小惑星イトカワの砂はシュレーディンガーの猫

 地球から三億キロメートル離れた位置にある小惑星イトカワの砂を、日本の宇宙探査機「はやぶさ」が回収したとニュースでやってましたが、回収ケースの中身を開封するのに一週間。中に物質が入ってるかの確認は7月になるとか。
 やけにじらすなあ・・・って感じですけど、回収ケースを開けたとたん地球の物が混じってしまったら、それが宇宙からとってきたものなのかごっちゃになって分からなくなるから、JAXAはメチャクチャ慎重に作業をしているんでしょう。
 なにせ7年がかりのビッグプロジェクトが下手したらパーになるんで。

 こういうことってよくあって「化石から恐竜のDNA採集!」とかいって、研究員が昼に食べたツナサンドのマグロのDNAだったり、「隕石に有機物が付着!宇宙生物か!?」とかいって地球の有機物がついただけって話もあります。
 実際24日には微量の気体が回収ケースの中から確認されたそうですが、これがイトカワの砂が出したものか、ケースの隙間から入った地球の空気かは分からないそうです。

 つまりケースを開けた途端に中身の状態が少なからず変わってしまう。この話で思い出すのが量子力学のアポリア「シュレーディンガーの猫」。
 私はこの話とダブルスリット実験におけるボルンの確率解釈(ちなみにシュレーディンガーはこの現象を物質波で解釈しようとした)がどうしても納得できず、まただからこそ不思議で大好きなんですけど、つまり「量子力学の世界では量子の振る舞いは観測することによって確定する」ということです。

 シュレーディンガーの猫は、シュレーディンガーがつきつけたある種のいじわるな思考実験で、箱に生きた猫と、量子の振る舞い(ラジウムのアルファ崩壊をガイガーカウンターで検知)により毒ガスを50%の確率で発生させる装置を入れて、箱に蓋をして、一時間後に箱の中の猫が生きているか死んでいるかを蓋を開けて確認するという、ちょっと動物虐待的なお話なんですが(別に猫じゃなくてネズミでもいいんだけど)、この実験で面白いのは量子の振る舞いが観測行為によって確定するならば、観察者が箱を開けるまでは箱の中身は「確定しない」ということになり、猫は半分死んで半分生きている状態(=量子の重ね合わせ状態)になっちゃうじゃないか!?ということ。
 
 これは箱を開ける前は箱の中身が見えないから分からないだけ・・・という話ではないんです。「箱を開けなければ、箱の中身は決まっていない」というのが量子力学の一般的解釈らしく、シュレーディンガーの猫の答えは未だに出ていないそうです。

 これって科学の話にしてはかなり哲学的。だって箱の中身を誰も知らなきゃ、箱を開ける前と箱を開けた後が同じなんて誰も確認できませんからね。箱を開けることによって中身が変わることがないなんて誰が言えようか。いや言えまい(反語)。
 よく理科の実験で出てくる「温度計の話」もこれとちょっと近いのかも。つまりビーカーの中の水の温度を測るために温度計をビーカーに突っ込んだら、温度計の持っていた熱が多少水の温度を変えちゃうから、もともとの温度は厳密には測りようがない・・・

 実験は正確さ、精度が命。だからJAXAの人も頑張って「はやぶさ」の持ってきたシュレーディンガーの猫の箱を分析しているんでしょうけど、正確に調べようとすればするほど、微小なデータの誤差が気になってきてしまう。
 そして厳密なデータなんて絶対分からない。例えば鉛筆の長さを図る時、定規で測れば大体の長さは分かるかもしれないけど、顕微鏡で測ってみたら直線だと思っていた鉛筆の輪郭は、結構でこぼこしていて(理科で習う腸の表面積を広げるための「柔毛」をイメージすると解りやすいかも)、電子顕微鏡でその凸凹を正確にトレースしたら15センチだと思っていた鉛筆の長さが150メートルになっちゃうかもしれない。
 こんなことやってたらキリがないから「ええい面倒くせえから大体15センチってことにしとけ!」ってわけなんだけど、そうなると動的かつ複雑なシステムは初期値鋭敏性が働くから・・・もうどうにもならない!

