『愛するということ』

 愛は技術だろうか。技術だとしたら、知識と努力が必要だ。

 『自由からの逃走』でお馴染みのエーリッヒ・フロムが「今回だけは特別だよ!」と執筆した愛の本。こしさんから借りた。
 フロムって社会学ですごい引用されているからフロムの全てを知ったような錯覚に陥ってたけど、実はこの人の本ちゃんと読んだことなかったんだよw
 こんなに読みやすい文章の人なのね。もっと硬派な文章の人かと思ってた。ケインズとかマルクスとかパネエからな。
 でもよくよく考えれば、あまりに難解な文章だったら、みんな理解できないから、そこまで引用されないか。キャッチーさ大事だな!
 ということで、今回は第2章の『愛の理論』までで面白かった部分を覚え書き。というか、この本、半分以上が第2章。第1章なんてたった8ページなのに!

 うわ~愛だってよ、くっさ~と冷笑する人もいるだろう。私も女子中学生に愛を語ったら、プラトンのエーロスのところで大爆笑されたことがあります。でも、ご安心を。こんな一文からこの本は始まる。

 愛するという技術についての安易な教えを期待してこの本を読む人は、きっと失望するにちがいない。そうした期待とはうらはらに、この本が言わんとするのは、愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に浸れるような感情ではないということである。

 よく、恋に落ちる、みたいな意味合いで「もう私のこと愛してないの?」とかいう人いるけれど、フロムによれば、愛というのは“状態”ではなく、能動的な行為である。アガペーである。
 そう言う意味で、西洋人だから当たり前なんだけど、すごいキリスト教の影響を受けているし(77ページの「愛の対象」という箇所でいきなり隣人愛が出てくる。ちなみにもちろん神への愛もかなりページを割かれて言及。人格を持つ神とかプログレ系とか、どんな段階の神を信仰しているかで、その人の成熟度がわかるという話は面白い)、カントやスピノザ、レヴィナスといった自分に厳しいタイプの哲学者にフロムもカテゴライズされるのかもしれない。
 実際、フロムの両親はラビ(ユダヤ教の律法学者)で、フロム自身も心理学者じゃなくて、もともとタルムードの学者志望だった。だからフロイトみたいに人間の心を物質的に捉えようとする理論にはちょっと抵抗があったらしい。もともと神学の人だからね。
 ちなみに第4章では愛のトレーニング方法をブートキャンプ的に紹介するんだけど、この内容はかなりカント(定言命法的)。

 たがいに夢中になった状態、頭に血がのぼった状態を、愛の強さの証拠だと思いこむ。だが、じつはそれは、それまで二人がどれほど孤独であったかを示しているにすぎないかもしれないのだ。

 上の文章でもわかるように、フロムは付き合ってだいたい三ヶ月くらいまでのイチャコラサッサを、孤独から目を背けたいがための虚しい依存に過ぎないと論じている。
 でも、注意して呼んでいくと、フロムは社会の構造なんかにすごい強い人だから、システム的に人間がそういう「愛するよりも愛されたい」みたいな受動的なスタンス、もしくは恋人を選ぶ際にまるでスーパーで商品を選ぶかのような、経済学的な等価交換に陥ってしまうのは、ある意味仕方がないと推察しているようにも思える(第3章で言及。むしろ精神的に成熟しないほうが現代の消費社会では最も適応的である、みたいな)。
 なんにせよ、一つだけ言えるのは、孤独との戦いっていうのは、いつの世においても普遍的な課題なんだよっていう。

 確かなのは過去についてだけで、将来について確かなことといったら、死ぬということだけだ。(略)そう、人間はたえず意識している――人は一つの独立した存在であり、人生は短い。人は自分の意思とはかかわりなく生まれ、自分の意志に反して死んでゆく。(略)人間は孤独で、自然や社会の力の前では無力だ、と。こうしたことすべてのために、人間の、統一のない孤立した生活は、耐え難い牢獄と化す。この牢獄から抜け出して、外界にいるほかの人びととなんらかの形で接触しないかぎり、人は発狂してしまうだろう(23ページ)。

  ここらへん、この前アップした『イノセントガーデン』のテーマとほとんど同じで、『ミスティックアーク』だけじゃなく、お前はフロムもパクったのか!ってマロさんに突っ込まれて、佐野デザイン事務所並みの騒ぎになっちゃうけれど、すまん、これも偶然。
 私がパクったかパクってないかは置いといて、つまり、フロムは社会的な孤立こそが、人間のすべての不安の根源であり、さらに孤独な人間は全くの無力で、外界に何も働きかけることはできないと、割とバッサリ断言する。
 結局、万物の霊長とか言いながら、本能によって自然と一体化することができない悲しい動物である人間は、不可抗力的に他者や社会にコミットしていくしかない。

 人間の最も強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという願望である。この目的を全面的に失敗したら、発狂するほかない。なぜなら、完全な孤立という恐怖感を克服するには、孤立感が消えてしまうくらい徹底的に外界から引きこもるしかない。そうすれば、外界も消えてしまうからだ(25ページ)。

