講習メモ(憲法教育編)

 安倍さんが第一次政権時に打ち出した伝説の企画…それが教員免許更新講習!!ということで、年の瀬のくそさみ~中行ってきました。そして、皮肉なことに講義内容がめっちゃ安倍政権批判というのはちょっと面白かったw

 いや、しかし12年の自民党の改憲草案はひどいね。憲法って国民を拘束するんじゃなくて、国民の権利を保障するために国家権力に制限をかけるもの(違憲法令審査権など)なのはさ、中学生でも公民で教える基本的なことじゃん。
 それが、自民党版はめっちゃ国民に対する要求だもんね。もしかして明治憲法よりもひでえんじゃねーか、みたいな。
 「我が国は~今や国際社会において重要な位置を占めており・・・」とか自分で言うなよって所あるじゃん。
 「国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」とか「家族はお互い助け合わなければならない」とかも余計なお世話だし、パターナリズムというか、すげ~偉そうなんだ。
 極め付けは、新たに一章増やして「緊急事態」ってのを入れてて、これは戦時中の「非常時」と一緒だよなっていう。つまり、戦後レジームからの脱却=戦前への逆行なんだよな。
 まあ、自民党も知っててとぼけてるんだろうけどね。すげ~なめられてるよな、国民。でも、安倍さんはマジで知らなそうだよな(天然的なイメージがある)。国家と国民を都合のいいようにごっちゃにしちゃってるんじゃないか、みたいな。
 たしか平沢勝栄さんが昔安倍さんの家庭教師やってたんだけど、正直そんなに勉強できなかったらしいしね(^_^;)だからこそ一部の人に親近感があって熱狂的に支持されてるんだろうけどね。

 でも、それって大事だよ。

 本当に、最近ネット見てて腹立たしいのは、無学な人よりもインテリだもんな。すげ~見下しているというか。だから、反知性主義ってすごい分かる。知性のあるやつに対する不信感っていうやつだよね。
 もう、ウンコテイストのカレーか、カレーテイストのウンコかみたいな問いだけど、トランプとヒラリーどっちを友達にする?って言われたら私はやっぱりトランプさんなんだよ。
 だから、なんだっけ、誰でもいいや、宮台真司と安倍晋三だったら、やっぱり安倍さんの方が気さくで優しい感じするもんなw
 だからまあ、トランプさんや安倍さんがエリートどもが今まで黙殺してきた一部の層にめっちゃウケているっていう事実は、反省しなきゃいけないよ。

 恣意的な支配の下で苦しんでいる人々の窮状には眼もくれず、ただお上は「おまえたちは遅れているから人を差別したり、いじめたりするのだ」「何でも知っているわたしたちエリートがおまえたちに新しい知識を授けよう」といった啓蒙主義的態度で振る舞いながら、「人権」という言葉を振りかざしてきたことも、重苦しい「人権」のイメージを作り上げた一因であるように思います。(静岡大学笹沼弘志先生)
 
 以下は群馬大学教育学部長斎藤周先生の主張ですごい良かった箇所。

 憲法教育では二つのことを重視すべきだと,私は考えています。ひとつは教育内容が適切な憲法理解に基づいているか,もうひとつは教育方法が憲法の理念に適っているかです。後者を言い換えると,反憲法的な隠れたカリキュラムがありはしないかということです。

 学生からは,「国民が従うべきルール」といった答がよく出てきます。これは,憲法理解として不適切です。憲法は,「国家(権力者)が従うべきルール」なのですから。憲法による人権保障とは国家を縛って好き勝手にさせないようにすることであり,個人の人権と国家の義務(人権を侵害しない義務)とを表裏一体のものとして定めているのが憲法なのだ,ということが理解されていません。

 ところで,学生たちは,小中学校等で,社会科の時間のほかに「人権学習」を経験しています。この「人権学習」においては,往々にして「思いやりの心を持ちなさい」,「人を差別してはいけません」,「お年寄りに親切にしましょう」といったお説教(命令)がなされます。人権というよりも道徳が語られているように,私には思えます。
  注意すべきは,ここでは,学習者(子ども)が潜在的な人権侵害者と位置づけられている,ということです。憲法が国家(権力者)を潜在的な人権侵害者と位置づけているのと対照的です。お説教型人権教育は,個人と国家の間の問題としての人権を個人間の問題であるかのように話をすり替え,潜在的な人権侵害者としての国家を免罪します。ひとりひとりの学習者が自らを人権主体であると捉えることを,できにくくしてしまいます。

