話なんだ。
つまり、予算をけちりたいとかの問題が大いにありそうなんだけど、文科省が推奨する通常学級に特別な支援が必要な生徒を積極的にコミットさせるインクルーシブ教育は、一応理念としては説得力はあるんだよね。先生の負担は置いといて。
そうすると、あれだよな。『ちびまるこちゃん』の花輪くんの親はすごい賢いよね。あの御曹司を公立小学校に通わせて、実際花輪くんはまる子などのド庶民とちゃんと分け隔てなく交流できているんだから、教育効果は絶大だよね。最強の帝王学だよ。
まあ初登場では、ああいうキャラじゃなくて、どっちかというといじられキャラだったから、後付けであんな感じになっちゃったのかもしれないけど、でも花輪くんの人格形成に深みを与えてはいるよ。はまじやブー太郎とのコミットは。
これが、天才児だけの集団で教育させちゃうと、社会に対するイメージが貧困になるよね。まずバカの存在が理解できなくなるじゃん。
よくさ、頭のいい人は、バカが問題を理解できないのがわからないって言うけど、本当に頭のいい人は、バカがどこでつまづくのかを分析し、ここまで認識できて、こっからは認識が難しいんだよなって把握して、バカにも適切なアドバイスやサポートができるはずなんだ。
つまりギフテッド教育は、そういう本当の知性を養う機会を捨てていることになる。
例えば計算に関して言えば、もうコンピューターの方が全人類束になっても勝てないわけじゃん。でもそんなコンピューターですら最も困難としているのが対人的なコミュニケーションだからね。
まあ、あの映画に言わせれば、天才はバカにかまっている暇はねえとかうそぶくんだろうけど、大学の数学で本当に難しいのは1+1の証明だったりするからね。乗法はなんで交換法則が成り立つか、とか。
ほいで、よく、現代社会は不寛容になったとか言うけど、結局大人社会って所属する集団をある程度任意に選べるからさ、学区みたいにお前ここに住んでいるから、この人と結婚して、この仕事をやりなさいとか言われないじゃん。中世の封建制度じゃないんだから。
つまり、大人社会っていわば私立学校でさ、そう考えると社会にでろとか言うけど、その社会もかなり限定的なものに過ぎないってことなんだよね。
ならば感受性が豊かで多感な時期こそ、様々な刺激を受ける機会をたくさん与えてやるべきだろう。
まあ、しかし、数学やギフテッド教育どうこうよか、あの女の子をただ愛でる映画だった気もする。ちなみに私は幼女とか全然好きじゃないし。あとネコも。
ただ、『ベイブ都会へ行く』のフリーリクとかもそうだけど、身体障害をもつ動物キャラは好きなんだよな…くそ~
私の先生よ。1+1を教えに来たわ。
この前、自分の7歳の頃の写真を見たんだよ。めかしこんでいるから753かなんかのなんだろうけど。
で、これがまた、生意気そうなガキなんだよね。こんなやつの担任になったら絶対ぶっとばすよなっていう。そういう意味で自分はつくづく学校の先生方に恵まれたなっていう。
まず、授業に参加しないからね。この映画の天才児みたいに、授業が簡単すぎて退屈してるんじゃなくて、それよりもしたいことがあって、その欲求を抑えられずにパージしているわけだから、本来なら通知表はオール1でもいいところなのに、そんなに悪い成績をつけなかった先生方は大人だったんだなあっていう。
まあ、勉強なんて個人的にはやりたい奴がやればいいだけだとは思っているんだよ。ただ、やりたくないやつよりは、将来設計の関係でちゃんと勉強したい人の方が多数派なんだから、やりたくない奴はそいつらの迷惑にならないように、せめて授業中くらいはおとなしくしとけよ、それが民主主義社会だろって思うんだけど、これも、勉強以外にやりたいことが私なんかは体を動かさないお絵かき(マンガ)だからよかったものの(少なくとも授業中ほかの子の迷惑にはならない)、運動とか多動性の子なんかは厳しいんだろうなって思う。
別の記事にも書いた気がするけど、欧米だと知的障害とかある子は特別支援教育を受けさせる義務が親にはあって、本人や親の同意がないと特別支援学級に入級できない日本とは事情がかなり違う。
また、知能が高すぎるのも障害っていう話になると、この映画のイギリスのばあちゃんみたいな考え方(メンサ的なセパレーティズム)は、アメリカにおいては義務として正当化されることになる。
ただ、ギフテッド教育については、数年前に特別支援教育を専門にやっている素晴らしい先生とその是非を議論したことがあって、その当時は私は割と肯定派だったんだよ。英才教育。
実際、公立中学でも、数学に関してだけは突出して計算能力ある子がわずかながらいるんだよね(不思議なことにほかの教科では見られない)。
だから、数学は授業のレベル設定をどの層に合わせるのかが大変だったりするんだけど、その先生はわりとギフテッド教育には否定的で、とどのつまり一部の突出した才能だけを見て、周囲が特別扱いすると、そいつはろくなやつにならないって言ってた(笑)マロさんいわく『アルジャーノンに花束を』がそんな皮肉の効いた映画らしいんだけどね。
だから、まあ、そうなのだ。この映画のメアリーも結局、数学の能力が突出しているだけで(ちょっとマンガっぽいレベルでリアリティがないが)、それ以外はまあ、そこそこ幼女として可愛い部類なんだろうけど、性格は難があるし、総合的なアベレージとしては、決してそれほど高くないっていうね。
人間って一人に与えられる功績ポイントはだいたい決まっていて、普通はまんべんなく振り分けられるんだけど、たまに振り分け方がすごい偏った奴が生まれちゃっているだけな気もする。
つまり偏っているってことは、大多数の人で構成される社会とは齟齬を起こす可能性が高いわけで、そういう社会で生きる以上は、普通の人々と切り離すのは、むしろ逆効果で人生のリスクを高めるだけであるという話なんだ。
つまり、予算をけちりたいとかの問題が大いにありそうなんだけど、文科省が推奨する通常学級に特別な支援が必要な生徒を積極的にコミットさせるインクルーシブ教育は、一応理念としては説得力はあるんだよね。先生の負担は置いといて。
そうすると、あれだよな。『ちびまるこちゃん』の花輪くんの親はすごい賢いよね。あの御曹司を公立小学校に通わせて、実際花輪くんはまる子などのド庶民とちゃんと分け隔てなく交流できているんだから、教育効果は絶大だよね。最強の帝王学だよ。
まあ初登場では、ああいうキャラじゃなくて、どっちかというといじられキャラだったから、後付けであんな感じになっちゃったのかもしれないけど、でも花輪くんの人格形成に深みを与えてはいるよ。はまじやブー太郎とのコミットは。