 よくさ、ネットとかで、あのダーウィンだってニートみたいなものだったじゃないか、ニートをバカにするな!みたいな発言があるけれど、まあ確かにダーウィンってあんまり働かなかったけどさ、絶対的に違うのは、社会に対する後ろめたさがないじゃないかってところなんだよね(あとお前ら生物学の研究なんかしてねーだろ!w)。
 だから、引きこもりやニートが、悠々自適に自信を持って有閑セレブみたいな生活をしてたら、なんかその強い“個”に惹かれるんだけど、そういう人を一人も見たことがない以上、やっぱり世間の目を気にしていたり、孤立して辛いんだろうなあって思ってしまう。
 きっと、この人らは社会にうまくコミットできたなら、社会に同調したかった人たちなんじゃないかっていう。
 私のほうが、そう言う意味じゃ天邪鬼というか、こじれてる気がするもん。多数派とか嫌いだしな。
 フロムはこういった“後ろめたさ”を旧約聖書を引用しながら、以下のように説明する。

 この神話(※アダムとイブの楽園追放のことです)の要点は次のものだろう――男と女は、自分自身を、そしておたがいを知った後、それぞれが孤立した存在であり、べつべつの性に属していることは認識しても、二人はまだ他人のままである。まだ愛しあうことを知らないからだ(アダムがイブをかばおうとせず、イブを責めることによってわが身を守ろうとしたことも、このことをよく示している)。人間が孤立した存在であることを知りつつ、まだ愛によって結ばれることがない――ここから恥が生まれるのである。罪と不安もここから生まれる(25ページ)。

 この部分って、禁欲的なヴィクトリア時代のイギリスとかだと、性道徳の単元的に読まれちゃうんだけど、フロムのこの解釈には膝を打ったね。なるほど!と。 

 しかし不思議なもんで、学問や仕事に関する知識や技術はいろいろ学ぶのに、人間が孤立しないための愛については、なんでそういうものと同一の枠組みで捉えて、努力して学んでいかないのか、いつから愛は学ぶもんじゃないドントシンクフィールみたいな風潮になっちゃってんだ、それはおかしい、多分近代に入って出てきたくだらんロマンティックラブのせいだ!恋愛結婚だぁ?昔はとりあえず社会に強制されて結婚させられて、そのあとに愛を事後的に作り上げて行ったんだカルビーこのやろう!みたいにフロムは考える(考えてねーよ)。

 さて、じゃあその孤立から逃れるために人間はどういう対応をとってきたんだろう?ってことで、フロムは以下のような手段があるよと論じる。

①興奮状態による合一体験
 ヒャッハー的なやつ。祝祭や儀式の乱痴気騒ぎがそれ。部族全員が参加してるし、祈祷師や祭司が執り行っていることなので、不安や罪悪感は感じない。
 しかし現代的な社会では、部族的な儀式はなかなかできないので、お酒や麻薬、性的な乱交をしたりする。
 これには三つの特徴がある。1.強烈。2.精神と肉体の双方に人格全体に起きる。3.長続きはしない。

②集団への同調
 ナショナリズムや信仰など。赤信号みんなで渡れば怖くない。
 ヒャッハーに比べて、穏やかで惰性的だという特徴がある。そのぶん、孤立から来る不安を癒すのには不十分だったりする。
 フロムはこの分野の研究で有名なんだよね。つまり、民主主義社会でも、ヒトラー独裁体制みたいな全体主義社会でも、結局人々は大きな集団に同調したいってのは変わらないっていう。なにも強制されなくても人間は進んで自由から逃走するよっていう。

 現代の資本主義社会では、平等の意味は変わってきている。(略)現代では平等は「一体」ではなく「同一」を意味する(33ページ)。

 この指摘ってラディカルフェミニズムとかの問題にもそのまま思考の補助線として使えそうだよね。さすがだよなっていう。

③創造的活動
 クリエイターは世界と一体化するって言っているけど、これは西田幾多郎の純粋経験と同じことをフロムも論じているのだと思う。クリエイティブな活動をやっているときは、もうそれだけに集中して周りが見えなくなってるからね。
 でもこれは、真にクリエイティブな活動じゃないとダメで、上から強制されるようなルーティンワークでは、仕事の対象との一体感はほとんど得られないという。確かに漫画家の人とか辛そうだ。

④愛
 共棲的結合(つまり依存し合う関係のことね)ではなく、成熟した愛とは、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間の中にある能動的な力であるという。
 愛によって、人は孤立感を克服し、しかも依然として自分のままで自己の全体性は失われない。しかも、愛においては、二人が一人になり、しかも二人でありつづけるという、パラドックスもOK!どうですか、奥さん。

 愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである・愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない(43ページ)。

 意外だけど、これと全く同じセリフがつの丸先生の『モンモンモン』第3巻に出てきた。「うきょ~!」「まめまめ~」「うんこ~」「ぶっ殺す!」みたいな下品極まりないギャグマンガだったけど、実は「<愛>を知る全人類に捧げる―」漫画だったようだ。
 しかし、口で言うことは簡単だけど、いざ実践しようとするとこれはかなり厳しい。ここら辺で、もう、愛に対する甘ったるいイメージはほとんど払拭されるに違いない。
人を愛するっていうのは実は苦行なのか?フロムはこう続ける。