 ただ,知識だけでは足りません。自分を大切と思えない人にとっては,人権なんてどうでもいい話です。そこでまず第1に,人権主体であるためには,自らの大切さ,自らの存在のかけがえのなさを実感できていなければならないでしょう。

 子どもの権利条約の視点が必要です。子どもに対する権力者としての教員が子どもたちの人権を侵害していては,憲法教育も意味を失います。体罰などもってのほかですし,子どもの意見に耳を傾けることも必要です。何ら説得力ある理由を示すことなく,「ルールだから守りなさい」と子どもの自由を奪う校則を押しつけていて,憲法教育が成り立つでしょうか。
 
 学校教育において,人権行使(自己主張,自分のことは自分で決める)の機会を提供することが,人権主体を育てることにつながるでしょう。また,民主主義社会の担い手を育てるためには,子どもたちのことは子どもたちの話し合いを通じて決める経験を積ませることが有益でしょう。
  反対に,条文暗記型の憲法教育は,子どもたちをかえって憲法から遠ざけてしまいます。内容も覚える必要性もわからないままに暗記させられることは,苦痛でしかありません。わざわざ子どもたちを憲法嫌いにしているようなものです。これで,教育への権利(憲法26条)が子どもたちに保障されていると言えるでしょうか。
  お説教型人権教育も同じです。お説教をされてうれしい人はあまりいないでしょう。それでも,正論であるだけに,子どもたちは反論せずに受け入れるしかありません。こうして,人権という話題は,子どもたちにとって抗いがたい窮屈な話になってしまいます。
  条文暗記型憲法教育も,お説教型人権教育も,子どもたちを(つまりは国民を)憲法・人権から遠ざけることで,権力者を喜ばせるだけです。それでは,憲法教育・人権教育としての役割を果たせません。憲法尊重・人権尊重が口先だけになっています。
  まずは,子どもたちひとりひとりを独立した人格をもつ存在として大切にすることから始めたいものです。

英語コミュニケーション覚え書き

 新感染ファイナルスクーリングということで体調絶不調・・・つーかむしろ風邪でふらふらな状態の中、薬剤師さんに「風邪でも絶対休めないあなたへ」的な状態なので、引きかけの風邪ウィルスをwyped outする商品を教えてくれと懇願し、パブロンメディカルNと高麗にんじんドリンクを購入、これらのアイテムで弱った体をだましだまし立ち上げ、なんとか三日間しのいできました。

 で、どう考えても小学生レベルしか英語力がない自分にとって不安すぎる英語のスクーリング、まさかの初回から抜き打ちリーディング&ヒアリングテストで、1000点満点中411点という低得点を獲得し、コンピュータ診断で汝は英検3級レベルに過ぎぬとverdictを受けました。
 なんでこんなunspeakableな仕打ちをするんだろうとI was so terrified that I didn't know what to do だったんだけど、これは複数のレベル設定がされたtaskを、それぞれ英語力が異なる学生に振り分けるための、rather、アンダーアチーバー層への配慮だったのだ!これで私は気兼ねなく、イージーレベルの課題に取り組むことができたのです。

 ・・・しかしそのレベルがすでにムズイ。ルンゲ警部(C)浦澤直樹の元ネタで有名なジェレミー・ブレット主演の『シャーロック・ホームズの冒険』のエピソードのひとつ、「謎のブナ屋敷(Copper Beeches)」(奇しくも小学生のころ初めて読んだホームズのお話)の原語版を字幕なしで鑑賞するんだけど、登場人物のセリフをヒアリングし、さらにそれを紙に英語で正確に書き写す(つまりスクリプトを作る)という聴作文と呼ばれる訓練で、どう考えてもaccomplishmentsがない私にはヘビーなのがきちゃって、半泣き状態。

