キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 こういう意見もある。ただの“自警団”だと。

 よくウルトラマンなどの特撮を見てて、街めっちゃ破壊されてるけど住民の人は大丈夫なのだろうか?と思ったことがある人は多いはずだ。
 でも、そこに言及しちゃうと、ぼくらのヒーローウルトラマンが、よその星からやってきた恐怖の加害者になっちゃうから、それは言わないお約束ってなっていた。
 ここらへんが気になり出すと、いよいよこういう子ども向けのコンテンツは卒業なんだなってって感じていたんだけど、その問題についに言及する作品が出てきた。それがこれ。

 私は、この『シビル・ウォー』って作品、原作漫画をあらかじめパキPさんに貸してもらってて、けっこう陰惨でちょっと後味が悪い社会派作品だなあ、と。だから、これを実写化してもエンターテイメントという形では評価されないんじゃないかって思ってた。
 いや、ピストルに代表されるような武力をどこまで法で規制すべきかという、すごい考えさせられるテーマで、そのような政治的なイシューの是非でアベンジャーズが二つに分断されてしまうっていう展開は、この国でも原発問題や基地問題に伴う利害関係で住民(と無関係なネット市民)が二つに分かれてしまい、両者のあいだで不毛で切ない罵り合いが起きている以上、無関係ではないから、やるべき作品だなとは思ってたんだけど。

 我々は、あの名作『ウォッチメン』の実写映画が一般受けしなかった現実を受け入れなければならないわけじゃん。
 
 そしたら、さすが最近は妙に手堅いディズニー。めっちゃ脚色してきたっていう。もはや別作品。
 スーパーヒーローを国連の監督下に置くというソコヴィア協定(原作では超人登録法でマイナンバー制度みたいなやつ)が物語のコアかと思ったら、それは前半サラっと流されるだけで、市民の安全や公共の福祉はどこへやら(このプロット上の路線変更で多少ストーリー進行がダラつく)、結局はいつものようにかなり個人的な動機で暴れまわるみなさん。
 しかも、内戦ってことでスパイダーマンやアントマンなども参戦、なんでもありの楽しいコスプレパーティーに。

 協定は選択の権利すら奪う。
 
 とか、朝まで生テレビ!的なこと言いながら、なんだよ~結局てめえらは、身近な人しか見えてねえじゃねえかっていう。
 いや、人間ってたった一人の大切な人を守るのにも必死なのはわかるけど、キミらは超人であって人の何倍もの力があるんだから、精神年齢もそれに伴って高潔であってくれよっていう。
 ぶっちゃければ、ソコヴィア協定じゃなくてウィンターソルジャーをめぐって戦ってるもんな。だから、協定がまだ施行もしていないうちに、キャップはなんかこの法律、性に合わないと駄々をこねているように見えてしまうというw
 じゃあ、協定賛成派のアイアンマンはどうかっていうと、やっぱり個人的なうしろめたさでネガティブにただよっているだけだから、いつものように言動はブレブレ。
 というか、キャップは基本的に生真面目なキャラクターだから、この人をブレブレにしないと物語は動かないっていうのはあるんだけどね。
 でもまあ、こういう風に思い切った脚色をすることで、今回も愉快なヒーローたちにガッツリ感情移入はできるようになったと。相変わらずキャラを立たせるのうまいなあと。商業的にはこのやり方が正解だったよな。
 テロの恐怖や復讐の連鎖、そして、その象徴であるアメリカ愛国者法より、キャプテン、スターク、ウィンターソルジャーのドキドキ三角関係のほうが食いつくもんな。観客はスーパーヒーローじゃないからね。国際問題よりも来クールのアニメだもんね。

 でも、待ってくれ。私たちはやっぱり、ウルトラマンに壊された街のがれきに一般市民が埋まってるんじゃないか、ということに気づいてしまった、大きなお友達ではないか。これで満足しちゃっていいのか??
 私がこの映画で最も好きで、高く評価したいのは、ヒーロー同士のお涙頂戴の友情ではなく、このあとのクライマックスなのである。
 アメコミの武力格差社会(1%の超人が残り99%の一般人よりも高い武力を独占する世界)において、身勝手な超人たちの乱闘の犠牲になった一般市民が――アフリカゾウに復讐しようにも絶対に適わない小さなアリが――健気に知恵を振り絞って、このバカどもに一太刀浴びせるのである。おごるな、と。
 
