ショーシャンクの空に

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 太平洋?おっかねえよ、そんなでっかいもんは。

 スティーブン・キング原作の名作映画。高校の頃からいろんな友達に「いい映画だから見ろよ」って言われてたんだけど、今更見ました。ごめんコークン。確かにすっごい上手。
 特に脚本の構成!どうやって作ってるんだろう?って視点で見るとこの映画はすっごい計算づくで出来ているのがよくわかる。
 聖書、鳥、ロックハンマー、太平洋、コンパス・・・『ショーシャンクの空に』に配置された要素は言ってみればマクガフィンなんだけど、物語のリード線としての「メタファー」になってるから、見てる側にとっては話が追いやすくてありがたい。じゃないとこんな長い映画見てるのは疲れてきちゃうからね。
 テーマやメッセージ性は何もセリフだけで表現する必要はないわけだ。

 で、これらのアイテムが映画の中でどんな役割を果たしているか、それをいちいち言葉で説明しちゃうのは野暮ってもんだよね。
 個人的に殿堂入りした映画『オーケストラ!』の時もそうだったけど、これくらい完成度の高い映画を見させられるとね、私って歯切れが悪い。なにを書いても蛇足でしょってなっちゃうから。
 もう本編を見ればいいじゃんって。本編観れば全て分かるように出来てるし、お話を作りたい人にとってはこれほどの教科書はないよ。

 でもそうすると本当に書く事がなくなっちゃうから、ひとつだけ。なんでこの映画は刑務所を舞台にする必要があったんだろう?
 それは同じくキング原作の映画『グリーンマイル』にも言えることなんだけど、小浜逸郎さんは学校と刑務所は管理者と被管理者の割合や、その閉鎖的な性質から多くの共通点があると論じた。
 実際ショーシャンク刑務所のノートン所長は敬虔なクリスチャンだし(もともとスクールは教会母体)、囚人たちに行う社会的な更生は言ってみれば再教育だ。そしてこの二つはどちらにも欺瞞がある。それは学校教育だって同じことだ。
 ならこの映画は学校でも出来たんじゃないのか?でもあえて刑務所にした。その理由を考えてみるとなかなか楽しい。

 “主の裁きは下る。いずれ間もなく”

 学校の入学と刑務所の入所の違い。原罪と懺悔といった全編に貫かれる宗教的テーマ・・・この映画は人間賛歌を手放しでたたえるようなそんな映画じゃない。
 まるでイマニエル・カント先生に説教されてるような、もっと厳しく、もっと倫理的な寓話なんだよね。そしてこういう物語を日本は長らく必要としなかったような気がする。それどころか脱構築し、メタメタにしてネタにしてしまった。
 現代の私たちはことさら「規制」や「抑圧」を嫌う。90年代(エヴァ)はそれに対して逃避し続けたし、ゼロ年代以降(デスノート)では無根拠な決断主義で対抗した。
 どちらのスタンスにも欠けているものは、そういった「規制」や「抑圧」を引き受ける強さだ。それは圧力に全面降伏しろという意味じゃない。

 この前書いた脚本(『CRIMSON WING』)は宗教的な寓話にしたかったから、久々に聖書とか読んだんだけれど、旧約聖書にヨブ記ってのがある。
 ヨブって人は、まあ、めちゃくちゃいい人で神様に罰を受けるようなことは全くしていなかった。でもヨブは『ときメモ2』の寿さん並みに災難に合う。
 ヨブの友達は「だから神様なんて信じたって意味ないんだよ。もう神を信じるのなんてやめちゃえば?」とヨブの信仰心に疑問を呈す(正しい人に災が起きるのは因果律的におかしい)。でもヨブは神を信じ続ける。
 最終的にはヨブは最後の最後で大逆転して大団円のハッピーエンドになるんだけど、だからといって「神を信じるのっていうのは無駄じゃないんだよ。最後は報われるから!」っていう功利主義的なことをこのお話は言いたいわけじゃない。
 ヨブにとって信仰心とはそれ自体が尊いことで手段じゃなかったってことなんだろう。

 ネットの普及で、現代人は短期的なスパンで情報を断片的に処理し、戦略(タクティクス)を決定するのは得意になったけど、長期的な視野にたったストラテジーが想像できなくなったような気がする。みんな場当たり。これってつまり未来を自ずから放棄しているってことだよ。
 それは年功序列や終身雇用といった高度成長期にあった緩やかな日本的社会主義が崩壊したからなのだろうか?私は最近そうは思わないんだよ。