 与えるとはどういうことか。この疑問にたいする答えは単純そうに思われるが、じつはきわめて曖昧で複雑である。いちばん広く浸透している誤解は、与えるとは、何かを「あきらめること」、剥ぎ取られること、犠牲にすること、という思い込みである。性格が、受け取り、利用し、貯めこむといった段階から抜け出してない人は、与えるという行為をそんな風に受け止めている。(略)与えることは犠牲を払うことだから美徳である、と考えている人もいる。そうした人たちに言わせると、与えることは苦痛だからこそ与えなければならないのだ(43ページ)。

 厳格なキリスト教の考え方ってこんな感じだと私は思っていた。つまり、一部の聖人君子にしか本当の愛っていうのはできなくて、だからオレたち一般庶民には無理無理って諦めたくなるんだけれどさ、そういうことじゃなくて、せめてイエスさんの1%でもいいから、そういう愛に近づけるような努力をすることこそが大事なんじゃないかみたいな、解釈をしていたんだけど、フロムはここら辺で厳格だったカントとは違った論理を展開する。

 生産的な性格の人にとっては、与えることはまったくちがった意味を持つ。与えることは、自分のもてる力の最も高度な表現なのである。与えるというまさにその行為を通じて、私は自分の力、富、権力を実感する。(略)与えることはもらうよりも喜ばしい。それは剥ぎ取られるからではなく、与えるという行為が自分の生命力の表現だからである(44ページ)。

 この考えは、どっちかというとSNSの交流などに希望を見出しているIT起業家や、システムさえしっかり作れば、あとは割とほっといてもうまくいくという新古典学派エコノミストやリベラル派の政治家などに近い。性善説というか。
 例えば、法を破ってまで、著作権のあるアニメや音楽をネットにアップロードしちゃう人いるじゃん。あんなの自分には大してメリットないのに、なんでやるんだろう?何が楽しいんだろう?って思ってたんだけど、あれも、与えるという行為に、ある種の全能感を感じていたからなのかもしれない。
 ほいで、与えるのが楽しいなんてちょっと考えればわかるだろ、セックスがそうじゃんと、こっからエロフロムモードになるんだけど、確かに男は精液を女に与え、女は男や我が子に体を与えるんだよね。
 そう考えると、構造主義や内田のたつ兄が言う、人間っていうのは、与えるというか交換が好きなんじゃないの?っていう話にもなってきそうだけど、ここはあえて「与える」ことだけに絞って考えていこう。
 実際フロムはこんなことを言っている。

 物質の世界では、与えるということはその人が裕福だということである。たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。ひたすら貯めこみ、何か一つでも失うことを恐れている人は、どんなにたくさんのものを所有していようと、心理学的に言えば、貧しい人である。

 貧困は人を卑屈にするが、それは貧困生活が辛いのではなくて、与える喜びが奪われるからである(45ページ)。


 さらにフロムは、与えるという行為の最も重要な部分は、モノを与えるのではなく(それだとアダムスミスの重商主義批判である)、自分自身の生命を与えることだという。
 これは別に悪魔に魂を売るとか、君は誰かのために死ねるか、みたいな話じゃなくて、自分の中に息づく、喜び、悲しみといった感情、興味や理解、知識、ユーモアなどのありとあらゆる表現のことである。
 このような意味合いで、人は自分の生命を他者に与え、他者の生命感を高めるのだという。すると他者も自分に・・・というフィードバックが繰り返される。

 愛とは愛を生む力であり、愛せないとは愛を生むことができないということである。

 で、そのあと聖書とかフロイトとかの言及(フロイトは愛を我慢できないかゆみのようなものと考えるけどそれってどうなの?)があって、ちょっと飛ぶけれど、92ページからの自己愛のところがちょっと興味深かった。
 というのも、自己愛と自己犠牲ってあちらを立たせばこちらが立たずみたいなもんで、真逆の考え方なわけじゃん。もし自己愛が尊いなら、自己犠牲は自分の命を粗末にする許されざる行為だし(たしかキリスト教は自殺はタブー)、逆に自己犠牲が尊いなら、自己愛は単なるエゴイズムと同じようなものだとみなされる可能性がある。
 つーか、そもそも、自分を愛することと他者を愛することは互いに矛盾するという考え方自体が心理学的な裏付けによって説明がつくものなの?とフロムは問う。そして、フロムは聖書を引用して、それは矛盾しないと答える。

 聖書に表現されている「汝のごとく汝の隣人を愛せ」という考え方の裏にあるのは、自分自身の個性を尊重し、自分自身を愛し、理解することは、他人を尊重し、愛し、理解することとは切り離せないという考えである。自分自身を愛することと他人を愛することとは不可分の関係にあるのだ(94ページ)。

 もしある人が生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身も愛している。もし他人しか愛せないとしたら、その人はまったく愛することができないのである(96ページ)。