 特にルンゲ…じゃなかった、ホームズがかなり気分屋な気質で、頭の回転が遅い連中(たいていワトソン君)に対してちょっとむっとすると、全盛期のたけしのように早口になり(しかも表現が気取っているらしい)まったく聞き取れないし、初心者向けの依頼人ミス・ハンターのセリフも私には千尋の谷から這い上がるが如し高く、つーか風邪なのか知恵熱なのか、いや両方のエフェクトだってことで頭痛がとまりませんでした。

 たとえば単語なら意味を知っているやつなら聞き取れる(ただしluxuriantとかsacrificingとかinclined to thinkとか知らないのは無理)んだけど、aとかtheとかisとか-sとか-edとかの単独で意味をなさない機能語(屈折形態素)は、ネイティブのやつらは弱く発音するらしく(日本語にはこういったウィークニングはないため、英語圏の人が日本語を聞くと強弱なしの騒々しいマシンガントークに聞こえるらしい)、そうなるとsyntax――ある程度の文法知識がないと、板倉聖宣じゃないけど、見えども見えず、聞けども聞こえず・・・いくら耳がよくても認識することは不可能だという。

 だから、ちょっと海外に滞在して、ボキャブラリーにものを言わせ、ネイティブとの会話の大体の意味がわかったからって英語ができると思うのは下衆の極み、文法こそ至高なのである!という、イデオロギーというかアジェンダが、先生にはあるわけ。
 確かに、聴作文の観点で言うならば納得なんだけそ、これは上級者向けだよな~って思いました。文法ってなにがいやらしいかって、強固な規則性があるように見せかけて、その実は例外だらけなんだもん。カモノハシいすぎだろ、みたいな。
 それに聴作文の力がかなり要りそうな同時通訳の人とかになるわけじゃないしな、でもまあ、ネットで奈津子がしばしば批判されてるのも、そういうイデオロギーの人がほかにもいるってことだろうな。

 ちなみに、ヒアリングの題材としてよく取りざたされるのがオバマさんの演説らしいんだけど、先生いわく内容はともかくトランプ大統領もなかなかで、「メキシコの連中が我々アメリカ人の害になっている!」とうそぶくとき、いつも with us って言ってるらしいのだけど、これはwithを「~と」という意味ではなく「~のもとで」という意味で使用している、とてもいい例だと絶賛してました。内容はともかく。

 個人的にインタレスティングの意味で面白かったのが、聴作文の教材でTEDのプレゼンみたいな即興性のある、実際の思考に沿った発話を用いると、語法的には不正確であるため、聞き手がその不正確な部分を補って組み立てなおして理解しなければならず、話し手が本来の意図を聞き手に伝えたというよりは、聞き手がかなり主体的に思考しているだけにすぎないということ。東浩紀的に言うならば、誤配の理論というか。

 だから、そういった聞こえた英語を機械的に文字に起こしてみて意味がつかめないものは、基本的に教材としては不向きであるという。確かになあって。創作も含めたコミュニケーションってシンプルな伝達ゲームに見えてそこが難しいんだよな。
 ルンゲ・・・じゃなかったホームズも以下のようにトラバース夫人級に怒っております。

that in these little records of our cases which you have been good enough to draw up, and I am bound to say, occasionally embellish.
You have degraded what should have been a course of lectures into a series of tales.
――by sherlock holmes

ギフテッド

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 私の先生よ。1+1を教えに来たわ。

 この前、自分の7歳の頃の写真を見たんだよ。めかしこんでいるから753かなんかのなんだろうけど。
 で、これがまた、生意気そうなガキなんだよね。こんなやつの担任になったら絶対ぶっとばすよなっていう。そういう意味で自分はつくづく学校の先生方に恵まれたなっていう。
 まず、授業に参加しないからね。この映画の天才児みたいに、授業が簡単すぎて退屈してるんじゃなくて、それよりもしたいことがあって、その欲求を抑えられずにパージしているわけだから、本来なら通知表はオール1でもいいところなのに、そんなに悪い成績をつけなかった先生方は大人だったんだなあっていう。
 まあ、勉強なんて個人的にはやりたい奴がやればいいだけだとは思っているんだよ。ただ、やりたくないやつよりは、将来設計の関係でちゃんと勉強したい人の方が多数派なんだから、やりたくない奴はそいつらの迷惑にならないように、せめて授業中くらいはおとなしくしとけよ、それが民主主義社会だろって思うんだけど、これも、勉強以外にやりたいことが私なんかは体を動かさないお絵かき(マンガ)だからよかったものの(少なくとも授業中ほかの子の迷惑にはならない)、運動とか多動性の子なんかは厳しいんだろうなって思う。
 