 アンディは地質学が好きだった。何百万年もかけてゆっくりと圧され隆起して出来た山。地質学は圧力と時間の研究だ。必要なものはまさにそれだった。圧力と時間――

 私はよく「人生楽しそうですね」って言われるんだけれど、本来、人生とは受難の物語だ。しかもけっこう長い。刑務所の服役期間のように。

 ブルックスはいかれちゃいない。ただ施設慣れでシャバに出るのが怖いんだ。あの人は50年もここにいたんだ。50年だぞ、ここしか知らないんだ。ここでなら重要な人間だ。学のある人間だ。外じゃ通用しない。リュウマチ持ちの前科者の年寄りだ。図書館のカードも作ってもらえないだろう。
 この塀が曲者なんだ。最初は憎む。それから慣れる。時間が経つと頼りにしちまう。終身刑ってのはまさに身の終わりだ。人間をダメにしちまう。


 私たちは社会(の規則や抑圧)に文句を言いながら、結局生かしてもらっている。だから本当の自由に怯えているんじゃないか。
 今生きるそこが自由にしろ不自由にしろ、結局人間は「希望」がなければ生きていけない。逆を言えば希望さえあれば結構なんとかなる。
 それは大きな夢じゃなくてもいい。時間を忘れて打ち込める趣味や気の会う友人、そして海の見える静かな街で親友と一緒に小さなホテルでも経営できたら最高だ。

アイスエイジ4 パイレーツ大冒険

 「面白い度☆☆ 好き度☆☆☆☆ ババア☆☆☆」

 ナマケモノのメスの平均寿命って何歳?

 絶対私たちより長生きだ。


 寒い季節に冷たい時代のあったかい大冒険!・・・って4っていつ上映してた!?
 知らないのもそのはず、なんとこの映画、日本では劇場公開されずまさかのDVDスルー!(泣)
 そのためか『1』からずっとサーベルタイガーのディエゴの声を吹き替えていた俳優の竹中直人さんが仕事をスルー、その代わりに『アベンジャーズ』でニック・フューリー長官の声を当てて(なぜか)ネットで顰蹙買ってるし・・・
 でも代役の石塚運昇さんが竹中直人さんっぽく声色を真似て吹き替えてくれたので違和感は無し!よかった~さすがプロ!声が変わるとキャラの印象が全然違っちゃうし1~3でもうディエゴのイメージは固まっちゃってるからね。竹中め~!!(ギャラが安かったのかね、やっぱ)
 てことで竹中さんは降りちゃったけど、偉いのは爆笑問題の太田さん!今回も仕事を受けてくれて、マニー役の山寺宏一さんと共にシリーズ皆勤賞!意外と責任感のある人だ(つーか、この人のギャラで竹中さんの吹き替えに当てる予算がなくなっちゃったとか?)。

 で、日本の会社が買い付けなかったってことは相当興行収入的にすべっちゃったのかな(氷だけに)って思ったら、なんと世界興行収入は歴代で30位、2012年では『アベンジャーズ』、『ダークナイト ライジング』に次いで3位、アニメ映画としては同年1位である。(byウィキペディア大先生)
 なんと大ヒットしてるんですよ!!なのに日本ではシリーズ初の上映見送り・・・orz単館系ですらやらなかったという・・・さすがガラパゴス国家。世界と感性が隔絶してる(美少女出ないからな)。

 というわけで(どういうわけだ)氷河期、地球温暖化、地底世界と来て、第四弾は大陸分裂!ひょんなことから地球の内核まで落っこちたスクラットが地球の対流をめちゃくちゃにし大陸が分裂を始めてしまう。もう、今回のスクラットのパート個人的にはシリーズで一番面白いですw

 キリンの首がなぜ長く進化したのか1.5秒でわかる教材VTRとして全国の学校に配布しようぜ!