 私はアベンジャーズを殺せない。だが殺し合わせることができれば・・・

ズートピア

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 ちゃんと消すよ。48時間後に。

 観る予定はなかったんですけど、SGA屋さんに「私が好きそうな話」って言われたので、急遽観に行ってみた。というか、あらすじの段階でも確かに自分が考えそうな話だなとは思ってたんだよな(黒幕即行分かった)。私はイソップ童話の形式がかなり好きだし。
 ということで、この『ズートピア』、内容はなかなかの社会派で、脚本の完成度も非常に高かったんですけど、このテーマって現在のハリウッド映画ではかなり繰り返されていて、贅沢を言わせてもらえば、ちょっと食傷気味(自分も作品で取り扱ったし)。
 とはいえ、ディズニーの子ども向けアニメ(だよね?ドン・コルレオーネとかパロってたけど)の形式でも、こういった池上的なテーマをやりだしたっていうのが、やっぱりそういう国際情勢なんだなあって。イソップ童話2.0というか。
 例えば『バグズ・ライフ』のころは強者は少数派ということに言及はしながらも、やっぱり強者は敵であることには変わりはないって感じで物語を着地させてたんですけど、それはやっぱりある種のファンタジーであって、最善策ではないという事実にディズニーアニメも向き合わざるを得ないという、そういう時代になっちゃったって事なんだよね。
 もはや共存するしかないという。『シッコ』のマイケル・ムーア監督じゃないけど、同じ船に乗る乗客であって運命共同体なんだっていう。

 そう言う意味で、これまでのイーブルやヴィランを、被食者からみた捕食者というポジションに置き換えて相対化しているのはうまいなあって。そうすることで、マイケル・サンデル的な、加害者の子孫は先祖がやった罪をどこまで謝罪すればいいのか的な問題も掘り下げられるしね。アメリカ白人のインディアン迫害や、日韓問題みたいな。
 さらに、か弱いウサギ、ずる賢いキツネとか、そういったイソップ的な動物のイメージを、私たちの人種や文化に対する偏見のメタファーにしているのも、わりと思いつくアイディアではあるんだろうけど、それをやるとどうしても物語が重くなりがちだから、仮に思いついても子ども向け作品として仕上げるのには、なかなか勇気が必要で、それで今まで実現しなかったんだろうなっていうのはある。
 そこをなんとか上手にクリアしたっていうのが、この映画の一番上手なところだよね。下手すると人間のすっごい嫌~なところを描いちゃう、極めて後味の悪いアニメになっちゃうもん。自分じゃ無理だな。このバランスはかなり調整するのが難しかったんじゃなかろうか。
 グローバル社会にこれから繰り出す子どもに向けてもちゃんと教訓があるし、やっぱり海外はえらいなって。ちゃんと教育しようとしてるよなってw

 すべてのキツネがそうとは限らない。意地悪なウサギもたくさんいる。

 ほいで、SGA屋さんはもうひとつ「この映画は今のピクサーよりもピクサーっぽい」ともおっしゃってたんだけど、この意見には半分同意するけど、半分違和感がある。
 この映画が“かつてのピクサーっぽい”(=脚本の完成度が高い)ってのはわかるんだけど、ピクサーって私の中では常に新しいチャレンジをするスタジオってイメージがあるから、そう言う意味ではやっぱり『ズートピア』よりも『アーロと少年』の方が、ずっとヘンテコでなんか引っかかるんだよね。こんなの見たことねえよっていう。
 つまり、かつての繰り返しを、ピクサーはやりたがらないわけで、そう言う意味で『シュガーラッシュ』も『ベイマックス』も、この『ズートピア』も完成度は高いんだけど、やっぱピクサーではないよなって思っちゃう。もう、そういうの一度見たよっていう。
 うまいなとは思うんだけど、超好きかっていうと「う~ん」っていう(^_^;)クリエイティブ業、難しいね。
 若い頃は、いやいや、『カリオストロの城』みたいな完成度が高いやつを繰り返せばいいじゃん、なに無茶なチャレンジして良くわからない作品作ってんだよジブリみたいに思ってたんだけど、歳をとるって恐ろしいね。
 今じゃ、宮崎駿さんの歩んだ道のりが、すっごい腑に落ちるというか。やっぱり同じものを二度はやりたくないよなっていう。もっと新しいことに挑戦したいよなっていう。
 そう言う意味でもピクサーはジブリをお手本にしているっていうのがわかるよ。結局アメリカのジブリなんだな。で、ラセターさんが引退したらやっぱり崩壊しちゃうのだろうか(^_^;)
 とりあえす今度の『ファインディング・ドリー』が『カーズ2』のような新しい驚きをさせてくれる映画であることを祈る!

 追記:完成度以外にもなんか自分がこの映画好きになれない理由あると思うんだよな。深読みするとやっぱりあのラスト自体に欺瞞を感じちゃうからかなあ。
 とにかく、この映画ってポリティカルコレクトネスに溢れてるじゃん。「ウサギがウサギをかわいいっていうのはいいけれど、ヒョウがウサギを可愛いっていうのは失礼なのよ」とか。
 そう言う意味で、正しい映画なのかもしれないけれど、すごい窮屈な映画なんだよね。デモリションマン的なw動物園のユートピアとはこの映画の本質を表す素晴らしいタイトルよ。まさにジェイルよ。
 だいたいキリがないからね。そういう配慮で神経使うことに、ほとほと疲れちゃった人たちの鬱積がトランプさんフィーバーにつながっているのかもしれないし。というか、とうとう共和党候補なってたよな、あの人。すごいな。
 で、グローバル化っていうのは結局のところ世界がアメリカ化(地球全体が移民国家化)するってことだからね。歌って踊ればみんなハッピーで終わってたけど、いやいやリアルではもっとシビアなバランスを取らないと危ないぜっていう。

