少年Aという悪魔の証明

 この前「映画『告白』の少年Aみたいなのはいるわけないだろ」って言っちゃったんですけど、もちろん特殊事例を普遍的事例として過大に論じてしまう、マスコミなどのスタンスに対する反動で言ったわけで、世界のどこかではああいう危険な天才少年はいるかもしれません。

 こういった話でよく出てくる「悪魔の証明」というおはなしがあります。これは悪魔の存在を証明するのは、どこかで一匹でも悪魔を発見してしまえば可能なのに対し、悪魔の存在を否定するのはこの世の全てを探しつくして悪魔が存在しないことを確認しなければいけないので、事実上不可能である。という肯定よりも否定の方がずっと難しいよ、というオチの話です。

 似たような話で「ヘンペルのカラス」というのがあるんですけど・・・「カラスという鳥が存在する」という前提の下「カラスが黒い」ということを証明する際には、すべての黒くない鳥を調べ上げ、その中に一羽も黒色以外のカラスが存在しなければ、なんと黒いカラスを調べなくても「カラスが黒い」ことを証明出来てしまうという話ですが、まあ抽象度の高い話ではあります。
 ※この論理自体は正しい。バラエティ番組などで「ロシアンワサビ寿司~♪」とかのゲームやるときに、一個ずつ順番にプレイヤーがお寿司を食べていって最後の一個までセーフだったら、ラストの一個がワサビ寿司であることは確定するので、出川さんあたりが「なんだよ~・・・!」っていう、あれ。あれ「ヘンペルのカラス」です。

 で、話を戻しますが、万が一大学を吹っ飛ばせる爆弾を作れるほどの頭脳を持った子がいたとして、それを実行しようと思わなければ不可能とほぼイコール。
 つまり爆弾が作れるほど頭が良かったら、そんなことやっても自分の利益にならない、デメリットの方が多いと計算するので、実行しないと思います。

 この映画を見て思い出すのは、やっぱり「酒鬼薔薇事件」。当時中学生だった私は「今の中学生は何を考えているか分からない危険だ」という世論に辟易としてました。
 少年Aという極めてまれなケースで、「現代の中学生は・・・」という普遍的な全体論にまで発展するのが馬鹿馬鹿しかった。
 先天的な気質における集団内の個々の気質パターンの割合というのは「ガウス分布」を描いていて、つまりはグラフにすると一つの山になっていて、中央に多数派が配置されていて、その両端にレアな人がごく少数配置されているようになっていると思うのですが、とにかく遺伝子プールと同じで、特殊な子は少数ながらいる。
 そして気質に遺伝子が関係していることも分かっている(・・・とか言うと決定論的に誤解する人がいてうんざりするけど)。

 その点で「酒鬼薔薇は生まれつきのサイコパスでレアで危険なやつだ」といった『おぼっちゃまくん』の作者「小林よしのり先生」は中学生のヒーローだった(すいません。嘘です。私が「おぼっちゃまくん」好きだっただけ)。
 しかしそれと「親の躾や学校やコミュニティがしっかり機能していれば、酒鬼薔薇の暴走は止められたのでは?」という説は対立しない。先天的な気質がやばかろうと、後天的な学習や教育、経験でどうとでもなるから。
 だから逆にどんな人でも運が悪ければ犯罪者になる可能性はある。

 私はこの前K氏に「お前は決して変なやつではないが、かなり稀なタイプの人間だ」とか言われたのですけど、そんな正規分布の端っこにいて、大学の嫌いな教員からも「異端児」とか言われた私だって、あんな不条理な殺戮はしない。それはやっぱり他者との関わりで、人は十分正気を保てるから。
 思えば中学時代の私って、理科の先生に授業をやらせてもらったこともあったけれど、だからと言ってまわりに一目置かれてたわけでは決してない。
 なにしろあだ名が「馬鹿」だったし。所詮理屈しかしらない口だけ野郎だったから、モノをいじくって構造を理解してしまう工作好きな友達の方がずっと天才だった。
 『告白』の天才少年Aが、自分の天才ぶりにうぬぼれて自身のサイトを立ち上げたら、来客者が一人も来ないかったのでしょげたのと一緒で(オレのサイトも一緒だけどw)世間ってよほどのことをしないと関心を持ってくれない。