 前にも記事で書いたけど、科学は「無知の知」から本質的な限界、「不可能の知」の時代に入ったのかもしれない。いくら科学でも絶対に解らないことがある。
 人類よ分を知れってことなんでしょうね。

保全生態学にコンセンサスはあるのか

 『生態系生態学から保全生物学へ』という、京都大学の学者さん瀬戸口明久氏の論文を読んだのですが、なんか私が想像していたものと随分違うぞ、保全生態学(=保全生物学?)。
 この論文、なんか私には誤読しそうな危険な文章なんですが(読解しにくい文章)、そんなリスクを冒しながらも大雑把に要約すると・・・

 生態学は1960年代に環境問題によってスポットライトを浴びはじめた。これにより生態学と環境問題はセットで語られることが多くなった。
 アリ大好きおじさんエドワード・ウィルソンによれば人間が自然を守ろうと思うのは進化によって獲得した本能(バイオフィリア仮説)らしいが、自然保護の起源はそれだけに限らない。自然保護は歴史的文脈からも語ることができる。
 また生態学者たちの自然保護の戦略は彼らの自然観に大きく依拠している。

 生態系生態学(解りづれ~言葉・・・汗)・・・1960年代から70年代前半にかけての生態学の主流であった考え方。
 環境破壊がすぎると自然の恒常性を崩すことになる。自然環境を回復不可能にまで崩すことは最終的に人間にとっても破滅なので、安定状態にある生態系のバランスの維持こそ重要である・・・という立場。ぶっちゃけ私はこれが「保全生態学のテーゼ」だと思ってた。違うのか!

 生態系生態学は生態系を一つの有機体のようなものと考える(確かに恒常性を保っているように見えるしね)。
 しかし1960年代以降複雑系や熱力学の研究によって、生態系は有機的に考えるよりも機械的に考える見方が主流になった。
 ここでいう「有機的」とは「生物的」と考えるとわけが分からなくなる(私だ)。というのも生物は機械論的にも解釈できるから。
 よってここで言う「有機的な生態系」とは生態系を擬人化し、生態系が何か目的を持って恒常性を維持している・・・と言うような見方なのだろうな。
 で、ここら辺は論文の文章が少ないので判断しにくいが、おそらく「熱力学の第二法則(エントロピーの法則)」では、秩序だったシステムはどんどんだらしなくなって熱平衡状態になってしまう過程を踏むから、機械論的なシステムである生態系もどんどん無秩序化していってしまう。
 ならば安定した生態系を維持するために、無秩序に向かう機械である生態系をメンテナンスするエンジニアこそがオレたち生態学者だい!となったらしい。
 
 そしてIBPについて。ここは引用します。

 1960年代末になると,化学物質による生態系の汚染問題が社会問題となり,生態系生態学は再び大きく成長することになる。汚染問題が生態学にとって初めてのビッグプロジェクトである国際生物学事業計画(IBP,International Biological Program)を生んだのである。IBPは1957-58年の国際地球観測年の成功に刺激されて提唱されたもので,「生産性と人類の福祉のための生物学的基盤」をテーマに世界各地で実行された。アメリカにおけるIBPは,1968年から74年まで行われた。当初の計画では,遺伝学,生理学,進化生態学の研究も含まれていた。しかし当時の汚染問題が後押しとなることによって,IBPのほとんどを生態系生態学が占めることになったのである。 

 これがIBPの歴史。この頃の生態系生態学は、いわば公害問題(あと原爆実験)に対する世界的な注目によって国から多額の資金を得てバリバリ研究したわけなんですけど、話は意外な方向へ・・・次、面白いですよ。

 IBPは1974年に終わったが,その評価はさまざまである。というのもあまりにも包括的なコンピュータモデルの構築を目指したため,計画の一部は途中で困難に直面し,規模を縮小せざるを得なくなったのである。生態学者のR. P. McIntoshは後にIBPを次のように評している。

  1967年になり,大規模な環境問題のためには天然および人工の生態系の機能をよりよく理解しなければならないという認識が急速に広まった。その結果,生態学的な分野では十分な対応が出来ないまま応急的なプログラムが生まれた。・・・生態系の種類や機能についての知識は不足しており,生態系のふるまいの予測も不可能であった。それは環境問題が政治問題となり始めていた時期に,行政や立法機関に従事していた人々が持っていた大きな期待と対照的であった。


 ここはとっても大切なポイントだと思う。つまり人間達の生態系についての知識は想像以上に不足しており、生態系の振る舞いすら良く分からなかったって言うんですから。
 つまり生態系に対する己の無知を知ったプロジェクト・・・それがIBPだったみたいな。

