「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」
アナのためなら溶けていいよ。
とうとう大学のレポートが30単位分全て出来て、それを全て用紙になぞったので、自分へのご褒美としてレッツ映画。
や~、もう手書きでなぞるっていうのが反進歩的で辛かったけど(写経か)、意外と用紙に写す段階でワードの誤変換がいろいろ見つかって、そう言う意味ではコンピュータ至上主義を見直すいいきっかけにはなった・・・のかも・・・(ってやっぱり二度とやりたくないけど(^_^;)
さて、そんな感じで部屋に引きこもって大学のことを全部やっちゃってたんですが、この映画もなんてことでしょう、引きこもりの話!
・・・ってちょっと待てよ、前回の『塔の上のラプンツェル』も引きこもりの話だったから、2作続けてのまさかの引きこもり問題!!あっちでも社会問題化しているのだろうか。
前回は、別にひきこもりたくて引きこもっていたわけじゃないんだけど、今回のは、もう、正統派の引きこもりで、ネットでくすぶり続けるオレたちに、シンプルながら大事なことを教えてくれたような内容でした。
面白いのはさ、引きこもりライフをなんだかんだで楽しんでいたのが、引きこもりを強制されたラプンツェルで、引きこもっても全然楽しそうじゃないのが、雪山に進んで引きこもりだしたエルザだってことだよね。
意外と、「働かないで毎日暮らせるぞ!ラッキ~♪」みたいな感じで、ゆる~く引きこもりライフをエンジョイしている人って少ないんだよな。日本には働かざる者食うべからずという格言もあるし、後ろめたさもあるんだろうけど、なんかもっと割り切って欲しいよね。
引きこもってて楽しくないなら、やめちゃえばいいじゃんってところなんだけど、そう言う意味でエルザも自分で引きこもりの道を主体的に選んだというよりは、もう選択の余地がなく選ばされちゃったってことになるのだろう。誰も好き好んで引きこもってないよっていう。
一人が好きな人なんかいない。あなた以外にはね。
で、必死に親や学校や現代の社会や国家や世界を呪っているんだけど、まあ確かに自分の不幸の原因って探し出せばいくらでも自分以外に見つけられるけれど、これってキリがないし処方箋に足りえないわけであってね。自分の問題の答えを自分以外のものに求めても、それは自分探しにならないよっていうことなんだろう。
もちろん自分の境遇を冷静に見つめるのは不愉快で恐ろしいし、すっごい傷つくのはわかるけれど、自分に向き合うことを避け続けて、少しずつ追い込まれていくよりは、一回自分以外のものに責任転嫁するのをやめてみたほうがいい。
でもさ、逆に考えればさ、すっごい他人や周囲のことに興味を持っているってことなんだよね。私全然興味ないもん(^_^;)もう、自分を曲げてまで繋がりを持とうとは思ってないし。
自意識過剰なのは私も一緒で、そこらへんは分かるんだけど、なんでそこまで他の人(世論)を気にするんだろうって。
ありのままの姿見せるのよ。ありのままの自分になるの。
結局みんな実はすっごい寂しがりやなんだよね。寂しがり屋だからみんなとつながりたい。でも不器用でみんなとうまく関われなくて、みんなの心無い言動に傷つけられて、で引きこもって・・・でもやっぱりさみしくて・・・の無限ループ。いつまで中学生日記やってるんだって話なんだけど、そういうことなんだろう。
エルザの触れるものを全て凍てつかせる魔法に関しては、作中まったく合理的な説明がなかったんだけど(一体なんだったんだろうw)あれはもう彼女の心のメタファー以外の何でもないんだよね。感情のコントロールができないから、人を傷つけてしまい、それ以上に自分自身を傷つけてしまい、そんな自分を受け入れられなくて・・・悲しくて、辛くて、怖くて、イライラして・・・
それでも自分を心配してくれる妹の優しさも素直に受け入れられなくて・・・だって、そうやって、ありのままに生きていける妹の境遇が羨ましくてしょうがないし、挙げ句の果てにあっさり「あたしイケメンと婚約しま~す♡」とぬかしやがって、てめえはリア充だから、そうやって人を信じ、愛せるんだろうけど、私の境遇だったらそんな甘ったるいことができるのかよ~~~!
うお、エルザが乗り移ってしまった(^_^;)全国の引きこもり諸君、ここまでいくと黄色信号だぞ。
彼女の凍りついた心を溶かすのは、綺麗事の、口先だけの愛じゃない。一方的な自己満足的な愛(エウノイア)じゃない。
悔しいけど、あのミラクルさんみたいな雪だるまが言う通りなんだ。
愛は自分よりもほかの人を大切に思う気持ちだよ。
それは、お姫様と王子様のキスではない。大切なその人のすべてを許し、すべてを受け入れてあげることなのだ。あそこまでの人間不信、猜疑心の塊の彼女には対処法はそれしかない。今までのアニメでは、こういうエルザみたいなキャラは悪役として王子あたりに成敗されてたんだろうけど(^_^;)時代は変わったもんだ(つーか王子が成敗されてたw)。
今までやってきたことをあっさり相対化できるのもディズニープリンセスシリーズの凄さだよね。フィリア(真実の愛)にはどんな形だってある。今回は姉妹の愛を描いたわけだ。
たったひとり。たったひとりでも、自分を愛してくれる人がいたなら、その人は自分を愛することができるし、誰かを愛することができる。
それでも夜は明ける
2014-03-14 19:08:48 (10 years ago)
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カテゴリタグ:
- 映画
「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」
罰が下るだと?自分の“所有物”で遊んでいるだけだ。
アカデミー作品賞の話題作!・・・なのに地元で見事にスルーだったので東京まで行って観てきました。お金がなくなりました(><)
ま~最初から最後まで、ひょんなことから奴隷にされちゃった自由人ソロモン・ノーサップさんの一人称視点で、なかなか味わえない奴隷体験ができます。あの長時間の首吊りのシーンは、もう、偏執的でトラウマ必至・・・!