 で、彼は殺人をするんだけど、これがどうも賢くない。現実でもたしかに佐賀のバスジャック事件や秋葉原の事件は、世間の注目も集めたくてやったのかもしれないけど、その先にあるのは破滅なわけで。
 ルナシー事件や少年Bの母親殺しなんかと張り合うよりも、ノーベル賞最年少記録を打ち立てた方が、こいつはもっとメディアに取り上げられたとも思うんだけどね。

獣性が人間の本質だというならばウンコの映画を作れ

 私が見た中で最も退屈だった映画(刺激的なシーンがいっぱいあったのに・・・)『告白』つながりでちょっと思ったことを。

 現代美術にマルセル・デュシャンの「泉」という作品があります。といっても、この作品はただ展覧会場に洋式トイレが置いてあるだけで、なにが言いたいのだかさっぱりわからない。
 偉そうな評論家は「ポストモダン思想におけるソーカル事件のように、あえて便器を置くことで価値相対化に傾倒するポストモダン芸術を痛烈に皮肉った」とか「現在の芸術家は作品を作るだけで創作活動が完結するのではなく、どこに何を置くか?(そこで用いる造形物は自分で制作しなくてもよい=レディメイド)という問題の時代に入った」とか、まあ、いろいろと勝手に深読みし、デュシャンの「泉」は芸術史にその名を刻んだ・・・
 ・・・くっだらない。

 だいたい作者のデュシャンが、もし、特に何も考えずみんなの注目を集めたいだけで、あれを置いてたいたらどうなのか・・・?(つまり答えは無し)
 時に鑑賞者は作家の意図した以上のことを感じ取ってしまう。それが現代アートの醍醐味・・・?
 この現象を皮肉ったのが『鏡の国のアリス』の「ジャバウォックの詩」。わけのわからない言葉(答えもない)に踊らされて、真理とやらの剣をふるっている人を皮肉っているわけです。

 考えようによっては「ヴォーパルソード」の最先端は「科学」のような気もしますが(デビット・ハルや三中信宏氏はそれを否定)、科学は基本的にどんな人にも共有化できるもの。
 しかし芸術作品の解釈は共有化できない。だからといってその価値を下に見ているわけでは決してないのですが、それを上手く逆手に取った時、芸術でも映画でもカルト的人気が出ることがある。 
 「泉」しかり『不思議の国のアリス』しかり『告白』しかり・・・これらはどれもが、観客に大事な解釈をまる投げしている点が見事に共通している。
 個人的には私はこれは「反則手」かつ「一発だけ使える必殺技」のようなものだと思っていて、もし「泉」や『告白』のヒットに続いて、似たような作品が出てきても質の悪い劣化コピーなだけだと思います。
 そして私は、人に何かを伝えてそれを共有化したいタイプなので、あまりこの手法はやりたくない。正攻法で攻めていきたい。

 なにしろ『告白』は膨大なモノローグで登場人物の細かな設定を紡いでいくのに、物語で最も重要な真相を「な~んてね」のラストのセリフで観客に見事にキラーパス。私はずっこけましたよ。
 普通の物語は、ちょうどこの逆で、大事なメッセージ性やテーマ性は観客にしっかりと伝え、本筋に関係のないどうでもいい細かな設定(キャラの誕生日とか)は、妄想が大好きな熱狂的なファンの研究本などに任せてしまうw。
 この逆をわざと狙ってきたとは、それはそれで恐れ入る。でもなあ・・・話作りの勉強にはあまりに逆説的すぎて役には立たないなあ・・・

 あと人間の最もダークな部分をよくぞここまで取り上げたって言う評価もあるけど、これってつまりは人間が誰しも持っている「負の攻撃性」ですよね。
 人間の精神性、悟性と対極にある、もっともプリミティブな感情。「やられたら、やりかえす」「自分の大切なものを奪われたら、とってもひどい方法で自分の苦しみを味わわせてやる」まあ「ハムラビ法典」的発想で、それ自体に文句はないもののあまりに建設的じゃない。
 この報復の連鎖を実際実行しているのがイラクであリ、アフガンであり、イスラエルとパレスチナであり・・・き、きりがない・・・
 日本はオウム事件や拉致事件以降、すごいテロってないですけど、他の国ってたくさん森口がいるわけで・・・日本には無い怖いもの見たさってことなのかな?