これが、天才児だけの集団で教育させちゃうと、社会に対するイメージが貧困になるよね。まずバカの存在が理解できなくなるじゃん。
よくさ、頭のいい人は、バカが問題を理解できないのがわからないって言うけど、本当に頭のいい人は、バカがどこでつまづくのかを分析し、ここまで認識できて、こっからは認識が難しいんだよなって把握して、バカにも適切なアドバイスやサポートができるはずなんだ。
つまりギフテッド教育は、そういう本当の知性を養う機会を捨てていることになる。
例えば計算に関して言えば、もうコンピューターの方が全人類束になっても勝てないわけじゃん。でもそんなコンピューターですら最も困難としているのが対人的なコミュニケーションだからね。
まあ、あの映画に言わせれば、天才はバカにかまっている暇はねえとかうそぶくんだろうけど、大学の数学で本当に難しいのは1+1の証明だったりするからね。乗法はなんで交換法則が成り立つか、とか。
ほいで、よく、現代社会は不寛容になったとか言うけど、結局大人社会って所属する集団をある程度任意に選べるからさ、学区みたいにお前ここに住んでいるから、この人と結婚して、この仕事をやりなさいとか言われないじゃん。中世の封建制度じゃないんだから。
つまり、大人社会っていわば私立学校でさ、そう考えると社会にでろとか言うけど、その社会もかなり限定的なものに過ぎないってことなんだよね。
ならば感受性が豊かで多感な時期こそ、様々な刺激を受ける機会をたくさん与えてやるべきだろう。
まあ、しかし、数学やギフテッド教育どうこうよか、あの女の子をただ愛でる映画だった気もする。ちなみに私は幼女とか全然好きじゃないし。あとネコも。
ただ、『ベイブ都会へ行く』のフリーリクとかもそうだけど、身体障害をもつ動物キャラは好きなんだよな…くそ~
書道覚え書き③
2017-11-21 19:24:42 (7 years ago)
-
カテゴリタグ:
- 芸術
いや~すっかり冷え込んできましたね。そういや、この前『マイティ・ソー バトルロイヤル』観てきました。ジェフ・ゴールドブラムを無理くりねじ込んだおかげで、神話感(ラグナロク感)がスポイルされとりました。あの内容なら別にタイトルがバトルロイヤルでもいいな。
対するサム・ニールはオーディーンを演じておりました。な~んか世界観といいキャラといい良くも悪くもとっちらかっちゃった映画だったな。
ただ、茶漬け食べながらパキPさんと話した内容はすごい面白かった。ユーチューブで流せるくらい面白かった。あんま希望が持てる話ではないけどなw
書の用具・用材
文房とは、もともとは文章を司る職業のことで、そこから転じて読書するための部屋(書斎)を指す言葉になった。
文房四宝とは、書斎に備わっている器具のうち最も大切な、筆、墨、硯、紙のことである。
①筆
秦の時代の将軍によって作られたと言われているが、実際にはすでに新石器時代の彩陶にすでに毛筆で描かれた文様が残っているので、はるか太古から使用されていたらしい。
現存する最古の筆は戦国時代の楚の墓から発掘されたものである。
筆には、毛の硬さ、長さ(長鋒、中鋒、短鋒)、鋒の形状(面相筆、柳葉筆)によって色々な種類がある。
使用した後の筆は、軸の根もとについた墨までよく洗い落とし、水分を取り除いた後、陰干ししておくとよい。小筆の場合は、水を含ませた紙を使って穂先を整えながら、毛筆に含まれた墨を落とす。
柔毛筆
墨含みがよい。行書や草書に適している。穂先はブラシ状で尖っていない。
剛毛筆
ウマ、タヌキ、シカなどの硬い毛を使用。楷書に適している。
兼毛筆
ヒツジ、ウマ、シカなど複数の動物の毛を混ぜて使用。最も一般的かつオールマイティ。
②墨
最古の墨は秦の墓から出土したもので、磨るのではなく、潰して使用していたらしい。
煙煤と膠(にかわ)をよく練り合わせた後、香料を加えて木型に入れて形を作り、取り出して乾燥をさせる。この時の煙煤と膠の割合や練り合わせの程度によって墨質が大きく変わる。ちなみに中国製の墨を唐墨、日本製の墨を和墨という。
使用した後の墨は、濡れた部分すぐに紙で拭き取ると、ひび割れがしない。
松煙墨
松の葉の煙煤。炭素の粒子が荒く、磨り口に光沢がない。枯れてくると青みが出てくる。
油煙墨
菜種油、ごま油などの植物油から取れる煙煤。炭素の粒子が細かく、光沢がある。
古墨
墨の使い頃は30~50年であるが、製造されてから100年を超えるビンテージもの。
さらに輝きを増し、骨董的価値も高い。
③硯
最古の硯は長らく漢の時代のものだとされていたが、秦の墓から硯と研墨石が出土し、これが現存する最も古い硯となった。なお、新石器時代にも顔料をすりつぶすための石が発見されている。
中国には古来判っているだけで100種を超える硯石が採石されていたが、その中でも端渓石(たんけいせき)と歙洲石(きゅうじゅうせき)は千年以上の歴史があり中国の二大名石と呼ばれている。
端渓
広東省西江に流れ込んでいる川にちなむ。中でも水岩と呼ばれている石が最も品質がよいとされている。水岩は北宋の初期(千年前)から採石されており、また皇帝の許可がないと採石できなかった。
歙洲
広西省の竜尾硯山から採石される。名品クラスは宋代に集中しており端渓と並ぶ硯石の王者として君臨している。
日本産の硯石では、山梨県の雨畑硯や宮城県の雄勝硯などがある。
④紙
紙は後漢の蔡倫(さいりん)が発明したと言われていたが、前漢時代の墓から紙が出土したため、蔡倫は製紙技術を改良した中心人物であると考えられている。
書道用紙には、半紙、半切、聯(れん)、聯落ちなどの規格がある。このほか、色紙や短冊、扇面なども用いられている。
中国画仙紙
現在の画仙紙(がせんし)は稲わらに青檀(せいたん)の樹皮を混ぜたもので、青檀の樹皮の割合が高いと割高になる(浄皮)。
画仙紙は一般的によく使われる一枚すきの単箋、単箋を二つ合わせた夾箋、やや薄手の羅文箋などがあり、それぞれに書表現にあった特徴がある。
また清代には皇帝献上用のゴージャスな文様が施された紙も製造された。
和紙
原料はこうぞ、三椏(みつまた)、雁皮などで、パルプも用いられる。山梨県の甲州画仙、鳥取県の因州画仙、愛媛県の伊予画仙などがよく知られている。
執筆法
通常、筆の軸(筆管)の中程を持つ。
筆の持ち方には、親指を筆管に対してほぼ直角に当てて、人差し指と中指との三本の指で挟み持ち、残りの指を後方から当てて支える双鉤法と、親指を筆管にほぼ直角に当てて、人差し指とで挟み持ち、残りの指を後方から当てて支える単鉤法(鉛筆やボールペンの持ち方)の二つがある。
いずれにせよ筆を自由自在に動かすことが出来ることが重要である。
