福岡伸一さんの生物学②

 ・・・さてそろそろ本題に入ります。福岡伸一先生は一体どこがまずいのでしょうか?
 
 実は『生物と無生物のあいだ』はほとんど正しいことが書いてあります。だからこの本を全否定などはできません。
 この本を読んで福岡先生に好感を持った方は安心してください。「福岡はトンデモだ!」という行き過ぎた批判をする人の攻撃性の方がトンデモないです。

 つまり、こんな批判はいけません。
 例「福岡先生の動的平衡は、さも新しい生物学の考えかのように論じているけど、これは高校生でも習うただの代謝じゃないか。」
 福岡さんが言いたかったのは代謝のイメージが一般に考えられているよりも分子レベルで猛スピードで行われているということです。
 だから所謂代謝のイメージを一新するために、あえて「動的平衡」と言う言葉を用いて、それに対する見方を変えたのです。これはとても意味のあることです。

 ではどこがおかしいって言うんだ!ってなります。私がひっかかったのはこの本では二点だけ。
 ひとつは「生物の定義は自己複製するものだと考えられているが、私はこれだけでは不十分であると思う」というところ。
 
 「もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら、ウィルスはまぎれもなく生命である。(略)しかしウィルス(略)には生命の律動はない。(『生物と無生物のあいだ』37ページ)」

 「結論を端的にいえば、私はウィルスを生物と定義しない。つまり、生命とは自己複製するシステムである、との定義は不十分だと考えるのである。(同書38ページ)」


 この様に述べた上で「生物とは動的平衡状態にあるものなのだ」と福岡先生は論を展開するのですが、そもそも生物の定義は「自己複製するもの」“だけ”とは現在定義されていません。
 「一体何年前の生物学の話をこの方はしているんだ」って気がするのですが、少なくとも私が子どもの頃から生物の定義は「①生態膜で独立」「②代謝」「③自己複製」と決まっていました。

 それをさも、今の生物学では「自己複製するもの」を生物と言うが・・・というのはちょっとフェアじゃない。「どの生物学者も自己複製にばっかりとらわれていて、動的平衡状態と言う発想に気付いてないんだよ」と言う風に読み取れてしまいます。・・・というかほとんどの読者はそう取ると思います。私もそう読み取ってしまいました。
 これでは福岡さんが本書で取り上げた、自分が書いた本で自分ばかりかっこよく描いて残りの学者は馬鹿にしたワトソンと変わらないのではないか?

 生物の定義は今ではちゃんと3つとされているんだから、自己複製にだけに固執する生物学者なんて今どきいないんじゃないかな。
 ※ちなみに生物の三定義については私は中学生の頃読んだ『ファーンズワース教授の講義ノート』で知りました。この本は破天荒な教授と学生の講義形式で書かれた本でなかなか面白かったです。

 つまり福岡さんの文章は「他の学者は自己複製にしか目が行ってないけど、私は動的平衡(=代謝)こそ生物の真実だと思うよ」というように読み取れてしまうけど、自己複製も代謝も生物学者にとっては自明の理。「何を今更・・・」ってことなのです。
 なのにそれを言わずに、生物の三定義を知らない一般の人に、「私が思うに・・・」と個人的な見解のように紹介してしまった。
 これは・・・いいのかなあ・・・??

 ここまでのまとめ:生物学者ならみんな知っている事はやっぱり「現在の生物学では、生物は自己複製し、代謝し動的平衡状態にあり、生体膜で外界と独立しているものであると定義されています」と書くべき。

福岡伸一さんの生物学①

 だめだ、塾で生物を教えている以上、おかしいところはやっぱりおかしい。福岡伸一さんの本は娯楽としてはとても面白いですけど、この本をきっかけにしてぜひ高校の生物の教科書をもう一度読んで欲しい・・・
 
 たとえばマイクル・クライトンの『ジュラシックパーク』だって重箱の隅をつつくならば、バイオテクノロジーの説明は大雑把で、ちょこちょこ間違っています。
 当時は「ヒトゲノム計画」にみんなが湧いていた時代。タンパク質の代謝よりもDNAの自己複製が生物学でも脚光を浴びていた。90年代はクライトンの予言通りクローンが想像より早く成功したし、「セントラルドグマ」なんて言っていた。そんな時代にあの小説は合っていたんです。
 でもあれはフィクション。実際の研究をリサーチして着想は得ているものの、あくまでもフィクションとして発表されています。