 いや~でもよくこんな発想思いつくよって大爆笑。理系ネタをギャグに出来るってすごいよな。この冒頭の大陸分裂シーンでもう大満足。

 ・・・それで本編の方なんだけど、この『4』が『3(ティラノのおとしもの)』の何年後の話かはわからないんだけど、恐竜世界で生まれたマニーの娘のピーチがもうお年頃のギャルになってるんだよw
 で、案の定パパのマニーが「外出禁止だ!」って言って「なによパパなんて嫌い!」とか娘が怒ってるという。もちろん最後は「パパ大好き」で決まりだぜ!
 本当アメリカってこういう親子のお話大好きだよね。でもまあ思い返せば『アイスエイジ』シリーズって一貫して「家族の話」を描いていたようにも思える。
 『1』は種族もバラバラ、思惑もバラバラの三人が人間の赤ちゃんを親に届けるために旅をして大人として成長する話。
 『2』では天涯孤独のマニーが自分しか生き残っていないと思っていたマンモス(メス)と出会い恋をする話。
 『3』では家族を作ろうとシドがティラノサウルスの赤ちゃんを育てる話。
 そして『4』では、マニーたち家族の幸せが大陸移動によって文字通り引き裂かれてしまう。家族と離れ離れになりながらも再会を信じて旅を続けるマニー。そして一行はついに新天地にたどりつく・・・
 そう考えると『4』って本当移民スピリットを感じるというか、聖書的というか・・・アメリカニズムだよね。
 とはいえ自分たちのご先祖様も、故郷アフリカから気が遠くなるほどの道のりを旅して、今の私たちがあるわけだ。どの土地も決して安住できる場所じゃなかっただろうし、そもそも地球っていうのはとんでもなくダイナミックに環境を変え、その度に生命に試練を与えてきた。
 その繰り返しが生命の歴史なんだよってことをこのシリーズはやりたかったのだと思う。

 ・・・でもこれ作ってるスタッフめちゃくちゃ照れ屋だよね。
 そういう真面目な意図がわからないようにギャグで印象をめちゃめちゃにしてモザイク状にしちゃうから、単なる構成が下手なバカ映画になってるwストレートに感動作にしたのは結局第一作目だけだったというww
 本当はもっとキャラクターやテーマ性を掘り下げても良かったと思うんだけど、多分「子供向け、家族向け」を意識してこれくらいの薄さにしたんだろうなあ。これは絶対わざとだと思う。
 そこまで壮大なメッセージを込めると説教臭くなっちゃうから、ここはあくまでも「思春期の子供がいる家庭あるある」という等身大のテーマを前面に出してきたのだろう。
 ただ、キャラクターの数がシリーズを追うごとにインフレして、そのテーマすらなにがなんだか分からなくなってたけど(動かすキャラの数が多すぎてひとつのキャラに割く時間が捻出できないので、ピーチの心境の変化のきっかけが唐突)。ある程度リストラしろよ!

 最後に、キャラといえば『1』でセリフだけ出てきたシドのファンガスおじさんが四作目にしてやっと登場したよね。小汚かった上にババアの世話をシドに押し付けて逃げてったけど。
 いやでもこれも「家族の大切さ(と介護問題の深刻さ)」を描いてると思うよ。うん。

免許が取れた

 いや~なんとか無事にストレートで取ることができました!

 フツーに取れるな、これ。

 『アオイホノオ』の影響で、いずれ泥沼に陥ると思ってたんだけど、実技教習でスタンプが押されないこともなく、学科試験で落ちることもなく、効果測定で勉強をすることもなくスムーズにクリアー出来た。
 そりゃそうだ、ほとんどの大人が持ってるもんだもんね、免許って。

 だからどんな人でも取れるように、免許センターの試験場では警察官のおじさんが、幼児園児を相手にするがごとく優しく丁寧に手続きを説明してくれました。そこまで繰り返さなくてもわかるわ!って心の中でツイートしてたけどw
 でもこれって教育にとっても大事なことだよね。「携帯電話は切る!」「列をちゃんと作る!」「試験表と違う顔の人間は試験場に入れられない!」「かかとを引きずって歩かない!」とかビシビシ大の大人たちに教育的指導をしていたので、生徒指導の新米としては「ああ、こういう風にやるのか」って勉強になりました。とはいえ自分には無理だけどねwそこはやっぱ国家権力、暴力装置のTHEポリスメンならではの強制!スーパーマンより強いのはポリスマンだぜ。

 でも試験に合格したみんな(特に女の子)が思ったことだけど、免許証の写真撮影もっとどうにかならんのかね。いくら「人相がわかりやすく」って言っても長髪の人をおでこちゃんにするのは可愛そうだよwそれに一発撮りだし・・・私なんかもなんかちょっとにやけた写真になっちゃって、すっごいリテイクしたかったんだけど強制的に決定稿となりました。こんな写真捨てたい。

 まあ、なんにせよ、これで私も一歩大人への仲間入り。特に自分なんかは職業上交通事故なんかやっちゃったらシャレにならないから、地球環境を破壊する人殺しの兵器を自分は操縦しているんだという自覚を持って交通マナーを守っていこう。通勤以外は乗らねえ!

