岡田斗司夫さん『アバター』を語る

 随分前の話ですが、オタキングこと岡田斗司夫さんの映画『アバター』論が面白い。

 私は岡田さんの本は『ぼくたちの洗脳社会』(古っ!)しか読んでいないのですが、岡田さんの分析を読んでいると、評論家というのも作家と同じで、その人にしかできない個性的な切り口で作品を評論出来る人が優れた評論家なんだなあ、と思います。
 つまり分析が正しいか深いかとか言うよりも、まず面白い見方かどうかが評論家には問われるんだろうな、と。

 ・・・で岡田さんの『アバター』の分析は合っているかどうかはともかく面白い。さすが岡田さんはモノの見方がオタク的だな~と思います。こう思わせてしまう岡田さんはやはりオタキング。
 どんな事言っているかと言うと「アバターは芸術作品である。」と。岡田さん曰く文化には「芸術」と「エンターテイメント」があって、前者は「新しい価値観」を表現し、後者は「一昔前の古い価値観」を肯定するんだといいます。相変わらずこのような独特かつ分かりやすい分類は見事です(適切な分類かどうかはどうでもいいんです)。
 つまりエンターテイメントとはある種市民権を得た確立された価値観に沿って物語を落とし込んでいくから、大多数の人を楽しませることができるし、逆に前衛的な芸術作品はその作家の価値観についていけず「つまらない」と評価されてしまう可能性がある。
 岡田さん曰く芸術にも「優れた芸術」「悪い芸術」があるし、エンターテイメントにも「優れたエンタメ」「悪いエンタメ」があるから、「芸術<エンタメ」とか「芸術>エンタメ」といった優劣関係はないとのことですが、リュック・ベッソンの『アデル ファラオと復活の秘薬』が大多数の人にコケたのは確実にあの映画が良くも悪くも革新的で「芸術」だったからなんだな~と思ってしまいます。

 で、なんで大ヒットした『アバター』を岡田さんは「エンタメ」ではなく、「芸術」と分析したかと言うと、物語のオチがこれまでのハリウッド映画では考えられないほど新しかったからだといいます。
 つまり主人公は、現実の足が不自由な人間としての生きるのではなく、最終的にアバターとして生きる人生を選んでしまうから。
 これは確かにドラえもんの「気ままに夢見る機」で夢と現実を逆転させそのまま物語を終わらせてしまう(夢が現実になっておしまい!)ようなもので、冷静に考えてみればぶっとんでいるかも。
 岡田さんは現実の辛い生活から逃避してテレビゲームにハマる子が、「現実に戻って来い」というお父さん(クオリッチ大佐)の忠告虚しく、そのままテレビゲームの世界に行って現実に帰ってこなかったという秀逸な例えをしていますが、そのゲームは「マリオ」ではなく「ときめきメモリアル」だったりするのでは・・・?
 つまりゲームの中の女の子に恋をして、ゲームの世界(惑星パンドラ)から出てこない。挙句の果てに現実世界に連れ戻そうとする人間をバッタバッタとぶっ殺し、ゲームの世界から追い出してしまうんだから、本当に引きこもりのオタクの人生を肯定する素晴らしい映画!

 そしてその価値観が大衆に受け入れられるようになったというのだから、本当に時代は変わった・・・
 ただ映画的に主人公のジェイクはあそこまでナヴィ族の味方しちゃったんだから、もう人間の世界にどの面下げて戻っていいか分からないわけで、アバターの人生をとるしかなかったのかも。
 いや違うな。その選択ってやっぱりけっこう自己中心的(精神的に未熟なオタク的)なんだ。本当なら人間でもないアバターでもない「何物でもない自分」を引き受けて、みんなの前から去って終わるというオチも考えられたはず!バットマンやロールパンナちゃんみたいに。アウトローを選択してダークヒーローになってもいいわけで。
 それがときめきメモリアルの世界の住人として一生暮らすって言うんだから、すごいよな~・・・

 最後に岡田さんの芸術とエンターテイメントの分類は面白いけど、映画の物語ってもうひとつ・・・時代が変わってもあまり影響を受けない「普遍的なもの」っていうのもありますよね。
 時代によって価値観が変わっても、物語の背骨になる部分って時代に大きく左右されないと思う。例えば悪代官が水戸の御老公をあっさり倒しちゃったら、映画の世界は成立しないわけで。
 あまりに新しすぎる前衛的な芸術映画が評価されないのは、やはり時代の価値観がどうこうじゃなくて最低限の映画プロットの法則みたいなものから大きく逸脱しているからなんじゃないかと思います。
 生物学的に言うならば、胚の段階で背骨をいじっちゃうとその生物はうまく発生しないぞ、と。

