表現の自由と世論原理主義

 日本国憲法21条に「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」と書いてあり、またこれを検閲してはならないとあります。
 表現の自由とは精神の自由の一つで、自由権には「公共の福祉に反しない限りOK」と言う濫用を防ぐ前提もあります(12条)。

 しかし「言論出版の自由VS公共の福祉」という図式は実際こんな単純ではなく、時に協調し時にぶつかりあいます。
 というのも「公共の福祉」が「社会全体の幸せ、利益」というあやふやな概念なので、例えば一部の人が不快でも、みんなが面白がって見るようなスキャンダラスな記事を出版してもいいじゃんってこと(最大多数の最大幸福)になります。
 具体的な例では、ネガティブな記事を書かれた芸能人はプライバシーの権利が侵害されるけれど、その記事でたくさんの人が喜ぶならそれは知る権利として保障されるというものです。

 この論理は、「多数派(=大衆)の優位性」を基本的に説く民主主義の矛盾を抱えています。
 そういう意味で、民主主義はマイノリティには厳しい「いじめ多発型システム」なのですが、民主主義の聖地(?)であるアメリカでは、基本的に個人主義(もともとイギリスとかだから)を重視しているので、価値判断も個人単位。日本ほど家柄や肩書にこだわらず、マイノリティやアウトローを純粋に評価したりもする。
 
 実際日本は、中途半端に社会主義的だから、民主化した後よく分からぬ雑種国家になっちゃって(さすが島国)、日本人の中にある保守的感覚(社会主義)と革新的感覚(民主主義)が矛盾して混在している。
 だから良くも悪くも徹底した民主主義国家=アメリカにもなれない。中途半端。

 民主主義には「少数派の圧殺」という傾向が内在しているのだから、民主化したいのならばその危険性も考慮した上でのセーフティネット(少数派の保護)が必要だった。
 しかしそれを戦後の日本は、官僚主導の「緩い社会主義体制」でごまかし続けて発展してきたから、民主主義の危険性や問題点についてそれほど深く考えてはこなかった。
 真に自由と言う事は個人単位で責任をしょい込むということだけど、そんなシステムは私は日本人には向かないと思っていたし。

 民主主義国家は、個人主義が確立されない限り、価値の相対化もできない単なる「いじめ国家」となってしまう。実際日本の民主主義は、アメリカ型の民主主義を100%とりいれずに、自分たちの風土に合ったように勝手に改良しちゃった気もするんだけど(“改良”は日本の常套手段。“創造”は苦手)。

 話がそれちゃったけど、民主主義の概念をふまえるならば、表現の自由というのはまずもって「多数派の判断は大体正しい」という前提世論原理主義(←今思いついた)で成り立っているということ。
 どんな表現も、大衆の価値判断によって良いものは評価され、ダメなものは淘汰される・・・だからとりあえず発表してみようよというわけ。これをダーウィニズムにかけて市民淘汰説と言う(←今思いついた)。ゆる~い事後検閲に近いかも。

 しかし多数派って実はそんなにすごいものじゃない。人間ってほとんどの人が良くも悪くも中庸で普通(正規分布)だから。だから理論的には多数派の価値判断によって個性的な表現はつぶされていき、みんな当たり障りのないものになってしまうはず。
 しかしそうはならない。それはかつてdario氏との対談でも言ったけど、多数派は一部の個性的な意見に誘導されサブリミナルマインドが形成されてしまうから。

 この相互作用はなにも多数派だけでなく少数派にも当てはまるけど、そういう意味でアメリカが重視する個人の自由意思や自己責任の概念はあっさり瓦解する。そこまで考えてもいない教養の低い人が大学で授業やってるんだから困ってしまう。
 つまり大衆心理(世論)の形成は実際に可能なのだから、出版業界=送り手は、単純な市民淘汰説を言い訳にして無責任に逃げることはできない。
 「どんな言論も良し悪しは大衆が決めてくれるから、その良し悪しはいいんだよ。もっと言えば売れればいんだよ」は詭弁ということ。

 でも私は基本的に「売れればいいじゃん」を非難しない。表現の自由とモラルや道徳はぶつかりあうもの。これは今や多様化した価値観の葛藤だったりする。その時にそれでも出版すべきかどうかを考えればいい。
 国家があらかじめ表現の自由を制限するのは危険極まりないが、あまりにひどいものは刑法などがちゃんとあってそれが発動する。例えば週刊誌の記事では侮辱罪とか。

 講談社のエントランスが集英社に比べてすっごい警備が厳重なのも、週刊誌の記事を考えてみればよく分かる。敵が多いのだろう。

バイオハザード

 「面白い度☆☆ 好き度☆☆」

 下手な映画だけどつまらなくはない。

 「バイオハザード(=生物災害)」といえば、私の中ではやはり『ジュラシック・パーク』のマイクル・クライトンであり、彼の代表作『アンドロメダ病原体』で地下のバイオ・ラボラトリーという設定は確立した感があるのですが、そういえば現実でも多剤耐性菌とかが現れ抵抗力の低い人に猛威をふるっていますよね。あれこそ生物災害。