映画の構造はそう言う意味で『ゼロ・グラビティ』(一人称視点をラストまで徹底)に近いんだろうけど、私は見終わったあと『キャプテン・フィリップス』を観たときの疲れを感じました。や~っと助かった~って(^_^;)まあ、『キャプテン・フィリップス』は後半は多少視点が移動するんですけど。
しかし『42』といい『大統領の執事の涙』といい、ここんところ黒人差別を題材にした映画を割と観ている気がするんですが、なんだろ、今流行っているのかな。
それとも前にも言ったけど、アメリカではこういう映画をヴァンパイアやゾンビ映画みたいにコンスタントに撮っていて(同列に語ってしまってすまない)ここんところいい映画が豊作なのだろうか。
もっと穿った見方をするならば、今アメリカで再び差別が社会問題になっているとか?いや、逆に黒人差別はほとんどなくなったからこそ、こういう映画を冷静に作れるようになった??う~んどうなんだろう。
少なくとも、わが国ではそれでも夜は暮れているよね。
『シンドラーのリスト』や『アミスタッド』など、人種差別を扱った映画はこれまでにも、たくさん記事を書いたんだけど、今回印象に残ったのは、『スター・トレック』のカーンで艦隊を恐怖のズンドコに陥れたベネディクト・カンバーバッチさん。
この人がまたいいんですよ。なにがいいって優しい奴隷主なのw
優しかったら奴隷買わねえだろって感じなんだけど、まさにそこが当時の人を相対化できてうまいキャラクター。
つまり、カンバーバッチの次の極悪奴隷主のファスベンダーも、奴隷から自由人になれたぜっていう黒人貴婦人もそうなんだけど、この人たちの共通点は南部の奴隷制を容認、適応しちゃっているってことなんだよね。
これって今から考えれば同罪で、『ジャンゴ』の世界だったらタランティーノに全員ぶっ殺されている気がするんだけど、カンバーバッジさんがインタビューで素晴らしいことを言っていて、当時の人を現代の価値観で断罪するのは簡単なんだ、と。
結局奴隷制がなくなった決定的理由は、奴隷制をやっていない北部の方が経済的に合理的だったって事で、それで南北戦争にも負けちゃった。社会主義も同じような感じで自由経済に負けたけど、みんなに自由を与えた方が結果的に社会は合理化するという自己組織化に気づいたんだよね。
だから経済問題として考えると、あの映画の時代――『大統領の執事の涙』の大体100年前の時代――は、まだ奴隷労働に経済学的な合理性がある・・・と思っていた時代だったんだ。いや、もうちょい厳密に言うと、実際に合理性があったかどうかが分からなかった。
例えばタイムマシンであの世界に行って「旦那、旦那。奴隷制をやめたほうが儲かりますぜ」なんておせっかいに言いに行っても、寛大なカンバーバッチさんもおそらく苦笑いで首をかしげるだろうし、ファスベンダーだったら「うるせえこっち来い」って鞭打ち百回だよ。
なんでかって言うと、「奴隷制」なんていう、南部全域の信仰と結びついちゃっているバカでかい制度は、たとえ何人かに「間違ってるよ」なんて吹聴してもどうにもならないんだよね。
じゃあ大統領に言えばいいのかって言えば、政治家だって世論のカセがあるからね。有権者が「奴隷制なんていうのは必要悪なんじゃないの?」とか思っていたら、大統領でも絶対難しい。まあ『リンカーン』観てよw
ラディカルな意見っていうのは既得権益を守りたい支配階級どころか、理解力や想像力が弱い民衆にも理解されないわけで、だったら通るわけねえよっていう。
頭の中の理屈だけでいくら正しいと確証を得ても、それをリアルに浸透させるっていうのは運とタイミングが物を言うわけだ。
その不条理さに時代に恵まれなかった知識人は絶望する。だってそういう人にとってみれば、みんなが愚かでしか見えないし、それに対して何ら有効な手を打てない自分の無力感にも嫌になるだろう。そしてこういう人は、当たり前だが少数派だ。下手すりゃ数の暴力で圧殺されちまう。
多分カンバーバッジも、ファスベンダーも、最後に出てきたさすらいのブラピ(こいつ一度ひょうひょうと主人公を裏切るのがおもろいw)も、奴隷制の異常さ自体には気づいてはいるんだよね。
気づいているけど、どうにもならないって手を打たない。打ったところで今の時代じゃ絶対に変わらないって事を知っているから。
それを現代の私たちは糾弾できるのか?日本の労働環境は割とシビアで「SUSHI」みたいなノリで「KAROUSHI」なんて言葉が世界に逆輸入されているらしい。
だいたい労働基準法に週40時間までの労働とかはっきり書いてあるのに、みんな絶対守ってないじゃん。雇用の流動化かなんか知らないけど、時給700円前後のバイトを週40時間やって食っていけると思っているのだろうか。
みんなが法律を堂々と破っているこの異常な状況に、私たちは誰も声を上げない。上げたところで絶対変わらないと思っているから。
他にも学校のいじめだってそうだろう。現場経験のない教育学者がさも得意げに「あんなもんは学級制を廃止したらすぐなくなる」とか言っているけれど、問題の質はこの議論と全く一緒だ。
したがって現在だって、未来の人が見たら「なんでこんな非人道的な社会をこいつらは容認し続けたんだろう?21世紀の人間ってバカじゃね?ワロスワロス」とか言われるわけだ。
他の時代や他の国の人を批判するのは簡単だ。だが、いざ自分自身の置かれている状況も同じように批判できるのだろうか。私はできない。だから他の時代や他の国の人の境遇に、できるだけ共感をするようにしたい。
幸せというのは、自分の身に降りかかる不幸をどう受け入れられるかによって大きく変わるのかもしれない。
一度も不幸に遭遇しない人なんて皆無だ。不幸はかわせないし、人に代わりに押し付けることはできない。その究極的なものをハイデッガーは自分の死だとしたわけだ。死や不幸は他人事じゃない。つーか他人事にできない。
ネットは幸せ者が不幸な人をさらに不幸にするだって?それは物事を一面的にしか見てないよ。
幸せ者(リア充)が永久不変に幸せだと思っているのだろうか。
罰が下るだと?自分の“所有物”で遊んでいるだけだ。
アカデミー作品賞の話題作!・・・なのに地元で見事にスルーだったので東京まで行って観てきました。お金がなくなりました(><)
ま~最初から最後まで、ひょんなことから奴隷にされちゃった自由人ソロモン・ノーサップさんの一人称視点で、なかなか味わえない奴隷体験ができます。あの長時間の首吊りのシーンは、もう、偏執的でトラウマ必至・・・!