 私はしばしば「変な漫画ばっかり描いている」と周りから言われるけど(私の短編を評価してくれているdario氏だけには「昔みたいにもっとぶっとんだ新しいものを描いてくださいよ」と言われているけど。難しいんだって兼ね合いがw)、私が新しいことをやりたがっているのは確かだと思う。あまのじゃくでみんながやっているような事したくないから。
 だから即戦力を期待する出版社になかなか受け入れられないのか!漫画ほどエンターテイメントなメディアは無いわけだし・・・でも本当は芸術的チャレンジ精神で伸びてきたメディアだとも思うんだけど。やっぱり今の漫画業界って黎明期を終えて確立しちゃったんだな(言い訳)。

教育大学院制度と教育実習について

 福井県と言えば日本で唯一の恐竜博物館があるところで恐竜のメッカとして有名ですが(一度行ってみたい!)、教員の質を向上させるために「教育大学院」というものを設置しているようです。
 これは教育学部が行う一カ月弱の教育実習だけじゃ教員養成として不十分だということで、さらに大学院で一年間みっちり実習を行うというもの。これは実習の受け入れ先がかなり大学側と長期的に連携する必要があり、正直面倒くさい。でもその面倒くさい実習にあえて取り組む福井大学と実習受け入れ校は本当に偉いと思う。それくらいしないと教員を教育できないと。

 ただ昔は現場で新人を育てる風習があったけど今は無いから・・・っていうのはどうなのかな。これはつまり現在の教育現場には新人の育成に充てるほどの時間的な余裕がなくて、昔よりも忙しくなってしまったってことなんだろうけど、少子化で受け持つ生徒の数は減っている?はずなのになんでだろう?
 教育をサービスと考える保護者(消費者)の目が厳しくなって良くも悪くもテキトーに先生が働けなくなったのかも。

 しかしなんだかんだいって授業のやり方って慣れるより慣れろって感じで現場でどんどん場数を踏めば力はついてくる気もするし・・・って人によるのかな?
 でも大学出たてで教員採用試験に受かった新任の先生も初年度は研修を受けるし、問題は教員採用試験でどんな人をとるかだと思う。
 その試験の判断材料になぜ教育実習の資料(指導案や実習録など)を用いないんだろう?(使っている県もあるかもしれないけど)
 たとえば研究授業の様子なんかは大学側はビデオで録画して保管しているわけで、高校受験の内申書のように、教員採用試験でも教育実習の授業の様子を見れば面接なんかするよりずっとその人が先生に向いているかどうか分かるよ。

 あとニュース23で言ってたけど「教育実習公害」ってのもキャスターの言うように実習生の問題じゃない。
 「年間11万人の学生が教育実習を受けながらも、結局教師として採用されるのは2万人で逃げられているんです」って、そもそも現場が年間11万人も新任教師を受け入れるキャパシティは無いわけで(教員採用試験の倍率は地方はやっぱり高い)、問題は年間11万人もの学生に教育実習をさせてしまう大学側のシステムだと思う。
 だから本気で教師になりたい人だけ教育実習を受けられるようにして、「とりあえず免許だけはもっとくか」って人には受けさせなければいい(オレか!?)。
 つまり教育学部じゃなきゃ教員になれないようにすればいい。別の学部の教員養成課程は無くしちゃえ。柔道捨てずに国会議員になったヤワラちゃんじゃないけど教師って2足のわらじをはいて出来る仕事じゃないと思う。
 それとも「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」のマンボウ(r選択)作戦かな??

映画のリアリティとは?

 この手の話は高校の頃descf氏と散々したし、漫画や映画の過去の記事でも多少触れたのですが、もう一度ここで論じてみようと思います。

 もう言うまでもありませんが、「現実のリアリティ」と「映画におけるリアリティ」は異なります。映画のリアリティとは映画で描かれる世界(作り話。虚構の世界)をうまく成立させるためのギミックであり、時にそれは「映画のウソ」と言われます。
 映画の世界はマサルさんの言葉を拝借するならば「現実の相似拡大」。決められたテーマを強調して描くために、作り手が現実の“一部”を強調したり剪定したりして、デフォルメするわけです。
 美少女萌えアニメで言うならば、受け手に好まれて強調されるシーンが美少女の入浴シーンだったりするし、逆に美少女がトイレでウンコしているシーンはおそらく100%割愛されます(だからケツからチョコプリンを噴射した『セックス&ザ・シティ』は逆説的で最高なんだよ!)。
 このように物語の世界観を描くために、作り手は現実のリアリティの持つ「比率」をあえて崩すのです。これによって映画の物語はスムーズに進行し、受け手に「映画の世界のリアリティ」を感じさせることができるのです。