 そして自己愛=利己主義?という問題についてはこのように論じている。

 さらに、現代人の利己主義は、ほんとうに、知的・感情的・感覚的能力を備えた一個人としての自分自身にたいする関心なのか。現代人は、その社会的・経済的役割の付録になってしまったのではないか。現代の利己主義は自己愛と同じものなのか。むしろ自己愛が欠如しているために利己主義的になっているのではなかろうか(93ページ)。

 利己主義は他人にたいする純粋な関心を一切排除しているように見える。利己的な人は自分自身にしか関心がなく、何でも自分のものにしたがり、与えることには喜びを感じず、もらうことにしか喜びを感じない。(略)利己主義と自己愛とは、同じどころか、まったく正反対である。利己的な人は、自分を愛しすぎるのではなく、愛さなさすぎるのである。

『イノセントガーデン』制作裏話

 この記事はネタバレなので、本編を読んでから読むように!

 いや~まさかこの漫画を公開するとは思わなかったよ。しかも、これ9年前の作品なのな。私まだ22歳とかだよ。22歳の私は何があったんだろうな。いろいろ病んでそうだよな。
 担当編集者に見せても「女の子が可愛い」しか感想がなかったしな。オレもこんなもん読ませられたらリアクションに困るわ。
 つーか『ダブルスピーク』と同時に描けるような内容の話じゃないよね。ほんとに、この漫画だけギャグ要素が一切ないもんね。というか内容すっかり忘れてたけどテーマ的にギャグにできないよ、これ。まあ、そういうのも一回やってみたかったんだろうな。
 この時期は、一体どういうのが読者にウケるんだろうってノイローゼになっちゃって迷走期だったことは覚えている。
 今は、「この味は通だけわかればいいんだよ!」みたいな下町の口の悪い小さな寿司屋みたいなスタンスになっちゃっている気もするけど、一つだけ言えるのは、自分自身がこの作品は絶対面白いっていう信念がないと、いいものは絶対できないってことだよね。つっても最近はてっきりご無沙汰だけどさ(^_^;)

 さて、『イノセントガーデン』の直接的な着想は二つあって、一つ目が昔、地面がどんどんなくなっていっちゃう夢を見たってこと。この手の夢が、フロイト的にどう言う意味があるのかは知らないけどさ。
 『イッツアドリームワールド』もそうだったけど、たまに描きたい「画」が最初に浮かんで、そのシーンを描くために前後の筋書きを後付けで考えるっていうこともある。
 だから、この漫画は「画」が中心で、前半は私の漫画としては珍しくセリフがあまりない。当初はいっそサイレントでやろうと思ったくらいなんだけど、わりとキャラが高度な駆け引きをしててさ、これをセリフ無しで説明する技術が当時の私にはなかった。
 「私は声を失った」とか言ってる割にモノローグでよくしゃべるもんな、こいつ。彼女はもともと、ああなる前はおしゃべりだったんじゃねえかな。それで余計なこと言っちゃって、ひどい目にあったみたいな。

 着想の二つ目が、なんの映画か忘れちゃったけど、赤ちゃんが生まれる前のシーンでアナウンサーの福澤朗さんがさ、精子の吹替えしててさ。「それいけ~~!!」みたいな感じでみんなで卵子の方へ突っ込んでいってさ、福澤の精子(なんかエロいな)だけ卵子に取り込まれてさ「お、お、お・・・!!???ジャ・・・ジャストミ~~~~ト!!!」って受精しててさ、大爆笑だったわけよ。
 これをもうちょっと、旧約聖書風にできないものかと。ほんで、エデンの園みたいな世界観に変えてみたんだ。
 あと、あれだ。この作品の虚無的な雰囲気はMYSTに当時ハマっててさ、そういうものの影響だった気がする。トゥームレイダースもそうだよね。
 海外のゲームって独特の空気感があるんだ。簡単な言葉で言うと「さみしい」「ひとりぽっち」。そういう感じをスゴイ出したかった。
 一応この漫画には、たくさんの(モブ)キャラが出てくるんだけど、実際は、たった三人の話なので、そう言う意味じゃさみしいっちゃさみしい。
 そして、この三人って『インサイド・ヘッド』じゃないけど、どの人にもある感情だよね。

ヴィルトゥス(勇気)
今見ると、『ソニックブレイド』の隊長とデザインが激似。彼の子役時代の作品に違いない(描いた順番逆だけど)。
私は、正義って「合理」じゃなくて「感情」だと思うんだよ。だから「怒り」とかと一緒で強いエネルギーである反面、おそろしく暴力的なものなんじゃないかって。
この子なんて、まあ、子どもだからっていうのもあるけど、ほんとに深く考えず行動してるもんね。大人でこのアルゴリズムだけを選択したら絶対破滅するよね。
でも、この「向こう見ずさ」ってたまにすごい羨ましい時がある。
子どもって守るべき過去がないからかな。一歩間違えばあの世行きであろう、すごい危険な遊びとかするしね。タナトスだよね。
利他的な行動っていうのもそういう面があるんかね。というか、この子は年齢的に死というものがよくわかってないよね。まあ誰もわかってないか(^_^;)
この漫画が、深く考えると怖い内容なのはさ、救いらしい救いがひとつもないからなんだよ。東洋の哲学だとさ、四季が明確にあって自然が豊かだったからかわからないけど、円環構造で世界を考えるじゃん。生と死が廻っているみたいな。
だから、ここで自分が死んでも次の世代につながれば・・・って考えられるんだけど、西洋っていうのはアポカリプス的でさ、直線なんだよね。
作中に「エントロピー(拡散度)」ってセリフがあるけど、つまり時間の矢は一方的で、進んで戻ってこない。イノセントガーデンの出口の向こうには、また別の世界があって、次の世界に行ったら二度とこっちの世界には戻ってこれないよっていう不可逆性。
だから、この漫画の世界観は仏教じゃなくて絶対キリスト教的な方がいいなって。西洋的なテイストにしたんだよね。