 しかし『トゥーム・レイダー』といいゲームを映画化した作品ってなんでこんなにも大味なんだろう。
 そもそも「バイオハザード」って、海外のゾンビ映画のお約束をパッチワークしたような内容のテレビゲームで、それはそれでテレビゲームとしては新しく、めでたくヒット作となったのですが、それをまた映画化してしまうとは何というブーメラン。
 よって劣化コピーになるのは仕方がないのですが、そこまでつまらなくもなかったのは大健闘だと思う。なんだかんだ言って最後まで飽きずに見れたもん。
 特にゲームさながらのラボのセットはかっこよかったし、配線を直してコンピューターを起動せよとかそんなミッション確かゲームでもあったと思う。

 ただ映画としては・・・こんなこと素人の私が言うことじゃないけど、一言で言って、金はかけているけれど下手。
 これ作った人は、映画の才能はありそうだけどまだ未熟って感じで、よく言えば「のびしろ」があるとも言える。つまらなくはないんだから。これより上手くてつまらない作品だっていっぱいあるだろうし。

 しかし主人公をはじめ、とにかくキャラクターの魅力がない。キャラが薄い。またシーンのつなぎ方が多少雑で、説明不足の箇所もある。
 普通映画を見ていて「下手だな~」って思うことないのですが、この映画は「もう少し練り込めばいいのに・・・惜しいなあ」って感じでした。
 しかもその「下手な部分」って自分の作品にも当てはまり得る可能性が大いにある話で、そういう意味で見ていて非常に勉強になりました。
 ただやっぱりキャラクターの見せ方はまだ足りないと思う。でもいいのか?こういう作品はそこまでキャラを立てなくても・・・漫画じゃないんだし。元はゲームだし・・・

 面白かった部分は、みんなとかぶるけど、やっぱり管理コンピューター「レッドクイーン」(主人公の名前といい『不思議の国のアリス』にかけている??)が『CUBE』みたいにレーザーで攻撃してくるシーン。あれで特殊部隊の人が半分近くゾンビと戦う前に死んじゃうんだけどこの展開には驚いた!
 プロならこんな展開には絶対しないと思う。これはゾンビ映画なんだから、普通隊長などにはゾンビと戦う一番いいシーンを与えてやるはず。この意外性は素人くさいのが逆によかったところかも。

 あとアンデッド犬のシーンは主人公のアリスが、何の伏線もなしに急に人並み外れた格闘術を見せて、ちょっと興ざめしちゃったんだけど(『ブレインデッド』の神父はよろしい)、あの犬はフルCGじゃない気がする。
 動きとかがあまりに本物の犬だから。もし、あの動きを人の手で付けていたのならそれは神業。すごい。

 さらにラストに襲ってくるよく分からない生物(ゲーム版「2」のリッカー?)の舌がやけに頑丈だったのも笑えた。あいつなんだかんだ言って意外と弱かったよね。最初の白衣の女性のゾンビの方がタフだったのでは??

 最後に余談だけど、このゲームのヒットで調子に乗ったカプコンは「バイオハザード」の恐竜版である「ディノクライシス」っていうのも作ったんだけど、あまりに恐竜が強く一部のユーザーには「ゾンビを倒していくような爽快感が無い!」と不評だった。
 でも「バイオハザード1」もアクション性はそこまで高くなかった気がする。出てくるのも大きなサメとかクモだったし・・・

 ・・・というわけで「バイオハザード」はもう映画も4本も撮ったんだから、そろそろ「ディノクライシス」を映画化してもいいんじゃない?
 あまりに『ジュラシック・パーク』の影響が大きすぎるパクリのような作品だったけど、もともと「バイオハザード」自体過去の映画のパクリのようなもの。
 あのテリジノサウルスさえやめてくれれば全然いいですよ!むしろ観たい。

複雑化する分類法

 現在、生物学の分類は過渡期と言うか、岐路に立っているような気がします。というのもリンネ式分類がそろそろやばいことになっているからです。
 今のところはまだリンネ式の界>門>綱>目>科>属>種という分類の階級(タクソン)を使っているけど、界~科は全部「類」なるかもしれない(一部の図鑑ではもうなった)。

 現在の生物学では、二種類の生物がどこで別の種類に分かれたのか、その分岐点(ノード)を重視する「分岐分類学」や、その生物のDNAを比較して生物の類縁関係を調べる「分子系統学」など、リンネの時代には無かった新しい分類の方法が確立されています。