 ここまでは単純な話。しかし実際は受け手によって「何にリアリティを感じるか」が若干異なるので、「監督の考えるリアリティ」がどこまで多くの「お客さんのリアリティ」に違和感なく合致するかが作り手の腕の見せどころ。これが下手だと客に「あざとい」と思われて、映画の世界に入ってはもらえない。
 例えば『トイ・ストーリー』が多くの人の心を感動させるのは、誰しも小さい頃おもちゃで遊んだ経験があるはずだし、おもちゃが好きだ(った)から、「おもちゃが喋る」という嘘っぱちの設定に特に違和感を感じない。「夢があっていいじゃない素敵~」って思う。
 でも中には「おもちゃが喋るはずねえだろ」「この設定ってよく考えたら怖くね?」と違和感を感じる人もいる。そういう人は最初っから『トイ・ストーリー』の世界にイマイチなじめず取り残されてしまう・・・これはもう人それぞれの反応なのだから仕方がない。

 つまり、どんな映画にもある虚構の世界を成立させるための「映画のウソ」に違和感を持ってしまったら、その映画は自分には合っていないし、面白くないし好きじゃないわけです。
 私が、全く魅力のない主人公がたくさんの可愛い女の子にモテモテな美少女アニメ(21世紀に入っても相変わらずこんな古典的なのがまだやってるw)に面白さを感じないのは、ギャグならともかくその嘘くさい設定をマジでやっている虚構の世界に違和感を感じているからです。
 「こんなにたくさんの可愛い子にモテテいいな~(感情移入)」に「こんな女どもいるわけねえだろ(違和感)」が勝ってしまうわけです。ギャグなら笑えて好きなんですが。
 
 人はそれぞれ自分の世界を持って生きている。だから人によって何にリアリティを感じるかは違う。しょうもないアナロジーですが「良い映画に出会うという事」は「自分と価値観の合う恋人に出会う事」に似ているのかもしれない。
 即ちたくさんの映画を見れば、それだけ自分がどういう存在かが明確化されていくわけです(ちょっと大袈裟です)。
 ただ自分の価値観や感性は普遍的なものではなく時と場合によって変化してしまうのですが。逆を言えば、だからこそ文化や芸術の鑑賞は楽しいんですけどね!

 結論:映画『告白』をエンターテイメントとして楽しむべきことは分かっている。でも私は「負のカタルシス」より「嘘くせえ」という違和感が勝っちゃったんです。だから“私にとって”あの映画はダメ。これは仕方がない。
 美少女がパン咥えながら「遅刻遅刻~」って通学路走っていて、男の子とぶつかって、その後教室で再会。そこで女の子が転校生だってことが分かって「あ、お前は朝の・・・!」っていう少女漫画において幾度も繰り返されたであろう展開があざとくてダメなのと一緒(今そんな漫画描いてます。ギャグだけど)。
 余談ですがdescf氏は『告白』の原作小説を読んでいて、映画は原作に忠実だと言われていますが、けっこう重要なところが異なっているようです。原作と映画は楽しみ方が結構違う??ここら辺は機会があったら取り上げます(取り上げないかもしれないけど・・・)。

ペルチェ素子について

 中学校の理科「エネルギーの移り変わり」で登場する謎の存在、それがペルチェ素子。塾で教えている子がペルチェ素子ってなんですか?って質問してきたけど正直言って私にもよく分からない。ということで調べてみました。

 「ペルチェ素子」とはパソコンの冷却装置などにも使われる電子部品で、電気を流すと片側は放熱、もう片側は吸熱反応をします。つまり吸熱だけをやってくれるのではなく、熱を移動(熱伝導)させるということ。だから片側は熱くなってしまう。

 また面白いのは、ペルチェ素子は熱の差があるもの(氷と熱湯とか)で素子を挟み込むと今度は逆に電気を発生させるということ。つまり「電気→熱伝導(ペルチェ効果)」もできるし「熱伝導→電気(ゼーベック効果)」ということもできる。