セレスティス(天上の)
すぐ泣く。
みんなが落ちていっちゃう世界の中で、唯一「飛べる」というチート能力を持っているが、逆を言えば高いところまで飛べるということは、物事を俯瞰で考えられるということ。
つまり、彼女だけは世界をメタに見れるというメタファー(つまらん
精神年齢的にはヴィルトゥスが少年期なら、彼女は思春期(ちょいワルな影がある男に初恋しちゃうのもありがち)。
世の中の不愉快な面がなんとなく分かってきちゃって、子どもの頃のピュアな部分が若干よどみかけてきている時期。実際、彼女だけはルシファーみたいな黒い服を着ている。
そもそも、この物語の元凶はこいつって気もするけど(ほかの天使がトパゾスに根こそぎ殺された上にコイツも死んだので天使が絶滅した)、遅かれ早かれどのみち崩壊しちゃう世界なら、彼女の犯した罪は仕方がないって気もする。
当初のデザインでは、翼は先が黒くてコウノトリのものだった。でも、こんなん気づく奴いないか、ってことで醜い白鳥みたいにした。
そういや、最後のさ、彼女が残りの力と勇気を振り絞って少年の手を取って飛ぶシーンあるじゃん。あのシーンは星のカービィ2のクーのテーマをかけてください。

トパゾス(探求)
こいつらの年齢設定はよくわからないんだけど、少なくとも精神年齢においては彼がおそらく最年長なのではないだろうか。
ヴィルが小学生、セレスが中高生、ほいで、トパゾスが大学生くらいというか。
この人は頭が切れるし、行動力もあるんだよね。悪堕ちすると一番厄介なタイプだよ。
ヴェロキラプトルというか。
セレスティス(きっと元カノ)に世界のルールを教えられ、その現実にうじうじすることもなく、しっかりと受け入れて割り切り、そのルール内で最も合理的な選択をして、あとちょっとのところで決勝戦敗退みたいなw
この人は、天使をためらいなく殺しているから無神論者なんだろけど、最後の最後で非情になりきれなかったんだよね。すこしだけ罪悪感があって、でも人間なんてのはすべてエゴの塊だって思って、自分の罪に目を背けてたら、よくわからない正義感の強い子どもが出てきて、こいつも結局は自分のことしか考えていない・・・ってことを確かめないわけには行かなくなった。
私、久しぶりに読んで、自分が助かりたいだけなら、なにコイツは最後にネタばらししてんだ?バカじゃねーの?って思って、この部分を描きなおそうと思ったんだけど、よく考えてみると、そういう意図があるシーンだったのかって。描いた自分が忘れてるっていうね。
なんか聞いた話では、精子の中には他の精子(エッグゲッター)がうまく受精できるようにアシストするための精子がいるらしいんだよ。悲しい事実だけど、彼はそういうものだったのかもしれない。
この人は東大生なんだ。東大生ってゲームのルールを与えられると、そのルール内で最高のパフォーマンスをするじゃん。でもルールそのものをメタ的に変えるっていうのはすごい苦手なんだよね。

怪物
一応「月」ってことになるのだろうか・・・?いきなり最初のページに描かれているっていう。これも母体が舞台というメタファーなんだろうな。
とはいえ、イノセントガーデンで最初に「殺し」をしたトパゾスも怪物だといえるし、彼を殺戮に駆り立てたセレスが本当の怪物なのかもしれない。
ここら辺の「誰が本当の怪物だ?」みたいなくだりはちょっと展開が間延びするのでカットしてしまった。クライマックスは畳み掛けたかった。
ちなみに、本に描かれていた化物はホムンクルスって言って、神経系のバイアスが体のどの部分にかかっているかを示したもの。これによると口と手が繊細らしいが、これ、めちゃめちゃ怖いよね。あれは、審判の日のあとに創られる胎児のボディプランの本だったわけだ(螺旋階段はDNAのメタファー)。