 しかし福岡伸一さんは輝かしい経歴を持つプロの科学者です。そんな福岡先生が言うことを一般の人は間違っているとは絶対思いません。そんな私も一般人。
 だから福岡さんの間違いはプロの学者さんがちゃんと指摘しなければならない。これはプロの科学者の責任です。
 なぜならプロの学者さんが福岡さんの誤りを指摘しなければ、世間の人は「やっぱり正しいんだ」と思ってしまうからです。 
 本当はあまりにも初歩的な誤謬で相手にしていないだけでも・・・

 これは私の「主観」を言っているのでは決してありません!なんかゴーダイとかいう知識ひけらかしたい奴が、福岡さんの理屈の細かいところ突いているぞ、というのも違います。
 私は「今の科学では、地球は太陽の周りを公転していると言われているよね」と言っているのです。
 これに対し福岡さんは「しかしこれは考えようによっては太陽が地球の周りをまわっているとも言えるよね」と言っているのです。まあ確かに天動説にロマンを感じる人は信じてもいいんです。それに考えようによっては「太陽や星が地球中心に動いている」とも言えます。
 でも科学的にはやっぱり「今は地動説が正しいとされている」としか私には言えません。

 科学は間違いを重ねる学問。もしかしたら進化論も将来反証されるかもしれない。しかし今は少なくともそれを覆す証拠は出ていない。ならやっぱり、この理論は(今のところ)正しいと言わなければ・・・

 世の中様々な意見があっていい。これはもっともです。人には様々な価値観があります。しかし科学はそのような価値相対主義に果敢に立ち向かう学問だと思います。

 「どんな意見だって愉しきゃいいじゃん」

 このスタンスは結構ですが、科学の世界においては、真面目に研究をしている科学者の人に対してあまりに失礼だと思うのです。
 「科学の論文を学会発表前に事前検閲しろ」などとは言いません。しかし学会にかけて、あまりにもメチャクチャな学説はやっぱり淘汰されてしかるべきです。トンデモを含めて色々な意見を一度プールした上で、批判、検証作業を行なうことは学会の使命でしょう。あのダーウィンですら進化論発表当初はトンデモ学者扱いされましたから・・・

 かつて世間で騒がれた「飲尿健康法」「納豆ダイエット」・・・あれは結局非科学的だと言うことで淘汰されました。今あれをやっている人はほとんどいないのではないでしょうか?そしてあれを信じた大衆は怒りました。
 もちろんあんな説を科学的な研究結果に基づいた学説のように報じたメディアはいけません。しかしそれと同時に納豆ダイエットを自分で検証せず鵜呑みにした人にも責任はあるのです。
 
 というわけで福岡伸一さんの言っているところで、どう考えてもおかしいところだけ検証したいと思います。

 『生物と無生物のあいだ』は娯楽としては大変面白い本です。ただこの本は『ジュラシックパーク』とは違う。科学の本です。
 もし『生物と無生物のあいだ』を、本書の帯に書いてあるように「極上の科学ミステリー」というならば、『ジュラシックパーク』のように、あとがきに「この物語は純然たるフィクションだが、物語の着想は実際の研究に基づいている」と書くべきです。

 これを読んで興味を持った人はぜひ『種の起源』や『利己的な遺伝子』・・・それが難しいなら、佐倉統さんの『進化論の挑戦』を読んでみてください。

福岡先生への手紙

 福岡伸一先生は本当にダーウィニズムを批判しているのか・・・?著書の中の文章だけではあまりに曖昧。・・・ということで福岡先生の研究室にこんな質問を送ろうと思います。

福岡先生はじめまして。

先生の著作楽しく読ませていただきました。

巷では先生はネオ・ダーウィニズムは進化を説明するには不十分として、ラマルクや今西錦司さんの進化論を支持しているという話を聞きます。

これは本当なのでしょうか?

それともいわれのない誹謗中傷なのでしょうか?