『大世界史 現代を生きぬく最強の教科書』

 いい質問ですね~の池上彰さんと、平成の西郷どん、佐藤優さんの対談本。
 ずいぶん昔にもブログで書いたんだけど(確か、東浩紀さんと大塚英志さんの『リアルのゆくえ』の時)、対談本っていいんだよな。
 ヘーゲル的なアウフヘーベンがどうとかじゃなくて、一人の著者が執筆するよりも、対談相手が入ると、その人のテーゼがメタに俯瞰できるし、かといって大学の共著本のような堅苦しさや、ときどきある統一性のなさもない。

 そもそも会話文は非常に読みやすい。

 ということで、春休みに大型書店に行った時の一冊です。他にもいろいろ1万円分くらい買ったんですけど、この本が一番印象に残った。
 私は佐藤優さんってなんか、西郷どんに似てて、もちろん外務省で主任分析官をやってたわけだから、頭は切れるし知識の量はすごいんだけど、中立公平、客観的なデータを提示してくれる学者っていうよりは、現場方のインテリジェンスおじさんって感じで、この人の情報ってもちろんリアルな生な情報なのは確かなんだろうけれど、どこまで信ぴょう性があるのか半信半疑だよなっていう抵抗があった。
 ・・・というか、政治経済を勉強したら女にモテた、みたいなことうそぶく西郷隆盛って絶対うさんくさいじゃん(^_^;)
 例えば、白人ヨーロッパ文化の三大要素は①ギリシャ哲学②ローマ法体系③ユダヤ・キリスト教に見られる一神教だ!ババーン!みたいな感じで言い切っちゃうんだけど(この主張自体は、佐藤優・石川知裕著『政治って何だ! ? - いまこそ、マックス・ウェーバー『職業としての政治』に学ぶ 』に書いてあった)、いや、この意見自体は、まあ、納得はするんだけど(佐藤さんは神学専攻)、この人の言っていることって、つまりは教科書に載っているような学術的データじゃなくて、どっちかというと岡田斗司夫ゼミに近い、ホントかどうかはわからないけど、とりあえず面白いスノッブネタつーか、思考のたたき台って感じなんだよね。こういう話って『マスターキートン』みたいな漫画を描くときには役に立つんだよね。
 つーか内田樹さんも、藤原正彦さんも、大澤真幸さんも、新書でベストセラーになる人ってこういういかがわしい所はみんなあるよね。
 だから佐藤さんは、内田樹さんを反知性主義の文脈で批判しているけど、私の中では、このふたりは同じクレードに分類されるんだよね。
 これは別にディスっているんじゃなくて、どっちも面白思想や面白知識の人だろうっていう。専門家にしか伝わらない難解な議論をする学者っていうよりは、大衆を楽しませてくれるエンターティナーなわけ。

 あと印象に残ったのが、佐藤さんはあとがきで、自分と池上さんは二正面作戦を展開している、ひとつが反知性主義(自分の都合のいいように客観性や実証性を軽視する勢力)、ふたつめが極端な実学主義(即戦力になりそうもない学問を軽視する勢力)って言ってて、自分たちはリベラルアーツを重んじる中道勢力だと思っている感じがあるんだけど、確かに国家を動かす政治家や官僚、また学校の教師なんかはそういうバランス感覚ってすごい大切だなあとは思うんだけど、なんか自分よりも学力の低い人はバカにして、自分よりも専門知識が詳しい人は「ディティールしか見てない」と批判する、なんかお高くとまっている割には中途半端な人たちって思われる可能性もあるよね。
 じゃあ、お前はどのタイプなんだって言われると、やっぱり中途半端なんだけど。でもでも、私は二正面作戦じゃ!と喧嘩を売るんじゃなくて、この三つの勢力がうまく共存できる道ってないのかなって思うんだよな。どの勢力もそれぞれ必要だと思うんだよ。
 反知性主義って言い換えれば理想重視なわけじゃん。逆に実学主義って現実重視なわけで、ほいで現実の世界で生きる上では、未来予測って不確定要素が強すぎるわけだから、理想と現実の視座がどっちもないと生き残れないだろうと。
 一見何の役に立つか全く見当もつかなかった電磁波が今や大活躍じゃないか、と。自然科学のアブダクションだって、意外と反知性的なところがあるんじゃないかっていう。プラグマティズムのジェームズなんかは、こういう神秘主義的な考えを否定するんだろうけれど、クリエイターの世界では「なんか知らないけど思いついた、降りてきた」ってよくあるからなあ。メタ的には頭に電極つけて、こういう波形のときは降りてきます、みたいなことを調べたりはできるんだろうけど、それと反知性的な思考がまずいのかどうかという道徳的な問題は別だからね。
 ただ現在は、特にリベラルアーツ勢力、ジェネラリストグループだけが弱体化している、これではバランスが取れない!という意味で、二正面作戦をしているなら私も西部戦線あたりで立哨当番くらいはしてもいいかもしれない。

