国語学概論覚え書き③

参考文献:伊坂淳一著『ここからはじまる日本語学』

音声と音韻
音声は発された音の物理的な姿、音韻は解釈された抽象的な姿である。
ガスの「ガ」やカギの「ギ」と、カガクの「ガ」やカイギの「ギ」は日本語の音韻では同じ「ガ」や「ギ」だと認識されるが、物理的な波長としては、カガクの「ガ」は呼気が鼻へ抜けているのに対し、ガスの「ガ」はそうではない。
このような音韻(音の区別といった認識の仕方)は言語によって異なる。たとえば英語のlightとrightは日本語ではどちらも「ライト」として認識されてしまう。

母音と子音、半母音
言語音は、呼気の通り道のどこかに閉鎖や挟めなどの妨害があるかないかで子音と母音に区別される。
しかし、hやw(ワ)、j(ヤ行)などの半母音(わたり音)は妨害の程度が低いのにかかわらず子音とされる。これはhwjが音節の核にならないという音韻論的性質が考慮されているからである。
子音は調音点(口の中で調音する位置)、調音法(調音の仕方)、声帯振動(無声か有声か)の3つのポイントで区別される。
また母音は、舌の前後の位置、開口度(顎の開き具合)、口唇の形(唇を丸めるか丸めないか)の3つのポイントで区別される。

モーラとシラブル
言語音の最小単位は単音(音素)だが、それらが配列されて形態素になる間に存在する単位が拍(モーラ)と音節(シラブル)である。
たとえば、「ニッポン」という言葉は、日本語では2音節(ニッ・ポン)、4拍(ニ・ッ・ポ・ン)と数えられるが、英語圏では拍(モーラ)という概念がないため、「ニッポン」と言う言葉を4つの単位として発音することが難しいのである。
拍の分かりやすい例としては短歌や俳句などが挙げられる。この時の「字余り」は字と言うよりは、拍が余っているのである。
日本語ではかならず子音の後に母音が来て区切れるが(促音のッだけではなく撥音のンや、長音のーも1拍になるのに注意)、拍のない英語では最大3つの子音を連続させることができる(strikeなど)。

アクセント
アクセントとは、単語における強弱や高低の配置のことで、強弱の場合はストレスアクセント(英語やドイツ語)、高低の場合はピッチアクセント(日本語、中国語)と呼ばれる。
よく間違えられる似たような言葉にイントネーションがあるが、イントネーションは“文全体”の声の高低の変化であり、単語内だけの高低の変化を指す言葉ではない。
日本語のアクセントは二つのとらえ方があり、ひとつめが高い拍●と低い拍○が一語の中でどのように配置されているか、もう一つが、語の中に音調の下がり目や上がり目がどこにあるか(もしくはないか)である。
ちなみにビデオの再生マークのような三角形は助詞を表し、黒く塗りつぶされていたら高い拍、白く抜かれていたら低い拍である。
アクセントのはたらきの一つは語の意味を区別する弁別機能である。たとえば、雨や箸は●○、飴や橋は○●である。
もうひとつのはたらきは、語の切れ目やまとまりを示す統括機能である。「草、花がある。」と「草花がある。」では意味される内容が異なるため、アクセントを変える。
「草」と「花」では、それぞれ「○●」だが、これが「草花」になると「○●○○」となりアクセントの変更が起きる。一語の中に高い部分が二箇所以上来ないという原則が働いているのである。
しかし、このような複合語ができたとき、アクセントがどのように変わるのかについての統一的な規則はない。

アウトレイジ 最終章

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 メーワクもハローワークもあるかい~!!