これがガセネタならば、断固戦うべきだと思います。動的平衡において先生に対する批判も批判の体をなしていないものもありますし。

また獲得形質が本当に遺伝するような実験研究例がありましたら、ぜひ紹介していただきたいと思います。


 例えば、時間の限られたテレビ番組や、購買層を想定した雑誌の連載で、ガチにダーウィニズムを説明するよりはずっと簡単な説明で済む「用不用説」を用いてロマンチックなイメージを視聴者や読者に提供した方が受けがいいのかもしれません。
 また科学に疎いテレビディレクターや編集者が「そう書いた方が売れますから・・・」と修正を求めてくるのかもしれない。

 私はかつて漫画の話で「面白さの犠牲にされる真実」という記事を書きました。しかしいくら面白くても科学者が面白さの為に正しい科学を犠牲にしては不味いのではないか・・・?
 福岡さんの真意はまだ解らないので、なんともいえませんが、あの脳科学者の人とかはテレビで「脳科学的な説明」を聞いたことがあまりありません。

 私はソ連がかつてルイセンコと言うトンデモ系農学者によって多くの餓死者を出したことは忘れてはいけないと思います。
 科学は反証する学問。だからダーウィンの説明よりももっと合理的な説明があれば別にダーウィニズムに固執する事はありません。
 とはいえ今のところダーウィンの進化論はアインシュタインの相対性理論くらい理にかなった理論だとされています。このような有名な理論を「実は間違っているよ」と言えば、読者の興味を引くことはできます(でも、そういった本は大抵とんでもない説だったりハッタリだったりします)。

 面白主義を標榜する漫画を描くお前が何言ってんだ。お前が言うなって気もしますが、やっぱり価値相対主義に行く前に・・・一応有力な定説を世間には「考える基準」として教えるべきです。
 それがあるべき科学の教育だと思います。たとえダーウィンよりラマルクの説明の方が解りやすくても・・・

 追記:科学の定義、科学的な思考については、なすぼねさんお勧めの一冊『系統樹思考の世界』(三中信宏著)が確かにお勧め!新書で超安いですがそれ以上の価値は確実にあります!
 だから系統樹!!w

動的平衡って代謝のこと?

 『生物と無生物のあいだ』の記事があまりに長くなったので、やっぱり二つにしますw。今回は『生物と無生物のあいだ』のキーワードとなっている「動的平衡」という概念について。

 シュレーディンガーの提唱した「ネゲントロピー(=エントロピーの逆。秩序化。概念自体は知ってたけど、この言葉はこの前知った。それも『構造と力』で)」に対して、福岡さんがそのメカニズムの観点から紹介した、シェーンハイマーの「動的平衡」という言葉。本書のメインだけあって、なかなか面白い考えです。

 「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない・・・(166ページ)」

 つまりブログで例えるならば、更新率の低いブログは誰も見なくなり、どんどん廃れてコメント欄にアダルトサイトへのリンクが張られ、無秩序化(エントロピーが増大)していきます。
 生物はこの対策に、ブログをずっと更新しなくても荒らされないような、超強固なセキュリティを考えたりはしません。生物の取った手段はもっと柔軟で手軽なものです。そう、めちゃくちゃ更新率を上げるのです。

 これは哲学のよくある問題「テセウスの舟」。船の板を一枚ずつ外して新しい板と交換した時、一体何枚目まで「もとの船」と言えるだろうか?そして外した板で再び船を作った時、それは「もとの船」と言えるのだろうか?

 「生物は自身の秩序(ホメオスタシス)を絶えず維持するために積極的に外部からエネルギーを取り換え、自身の形を更新している」・・・これが福岡さんの言う「動的平衡状態」です(多分)。しかし「生物の定義とは、動的平衡である。」はちょっと大袈裟感が。

 思ったんですけど、実は福岡さんの「動的平衡」って・・・生物の大きな要素「代謝」(生物学の基礎中の基礎)なのでは?
 
 つまり福岡さんは、かつてハミルトンの「包括適応度」という難しい概念を、一般の人にも解り易く「利己的な遺伝子」というモデルで説明したリチャード・ドーキンスに似ているのかもしれませんね。

 追記:福岡さんがドーキンスと似ているという文は不当かもしれない・・・ここでは「解り易く言葉を変えて、世間にはなじみの薄い生物学の考え方を一般に広めている」という意味で書きました。
 しかしダーウィニズムの正当な継承者ドーキンスと、ラマルク説に傾倒する福岡さんを似た者同士と言ってしまうのは、いくらなんでもドーキンスに失礼だ・・・
 調べたところ福岡さんの進化に対する考え方はちょとおかしい。しかしハーバード大学で働いた福岡さんがこのような生物学をかじったことがある人なら誰でも解る初歩的な誤りを犯すだろうか・・・?
 本気で福岡さんが「獲得形質の遺伝」を再び復活させようとしているのなら、それは「コタツから出てトイレに行くのが面倒な人のおちんちんは長く進化します」と言っているようなものでとても残念だし、世間の注目を集めるために“わざと”反証された説を言っているのだとしてもそれも哀しい。
 ベストセラー作家となった福岡さんはとても影響力のある科学者なのだから、正しい知識を世間に広めてほしいな。