 別の記事にも書いた気がするけど、欧米だと知的障害とかある子は特別支援教育を受けさせる義務が親にはあって、本人や親の同意がないと特別支援学級に入級できない日本とは事情がかなり違う。
 また、知能が高すぎるのも障害っていう話になると、この映画のイギリスのばあちゃんみたいな考え方(メンサ的なセパレーティズム)は、アメリカにおいては義務として正当化されることになる。
 ただ、ギフテッド教育については、数年前に特別支援教育を専門にやっている素晴らしい先生とその是非を議論したことがあって、その当時は私は割と肯定派だったんだよ。英才教育。
 実際、公立中学でも、数学に関してだけは突出して計算能力ある子がわずかながらいるんだよね(不思議なことにほかの教科では見られない)。
 だから、数学は授業のレベル設定をどの層に合わせるのかが大変だったりするんだけど、その先生はわりとギフテッド教育には否定的で、とどのつまり一部の突出した才能だけを見て、周囲が特別扱いすると、そいつはろくなやつにならないって言ってた(笑)マロさんいわく『アルジャーノンに花束を』がそんな皮肉の効いた映画らしいんだけどね。

 だから、まあ、そうなのだ。この映画のメアリーも結局、数学の能力が突出しているだけで(ちょっとマンガっぽいレベルでリアリティがないが)、それ以外はまあ、そこそこ幼女として可愛い部類なんだろうけど、性格は難があるし、総合的なアベレージとしては、決してそれほど高くないっていうね。
 人間って一人に与えられる功績ポイントはだいたい決まっていて、普通はまんべんなく振り分けられるんだけど、たまに振り分け方がすごい偏った奴が生まれちゃっているだけな気もする。
 つまり偏っているってことは、大多数の人で構成される社会とは齟齬を起こす可能性が高いわけで、そういう社会で生きる以上は、普通の人々と切り離すのは、むしろ逆効果で人生のリスクを高めるだけであるという話なんだ。
 つまり、予算をけちりたいとかの問題が大いにありそうなんだけど、文科省が推奨する通常学級に特別な支援が必要な生徒を積極的にコミットさせるインクルーシブ教育は、一応理念としては説得力はあるんだよね。先生の負担は置いといて。
 そうすると、あれだよな。『ちびまるこちゃん』の花輪くんの親はすごい賢いよね。あの御曹司を公立小学校に通わせて、実際花輪くんはまる子などのド庶民とちゃんと分け隔てなく交流できているんだから、教育効果は絶大だよね。最強の帝王学だよ。
 まあ初登場では、ああいうキャラじゃなくて、どっちかというといじられキャラだったから、後付けであんな感じになっちゃったのかもしれないけど、でも花輪くんの人格形成に深みを与えてはいるよ。はまじやブー太郎とのコミットは。

 これが、天才児だけの集団で教育させちゃうと、社会に対するイメージが貧困になるよね。まずバカの存在が理解できなくなるじゃん。
 よくさ、頭のいい人は、バカが問題を理解できないのがわからないって言うけど、本当に頭のいい人は、バカがどこでつまづくのかを分析し、ここまで認識できて、こっからは認識が難しいんだよなって把握して、バカにも適切なアドバイスやサポートができるはずなんだ。
 つまりギフテッド教育は、そういう本当の知性を養う機会を捨てていることになる。
 例えば計算に関して言えば、もうコンピューターの方が全人類束になっても勝てないわけじゃん。でもそんなコンピューターですら最も困難としているのが対人的なコミュニケーションだからね。
 まあ、あの映画に言わせれば、天才はバカにかまっている暇はねえとかうそぶくんだろうけど、大学の数学で本当に難しいのは1+1の証明だったりするからね。乗法はなんで交換法則が成り立つか、とか。
 ほいで、よく、現代社会は不寛容になったとか言うけど、結局大人社会って所属する集団をある程度任意に選べるからさ、学区みたいにお前ここに住んでいるから、この人と結婚して、この仕事をやりなさいとか言われないじゃん。中世の封建制度じゃないんだから。
 つまり、大人社会っていわば私立学校でさ、そう考えると社会にでろとか言うけど、その社会もかなり限定的なものに過ぎないってことなんだよね。
 ならば感受性が豊かで多感な時期こそ、様々な刺激を受ける機会をたくさん与えてやるべきだろう。