 なぜそれがリンネの分類単位に変更を迫っているのかと言うと、例えばリンネ式の分類では「脊椎動物門」には「条鰭綱(いわゆる魚)」「両生綱」「爬虫綱」「哺乳綱」「鳥綱」(進化の歴史で登場順)などのグループがあって、爬虫類と鳥類は同じ「綱」という階級なので並列関係にあるはずなのですが、分岐分類学的には鳥類は爬虫類の一部になってしまうのです。

 具体的に言うとまず爬虫類に「ワニ」と「カメ」と「トカゲ」のグループがあり、そのワニのグループに恐竜が所属していて、その恐竜のグループの一部が鳥類なので、鳥類は「綱」のような高い地位にいるべきグループじゃないことが分かります。

 つまり分岐点を重視する分岐分類額による系統樹(クラドグラム)では、界>門>綱>目>科>属>種という単純な上下関係が消滅してしまうのです。

 さて、これまでの分類法に進化(=時間)の概念を持ち込んだ分岐分類学は、科学的に正しいのでしょうが、分かりやすさではリンネ式分類に大いに劣ります。
 それもそのはず、リンネの時代に進化と言う概念は無く、生物は不変だと思われていたのです。だから全ての生物に名前をつけて整理できると思っていた。まさか生物の種の数が増えたり減ったりしているとは思わなかったのです。

 さらに、これをもっと突き詰めると進化は時間の他に、空間(住み分け、食い分け)や他の種族との相互作用(共種分化)でも起きるので、わけのわからぬリゾーム型ネットワークができあがり、我々の脳ではその複雑なネットワークは整理、分類できません。

 そのひとつの解答が三中信宏さんの「系統ジャングル」なのでしょうが、おそらくこれからの分類学は、対象によってスケールの異なる手法やモデルを用いるようになるのかもしれません。量子を研究する時にニュートン力学ではなく量子力学を用いるように。

おまけ:分類学の歴史※どんどん分かりづらくなります!

人為分類・・・かなり分かりやすい。でもひどい。
 生物を人間の基準で恣意的に分けていた(要は分かり易ければテケトーでいい)。「魚は水の中を泳ぐ生物とする」とか。この場合イカやタコやアサリも魚になっちゃう。

自然分類・・・分かりやすい
 いくらなんでももうちょっと科学的に生物を分類しようと思いたった。科学的な分類学の出発点。ある種の本質主義に基づく(自然界には答えが一つ!みたいな)。

リンネ式分類・・・分かりやすい
 自然分類に基づく。分類単位に界>門>綱>目>科>属>種という階級(タクソン)を設けた。ここに生物の種の数が増えたり減ったりするような事や、生物の形が変化するという「進化」の概念は無い。

比較解剖学・・・※分類の手法
 骨などの解剖学的な所見を基に生物を分類した。キュヴィエは解剖学に基づき生物を大きく四つのグループ(門)に分けた。

分子系統学・・・※分類の手法
 遺伝子を比べて類縁関係を調べる。ミトコンドリア・イヴなどはこれで調べた。

分岐分類・・・分かりにくい
 進化の分岐点を重視して分類する。しかし進化はノードだけ理解すればいいわけではないので、不完全なモデルであるという批判もある。とはいえリンネよりは相対的に正しい。

進化分類学・・・かなり分かりにくい
 進化の全体的なプロセスをふまえて分類する。詳細な定義は分からないけど「分岐分類+比較解剖学+分子系統学」って感じ。
 ただし分岐分類と異なり、鳥類などではグループとしての独自性を認め、側系統群(爬虫類というグループの一部)としてではなく単系統群とする。

系統スーパーツリー・・・超分かりにくい
 複数の個別生物群に関する系統樹を組み合わせて、ひとつの巨大な系統樹をモデル化する。

系統スーパーネットワーク・・・もはや人間には分からない?
 進化の相互作用もふまえて分類する。一番現実に近いが、系統樹がぐじゃぐじゃになり理解不能。ジャングル。

読書感想文と評論文と研究論文の違い

 評論・・・物事の価値・善悪・優劣などを批評し論じること。

 感想・・・物事について、心に感じたことや思ったこと。


 う~ん、違いが分からない・・・物事について「よかった」「面白かった」って感じるのは、物事に価値を見出しているわけで、評論ではないのか?小学生の読書感想文はなぜ評論文たりえないのか??