『生物と無生物のあいだ』

 なんかとっても懐かしい本・・・

 中学生の私は理科の二分野が好きで、よく近くの県立図書館に自転車で通っては、生物学の本を読みあさっていました。
 もの知らずな中学生の頭脳ですから誤読もあったでしょうが、新しい知識を吸収するのが非常に楽しく、友達とその感動を共有したくなった私は、面白い本を友達に紹介しようとしたものの「難しそう」と見事に拒否られましたw。
 そこで私は「それは活字=小難しいというただのイメージだよ」と活字の本を要約し、キャンパスノートに絵入りで遺伝子や進化論、宇宙論、動物行動学、地球環境の本を制作。
 活字本はともかく、当時はジャンプ黄金時代だったので漫画には親しんでいる友達は、絵が入っていると楽しんで読んでくれました。
 今では進化論のノートしか残っていませんが(遺伝子は大学の友だちが勝手に理学の教授に渡しちゃったらしい。恥ずかしすぎる!)特に進化論をめぐるヴィクトリア朝時代のごたごたを漫画で描いたのは好評で、これが今の漫画描きの原点でした。

 そんな中学時代に仕入れた生物学の知識・・・DNA、PCR法、ノックアウトマウス・・・そして「いたいた!」って感じの通好みの数々の生物学者(高校の生物でも出てくる肺炎双球菌のエイブリー、『ジュラシックパーク』でも引用されているシャルガフ、PCR法の父で破天荒なマリス)・・・この『生物と無生物のあいだ』にはそんな中学時代の思い出が溢れています。
 これは例えるならば、かつてモーニング娘。にハマっていたファンが、往年の名曲「ラブマシーン」を聴くようなもの。新しい発見はないものの胸はときめきます。

 著者の福岡伸一さんの文章は、私はプリオンを取り上げた雑誌の記事しか読んだことがなく、それを読んだ時には、「カッチリとした理論的な文章を書く誠実そうなイメージ」を氏には抱きましたが、この本では要所要所に挟まれるエピソードが何とも文学的で、小説のようです。
 またDNAの構造の発見における研究者たちの仁義無き戦い・・・華やかな歴史的発見の裏のダークサイドも取り上げていてゴシップ好きにはたまらない作り。

 野口英世さんのイメージも本書の通りでしょう。野口英世は生まれた時代が惜しかった。あの時代は病理学の歴史においては、技術的ブレイクスルー、新たなエポックメイキングの直前で、光学顕微鏡で見える病原体はほとんど発見されつくしていました。
 残っていたのは光学顕微鏡ではどう考えても見えないウィルス性の疾患・・・

 またDNAの構造発見の陰の主役、ロザリンド・フランクリン氏は恥ずかしながら初めて知りました(もしくは忘れていました。ごめんなさい!)。確かに彼女の功績はあまり表だって本で紹介される事はなく、不当な扱いかもしれません。
 しかし福岡さんはこの人をかなり持ちあげますw(少なくともそう読める)。本書は科学本でありながら、卓越したアナロジーにあふれた文学調の本でもあるので、こいつはちょっと危険だぞw。
 文学が好きな読者はその想像力で時には「文章に書いていないことも読んで」しまいますから。

 それに「フランクリンは気難しく、ヒステリックで根暗。自分のデーターの重要性にすら気付かない視野の狭い女性」というワトソンの評価も、生物学の話ではない。科学と分けて考えるべき話です。
 本当にそういう人だったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。こんなこと言われても当事者じゃない限り何ともコメントしづらいですよ、福岡さん(苦笑)。
 この本は65万部売れたそうですが、これを読んだ一般の人はワトソンやクリック、ウィルキンズにあまり良いイメージを持たないでしょう。「この盗作野郎!女性の敵!」とも思うでしょう。まあワトソンに関しては当時若造だったので筆が滑ったことは事実でしょうね。