 私はそういったプリミティブな感情を別にフィクションで見たくない。ノンフィクションの世界でさんざん見なきゃいけないから・・・(今日も若い小学教師が女性を強姦したとかやってたなあ。ついに「暴行」じゃなくて「強姦」って報道されるようになったんだ)。
 食欲、性欲、睡眠欲と同列に「攻撃欲」っていうのが、ただの動物にすぎない人間には確実にある。一応公共の福祉の概念の下、社会がそれを禁じているけどそれは建前でしかない。
 なんだかんだ奇麗事を言って私たちは殺し合いが大好き。でもそれを堂々と言うと偽善者に白い目でみられるから、いかんいかんとワールドカップあたりで我慢する・・ 
 これで人気取れるなら、120分ただ飯を食ってる映画とか、寝ている映画とか、ウンコしている映画とか(あ、それは『セックス&ザ・シティ』にやられた!!)・・・もっと言えばカンヌ国際映画祭とかにアダルトビデオなんか出品したらすごい反響だと思う。
 映画界のデュシャン現る!って。な~んてね。

告白

 「面白い度× 好き度×」

 告白します。この映画は・・・うわ~超つまらねえ・・・!

 この映画、観客動員数現在一位で、評論家も映画ブロガーも大絶賛の期待作だったのですが、断言します。つまらない。 
 私初めて映画の評価で×つけたよ・・・

 これが大ヒットする現代の日本において私の感性はもはや適応できていないのか・・・!?漫画家志望としてこれは致命的なのか!?とにかく上映中はそんなことばっか感じていました。
 それどころか、上映中に時計見ましたからね。「おお、そろそろ物語終息していくだろうな・・・えええ!?次は少年Bの告白・・・!?一体上映時間どれだけ長いんだ・・・えええ一時間しかたってねえ!!」
 とにかくそんな感じで、後半は苦痛以外の何物でもなく、いっそ帰っちゃおうかとも思ったのですが、1800円払ったわけだし元はとりたいし・・・

 これって結局何が言いたかった映画なんだか、まったくわからない。私はもっと現代の教育現場が抱える問題(少年犯罪、モンスターペアレント)を取り上げた作品だと思っていたのですが、まったくもって大間違い。
 これはファンタジー以外の何物でもありません。物語及び登場人物が漫画を凌ぐほど嘘っぽくて「こんなやついねえよ」を心の中で連呼してました。

 唯一メインキャラで現実にいそうなのは、あの空気読めない金八かぶれの熱血先生「寺田良輝(ウェルテル)先生」くらいかな。ああいうタイプは教育実習生の中には必ず一人いて、生徒に見事になめられちゃって自分の不甲斐無さを痛感しちゃうケースが多いのですが、それでも彼だけは誠実な人だったと思う。
 あのレベルで「しょうもない先生だ」なんて言ったらいけませんよ。私の大学にはもっとどうしようもないスーパーウェルテルがいて、授業中気に入った女の子に「芸術の答えはキミの胸の中にあるんだよ」とかバカ丸出しの芸術スノッブをずうっとひけらかしていたり、絵の講評会では生徒たちに「ひゅーひゅーかっこいい!」とか騒がれていて、なめられているのも知らずに調子に乗ってるんです。
 で「この人イタイなぁ、ついていけないよ」と授業中本を読んでいたら、めっちゃキレられましたからね。
 それくらい自分をメタ的に見れない教師が大学にもいるんだから、ウェルテル先生はずっとまとも。