映画の構造はそう言う意味で『ゼロ・グラビティ』(一人称視点をラストまで徹底)に近いんだろうけど、私は見終わったあと『キャプテン・フィリップス』を観たときの疲れを感じました。や~っと助かった~って(^_^;)まあ、『キャプテン・フィリップス』は後半は多少視点が移動するんですけど。
しかし『42』といい『大統領の執事の涙』といい、ここんところ黒人差別を題材にした映画を割と観ている気がするんですが、なんだろ、今流行っているのかな。
それとも前にも言ったけど、アメリカではこういう映画をヴァンパイアやゾンビ映画みたいにコンスタントに撮っていて(同列に語ってしまってすまない)ここんところいい映画が豊作なのだろうか。
もっと穿った見方をするならば、今アメリカで再び差別が社会問題になっているとか?いや、逆に黒人差別はほとんどなくなったからこそ、こういう映画を冷静に作れるようになった??う~んどうなんだろう。
少なくとも、わが国ではそれでも夜は暮れているよね。
『シンドラーのリスト』や『アミスタッド』など、人種差別を扱った映画はこれまでにも、たくさん記事を書いたんだけど、今回印象に残ったのは、『スター・トレック』のカーンで艦隊を恐怖のズンドコに陥れたベネディクト・カンバーバッチさん。
この人がまたいいんですよ。なにがいいって優しい奴隷主なのw
優しかったら奴隷買わねえだろって感じなんだけど、まさにそこが当時の人を相対化できてうまいキャラクター。
つまり、カンバーバッチの次の極悪奴隷主のファスベンダーも、奴隷から自由人になれたぜっていう黒人貴婦人もそうなんだけど、この人たちの共通点は南部の奴隷制を容認、適応しちゃっているってことなんだよね。
これって今から考えれば同罪で、『ジャンゴ』の世界だったらタランティーノに全員ぶっ殺されている気がするんだけど、カンバーバッジさんがインタビューで素晴らしいことを言っていて、当時の人を現代の価値観で断罪するのは簡単なんだ、と。
結局奴隷制がなくなった決定的理由は、奴隷制をやっていない北部の方が経済的に合理的だったって事で、それで南北戦争にも負けちゃった。社会主義も同じような感じで自由経済に負けたけど、みんなに自由を与えた方が結果的に社会は合理化するという自己組織化に気づいたんだよね。
だから経済問題として考えると、あの映画の時代――『大統領の執事の涙』の大体100年前の時代――は、まだ奴隷労働に経済学的な合理性がある・・・と思っていた時代だったんだ。いや、もうちょい厳密に言うと、実際に合理性があったかどうかが分からなかった。
例えばタイムマシンであの世界に行って「旦那、旦那。奴隷制をやめたほうが儲かりますぜ」なんておせっかいに言いに行っても、寛大なカンバーバッチさんもおそらく苦笑いで首をかしげるだろうし、ファスベンダーだったら「うるせえこっち来い」って鞭打ち百回だよ。
なんでかって言うと、「奴隷制」なんていう、南部全域の信仰と結びついちゃっているバカでかい制度は、たとえ何人かに「間違ってるよ」なんて吹聴してもどうにもならないんだよね。
じゃあ大統領に言えばいいのかって言えば、政治家だって世論のカセがあるからね。有権者が「奴隷制なんていうのは必要悪なんじゃないの?」とか思っていたら、大統領でも絶対難しい。まあ『リンカーン』観てよw
ラディカルな意見っていうのは既得権益を守りたい支配階級どころか、理解力や想像力が弱い民衆にも理解されないわけで、だったら通るわけねえよっていう。
頭の中の理屈だけでいくら正しいと確証を得ても、それをリアルに浸透させるっていうのは運とタイミングが物を言うわけだ。
その不条理さに時代に恵まれなかった知識人は絶望する。だってそういう人にとってみれば、みんなが愚かでしか見えないし、それに対して何ら有効な手を打てない自分の無力感にも嫌になるだろう。そしてこういう人は、当たり前だが少数派だ。下手すりゃ数の暴力で圧殺されちまう。
多分カンバーバッジも、ファスベンダーも、最後に出てきたさすらいのブラピ(こいつ一度ひょうひょうと主人公を裏切るのがおもろいw)も、奴隷制の異常さ自体には気づいてはいるんだよね。
気づいているけど、どうにもならないって手を打たない。打ったところで今の時代じゃ絶対に変わらないって事を知っているから。
それを現代の私たちは糾弾できるのか?日本の労働環境は割とシビアで「SUSHI」みたいなノリで「KAROUSHI」なんて言葉が世界に逆輸入されているらしい。
だいたい労働基準法に週40時間までの労働とかはっきり書いてあるのに、みんな絶対守ってないじゃん。雇用の流動化かなんか知らないけど、時給700円前後のバイトを週40時間やって食っていけると思っているのだろうか。
みんなが法律を堂々と破っているこの異常な状況に、私たちは誰も声を上げない。上げたところで絶対変わらないと思っているから。
他にも学校のいじめだってそうだろう。現場経験のない教育学者がさも得意げに「あんなもんは学級制を廃止したらすぐなくなる」とか言っているけれど、問題の質はこの議論と全く一緒だ。
したがって現在だって、未来の人が見たら「なんでこんな非人道的な社会をこいつらは容認し続けたんだろう?21世紀の人間ってバカじゃね?ワロスワロス」とか言われるわけだ。
他の時代や他の国の人を批判するのは簡単だ。だが、いざ自分自身の置かれている状況も同じように批判できるのだろうか。私はできない。だから他の時代や他の国の人の境遇に、できるだけ共感をするようにしたい。
幸せというのは、自分の身に降りかかる不幸をどう受け入れられるかによって大きく変わるのかもしれない。
一度も不幸に遭遇しない人なんて皆無だ。不幸はかわせないし、人に代わりに押し付けることはできない。その究極的なものをハイデッガーは自分の死だとしたわけだ。死や不幸は他人事じゃない。つーか他人事にできない。
ネットは幸せ者が不幸な人をさらに不幸にするだって?それは物事を一面的にしか見てないよ。
幸せ者(リア充)が永久不変に幸せだと思っているのだろうか。
長いモラトリアムの終わり
2014-03-04 22:49:51 (10 years ago)
