音楽の力ってすごいです

 しばらく行き詰っていた『80日間宇宙一周』。なぜ筆が止まっちゃったかというと、今手掛けているシーンが『銀河英雄伝説』ばりの宇宙戦争のシーンで、私は宇宙戦艦とかが出てくるアニメを一切見たことが無いので(もちろん『銀河英雄伝説』も)イメージを構築するのに苦戦していたんです。
 海外の『スターウォーズ』や『宇宙空母ギャラクティカ』そして『スターシップ・トゥルーパーズ』などからイメージをもらいましたが、それでも効果的なカメラアングルなどが難しくて・・・でもとりあえず何とか描きました。あれでよかったかどうかは分からないけど。descf氏の名言「いいや。」で切り抜けたって言うことで。
 
 私には音楽の知識が皆無で、作曲とかできる人は尊敬してしまうのですが、音楽ってかなりインスピレーションを刺激されますよね!
 (なぜか)海洋生物型宇宙戦艦を倒して進んでいくシューティングゲーム『Gダライアス』の曲をかけたとたんに、宇宙戦争のシーンを描くやる気がモリモリ湧いてきて、壮大なダライアスの世界観に酔いながら集中力を持続させることができました!
 私は『Gダライアス』はラストのマッコウクジラ型のラスボス「G.T」のコースの曲が結構好きです。あとラスボス戦の曲(ADAM)。もともとダライアスシリーズってスペースオペラっぽい曲があって、かなり『銀河英雄伝説』(笑)

 ちなみに私は連打が苦手なのでフォーフォールドカウンタービーム はシーラカンス型の戦艦「クイーンフォッシル」にしかぶちこめません艦長!(「フォーフォールドカウンタービーム」って単語が言いたかっただけです)

鏡と自己形成の「キャッチ22」

 このブログは私のとりとめもない思いつきを、日常会話のていでバカスカタイプしちゃているのですが、前回の鏡の話の記事はまとまりがさすがに悪かったので(酔っぱらいがうったみたいだ)、何が言いたかったか整理しようと思います。
 そもそもラカンはけっこう難解なんですよね。そしてそれ以上に私はあまり「鏡」というものを意識していなかったのが良く分かりました。考えてみれば鏡って結構面白いですよね。

 まずラカンの主張のおさらい。
「赤ちゃんが自分の体をうまくコントロールできないのは、自我のイメージが未熟だからである。生後6か月~18か月の時期に赤ちゃんは鏡に映った自分の姿を見て、自分自身の統一したイメージを獲得する(鏡像段階論)。」

 疑問:赤ちゃんは鏡抜きでは自分の統一したイメージが獲得できない?

 私はラカンの言う、人間の発達段階における鏡の重要性を全否定はしていません。ただ、自己のイメージの統一には他の要因も多分にあると思っています。
 たとえば鏡が無くても、自分の腕や体は見えます。楽々視界に入るんで。鏡が無いと見えないのは顔や後頭部や背中なのですが、人間は目しかないわけではないので、触って形状をなぞることもできます。

 また触覚で言うならば、自己の認識には、他人との接触が重要な意味を持っていると思います。これは人間が社会的な動物だからだと思うのですが、たとえば「殴り合いの喧嘩をして人の痛みが解る」というベタな話があります。これはどういうことかと言うと、喧嘩をすれば「攻撃すると自分は痛くないが、攻撃されると自分は痛い」という自己と他者が異なる感覚を持っていることが実感できます。
 これは勿論喧嘩だけでなく、それこそ数え切れない様々な外的刺激のフィードバックによって、「もしかしてオレはあいつとは違うのか・・・?」というイメージを形成していくのです。

 鏡に映る自己像を自分のものと認識できる動物はゾウやチンパンジー、イルカと言った高度な知能を持つ動物だけであるという現在の研究からも、大雑把な推論が可能です。
 鏡がなければ自己が形成されないならば、鏡を見せても鏡の現象が理解できない動物は自己が認識できないということになってしまいますが、鏡が理解できなくとも、自分の痛みと他の個体の痛みが別であることは理解できているでしょうし(ライオンの赤ちゃんは取っ組み合いの喧嘩をすることで、社会性を学んでいる・・・と思う)、実際鏡が無くてもぶっちゃけほとんどの動物の生活にはあまり支障がありません。
 