 まあ、しかし、数学やギフテッド教育どうこうよか、あの女の子をただ愛でる映画だった気もする。ちなみに私は幼女とか全然好きじゃないし。あとネコも。
 ただ、『ベイブ都会へ行く』のフリーリクとかもそうだけど、身体障害をもつ動物キャラは好きなんだよな…くそ~

書道覚え書き③

 いや~すっかり冷え込んできましたね。そういや、この前『マイティ・ソー バトルロイヤル』観てきました。ジェフ・ゴールドブラムを無理くりねじ込んだおかげで、神話感(ラグナロク感)がスポイルされとりました。あの内容なら別にタイトルがバトルロイヤルでもいいな。
 対するサム・ニールはオーディーンを演じておりました。な~んか世界観といいキャラといい良くも悪くもとっちらかっちゃった映画だったな。
 ただ、茶漬け食べながらパキPさんと話した内容はすごい面白かった。ユーチューブで流せるくらい面白かった。あんま希望が持てる話ではないけどなw

書の用具・用材
文房とは、もともとは文章を司る職業のことで、そこから転じて読書するための部屋(書斎)を指す言葉になった。
文房四宝とは、書斎に備わっている器具のうち最も大切な、筆、墨、硯、紙のことである。

①筆
秦の時代の将軍によって作られたと言われているが、実際にはすでに新石器時代の彩陶にすでに毛筆で描かれた文様が残っているので、はるか太古から使用されていたらしい。
現存する最古の筆は戦国時代の楚の墓から発掘されたものである。
筆には、毛の硬さ、長さ(長鋒、中鋒、短鋒)、鋒の形状(面相筆、柳葉筆)によって色々な種類がある。
使用した後の筆は、軸の根もとについた墨までよく洗い落とし、水分を取り除いた後、陰干ししておくとよい。小筆の場合は、水を含ませた紙を使って穂先を整えながら、毛筆に含まれた墨を落とす。

柔毛筆
墨含みがよい。行書や草書に適している。穂先はブラシ状で尖っていない。

剛毛筆
ウマ、タヌキ、シカなどの硬い毛を使用。楷書に適している。

兼毛筆
ヒツジ、ウマ、シカなど複数の動物の毛を混ぜて使用。最も一般的かつオールマイティ。

②墨
最古の墨はの墓から出土したもので、磨るのではなく、潰して使用していたらしい。
煙煤と膠(にかわ)をよく練り合わせた後、香料を加えて木型に入れて形を作り、取り出して乾燥をさせる。この時の煙煤と膠の割合や練り合わせの程度によって墨質が大きく変わる。ちなみに中国製の墨を唐墨、日本製の墨を和墨という。
使用した後の墨は、濡れた部分すぐに紙で拭き取ると、ひび割れがしない。

松煙墨
松の葉の煙煤。炭素の粒子が荒く、磨り口に光沢がない。枯れてくると青みが出てくる。

油煙墨
菜種油、ごま油などの植物油から取れる煙煤。炭素の粒子が細かく、光沢がある。

古墨
墨の使い頃は30~50年であるが、製造されてから100年を超えるビンテージもの。
さらに輝きを増し、骨董的価値も高い。

③硯
最古の硯は長らく漢の時代のものだとされていたが、の墓から硯と研墨石が出土し、これが現存する最も古い硯となった。なお、新石器時代にも顔料をすりつぶすための石が発見されている。
中国には古来判っているだけで100種を超える硯石が採石されていたが、その中でも端渓石(たんけいせき)と歙洲石(きゅうじゅうせき)は千年以上の歴史があり中国の二大名石と呼ばれている。