 で、なんで電気を流すと片側は吸熱反応をし、もう片側は放熱反応をする(ペルチェ効果)かと言うと、これは半導体の技術らしく、ペルチェ素子の構造は半導体を銅の電極が挟み込んでいる感じになっていて、この銅に電気が流れて半導体に電子が移動することでペルチェ効果が発生するようです。
 ポイントは電子が進みにくい場所では電子は「オレに力を分けてくれ!」と周りの熱エネルギーを消費(吸熱反応)し、進みやすい場所では「もうエネルギーいらないや」とエネルギーを熱にしてしまう(放熱反応)こと。

 ここらへんは私も難しくてあってるかどうか定かじゃないのですが、要約するとこんな仕組み。
 半導体には大きく二種類のタイプがあって、電圧をかけると余った電子が+極に移動する「n型(シリコン+不純物のヒ素などでできている)」と、不足した電子の穴(正孔)が-極に移動していく「p型(シリコン+不純物のホウ素などでできている)」があります。
 電子はマイナスの電荷をもつので、同じ電子がキャリアーとなっている「n型半導体」を通過するのにはとてもエネルギーが必要。だから周りの熱をエネルギーに変えないと電子はn型半導体を進めないようです。
 n型を通過した電子は次に「p型半導体」に向かうのですが、n型とは逆にp型はエネルギー値が相対的に低いので電子は全然ウェルカム。むしろエネルギーが余るので熱として放出するそうです。

 ペルチェ素子における電子の移動をまとめるとこんな感じ。
①電極→n型(高エネルギー地帯):電子はエネルギー不足なので熱を使って進む(吸熱反応)。
②n型→電極
③電極→p型(低エネルギー地帯):電子はエネルギーが余るので熱として放出(放熱反応)。
④p型→電極
①に戻る。

 興味をもたれた方は工学部の人とかを見つけて聞いてください。そして私に解り易く説明してください(おいおい)。

評論家じゃなくて作家だから

 他の作品を酷評して見事にファンに嫌われているのが映画界だと井筒和幸監督、漫画界だといしかわじゅん先生って感じがしますが、ふたりとも評論家じゃないわけで。作家なわけで。
 プロの作家として仕事をしている(もしくはかつてやっていた)人というのは、他の人とは違う非凡な感性の持ち主なわけで。
 だから世間の大多数が絶賛している作品を理解できないこともあるわけで。仮に井筒監督がなんでもかんでも「この映画は面白い!」と言っていたら、ただの映画好きなミーハーのおっさんになってしまうわけで、そんな人はいくらでもいるわけで。
 批判を恐れて建前でみんな同じ感想を言ってもねえ・・・そもそも作家の人は批判を恐れずに作品を発表しているわけで、いまさら自分の批評の批評が来ようと屁でもないのかもしれません。

 だから井筒監督にしろいしかわ先生にしろ「特殊な人の特殊な見解による特殊な意見」だって思っておけば、別に腹も立たない。むしろ面白い見方をしていて興味深い場合もある。まあ作家は口が悪い人が多いからダメなんだけど(口を閉じて作品だけ送り出していた方がいい場合はありますよね)。
 でもそれくらいの事言わないと、読み手の反響がなくてダメなんだろうな。当たり障りのない意見なんてつまらないもん。
 井筒監督はかつてドキュメンタリー映画『ディープ・ブルー』を絶賛されていて私は「おいおい」と思いましたが、現在もコンスタントに映画を作り続けているのはすごいし偉い。本人に才能がなければ作家活動なんて継続できないわけだし(監督の映画は中学生の頃K氏に見せられた『岸和田少年愚連隊』しか知らないけど・・・)。

 そういえば岡田斗司夫さんも言っていたけど、今の文化や芸術ってインタラクティブ性がすごくて、作り手が作品において意味を用意するのではなく、受け手が勝手に意味を構築する場合がありますよね。
 だからデュシャンの『泉』も映画『告白』も、萌え漫画の『あずまんが大王』も、二次創作の同人誌も、AKB48も受け手が好き勝手に意味を構築できる「ゆるい文化」。
 受け手は「人の作品」を鑑賞しながら「自分の作品」を脳内で作り出して見ているんです。良くも悪くも「作り手→受け手」と一方的じゃないんです。
 そういう時代なんだとは思いますが、私は作り手が受け手を屈服させるようなパンチのある作品が見たいもんです。あ、『トイ・ストーリー3』だ。
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