 以下は、私が心の「へ~」ボタンを押してしまった、お二人のうんちくの抜粋です。

中東のトリビア
・中東地域は大きく4つの勢力に分かれる。
①アラビア語を使うスンニ派。サウジアラビア、ヨルダン、湾岸諸国。
②ペルシャ語を使うシーア派のイラン。
③アラビア語を使うシーア派のアラブ人。
④トルコ語を使うスンニ派のトルコ。(32ページ)

・湾岸諸国は日本の真珠の養殖によって真珠採取業が壊滅的打撃を受け、ながらく海賊稼業をしていたが、1938年にサウジで油田が見つかって以来あっという間に裕福になった。(38ページ)

・トルコは第一次大戦後いちはやく民主化したため、中東の中でも浮いている。民族意識も高くNATOにも加盟。東アジアにおける日本に近いという。(59ページ)

・ヨルダンは豊富な石油資源がないので、日本からの経済援助が大きな役割を果たしており、対日感情が極めて良好。イスラム国に日本人二人が人質になったときに日本政府がトルコではなくヨルダンに対策本部をおいたのはそのため(あとアラビア語の専門家がたくさんいる)。(61ページ)

・中東の混乱でアラブ世界は衰退、これに乗じてエルドアン大統領率いるトルコがオスマン帝国の復活を目論んでいる。つまりオスマン帝国VSペルシャ帝国の構造になる。(64ページ)

・クルド人の人口は2500~3000万人で、「独自の国家を持たない世界最大の民族」。これは第一次大戦後にオスマン帝国が崩壊する際、英仏のサイクス・ピコ協定によって、中東北部のクルド人の住むエリア(クルディスタン)がトルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアなどに分割されてしまったため。クルディスタンの独立が悲願。(65ページ)

・グローバル・ジハードは国家の統治が弱体化したところで起こり、したがって中央アジアでも発生する可能性は高い。考えられるエリアは破綻国家のキルギスとタジキスタン、またカザフスタン東部~新疆ウイグル自治区。

・タリバンは部族意識が強く、パシュトゥン人という民族基盤からは離れられない。したがってイスラム国のようなグローバル思考とは相性が悪い。タリバンは「学生」という意味で、ソ連侵攻で難民になったアフガニスタン人がパキスタンの難民キャンプで極端な原理主義の神学校を作ったことに由来。(71ページ)

・~スタンという国名の国はトルコ系の民族が住む。知らなかった。(74ページ)

韓国のトリビア
・韓国の歴史教科書は中国や北朝鮮よりも過激で、反共国家だったため唯物史観を認めず、歴史観がない。文明国としては珍しくテロリズムの歴史を称賛。(96ページ)

・為替ダンピングができる国家は基軸通貨に近い影響力のある貨幣を持つ、アメリカ、EU、イギリス、日本だけである(中国もその力が付きつつある)。韓国のウォンではできないため、アベノミクスが円安誘導をしている限りは日韓関係は改善しない。(101ページ)

ギリシャのトリビア
・ギリシャをヨーロッパと考えるのがそもそもの間違い。オスマン帝国をどう解体していくかという戦略の一環で人工的に1900年ぶり(古代ギリシャ滅亡以来)に作られたのがギリシャで、現在のギリシャ人はDNA的にはトルコ人と変わらない。ソクラテス、プラトンなどとは全く関係がない!現在のギリシャのアイデンティティは近代になって出来たニセ伝統。(104ページ)

・共産主義を警戒するためにギリシャには産業が作られなかった。だから農業と観光だけの国になった。(107ページ)

・アメリカがEU諸国に対してあまりギリシャを追い込まないようにと仲を取り持つのは、地政学的に重要なギリシャにNATOから離脱されることを恐れているから。また、その現実をギリシャも知っている。だからかなり居直れる。ギリシャ人にとってはギリシャに住むことが仕事のようなもの。(110ページ)

ドイツのトリビア
・ドイツ人は勤勉で有名だが、ギリシャ人よりも労働時間が短かった。しかし、これは怠けているのではなく時間キッカリに働いているだけで、ダラダラ残業などしないため生産性は日本よりもはるかに高い。ドイツでは日中にテレビ放送が始まったのは、ここ10年くらいこことで、昼間はみんな働いているためにテレビのニーズがなかった。(113ページ)

・ドイツ人の生活は質素で、夕食はハム、ソーセージ、チーズ、パンだけ。火を使う料理はしない。趣味は貯金でライフスタイル的に内需が期待できないため、産業は外需に依存するしかない。(115ページ)

・逆にロシアは内需がいくらでもある一方、輸出できるものがエネルギーしかないので、ドイツと手を握る可能性がある。(131ページ)

・メルケル首相の父親はルター派の牧師で、戦後東ドイツにあえて残った人物なので、共産主義者である可能性があり、そのためにアメリカはメルケル首相の電話を盗聴していた。(123ページ)

