いや~なんとか無事にストレートで取ることができました!
フツーに取れるな、これ。
『アオイホノオ』の影響で、いずれ泥沼に陥ると思ってたんだけど、実技教習でスタンプが押されないこともなく、学科試験で落ちることもなく、効果測定で勉強をすることもなくスムーズにクリアー出来た。
そりゃそうだ、ほとんどの大人が持ってるもんだもんね、免許って。
だからどんな人でも取れるように、免許センターの試験場では警察官のおじさんが、幼児園児を相手にするがごとく優しく丁寧に手続きを説明してくれました。そこまで繰り返さなくてもわかるわ!って心の中でツイートしてたけどw
でもこれって教育にとっても大事なことだよね。「携帯電話は切る!」「列をちゃんと作る!」「試験表と違う顔の人間は試験場に入れられない!」「かかとを引きずって歩かない!」とかビシビシ大の大人たちに教育的指導をしていたので、生徒指導の新米としては「ああ、こういう風にやるのか」って勉強になりました。とはいえ自分には無理だけどねwそこはやっぱ国家権力、暴力装置のTHEポリスメンならではの強制!スーパーマンより強いのはポリスマンだぜ。
でも試験に合格したみんな(特に女の子)が思ったことだけど、免許証の写真撮影もっとどうにかならんのかね。いくら「人相がわかりやすく」って言っても長髪の人をおでこちゃんにするのは可愛そうだよwそれに一発撮りだし・・・私なんかもなんかちょっとにやけた写真になっちゃって、すっごいリテイクしたかったんだけど強制的に決定稿となりました。こんな写真捨てたい。
まあ、なんにせよ、これで私も一歩大人への仲間入り。特に自分なんかは職業上交通事故なんかやっちゃったらシャレにならないから、地球環境を破壊する人殺しの兵器を自分は操縦しているんだという自覚を持って交通マナーを守っていこう。通勤以外は乗らねえ!
おまけ:これから免許を取ろうと志す方へ(今日取ったばっかの奴が偉そうにアドバイス)
①教習所はそんなに大変じゃない(仕事しながら通えるくらいだから)
②自動車の運転は最初は超怖いけど直ぐに慣れる(MTは知らん)
③学科試験は常識で八割正解する。残りは引っ掛け問題なので、そこだけ覚えればOK
④それでも不安なら『免許を取ろう』でも買え
ということで、自分みたいに「大学ですら嫌なのに、なんでさらに学校へ行かなきゃいけねえんだ」って感じで学生時代に教習所に行かないのはやめて、さっさと取っちゃいましょう。そんなに面倒じゃないから。学割が効くしな。
『オレ様化する子どもたち』
2012-12-06 18:25:55 (10 years ago)
一番悪い奴は誰だ!?
著者はプロ教師の会の諏訪哲二さん。
しかし内田樹さんと違って、学校の教員の書く本って、本当文体が良くも悪くも硬いですよね。あの「うふふ」の尾木ママですら、めちゃくちゃ真面目でオカマ要素一行もなし。
まあ教員って立場上、不用意な発言ができないから(生徒、保護者、地域すべてに影響が轟く)そういう仕事をしているうちに冗談とかパブリックな場で言えないようになっちゃうんだろうな。それはプロフェッショナルな職業として正しいし、公私混同せず子供にメリハリをつけさせるのが仕事みたいなもんだもんね。
さて著者の諏訪さんは、すでに定年退職された(元)超ベテラン教員なんだけど、これまでも『別冊宝島』で、教育現場における親や教員を鋭く批判していて、今回(つっても7年前)ついに満をじして子供批判というアンタッチャブルに切り込んだ。
・・・というのも日本では西洋の子供観と違って、子供とは大人が失った「純粋さ」の象徴で、つねに大人社会の被害者であり、子供は普遍的に良い子であるというイメージが通俗化されているからだ。
子供は「小さい大人」であり、バカで未熟でほっとくと何しでかすかわからないから大人が責任をもって“大人に矯正する”というヨーロッパ型の教育理念とは大違い。
とはいえイギリスでも戦後、ロマン主義の影響で、子供を自然に育てれば美しく純粋に成長するという教育論が打ち立てられたことがあって、まあ、ぶっちゃけそれをやったのがハーバート・リード先生あたりなんだけど、日本ではそう言った子供の理想が歴史的にずっと受け継がれているわけ。
だから日本ではお年寄りや障害者批判と同程度に子供批判もタブーとなっている。子供を批判できなければ、子供がおかしくなった原因を子供以外に求めなければならない。
それは家庭のせいであり、学校のせいであり、つまるところその子に関わった教育者の責任だったということ。親は何やってんだ、学校は何やってんだ。
「至らない者には至らない者の理由がある・・・・」などという・・・・温情的な・・・・確かな「悪」を認めない・・・・そんな理屈が通り過ぎた・・・・・・・・!