次に筆を運ぶ際の腕の構え方についてまとめる。
懸腕法
腕を机につけず宙に浮かせて書く方法。大字を書くときに用いる。
堤腕法
腕が軽く机に付く。中字や小字向け。
枕腕法
左手の甲の上に右手をのせる方法。小字向け。
回腕法
手首を上げて懸腕法のように構え、人差し指以下の4本の指をそろえて筆管に当てる。清の楊守敬が来日した際に日本の書家に伝授した手法で玄人向け。
書体
歴史的な順序で紹介。
隷書を簡略化する過程で、草書や行書、最後に楷書が出てくるが、これは日本では飛鳥時代までのことになる。
甲骨文字
主として殷・周代の遺跡(遺址)で出土する亀甲や獣骨に刻まれた文字。
金文
殷・周代の青銅器などの金属に鋳込まれたり刻まれたりした文字。
大篆
西周宣王が作ったとされる書体。秦の文字である石鼓文がその一例。
小篆
秦篆とも呼ぶ。秦の始皇帝の命令で六国文字(戦国時代、秦以外の6つの大国が使っていた文字)を改易させた標準書体。
泰山刻石や琅邪台刻石(ろうやだいこくせき)などが遺例。
隷書
篆書の筆画を簡略化して成立。
はたく(右払い)を強調していないものを古隷、強調しているものを八分という。
八分(はっぷん)
装飾的要素が強い隷書の一種で、横画の終筆を右にはね上げるのが特徴。
八の字に代表されるように左右に広がった横長の文字という意味。
草書
篆書や隷書の速書体から生まれた書体。
行書
隷書の点画を簡略化してできた書体。読みやすく速書きに適している。
楷書
三過折(点画を起筆→送筆→収筆の三段階に分けて書くこと)を備えた方正な字形の書体。魏・晋時代に成立。唐代に典型が確立。
王羲之
東晋時代の書家。中国最大の書聖であり、息子と共に二王として君臨している。
名家の出身でありながら中央政府での出世を求めず、初め女流書家の衛夫人(えいふじん)の書風を学び、のちに漢・魏の碑文を研究、楷・行・草の各書体を完成し、芸術としての書の地位を確立した。
彼の書は奈良時代になると日本にも伝わり、上代様式の成立に大きな影響を与えた。
そんな偉大な王羲之だが、直筆の作品は戦乱によってすべて失われている。
秋萩帖(あきはぎじょう)
平安中期の書の巻子本 (かんすぼん)。巻子本とは巻物のことであるが、なぜか帖(冊子)と呼ばれている。小野道風筆と伝えられる。
万葉集などの和歌48首と王羲之 (おうぎし) の手紙の臨書を、草書体の万葉仮名(万葉仮名から平仮名への移行を示す書体)で書いたもの。タイトルは、巻頭の歌の「あきはぎの…」という出だしにちなむ。
対するサム・ニールはオーディーンを演じておりました。な~んか世界観といいキャラといい良くも悪くもとっちらかっちゃった映画だったな。
ただ、茶漬け食べながらパキPさんと話した内容はすごい面白かった。ユーチューブで流せるくらい面白かった。あんま希望が持てる話ではないけどなw
書の用具・用材
文房とは、もともとは文章を司る職業のことで、そこから転じて読書するための部屋(書斎)を指す言葉になった。
文房四宝とは、書斎に備わっている器具のうち最も大切な、筆、墨、硯、紙のことである。
①筆
秦の時代の将軍によって作られたと言われているが、実際にはすでに新石器時代の彩陶にすでに毛筆で描かれた文様が残っているので、はるか太古から使用されていたらしい。
現存する最古の筆は戦国時代の楚の墓から発掘されたものである。
筆には、毛の硬さ、長さ(長鋒、中鋒、短鋒)、鋒の形状(面相筆、柳葉筆)によって色々な種類がある。
使用した後の筆は、軸の根もとについた墨までよく洗い落とし、水分を取り除いた後、陰干ししておくとよい。小筆の場合は、水を含ませた紙を使って穂先を整えながら、毛筆に含まれた墨を落とす。
柔毛筆
墨含みがよい。行書や草書に適している。穂先はブラシ状で尖っていない。
剛毛筆
ウマ、タヌキ、シカなどの硬い毛を使用。楷書に適している。
兼毛筆
ヒツジ、ウマ、シカなど複数の動物の毛を混ぜて使用。最も一般的かつオールマイティ。
②墨
最古の墨は秦の墓から出土したもので、磨るのではなく、潰して使用していたらしい。
煙煤と膠(にかわ)をよく練り合わせた後、香料を加えて木型に入れて形を作り、取り出して乾燥をさせる。この時の煙煤と膠の割合や練り合わせの程度によって墨質が大きく変わる。ちなみに中国製の墨を唐墨、日本製の墨を和墨という。
使用した後の墨は、濡れた部分すぐに紙で拭き取ると、ひび割れがしない。
松煙墨
松の葉の煙煤。炭素の粒子が荒く、磨り口に光沢がない。枯れてくると青みが出てくる。
油煙墨
菜種油、ごま油などの植物油から取れる煙煤。炭素の粒子が細かく、光沢がある。
古墨
墨の使い頃は30~50年であるが、製造されてから100年を超えるビンテージもの。
さらに輝きを増し、骨董的価値も高い。
③硯
最古の硯は長らく漢の時代のものだとされていたが、秦の墓から硯と研墨石が出土し、これが現存する最も古い硯となった。なお、新石器時代にも顔料をすりつぶすための石が発見されている。
中国には古来判っているだけで100種を超える硯石が採石されていたが、その中でも端渓石(たんけいせき)と歙洲石(きゅうじゅうせき)は千年以上の歴史があり中国の二大名石と呼ばれている。
端渓
広東省西江に流れ込んでいる川にちなむ。中でも水岩と呼ばれている石が最も品質がよいとされている。水岩は北宋の初期(千年前)から採石されており、また皇帝の許可がないと採石できなかった。
歙洲
広西省の竜尾硯山から採石される。名品クラスは宋代に集中しており端渓と並ぶ硯石の王者として君臨している。
日本産の硯石では、山梨県の雨畑硯や宮城県の雄勝硯などがある。
④紙
紙は後漢の蔡倫(さいりん)が発明したと言われていたが、前漢時代の墓から紙が出土したため、蔡倫は製紙技術を改良した中心人物であると考えられている。
書道用紙には、半紙、半切、聯(れん)、聯落ちなどの規格がある。このほか、色紙や短冊、扇面なども用いられている。
中国画仙紙
現在の画仙紙(がせんし)は稲わらに青檀(せいたん)の樹皮を混ぜたもので、青檀の樹皮の割合が高いと割高になる(浄皮)。
画仙紙は一般的によく使われる一枚すきの単箋、単箋を二つ合わせた夾箋、やや薄手の羅文箋などがあり、それぞれに書表現にあった特徴がある。
また清代には皇帝献上用のゴージャスな文様が施された紙も製造された。
和紙
原料はこうぞ、三椏(みつまた)、雁皮などで、パルプも用いられる。山梨県の甲州画仙、鳥取県の因州画仙、愛媛県の伊予画仙などがよく知られている。
執筆法
通常、筆の軸(筆管)の中程を持つ。