 前評判では木村佳乃演じる、少年B「下村直樹くん」の母親がとんでもないモンスターペアレントぶりだとか言われてましたが、思ったより普通の人だった。
 実際この映画の元ネタとなったと思われる「酒鬼薔薇事件」の少年Aの母親も、自分の息子が殺した被害者の遺族への配慮が欠けた、息子への溺愛ぶりを手記で公開してしまうわけです。
 私は少年Aの母親を弁護するわけではありませんが、おそらく自分の息子が人さまの子を殺めたなんていう超非日常的出来事によって、殺人犯を産んだ母親は精神のバランス感覚が取れなくなってしまっているんだと思います。だって自分がお腹を痛めた子どもが殺人犯なんて、自分の存在も否定されたようで、そんな現実は直視できないから・・・

 で、漫画を描く私が一番嘘くさいと思ったのが少年Aの天才科学少年「渡辺修哉くん」(こんな奴はいないw)と、松たか子演じる森口先生。この二人、皮肉なことにとっても似た者同士(同じ科学者だし)。
 二人とも「自分の娘を殺された」とか「母親に虐待された」とか理由っぽいものはあるのだけど、要はどちらも人としての一線を超えてしまったサディストなだけなんだと思う。

 だいたい、物語を作る上で最も様々な点に配慮しなければいけないのが「重いテーマや事件」を取り上げる時で、下手をすれば被害にあわれた方の心を著しく傷つけてしまう。
 私も2006年に「ストーカー殺人」を漫画で取り上げたことがあったのですが、その時もとっても悩んだんです。「オレはこれを書いてしまっていいのだろうか・・・」と(別にプロじゃないけど)。
 なのに、この映画はそんな重いテーマを堂々とファンタジーにしてしまっていて、話の作り手としてはちょっと反則手だと思う。やれるけど、皆やらないだけだから・・・
 実際「自殺」とか重いテーマを取り上げた漫画を編集部に持ち込む際は、よほどストーリーテリングにパワーがないと確実にボツですからね。「ダメダメ、暗くて読む気にならない」で終わり。
 その点で、この映画はどうだったのかな・・・う~ん・・・

 この映画を観て「うわ~今の中学校のクラスってあんなんなんだ・・・」って眉をひそめる想像力のない大人は多分いないでしょう。あんたらの子ども時代と変わらないよ。
 携帯電話やネットがあろうとも、子どもの心なんていつの時代も大体一緒。あの映画に出てきたような、いじめギリギリの状況は私の中学時代にもあったし、人間社会においていじめが存在するのは当たり前。そもそも大人社会の方がずっとひどい「いじめ」があるじゃないですか。
 それなのに「最近の子どもはおっかない」とかいって自分の子ども時代を棚上げしている大人はちょっと卑怯ですね。
 私は塾で現役中学生を見ていますが、やっぱりみんな生意気でも可愛いですよ。大体私が中学時代小生意気なガキだったから。
 そしてその“若さ”が時に大人なら絶対にセーブする感情や言ってはいけない言葉を出してしまう。
 ※だから私はネット掲示板の「2ちゃんねる」って中学生や高校生が書いているとずっと思ってた。書いてある内容がいい歳した大人のものとは思えないから。
 でも一説には「2ちゃんねる」のメインユーザーは30代らしい。本当に情けない。

 携帯電話もネットも学校側や森口先生がもっと厳しく取り締まればよかっただけで、冒頭のシーンであんな状況になるまでクラスを放っておいた森口は教師失格だと思う。
 教育現場が過酷なのは分かります。そして女性の教師は中学生にことさらなめられる場合が多いことも解ります(男子にも女子にも・・・)。
 特に、「生徒30対教師1」というとてもアンバランスなパワーバランスで、クラスをまとめるのに必要なものは、(ウェルテル先生がやりそうな)生徒との心の通った対話ではなく、もっと客観的なアプローチ。ゴミのポイ捨てをする人をいちいち注意するのではなく、ポイ捨てに罰則を設けるルールや、高尾山の鳥居のようにポイ捨てしづらい環境を考えれば、ポイ捨ては次第に減っていく。
 あそこまで生徒を追い詰めた復讐劇が出来る知能のある森口先生なんだから、いくらでもクラスを構造レベルで改革できたと思う。その知能をもっと早くに教育的手腕に生かせば、娘さんだって殺されなかったかもしれない。
 結局私は森口先生の少年Aと通じる「子供っぽさ」が嫌だった。いい歳した大人なのに・・・と。だから復讐を果たした森口が少年Aに「どっか~ん・・・な~んてね♪」なんてラストで言っても「あっそ」って感じで、もうとっくに飽きてどうでもよかった(復讐の方法も観る前によめてしまった)。