 いや~・・・虚しい!マーちゃん俺たちもう終わっちゃったのかな、だよ。本当に終わっちまったよ。この映画かれこれ半年くらいずっと楽しみにしてて、これを見るのが生きがいで頑張ってたんだけど・・・おわった・・・
 あまりに待ちきれなくて、夢の中で先行上映してたくらいだからね。

 たけしさんはクライトン先生同様に続編を作るのに抵抗がある人だから、もうマンネリ化は絶対に嫌で、さらにタイトルに最終章って付けている以上は絶対に終わらしにかかるな、と。
 で、そうなると主人公の大友は殺しちゃうだろうな、と。全ての黒幕だった片岡さんヤっちゃった以上は日本にこの人の居場所はないわけじゃない。で、ついに韓国にもどこにも居場所がなくなっちゃったよっていうのが今回の話。
 前作までは・・・というか第一作では主人公が無様ながらも生きながらえることを選んだってのが、今までのたけし映画とは異なっていて、心境の変化なのかなっていう話を前にしたけど、まあ、そのあとカッターで自分がいじめた人に復讐されて死んじゃうんだけどさ。でも、自殺じゃないわけ。

 で、いきなりネタバレだけど、今回はやっぱり原点回帰というか、冒頭もそうだけど『ソナチネ』的に海行って、ホテルをマシンガンでバババってやって、最後はピストル自殺っていう。
 でも、『ソナチネ』とか『HANA-BI』みたいな過去の北野作品とは今回は自殺の印象や意味が違うというか。それはやっぱり老いっていうのがあるからなんだろうけど、これまで以上にすごい強烈で。
 『ソナチネ』の頃はやっぱり若かったから(まあ事故で死にかけていたり、やっぱり現世に対するニヒルな感じはあるんだけど)、体力的には元気だったと思うんだ。

 だから、「あまりに死ぬのが怖いとさ、死にたくなっちゃうんだよ」みたいなセリフもそうだけど、ちょっと美学というか、気恥ずかしいナルシシズムで自殺をやってるようなところがあったんだ。
 でも、たけしさんも70になって、年齢的にいよいよ人生の締めくくりを他人事とは考えられなくなったというか、これまで以上にそういうものを描くのに説得力が出たというか。
 自身が老いたことによる、社会的な居場所の変化というか。もっと言えば、ここまで老いたのに、割と芸能界では社会的なポジションに変化がないということの照れとか自信とか落胆とかもあるんだろうけど。

 だから、今回の大友の自殺はとにかくさみしいんだよ。ちょっと『ハリーとトント』感があるんだよ。
 それが、今までの北野映画の自殺とは決定的に違う。今までは、例えるならば元気のある奴が元気があるゆえに社会に反抗して暴走族やって、大音量でバイクをブンブン乗り回して、さんざん社会に迷惑かけた挙句、あっけなく交通事故であ~あ死んじゃった、みたいな感じなんだけど。

 今回はなんというか、介護されているおじいさんが、これ以上家族や社会にご迷惑はかけられません、みたいに言ってひっそりと自殺しちゃうような・・・楢山節考的なすごい哀しさ。
 本当だったら、あの人が一番ヤクザとしての筋を通している極道の理想系なのに、今のヤクザ社会ではどこにも居場所がないというのが皮肉というか。
 挙げ句の果てに、最も恩を感じているチャン会長のグループにも迷惑がかかっちゃうっていう。でも、あの人の気質的に会長が襲われてて済州島にずっといるって出来ないもんな。

 つまり、この映画は滅び行く白亜紀の恐竜的な、言ってみれば平家物語的な哀愁があって、しかもメインキャラがみんな70前後という事実が、また、重層的な効果を生んでいるというか。
 ヤクザですら社会に疎まれるのに、さらに老人。これに対してあっけらかんと居直っちゃってコメディにしたのが、前作の『龍三と七人の子分たち』なんだけど、今回もテーマとしては似たようなことを作風を変えてやっているんだよね。
 もう時代が変わりつつあるんだけど、いや変わっちゃっているはずなんだけど、自分の存在が大き過ぎて、結局本当に自分が死なないと下の世代はどうにもならないのかいっていう。まあ、こっちも自ら若い衆に禅譲なんてするつもりもねえけどなっていう。

 とはいえ、今回は全3作を通して一番ギャグが多いです。個人的には、かつては関東一円を支配する広域暴力団だった山王会が、前作であんな小物が会長なっちゃったから、わずか数年でコンビニのスペースくらいの事務所にまで没落してたっていうのが一番笑ったけどwさらに、あんなショボイ事務所をあいつはそこまでして欲しいのかっていう、どうでもいいよ感w目くそ鼻くそ感スゲーなっていうww
 もう最初の太刀魚の釣りのシーンから龍三的なギャグが出てきて、ただ、これくらいのバランスにしないと、登場人物が哀れすぎて見ていられないんじゃないかっていうね。