端渓
広東省西江に流れ込んでいる川にちなむ。中でも水岩と呼ばれている石が最も品質がよいとされている。水岩は北宋の初期(千年前)から採石されており、また皇帝の許可がないと採石できなかった。

歙洲
広西省の竜尾硯山から採石される。名品クラスは宋代に集中しており端渓と並ぶ硯石の王者として君臨している。

日本産の硯石では、山梨県の雨畑硯や宮城県の雄勝硯などがある。

④紙
紙は後漢の蔡倫(さいりん)が発明したと言われていたが、前漢時代の墓から紙が出土したため、蔡倫は製紙技術を改良した中心人物であると考えられている。
書道用紙には、半紙、半切、聯(れん)、聯落ちなどの規格がある。このほか、色紙や短冊、扇面なども用いられている。

中国画仙紙
現在の画仙紙(がせんし)は稲わらに青檀(せいたん)の樹皮を混ぜたもので、青檀の樹皮の割合が高いと割高になる(浄皮)。
画仙紙は一般的によく使われる一枚すきの単箋、単箋を二つ合わせた夾箋、やや薄手の羅文箋などがあり、それぞれに書表現にあった特徴がある。
また清代には皇帝献上用のゴージャスな文様が施された紙も製造された。

和紙
原料はこうぞ、三椏(みつまた)、雁皮などで、パルプも用いられる。山梨県の甲州画仙、鳥取県の因州画仙、愛媛県の伊予画仙などがよく知られている。

執筆法
通常、筆の軸(筆管)の中程を持つ。
筆の持ち方には、親指を筆管に対してほぼ直角に当てて、人差し指と中指との三本の指で挟み持ち、残りの指を後方から当てて支える双鉤法と、親指を筆管にほぼ直角に当てて、人差し指とで挟み持ち、残りの指を後方から当てて支える単鉤法(鉛筆やボールペンの持ち方)の二つがある。
いずれにせよ筆を自由自在に動かすことが出来ることが重要である。
次に筆を運ぶ際の腕の構え方についてまとめる。

懸腕法
腕を机につけず宙に浮かせて書く方法。大字を書くときに用いる。

堤腕法
腕が軽く机に付く。中字や小字向け。

枕腕法
左手の甲の上に右手をのせる方法。小字向け。

回腕法
手首を上げて懸腕法のように構え、人差し指以下の4本の指をそろえて筆管に当てる。清の楊守敬が来日した際に日本の書家に伝授した手法で玄人向け。

書体
歴史的な順序で紹介。
隷書を簡略化する過程で、草書や行書、最後に楷書が出てくるが、これは日本では飛鳥時代までのことになる。

甲骨文字
主として殷・周代の遺跡(遺址)で出土する亀甲や獣骨に刻まれた文字。

金文
殷・周代の青銅器などの金属に鋳込まれたり刻まれたりした文字。

大篆
西周宣王が作ったとされる書体。秦の文字である石鼓文がその一例。

小篆
秦篆とも呼ぶ。秦の始皇帝の命令で六国文字(戦国時代、秦以外の6つの大国が使っていた文字)を改易させた標準書体。
泰山刻石や琅邪台刻石(ろうやだいこくせき)などが遺例。

隷書
篆書の筆画を簡略化して成立。
はたく(右払い)を強調していないものを古隷、強調しているものを八分という。

八分(はっぷん)
装飾的要素が強い隷書の一種で、横画の終筆を右にはね上げるのが特徴。
八の字に代表されるように左右に広がった横長の文字という意味。

草書
篆書や隷書の速書体から生まれた書体。

行書
隷書の点画を簡略化してできた書体。読みやすく速書きに適している。

楷書
三過折(点画を起筆→送筆→収筆の三段階に分けて書くこと)を備えた方正な字形の書体。魏・晋時代に成立。唐代に典型が確立。

王羲之
東晋時代の書家。中国最大の書聖であり、息子と共に二王として君臨している。
名家の出身でありながら中央政府での出世を求めず、初め女流書家の衛夫人(えいふじん)の書風を学び、のちに漢・魏の碑文を研究、楷・行・草の各書体を完成し、芸術としての書の地位を確立した。
彼の書は奈良時代になると日本にも伝わり、上代様式の成立に大きな影響を与えた。
そんな偉大な王羲之だが、直筆の作品は戦乱によってすべて失われている。