おまけ:これから免許を取ろうと志す方へ(今日取ったばっかの奴が偉そうにアドバイス)
①教習所はそんなに大変じゃない(仕事しながら通えるくらいだから)
②自動車の運転は最初は超怖いけど直ぐに慣れる(MTは知らん)
③学科試験は常識で八割正解する。残りは引っ掛け問題なので、そこだけ覚えればOK
④それでも不安なら『免許を取ろう』でも買え

 ということで、自分みたいに「大学ですら嫌なのに、なんでさらに学校へ行かなきゃいけねえんだ」って感じで学生時代に教習所に行かないのはやめて、さっさと取っちゃいましょう。そんなに面倒じゃないから。学割が効くしな。

『オレ様化する子どもたち』

 一番悪い奴は誰だ!?

 著者はプロ教師の会の諏訪哲二さん。
 しかし内田樹さんと違って、学校の教員の書く本って、本当文体が良くも悪くも硬いですよね。あの「うふふ」の尾木ママですら、めちゃくちゃ真面目でオカマ要素一行もなし。
 まあ教員って立場上、不用意な発言ができないから(生徒、保護者、地域すべてに影響が轟く)そういう仕事をしているうちに冗談とかパブリックな場で言えないようになっちゃうんだろうな。それはプロフェッショナルな職業として正しいし、公私混同せず子供にメリハリをつけさせるのが仕事みたいなもんだもんね。

 さて著者の諏訪さんは、すでに定年退職された(元)超ベテラン教員なんだけど、これまでも『別冊宝島』で、教育現場における親や教員を鋭く批判していて、今回(つっても7年前)ついに満をじして子供批判というアンタッチャブルに切り込んだ。
 ・・・というのも日本では西洋の子供観と違って、子供とは大人が失った「純粋さ」の象徴で、つねに大人社会の被害者であり、子供は普遍的に良い子であるというイメージが通俗化されているからだ。
 子供は「小さい大人」であり、バカで未熟でほっとくと何しでかすかわからないから大人が責任をもって“大人に矯正する”というヨーロッパ型の教育理念とは大違い。
 とはいえイギリスでも戦後、ロマン主義の影響で、子供を自然に育てれば美しく純粋に成長するという教育論が打ち立てられたことがあって、まあ、ぶっちゃけそれをやったのがハーバート・リード先生あたりなんだけど、日本ではそう言った子供の理想が歴史的にずっと受け継がれているわけ。
 だから日本ではお年寄りや障害者批判と同程度に子供批判もタブーとなっている。子供を批判できなければ、子供がおかしくなった原因を子供以外に求めなければならない。
 それは家庭のせいであり、学校のせいであり、つまるところその子に関わった教育者の責任だったということ。親は何やってんだ、学校は何やってんだ。

 「至らない者には至らない者の理由がある・・・・」などという・・・・温情的な・・・・確かな「悪」を認めない・・・・そんな理屈が通り過ぎた・・・・・・・・!
 そんな屁理屈の結論は・・・・彼が悪いのではなく・・・・・・家庭・・・・学校・・・・あるいは・・・・・・・・社会が悪い・・・・などと言う何が何やらわからない・・・・成した悪の責任を・・・・無限に薄めていく結論だ・・・・!
 なんだこれは・・・・!?どう納得すればいいのだ・・・・・・!?まるで手品ではないか(福本伸行『無頼伝涯』)


 確かに手品だw
 そんな手品をする理由は、成人でもない子供に大人一人分の責任を押し付けるのはあまりに酷だから。でも現状を見ずに(具体的には荒れる子どもと対峙せずに)教育現場を叩いても不毛だ。
 確かに子供に何か問題が起きた時、たいていの場合、家庭や学校に問題があるし、それらが子供に多くの影響を与えている場所であることは間違いない。
 しかしそれでも諏訪さんはこういう。今の子供の変化は親や教員だけの影響とは考えられないほど根が深く異質な兆候を見せている、と。
 これは教員が子供を無理やり学校に馴染ませようとして、その反動で子供がそうなったのではなく、学校に来る前から子供は学校(という社会を縮小化したシステム)とコンフリクトを起こすようなオレルールを完成させて入学してくるというのだ!
 