 で、IBPが終わった1974年頃から、公害問題の次に今度は「野生動物の絶滅」という新たな問題が発生したらしい。

 保全生物学・・・80年代から問題になりだした生物多様性の危機的状況から生まれた考え方。
 生物多様性(1980年代後半に確立)を守ろう!というのがモットー。この目標のすごいところは特定の種を守ろうということではなく、微生物から脊椎動物まで全ての種を保護の対象とする点。私は何度も言うけどこのテーゼはかなりラディカルだと思っている。メチャクチャだ。
 また遺伝子の多様性を守ることは、その種の多様性を守ることにもつながるし、人類が使える生物的な資源(医薬品とかの材料)のバラエティが減ってしまうということだから防ぐべきとしている。
 さらに保全生物学では、生物の生息地である「生態系の多様性」も維持しようとしている。つまり「生物多様性」とは大雑把に分けると小さい順に「遺伝子、種、生態系の多様性」となる。

 これまでの生態学では生物が多様化した生態系は最終的に安定すると考えていた。だから逆に生物の種が減るということは、生態系の秩序が崩れ危機的状況に陥るとして研究をしてきた。
 しかし複雑系のシミュレーション結果は正反対だった。

 生態系とは複雑化すればするほど不安定になるというのだ。

 ・・・で、生物多様性の話はどうなったんだ??

 生物多様性と生態系の安定性との関係については現在も議論され続けている。しかし保全生物学者たちは生物多様性が生態系の安定性につながらないとしても,生物多様性の保全は重要であると考えている。保全生物学,とりわけ初期の保全生物学にとって生態系の安定性は必ずしも第一義的な意味を持つものではなかった。保全生物学者たちにとって問題であったのは何よりも一つ一つの「種」を絶滅から守ることであったのだ。

 く・・・苦しくね?

 さて保全生物学は「進化的生態学観」と呼ばれる立場に近いらしい。生態系は常に一定不変ではなく、バシバシ変わっていくからだ。ここから保全生物学は進化生態学と≒で論じられているので注意。
 生態系生態学と進化生態学は独立したものではないのに、なぜか異なる道を歩み始めた。生態系生態学は物質循環、エネルギー収支を主に扱い、進化生態学は個体群の進化を扱うといったように「棲み分け」してしまった。

 生態系生態学は化学物質による汚染問題に取り組み,生態系のバランスを保つという保護戦略をとった。それに対し進化生態学は80年代以降の生物多様性問題に取り組み,一つ一つの種を絶滅から守るという保護戦略をとったのである。

 で、進化生態学に傾倒した保全生物学は、最近「種」から「生態系」にシフトチェンジしているのだという。
 はああ!?だ、だから「保全生態学」って言うのが今いるわけね。つまり保全生物学は総合的学問ってことなのかな?
 だったらもう「総合生態学」とかに改名すればいいじゃん。なんで「保全」とかつけるかなあ。学問の分野なのに、なんかの運動みたくて嫌なんだよな。

 ・・・で、結局この学問は何が言いたいのだろう?

 保全生物学者たちが守ろうとしているのは(平衡状態に達した生態系ではなく)生態系のプロセスである。彼らが防ごうとしているのは,常に変化し進化する生態系のプロセスが人為的な要因によって断ち切られることなのである。
 ※かっこと強調は引用者(=私)の仕業です。

 ・・・これ、本当に保全生態学のコンセンサスなの?生態系のプロセスが人為的な要因によって断ち切られちゃうの?本当に?そこまで生態系ってやわなの?
 あなた方は進化的生態学と近しかったんだよね?「生態系のプロセス」という言葉の定義がどうもわからないよ。

 大変参考になった瀬戸口明久さんの原文はこちら。http://homepage3.nifty.com/stg/histbiol65.html

女の子が描けない

 今日は塾の帰り横断歩道を渡っていたら、思いっきり信号無視の車に轢かれそうになりました。こんなんで障害をおったら洒落にならないけど、何故そこまで生き急ぐ・・・?
 まあいいや。