筆の持ち方には、親指を筆管に対してほぼ直角に当てて、人差し指と中指との三本の指で挟み持ち、残りの指を後方から当てて支える双鉤法と、親指を筆管にほぼ直角に当てて、人差し指とで挟み持ち、残りの指を後方から当てて支える単鉤法(鉛筆やボールペンの持ち方)の二つがある。
いずれにせよ筆を自由自在に動かすことが出来ることが重要である。
次に筆を運ぶ際の腕の構え方についてまとめる。
懸腕法
腕を机につけず宙に浮かせて書く方法。大字を書くときに用いる。
堤腕法
腕が軽く机に付く。中字や小字向け。
枕腕法
左手の甲の上に右手をのせる方法。小字向け。
回腕法
手首を上げて懸腕法のように構え、人差し指以下の4本の指をそろえて筆管に当てる。清の楊守敬が来日した際に日本の書家に伝授した手法で玄人向け。
書体
歴史的な順序で紹介。
隷書を簡略化する過程で、草書や行書、最後に楷書が出てくるが、これは日本では飛鳥時代までのことになる。
甲骨文字
主として殷・周代の遺跡(遺址)で出土する亀甲や獣骨に刻まれた文字。
金文
殷・周代の青銅器などの金属に鋳込まれたり刻まれたりした文字。
大篆
西周宣王が作ったとされる書体。秦の文字である石鼓文がその一例。
小篆
秦篆とも呼ぶ。秦の始皇帝の命令で六国文字(戦国時代、秦以外の6つの大国が使っていた文字)を改易させた標準書体。
泰山刻石や琅邪台刻石(ろうやだいこくせき)などが遺例。
隷書
篆書の筆画を簡略化して成立。
はたく(右払い)を強調していないものを古隷、強調しているものを八分という。
八分(はっぷん)
装飾的要素が強い隷書の一種で、横画の終筆を右にはね上げるのが特徴。
八の字に代表されるように左右に広がった横長の文字という意味。
草書
篆書や隷書の速書体から生まれた書体。
行書
隷書の点画を簡略化してできた書体。読みやすく速書きに適している。
楷書
三過折(点画を起筆→送筆→収筆の三段階に分けて書くこと)を備えた方正な字形の書体。魏・晋時代に成立。唐代に典型が確立。
王羲之
東晋時代の書家。中国最大の書聖であり、息子と共に二王として君臨している。
名家の出身でありながら中央政府での出世を求めず、初め女流書家の衛夫人(えいふじん)の書風を学び、のちに漢・魏の碑文を研究、楷・行・草の各書体を完成し、芸術としての書の地位を確立した。
彼の書は奈良時代になると日本にも伝わり、上代様式の成立に大きな影響を与えた。
そんな偉大な王羲之だが、直筆の作品は戦乱によってすべて失われている。
秋萩帖(あきはぎじょう)
平安中期の書の巻子本 (かんすぼん)。巻子本とは巻物のことであるが、なぜか帖(冊子)と呼ばれている。小野道風筆と伝えられる。
万葉集などの和歌48首と王羲之 (おうぎし) の手紙の臨書を、草書体の万葉仮名(万葉仮名から平仮名への移行を示す書体)で書いたもの。タイトルは、巻頭の歌の「あきはぎの…」という出だしにちなむ。
漢文学覚え書き③
2017-11-08 18:47:08 (7 years ago)
こんばんは。年内に全ての単位にケリを付ける大作戦開始です。そしたらオレは漫画と恐竜のお絵かきに生きるぜ。
参考文献:小川環樹、西田太一郎著『漢文入門』
「可」のふたつの意味
「許可」を表す助辞、「してもよい」「してもかまわぬ」「するがよい」、また「可能」の意味で、「することができる」と訳してもよい場合がある。
「民は之によらしむ可(べ)し、之を知らしむ可からず。」は「人民は政府の方針に従わせるのがよい。これ(政府の方針に従わせていること)を知らせてはいけない。」と「人民は政府の方針に従わせることができるが、これをみなに知らせることはできない。」のふたつの意味に翻訳することができる。
訓読の利害
漢文はもともと外国語の文であるから、一般に外国語を学ぶときのように、まず音読し、それによって意味を考えるのが正常な方法であり、訓読の方法は変則である。
すべての言語は、それぞれに特有のリズムがあり、音と意味の間にある関係もそれぞれである。
また訓読には次のような欠点がある。
訓読の方法とそれに用いられる言葉は平安朝時代に大体定まり、その内いくつかは変化したものの、ほとんどはそのまま継承されたので、訓読された漢文は日本語としても一種の古典語であって現代語ではなく、原文の意味を分かりやすくとらえようとすれば、もう一度現代語に置き換えなければならない。
しかしながら、漢文を音読のみで学ぼうとすれば、中国語の発音をまず学ばなければならず、それには特別の練習が必要となる。
また、日本人の祖先は訓読した形でのみ漢文を知っており、漢文学が日本文学に与えた影響も、直接原文からではなく、訓読を通したものである。
日本で復刻された中国の古典も、そのほとんどが訓点をつけて出版されているため、訓読の方法を知ることによって、それらの意味を理解し、利用することができるのである。
蛇足
出典は『戦国策』で著者は不明。これを編集したのは漢の劉向(りゅうきょう)。
司馬遷が『史記』を書く際、戦国時代についてはこの本によったと言われている。
そのためかつては歴史書のジャンルとされていたが、そのタイトルが示すように戦国時代の外交に関する策略が多く掲載されているので、のちに縦横家(戦国時代の外交上の策略を説いた学派のこと)に分類された。
現代語訳
昭陽は、楚のために魏を討ち、軍をくつがえし、将を殺し、八城を得て、兵を移動させて、今度は斉を攻めた。
楚出身の縦横家(しょうおうか)の陳軫は、斉王のために使者として昭陽に会見し、再拝して戦勝を祝い、立ち上がって問うた。
「楚の国の法では、軍を破り、将を殺した場合は、その官爵は何でしょうか?」と。
昭陽は「官は上柱国であり、爵は上執珪である。」と答えた。
陳軫は言った。
「それ以外に、これより貴いものは何でしょうか。」
(昭陽は) 「これ以上は、令尹(※今で言う総理大臣に当たるポスト)しかない。」と答えた。
陳軫は言った。
「令尹は貴い地位です。楚の王は二人の令尹をお置きになることはありません。私は、あなたのためにたとえ話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
楚の国に、祭祀を司る人がいた。
あるとき、自分の使用人たちに大杯の酒を与えた。
使用人たちは、数人でこの量のお酒を飲むには少なく、逆に一人で飲むには余りあるほどだと考え、地面に蛇の絵を描いて、最初に描きあげた者がこの酒を飲むことになった。
やがて一人がまず蛇を描きあげた。
その人は、左手で酒を引き寄せて今にも飲もうとし、同時に右手で蛇を描きながら言った。
「オレは蛇の足を描き足せるほど、まだまだ余裕があるぞ。」