 最後に『告白』つながりで被害者遺族の方について書かれた本では『〈犯罪被害者〉が報道を変える』が大変お勧めです。大切な人を理不尽な暴力で殺されてしまった被害者の感情は、森口どころの話じゃない。
 「犯人に私的な復讐をしてやりたい」という森口の感情を通り越して「少しでもこんな不幸があっちゃいけない」とニヒリズムを超えた思いがあるようです。
 私も犯罪被害者ではないので、なんだかんだ偉そうに言っても「ただの部外者のたわごと」ですが、それでもこの本を読むと、犯罪被害者の叫びや思いのようなものはとっても伝わります。機会があったらぜひ読んでみてください。
 特に「山口県光市母子殺害事件」の被害者、本村洋さんのインタビュー(65ページ~)は、テレビニュースがいかに被害者の方の思いを断片的にしか伝達していないか痛感します。

 また活字が苦手な方には漫画の『PS羅生門』がお勧め。警察を題材にした成人漫画なのですが、第5巻「少年Aの将来。」で少年法を扱っています。少年法について『告白』とはまったく違ったアプローチをしているとっても考えさせられるエピソードです。

 追記:この映画は森口先生の告白にも少年Aの告白にも嘘がある、虚実が入り混ぜられた物語と言うコメントがありました。
 たしかにこの映画は、森口、修哉(少年A)、直樹(少年B)、直樹の母親、美月の告白とモノローグばっかりで、漫画を書くときあまりやっちゃいけない構成なのですが、それでもほとんどのキャラがモノローグ(独白)なのに対して、唯一ダイアローグ(対話)になっているのが森口。
 修哉のモノローグ(大学のシーン)は観客のミスリードを誘う、まあよくあるっちゃよくある手法なので、私は映像がアバンギャルドなだけで、この話は夢落ちではないと思う。
 私は『告白』はファンタジー映画だと思っているので、あの映画の世界の中では、あれは悪夢のような現実という設定だと解釈しました。
 だから森口は、実際に牛乳にHIVウィルスもいれたし、少年Aの母親の研究室にも爆弾を仕掛けたと思う。あの女ならやりかねません。やったかやってないかは観客が判断する構成だとは思うけど、夢落ちって私ダメなんで。「じゃあ今まで見せられたのはなんだったんだ!バカ野郎!」ってなるから。
 森口はなんだかんだ言って、誰の殺人も直接手を下してない。作中の悲劇は全部、少年A,Bの暴走。彼らが人の命を大切に思えたなら、全部起きなかった。
 というのも作中のラストで言ってたけど、牛乳にHIVウィルスを入れたって気持ち悪いけど感染はしない。胃腸に傷がある私みたいなのは、感染しちゃうかもしれないけど。
 そういう意味で彼女は殺人罪には問われないかもしれないが、警察が少年Aや大学に聞き込みなどをして、この完全犯罪が古畑警部補かなんかに破られたら過失致死にはなるかも(いや、爆弾は計画殺人だな。情状酌量があっても20年はぶちこまれるかも)。なにしろ、この森口の騒動ってクラスの子が結構証言できるので(私の報復をちくった奴は少年Cとみなすとか脅していただけだから)、彼女の人生ももう終わりだなあ。な~んてね♪(やべえ気に入っちゃったw)

アメリカン・ラプソディ

 「面白い(=感動)度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 「これぞ感動作!」って映画です。深夜にテレビでやってて号泣してしまった・・・映像的に80年代の名作映画かと思いきや、公開年は何と2001年・・・!まじかい。