 いや~女の子の絵が描けない。K氏リクエストの『80日間宇宙一周』も終わり、残りの脚本を漫画にしていこうと思っているのですが、残る脚本は大学時代に書いてなぜか未だに漫画を完成させてない『イッツアドリームワールド』と、キャラとストーリーをパワーアップさせた戦国時代劇『風と翼』、そして最新作の西部劇『恐竜大陸サウラシア』で、友達が一番見たい奴から描こうと思ってたら、見事に割れた。A氏は『ドリームワールド』、KO氏は『風と翼』、descf氏は『サウラシア』で、どうしようかと思ってたら、この前dario氏が「いや~ドリームワールドでしょ~」と一票入れてくれて、『ドリームワールド』から書き始めることに決定しました。
 で、この漫画は『走れシンデレラ』の続編で、『走れシンデレラ』といったら少女漫画の画風を書かなきゃいけなくて、それをおっさんの私が描くのは怖いものがあるんですが、本当はこれ大学で少女漫画を描く女の子に絵を任せたかった作品。
 でもそういう「りぼん」みたいな可愛い「まさに少女漫画!」って絵を描く女の子がいなくて、仕方なく私が描くはめになったんだけど、きつかったなあ・・・43ページを完成させるのに1年近くかかったもの。

 で今も大して女の子描くの得意じゃないんですよ。中学生の頃KO氏に「田代は女の子のキャラの絵が適当だ」と言われたのがショックで「畜生!女の子が描く女の子の絵よりも可愛い女の子の絵を描いてやる!」とか決意したんだけど、やっぱりダメだこりゃ。
 あのスラウェシメガネザルのようなでかい目をずっと描いていると、ゲシュタルト崩壊が起きて、何が可愛いのか解らなくなってきちゃうんです。それなのに女の子のキャラクターが私の漫画の脚本にはやたら出てくるのが困る・・・思春期の危機だな。
 そもそもこの前書いた漫画『80日間宇宙一周』がどっちかというとリアル調の絵だったし、少女は出てこなかった(30代のオバサン)し、もう女の子の描き方なんか忘れちゃったよ・・・描き方つかむまでかなり大変だと思う。

 いわゆる「萌え漫画の美少女」ってのも、分岐分類学や進化論的に言えば「少女漫画の女の子」から90年代あたりに系統発生していると思うんだけど、少女漫画の絵をベースにアニメのセル画塗りが合体したような感じだよなあ。
 「りぼん」などの少女漫画の絵が口が大きいのに対して、萌え絵は口が小さいとか細かい相違点はあるんだけど、いちばん特徴的なのは髪の毛の「毛先」の処理で、少女漫画は丸ペンでサッサって毛を一本一本流れるように線を引いて処理するから、毛先の線はつながっていたり、いなかったりなんだけど、萌え絵(・・・って言うの?正式名称不明)は髪の毛の先を線で囲む、つまり境界を設けて髪の毛の部分の色を「フォトショップ」の塗りつぶしツールで塗りやすいようになっている。
 この描き方はあきらかにアニメの彩色から来ていると思う。つまり萌え絵は漫画とアニメの交雑種なんですね。

 あと美少女の絵で思うのが、眼の位置。女子高生だろうが大人の女だろうが萌えアニメの女の子って顔はかなりベビーフェイスで、眼の位置が顔の中心より下についているんです。だからおでこの部分がかなり広く、そこに髪の毛がドンって乗るから、髪の毛が顔に占める面積も多い。
 これは現実の女子高生では絶対あり得ない。眼の位置って成長に従って顔の中心に来るから。だからアニメ美少女って大人の体に、接着剤でベイビーの首をくっつけたみたいなんです。
 このような顔の構造を持つ稀有な人は麻生太郎さんや笑福亭鶴瓶さんとかがそうかな?

 ・・・美少女のモルフォロジーはこのくらいにして、とりあえず今日主人公のユッキー描いてみたんだけど、このキャラはキャラクターデザインがメチャメチャ難しい。
 一応彼女は「シンデレラ」がモデルなんで、ドレスアップする前は地味な女の子って設定なんです。だから見た目は平凡だけど、キャラとして魅力があるように書かなきゃいけないんだけど、この中途半端なショートカットとか最悪。どのコマも髪の毛の長さを統一して書かなきゃいけないのに、この長さは覚えにくいぞ。
 とにかく『80日間宇宙一周』から画風を180度転換させるのがきつい・・・!エリート白ウサギのホワイトとか描けるかなぁ??

