作家のダブルスタンダード

 この記事の情報は不正確である可能性があります。

 漫画に詳しい高校生の子曰く東京都の青少年健全育成条例は「過激な暴力描写や未成年の女の子の性的な描写がある漫画の閲覧を18歳未満には禁止する」という内容だそうです。しかも東京都がこれを行なうと地方も前へならえで漫画の規制に乗り出してしまうらしい・・・
 私てっきり「エロ漫画は普通の漫画と別のコーナーで売れ」ってだけの条例だと思ってたよ。私が調べた時はそんな感じだったんだけど・・・なんか情報が錯綜してるな・・・結局どっちで通ったんだ??

 とにかく、もしこの条例の内容が前者だとするならば、作家の表現の自由うんぬんよりも、全国の漫画ファンにとって気の毒な条例だと思う。
 こんなの実施されたらはっきり言って漫画の9割以上が読めなくなると思うんだけど・・・だから私はそんな条例なわけないだろ!ってふんでたんだけどね。
 これじゃ『ちびまる子ちゃん』なんて、腹痛に悩まされる回で小学校三年生のセミヌードが描かれているから(まるちゃんが波乗りしているイメージ図でなぜか海パン)もうアウトだよ。
 
 私は作家って基本的に胡散臭いところがあると思っているから、なんでもかんでも表現の自由だ!っていうのには懐疑的なんだけど、子どもの娯楽が減ってしまうのは哀しい。まあ漫画読まなくても彼らには携帯があるからいいのか別に・・・だとしたら一生懸命働いている書店と出版社がやばいよ。

 私の世代ってジャンプが週に600万部以上売れた黄金時代を経験した世代だから、この漫画ファンの高校生にも「じゃあ私の世代に生まれればもっと楽しかったかもね」とか言ったんだけど、彼らも彼らで100年に一度の萌え黄金時代を経験しているから、これはこれでオタクにとっては楽しいのかもしれない。

 さて作家が胡散臭いというのは、表現というものは基本的にダブルスタンダード・・・アンビバレントな行為だと思うからです。
 ひとつは相手を楽しませたい・・・というエンターティナー的感情。もうひとつは自己の発散というアーティスト的感情。モヤモヤを吐きだしてすっきりしたいというある種のエゴ。
 この二つを同時に行っているのが創作で、この二つの勢力の力関係が作家さんによって違うってだけ。
 おそらく宮崎駿さんなんかはもともとの気質はアーティストなんだけど、いろいろできる力のある人だから『カリオストロの城』みたいな優れたエンターテイメント作品もできたってだけ。今の宮崎アニメは昔よりもつまらなくなったって言うファンがいるけど、多分宮崎さんは「もう十分俺はエンターテイメントをやった!」って思っているから、もともとのアーティスト気質に戻っただけなんだろう。

 vicさんが自身のブログで

 子どもは観てはいけない映画に、子どもが出演している時、内容によっては、すごく気になるのです。しかも、重要な役をやっているとなると。

 「闇の子供達」という映画を観た時、10歳未満のタイの子ども達が大人の性のおもちゃになる役を演じているのですが「こんな演技、日本の子役だったら、やらせないのでは?」と思いました。

 自分が演じている役が、どういう意味があるのか、映画全体の中でどのように使われるのか、まだよく分からないのに、そんな大人のモラルの欠如した世界(しかも子どもが犠牲者になっている)を経験させるような演技させて、いいのか!?と、思ったのです。

 多分、本人達が「この役をやりたい」と選んだわけではなく、大人がやらせているのだと思うと...