すると、その人が蛇の足をまだ描いているうちに、他の人が蛇を完成させてしまった。
二番目に蛇を描きあげた人が、その酒を奪って言った。
「蛇にはもともと足がない。 お前はどうやってその足を描けるというのか?」
そしてそのまま酒を飲んでしまった。
蛇の足を描いた者は、とうとうその酒を飲み損ねてしまったのでった。
「――今あなたは、楚の大臣となって、魏の国を攻撃し、軍を破り、将軍を殺して、八城を得、兵力を弱めることなく、斉を攻めようとしています。
斉はあなたを甚だしく恐れています。
あなたは、これだけでも十分に名を成しています。
官位の上に、重ねて官を得るべきではありません。
戦いに負けることなく、とどまることを知らざる者は、自ら死に向かっているようなもので、あなたの爵位は、後任の人の手になろうとしています。
つまり、ちょうど蛇の足を描くようなものであります。」と言った。
昭陽はしかりと思い、軍を解いて斉から引き揚げた。
杞憂
出典は『列子』の「天瑞編」。『列子』は春秋戦国時代の道家の学者である列禦寇(れつぎょこう)による著作だとされている(というか、この学者が実在したことも実は怪しい)。
『列子』に収録されている寓話は「杞憂」の他に「朝三暮四」「疑心暗鬼」「男尊女卑」など。
現代語訳
(周の時代の)杞という国に、とある人がいた。
その人は、もしも天地が崩墜したら、自分の身を寄せる場所がなくなってしまうと憂い、寝食ができないほどであった。さらに、その人が心配しているのを、心配する人すらいた。
なので、(別の人が)出かけていってこれを諭そうとして言った。
「天は空気が積もっただけである。
どこにも空気のない所なんてない。
からだの屈げ伸ばしや呼吸は、終日天の中で行っている。
どうして天の崩墜を憂うのか。」
すると、その人は答えた。
「天が空気の積もっただけのものならば、太陽や月、星宿(中国で言うところのうみへび座)も(支えがないので)落ちてくるだろう。」
これを諭す人は言った。
「太陽、月、星座も積もった空気の中を光り輝いているだけで、仮に(光が)落ちてきてぶつかっても怪我なんてしない。」
その人は言った。
「では、大地が崩れるのはいかが答える?」
諭す人は言った。
「大地は土の塊が積もっただけである。
それが四方に充足し、どこにも土のない所なんかない。
地面を踏むのは、終日大地の上で行なっている。
どうして大地の崩壊を憂うのか。」
その人、釈然として大いに喜び、これを諭した人も釈然として大いに喜んだ。
長廬子はこれを聞いて笑って言った。
「虹や、雲霧や、風雨や、四季は、空気が積もった天に成るものである。
山岳や、河海や、金石や、水火は、土の塊が積もった地に成るものである。
天地の積気や積塊を知りながら、なぜ崩れないといえようか。
天地は、この世界の一つの細物であるが、有形物の中では最も巨大なものであるため、これを突き詰めることは決して出来ない。これは、もとより当然の話である。
つまり、天地が壊れることを憂う者は、甚だ先の長い話をしていることになるし、これが壊れぬと断言する者も、同様に正しくないのである。
天地が(半永久的に)崩壊しないということは、すなわち必ずいつかは崩壊することに帰結する(壊れる時まで壊れないため)。
その壊れる時に遭遇したと考えたら、どうして憂えずにいられようか。」と。
列子はこれを聞いて笑って言った。
「天地が崩壊すると言う者も誤りであれば、天地は崩壊しないと言う者も誤りである。
崩壊するか否かは、我々が知ることのできるレベルの話ではない。
崩壊するという考えも、崩壊しないという考えも、それぞれが独立した一つの見解であり、この両者は全く別な範疇に属するのだ。
故に、生きても死を知ることはできず、死んでも生を知ることはできず、未来からは過去を知ることはできず、過去から未来を知ることはできない。
天地が崩壊しようがしまいが、なぜ我々はそんなことを気にかける必要があろうか。」と。
参考文献:小川環樹、西田太一郎著『漢文入門』
「可」のふたつの意味
「許可」を表す助辞、「してもよい」「してもかまわぬ」「するがよい」、また「可能」の意味で、「することができる」と訳してもよい場合がある。
「民は之によらしむ可(べ)し、之を知らしむ可からず。」は「人民は政府の方針に従わせるのがよい。これ(政府の方針に従わせていること)を知らせてはいけない。」と「人民は政府の方針に従わせることができるが、これをみなに知らせることはできない。」のふたつの意味に翻訳することができる。
訓読の利害
漢文はもともと外国語の文であるから、一般に外国語を学ぶときのように、まず音読し、それによって意味を考えるのが正常な方法であり、訓読の方法は変則である。
すべての言語は、それぞれに特有のリズムがあり、音と意味の間にある関係もそれぞれである。
また訓読には次のような欠点がある。
訓読の方法とそれに用いられる言葉は平安朝時代に大体定まり、その内いくつかは変化したものの、ほとんどはそのまま継承されたので、訓読された漢文は日本語としても一種の古典語であって現代語ではなく、原文の意味を分かりやすくとらえようとすれば、もう一度現代語に置き換えなければならない。
しかしながら、漢文を音読のみで学ぼうとすれば、中国語の発音をまず学ばなければならず、それには特別の練習が必要となる。
また、日本人の祖先は訓読した形でのみ漢文を知っており、漢文学が日本文学に与えた影響も、直接原文からではなく、訓読を通したものである。
日本で復刻された中国の古典も、そのほとんどが訓点をつけて出版されているため、訓読の方法を知ることによって、それらの意味を理解し、利用することができるのである。
蛇足
出典は『戦国策』で著者は不明。これを編集したのは漢の劉向(りゅうきょう)。
司馬遷が『史記』を書く際、戦国時代についてはこの本によったと言われている。
そのためかつては歴史書のジャンルとされていたが、そのタイトルが示すように戦国時代の外交に関する策略が多く掲載されているので、のちに縦横家(戦国時代の外交上の策略を説いた学派のこと)に分類された。
現代語訳
昭陽は、楚のために魏を討ち、軍をくつがえし、将を殺し、八城を得て、兵を移動させて、今度は斉を攻めた。
楚出身の縦横家(しょうおうか)の陳軫は、斉王のために使者として昭陽に会見し、再拝して戦勝を祝い、立ち上がって問うた。
「楚の国の法では、軍を破り、将を殺した場合は、その官爵は何でしょうか?」と。
昭陽は「官は上柱国であり、爵は上執珪である。」と答えた。
陳軫は言った。
「それ以外に、これより貴いものは何でしょうか。」