秋萩帖(あきはぎじょう)
平安中期の書の巻子本 (かんすぼん)。巻子本とは巻物のことであるが、なぜか帖(冊子)と呼ばれている。小野道風筆と伝えられる。
万葉集などの和歌48首と王羲之 (おうぎし) の手紙の臨書を、草書体の万葉仮名(万葉仮名から平仮名への移行を示す書体)で書いたもの。タイトルは、巻頭の歌の「あきはぎの…」という出だしにちなむ。

漢文学覚え書き③

 こんばんは。年内に全ての単位にケリを付ける大作戦開始です。そしたらオレは漫画と恐竜のお絵かきに生きるぜ。

参考文献:小川環樹、西田太一郎著『漢文入門』

「可」のふたつの意味
「許可」を表す助辞、「してもよい」「してもかまわぬ」「するがよい」、また「可能」の意味で、「することができる」と訳してもよい場合がある。
「民は之によらしむ可(べ)し、之を知らしむ可からず。」は「人民は政府の方針に従わせるのがよい。これ(政府の方針に従わせていること)を知らせてはいけない。」と「人民は政府の方針に従わせることができるが、これをみなに知らせることはできない。」のふたつの意味に翻訳することができる。

訓読の利害
漢文はもともと外国語の文であるから、一般に外国語を学ぶときのように、まず音読し、それによって意味を考えるのが正常な方法であり、訓読の方法は変則である。
すべての言語は、それぞれに特有のリズムがあり、音と意味の間にある関係もそれぞれである。
また訓読には次のような欠点がある。
訓読の方法とそれに用いられる言葉は平安朝時代に大体定まり、その内いくつかは変化したものの、ほとんどはそのまま継承されたので、訓読された漢文は日本語としても一種の古典語であって現代語ではなく、原文の意味を分かりやすくとらえようとすれば、もう一度現代語に置き換えなければならない。
しかしながら、漢文を音読のみで学ぼうとすれば、中国語の発音をまず学ばなければならず、それには特別の練習が必要となる。
また、日本人の祖先は訓読した形でのみ漢文を知っており、漢文学が日本文学に与えた影響も、直接原文からではなく、訓読を通したものである。
日本で復刻された中国の古典も、そのほとんどが訓点をつけて出版されているため、訓読の方法を知ることによって、それらの意味を理解し、利用することができるのである。

蛇足
出典は『戦国策』で著者は不明。これを編集したのは漢の劉向(りゅうきょう)。
司馬遷が『史記』を書く際、戦国時代についてはこの本によったと言われている。
そのためかつては歴史書のジャンルとされていたが、そのタイトルが示すように戦国時代の外交に関する策略が多く掲載されているので、のちに縦横家(戦国時代の外交上の策略を説いた学派のこと)に分類された。

現代語訳
昭陽は、楚のために魏を討ち、軍をくつがえし、将を殺し、八城を得て、兵を移動させて、今度は斉を攻めた。
楚出身の縦横家(しょうおうか)の陳軫は、斉王のために使者として昭陽に会見し、再拝して戦勝を祝い、立ち上がって問うた。
「楚の国の法では、軍を破り、将を殺した場合は、その官爵は何でしょうか?」と。

昭陽は「官は上柱国であり、爵は上執珪である。」と答えた。

陳軫は言った。
「それ以外に、これより貴いものは何でしょうか。」

(昭陽は) 「これ以上は、令尹(※今で言う総理大臣に当たるポスト)しかない。」と答えた。

陳軫は言った。
「令尹は貴い地位です。楚の王は二人の令尹をお置きになることはありません。私は、あなたのためにたとえ話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」

楚の国に、祭祀を司る人がいた。
あるとき、自分の使用人たちに大杯の酒を与えた。
使用人たちは、数人でこの量のお酒を飲むには少なく、逆に一人で飲むには余りあるほどだと考え、地面に蛇の絵を描いて、最初に描きあげた者がこの酒を飲むことになった。