 例えばタバコを吸っている男の子が、タバコを吸っている現場を生徒指導の先生に押さえられても「吸ってねえよ」とめちゃくちゃな逆上をする。
 テスト中に女の子がカンニングペーパーを見ていて、それを試験監督が注意しても「これはテスト前に見ていたもので、テストが始まる前に机の中にしまい忘れただけです!だからカンニングなんてしていません!」と怒り出す。
 授業中騒いでいて先生が注意しても「うるせえなちゃんと聴いてるよ!これくらい喋っても授業妨害には当たらねえだろ!」と取り付く島がない・・・そんな無茶苦茶な奴いねえよって思ってませんか?実は今の学校にたくさんいますよ。

 彼らの思考には「他者(社会)」がない。いやもちろんあるっちゃあるんだけど、世の中や社会がどうも自分のためにあるというか、自分の思った通りになるって思っているらしい。
 これをセカイ系・・・じゃなかったオレ様化という。つまりは彼らには主観と客観の区別がない。客体世界が自分の思い通りにならないといった葛藤を経験せずに中学校、高校、大学まで進んできてしまう。
 普通は幼稚園か小学校あたりから無理が出てきそうなこのオレ様ルールを、なぜ今の子供たちは青年期まで維持できるのだろうか。それは子供の精神年齢が単純に下がっただけなのだろうか。

 諏訪さんは、今の子供たちは学校という社会に入る前から、子供たちはすでに社会的に自立しているのではないか?という仮説を立てる。
 それは消費者としての自立だ。今の子供は「お金」という公平な力を、集団ルールや労働を学ぶよりも前に与えられてしまう。
 そしてお店は相手が子供でも、その手にお金があれば、平等に「お客様」扱いしてくれる。だから精神的な成熟以前に子供は“一人前”になってしまうのだ。
 つまり子供は決して先生にわがままや無茶な要求を言っているわけじゃない(少なくとも本人はそう思っている)。一人の自立した個として、一対一のフラットかつフェアな関係を教員に要請しているのだ。
 つまりかつての学校にあった「教員>生徒」という前提がすでに現代は成り立たない。いまや「教員=子供」なのだ。
 だから今の子供は「先生は尊敬しなきゃ」とも「とりあえず相手が先生(大人)だから言うことを聞こう」ともしない。「先生の中にも俺と話の分かる奴がいるじゃねえか。よしそいつの授業だけは受けてやろう」という思考をする。

 つまり徹底的なお客様は神様スタンスなんだ。
 確かに子供にとって教育は義務ではなく権利だ。だけれどもここまで子供の意識が変わってしまったら、もう今までのやり方では学校は運営できない。どこかで機能不全に陥ってしまう。「子供は大人が守る代わりに言う事を聞く」というこれまでの前提がなくなってしまったのだから。
 これはリベラルな人にとっては進歩だと喜ぶのかもしれない。
 実際、当時の文部省が「共同体性(みんなでルールを守ること)」を学校から放棄させ、近代的な自立した「個」、自由な「個」を育てようと方針を切ったのだから。

 旧文部省は共同体性を取り去ることによって、かえって近代的な「個」の形成が妨げられることが分かっていない。(『オレ様化する子どもたち』87ページ)
 だから、本当はまずは共同体的な教育をして子どもたちに「社会が必要と判断しているもの」を学ばせ、そのプロセスの中で「自らが必要とし、望むもの」を学べるように支援していけばいいのである。(同86ページ)