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カテゴリタグ:
- 雑記
3月5日は『怪盗グルーのミニオン危機一発』のDVD発売日!そして私の30回目の誕生日でもあるのです。や~ここ数年「もう20代も終わりか~」とか言ってきたけど、今日でとうとうほんとに20代終了!ガビーン。現実にいざやってくると地味にくるな(^_^;)
具体的になにによってショック受けているかはわからないんだけど、ひとつは「長いモラトリアム期間が終わっちゃったな」という実感だろうか。そう言うと、お前いつまでモラトリアムやってるつもりだったんだよって突っ込まれちゃいそうだけど、こんな複雑化した世の中でバランスよく精神的自立を図っていくのって、かなり時間を割かなきゃ難しくないかっていうのが私の言い訳ね。
もちろん、そういった言い訳が通用するような恵まれた環境だったっていうのはあって、だから、20代は勢い任せに色々チャレンジして楽しんだ10代とは違って、くすぶり続けて終わったような印象はあったものの、やっぱ幸せな10年間だったんだろうな。
あとね、振り返るとやっぱり20代はあっという間じゃなかったよwちゃんと10年分あったよw10年分の長さだった(バカっぽい表現)。もう20代終わりか~ってしみじみ考えだしてから、けっこうあったからねw時間的にwあれ?まだ20代かって。
で、とにもかくにもモラトリアムは終わったのです。それはどういうことかというと20代って言うとまだ若造扱いされるじゃん。でも30代の人を見て世間の人はもう「子ども」だとは絶対思わないわけで。だれがどう見ても30歳は「大人」なわけで。大人として見られる以上は大人として振舞わないとねって。
あと10代の終わり、大学に入りたての頃、私はすっごい尖っていて、その当時の30代の子どもっぽさをすごい批判してたわけです。
もちろんすべての30代がそうだとは思わなかったけれど、ポスト団塊ジュニアはロストジェネレーションって言われているくらいで、その、貧乏くじひいちゃった世代だというのはわかるけど、後発世代としては「この人たち大人なのになんでこんなみっともないんだ?」ってイライラしていた。
30代の「自分さえ良ければ主義」「屁理屈ポストモダン」「自分の境遇を人のせい時代のせいにする責任転嫁」・・・こういう部分が私はすっごいイヤで、こういう大人にだけはならないようにしようと思っていた。
だいたい、30代が団塊の世代をなんと批判しようと、下の世代からしてみれば「大人同士のみっともない争い」にしか見えないの。「大人が悪いんだ!」って言う大人ほどカッコ悪いものはないんだよ。
そういう部分を子どもや若者世代に見せる教育的影響って、意識するしないに関わらず大きいからね。大人はどんな人であれ、子どもたちの規範、ロールモデルとして見られちゃうわけ。
で、いよいよ批判する側から下の世代に批判される側になったなって。20代はそう言う意味で、そんな30代にならないようにいろいろもがいた期間だったようにも思える。
口では何とでも言えるからね。例えばセクハラやパワハラを批判するなら、現実に実際そういうことをしている大人にちゃんと勇気を出して、リスク覚悟で言えるのかという。
そういう理屈と行動をなんとか一致させるように、その落としどころを20代は必死に探していたように思える。
自分で言うのもなんだけど、私って想像力だけは人よりも少しはあると思っていて「いくら正しいとは言え、ここまで言っていいのかな、じゃあもし自分が現実でこういう状況になったら、本当に自分はできるのかな?・・・できないな、じゃあ言うのやめよう」みたいな打算じゃないけど、内言を一度してから発言しているようにしているんだ。
そのプロセスを経てもなお、絶対にこれは人として見過ごしちゃいけない、考えなきゃいけないっていうのだけ発言しているわけで、それでもやっぱり、頭で考えるのと実際に行動するのでは大違いってことなんだ。
だから、映画にしろ漫画にしろ、20代は特に自分の現実的な行動規範になりうるような作品に惹かれていた。よく正義の味方が超人的な力で悪党どもをぶっ殺すのあるけれど、まあ、そういうの小さい頃から嫌いだったけど、あんなこと現実ではできないからね。やったら連続猟奇殺人犯だしねw
やなせたかしさんが言うように、正義をなすということは絶対に自分が傷つくということなんだよね。そういった覚悟をどこまで自分がしているのだろうかっていうことだよね。
そう言う意味で20代のしょっぱなで難病になったっていうのはよかったのかもしれない。人の苦しみがよりわかるようになった・・・気がするw
ぶっちゃけ生きているだけで幸せだからね。ロシアのジャーナリストじゃあるまいし、この平和な世の中、正しいことをして殺されちゃうってことはそうそうない。
せいぜい、仕事を失うくらいなもので、もう仕事を首になるくらい私が倫理規範を逸脱したなら、それはちゃんと責任を取って反省するべきだし、解雇した側があまりに不条理ならば頭脳を使って言論で戦っていけばいい。
それに、遅かれ早かれ人は死ぬんだ。どうせ死ぬなら、少しは人や社会のために生きて死にたいもんね。自分のためにしか生きれない人ほど不幸なものはないと思う。
でも私、すごいエゴイストだけどね。自分の自由のために他人や社会のこと考えているところあるし。それは別に悪いことじゃないと思うんだよ。
人はほかの人の集団からは死ぬまで逃れられないからね。同じ船に乗っちゃってるからね。そう言う意味じゃ今現在、社会の先生の勉強をしているっていうのも、なんか必然なのかもね。
みんなさ、自由主義とエゴイズムを極めてないよ。自分勝手に生きるならそれをとことん突き詰めてみろって、コミュタリアンになるからw
自分の利益を最大化するためにも社会をよくしなきゃいけないの。
とにもかくにも、あと1時間で30歳!30代は何があるのかな。どういうことを考え、どういう成長をするのだろうか。というか途中で死んじゃわないようにだけはしないとな。
なんか最近、生徒とかにも言われるんだよ。早死しそうってw冗談じゃないよね。オレなんかが死んだらそれこそ世界の損失だよ。自分で言うなって?誕生日くらいいいじゃんw