 というようなことを仰っていたんだけど、これこそまさに作家の痛いところをグサリと突いた発言。少なくとも私はグサッときました。
 子どもの人身売買の実情を世界に知ってもらうためにこう言う映画を撮ったんだ!それは意味がある!といくら奇麗事言っても、作家は内心この問題を見て見ぬふりをしている。

 私もストーカー殺人事件を漫画に取り上げた時、「ストーカー殺人を肯定しているわけじゃないから別に取り上げてもいいだろ」という言い訳のもと『ダブルスピーク』を描きましたが、やっぱり単純に「面白い漫画の内容を思いついた。それをみんなに読ませたい」という欲求に負けただけ。
 今描いている漫画も人が撃たれて死んじゃうシーンなどがありますが、やっぱりそう言うシーンで人の心を揺さぶったり楽しませたいって単純に思っているだけ。
 銃社会に対するアンチテーゼとか特にそういった崇高なことは考えていない。だから作家は二枚舌。

キャラが動くことの危険性

 本当かどうか知りませんが、少年誌で長編漫画を連載する時ほとんどの漫画家さんはラストまでの展開をきっちり考えずに、とりあえず第一話を描いてその成り行きで話を進めていくそうです。だから毎週どういう方向に話を持っていくか考えるのが大変だという・・・これは話を考えるよりも絵を描くのが好きな人が漫画家になる場合が多いからだって言ってました。
 ラストまでちゃんと考えて計画的に物語を進める人は浦沢直樹さんくらいとか。

 私は基本的にト書きの脚本を作ってセリフまでしっかり考え抜いてから、ネームなり下書きなりを描くタイプなのですが、これって脚本通りに話を進め絵を入れていくのでかなり作業的。クリエイティブな活動は脚本作りで基本的に終了しているわけですから。
 とはいえこのやり方は短編漫画を描くときにはかなり使えるし、映画サイズの話でも効果的。なにしろ進むべき展開がもう考えられているので、話が成り行きで変な方向には絶対行かない。ちゃんと奇麗に完結します。
 
 今描いている長編も基本的に物語の背骨は完成されていて、それ通りに進めればいいのですが、あまりにセリフを一字一句脚本で決めちゃうとネームや下書きを描いてて楽しくないので、漫画にして面白そうなシーンとかセリフとかキャラをネームの段階で考えて入れていくことにしました。
 こうすると、すっごいネームを描くのが楽しくはなるのですけど、その場の展開の楽しさ、面白さで、話の方向性が変わる危険性もあるのでひやひやです。ちゃんと伏線とかに即した展開にしないと・・・

 「作家の手を離れキャラが勝手に動き出す」とは基本的にいい意味で使われることが多いですけど、キャラを自由気ままにさせちゃうと物語の起承転結がドチャメチャになる場合があるので、ストーリー漫画では必ずしも歓迎されることではないのです。
 で、私のキャラもちょっと気を抜くとシリアスなSFものなのに、わいわいギャグを繰り出したりちょけたりするので、本当こいつら可愛くもバカ!って思います。お前のことを言ってるんだよ須藤先輩!

 しかし『ソニックブレイド』なんて『イッツアドリームワールド』よりも昔に考えた話だからね。海浜幕張駅のフードコートでプロットを考えていたのが懐かしい・・・楽しかったなあ幕張生活・・・
 2003年なんて私まだ十代だよ。今読み返すとキャラの名前が本当に十代が考えたレベルだよな・・・なんだ「間流守(まるす)」ってありえない名字はw。変更しようかな?でもこれはこれでいい思い出だしいいや。なにしろ面倒。

宇宙戦争

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 違うヨーロッパなわけないだろ!

 H・G・ウェルズの名作SF小説をスティーブン・スピルバーグ監督が映画化。いや~スピルバーグ天才。
 絵でも漫画でも(おそらく映画でも)「上手いことが面白い、かっこいいとは限らない」という説があって、いくら絵が下手でも読者の胸を打つ漫画はあるし、重要なのは小手先の技術や理屈じゃなくて一瞬のうちに受け手の心をはっとさせるようなケレンミ(はったり)。これがあるかないかが、おそらくクリエイタ―の才能の有無につながるんだと思う。
 で、スピルバーグ監督はやっぱすごい。火星から来た巨大ロボットをあんな怖く撮れる人いないよ。こういう荒唐無稽なものをリアルに見せちゃう力は本当に半端無い。この人にかかればティラノサウルスも宇宙人も笑い話じゃなくなってしまう。