 だから、シリーズ恒例だった残酷な処刑シーンとかも今回はなくて、むしろバラエティ番組的になってて笑えちゃうんだけど、やっぱり考えようによっては今回が一番怖いし悲しい話だよ。楢山節考だからね。
 ただし最後のジジイの意地というか、自分の死に場所くらいは自分で決めさせてくれっていう。

 花菱全員死んでまうわ・・・

国文学覚え書き⑦

『方丈記』
歌人、鴨長明による『徒然草』と並ぶ中世随筆文学の最高峰。鎌倉時代に成立。
当時の天変地異や遷都などによる悲惨な世相を精細に述べ、人生や社会の無常をニヒルに説くと共に、自然を友とする静かなロハス生活の日々も描いている。
もともと、こういう諸行無常な自然観が日本にはあったのに、いつから自然には本来の形があり、人間がそれを破壊しなければ半永久的に続いているに違いないという、つまらぬイデオロギーにナチュラリストはかぶれてしまったのだろうか。自然はオタクのショーケースじゃねえんだ!という、そんなあなたにこの一冊、ケン・トムソンの『外来種のウソ・ホントを科学する』!

ゆく河の流れ
ゆく河の流れは絶え間なく、しかも流れる水は常に変わってゆく。
よどみに浮かぶ“うたかた”(泡。クラムボン)は、一方では形が消えたり、その一方では形ができて、長いことその形を維持することはない。
この世に生きる人と、住む場所も、またかくのごとしである。

玉を敷き並べたように美しく立派な都の中に、棟を並べ、屋根の高さを争うかのようにぎっしり立ち並んでいる、身分の高い者や、低い者の住まいは、時代が経ってもなくならないものではあるが、これは本当にそうなのかと調べてみると、昔から存在していた家というのはまれであることが分かる。
あるものは去年焼けてしまい今年造っている。あるものは大きな家だったのが落ちぶれて小さな家となっている。
住む人もこれと同じである。場所は変わらず、人も多いが、過去会った人は、2、30人のうち、わずか1人か2人である。
朝に人が死に、夕方に人が生まれるというならいは、本当に水の泡に似ているのである。

私は知らない。
生まれ死んでゆく人は、どこからやってきて、どこに去っていくかを。
また、これも知らない。生きているうちの仮の宿にすぎない住居を、誰のために心を悩まして建て、何のために目を嬉しく思わせようとするのか。
その主と家とが、無常を争う様は、言うならば朝顔と露に違いない。
あるときは露が落ちて花が残ることがある。残るとは言っても花も朝日を受けていずれは枯れてしまう。
また、あるときは花がしぼんでも露が消えずに残っていることもある。しかし、消えないとは言っても夕方を待つことはないのである。

国文学覚え書き⑥

『徒然草』
鎌倉時代末期~南北朝時代の歌人である吉田兼好が、人生・社会、自然、芸能、説話・逸話、古来の習慣・風俗など幅広いジャンルを考察し、その本質に迫った随筆文学。

つれづれなるままに
することもないので、一日中硯に向かって、心の中に浮かんでは消えていく、特にこれといった意味もないことを、際限なく書きとめていると、意外と狂ったように熱中するものだ。

名を聞くより、やがて面影は
名前を聞くとすぐにその人の顔が自然に思い浮かぶような感じがするが、実際に会うとイメージしていた通りの顔をしている人は少ないものである。
昔の物語を聞いても、その舞台となった場所は現在のあの人のあそこらへんだっただろうと思ったり、登場する人も現在見る人の誰かと自然になぞったりしてしまうのは、私ばかりではないだろう。
また、今、人が言うことも、目に見えるものも、自分が心の中で思っていることも、このようなことはいつのことだろうと思い返すと、いつかは思い出せないが、間違いなくあった気がするのは、私だけだろうか。