 私には、この「オレ様化」した子供が、現代の社会の適応戦略としてあんがい正しくて、古いやり方をやり続けようとする学校がもういらないってことなのかはわからない。
 とりあえず諏訪さんがおっしゃるように、経済のグローバル化(あとは社会集団のフラット化、思想のポストモダン化、それとインターネットは大きいと思う!)という、特定の家庭や学校とは比べ物にならないほど大きな流れによって、子供たちの考え方に大きな変革が訪れていることは確かだと思う。でも・・・これって対処法がないよね。
 実際この本も「現状はこうなってるよ」っていうところだけで終わっていて、「じゃあどうすればいいのか?」についてはほとんど書かれていない。受け入れよってことなのだろうかw

 この本でさ、私が一番勉強になったのって「理論に対するイメージ」なんだ。私って今までずっと「理論ってリアルをどれだけ正しく読み取って、演繹過程に誤りがないか」が重要だと思ってたんだ。科学理論なんてそうだよね。
 でもさ、理論がそれ以上に大事なのって使い勝手の良さなんだよ。それがあまりに抽象化されすぎていて、時に事実と違っていても、人間は複雑なものを複雑なまま認識はできない。理論はまずもって道具なんだ。
 この諏訪さんの説はおそらく正しい。現場を知っているだけある。でも使えないんだwどう使えばいいんだって。

 子供が変になっています。それは本人や家庭や学校や社会にも原因がありますが、根本の原因はもっとマクロな系にあってグローバル化です。
 
 入学時から何故か発生する学級崩壊に対処できない先生、集団生活が嫌いで学校からパージしちゃう子供、自分の子からナイフを突きつけられているお母さん・・・そういう現場で苦しむ人たちにこの結論はあまりに効果がない。
 原因を現状に即して正確に追求しようとすると、原因がどんどん雪だるま式になっていって結局でかすぎて把握できなくなってしまう・・・

 まるで手品ではないか!?

『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』

 どいつもこいつも刹那的。

 高校の頃、クラスのガリ勉タイプの子と議論したことがある。「田代は世の中舐めている。お前は授業中も漫画ばかり描いてて好きなことしかやらないけれど、少しは自分の将来を考えて嫌なこともやれよ」って言われたから「でもたった一度の人生なんだし夢のために好きなことやったっていいじゃん。将来のためにやりたくないこと我慢してやって、その将来が来る前に死んじゃったら嫌じゃない?」って返したんだけれど、確かに当時の私は自分の好き勝手に生きてて、やりたいことばっかりやってた気がする。逆に言えば「好き」という短絡的かつ主観的な感情だけで、何かに熱中できたってこと。
 そうやって生きないともったいないと思っていたし、まだ高校生なのに手堅い進路を選んだり、失敗したことを想定してリスク分散しているのは、自分の人生を見限るというかなんかつまらない生き方のように正直あの頃は思っていた。
 将来の夢は安定した公務員ですってなんだよって。おじいちゃんかよって。

 高校の頃そうやって意見が対立したその人とは、その後会ったことがないんだけど、風の噂では大学では博士課程に進んだらしい。で、私は教育学部に行って公務員である学校の先生の免許を取り、今に至るのだけど、どっちが結局クリエイティブな人生かっていったら、どう考えてもリスク分散を怠らなかったその安定志向の子だろう。これはなんとも情けない話だ。
 きっと高校時代生徒会やったりして、好き勝手に自由に生きていた(つもりの)私のほうが、学者になったその子よりも生涯年収はずっと低いだろうし、不自由な暮らしをせざるを得ないということ。自業自得だ、自己責任だって言われれば全くその通り。
 そう、このように、自由意志や自己責任論が大好きで、自分の好きなこと、自分が賞賛されるクリエイティブな仕事(だけが)したい人こそが、それこそ自業自得で下流に流されていくのだ。