 「人を泣かせるより、笑わせる方が難しい(悲劇より喜劇の方が難しい)」とかシェイクスピアは言っていましたが、私は感動させて泣かせる方がずっと難しいと思う。
 笑いは棚ボタ的ヒットがあるのに対して、感動は計算された演出力と構成力が必要だし、特に映画となると監督だけでなく、俳優さんもその演技力を問われる。
 そういう意味で主人公の幼少期を演じた女の子の演技はとってもうまかった。彼女は成長すると、やさぐれてスカレート・ヨハンソンへと進化を遂げるのですが、見事にこの可愛い女の子とミスマッチ。あの有名女優が見事に幼少期担当の歯抜け美少女ラファエラ・バンジャーギちゃんに力負けしちゃってます。
 とにもかくにも、この映画に強い印象を残しているのがラファエラちゃんの演技であることは絶対的。

 時は第二次世界大戦後1950年代のハンガリー。当時のソ連の支配下に置かれハンガリー人民共和国として、共産主義体制をとっていたハンガリーは、「パンよりも武器」というワルシャワパクトのせいで、とにかく厳しい生活を強いられていた。
 主人公の少女「ジュジ」の一家は比較的裕福だったので、自由と民主主義を求めてアメリカ合衆国に亡命を決める。・・・とはいえその亡命方法は、鉄のカーテン20kmを徒歩と言うとんでもなく過酷で危険(ばれたら銃殺)なもので、赤ちゃんのジュジにはとても無理だと判断した一家は、ジュジを別の方法で後から亡命させてもらうように祖母に託し、先にアメリカへ亡命する。
 そして赤ちゃんのジュジの亡命方法とは、薬を飲ませてジャガイモ袋の中に入れるというこれまた過酷な方法で、そんなことできなかった祖母はジュジを知り合いの夫婦(?ごめん、ここら辺よく見てなかった)に預けたのち、秘密警察に亡命容疑で逮捕されてしまう。

 ということで、本当の家族と離れ一人ハンガリーに残ることになったジュジだったが、生活は地味ながらも、育ての親を本当の親のように慕い幸せな毎日を送っていた。
 しかしジュジが(確か)6歳になったある日。アメリカ赤十字の協力で、ジュジにも正式かつ安全な亡命の手筈が整う。
 亡命するということがいまいちよく分からないジュジは、里親に「ちょっといってくるけど、すぐ帰ってくるね。学校があるし」と約束し、アメリカに亡命。
 アメリカで先に亡命した両親とついに(テレビ的には)感動の再会を果たす。とはいえハンガリーの里親を本当の両親だと思っているジュジ。
 本当の母親マージット(ナスターシャ・キンスキー演じる、すっごい美人なママですよ)も「よそのおばさん」よわばりし、常に「ジュジにとっての本当の両親」がいるハンガリーに帰りたがっていた。
 そんなジュジに父ピーターは「大きくなったらハンガリーにいってもいいよ」と約束する。パパも故郷ハンガリーに本に携わる仕事をするという夢を置いてきて亡命していて、決して故郷に未練がないわけではないので、ジュジの気持ちは痛いほどわかるのだ。
 しかしママはそれを許さなかった。「ハンガリーはすぐに銃殺される恐ろしい国、そんな国に戻るなんてママ絶対許しません!」と猛反対。

 そして時は流れジュジ16歳(多分)。見事にアメリカニズムに染まったジュジは、かつての愛らしい歯抜け少女ではなく、立派なやさぐれヤンキーと化していた・・・
 ことあるごとに家を抜け出し、友達と深夜遊びまわる毎日。そんなジュジをママはとっても心配するが、相談相手となるべきパパは多忙で、家をあけがち。
 困ったママは口で言っても朝帰りをやめない娘の部屋に、鉄格子と鍵をとりつけてジュジを軟禁してしまう。
 「なにもやらせてくれない、あんたなんて大嫌い!」と怒ったジュジは、天袋?からショットガンを取り出しドアの鍵を撃破。その銃声を聞いた途端ママは泣き出してしまう。
 この騒動中、偶然家に帰ってきたパパはジュジを優しく諭す。そしてかつてジュジと交わした約束をOKする。
 ついに再びハンガリーの里親の下に帰ったジュジ。そこで収容所から出所した祖母とも再開し、なぜママが娘のジュジにあそこまで過保護なのか、その理由を知る・・・