 ・・・おそらく小学生の読書感想文は「価値の絶対化」である場合が多いけど(読書感想文を買うのに何冊も関連書籍や参考資料を読まないだろうし)、評論文は「価値の相対化」をしている気もする。つまり比較検証をしていると。
 だから映画評論家の人はやたら映画をたくさん見ていて詳しい。それが評論家として必須のように。

 批評・・・物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。

 そして評論と批評も言葉としてあまり違いは無い。

 ただ感想文にしろ評論文にしろ、それはあくまでも個人的見解だということ。有識者の集団による評論もまれにあるような気もするけど、基本的に個人的な主観。
 そして論文も個人で書く場合が多い(いや科学論文はそんなことない??)。私は大学で教育学の論文を書くとき、指導教官の先生にいつもこの問題を嘆いていた。
 私の言い分はこんな感じ。

 教育学は科学ではない。色々な点で科学的アプローチができないことが多い。だから真に客観的な論文は書けないのではないか(本当は科学も真に客観足り得ないんだけど)。

 でも先生は常に「論文は主観的なただの評論文になってはいけません」と私に注意していた。「いろいろな文献を比較し分析し、できる限り客観的、普遍的な論理に近づけなければならない。でなければ学会で相手にされない」と。
 しかしこれは科学じゃない人文系の論文ではなかなか難しい。とくに文学作品(シェイクスピアの作品『から騒ぎ』など)に関する論文などは。これは限りなく評論(=主観)にちかい論文と言える。

 では芸術文化の論文において客観的アプローチは不可能なのか?と言えばそうでもない。進化論のように、芸術史を体系づけたり、分類することもできる。
 そしてその研究は「この絵は素晴らしい、これは稚拙だ」というただの評論と一線を画することができる。優劣関係を論じてはいないから。これはけっこう科学的なアプローチだと思う。

 強いて優劣関係があるとすれば、その研究者の説自体の正誤。
 研究者はそういう意味でメタ的立場に立って研究しながらも、評論家のような自分が作品を作りもしないで、偉そうにくさす卑怯なメタ的立場には立たない。
 研究者は学会と言う戦場で、大いにふるいにかけられる。そういう意味では研究者も作家なのだと思う。

 そしてプロの評論家も実は作家。面白い評論(作品)を書いて飯を食ってるわけで、その評論が読者にとってつまらなかったら、雑誌等の連載を切られちゃったりする。
 でも研究者との違いは、研究者は学説を基準に戦うのに対して、評論家は漫画家と同じく面白主義を基準に戦っている。
 だからそれが個人的主観でも、ただの感想でも、もっといえば週刊誌レベルの誹謗中傷でも、読者が読んでくれさえすれば何でもいい。
 漫画だってひどい落書きでも人気があれば「ヒット漫画」だし、絵が巧くてもつまらなければ「駄作」打ち切りになる。

 しかしこの評論家のスタンスは最近ネットやブログの普及でやばいことになりそう。いまや素人でも批評活動はできるから。
 となれば、プロの評論家は今こそ「研究者」にステップアップするべきではないか?評論対象の価値判断「面白い」「つまらない」と言った主観的行為から、もう少し客観的な学説に移行することはできないのだろうか??

 ・・・と小難しく書いてきたけど、感想文と評論文は同じものだと思う。大した違いは無い。なのになぜ小学生の読書感想文を評論文と言わないのかと言えば、論の説得力の度合いだと思う。
 だから小学生でも、その作品を評論するにあたって関連書籍をあたり先行研究をした上で説得力ある作品論を論じていれば、それは評論文。さらに学会のコンセンサスすら得られたら、それはもはや研究論文。
 逆にいくら評論家でも「これはつまらない!ゴミ!」と言う“だけ”の根拠のない中傷なら、それは評論ではない。感想でもない。THEネット掲示板。

 私も『アリス・イン・ワンダーランド』や『告白』に悪態ついたことがあるから「お前が言うな」だけど、一応その根拠も説明したつもり。でも所詮はただの感想。

 こうやって屁理屈言って無責任に逃げるのがTHE素人

コンカベナトールについて

 今年9月9日に発表された新種の恐竜コンカベナトール・コルコヴァトゥス。

 あまりに腰の部分がおかしくて、気がついたらイラストを描いてしまっていたのですが、骨格の写真をよく見ると、仙椎(骨盤部分の椎骨)の前の突起はほぼ直角に長く伸びているのに、仙椎の突起はほとんど長くない。そして尻尾の根元の突起がやや長く伸びている・・・
 だからニュースでは二つのコブがあるって言ったのか。
骨盤.jpg

 でもこれってやっぱりおかしいですよね。骨盤部分の突起がおっかけたって感じでもないので、まあ骨盤の部分は空間があってそこに脂肪を蓄えていたって言うのも一理あるかも・・・
 最初、骨盤前後に二つの突起があるだけの復元をしたら、あまりに不自然で(ださい)、この隙間は絶対なにかで繋がっていたと考えるのが自然だと思います(THEオレ解釈)。
脂肪.jpg

 こういうぶっとんだ種類がまだ新しく発掘されるのが面白いですよね。わたし今までの新種で一番驚いたかも・・・(羽毛恐竜より)
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