 私これ映画館で見たんですけど、とにかくあの教会をぶっ壊してトライポッドマシーンが登場するシーンが最高にかっこよくて、スピルバーグ監督はでかいものの威圧感や怖さを演出するのは本当に天才的だよなあって息をのんだ覚えがあります(音響もぜんっぜん映画館の方がいい。テレビで観るより10倍怖く感じる)。
 CGもすごいですよね。今のCG大作映画って『マトリックス』にしろ『ハリー・ポッター』にしろ、もう漫画的表現の延長線上に行っちゃった感じがありますけれど、『ジュラシック・パーク』や『宇宙戦争』はあくまでも現実には無いものを現実的に見せるためのツールとしてCGを使っているので、すっごいリアル。何度も言うけどあのシーンは本当に怖い。
 あの三脚の脚だけ出てくるところとか、ロボットの全体像がなかなか把握できなくて、徐々に観客が「こんな感じのロボットなのかな?」って予想できるかできないかあたりで、俯瞰でロボットの全体像を見せるところとか本当に上手い。あれでしっかりロボットの高さも見せている。実はこんなにでかいんですよって。

 昔の映画版『宇宙戦争』(1953年)ではこのトライポッドはデザインが大きく変更されて空飛ぶ円盤の上に熱線銃がついたようなものだった。その熱線銃で宇宙人とファーストコンタクトしようとした人が溶かされちゃうんだけど、あの人の影だけ地面に残る演出はなかなかインパクトがあった。原爆かなんかのメタファーだったのかもしれない。
 スピルバーグ版ではトライポッドを原作そのままに出してくれてすっごい嬉しかったんだけど、あのジョージ・パルの演出に対してどんな人類殺戮方法を考えるんだろうと思っていたら、なんと人間の肉体だけ粉々にしちゃって服だけ残るという、恐ろしくシュールな演出!こんな発想どうやったら出てくるんだ?教えてほしい。
 空からひらひら服だけ舞い落ちてくる・・・これは一歩間違えればギャグになっちゃうんだけど(下着ドロボ―の人とか喜ぶんだろうな、とか)あくまでもその光景をシリアスに見せちゃうのがスピルバーグの底力。

 本作で(もはや天災に近い)父親として成長するレイを演じたのはトム・クルーズ。トム・クルーズみたいなイケメンがイケてるヒーローをやるのは当たり前だけど、こういう不器用なダメ人間を演じるとなかなか萌えるものがありますよね(でもガントリークレーンをダブルピックできる天才w)。
 行動力と正義感が半端無いレイの息子のロビーや、オーガニック食品をケータリングし年齢の割にどこか悟った感じの娘レイチェルもなかなかキャラが立っていて面白かった。
 レイチェルはキャアキャアうるせえとか言う意見があるけど、あの歳の女の子があんなことに遭遇してごらんなさい。あれがリアルな反応だと思うよ。
 あとフェリアー一家が自動車を運転しながらいろいろ宇宙人の攻撃について会話するシーン、これは状況を会話だけで説明しなきゃいけない、観客に飽きられる可能性の高い危険なシーンなんだけど(でも絶対必要な部分)、観客を退屈させないようにカメラをぐるぐる動かすのがうまい。走行する車をどうやればこう撮影できるのかはかなりの謎だけど・・・

 最後に『宇宙戦争』という作品自体に関して少し。これはもともとウェルズが19世紀末に産業革命および進歩主義を批判するために執筆した作品だという説がある。
 進歩だけが本当に素晴らしいことなのか?恐ろしく残酷な兵器だって生まれているじゃないか?と。
 人類よりも科学が進んだ火星人は、おそらく科学の未来そのもののメタファーなのだと思うけど、科学(=知性)が進歩しすぎたあまり人間的感情を失った冷酷で無慈悲な火星人は、未来の人類どころか科学兵器でバシバシ人を殺す現代人そのものなのかもしれない。
 とはいえこの映画は原作発表から200年後の2005年に公開された。冷戦による科学の軍拡競争は終わり、今の私たちは「科学の進歩が必ずしも人類を幸せにするわけではない」ことを公害問題などで学びちょいニヒリズム気味。
 だから監督は911テロ事件をイメージして現代風にアレンジし直したらしいんだけど、この路線変更はちょっと原作の訴えたいこととズレが出ちゃったような気がする(また脚本家デビット・コープの改悪か?)。だって911テロは科学の進歩によってに起きた事件と言うよりは、民族や宗教戦争の部類だったと思うから。飛行機という科学技術が武器になったとも言えるけど・・・