(昭陽は) 「これ以上は、令尹(※今で言う総理大臣に当たるポスト)しかない。」と答えた。
陳軫は言った。
「令尹は貴い地位です。楚の王は二人の令尹をお置きになることはありません。私は、あなたのためにたとえ話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
楚の国に、祭祀を司る人がいた。
あるとき、自分の使用人たちに大杯の酒を与えた。
使用人たちは、数人でこの量のお酒を飲むには少なく、逆に一人で飲むには余りあるほどだと考え、地面に蛇の絵を描いて、最初に描きあげた者がこの酒を飲むことになった。
やがて一人がまず蛇を描きあげた。
その人は、左手で酒を引き寄せて今にも飲もうとし、同時に右手で蛇を描きながら言った。
「オレは蛇の足を描き足せるほど、まだまだ余裕があるぞ。」
すると、その人が蛇の足をまだ描いているうちに、他の人が蛇を完成させてしまった。
二番目に蛇を描きあげた人が、その酒を奪って言った。
「蛇にはもともと足がない。 お前はどうやってその足を描けるというのか?」
そしてそのまま酒を飲んでしまった。
蛇の足を描いた者は、とうとうその酒を飲み損ねてしまったのでった。
「――今あなたは、楚の大臣となって、魏の国を攻撃し、軍を破り、将軍を殺して、八城を得、兵力を弱めることなく、斉を攻めようとしています。
斉はあなたを甚だしく恐れています。
あなたは、これだけでも十分に名を成しています。
官位の上に、重ねて官を得るべきではありません。
戦いに負けることなく、とどまることを知らざる者は、自ら死に向かっているようなもので、あなたの爵位は、後任の人の手になろうとしています。
つまり、ちょうど蛇の足を描くようなものであります。」と言った。
昭陽はしかりと思い、軍を解いて斉から引き揚げた。
杞憂
出典は『列子』の「天瑞編」。『列子』は春秋戦国時代の道家の学者である列禦寇(れつぎょこう)による著作だとされている(というか、この学者が実在したことも実は怪しい)。
『列子』に収録されている寓話は「杞憂」の他に「朝三暮四」「疑心暗鬼」「男尊女卑」など。
現代語訳
(周の時代の)杞という国に、とある人がいた。
その人は、もしも天地が崩墜したら、自分の身を寄せる場所がなくなってしまうと憂い、寝食ができないほどであった。さらに、その人が心配しているのを、心配する人すらいた。
なので、(別の人が)出かけていってこれを諭そうとして言った。
「天は空気が積もっただけである。
どこにも空気のない所なんてない。
からだの屈げ伸ばしや呼吸は、終日天の中で行っている。
どうして天の崩墜を憂うのか。」
すると、その人は答えた。
「天が空気の積もっただけのものならば、太陽や月、星宿(中国で言うところのうみへび座)も(支えがないので)落ちてくるだろう。」
これを諭す人は言った。
「太陽、月、星座も積もった空気の中を光り輝いているだけで、仮に(光が)落ちてきてぶつかっても怪我なんてしない。」
その人は言った。
「では、大地が崩れるのはいかが答える?」
諭す人は言った。
「大地は土の塊が積もっただけである。
それが四方に充足し、どこにも土のない所なんかない。
地面を踏むのは、終日大地の上で行なっている。
どうして大地の崩壊を憂うのか。」
その人、釈然として大いに喜び、これを諭した人も釈然として大いに喜んだ。
長廬子はこれを聞いて笑って言った。
「虹や、雲霧や、風雨や、四季は、空気が積もった天に成るものである。
山岳や、河海や、金石や、水火は、土の塊が積もった地に成るものである。
天地の積気や積塊を知りながら、なぜ崩れないといえようか。
天地は、この世界の一つの細物であるが、有形物の中では最も巨大なものであるため、これを突き詰めることは決して出来ない。これは、もとより当然の話である。
つまり、天地が壊れることを憂う者は、甚だ先の長い話をしていることになるし、これが壊れぬと断言する者も、同様に正しくないのである。
天地が(半永久的に)崩壊しないということは、すなわち必ずいつかは崩壊することに帰結する(壊れる時まで壊れないため)。
その壊れる時に遭遇したと考えたら、どうして憂えずにいられようか。」と。
列子はこれを聞いて笑って言った。
「天地が崩壊すると言う者も誤りであれば、天地は崩壊しないと言う者も誤りである。
崩壊するか否かは、我々が知ることのできるレベルの話ではない。
崩壊するという考えも、崩壊しないという考えも、それぞれが独立した一つの見解であり、この両者は全く別な範疇に属するのだ。
故に、生きても死を知ることはできず、死んでも生を知ることはできず、未来からは過去を知ることはできず、過去から未来を知ることはできない。
天地が崩壊しようがしまいが、なぜ我々はそんなことを気にかける必要があろうか。」と。
国語科教育法覚え書き④
2017-11-06 20:19:57 (7 years ago)
先日の試験勉強の残骸です。早いもので、今年度の単位も残るは書道と漢文学とイギリス文学の3つで終了。作家と作品名の英語の綴りを覚えないといけないイギリス文学が取れるか怪しいが、まあできれば年内に全て片付けてすっきり年を越したいものです。
森鴎外(1862~1922)
本名は林太郎。島根県出身の小説家、医学者。
東京大学医学部卒業後、陸軍に入り、1884年にはドイツ留学する。
軍医関係の要職を歴任した後、帝室博物館長や帝国美術院長などを勤めエリート街道を突き進んだ。
作家としてはドイツ留学の後に、訳詩集『於母影』を発表、「しがらみ草紙」を創刊し、90年に処女作『舞姫』を発表した。以後、創作、翻訳(アンデルセン、ゲーテなど)、評論(坪内逍遙との没理想論争が有名)と多方面の活躍をした。
ちなみに『舞姫』は、留学期の鴎外の青春の断面が伺える作品である。文体の典雅な和文調と、適度に用いられたヨーロッパ的感触は、それまでの戯作小説的文体とは全く異なる清新な芳香を放ち、当時の青年を魅了した。
斎藤茂吉(1882~1953)
本名は「もきち」ではなく「しげよし」。読み方だけを変えるという珍しいペンネームのタイプ。山形県出身の歌人、医師。東京大学医学部卒業。
1913年、歌集『赤光』によって認められ、その語『あらたま』『寒雲』『暁紅』『つゆじも』など多くの歌集を発表した。歌論に『短歌写生の説』『小歌論』など、随筆に『念珠集』『不断経』などがある。
また『万葉集』や柿本人麿等の古典や、正岡子規作品などに関する研究や評論も高く評価された。『死にたまふ母』は母危篤の知らせを受けてから、葬儀後までの作者の心境の変化を歌った歌である。