そんな屁理屈の結論は・・・・彼が悪いのではなく・・・・・・家庭・・・・学校・・・・あるいは・・・・・・・・社会が悪い・・・・などと言う何が何やらわからない・・・・成した悪の責任を・・・・無限に薄めていく結論だ・・・・!
なんだこれは・・・・!?どう納得すればいいのだ・・・・・・!?まるで手品ではないか(福本伸行『無頼伝涯』)
確かに手品だw
そんな手品をする理由は、成人でもない子供に大人一人分の責任を押し付けるのはあまりに酷だから。でも現状を見ずに(具体的には荒れる子どもと対峙せずに)教育現場を叩いても不毛だ。
確かに子供に何か問題が起きた時、たいていの場合、家庭や学校に問題があるし、それらが子供に多くの影響を与えている場所であることは間違いない。
しかしそれでも諏訪さんはこういう。今の子供の変化は親や教員だけの影響とは考えられないほど根が深く異質な兆候を見せている、と。
これは教員が子供を無理やり学校に馴染ませようとして、その反動で子供がそうなったのではなく、学校に来る前から子供は学校(という社会を縮小化したシステム)とコンフリクトを起こすようなオレルールを完成させて入学してくるというのだ!
例えばタバコを吸っている男の子が、タバコを吸っている現場を生徒指導の先生に押さえられても「吸ってねえよ」とめちゃくちゃな逆上をする。
テスト中に女の子がカンニングペーパーを見ていて、それを試験監督が注意しても「これはテスト前に見ていたもので、テストが始まる前に机の中にしまい忘れただけです!だからカンニングなんてしていません!」と怒り出す。
授業中騒いでいて先生が注意しても「うるせえなちゃんと聴いてるよ!これくらい喋っても授業妨害には当たらねえだろ!」と取り付く島がない・・・そんな無茶苦茶な奴いねえよって思ってませんか?実は今の学校にたくさんいますよ。
彼らの思考には「他者(社会)」がない。いやもちろんあるっちゃあるんだけど、世の中や社会がどうも自分のためにあるというか、自分の思った通りになるって思っているらしい。
これをセカイ系・・・じゃなかったオレ様化という。つまりは彼らには主観と客観の区別がない。客体世界が自分の思い通りにならないといった葛藤を経験せずに中学校、高校、大学まで進んできてしまう。
普通は幼稚園か小学校あたりから無理が出てきそうなこのオレ様ルールを、なぜ今の子供たちは青年期まで維持できるのだろうか。それは子供の精神年齢が単純に下がっただけなのだろうか。
諏訪さんは、今の子供たちは学校という社会に入る前から、子供たちはすでに社会的に自立しているのではないか?という仮説を立てる。
それは消費者としての自立だ。今の子供は「お金」という公平な力を、集団ルールや労働を学ぶよりも前に与えられてしまう。
そしてお店は相手が子供でも、その手にお金があれば、平等に「お客様」扱いしてくれる。だから精神的な成熟以前に子供は“一人前”になってしまうのだ。
つまり子供は決して先生にわがままや無茶な要求を言っているわけじゃない(少なくとも本人はそう思っている)。一人の自立した個として、一対一のフラットかつフェアな関係を教員に要請しているのだ。
つまりかつての学校にあった「教員>生徒」という前提がすでに現代は成り立たない。いまや「教員=子供」なのだ。
だから今の子供は「先生は尊敬しなきゃ」とも「とりあえず相手が先生(大人)だから言うことを聞こう」ともしない。「先生の中にも俺と話の分かる奴がいるじゃねえか。よしそいつの授業だけは受けてやろう」という思考をする。
つまり徹底的なお客様は神様スタンスなんだ。
確かに子供にとって教育は義務ではなく権利だ。だけれどもここまで子供の意識が変わってしまったら、もう今までのやり方では学校は運営できない。どこかで機能不全に陥ってしまう。「子供は大人が守る代わりに言う事を聞く」というこれまでの前提がなくなってしまったのだから。
これはリベラルな人にとっては進歩だと喜ぶのかもしれない。
実際、当時の文部省が「共同体性(みんなでルールを守ること)」を学校から放棄させ、近代的な自立した「個」、自由な「個」を育てようと方針を切ったのだから。
旧文部省は共同体性を取り去ることによって、かえって近代的な「個」の形成が妨げられることが分かっていない。(『オレ様化する子どもたち』87ページ)