 SFの名作古典はやっぱりその作品が発表された当時の時代性をふまえた上で楽しまないと、頭の悪い私たちは「ベタすぎてつまらない」とか「地球の微生物でやられるなんて結局宇宙人バカじゃん」とか言って鼻で笑ってしまう。
 しかし宇宙人を科学技術が発達した現代の私たちだと想定すれば、あのラストはとてつもなく深いのだ。なにしろいくら発達した科学をもってしても地球環境は変えられなかったわけだから・・・ウェルズの予言は案外的中していると思いませんか?

『棒』

 安部公房さんの短編小説。デパートの屋上から落下してしまった(自殺説あり)男を天使か悪魔か死神か分からない人たちがメタ的に考察するお話。・・・あれ、似たような話がどこかであったぞ。そう水嶋ヒロだ。
 私この物語まったく知らなくて、最初読み始めた時あまりの超現実的な展開にぶったまげたよ。カフカかよ!って。
 しかし、やっぱりプロの作家はすごい。水嶋さんがあれこれ本一冊で書こうとした話をたった9ページにまとめてしまっている。そして水嶋ヒロの9倍くらい深い。

 水嶋さんの小説はとっても読みやすくて、それはそれでいいんだけど、良くも悪くも読みやすすぎて引っ掛かりがない。
 そしてあの本で訴えたかったテーマを伝えるのにそんなにページ数が必要だったのか?もっと端的にまとめられなかったものだろうか?っていう気もしてきたよ。この『棒』を読んじゃうと。よかった~『棒』から先に読まないで・・・
 映画においてたけしさんも言っているけど、上手い作り手って余計な情報がないんだよね。不必要なものはバッサリそぎ落としちゃう。情報の取捨選択や引き算、因数分解なんかが出来ると表現の幅、引出しがもっと豊かなものになる。
 物語の背骨はあくまでシンプルに。そして残りは読者が想像を膨らませられるようにゆとりをもって・・・

 よく小説家志望の小説的な文章を読んでいて思うのが、説明的すぎて読み手が想像力を働かせる“ゆとり”のようなものがないってこと。いろいろ訴えたいあまり説明過多になっちゃって、読者は作家の説明を一方的に追っているだけになっちゃう。これではつまらない授業と一緒で面白くない。
 作家主義には一理あるってこの前言ったけどさ、やっぱり限度があって、少しくらいは読者だって作品に対して働きかけたいって思うもの。

 この物語の言いたいことはとってもシンプルだと思うんだけど、私にも意味がよく分からない箇所(おそらく読者が自由に想像できるゾーン)があって「天使(?)の先生がつけヒゲをしている理由」と「先生が描いた抽象的な意味のない図形が怪物の絵になって、それを先生がすぐに消した意味」が良く分からない。
 前者はさっぱりだけど、後者はなんとなく『鏡の国のアリス』の「ジャバウォックの詩」のように意味のないものも見つめ続けていると勝手に意味を作り出してしまう人間の想像力の危うさ?みたいなものをいいたかったようなそうじゃないような・・・ 
 
 先生は落書きを消してこう言う。

 きみたちも、もう、充分考えただろう。この答えは、易しすぎて難しい。

 つまり意味がないものは「意味がない」というのが答えであってそれ以上でもそれ以下でもない。デパートから落ちた私はただの棒であって、棒でしかないのだ。
 なんて陰鬱な内容の小説なんだ・・・日本人って本当にこういう内容の話好きだよね。