・サミットの記者会見は独特のサミットルールがあり、自国の首脳の発言しか報道陣に紹介することができない。よって参加7カ国それぞれとEUのプレス会場のすべてに記者を送らないと全体像がわからない。(124ページ)

国連のトリビア
・敵国条項というのがある。日本やドイツと集団的自衛権を行使して戦う場合には安全保障理事会に提訴しなくてもできる。

・国際連盟(リーグ・オブ・ネーションズ)と国際連合(ユナイテッド・ネーションズ)は成り立ちから違う。敵国条項がなかった国際連盟と違って、国際連合は、第二次大戦の連合軍がそのまま国際機関になっただけなので、いってみれば戦勝国クラブみたいなもの。

兵器のトリビア
・ドローンの時代なのになぜか空母を作り続ける中国は、戦中に大鑑巨砲主義でヤマトを作った日本と似ている。(176ページ)

・日本に原爆を落とすとき、爆発させるのが難しいプルトニウム型は二つ出来ていたのでオッペンハイマー博士はそのうちの一個をニューメキシコで爆破させた。想像以上に凄まじい破壊力だったため、100~200キロメートル離れたところでも窓ガラスが割れ、大騒ぎになった。陸軍の弾薬庫が爆発したということにしたが、実験場のすぐそばでキャンプをしていた女子高生14人のうち13人がガンになり、11人がガンで死んだ。(187ページ)

・アメリカは今後新しい核爆弾は作らないと言っているが、今ある核爆弾の劣化した部品を新しいものに交換することは禁止していないので、結局改良を繰り返していることになっている。ロシアももちろん改良しており、ミサイルディフェンスでも防御できない多弾頭型の核ミサイルを開発。(189ページ)

ビリギャルのトリビア
このチャプターが一番面白かった。

・少子化は女性の識字率向上と密接に関わっている。(206ページ)

・乳児死亡率の低下によって少子化は進む。(208ページ)

・慶応大学に入ったビリギャルは結局のところ恵まれている。中学受験を経験していて、机に向かって集中できること。挨拶などのコミュニケーションもできること。私立校の学費を出せるほど親に経済力があること。受験に無関係な教科を捨てるために、母親が学校にクレームや理不尽な要求を押し通せること。(212ページ)

 佐藤 親子の愛の絆の物語などではなく、新自由主義時代の受験産業の物語なのです。

・ビリギャルが受けた学部は、小論文と英語の二科目受験であるため、彼女は日本地図も読めず、簡単な計算もできないまま、教養を身につけずに卒業することになる。入学歴ばかり求めても結局いい人材は育成できず国は強くならない。(212ページ)

・イギリス(大英帝国)は、優秀な官僚を育成するために植民地に高等教育機関を作った。日本も同様。しかしフランスは現地の優秀な人材をフランス本国に呼び寄せたため、大学を現地に作らなかった。一番ひどいのはポルトガルで、人材育成もインフラ整備もなにもやらなかった。(214ページ)

・沖縄の琉球大学は、日本政府ではなくアメリカが戦後統治の時に作った。(216ページ)

・日本の教育関連費はOECD加盟30ヵ国中最下位。(220ページ)

 池上 戦後、教育も平等でなければ、という風潮が強まると、高校進学率がどんどん上昇し、その中で授業についていけない生徒が出ても落とすわけには行かない。だから全体のレベルが下がってくる。さらに今度は、皆を大学に入れるために入試を易しくしよう、ということになる。さらに少子化で、その傾向にますます拍車がかかっています。
 エリート教育が必要だ、と言われているのに、いまやこれが実情です。(221ページ)


 池上 無暗に英語で授業をしても、自ら英語植民地に退化するようなものです。そもそも大学の授業を母国語で行えることは、世界的に見れば、数少ない国にしか許されていない特権です。その日本の強みをみずから進んで失うのは、これほど愚かなことはありません。(227ページ)

数学反省会

 今年度は通常学級で数学を教える機会を頂いたのですが(まったく想定してなかった)、すっごい難しい。一斉授業だと、どのグループのレベルに授業の難易度や進度を合わせていいのか、その見極めがきゃなりシビア。
 美術だと、一つの答えにみんなを誘導する必要はないからいいんだけど、数学はやっぱり正解があるから、君たちひとりひとりに答えがあるんだよ的な逃げができない。
 また、数学って先天的なセンスが最も物を言う教科らしく、ごく少数の子が突出して解けちゃうから(数に愛された子ども)、みんなの授業のペースに退屈しちゃって、じゃあこれもやっててって課題をやらせると、どんどんレベルアップしていって差をつけてしまうという。そんな状況、ファイナルファンタジーとかであったよな。
 まあ、習熟度別っていう考え方もあるんだろうけれど。