だから、本当はまずは共同体的な教育をして子どもたちに「社会が必要と判断しているもの」を学ばせ、そのプロセスの中で「自らが必要とし、望むもの」を学べるように支援していけばいいのである。(同86ページ)
私には、この「オレ様化」した子供が、現代の社会の適応戦略としてあんがい正しくて、古いやり方をやり続けようとする学校がもういらないってことなのかはわからない。
とりあえず諏訪さんがおっしゃるように、経済のグローバル化(あとは社会集団のフラット化、思想のポストモダン化、それとインターネットは大きいと思う!)という、特定の家庭や学校とは比べ物にならないほど大きな流れによって、子供たちの考え方に大きな変革が訪れていることは確かだと思う。でも・・・これって対処法がないよね。
実際この本も「現状はこうなってるよ」っていうところだけで終わっていて、「じゃあどうすればいいのか?」についてはほとんど書かれていない。受け入れよってことなのだろうかw
この本でさ、私が一番勉強になったのって「理論に対するイメージ」なんだ。私って今までずっと「理論ってリアルをどれだけ正しく読み取って、演繹過程に誤りがないか」が重要だと思ってたんだ。科学理論なんてそうだよね。
でもさ、理論がそれ以上に大事なのって使い勝手の良さなんだよ。それがあまりに抽象化されすぎていて、時に事実と違っていても、人間は複雑なものを複雑なまま認識はできない。理論はまずもって道具なんだ。
この諏訪さんの説はおそらく正しい。現場を知っているだけある。でも使えないんだwどう使えばいいんだって。
子供が変になっています。それは本人や家庭や学校や社会にも原因がありますが、根本の原因はもっとマクロな系にあってグローバル化です。
入学時から何故か発生する学級崩壊に対処できない先生、集団生活が嫌いで学校からパージしちゃう子供、自分の子からナイフを突きつけられているお母さん・・・そういう現場で苦しむ人たちにこの結論はあまりに効果がない。
原因を現状に即して正確に追求しようとすると、原因がどんどん雪だるま式になっていって結局でかすぎて把握できなくなってしまう・・・
まるで手品ではないか!?
著者はプロ教師の会の諏訪哲二さん。
しかし内田樹さんと違って、学校の教員の書く本って、本当文体が良くも悪くも硬いですよね。あの「うふふ」の尾木ママですら、めちゃくちゃ真面目でオカマ要素一行もなし。
まあ教員って立場上、不用意な発言ができないから(生徒、保護者、地域すべてに影響が轟く)そういう仕事をしているうちに冗談とかパブリックな場で言えないようになっちゃうんだろうな。それはプロフェッショナルな職業として正しいし、公私混同せず子供にメリハリをつけさせるのが仕事みたいなもんだもんね。
さて著者の諏訪さんは、すでに定年退職された(元)超ベテラン教員なんだけど、これまでも『別冊宝島』で、教育現場における親や教員を鋭く批判していて、今回(つっても7年前)ついに満をじして子供批判というアンタッチャブルに切り込んだ。
・・・というのも日本では西洋の子供観と違って、子供とは大人が失った「純粋さ」の象徴で、つねに大人社会の被害者であり、子供は普遍的に良い子であるというイメージが通俗化されているからだ。
子供は「小さい大人」であり、バカで未熟でほっとくと何しでかすかわからないから大人が責任をもって“大人に矯正する”というヨーロッパ型の教育理念とは大違い。
とはいえイギリスでも戦後、ロマン主義の影響で、子供を自然に育てれば美しく純粋に成長するという教育論が打ち立てられたことがあって、まあ、ぶっちゃけそれをやったのがハーバート・リード先生あたりなんだけど、日本ではそう言った子供の理想が歴史的にずっと受け継がれているわけ。
だから日本ではお年寄りや障害者批判と同程度に子供批判もタブーとなっている。子供を批判できなければ、子供がおかしくなった原因を子供以外に求めなければならない。
それは家庭のせいであり、学校のせいであり、つまるところその子に関わった教育者の責任だったということ。親は何やってんだ、学校は何やってんだ。
「至らない者には至らない者の理由がある・・・・」などという・・・・温情的な・・・・確かな「悪」を認めない・・・・そんな理屈が通り過ぎた・・・・・・・・!
そんな屁理屈の結論は・・・・彼が悪いのではなく・・・・・・家庭・・・・学校・・・・あるいは・・・・・・・・社会が悪い・・・・などと言う何が何やらわからない・・・・成した悪の責任を・・・・無限に薄めていく結論だ・・・・!