やがて一人がまず蛇を描きあげた。
その人は、左手で酒を引き寄せて今にも飲もうとし、同時に右手で蛇を描きながら言った。
「オレは蛇の足を描き足せるほど、まだまだ余裕があるぞ。」

すると、その人が蛇の足をまだ描いているうちに、他の人が蛇を完成させてしまった。
二番目に蛇を描きあげた人が、その酒を奪って言った。
「蛇にはもともと足がない。 お前はどうやってその足を描けるというのか?」

そしてそのまま酒を飲んでしまった。
蛇の足を描いた者は、とうとうその酒を飲み損ねてしまったのでった。

「――今あなたは、楚の大臣となって、魏の国を攻撃し、軍を破り、将軍を殺して、八城を得、兵力を弱めることなく、斉を攻めようとしています。
斉はあなたを甚だしく恐れています。
あなたは、これだけでも十分に名を成しています。
官位の上に、重ねて官を得るべきではありません。
戦いに負けることなく、とどまることを知らざる者は、自ら死に向かっているようなもので、あなたの爵位は、後任の人の手になろうとしています。
つまり、ちょうど蛇の足を描くようなものであります。」と言った。

昭陽はしかりと思い、軍を解いて斉から引き揚げた。

杞憂
出典は『列子』の「天瑞編」。『列子』は春秋戦国時代の道家の学者である列禦寇(れつぎょこう)による著作だとされている(というか、この学者が実在したことも実は怪しい)。
『列子』に収録されている寓話は「杞憂」の他に「朝三暮四」「疑心暗鬼」「男尊女卑」など。

現代語訳
(周の時代の)杞という国に、とある人がいた。
その人は、もしも天地が崩墜したら、自分の身を寄せる場所がなくなってしまうと憂い、寝食ができないほどであった。さらに、その人が心配しているのを、心配する人すらいた。

なので、(別の人が)出かけていってこれを諭そうとして言った。
天は空気が積もっただけである。
どこにも空気のない所なんてない。
からだの屈げ伸ばしや呼吸は、終日天の中で行っている。
どうして天の崩墜を憂うのか。」

すると、その人は答えた。
「天が空気の積もっただけのものならば、太陽や月、星宿(中国で言うところのうみへび座)も(支えがないので)落ちてくるだろう。」

これを諭す人は言った。
「太陽、月、星座も積もった空気の中を光り輝いているだけで、仮に(光が)落ちてきてぶつかっても怪我なんてしない。

その人は言った。
「では、大地が崩れるのはいかが答える?」

諭す人は言った。
大地は土の塊が積もっただけである。
それが四方に充足し、どこにも土のない所なんかない。
地面を踏むのは、終日大地の上で行なっている。
どうして大地の崩壊を憂うのか。」

その人、釈然として大いに喜び、これを諭した人も釈然として大いに喜んだ。

長廬子はこれを聞いて笑って言った。
「虹や、雲霧や、風雨や、四季は、空気が積もった天に成るものである。
山岳や、河海や、金石や、水火は、土の塊が積もった地に成るものである。
天地の積気や積塊を知りながら、なぜ崩れないといえようか。
天地は、この世界の一つの細物であるが、有形物の中では最も巨大なものであるため、これを突き詰めることは決して出来ない。これは、もとより当然の話である。
つまり、天地が壊れることを憂う者は、甚だ先の長い話をしていることになるし、これが壊れぬと断言する者も、同様に正しくないのである。
天地が(半永久的に)崩壊しないということは、すなわち必ずいつかは崩壊することに帰結する(壊れる時まで壊れないため)。
その壊れる時に遭遇したと考えたら、どうして憂えずにいられようか。」と。

列子はこれを聞いて笑って言った。
「天地が崩壊すると言う者も誤りであれば、天地は崩壊しないと言う者も誤りである。
崩壊するか否かは、我々が知ることのできるレベルの話ではない。
崩壊するという考えも、崩壊しないという考えも、それぞれが独立した一つの見解であり、この両者は全く別な範疇に属するのだ。
故に、生きても死を知ることはできず、死んでも生を知ることはできず、未来からは過去を知ることはできず、過去から未来を知ることはできない。
天地が崩壊しようがしまいが、なぜ我々はそんなことを気にかける必要があろうか。」と。
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