 で、もう、自分の実力不足を痛感する日々です。実際、数学は現役時代自分も大嫌いで、だからこそ数学の苦手な子の気持ちがわかるかな、って思ってたんですが、あ、そっか、中学校の自分ってもっとわからなかったよね、と意識を改めることにしました。
 数学の本質は抽象化で、学問としてやるならば概念こそ重要なんだけど(そして個人的にそれが最も面白いところ)、ほとんどの中学生はやっぱりわからないし、んなもん興味ないよなっていう。
 よく、学校の勉強はつまらないって言う人がいて、それはそれで私も同感なんだけど、たとえば微分積分でも、そもそもの理屈とか、考えられた経緯とか、ぶっちゃけ何に使うものなのかとか、そういうことをすっ飛ばして、公式や解法だけを覚えさせるじゃん。ああいうのが数学をつまらなくしているんだよって、ずっと思っていたんだ。
 でも、じゃあ仮にその部分を授業で話しても、実はついてける人って限られていたっていう。そういう切なさがある。学生時代の私の不満やニーズも、結局はマイノリティで、需要がなく、だから学校の授業はああなっていたんだっていう。

 つまり、なにを反省しているのかというと、脳をもっと若返らせなきゃってこと。ここでいう、脳を若返らせるっていうのは、頭をよくするっていう意味じゃなくて、むしろ逆。今より、ずっとずっとバカで木の棒を持ってハナを垂らしていた、あの頃の脳みそをイメージしろってこと。
 自分ももう30年以上生きちゃったから、いろいろな余計なレガシーがあって(理科はともかく、社会の教員免許を取るとは思ってなかった)、確かに、大学とかでも、小学校の勉強を教えるからといって、小学校の勉強だけやればいいのかというと違うって言われて、確かになって思ってたけど、いや小学校レベルでいいよっていう。
 余計な知識はむしろ授業の邪魔になるよっていう。人間いろいろ知識を知っているとそれを話したくなっちゃうものだから。
 だから、私はもっとバカになる。バカになって、そのバカな自分に自分の授業を脳内で受けさせて、難しいとか、分かりにくいとか、速い、ついてけないとか、自分で自分にダメ出ししようと。

 いつも不思議に思うんだけど、いい意味で肩の力を抜いたほうが授業ってうまくいくんだよな。投げやりの奇跡というか。
 例えば準備万端やった研究授業とかって大抵そんなにうまくいかないんだよ。教材研究だなんだで調べたことが、余計な知識になっちゃって、子どもを無視した自己満足になってしまうという。知識量なら負け無しの学者の授業が下手なのもそれだったのかっていう。
 だから、手抜きって言うと言葉悪いけど、でも本当に授業がうまいベテランの先生なんかは、例えば教室に持っていくものもペンだけとか、え!?そんな装備でだいじょぶか!!??みたいな、そういうかっこよさがある。
 能ある鷹は爪を隠しているのか、爪なんてそもそもないのかわからないけど、鷹を恐れる動物なんかは、鷹であるだけで十分なわけだ。
 結局、私も数学なんか苦手でどっちかというと嫌いなんだから、無理して数学の先生になろうとしなくてもいいわけだ。北野武さんが言うように嫌いな仕事をやるほうが、むしろその仕事を客観的に見れてうまくいくこともあるし。
 数学に愛着がないくらいの方が、無理して解析学とか勉強しない方が、情報量がそぎ落とされたいい授業になるんじゃないか。準備不足もダメだけど、準備過多もダメ。

 シンプルにするしかない。残念ながら、自分が子どもの頃受けたかった数学の授業はやっちゃダメっていう。
 子どもの力を過信しない。一回の授業では1個か2個しか教えない。一度にそんなに何個もほとんどの子は入らない。
 中学の数学を教えてると思わず、幼稚園生や小学生に教えると思ったほうがいいのかもしれない。もしくは昨年度の支援学級みたいな。
 そんで、高校生を教えるには中学レベル。大学生を教えるには・・・やっぱり中学レベル。こればかりは相手の知能を見下して、やるしかない。自分と対等のレベルだって思っちゃダメ。もしそうなら、その子には授業なんて必要ないよな。

『荒れには必ずルールがある』

 結局、荒れている学校というのは、生徒の自浄力もなく、教師の指導も入らなくなった状態を言う。

 著者は、37年間横浜の公立小中学校で勤務した(うち、生徒指導16年の)元教員、吉田順先生。現在は、その豊富な経験から生徒指導コンサルタントとして全国の荒れた学校を行脚している。すごい。
 本書は、教育現場の資料でも引用されるくらいで、それは机上の空論ではないことを意味するのだろうと。『オレ様化する子どもたち』の諏訪哲二先生同様、事件は現場で起きてるんだ的なパッションが頼もしい。
 この本のテーゼはいたってシンプルで、荒れた学校(および荒れそうな学校)の生徒指導は、荒れた生徒ではなく、むしろ状況次第でどっちにもなびくような多数派――中間的集団にターゲットを絞って戦略をねるべきだという、政治力学的なものだ。
 なんだよ、荒れて手に負えない子は切り捨てて最大多数の最大幸福かよっていう批判も当然あるんだろうけれど、我らがウォーダディ、吉田先輩はこう言う。理想は平和だが歴史が残酷だ。(言ってない)実際はこんなふうに答えています。