 つまりラカンの理論は典型的な「キャッチ22(ニワトリが先か卵が先か論争)」で、私は鏡があってそれから自己認識ができるのではなく、高度な自己認識力、すなわちイメージする力を持った動物のみが、単に鏡を理解できているだけなのではないか?と思うのです。
 自然界の鏡、「水鏡」は太古の昔からあったが、それを理解できるほどの知性を持った動物が誕生するのはかなり時間がかかったというわけで。
 チンパンジーは調べたところ、野生の群でもけっこう鏡(水鏡)を活用しているらしいですね。そういや、BSのドキュメントで見たこと忘れてました。恐れ入りました。
 ゾウもサーカスするだけあって何気にインテリですからね。檻破り名人のブタも鏡が解るそうです。

 そう考えると、赤ちゃんが自分の体を上手くコントロールできないのは、自我のイメージ構成が未熟なだけではなく、その原因は主に生理的早産(脳の大きい人間の赤ちゃんは、母親の産道を通過するためにかなり未熟なうちに出産されること)による肉体の発達不足が原因だと考えた方が、やはりつじつまが合います。
 実際、サバンナで産み落とされるヌーの赤ちゃんなどは「鏡を見る前に!」立ちあがって歩きまわりますから。めっちゃ体コントロールしてますからね。ヌーとかトムソンガゼルの赤ちゃん。生後初日でバリバリです。

 結論:高度な知性、および社会性のある人間にとって自己のイメージの統合は重要な発達課題であるが、そのイメージ統合に鏡は高度な影響を与えてはいるものの、その全てではない(自分が他者にどう見られているかという、自意識の問題は鏡だけの話ではないから)。
 ゾウやチンプなどの「イメージを想像することが出来る高度な知能を持った動物」が、鏡の自己像を理解できるが、それは進化した脳の結果としてのいわば“応用”である可能性が高い。

 最後に、他者とのコミュニケーションが苦手な子ども(自閉症の子など)は、鏡に映った自分に戸惑うというYukiko Tさんの指摘について。
 自我の形成と鏡像認知は関わりはあるのですが、鏡像認知は心理テストの結果のようなものだと捉えた方がいいのかもしれません。
 この場合は「鏡像認知→自我形成」というラカンの主張する順序でなく「もともと他者とのコミュニケーションが苦手→鏡像に戸惑う」のだと考えています。
 私の親友のお子さんが自閉なのですが、自閉症はまだまだ分からないことが多いものの「先天的」なものらしく、生まれつき社会的なコミュニケーションをとることが苦手だそうです。
 たとえば鏡が理解できるほどの知能のある動物でも、コミュニケーション下手な個体は、鏡に映った自分の像が自分であると理解できず戸惑うそうです。
 他者との関わり合うことのできるコミュニケーション能力(=想像力!!)がまずもってあって、それによって鏡が解るのではないでしょうか?

鏡像認知について

 TBSから「どうぶつ奇想天外!」が姿を消して落胆していた私ですが、サメオタクのココリコ田中直樹さんと、ウミウシマニア中川翔子さんの深夜番組「飛び出せ!科学くん」がゴールデン昇格。番組監修にあの千石正一さんが関わっていて嬉しい限り。
 中川翔子さんといえば、「どうぶつ奇想天外!」後期でレギュラー回答者となり、アイドル枠では歴代最高の驚異の正答率を誇ったほどの筋金入りの動物オタク。やはりオタクは理系に強いのか??
 第一回目では、この前K氏と盛り上がった世界三大珍獣のひとつ「バビルサ」が登場!私の話よりも映像を見た方がすごいので、この番組見てくれればさらに笑えたと思うんだけど・・・
 いやバビルサにとっては笑い事じゃないですね。女にモテたいがために伸ばした牙が曲がりまがって自分の頭に突き刺さって死んじゃうんですから。ダーウィニズムって酷やわ~・・・
 というわけで今回は動物の素朴な疑問について。