 深夜に漫画描きながら見たので、細かいところは違っているかもしれませんが、あらすじはこんな感じ。とにかく良くできてます。
 この映画は家族を題材にした葛藤劇だと思う。登場人物に一人も悪役はいないのに、それでもジュジは幼少時過ごしたハンガリーに憧憬の念を抱き続け、アメリカの生みの親と上手くいかない。冷戦という国際情勢が、平凡な家族の人間関係にここまで影響を与えてしまう。
 もしジュジを軟禁したシーンで「ママ出して!」と叫び続けるジュジにママが掃除機をかけるのをやめて「仕方がないか・・・」と鍵を開けようとドアの前に立っていたら・・・そしてそこをジュジがショットガンで撃っていたら・・・
 私は『愛と青春の旅だち』で見事にこの手の映画における「ダークな展開」を見せつけられたので、そんな超悲劇的展開にもなっちゃうんじゃないか!?とハラハラしましたが、そうならなくてよかった。本当に良かった。

 それにしてもハンガリーの里親は人間が出来てるなあ。心が大西洋並に広い。ずっと会いたかったジュジがやっとハンガリーに帰ってきてくれたのだから、メチャクチャ嬉しかったはず。
 しかしそこでママの気持ちを知ったジュジが「私やっぱアメリカに帰る」って言ってもすんなり送り返してくれたもんなあ(ラファエラちゃんがヨハンソンと化していたからでは絶対にない・・・!)。でもこれ、絶対辛かっただろうなあ。だからおじさん達はジュジが祖母に会うことに怪訝な顔をしたわけだし。
 「わしらのこと忘れないでおくれ」っておじさんのセリフで大号泣。なんかママのパートで『ファインディング・ニモ』、里親のパートで『アイスエイジ』を同時にぶちこまれた気分。
 そりゃ泣けちゃうよ。それにこの映画は『ニモ』や『アイスエイジ』と違ってギャグはないしね。
 とにかく巧い映画。ハンガリーのブダペスト(現地ではブダペシュトと発音するんだって)のシーンでは、おそろしい独裁国家の街並みが御伽の国のように美しいのに対し、自由と平等の国、新天地であるアメリカの町並みのなんて魅力のないこと。
 これ絶対狙ってますよ。チェコのプラハといい東欧独裁国家ってなにげに街並みがとても美しいのがすごいギャップ・・・

 あ、あとこれ、エヴァ・ガルドス監督の実話だそうです。

科学はヒトの儀式的振る舞いを否定しない

 宗教の話になるから敬遠しているのかもしれないのですが、なぜ義務教育で冠婚葬祭のマナーを教えないんだろう・・・?
 これって人の誕生(=結婚出産)と死(=葬儀)という人生の最初と終わりを担う人生で最も大切なことなんだから、因数分解よりもこういうことこそ優先的に教えるべきだと思う。
 年齢を重ねるごとに、吉報も訃報も増えていくだろうしなあ。

 西部邁さんは「最悪の宗教なのは無宗教で(宗教のランキングの話をしているなら当たり前だ)、マルクスの唯物論などは人間の精神は物質によって決定されると言っていて最悪である」とか言っていますが、精神と言うか人間の選択が物質(金や名声、異性)で決まるというのは科学的には正しいと私は思う。
 ただ、だからといって宗教が必要はないというのはどうだろう・・・宗教というとなんか全体主義的イメージがあるので言葉を変えると、これはつまりは知能の高い動物に見られる「儀式的行動」(チンパンジーのグルーミングとか)。
 「そんなことやってなんか意味があるの?」なんてはたから見れば思うことが、その動物(とその社会)にとって重要な振る舞いだったりする。