具体的になにによってショック受けているかはわからないんだけど、ひとつは「長いモラトリアム期間が終わっちゃったな」という実感だろうか。そう言うと、お前いつまでモラトリアムやってるつもりだったんだよって突っ込まれちゃいそうだけど、こんな複雑化した世の中でバランスよく精神的自立を図っていくのって、かなり時間を割かなきゃ難しくないかっていうのが私の言い訳ね。
もちろん、そういった言い訳が通用するような恵まれた環境だったっていうのはあって、だから、20代は勢い任せに色々チャレンジして楽しんだ10代とは違って、くすぶり続けて終わったような印象はあったものの、やっぱ幸せな10年間だったんだろうな。
あとね、振り返るとやっぱり20代はあっという間じゃなかったよwちゃんと10年分あったよw10年分の長さだった(バカっぽい表現)。もう20代終わりか~ってしみじみ考えだしてから、けっこうあったからねw時間的にwあれ?まだ20代かって。
で、とにもかくにもモラトリアムは終わったのです。それはどういうことかというと20代って言うとまだ若造扱いされるじゃん。でも30代の人を見て世間の人はもう「子ども」だとは絶対思わないわけで。だれがどう見ても30歳は「大人」なわけで。大人として見られる以上は大人として振舞わないとねって。
あと10代の終わり、大学に入りたての頃、私はすっごい尖っていて、その当時の30代の子どもっぽさをすごい批判してたわけです。
もちろんすべての30代がそうだとは思わなかったけれど、ポスト団塊ジュニアはロストジェネレーションって言われているくらいで、その、貧乏くじひいちゃった世代だというのはわかるけど、後発世代としては「この人たち大人なのになんでこんなみっともないんだ?」ってイライラしていた。
30代の「自分さえ良ければ主義」「屁理屈ポストモダン」「自分の境遇を人のせい時代のせいにする責任転嫁」・・・こういう部分が私はすっごいイヤで、こういう大人にだけはならないようにしようと思っていた。
だいたい、30代が団塊の世代をなんと批判しようと、下の世代からしてみれば「大人同士のみっともない争い」にしか見えないの。「大人が悪いんだ!」って言う大人ほどカッコ悪いものはないんだよ。
そういう部分を子どもや若者世代に見せる教育的影響って、意識するしないに関わらず大きいからね。大人はどんな人であれ、子どもたちの規範、ロールモデルとして見られちゃうわけ。
で、いよいよ批判する側から下の世代に批判される側になったなって。20代はそう言う意味で、そんな30代にならないようにいろいろもがいた期間だったようにも思える。
口では何とでも言えるからね。例えばセクハラやパワハラを批判するなら、現実に実際そういうことをしている大人にちゃんと勇気を出して、リスク覚悟で言えるのかという。
そういう理屈と行動をなんとか一致させるように、その落としどころを20代は必死に探していたように思える。
自分で言うのもなんだけど、私って想像力だけは人よりも少しはあると思っていて「いくら正しいとは言え、ここまで言っていいのかな、じゃあもし自分が現実でこういう状況になったら、本当に自分はできるのかな?・・・できないな、じゃあ言うのやめよう」みたいな打算じゃないけど、内言を一度してから発言しているようにしているんだ。
そのプロセスを経てもなお、絶対にこれは人として見過ごしちゃいけない、考えなきゃいけないっていうのだけ発言しているわけで、それでもやっぱり、頭で考えるのと実際に行動するのでは大違いってことなんだ。
だから、映画にしろ漫画にしろ、20代は特に自分の現実的な行動規範になりうるような作品に惹かれていた。よく正義の味方が超人的な力で悪党どもをぶっ殺すのあるけれど、まあ、そういうの小さい頃から嫌いだったけど、あんなこと現実ではできないからね。やったら連続猟奇殺人犯だしねw
やなせたかしさんが言うように、正義をなすということは絶対に自分が傷つくということなんだよね。そういった覚悟をどこまで自分がしているのだろうかっていうことだよね。
そう言う意味で20代のしょっぱなで難病になったっていうのはよかったのかもしれない。人の苦しみがよりわかるようになった・・・気がするw
ぶっちゃけ生きているだけで幸せだからね。ロシアのジャーナリストじゃあるまいし、この平和な世の中、正しいことをして殺されちゃうってことはそうそうない。
せいぜい、仕事を失うくらいなもので、もう仕事を首になるくらい私が倫理規範を逸脱したなら、それはちゃんと責任を取って反省するべきだし、解雇した側があまりに不条理ならば頭脳を使って言論で戦っていけばいい。
それに、遅かれ早かれ人は死ぬんだ。どうせ死ぬなら、少しは人や社会のために生きて死にたいもんね。自分のためにしか生きれない人ほど不幸なものはないと思う。
でも私、すごいエゴイストだけどね。自分の自由のために他人や社会のこと考えているところあるし。それは別に悪いことじゃないと思うんだよ。
人はほかの人の集団からは死ぬまで逃れられないからね。同じ船に乗っちゃってるからね。そう言う意味じゃ今現在、社会の先生の勉強をしているっていうのも、なんか必然なのかもね。
みんなさ、自由主義とエゴイズムを極めてないよ。自分勝手に生きるならそれをとことん突き詰めてみろって、コミュタリアンになるからw
自分の利益を最大化するためにも社会をよくしなきゃいけないの。
とにもかくにも、あと1時間で30歳!30代は何があるのかな。どういうことを考え、どういう成長をするのだろうか。というか途中で死んじゃわないようにだけはしないとな。
なんか最近、生徒とかにも言われるんだよ。早死しそうってw冗談じゃないよね。オレなんかが死んだらそれこそ世界の損失だよ。自分で言うなって?誕生日くらいいいじゃんw
大統領の執事の涙
2014-02-22 23:32:59 (10 years ago)
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カテゴリタグ:
- 映画
「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」
お前の持つすべてはその執事が与えたの。