 ただ、こういうことは科学の世界ではよくあることだと思います。科学者にとって研究論文は芸術家の作品と同じ。
 しかし科学の研究成果も、芸術作品も考えた作家のものであると同時に、社会のものでもある。いわゆる「パブリック・ドメイン」です。この共有化こそ、人類の歴史で繰り返し新たな発見を生んできた。
 「パクリ交雑論」を展開する私としては、福岡さんの先取権に固執する情熱は分かるものの(科学者にとって“自分の結果”を残さなければ食っていけないから)やはり温度差を感じてしまいます。
 科学における対照区の重要性や先入観の危険性を冒頭でこれでもかと冷静に訴える福岡さん・・・しかしこの本を読み終えて感じたのは意外に情熱的な人だと言うこと。やっぱり本書には取り上げてないけれど、いろいろ嫌なやつがいるんだろうなあ・・・やだなあ。

 フランクリンは確かに不当な扱いを受けたかもしれません。
 しかし学者には様々なタイプがあります。フランクリンのようにコツコツと誠実にデーターを集めるのが巧い人。ワトソンとクリックのようにデータを分析し普遍的法則を思いつくのが巧い人。そして「利己的な遺伝子」「ミーム」などキャッチーなコピーを考えたドーキンスのように、世間に解り易く発表するのが巧い人。
 ここで問題が発生します。フランクリンのデータを使って普遍性を思いつき理論を考えたワトソンとクリックの理論をドーキンスが解りやすくまとめて発表したらどうなるのか?
 この研究は一体誰のものなのか・・・

 またフランクリンはX線回折のスペシャリスト(X線回折は作業が超難しくて、素人には決してできなかった。PCRやオートクレーブの操作を家電のごとく簡単に出来るのとは大違い)ですが、彼女が使ったX線装置は先人の偉大な研究の遺産であることも付け加えた方がいいでしょう。
 ここにあるのは知の相続制。文明が始まった時から続くミームの連鎖です。

 私は本書で展開される「オレの研究だ!」「いやオレだ!」の個人主義的なやりとり、そしてそれが分子生物学の歴史に偉大な名を残す研究者(いわば中学生の頃の私のヒーロー)の間でもしっかり行われていたことに、夢を叩き壊されましたw。
 
 この原因は一体何なのでしょう?私はやはり資本主義だと思います。科学の研究にはとにかく莫大なお金がかかる上、結果が出て実を結ぶのは時間がかかる、かなり危険な投資(結ばないかもしれないし)。
 ノーベル賞を受賞した「スーパーカミオカンデ(ニュートリノを観測する大きな地下プール)」で有名な小柴さんは、一説にはこの研究予算を集めるのがとてもうまかった人らしく、「博物学」と言う分野が消えてから久しい、細分化かつ複雑化された近代の科学は、資本主義に常に翻弄されてきました。
 ナチスのユダヤ人虐殺につながった優生学を、アレクシ・カレルやコンラート・ローレンツなど当時の優秀な科学者が結局間接的に支持した理由も、やはり研究費。
 このひも(=パトロン)付き科学者の状況を批判したのが『ジュラシックパーク』で、利益追求型のベンチャー企業「インジェン」が、金になる研究(だけ)をどしどし研究者にやらせ、恐竜に人が虐殺されるという恐ろしい結果を招きました。

 現在は優生学(=1883年~今?)やジュラシックパークの時代(=1989年)とは違い、ネットワーク技術によって「知は共有される」方向に向かっています。
 そこで大切なのはオリジナルへの敬意。「私はDNAの構造を考えるのにフランクリンさんのデータが多いに役立ちました。ありがとうございます」と感謝の気持ちを述べればいいんじゃないか。
 というかお金と言う概念を取っ払った時に残るのは、結局それ(人として相手を尊敬する気持ち)しかないのでは?「フランクリン?誰それ?オレが全部考えた」という嘘つきは許さんw。
 お金によって研究者がお互いの研究を感情的に批判し合い(批判自体は科学においてとても有益)、足を引っ張り合うのは人類にとって大きなマイナス。私はこの本を読んでそんな事を考えてしまいました。

 あと最後にこれだけは言わせて!この本に興味をもたれた方ぜひ一冊だけでなく、佐倉統さんの『進化論の挑戦』を併せて読むことをお勧めします!
 なぜかというと、この本は「マクロな生物学」の視点がないので(特に144ページ「しかし私は、現存する生物の特性、特に形態の特徴のすべてに進化論的原理、つまり自然淘汰の結果、ランダムな変異が選抜されたと考えることは、生命の多様性をあまりに単純化する思考であり、大いなる危惧を感じる」は真面目に研究している分子進化学者が怒るぞw)、佐倉さんの本でマクロ、福岡さんの本でミクロの生物学を楽しめば、面白さは二倍三倍間違いなし!
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