 ジャック・ラカンという精神医学者がいるのですが、この人はフロイトの精神分析を構造主義の観点からとらえ直した構造主義の思想家としても有名です。
 正直私も「そういえば大学の先生がちょっと言ってたな」ってくらいで思い入れはないのですが、この人の理論で人間の現実世界を「想像世界、象徴世界(記号的な抽象概念の世界)、現実界」と分類し、「人間とは自我をイメージすることで、自分を認識している」という話があります。
 つまり自己同一化とは想像、イメージすることによって構築されていくのであり、赤ちゃんは自分をまだ自分と言う一つの存在として統合できないから、体を十分にコントロールできないと述べているのです。

 ここまでは分かるのですが、赤ちゃんは鏡に映る自分の「鏡像」を見て自我を統合していくと言うのがいまいち納得できません。
 哲学の本で「勘弁してよ~」と思うのが、その言葉をその意味どおりでとっていいのか、なにかのメタファーとして使っているのかがはっきりしない場合があることです。良くも悪くも彼らは文系で、その点アナロジーを嫌う理系の人の文章は読みやすかったりします(例えを仮に使ってもけっこう解りやすい)。 
 ラカンの理論を言葉通りに受け取るならば、健全な自我の形成に「(比喩でなく言葉通りの)鏡」が重要な意味を果たしているということですが、じゃあ鏡を仮に見せなかったら、その子はずっと自我が統合できないのでしょうか?

 ここでやっと動物の話になるのですが、私は違うと思うんです。動物が鏡に映った自分を自分だと理解できることを「鏡像の自己像認知」と言うのですが、前評判が高そうなチンパンジーをはじめとしてゾウも鏡像理解が出来ます(確かゾウの実験は「どうぶつ奇想天外!」で見たような)。彼らはもちろん鏡とはなじみのない生活をしています。多分。
 ラカンの話では、赤ちゃんは幼児期に鏡を見て自己を同一化し、体をコントロールできるようになっていくのに、一部の動物はそんなこともせずに自分を理解してしまうのでは辻褄が合いません。まさかゾウが隠れて鏡を見ているわけじゃないし、水鏡で偶然見えたってのも、無理があるよなあ・・・

 確かに人間にとって視覚イメージは重要な意味を持っていますが、それだけで自我が構築されるのではなく、「様々な主体と客体のフィードバック」――感覚や運動の経験の蓄積によって「自己」を獲得していくのではないでしょうか?(赤ちゃんがうまく体を動かせないのは、生理的早産に伴う、肉体的発達が未熟なことが原因なような気が・・・)

“好き”は“面白さ”を補う?

 今日はdescf氏と映画談義。なかなか楽しかったです。そこでの話題が「好きな映画が必ずしも面白いとは限らないし、面白くてもなんか好きになれない映画もあるよね」いうこと。
 その映画の世界観やキャスト、スタッフといった「ブランド」が好きなら、正直あまり面白くなくても、その映画を嫌いにはならないだろうし、イマイチ興味のないテーマの映画なら、いくら話が面白くてもDVDを買って永久保存はしないよね、と。

 私もウィル・スミス主演のSF『アイ・アム・レジェンド』や『アイ・ロボット』などは決してつまらなくはないのだけれども、なんか好きになれなくてDVDを買うほどではない。
 その逆にスピルバーグの『宇宙戦争』はそこまでスカッと楽しめる娯楽作ではないのに、トライポッドマシーンの巨大さや怖さの演出、カメラのフレームの入れ方などが見事でDVDを買ってしまった・・・なんだかんだ言って話より映像の巧さにやられてます。そして何より私はスピルバーグ監督が好きなんです。
 で、“好き”は時に“面白さ”をカバーするのかな?と結論付けました。