戦争という現象

 いや~ワールドカップみんなすごい熱狂している。私は映画を観に行っちゃってオランダ戦は見なかったんだけど(というか一戦も見てない、非国民)、ワールドカップによって対戦相手の国の歴史や文化をテレビが取り上げてくれるの(だけ)は勉強になる。オランダってトルコの労働者の人やモロッコの人を受け入れた多民族国家だったんですね(ただ最近極右政党が議席をちょっと増やしたらしい)。

 あのサッカーの熱狂ぶりを見るに、人間って言うのはたまにいかれてしまいたい時があるのかもしれない。ああやってにわかナショナリズムになって全体主義に酔いたい。我が国を応援することで自分の思いをダイレクトに共有したい。
 そしてかつての近代戦争もいわばワールドカップのようなお祭りだったんだなあ、と私は思う。なにしろオランダはFIFAランキング四位かなんかの強豪で、それと日本は昨日善戦したわけで(負けちゃったけど)、第二次世界大戦では強豪国(おそらく軍事ランキング一位)アメリカに真珠湾で奇襲して成功しているわけで、その喜びと言ったらワールドカップの比じゃないですよ。「うおおおおお!神州日本が、あのアメリカに一太刀くらわしたぞ!」これって絶対楽しかったと思う。

 人って言うのはいくら偽善的に「喧嘩はよくない」「殺し合いはダメ」と言ってもそのような葛藤にカタルシスを見出す性質が確実にある。
 だから映画でも漫画でもはなっから平和な世界観の作品ってあまりない(いや最近癒し系萌え漫画とかあるけど・・・)。つまりなにか問題やトラブルが起きてくれないと、それを主人公が解決するから楽しいわけで、フィクションのお話として落ちないと思うんです。

 これはフィクションの中だけの話じゃなくて、マスコミが取り上げる事件のニュースも同じ。マスコミは凄惨な事件も事実を少なからず編集して「物語化」してしまう。
 遺族の人が「勘弁してくれ!」と思っていても、マスコミの人たちも面白主義で半分飯食っているようなところがあるから、いちいち取り合ってられない。
 『ファインディング・ニモ』に出てくるナイジェルというペリカンは、海出身者の魚に「海にいたならいつか襲ったこともあるかもしれないな。悪いなこれも生きていく為だ」と軽く言うのですが、確かにそのとおり。
 彼らは彼らで生活がかかっているわけで、人間的感情が商売に負けてしまうことは結構あると思う。
 結果的に事件を物語化して当事者を苦しませてしまう報道記者も、遺族の人や親族に「てめえには人間の心ってのがねえのか!」って怒られてもデスクが命令したなら取材しなきゃならないし(マスコミは超ヒエラルキーの軍事社会)、食っていくのに必死。
 本当に大変な仕事で、逆に人間的感情が欠落してないとやっていけない仕事かもしれない。

 「人間はどんなに恐ろしいことにも物語を見つける」とは、映画『ワールド・トレードセンター』のラストシーンの引用ですが、それは戦争でも同じ。戦争は一部の上層部が決定するだけでは絶対起こらない。国民の大多数の賛同がなくては戦争はできない。実際に戦うのは彼らだから。
 そして当時どの先進国も帝国主義に基づく植民地政策がブームで国とり合戦をしていた。日本もそのブームに乗り遅れるな!と参加しただけ。むしろ参加しないと植民地にされちゃうことを隣の大陸の国々の末路で知っていたから。
 戦争は人間個々人の意思の集合で起きるかもしれないが、それは単純な総和ではなく、当時の歴史的状況や政治的判断、国民の熱狂したいというプリミティブな感情、などの要素が複雑に関係しあって発生する、良いとか悪いとかを超えた、ある種の“現象”。
 だから、普通に考えれば誰でも戦争はよくないと言えるけど、人間には理屈では説明がつかない感情が、良くも悪くもある。だから戦争は人々を熱狂させる祭りとして、そして時に絶望をもたらす悲劇として、今なお開催されている・・・

 ワールドカップで強豪国が負けた場合、代表チームは国民に魔女狩り的非難を浴びてしまうこともある。そんな悲劇が起こるかもしれないから、代替戦争であるワールドカップをやめようよ、と言ってもそれは不可能だと思う。だって楽しいんだもん(私は全体主義が怖いのであまり興味ないけど)。
 国際交流?なら戦争もラディカルな国際交流の一つでは・・・