芥川龍之介(1892~1927)
東京出身の小説家。東京大学英文学科在学中に、雑誌「新思潮」の創刊に加わり、そこで『鼻』を発表、これが夏目漱石に大絶賛され、作家として認められる。こうして夏目は芥川にとっての生涯の師となった。
以後、平安時代の説話やキリシタンの世界を取材して、『芋粥』『地獄変』『奉教人の死』など、技巧を凝らした構成、格調高い文体、理知的な鋭さを持つ優れた短編作品を発表する(しかし長編小説は得意ではなかったらしい)。
人生に対して傍観的な芸術至上主義者であった芥川だが、晩年には時代の流れの中で自分の態度に疑問を感じるものの、結局そこから抜け出すことができず、自ら命を絶つことになった。35歳没。
宮沢賢治(1896~1933)
岩手県の詩人、児童文学者。
法華経に生涯傾倒し、農学校教師・農業技師として農民生活の向上に尽くすかたわら、東北地方の自然と生活を題材に、詩や童話を書いたが、急性肺炎のため37歳で夭折した。
生前は無名に近く、自身が発表(自費出版)した作品も童話集『注文の多い料理店』および詩集『春と修羅』のみである。
没後、生前に書かれた多くの作品が発掘、評価され、その豊かな空想性とユーモア、宗教性、土着性、科学精神などの交錯する世界が注目を浴びた。
坂口安吾(1906~1955)
新潟県の小説家。東洋大学インド哲学科卒業。
虚無的な、あるいは逆説的な発想と、その底にある強い合理主義の精神によって特徴付けられる多くの作品を残した。
『吹雪物語』『白痴』『道鏡』等の小説、『日本文化私観』『青春論』『堕落論』等の評論がある。
ドリンクのラムネは「ラムネさん」という人が開発したんじゃないか?という「さまぁ~ず×さまぁ~ず」のトークテーマのような評論『ラムネ氏のこと』は、それが書かれた時期がアヴァンギャルドな絵画を描いただけで逮捕された戦中であることを踏まえると、芸術抵抗派の屈せざる仕事として後世に記憶されるものである。
太宰治(1909~1948)
本名は津島修治(つしましゅうじ)。
青森県出身の小説家。戦前~戦後にかけて無頼派、戯作派と称される作品を残す。
父親は地元の名士で、いわゆるブルジョア階級だった。
学生時代は成績優秀で、井伏鱒二や芥川龍之介の小説に没頭、小説家を目指すようになる。
またこの時同人活動もしているが(プロレタリア文学っぽい作品を書いていた)、なかなか評価されず人生最初の自殺未遂もしている。ちなみに芥川が自殺したときは、あまりのショックでひきこもりになっている。
高校卒業後は、あまりに人気がないので試験無しで入学できるという理由だけで東京帝國大学文学部フランス文学科を受験するが、その年だけなぜか試験があり、フランス語など全く知らない太宰は事情を話してなんとか入学する(もちろん授業にはついていけなかった)。
井伏鱒二に弟子入りした後、バーのウエイトレスと服毒自殺を図るが、ウエイトレスだけ亡くなり、太宰は一命を取り留めた(『人間失格』ではこの経験を書いている)。
その後、芸者の妻と駆け落ちする形で結婚もしている。
大学5年生になった太宰は仕送り打ち切りに備えて、新聞社などに就活するが失敗、今度は首つり自殺をはかるが、結局授業料が払えず大学は除籍になった。
また、芥川賞に何度もチャレンジするが落選。選考委員の川端康成をディスったり、自分の作品に注目してくれていた佐藤春夫に入選をお願いしたりと、とにかく芥川賞(というか芥川龍之介)に固執した。
このころになると薬物中毒がひどく(麻薬性のある鎮痛剤であるパビナールにハマった)、芸者の妻と温泉でまたまた薬物自殺をして失敗。
その後、芸者の妻とは離婚するが、井伏鱒二の紹介で二人目の奥さんと結婚。これがきっかけとなったのか、今までの乱れた生活を反省した太宰は、精神的にも安定し『走れメロス』『富岳百景』など優れた作品を残した。
戦後になると、美容師など様々な女性と関係を持ちつつ、華族の没落を描きベストセラーとなった『斜陽』といった退廃的な作品を発表。
そして愛人の美容師と玉川上水でついに入水自殺を成功させる。39歳であった。
中島敦(1909~1942)
東京出身の小説家。東京大学国文学科卒。
私立横浜高等女学校、続いてパラオの南洋庁に勤務したが、持病のぜんそくのために短い一生を終えた。そのため、作品の大部分は死語に発表されたものであるが、作者の豊かな古典的教養と優れた知性、格調高い文体は高く評価されている。
才能のある詩人志望が陥る不条理を描いた『山月記』は、中国の『人虎伝』を引用した作品だが、作者の詩人的な自意識を燃焼させた独自の世界を形成しており、『李陵』と並んで代表作となっている。
丸山真男(1914~1996)
大阪府出身の政治学者。東京大学法学部卒。
マックス・ヴェーバーなど政治思想史を専攻し、現代の社会・政治や、文化・文学などの問題についても、多くの論考や評論を発表している。
著書に『日本政治思想史研究』『政治の世界』『現代政治の思想と行動』『日本の思想』などがある。
『「である」ことと「する」こと』は、法的な権利をはじめとする様々な権利、それこそ自然権や基本的人権も永久不可侵なのは建前であって、自分で主体的に主張したり行動しないとその維持はできないよという、政治に無関心な割に権利に執着するオレ達日本人への警句である。
そのわりにはかなりアクティブに活動した学生運動については距離を置いていた。これには「丸山さん!なぜ動かない・・・!」と同僚の教授の失望を買ったらしいが、なんでもかんでも「する」ゃいいもんでもないらしい。
谷川俊太郎(1931~)
東京生まれの詩人。戦後、知的で清新な感受性に富んだ叙情で注目される。
父は法政大学学長で哲学者。
85歳の現在もツイッターなどのSNSを用いて精力的に活動中。
詩集に『二十億光年の孤独』『六十二のソネット』『愛について』『絵本』などがある。
森鴎外(1862~1922)
本名は林太郎。島根県出身の小説家、医学者。
東京大学医学部卒業後、陸軍に入り、1884年にはドイツ留学する。
軍医関係の要職を歴任した後、帝室博物館長や帝国美術院長などを勤めエリート街道を突き進んだ。
作家としてはドイツ留学の後に、訳詩集『於母影』を発表、「しがらみ草紙」を創刊し、90年に処女作『舞姫』を発表した。以後、創作、翻訳(アンデルセン、ゲーテなど)、評論(坪内逍遙との没理想論争が有名)と多方面の活躍をした。
ちなみに『舞姫』は、留学期の鴎外の青春の断面が伺える作品である。文体の典雅な和文調と、適度に用いられたヨーロッパ的感触は、それまでの戯作小説的文体とは全く異なる清新な芳香を放ち、当時の青年を魅了した。