 ――このメカニズムを著者の内田樹さんは下流志向と名付けた。
 ここでの「志向」というのは、自分からそこを目指すという意味合いよりも、もっと生物学的な・・・虫や植物が光の方へよれてしまうといった意味合いに近いと思う。下流志向とは意思ではなく構造やシステムの“傾向”のようなものだと考えればいいのかも。
 つまりハタから見れば下流に自ら突っ込んでいる「自称自由」なお間抜けさんは、自分が自分で下流へのルートを選んでいるとは全く自覚してないのだ。
 なにせ弱肉強食の強者の論理を振りかざしているのは下流に流された社会的弱者たちなのだから。
 で、若いうちは「社会なんて知ったこっちゃねえ。せっかくだから俺は自由に生きるぜ。夢が叶わなかったら死んでやるぜ、どうだワイルドだろ~?」とか、かっこいいこと言って結局将来を棒に振っちゃった人たち(青い鳥探しに行く人)を、「自分のためだけじゃなく社会のためにできることをやろう」って地道に働いてきた人(朝みんなが起きる前に雪かきをする人)が税金で間接的に面倒を見るという、本当とんでもない逆転現象がこれからの日本では起こるわけ。
 なんと日本にはチャンスは今までたくさん与えられてきたのにそれを自ら棒に振ったニートの人が計測不能なほどいるらしいから。
 そういった意味で新自由主義の改革は周到だったと思う。こういった構造的な格差社会の実現が全てネオリベの計画通りだとしたら世の中とんでもなく頭のキレる奴がいたもんだと感動すら覚えます。小泉さんただのXジャパンファンじゃないぞ!

 とにかく「日本中の親、教師を震撼させたベストセラー」だけある。今まで読んだ本の中でもトップクラスに面白い。佐倉統さんの『進化論の挑戦』、橋爪大三郎さんの『はじめての構造主義』に匹敵・・・つーかちょっとしたホラーだよw
 最近感じていた世の中に対する違和感がめっちゃクリアになって、いやそこまでは分かりたくないってくらい分かって吐き気を催したくらいw
 ここまで完成度が高い本だと、もう私がここであれこれ言うよりも524円出して買って読んでくれって感じなんですよね。本当蛇足になっちゃうんで。
 とりあえず本書で私が気に入った部分をいくつか紹介。

 それが憲法に規定してあるというのは、“労働は私事ではない”からである。労働は共同体の存立の根幹に関わる公共的な行為なのである。(11ページ)
 
 大学入学者の学力低下は実際に教育の現場に立ってみると、しみじみ実感されます。(略)「小学生的」というのは自分の主観的な「好き/嫌い」「わかる/わからない」がほとんど唯一の判断基準になっているということです。(23ページ)

 「努力しても仕方がない」と結論を出しているのは、いちばん多くのリスクをかぶっている階層なのです。(99ページ)

 今日本で語られている自己決定論というのは「『他の人がなんと言おうと私は私の決めた通りのことをやる』というのを『みんなのルール』にしませんか?」というものです。これ変ですよね?(143ページ)

 仕事について「自己利益の最大化」を求める生き方がよいのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では不可欠の重要性を持っているということはアナウンスされない。(153ページ)


 でも「団結」って、もう死語ですよね。ポストモダン以降「みんなで仲良く支え合って生きる」という人間にとってほんとうにたいせつな生き方の知恵を私たちは文字通り弊履を棄つるがごとく棄ててしまったから。(239ページ)

 私も「協調性」という意味では胸を張れる立場じゃないけど、でも自分の意志で自分のやりたいことをやったのは、周りのクラスメイトがあまりにも保守的だったことに違和感を感じていたからだったりする。
 それが今の小中学校では、かつては少数派だった自分みたいな破天荒な奴が多数派になってしまった。みんなが「自由=自分の意志で好き勝手に生きること」こそが正しいと思っていて、そのためなら努力してでも納得のいかない苦痛に対して反抗&逃避を“選択”するわけだ。
 このような唯物論的かつ経済的な反応を「等価交換の原理」と言う(この言葉自体は、諏訪哲二著『オレ様化する子どもたち』からの引用)。
 このロジックはホントかどうかわからないけどすごい衝撃的で、まあ実際に自分勝手に行動して学校崩壊させている子がそういった現象学的なことを自覚しているわけないから確認のしようもないのだけれど。
 でも実際、私にもそういったことがあった。大学でパワハラやセクハラをする教授に食ってかかっていったのも、まあ教員として許せないっていう自己満足的な正義感もあったけれど、こっちが授業料払っているのに、こんな授業はねえだろっていう等価交換の原理が働いたからに違いない。
 しかし教育はコンビニや自動販売機のようなサービスではない。長いタイムスパンで考えないと評価のしようもないものなのに、私たちはまるでレジで卵を買うかのように教育を“購入”してしまう。で、数学を140時間買ったのにテストの点が上がらねえじゃねえか!ってクレームを付ける。
 そのような短絡的な判断が結果的にボクらを下流に押しやっているのだ。

 ・・・え?お前だけだって??
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