 これとよく似た話が「絵」について。巧い絵と好きな絵、もしくはカッコいい絵ってやっぱり違うと思います(重なることもあるけど)。
 例えば『モナリザ』。あの絵は、まあ、確かにうまいっちゃうまいとは思うけど、買って部屋に飾りたくはならないです。大学の先生の部屋にはコピーがあったのですが、やっぱりあれは怖いもの。
 私は所謂「上手い絵」よりも「カッコいい絵」を描いてみたいです。「このティラノサウルスの絵はカッコいい!」みたいな。「上手くてダサい絵」なら断然「下手で粗削りだけどかっこいい絵」の方がいいから。

 それと『ナイトメア・ビフォー・クリスマス』ファンのdescf氏によるとティム・バートン監督は、ああいう暗い雰囲気を必ずやる監督らしいですね。だからファンは志村けんさんの「アイーン」のように、『アリス・イン・ワンダーランド』ももっとブラックな映画を期待していたのか(バートン、後ろ、後ろ・・!)。
 しかもdescf氏もノラネコさんも言うように、あの監督はストーリーテリングで見せる監督では元々なくて、独特の感性で児童文学だろうがゴシックホラーだろうが、どんな映画もバートン色に染め上げる監督・・・それがティム・バートンのようです。ははあ。

映像か脚本か

 「○○ファン」というのは哀しいもので、映画に○○が出ているとなんだかんだ言って見に行っちゃうんですよね。
 私も恐竜ファンなのですが『ジュラシックパークⅢ』は正直イマイチだったんです。でも結局映画館に見に行っているわけで。悔しいよ、あたしゃ。
 『アリス・イン・ワンダーランド』を見に行ったジョニー・デップ、ティム・バートンファンもそんな感じに思っているのではないかと思います。でも観にいっちゃうよね~と。

 そもそも私は映画を見る時に話の構造を分析する癖があって、これがかなり損な見方をしているのではないかと思っています。「もしかしたら私は純粋に映画を楽しめていないのではないか」と。
 『アリス・イン・ワンダーランド』は、そこまでつまらないものでもなかったんじゃないか?なんだかんだ言って私が勝手に期待しすぎただけなのではないか?そんな反省が今私の心を駆け巡っています。
 それに一緒に見に行った人はけっこう満足したらしく、私が「ちょっと話はあんまりだったよね」と言ったら「私は話を追っていない」と。
 私にとってこの発言は衝撃的(「えええ!?」)なんですけど、映画の見方なんて人それぞれだし、映像美で満足する人だっているのは驚くことじゃありません。じゃなければ美術館は絶滅です。

 ただ世間がそれを求めているのか、制作側が求めているのかは知りませんが、現在すさまじい進歩を遂げた「映像」が「脚本」というロジックを脅かしているように思うのです(映画のすべてではもちろん無いですよ)。
 「映像」は言ってしまえば「科学の申し子」。カメラやコンピューターの発展によって、どんどん進化していきます。
 しかし「脚本」は科学でどうにかなるわけではない。それは「空手の型」のようなもので作者の地道な修行によってのみ、質の高いお話は作られるのだと思います。

 そんな問題に対して脚本を上手い具合にマニュアル化したのが、ハリウッド映画だと思うのですが、それでもみんなが楽しめるお話と言うのは突出した個性を摘み取ってしまうことになるので(冒険が出来ないから。特に製作費が莫大だと)「そこそこ楽しい話」になってしまう。でも安心して見れるのはいいんですけど。

 クリエイタ―と言うのはそう考えると、とても大きなジレンマで苦しんでいるんでしょうね。良くも悪くもプロなので、なるべく多くの観客を呼び込むことが最優先。
 その為には面白い話を描くのはもちろんですが、宣伝も大きな要因の一つとなります。「宣伝が過剰なのは内容のつまらなさを補う為だ」と痛快なことを言う人もいますが、確かにいいものを作っているだけじゃ売れないってのはありますよね。
 まずはその作品を知ってもらわなければ、見ても貰えないわけで「面白い、つまらない」もないから。

 ただ理屈っぽい私としては、映像の進歩に目が行きがちな今こそ脚本を応援したいのです。絵が下手でも話に引き込まれる漫画はありますが、私にとってその逆はないと思っていますから。
 頑張れ脚本!私ももっと独創的で面白い話が考えられるように頑張ります!
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