花は盛りに
花は満開のときだけを、月は雲がないときだけを見るものであろうか?
いやそうではないだろう。
降っている雨に向かって、それが隠す月のことを想い、すだれを垂らして室内にこもって、春が移り行くのを知らずにいるのも、やはりしみじみとして趣深いものである。
今にも咲きそうな梢、花が散ってしおれている庭などにこそ見るべき価値はたくさんあるのである。

和歌の詞書にも、
「花見に行ったけれど、とっくに散り果ててしまっていた。」
とか、
「さしつかえることがあって、花見に参りませんでした。」
などと書いてあるものは、 花を見て詠んだ歌に決してひけをとらないだろう。
花が散り、月が沈みかけるのを惜しむ習慣はもっともではあるが、ものの情趣を理解しない人は、
「この枝も、あの枝も、散ってしまって、今は見る価値ががない。」
などと言うようだ。

何事も、最初と最後に趣があるものだ。
男女の恋も、ひたすらに契りを結ぶことだけを恋というのだろうか。
逢わずに終わった恋の辛さ、はかなさを嘆き、長い夜を一人で明かし、遠く離れた恋人をはるかに思い、雑草ボーボーの荒れ果てた家で、昔を懐かしむことこそ、恋愛の情趣と言えよう。

国文学覚え書き⑤

『土佐日記』
歌人としても知られる紀貫之による最初の日記文学。935年頃成立。
土佐の守の任務が終わった紀貫之が土佐から京都へ帰るまでの55日間を綴っている。
私的な気持ちを表現するのに使い勝手がいい仮名文字を使いたかったからか、冒頭では、女という設定で記したとしているが(当時の男性の文章は漢字がスタンダード)、その設定は必ずしも全編において貫かれてはいない。

門出
男もするという日記というものを、女性の私もやってみようと思って書いてみました。

ある年(934年)の12月21日、午後8時ごろに門出(出発)。その時のことをほんの少し書き留めます。
ある人が、国司としての4、5年の勤めが終わり、引き継ぎもすべて終えて、書類などを受け取り、住んでいる館から出発して、京に帰る船の乗り場に来ました。
たくさんの人、知ってる人も知らない人も見送りをしています。
ここ数年、親しくしてくれた人たちは、別れを惜しんで、一日中あれこれしながら騒いでいるうちに、夜が更けてしまいました。

22日。
和泉(大阪府南部)まで、無事に付くように神仏に祈りました。
藤原のときざねさんが、(馬には乗らない)船旅なのに、馬の旅でやる送別の宴をして盛り上げてくれました。
身分に関わらず、みんなべろべろに酔っ払って、海のほとりで、“ふざけ”あっていました(潮海だから、魚肉がふざける=腐るはずのないのに)。

23日。
八木のやすのりという人がいます。この人は、国司の役所で必ずしも雇っている人でもないようです。
この人が、厳粛な様子で馬のはなむけをしてくれました。
国司としての人柄でしょうか、この国の人の気質として、別れの時は見送りにはやって来ないと言っていましたが、思いやりがある者は、遠慮せずに見送りにやって来てくれました。これは、この人たちに良い贈り物をもらったから褒めるわけではないです。

24日。
国分寺の僧官が馬のはなむけをしに来て下さいました。
その場にいるすべての人、子どもまでがひどく酔っっぱらい、一という文字すら知らない人が、その足を十字にして、調子を取って足踏みをして楽しみました。

亡き児をしのぶ
27日。
大津から浦戸を目指して船を漕ぎ出す。
そうこうしているうちに、京にて生まれた女の子が、土佐で急に亡くなってしまったので、ここ数日の出発の準備を急ぐのをみて、何も言えない。
京都に帰るにあたって、女の子がもういないことのみ、悲しく恋しい。
そこにいる人たちも堪えられない。
この間に、ある人が書いて出した歌が

都へと思ふものを悲しきは 帰らぬ人のあればなりけり
(訳:都へと思うものの悲しいのは、帰らぬ人がいるからであろう)

である。
また、あるときには、次のような歌を詠んだ。

あるものと忘れつつなほ亡き人を いづらと問ふぞ悲しかりける
(訳:死んでしまったことを忘れ、その人がどこにいるのかと尋ねるのは、悲しいことだ)
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