や~っと観れた!こんなに公開日が楽しみだった映画は『ミニオン危機一発』以来だったんですが、ここんところの前代未聞の大雪でおあずけ食らってて、このままズルズル引き伸ばすと上映終了しちゃいそうだったので、ちょっと遠い初めて行く映画館までドライブして見ました。
で案の定、道がよくわからずギリギリアウトで、着いたらセシルのお父さん死んでた(^_^;)なんでもご主人様に奥さんレイプされて、その抗議に行ったら射殺されちゃったらしい。
つまり主人公セシルのその後の生き方にすごい影響を与えるトラウマ的経験だったわけで、そこを逃したのは痛かったかな。まあ、でもおそらくDVD買いそうな気がするからよし。
アイゼンハワー~オバマさんまで歴代閣下全員集合かと思ったら、実はそうではなかった。でもアメリカの歴史としてはなかなかいい教材にはなると思う。
ジョンソンとレーガン(※似てる)はどっちもポピュリズム政治家として有名だけど、この二人が一番キャラが立っていたというか、人間くさく葛藤してた(^_^;)
つまり大衆人気で大統領になっちゃったタイプの方が、グラウンドデザインを描けなかったり、大衆に迎合する癖がぬけずに強いリーダーシップが発揮できないってことなのかなあ。
でもジョンソン大統領は、黒人問題に対してアファーマティブアクションを起こした人だよね。機会の平等じゃなくて結果の平等を保障しなきゃダメだって。
また、元軍人で悲惨な戦場を実際に経験したアイゼンハワー大統領が軍産複合体を批判し続けたっていうのは教訓にしたほうがいいかもしれない。ちなみにロビン・ウィリアムズさんがやってます。油絵描いてます。
さて、今日の昼間も考えたことだけど「弱者」とは一体なんなんだろう。社会を変えようと戦った、彼ら黒人は弱者だったのか。
私『スイミー』の見過ぎで、ずっと弱者=多数派、強者=少数派で、弱者が団結して数の力で強大な敵をやっつけるという市民革命モデルがインプリンティングされてたんだけど、最近はどうもそうじゃないぞって思ってるんだ。
あの映画の黒人は不当に抑圧されただけで決して弱者じゃないぞ。強者だぞって。勇気がなきゃ公民権運動なんてやれないぞって。
これは社会学でも度々議論されることで、つまりキング牧師や確執があった息子のルイスくんみたいに、自分たちの未来のために自分は死んじゃってもいいっていう行動は、果たして合理的戦略と言えるのだろうかっていうやつで。で、そこまで覚悟決めて行動ができる人は、やっぱり弱者・・・ではないよなあって。
逆に、恐怖に支配されちゃっているかわいそうな弱者は、KKKとか南部のレイシストとかなんだよね。誰よりも繊細で傷つきやすく弱いから、そのフラストレーションを攻撃性に転化させる。
これは恐ろしいことで、ミルグラムっていう学者がイェール大学で行った実験によると、人は誰でも周囲の環境によって簡単にサディストに転向しちゃうらしいんだ。
被験者集団の誰か一人に先生役をやらせて、生徒役の人たちに電流を流すスイッチを渡す。で、生徒役の人が問題に間違うとバツゲームとして先生から電流を流されるというブラック金八先生ごっこ的なロールプレイをやらせると、どんなにリベラルで「暴力反対!」とか言っている人でもブラック金八をやったら、最終的に『ぷっ』すまの草彅くんみたいに嬉々としてみんなに電流流しているらしいんだ。(※ただ草彅くんは自分にも電気を流す。謎。)
その人の信条や政治文化よりも、その場の環境の影響力が想像以上に強いわけだ。だからこそそういう状況に陥らないように、意志の弱い私たちは社会のことを考えないといけない。
闇は闇を追い払えない。
そしてそのためには、クリエイターはこういう作品を作り続けて、みんなに啓蒙し続けなきゃいけないんだよね。
日本の漫画やアニメといった大衆文化も素晴らしいと思うけど、エロとかグロとかあまりに煽情的な作品ばかりで、こういう人間の恐ろしい部分をメタ認識させてブレーキをかけるような作品がもっとあってもいいと思うんだよな。
こればっかりは市場の原理とは相容れないところだよ。なんでも売上で還元できるなら、なんでネオリべのやり方で、こんなにみんなが不安でウジウジしているかの説明がつかないし。
つまり、深刻な人種差別があったアメリカだからこそ、去年の『42~世界を変えた男~』といいコンスタントに黒人差別を題材にした映画を作り続けているんだろう。
こういうレイシズムを取り上げたお話が、日本ではなんとなく自主規制になりそうなのが表現者の端くれとして心苦しい。
在日朝鮮や韓国の人が日本人にいじめられて、でも最終的にそう言う人が日本で総理大臣になったよ、めでたしめでたしみたいな作品を作ったら「非国民」とか言われて社会的に抹殺されそうなのが今の日本。
とどのつまり、弱者の弱者たる所以は団結できないこと(=自分と同じ境遇の人に手を差し伸べる余裕すらないこと)なんじゃないかって、この映画でつくづく思った次第であります。
そして、そこまで追い込まれちゃった人って、実は社会の多数派ではないような気もしている。
ここは私がリアルスイミーを描くしかないのだろうか・・・
セシル二つの顔を持て。本当の顔と白人に見せる顔だ。
お前の持つすべてはその執事が与えたの。
や~っと観れた!こんなに公開日が楽しみだった映画は『ミニオン危機一発』以来だったんですが、ここんところの前代未聞の大雪でおあずけ食らってて、このままズルズル引き伸ばすと上映終了しちゃいそうだったので、ちょっと遠い初めて行く映画館までドライブして見ました。
で案の定、道がよくわからずギリギリアウトで、着いたらセシルのお父さん死んでた(^_^;)なんでもご主人様に奥さんレイプされて、その抗議に行ったら射殺されちゃったらしい。
つまり主人公セシルのその後の生き方にすごい影響を与えるトラウマ的経験だったわけで、そこを逃したのは痛かったかな。まあ、でもおそらくDVD買いそうな気がするからよし。
アイゼンハワー~オバマさんまで歴代閣下全員集合かと思ったら、実はそうではなかった。でもアメリカの歴史としてはなかなかいい教材にはなると思う。
ジョンソンとレーガン(※似てる)はどっちもポピュリズム政治家として有名だけど、この二人が一番キャラが立っていたというか、人間くさく葛藤してた(^_^;)