 そういえば『スクールオブジェイル』にこの作品の三人がちょっとだけ描かれてます。探してみよう。

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幕張への旅

 もう二度とやることはないんじゃないかと言われた幕張の恐竜博が帰ってきた!(わりとすぐに)その名もメガ恐竜展2015!ババーン!
 ・・・ということで行ってきました。なんか今回はヨーロッパ最大のカミナリ竜トゥリアサウルスがメインだったらしいんだけど、なによりもメガだったのが最初の方にいたショニサウルス(魚竜)だったっていうね。こいつハンパないよ、ジュラシックワールドのモササウルス並にメガ。目もメガ。目がメガ。
 で、トゥリアサウルスの方は下半身も見つかっているのに、なぜか上半身のみの組立という謎展示だったんだけど(予算の関係?)、下半身がイラスト(壁画風の垂れ幕)になってて、これはこれで面白かった。というか、トゥリアサウルス図録によればかなりの部分が発掘されてるのね。
 何年か前のマメンチサウルスなんて1割くらいしか骨がないのに35メートルくらいの全身骨格を組み立てちゃってたもんな。時代は変わったぜ。

 あと、今回はこしさんと一緒に見に行ったんだけど、こしさんがちびっこ向けしつもんコーナーのスタッフを詰問しているのが面白かった。
 エウロパサウルスっていうブラキオサウルスをそのまま小さくしたような恐竜がいるんだけど、そいつに叉骨が付いてるんだよ。で、叉骨はカミナリ竜全体の共有派形質なのか?とか質問して、スタッフのお兄さんが困って「詳しいものに聞いてまいります」ってなって、でもダメで。「この人たちは多分この分野の専門家じゃないですね」っていうから、質問に答えられないからかな?って私は思ったんだけど、「受け答えがちゃんとできるから」って言っててwどんだけ研究者はコミュニケーションできないんだよっていうw
 あと、これもこしさんが指摘してたんだけど、ディプロドクスの尻尾の下にある血道弓っていう骨が、普通のカミナリ竜(アマルガサウルスとか)は先が尖っているんだけど、ディプロドクスは扁平というか潰れてて、これなら尻尾を地面につけて、後ろ足で立ち上がれるんじゃないかっていう。
 なんかずいぶん前に、ディプロドクスは首を持ち上げられないから、下半身を下げることで、上体を起こせば、高い餌も食べれたんじゃないかっていう、物理学的なモーメントの論文があったけど、これは尻尾の形から着想を得たんじゃないかっていう。
 こういう視点っていうのはやっぱり専門家だよなあって。私何も考えずにハナ垂らしてポケ~って見てるだけだもんな。やっぱり詳しい人と行くと楽しいよね。

 恐竜博のあと、ちょっと時間あったから映画も見たんだ。『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』。
 これ、アクション映画としてはすごい面白いんだろうけど、私はアクション映画があんまり好きじゃなかったのであった。だって、生でサーカス見てるほうが絶対ドキドキするもん。とりあえず無事に公開している以上は、スタントは成功したんだろうなあとか。
 でもトム・クルーズはすごいよな。ジャッキー・チェンみたいなことなってるよな。ただジャッキー映画なら、コメディがもうちょっと欲しかったな。硬派なスパイ映画なら風刺がもうちょっと欲しかったな。
 シナリオ自体は一時期『007』シリーズを見すぎて、こんなんあったよな、みたいな。こういう映画ばっかり見ているから、みんなツイッターで陰謀論に傾倒するんだよねwよくない。ラプラス魔じゃあるまいし、世界を計画通りには操れねえって。
 でも、狙撃のシーンで、どっち撃てばいいんだ?みたいにイーサンが困るシーンが面白かったんだけどさ、オーストリア怒らないか、あれ。欧米にとってみれば雑魚キャラ扱いなのだろうか。というか、ああいうシンジケート的なことやってるのは、イギリスじゃなくて、アメリカなんじゃないかって気もするけどwエシュロンとかお前らだろっていう。
 今度、『007』の方もやるらしいけど、立場が逆になっていたりしてね。

 あと、こしさんにキサク・ヨーンの『自然を名づける』と、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』貸してもらったんだけど、エーリッヒ・フロム、すごい読みやすい。これはちょっと奮発して『自由からの逃走』も買うべ。

ジュラシック・ワールド

 「面白い度☆☆ 好き度☆☆☆」

 また繰り返しか。
 
 あれからなんと22年。例のテーマパークがいつの間にかオープンしていた。その名はジュラシック・ワールド!!(※例のテーマ♪バババ~バ~バババババ~以下割愛
 ・・・覚悟はしてたんだけど、ほんとにつまらなかった。
 なんかさ、ジュラシック・レイク!とかジュラシック・アマゾネス!とか『ジュラシック・パーク』のパチモノ映画ってあるじゃん?そのコーナーに混ざっててもおかしくないレベルで、オレは別の映画見に来たのかって感じだった。

 架空の恐竜どうこう以前に物語が絶望的につまらない。

 登場人物がステゴサウルス並みのバカばかりで、誰にも感情移入できないのが厳しい。クレアっていう女は、ホントにもう、5回くらい殺したくなった。映画版二作目のサラ・ハーディングを超える女がついに現れちまったよ。
 登場人物で、まともなのはせいぜい、インドミナスが脱走して即座に島を捨てようって判断し(却下され)たクリス・プラットくらいなんだけど、こんなバカな女と付き合っているクリス・プラットもやっぱろくなもんじゃねーな。