 教育というのは全ての子に平等でなければならないし、全ての子を健全に成長させるのが仕事ではないのか。
 もちろんそのとおりである。しかし、荒れを克服した学校に共通しているのは、「中間的集団」をどう育てたかである。実現不可能な目標を何年掲げても、どんなに声高に叫んでも、どんなに抽象的な美辞麗句を並べても意味はない。
 たとえは悪いが、大火事が起きたとする。しかし、水には限りがあり、消防自動車も1台しかない。このままでは周囲への拡大が避けられないというとき(略)私は燃え盛っている家ではなく、その周囲の家に躊躇なく水をかけることだろう。(44ページ)


 戦前的な名誉ある玉砕を吉田ティーチャーは礼賛しないという。以下は本書で勉強になったポイントです。

 第一に、思春期の生徒が起こす多くの問題行動は、大人の犯罪とはまったく違う。大人の犯罪には金銭問題や男女の問題、怨恨などと明確な動機があるが、思春期の生徒には明確な動機がなく、本人すらもわからないことが多い。
(略)
 第二に、言うまでもなく、実は起こしている生徒自身も「オレはここまでやっているのに誰も止めないのか」「いつかは立ち直らなければ」などという迷いを持ちながらやっているのである。ここが大人の犯罪とは決定的に違うところであり、実際、中学校時代に非行・問題行動を起こした生徒の大半は、その後まっとうな人生を歩んでいる。もし、非行生徒がみな犯罪者になっていったら、国中に犯罪者が溢れていることになる。(20ページ)
 
※五つの「壁」をつくる。

①生徒集団の壁(自浄作用)
②教師集団の壁
③親の壁
④地域の世論の壁
⑤法の壁


①と④は最近はあまり期待できない。⑤は①~④すべての壁がダメだった時のリーサルウェポン。

 不可欠な壁は教師集団の壁である。これ以上は許さないという断固たる壁である。「これ以上」のこれはどこまでを基準にしているかは、当然、学校によって違ってくるだろうし、日本中の学校が同じ必要もない。誰もが一致するものの一つとして、「暴力を使って解決してはいけない」「授業妨害をしてはいけない」などがあるだろう。(24ページ) 

 「壁」のある学校が管理的で冷たい学校だと勘違いしてはいけない。荒れを克服した学校の共通点の一つは、いかにこの壁をぶ厚く、より高くつくったかにある。壁を破ろうとしないものには、これらの壁は何の障害にもならないし、むしろ壁の中では自由ですらある。(25ページ)

 今日の学校はむしろ管理しようにも「勝手・きまま」が横行し、競争どころか「全く学ばない」生徒に困り果てているのが本当の実態である。(55ページ)

 もし、教師集団が一致して毅然と“瑣末な”校則を守らせることに血道をあげるならば、子どもたちは息苦しくなるかもしれない。しかし、“授業妨害や暴力”などの問題に一致して毅然と対応した教師に、一般の子どもたちが息苦しさを感じたという例を知らない。(131ページ)

 (服装の乱れは心の乱れといった生徒指導の伝説の“名言”)に共通しているのは、服装や体、床などの外側に見えることを重視していることだ。確かに一利ある言葉ではあるが、そのことが目的化してしまうととんでもない弊害を生むことになる。服装がきちんとしていても、健全に育っているとは言えないし、床がピカピカになっている学校の生徒の心がはならずしもみんな健全だとも言えない。
(略)
 「服装の乱れは心の乱れ(から生じる)」「服装の乱れは心の乱れ(を表している)」という意味ならば、その原因となっている「心の乱れ」に取り組むのが本当だろう。(28~30ページ)

 腐ったリンゴは取り除かなくてよい(31ページ)

 深い理由がなく思春期特有のおしゃれか、一度してみたかったという程度の生徒もいる。そういう生徒は一過性で終わり、意外と広まらないという事実がある。
 一過性で終わらない理由は、親子関係であったり、両親の問題であったり、家庭内に起因することがほとんどである。(略)乱れた服装や髪がその代償であり、サインでもある。そもそも乱れた心が乱れた服や髪を生むのだから、いくら外見を指導しても無理なのである。(32ページ)

 荒れを克服した学校に共通していることの一つは、生徒の起こした問題が人権やプライバシーに関わることでなければ、隠さずに公表してしまうということである。
 やり方もド派手である。(略)
 例えば大きな落書きがあった場合である。内容から考えて生徒も職員も、やった生徒が誰なのか大体は想像がついている。しかし、やったことを認めないことも知っている。かなり荒れている学校なのである。そこで教師側が作戦を立てて生徒たちに取り組ませる。
 まず、休み時間に落書きの前で、落書き消しボランティアを募る。休み時間に何があったのかを訴えて、「あと何人!」などと募るのだから、当然話題にもなる。落書きの場所が別の場所だと、写真に撮って廊下に貼り付け、その前で募るという念の入りようである。休み時間になると、何人かが楽しそうに消すのだから、当然、やった生徒も通りかかることになる。多分、次回からは落書きもしにくくなるだろう。
 別の学校では、破損が起きると「破損修理隊」というのがあって、放課後や休み時間などに直すそうだ。直し方がうまいと、修理一級免許がもらえるそうだから、勉強は全くダメでもこの一級が欲しくて頑張る子もいたようだ。さらにこの生徒の親も「我が子が役に立った」と喜んでくれたらしい。ここまでくると、壊した生徒の“意欲”はかなり削がれる。(34、37ページ)