作品は誰のものでもない

 作家主義とは簡単に言うと「作品とはそれを描いた作者のものだ」という意見。まあ著作権とか知的財産権とかを考えれば、当たり前っちゃ当たり前の話なんだけど、これが作品の解釈論にまで及ぶと作家主義は「作家→読み手」という一方通行的な表現の伝達モデルを想定していることになる。
 もう少し詳しく言うならば、作品を鑑賞する際において「作家の想定した読み方」がただひとつの正解であり、その正解からはずれた解釈は誤読ということになる。
 このテーゼは、「解釈の仕方は人それぞれだ」というポストモダン的な考え方の現代人にはなかなか受け入れられないと思う。なにより解釈の幅が狭まるので・・・面白くない。

 でもこのモデルは単純でとっても分かりやすいので、議論の出発点にはもってこいだと思う。というかここをまず押さえておかないと、芸術作品の鑑賞論はドチャメチャになると思うし。
 実を言うとこの作家主義的な解釈論は「時代遅れ」とか「間違っている」とかそういうものではないと思う。100%正しくないというだけで実はけっこう正しい。
 つまり基本的にはこのモデルで作品は読み手に伝達され、あとは読み手によって解釈に差ができると言うだけ。
 当たり前のことだけど、作品の解釈の背骨にはやっぱり作り手が思い描いた正解的なものがおぼろげながら存在していて(じゃなかったら作り手は何のために作品を作っているんだ??)、そのまわりに読み手の様々な解釈がグラデーションのように漂っている。そんな感じだと私は考えている。

 しかし、時に読み手が作品を深読みして作り手の正解的なものを凌ぐ解釈をする場合がある。これがあるから表現は面白い。
 で、こういう場合をどう考えるか?ってことになるんだけど、私なんかは作品を作り終えちゃったら、作品は作家のものではなくなるんだと思う。じゃあ読者のものか?っていうとそうでもない。もちろん出版社のものでもない。

 作品は作品のものになるのだと思う。

 ちょっと観念的だけど、自分の作品なんかをよく「我が子と同じです」って言う人いるじゃん。まさにそんな感じ。自分の子だけど、その子はもう自分の所有物ではない。いろんな人と出会い勝手に成長していく。それが子供で親の思い通りにはならない。

 なんでこんな話しているのかというと『ラストパーティ』を見たkenkoさんが

これまで読ませていただいた中でいちばん好きかも。
ゴーダイさん的にはあまり?気に入られてない作品なんですか?


 といった感想をコメントしてくれて、作品に対する作り手である自分の評価が見事に揺らいだからです。ぶっちゃけていえばkenkoさんのありがたいコメントで「あれ?そんなにできの悪い作品じゃなかったのかな?」と感化されてしまい、マロさんのコメントが極めつけになって「この作品は面白いぞ」と『ラストパーティ』に対する評価が180度変わってしまったのです。なんて単純な奴・・・
 じゃあなんで私が今までこの作品の出来がいまいちだったと評価していたかと言えば、編集者にボツを食らったからで結局これも人の意見。自分がないのか!?って感じですが、作品の面白さなんて読み手がいてナンボだから、読んだ人の意見を信じるしか作り手はできないんですよね。

 ならやっぱり作品は読者のものじゃん!って反論が来そうですが、それはちょっとだけ違う。さっきも言ったように、自分の作品は自分の子どもみたいなものだから、自分の子どもが通信簿で1をとってもそれは自分の成績じゃなくてあくまでも子供の成績だから、もはやそれは子どもの問題。
 よって『ラストパーティ』が没になったのは私のせいじゃない。あれは『ラストパーティ』のせい。逆に『ラストパーティ』が「面白い」と言われるのも私のおかげじゃない。『ラストパーティ』自身のおかげ。だって全く同じものを読ませて全く違う感想が返ってくるのだから。
 まあ少年漫画誌にあんな渋い話を持っていった私の責任もちょっとはあるけどね。これは男の子を女子高に進学させようとしたようなものである。

 まとめ:作品は誰のものでもない。作者は作品の親的存在。読者さんは作品の友だち的存在。我が子の交友関係を親がとやかく言うのはあまり教育上よくない。これが行き過ぎた作家主義です。
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