 オレはナバホ族か。

 まあ、コメディ映画として考えるなら、あの社長は面白かったな。ああいう勘違いしちゃっている社長は現実にもいそうだし。慈善事業とか好きで悪い人では決してないんだけど、どこか残念な感じの実業家(特定のモデルがいそうなのが怖い)。

 まあなんにせよ、これはとうとうDVDいらないレベル。多分あれだな、私もいい年だし、恐竜なんぞにうつつを抜かしてちゃダメってことなんだろうな。私も進化の時かもしれんな。
 つくづく思ったんだけど、こういう大作映画の最近の傾向ってさ(某変身ロボット映画のシリーズをイメージしてください)、つかみはそこそこうまいんだけど、それを掘り下げないで雑に物語を進めちゃうんだよね。
 あれが私から見ると「もったいない!」って思っちゃって。もったいないゴーストが出るぞって。
 だから、もう後半飽きちゃって何人食われようがどうでも良くなっちゃった。内容はCM見れば90%は予想がつくレベル。ラストの展開まで予想通りだったし。

 しかしあのラストシーンはおかしいだろうよ。なんであの状態で安全なわけ?一作目の驚異が全部フリーダムじゃねえか。
 というか『ターミネーター2』と一緒でさ、恐竜が“キャラ化”しちゃっているんだよ。“見栄もきる”し。
 それがもう動物じゃなくて怪獣になってて、全然リアルじゃない。技術は向上したのに一作目よりも恐竜がリアルじゃないってそういうことなのかって。なんか納得はいった。
 だから、ターミネーターシリーズで1よりも2が好きな人は楽しいと思う。私は2よりも断然1が好きだし。まあこの例え、わかる人はわかるだろう。

「アパトサウルス」
言うまでもなく一番好きな恐竜。原作には皆勤だったのだが、映画版ではなぜか一度も登場しなかった。
それが今回満を持して登場!・・・って、ひどいかませ役じゃねーか!!しかもアクションフィギュアも出ないし。(´;ω;`)

「アンキロサウルス」
Ⅲに一瞬だけ登場したが、今回はインドミナスとの戦いを繰り広げた。重戦車みたいな恐竜で絶対強そうなんだけど、インドミナスに割とあっさりひっくり返されて、哀れな醜態を晒していた。
実際には、しっぽの棍棒は20キロ以上もの重さがあるので、あれがまともにヒットすれば、どんな肉食恐竜も撃退できたはず。いかんせんにぶいんだ、こいつ。

「プテラノドン」
Ⅲとは違って有名なインゲンス種じゃなくて、トサカが短いロンギセプス種だった。まあなんか、インゲンス種もロンギセプス種に吸収合併されたそうだが。
しかし、バードケージに翼竜入れすぎだと思う。ヒッチコックやりたかったんだろうな。でもどっちかというと『ミスト』だったな。
あとクチバシに歯はなかった。

「ディロフォサウルス」
意外なところでヘンリー・ウー博士とともに22年ぶりに再登場した。
カナリヤから見ればネコはモンスターだ。立場によって変わる言葉だ。

「モササウルス」
実は、何年か前にアメリカで発売されたジュラシックパーク一作目の新作ゲーム(jurassic park THE GAME)にも出てきたんだけど、デザイン的にはそっちのほうが好きだった。
なんかこの映画のモササウルスは頭が平たいんだよな。
とにかくジョーズだろうが女秘書だろうが翼竜だろうが何でも食べる。新種のハイブリッド恐竜だってご馳走さま。やっぱりね。

「ヴェロキラプトル」
チビなのにすごいファイター。今作で最も男気があったと思われる。
しかし、これまでのシリーズで最も人間勢を苦しめたインテリ恐竜が、ついに飼いならされちまった。これはターミネーター2的に熱い展開なんだけど、シリーズのテーマ(自然は制御できない)を否定する大問題である。
しかしまあ、実際にクローン化が成功したら、賢いので、もっとも飼い慣らせそうな種類ではある。

「ティラノサウルス」
Ⅲではアフリカの某恐竜の引き立て役的なポジションに甘んじたが、今回は最後においしいところ全部持って行った。
というか、このTレックスくん、一作目のビッグレックスと同じ個体らしい。22年間もあの島で放置されてたのか飼育されてたのか知らんが、とにかく生き延びていた。
しかし、こんなあからさまなファンサービスはないよね。だってあれだよ?頭の上に数学者乗せたり、トイレに隠れた弁護士を食べちゃったやつだよ?
すごい懐かしいよな。22年後も相変わらずヤギ食ってたよ。
最後の戦いで右肩を脱臼してたっぽいが大丈夫だろうか。
というか、ラプトルまではわかる!だがティラノサウルスまで脱走させといて、あのエンディングはないだろう。なにいい話的に終わってるんだ。いつからお前は人類の味方になった。

「インドミナス」
事前予想を裏切らない名実ともにスーパー恐竜だったが(ロケットランチャーでも死なない)、最期が割とあっけなくて笑えた。
ラストバトルで「ほっほっほ私を本気で怒らせてしまったようですね、では私の真の力を見せてあげましょう、本当の闘いはこれからです」とかうそぶく悪役いるじゃん。
そんな感じで口上を述べていたら、不慮の事故であっさり死んじゃったっていう。
なんか、架空の怪獣を実在の恐竜が寄ってたかって倒して、それで恐竜ファンはすっきりするとでも思っていたのだろうか。そういうことじゃないと思うんだよな。