斎藤茂吉(1882~1953)
本名は「もきち」ではなく「しげよし」。読み方だけを変えるという珍しいペンネームのタイプ。山形県出身の歌人、医師。東京大学医学部卒業。
1913年、歌集『赤光』によって認められ、その語『あらたま』『寒雲』『暁紅』『つゆじも』など多くの歌集を発表した。歌論に『短歌写生の説』『小歌論』など、随筆に『念珠集』『不断経』などがある。
また『万葉集』や柿本人麿等の古典や、正岡子規作品などに関する研究や評論も高く評価された。『死にたまふ母』は母危篤の知らせを受けてから、葬儀後までの作者の心境の変化を歌った歌である。
芥川龍之介(1892~1927)
東京出身の小説家。東京大学英文学科在学中に、雑誌「新思潮」の創刊に加わり、そこで『鼻』を発表、これが夏目漱石に大絶賛され、作家として認められる。こうして夏目は芥川にとっての生涯の師となった。
以後、平安時代の説話やキリシタンの世界を取材して、『芋粥』『地獄変』『奉教人の死』など、技巧を凝らした構成、格調高い文体、理知的な鋭さを持つ優れた短編作品を発表する(しかし長編小説は得意ではなかったらしい)。
人生に対して傍観的な芸術至上主義者であった芥川だが、晩年には時代の流れの中で自分の態度に疑問を感じるものの、結局そこから抜け出すことができず、自ら命を絶つことになった。35歳没。
宮沢賢治(1896~1933)
岩手県の詩人、児童文学者。
法華経に生涯傾倒し、農学校教師・農業技師として農民生活の向上に尽くすかたわら、東北地方の自然と生活を題材に、詩や童話を書いたが、急性肺炎のため37歳で夭折した。
生前は無名に近く、自身が発表(自費出版)した作品も童話集『注文の多い料理店』および詩集『春と修羅』のみである。
没後、生前に書かれた多くの作品が発掘、評価され、その豊かな空想性とユーモア、宗教性、土着性、科学精神などの交錯する世界が注目を浴びた。
坂口安吾(1906~1955)
新潟県の小説家。東洋大学インド哲学科卒業。
虚無的な、あるいは逆説的な発想と、その底にある強い合理主義の精神によって特徴付けられる多くの作品を残した。
『吹雪物語』『白痴』『道鏡』等の小説、『日本文化私観』『青春論』『堕落論』等の評論がある。
ドリンクのラムネは「ラムネさん」という人が開発したんじゃないか?という「さまぁ~ず×さまぁ~ず」のトークテーマのような評論『ラムネ氏のこと』は、それが書かれた時期がアヴァンギャルドな絵画を描いただけで逮捕された戦中であることを踏まえると、芸術抵抗派の屈せざる仕事として後世に記憶されるものである。
太宰治(1909~1948)
本名は津島修治(つしましゅうじ)。
青森県出身の小説家。戦前~戦後にかけて無頼派、戯作派と称される作品を残す。
父親は地元の名士で、いわゆるブルジョア階級だった。
学生時代は成績優秀で、井伏鱒二や芥川龍之介の小説に没頭、小説家を目指すようになる。
またこの時同人活動もしているが(プロレタリア文学っぽい作品を書いていた)、なかなか評価されず人生最初の自殺未遂もしている。ちなみに芥川が自殺したときは、あまりのショックでひきこもりになっている。
高校卒業後は、あまりに人気がないので試験無しで入学できるという理由だけで東京帝國大学文学部フランス文学科を受験するが、その年だけなぜか試験があり、フランス語など全く知らない太宰は事情を話してなんとか入学する(もちろん授業にはついていけなかった)。
井伏鱒二に弟子入りした後、バーのウエイトレスと服毒自殺を図るが、ウエイトレスだけ亡くなり、太宰は一命を取り留めた(『人間失格』ではこの経験を書いている)。
その後、芸者の妻と駆け落ちする形で結婚もしている。
大学5年生になった太宰は仕送り打ち切りに備えて、新聞社などに就活するが失敗、今度は首つり自殺をはかるが、結局授業料が払えず大学は除籍になった。
また、芥川賞に何度もチャレンジするが落選。選考委員の川端康成をディスったり、自分の作品に注目してくれていた佐藤春夫に入選をお願いしたりと、とにかく芥川賞(というか芥川龍之介)に固執した。
このころになると薬物中毒がひどく(麻薬性のある鎮痛剤であるパビナールにハマった)、芸者の妻と温泉でまたまた薬物自殺をして失敗。
その後、芸者の妻とは離婚するが、井伏鱒二の紹介で二人目の奥さんと結婚。これがきっかけとなったのか、今までの乱れた生活を反省した太宰は、精神的にも安定し『走れメロス』『富岳百景』など優れた作品を残した。
戦後になると、美容師など様々な女性と関係を持ちつつ、華族の没落を描きベストセラーとなった『斜陽』といった退廃的な作品を発表。
そして愛人の美容師と玉川上水でついに入水自殺を成功させる。39歳であった。
中島敦(1909~1942)
東京出身の小説家。東京大学国文学科卒。
私立横浜高等女学校、続いてパラオの南洋庁に勤務したが、持病のぜんそくのために短い一生を終えた。そのため、作品の大部分は死語に発表されたものであるが、作者の豊かな古典的教養と優れた知性、格調高い文体は高く評価されている。
才能のある詩人志望が陥る不条理を描いた『山月記』は、中国の『人虎伝』を引用した作品だが、作者の詩人的な自意識を燃焼させた独自の世界を形成しており、『李陵』と並んで代表作となっている。
丸山真男(1914~1996)
大阪府出身の政治学者。東京大学法学部卒。
マックス・ヴェーバーなど政治思想史を専攻し、現代の社会・政治や、文化・文学などの問題についても、多くの論考や評論を発表している。
著書に『日本政治思想史研究』『政治の世界』『現代政治の思想と行動』『日本の思想』などがある。
『「である」ことと「する」こと』は、法的な権利をはじめとする様々な権利、それこそ自然権や基本的人権も永久不可侵なのは建前であって、自分で主体的に主張したり行動しないとその維持はできないよという、政治に無関心な割に権利に執着するオレ達日本人への警句である。
そのわりにはかなりアクティブに活動した学生運動については距離を置いていた。これには「丸山さん!なぜ動かない・・・!」と同僚の教授の失望を買ったらしいが、なんでもかんでも「する」ゃいいもんでもないらしい。
谷川俊太郎(1931~)
東京生まれの詩人。戦後、知的で清新な感受性に富んだ叙情で注目される。
父は法政大学学長で哲学者。
85歳の現在もツイッターなどのSNSを用いて精力的に活動中。
詩集に『二十億光年の孤独』『六十二のソネット』『愛について』『絵本』などがある。
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