アウトレイジ

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 かなり特殊なバイオレンスコメディ映画。

 ついに北野武監督の『アウトレイジ』をレイトショーで鑑賞してきました。本当は先週見る予定でしたが、話題作の『告白』を先に見てしまったので一週遅れの鑑賞でした。

 北野監督がインタビューで常に「怖さと笑いは紙一重」と言っていて、私はまったく意味が分からず「いや、怖さは怖さ、笑いは笑いじゃない・・・?」と首を傾げていたのですが、実際に映画を見て監督の言葉が解った。
 確かに紙一重。いや~ここまで笑うとは思わなかった。だって怖いやくざ映画だと思ってたから。人を笑わすのにこんな方法があったとは意外。でもやっぱりたけしさんの笑いですね。
 たとえば中華料理店のオヤジが麻薬を流してて、そいつをとっちめて薬を卸している元締めを吐かせるシーンがあるのですけど、もう耳にさいばし突き刺して、肉切り包丁で指をダンって切っちゃうんですけど、その切れた指が2本ほどお客さんの注文したタンメンに入っちゃってw、そのままタンメンがお客さんに運ばれてて、ニンテンドーDSに夢中なお客さんは指入りタンメンに気付かない・・・
 これはたけし的世界観を象徴するシーン。たけしさんの世界ではいわゆる「一般人」がとても命に無関心。
 すぐ傍でやくざが暴力行為をしていても、サラリーマンは顔色一つ変えずに飯を食っている。これって命の重さに麻痺している現代人を皮肉っているというのは、果たして深読みなのか。

 たけしさんは強いて言うなら明大の工学部にいた「科学畑」の人間。自分が交通事故で死にかけた時、たけしさんは神様みたいな存在が現れるかちょっと期待したらしい。
 しかし現実は残酷だった。そんなものは結局現れず、顔が二つ分に腫れてぐちゃぐちゃになった自分の肉体と「もう少し付き合うのかあ~・・・」と、意識を取り戻したらしい(『たけしの死ぬための生き方』より)。
 この経験は、結局現実は科学通りになっていたということをたけしさんに示したのかもしれない。悲しいけど現実において人の命など重いも軽いもない。地球の生物は皆平等に意味もなく生まれて意味もなく死ぬだけ。
 そんな人の“生”を突き放したニヒルな演出、生命観が、たけしさんの映画には確実に存在する。

 しかしそのニヒルさがニヒルで終わらない。そこに笑いを見出してしまうのがプロの芸人「ビートたけし」。
 笑いと言えば、大体トイレの個室にいる男を射殺するのに、やくざが洗面台に上がって上からピストルを撃つんですけど、ちゃんと靴を脱いでるんですよ。人殺しの最中なのに、こんな行儀の良いやくざはいないw。もうツボに入っちゃって・・・
 あとアフリカのどこかの国の在日大使。このキャラ大爆笑。ゾマホンさんといい(二代目そのまんま東)、ポヌさんといい、『BROTHER』といい、たけしさんは黒人が好きなんだと思う。

 現実はとても残酷だけど、でもその世界で必死に生きる人々は愛おしい。たけしさんはそんな風に思っている気がする。
 『アウトレイジ』に出てくる極悪人は、みんな自分の感覚や欲望に正直で「偽善」が一切ない。だから悪人のはずなのに・・・どこか愛らしさと哀愁を感じてしまう。
 とにかく、こんな映画はたけしさんしか撮れない。というか、よくこんな話思いつくよなあ。やくざ映画よほどたくさん見ているのかなぁ?それともやくざの知り合いでもいるのかな・・・?

 たけし映画初出演の俳優さんたちの演技はみんな秀逸。たけしさんが一番セリフとか下手なんだけどw、それがまたいい。あの人は演技がどうこう・・・のレベルじゃなくて存在感だけで凄味があるから。
 でも 北村総一朗さんに三浦友和さん、杉本哲太さん、小日向文世さんってみんな優しい人の良さそうな俳優さんばかりじゃないですか。なのに役に入るともう本物のやくざにしか見えない。こええ~!流石プロ。
 結局、強大な国家権力である警察(小日向さん)がいいとこどりなのは、やくざは警察のお目こぼしがないと成立しない現実?を投影しているからなのか。

 『告白』の経験から、今回は映像の撮り方にも注意して鑑賞したのですけど、たけしさんはやっぱり上手い。構図とかも。
 たけしさんは数学が得意だし、細かいところも凄い計算して作っている。なにしろ「映画因数分解理論(余計なシーンは共通因数でくくれるので省略すべき)」の提唱者ですからね!(※ただ私の評価基準に映像などの観点は基本的に無い。そこらへんは正直知識がないのでよく分からないから。私は主に物語で判断します)

 最後に一言。村瀬組長(石橋蓮司さん)可愛そすぎる~!!まさに踏んだり蹴ったり!そりゃねえぜ兄弟!!
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