ミニオンズ

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ 冒頭 殿堂入り」

 バババ~バ~バババババ~(バンバン)バババ~バ~バババババ~(ハモる)バババ~バ~バ~バ~ババババ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 いや~やっぱアメリカってすごいよね。何億円もかけてこんなバカな映画撮る国だもんな。そりゃ勝てねえよ。日本のアニメなんてたいてい「この夏一番の感動が~」とかばっかでさ。いやんなっちゃうよ。
 ここまで、感動要素をそいでバカに徹したのはマダガスカルシリーズ以来よ。あれも人気が出た脇役のペンギンズを主役に映画化したしな。日本未公開だったけどな。
 ピクサーなんかはコンスタントにメッセージ性のある作品を作っててさ、よくクオリティ維持できるよなってくらい、脚本を作り込むけどさ、アイスエイジとか、マダガスカルとか、怪盗グルーとかはさ、いちおう一作目は普通にいい話を繰り出すんだけど、おそらくこいつらが本当にやりたいのはそういうことじゃなくてさ、シリーズを重ねるごとに、どんどん歌にダンスに下ネタにと、ナンセンスになっていってさ、一作目の感動返せバカ野郎ってなるのがいいよね。基本ギヤがあくまでもカートゥーンなんだよね。
 まあ、だからストーリーとかとりだてて、ここで語ることもないよ。だいたい笑いに意味を求めてはいけない・・・!
 なんか、こういう映画つい最近も見たな。・・・あ、マッドマックスだ。

「ケビン」
今作の主人公。ミニオン三兄弟では長男的ポジション。世話好きで、目立ちたがり。こいつだけは一応ミニオン文明の状況を把握している。
一作目ではミニオンってここまでスマッシュヒットする予定がなかったんだろうな、名前と形があってなくて、ケビンも今とは別のデザインだったし(デイブの形だった)、なんと作中ですらデザイン(髪型)が変わってた。つまり、テキトー。
実際一作目の設定では、ネファリオ博士がバナナと脂肪酸で合成した珍生物という設定だったしね。それが有史以前から独自の系統で進化を重ねてきた地球の生物だったとは。
しかしマーギュリスの細胞内共生説を、こんなバカアニメでアニメ化されるとは思わなかった。イギリスもそうだけど、向こうの笑いをやる人って意外とインテリなんだよな。

「スチュアート」
よく分からずに一行についてきた。とにかくやんちゃ。スプリンクラーをジャグジーではべらせる。流し志望なのか、ギターを背負っている。
その後、イギリスを救った功績を称えられスーパーメガウクレ~レを手に入れた。

「ボブ」
新デザインのちびっこミニオン。
一作目と二作目には登場しておらず、今作はグルーに出会う前の話ということもあって、私はてっきりこの子だけはスカーレットの方になついちゃって、だから一作目のミニオン軍団にいないんだろうな、と予想していた。でも普通にグルーの手下になっていた。
この映画に時系列の整合性を求めてはいけない・・・!
人を疑ったりせず純粋なところは、どことなくグルーの引き取った三姉妹のアグネスに似ている。ぬいぐるみ持ってるしな。

「ネルソンファミリーのパパ」
バナナマンの設楽さんが吹き替え。プロ並みにうまい(エンドロールで気づいた)。最近は芸能人の吹き替えもクオリティが上がってきて、かつてのような偏見はなくなりつつある・・・気がする。個人的には私は剛力彩芽さんでも行ける。

「ネルソンファミリーの息子」
バナナマンの日村さん。これは絶対に見た目でオファーしたに違いない。

「ナレーション」
ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリー番組的に真面目で渋いボイスだが、なんと真田広之さんがやっている。前作のエル・マッチョにこの仕事を紹介された感がある。
しかも真田さんは、アメリカ本国版ではスモウレスラーの声も担当している。

「スカーレット・オーバーキル」
元ネタは『風と共に去りぬ』なのだろうか。イギリスの女悪党を天海祐希さんが好演。
前作の中島美嘉さんといい、ヒロイン役の人選がうまい。
なんかキャラクターの雰囲気が『アダムス・ファミリー2』のあのお姉さんに似ている。感電死はしなかったが、爆発の後、鶴瓶師匠に氷漬けにされた。あのシーンは燃えた。

 しかしこれで、私の夏は終わったな・・・なにを楽しみに生きていけばいいのでしょうか。あ、そうそう最近漫画の作業をやってるんだ。
 先日発掘された9年前の漫画をお盆休みをめどに公開する予定です。だから、ここで人の作品についてあれこれ言ってる場合じゃねえ。自分の作品を何とかしなきゃね。
 SGA屋さんは、クリエイターと評論家にはマリアナ海溝のような深い溝があるといったが、そりゃそうだ、やつらは産みの苦しみを知らねえ。まあ評論には評論の苦しみもあるのかもしれないけど。
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