 例えば解りやすいところで「挨拶」。あれって“挨拶自体”に特に意味ないと思う。「部長おはようございます」を「オッパッピー」に変えても成立しそうだし、やらなくても死にはしないし。ただやった方がやった方もやられた方もスッキリ爽やかな気分にはなる。それだけ。
 でも社会的な秩序を保持する上で、個人が「なんだよ、こんなん意味あるのかよ!?」っていう行動は、人間が進化の歴史で獲得した大切な振る舞い。
 「目ざましテレビ」か何かでやってたんですけど、タイでは一日に二回決められた時刻に国歌がスピーカーから流れて、その間は起立して静かにする風習があるそうです。なんとタクシン派がデモをやっている時でも、この時間中はノーサイドだったようで、タイの人にしてみればこの風習は絶対的。
 こういった国ごとで異なる儀式的行動は、他の国からしてみれば「意味わかんねえ」と思うかもしれませんが、それを踏みにじるというのはデリカシーにかけた行為。
 大体日本ほど時間にうるさい国もないし、遅刻をするのが当たり前な国はとても多い。でも我々日本人は時間を守るのは当たり前だと思っているから、むかっと来るわけで。

 ・・・で実はこのような儀式的行動は「創発」だと思う。だから生物学、もしくは進化論で充分扱える。もっと言えば、私は戦争も創発だと思っている。これについては後に詳しく取り上げるかもしれません。
 そして生物学はこれらの儀式的振る舞いを決して否定しないと思います。どうも宗教VS科学って図式があるけど、私が思うに科学は宗教的振る舞いすらものみ込んでしまう大きなカテゴリー。

 ただ勘弁してほしいのが、この逆。一見科学の話をしているようで、そこに宗教的概念を交えて布教する新興宗教とかは、もう科学じゃなく、科学をダシに使った疑似科学。
 これに似ているのが福岡伸一さんや茂木健一郎さん。彼らは科学者だけど、テレビでは科学の話をしていない(場合が多い)。
 彼らは私が思うに「生気論(生物には魂という超自然科学的存在があるという説。機械論と対立する)」者なのだと思う。
 この生気論については「バイオロジー」第一回目でも扱ったけど、科学的にはちょっとどうしようもない考え方。
 ただ私たちの意識や、宗教をはじめとする儀式的な行動が、すべて唯物論が言うように物理的(量子力学的、複雑系数学的)に規定されているとしても、それを否定することにはつながらない。そんな事を言いたかったんです。

 この話を扱ったのがマイクル・クライトンの『ロストワールド』(原作小説の方)だと思う。クローン技術で恐竜を再生したはいいが、彼らは恐竜時代(中生代)において代々受け継いできた自身の「歴史」を断絶されて現代に生まれてしまった。
 ティラノサウルスなどは儀式的行動が「本能」によるものだったから、現代によみがえっても何事もなく、子育てや家族行動をしていたけれど、悲惨だったのが知能が高いヴェロキラプトル。
 彼らの儀式的行動は、おそらく人間と同じ「ミーム」によるもの(遺伝子によって引き起こされるのではなく、教育とそれに伴う学習によって受け継がれているふるまい)であり、教育者(先代、親)なしで育ったクローン第一世代ラプトルは、その社会集団を儀式的行動によって秩序化できない。
 だから利己主義に走り好き勝手に仲間を裏切って殺したり、自分が産んだ卵を放置し潰してしまう。これって絶対人間に対するメタファーですよ。

 結論:人間の精神活動や儀式的活動は、生気論を持ち出さなくても、進化論や複雑系(=創発現象)で十分説明が出来る。よって科学の話では、霊魂とか魂の存在は「オッカムの剃刀」で切り捨てるべし。
 ただそのことは人間の宗教をはじめとする儀式的振る舞いを軽視しない。逆に重要視すると思う。ヒトが社会的な動物だというのは生物学的に研究されているから。

 だから多少宗派や地域によって誤差があるものの、冠婚葬祭のマナーは学校で教えてもいいと思う。教育基本法第15条では「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」と言っても、これくらいはいいのではないだろうか。ダメ?マナー教育。
 学校の国歌斉唱や国旗掲揚すら、個人の自由を阻害するとか言って、突っぱねる人もいるしなあ・・・まあそれも容認するのが基本的人権の尊重だけど。
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