つまり大衆人気で大統領になっちゃったタイプの方が、グラウンドデザインを描けなかったり、大衆に迎合する癖がぬけずに強いリーダーシップが発揮できないってことなのかなあ。
でもジョンソン大統領は、黒人問題に対してアファーマティブアクションを起こした人だよね。機会の平等じゃなくて結果の平等を保障しなきゃダメだって。
また、元軍人で悲惨な戦場を実際に経験したアイゼンハワー大統領が軍産複合体を批判し続けたっていうのは教訓にしたほうがいいかもしれない。ちなみにロビン・ウィリアムズさんがやってます。油絵描いてます。
さて、今日の昼間も考えたことだけど「弱者」とは一体なんなんだろう。社会を変えようと戦った、彼ら黒人は弱者だったのか。
私『スイミー』の見過ぎで、ずっと弱者=多数派、強者=少数派で、弱者が団結して数の力で強大な敵をやっつけるという市民革命モデルがインプリンティングされてたんだけど、最近はどうもそうじゃないぞって思ってるんだ。
あの映画の黒人は不当に抑圧されただけで決して弱者じゃないぞ。強者だぞって。勇気がなきゃ公民権運動なんてやれないぞって。
これは社会学でも度々議論されることで、つまりキング牧師や確執があった息子のルイスくんみたいに、自分たちの未来のために自分は死んじゃってもいいっていう行動は、果たして合理的戦略と言えるのだろうかっていうやつで。で、そこまで覚悟決めて行動ができる人は、やっぱり弱者・・・ではないよなあって。
逆に、恐怖に支配されちゃっているかわいそうな弱者は、KKKとか南部のレイシストとかなんだよね。誰よりも繊細で傷つきやすく弱いから、そのフラストレーションを攻撃性に転化させる。
これは恐ろしいことで、ミルグラムっていう学者がイェール大学で行った実験によると、人は誰でも周囲の環境によって簡単にサディストに転向しちゃうらしいんだ。
被験者集団の誰か一人に先生役をやらせて、生徒役の人たちに電流を流すスイッチを渡す。で、生徒役の人が問題に間違うとバツゲームとして先生から電流を流されるというブラック金八先生ごっこ的なロールプレイをやらせると、どんなにリベラルで「暴力反対!」とか言っている人でもブラック金八をやったら、最終的に『ぷっ』すまの草彅くんみたいに嬉々としてみんなに電流流しているらしいんだ。(※ただ草彅くんは自分にも電気を流す。謎。)
その人の信条や政治文化よりも、その場の環境の影響力が想像以上に強いわけだ。だからこそそういう状況に陥らないように、意志の弱い私たちは社会のことを考えないといけない。
闇は闇を追い払えない。
そしてそのためには、クリエイターはこういう作品を作り続けて、みんなに啓蒙し続けなきゃいけないんだよね。
日本の漫画やアニメといった大衆文化も素晴らしいと思うけど、エロとかグロとかあまりに煽情的な作品ばかりで、こういう人間の恐ろしい部分をメタ認識させてブレーキをかけるような作品がもっとあってもいいと思うんだよな。
こればっかりは市場の原理とは相容れないところだよ。なんでも売上で還元できるなら、なんでネオリべのやり方で、こんなにみんなが不安でウジウジしているかの説明がつかないし。
つまり、深刻な人種差別があったアメリカだからこそ、去年の『42~世界を変えた男~』といいコンスタントに黒人差別を題材にした映画を作り続けているんだろう。
こういうレイシズムを取り上げたお話が、日本ではなんとなく自主規制になりそうなのが表現者の端くれとして心苦しい。
在日朝鮮や韓国の人が日本人にいじめられて、でも最終的にそう言う人が日本で総理大臣になったよ、めでたしめでたしみたいな作品を作ったら「非国民」とか言われて社会的に抹殺されそうなのが今の日本。
とどのつまり、弱者の弱者たる所以は団結できないこと(=自分と同じ境遇の人に手を差し伸べる余裕すらないこと)なんじゃないかって、この映画でつくづく思った次第であります。
そして、そこまで追い込まれちゃった人って、実は社会の多数派ではないような気もしている。
ここは私がリアルスイミーを描くしかないのだろうか・・・
セシル二つの顔を持て。本当の顔と白人に見せる顔だ。
漫画と小説の違い
2014-02-19 23:13:28 (10 years ago)
-
カテゴリタグ:
- 漫画
ひさびさに、社会の勉強と関係のない記事いやっほう。そう、終わったのです、『80日間宇宙一周』小説版の第3章ギャラクシーミネルヴァが。
いや~~~長かった~~~~!!
なんでこんなに時間がかかったんだか自分でもわからん。いや、イマイチ気分がのらなかったり、スランプに陥って途中で中断していたなら、時間がかかったってのは分かるんですが、謎なのは、ほとんど毎日サボらずにちびちび進めていたんですよ。なのにこんなにかかってしまった。
信じられない、だって第1章なんて5日で書いちゃったからね。私のバーストモードはてんで持続性がないやね。
ホント、なんでこんなにかかったんだろう。言い回しのネタがなくなってきたのか・・・というかたけしさんも言ってたけど、小説って地の文がめんどくさいというか、その部分をどれだけセンス良く組んでいけるかだよね。
映画や漫画の脚本では画で見せちゃう部分も、小説では全部言語化しなきゃいけないわけで、だんだん限界を感じてくるというか、絵で見せたほうが早いだろというかw
だからこそライトノベルなんかは挿絵を豊富に入れてて、つーかもはや挿絵で売れ行きが決まっているような気もするけどオレたち小説書きとしてはあんまり挿絵に頼るのも活字の敗北というか・・・悔しいじゃない。※いつからオレは活字の味方に・・・
しかし、小説って漫画に比べて絵がない分描写をファジーにできるのが面白そう(=楽そう)だなあって思っていたんですが、冗談じゃない。
書いててわかったけど、小説の方が言葉だけで伝える分、すごい直接的で読者の想像の幅を確定させちゃうんだよね。
言葉の力ってなんというか・・・制御が難しい。SNSが度々揉めるのが分かるわ。ソシュール的に言うならば、言語っていうのは「表情的意味」が全くない。
例えば、今回の第3章を今朝読み返してみたんだ。誤字とか絶対あるから。というかあったから。そしたら、「え?この話ってこんなに哀しい話だっけ??」ってゾッとしちゃった。