 人間は大人でも群れる。一人が好きだという人も、ロビンソンクルーソーのような完全な孤独に耐えられる者はいない。学校や社会などに所属している集団があればこその孤独に過ぎない。昨今の「無縁社会」がやがて我が身にもやって来るかもしれないと、多くの年配者に不安や絶望感をもたらしているように、人は基本的に群れてしか生きていけない動物である。
 このことは、学級の子どもたちを見ているとよくわかる。必ず群れる。最近は、ますますその傾向が強くなってきた。その群れからはじき出されたら、別の群れを探さなければならない。もし探せなかったら、不登校になるかも知れないほどの大事件だ。(41ページ)

 非行集団は非行集団のルールに則って、その集団は維持されることになる。だから、かなり反社会的なことであっても平気で実行する。いくら教師が説教しても、あまり効き目がないのは、荒れている生徒にとっては自分を認めてくれる集団が、非行集団しかないからである。(42ページ)

 よく知られているように、逸脱集団の「団結力」や「行動力」「組織力」「指示する能力」「企画する能力」などは、ある意味でほかの集団よりもはるかに優っているのだから、中間的集団は放置すると逸脱集団に飲み込まれるだろう。(46ページ)

 親は、我が子の非をわかっているが困り果てているのだから、追い打ちをかけるようなことをしては共同する関係はつくれない。教師と親の間に、まず信頼関係が生まれなければいけない。(57ページ)

 では、最後に残った本当に荒れていて、親は学校に協力しないし、批判的であるという数人の場合はどうすればいいのだろうか。もし、親の協力も得られないのであれば、もはや打つ手はないだろう。学校教育には限界があり、学校は非行を矯正する自立支援施設ではない。どんな子も中学3年間で立ち直らせることができると考えるのは、“空想的”生徒指導で私の生徒指導ではない。(60ページ)

 警察力に頼らないことの方が、ある意味では無責任と言える。(67ページ)

 (法的な対応は)本当は教育の放棄ではないかという迷いであり 、もっと正確に言うと「教育の放棄と批難されるのではないか」という「批難」への恐れであることが実際のところである。(71ページ)

 悪戦苦闘している教師は、本当はもう「教育の力」では限界であることを実感している。それでも「法の力」に頼れないのは、もちろん教師特有の“良心的”迷いもあるが、主として最終的に判断を委ねられている管理職が決断できないことが多いからである。

 生徒が死に至った事件に対して、マスコミや評論家はこぞって「なぜ警察に出さなかったのだ」と学校の対応の甘さを批判してきた。
 しかし死に至らなかった事件に法的な対応をすると、「なぜ教師は向き合わないのか」「なぜ生徒(加害者)の心に寄り添わなかったのか」などと批判する。これはご都合主義だ。(72ページ)

 誰もが「政治」や「経済」には限界を認めるのに、教育だけには限界がないという論理が私には理解できない。「心に寄り添う」「心の闇の解明」も同様だ。もともと専門家でも何年もかけて1対1で進めることを、専門家でもない一教員に求めること自体が不可能な要求ではないか。(73ページ)

 では、多くの先生たちの眼で見た、“生きた情報”はどうやって集めればいいのか。おそらく、情報を集めるシステムをどんなに作っても、限界があってうまく機能しないだろう。文書報告やメールでの伝達はもちろん論外であり、朝の打ち合わせや職員会議などでよく報告するケースが多いが、これも生きた情報からはまだ遠い。一方的な報告になりがちだ。三つの無駄があると、生きた情報は自然とよく集まる。三つの無駄とは
○無駄な空間(例えば、職員室の後ろにあるスペース)
○無駄な時間(会議も何もない拘束されない時間)
○無駄な世間話(井戸端会議のようなもの)

のことである。指導部は「三つの無駄」を活かすといい。(101ページ)

 悪を理解し共感することと、認めることは違うからである。
 生徒の悪を理解しても、その行為を認めてしまってはいけない。認めてしまったのでは、生徒は自立の挑戦をしているのに、これでは自立ができなくなってしまう。(136ページ)

 どこに座るか、誰と座るかという座席配置が、刺傷事件のきっかけとなるのはまれだが、不登校やいじめなどの問題を深刻化させることは、よくあることをまず確認しておこう。(169ページ)

 故・家本芳郎氏は「“荒れ”とは、定位置につかないこと」(「ザ・席替え」学事出版)と言った。彼らしいうまい言い方だ。その典型は集会である。(173ページ)

 叱る対象を区別することは、とても重要なことだ。(略)何から何まで全力では叱らない。これは教師が楽をするという意味ではなく、何から何まで同じ比重で叱っていたのでは、生徒のほうが息苦しくなってしまうということである。(185ページ)
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