これを初見で読んだ人絶対うつになるだろって。
小池一夫先生はツイッターで、優れたクリエイターは読者に日常の嫌な部分を忘れさせることができるとか言ってたけど、これじゃあ読者は日常の嫌な部分を思い出すぜって。
私がアイドルマスターやると、こうなるっていうねwこれこそ美少女とミリタリーの本当のコラボだぜって。
で、結局漫画の脚本として書いていた時は、自分の頭の中に漫画の絵のイメージがあったんだよね。本来ならシリアスで悲しいシーンとかでも、絵の描き方でいくらでもコミカルにできるじゃん。
石森章太郎先生の『サイボーグ009』が内容は深刻な割に、あの可愛い画風で助けられたように(この前の映画版は助かんなかったけど)。
だから私も、かなり絵で助けられていたんだなあって。絵を引きはがすと、自分の作品ってこんなにおぞましい内容だったんだって・・・
それに、漫画ではキャラの内面って表情を描けばなんとなくファジーに出来るじゃないですか。あれ?この人はなんでこういう表情をしたんだろう?何を考えているんだろう?みたいな、リアルなライブ感が漫画にはあるけど、小説ではパーソナリティの壁がぶち破れちゃうんだよね。これってリアルじゃ絶対ありえないからね。
まるでテレパシーみたいに、みんなのモノローグが筒抜けで、活字で「彼女はこう思った」って説明できちゃうから、読者の方は「ああそうでござんすか」としか言えないしね。
したがって、すごい悲しいシーンとかは、キャラのすごい悲しい感情が絵というオブラートなしで読者に直接突き刺さってしまうのが辛い。
とにかく、意外と解釈の幅が漫画よりも限定されちゃうんだって言うのは勉強になった。
漫画と小説の違いをまとめると以下の通り。
視覚的描写 漫画:限定 小説:曖昧
心情的描写 漫画:曖昧 小説:限定
没入感 漫画:肉体的 小説:精神的
まあ、なんにせよ小説の方は折り返しに差し掛かり、連載のストックもおそらく数ヶ月分は出来たから、私は古巣の漫画に戻ることにします。
やっぱ、あんたはマイルドでいいよ。読み返すのも楽だし(※これが意外と大切)。ただ、とにかく作業の工数が多い!
いや~~~長かった~~~~!!
なんでこんなに時間がかかったんだか自分でもわからん。いや、イマイチ気分がのらなかったり、スランプに陥って途中で中断していたなら、時間がかかったってのは分かるんですが、謎なのは、ほとんど毎日サボらずにちびちび進めていたんですよ。なのにこんなにかかってしまった。
信じられない、だって第1章なんて5日で書いちゃったからね。私のバーストモードはてんで持続性がないやね。
ホント、なんでこんなにかかったんだろう。言い回しのネタがなくなってきたのか・・・というかたけしさんも言ってたけど、小説って地の文がめんどくさいというか、その部分をどれだけセンス良く組んでいけるかだよね。
映画や漫画の脚本では画で見せちゃう部分も、小説では全部言語化しなきゃいけないわけで、だんだん限界を感じてくるというか、絵で見せたほうが早いだろというかw
だからこそライトノベルなんかは挿絵を豊富に入れてて、つーかもはや挿絵で売れ行きが決まっているような気もするけどオレたち小説書きとしてはあんまり挿絵に頼るのも活字の敗北というか・・・悔しいじゃない。※いつからオレは活字の味方に・・・
しかし、小説って漫画に比べて絵がない分描写をファジーにできるのが面白そう(=楽そう)だなあって思っていたんですが、冗談じゃない。
書いててわかったけど、小説の方が言葉だけで伝える分、すごい直接的で読者の想像の幅を確定させちゃうんだよね。
言葉の力ってなんというか・・・制御が難しい。SNSが度々揉めるのが分かるわ。ソシュール的に言うならば、言語っていうのは「表情的意味」が全くない。
例えば、今回の第3章を今朝読み返してみたんだ。誤字とか絶対あるから。というかあったから。そしたら、「え?この話ってこんなに哀しい話だっけ??」ってゾッとしちゃった。
これを初見で読んだ人絶対うつになるだろって。
小池一夫先生はツイッターで、優れたクリエイターは読者に日常の嫌な部分を忘れさせることができるとか言ってたけど、これじゃあ読者は日常の嫌な部分を思い出すぜって。
私がアイドルマスターやると、こうなるっていうねwこれこそ美少女とミリタリーの本当のコラボだぜって。
で、結局漫画の脚本として書いていた時は、自分の頭の中に漫画の絵のイメージがあったんだよね。本来ならシリアスで悲しいシーンとかでも、絵の描き方でいくらでもコミカルにできるじゃん。
石森章太郎先生の『サイボーグ009』が内容は深刻な割に、あの可愛い画風で助けられたように(この前の映画版は助かんなかったけど)。
だから私も、かなり絵で助けられていたんだなあって。絵を引きはがすと、自分の作品ってこんなにおぞましい内容だったんだって・・・
それに、漫画ではキャラの内面って表情を描けばなんとなくファジーに出来るじゃないですか。あれ?この人はなんでこういう表情をしたんだろう?何を考えているんだろう?みたいな、リアルなライブ感が漫画にはあるけど、小説ではパーソナリティの壁がぶち破れちゃうんだよね。これってリアルじゃ絶対ありえないからね。
まるでテレパシーみたいに、みんなのモノローグが筒抜けで、活字で「彼女はこう思った」って説明できちゃうから、読者の方は「ああそうでござんすか」としか言えないしね。
したがって、すごい悲しいシーンとかは、キャラのすごい悲しい感情が絵というオブラートなしで読者に直接突き刺さってしまうのが辛い。
とにかく、意外と解釈の幅が漫画よりも限定されちゃうんだって言うのは勉強になった。
漫画と小説の違いをまとめると以下の通り。
視覚的描写 漫画:限定 小説:曖昧
心情的描写 漫画:曖昧 小説:限定
没入感 漫画:肉体的 小説:精神的
まあ、なんにせよ小説の方は折り返しに差し掛かり、連載のストックもおそらく数ヶ月分は出来たから、私は古巣の漫画に戻ることにします。
やっぱ、あんたはマイルドでいいよ。読み返すのも楽だし(※これが意外と大切)。ただ、とにかく作業の工数が多い!
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