なんだこれは・・・・!?どう納得すればいいのだ・・・・・・!?まるで手品ではないか(福本伸行『無頼伝涯』)
確かに手品だw
そんな手品をする理由は、成人でもない子供に大人一人分の責任を押し付けるのはあまりに酷だから。でも現状を見ずに(具体的には荒れる子どもと対峙せずに)教育現場を叩いても不毛だ。
確かに子供に何か問題が起きた時、たいていの場合、家庭や学校に問題があるし、それらが子供に多くの影響を与えている場所であることは間違いない。
しかしそれでも諏訪さんはこういう。今の子供の変化は親や教員だけの影響とは考えられないほど根が深く異質な兆候を見せている、と。
これは教員が子供を無理やり学校に馴染ませようとして、その反動で子供がそうなったのではなく、学校に来る前から子供は学校(という社会を縮小化したシステム)とコンフリクトを起こすようなオレルールを完成させて入学してくるというのだ!
例えばタバコを吸っている男の子が、タバコを吸っている現場を生徒指導の先生に押さえられても「吸ってねえよ」とめちゃくちゃな逆上をする。
テスト中に女の子がカンニングペーパーを見ていて、それを試験監督が注意しても「これはテスト前に見ていたもので、テストが始まる前に机の中にしまい忘れただけです!だからカンニングなんてしていません!」と怒り出す。
授業中騒いでいて先生が注意しても「うるせえなちゃんと聴いてるよ!これくらい喋っても授業妨害には当たらねえだろ!」と取り付く島がない・・・そんな無茶苦茶な奴いねえよって思ってませんか?実は今の学校にたくさんいますよ。
彼らの思考には「他者(社会)」がない。いやもちろんあるっちゃあるんだけど、世の中や社会がどうも自分のためにあるというか、自分の思った通りになるって思っているらしい。
これをセカイ系・・・じゃなかったオレ様化という。つまりは彼らには主観と客観の区別がない。客体世界が自分の思い通りにならないといった葛藤を経験せずに中学校、高校、大学まで進んできてしまう。
普通は幼稚園か小学校あたりから無理が出てきそうなこのオレ様ルールを、なぜ今の子供たちは青年期まで維持できるのだろうか。それは子供の精神年齢が単純に下がっただけなのだろうか。
諏訪さんは、今の子供たちは学校という社会に入る前から、子供たちはすでに社会的に自立しているのではないか?という仮説を立てる。
それは消費者としての自立だ。今の子供は「お金」という公平な力を、集団ルールや労働を学ぶよりも前に与えられてしまう。
そしてお店は相手が子供でも、その手にお金があれば、平等に「お客様」扱いしてくれる。だから精神的な成熟以前に子供は“一人前”になってしまうのだ。
つまり子供は決して先生にわがままや無茶な要求を言っているわけじゃない(少なくとも本人はそう思っている)。一人の自立した個として、一対一のフラットかつフェアな関係を教員に要請しているのだ。
つまりかつての学校にあった「教員>生徒」という前提がすでに現代は成り立たない。いまや「教員=子供」なのだ。
だから今の子供は「先生は尊敬しなきゃ」とも「とりあえず相手が先生(大人)だから言うことを聞こう」ともしない。「先生の中にも俺と話の分かる奴がいるじゃねえか。よしそいつの授業だけは受けてやろう」という思考をする。
つまり徹底的なお客様は神様スタンスなんだ。
確かに子供にとって教育は義務ではなく権利だ。だけれどもここまで子供の意識が変わってしまったら、もう今までのやり方では学校は運営できない。どこかで機能不全に陥ってしまう。「子供は大人が守る代わりに言う事を聞く」というこれまでの前提がなくなってしまったのだから。
これはリベラルな人にとっては進歩だと喜ぶのかもしれない。
実際、当時の文部省が「共同体性(みんなでルールを守ること)」を学校から放棄させ、近代的な自立した「個」、自由な「個」を育てようと方針を切ったのだから。
旧文部省は共同体性を取り去ることによって、かえって近代的な「個」の形成が妨げられることが分かっていない。(『オレ様化する子どもたち』87ページ)
だから、本当はまずは共同体的な教育をして子どもたちに「社会が必要と判断しているもの」を学ばせ、そのプロセスの中で「自らが必要とし、望むもの」を学べるように支援していけばいいのである。(同86ページ)
私には、この「オレ様化」した子供が、現代の社会の適応戦略としてあんがい正しくて、古いやり方をやり続けようとする学校がもういらないってことなのかはわからない。
とりあえず諏訪さんがおっしゃるように、経済のグローバル化(あとは社会集団のフラット化、思想のポストモダン化、それとインターネットは大きいと思う!)という、特定の家庭や学校とは比べ物にならないほど大きな流れによって、子供たちの考え方に大きな変革が訪れていることは確かだと思う。でも・・・これって対処法がないよね。
実際この本も「現状はこうなってるよ」っていうところだけで終わっていて、「じゃあどうすればいいのか?」についてはほとんど書かれていない。受け入れよってことなのだろうかw
この本でさ、私が一番勉強になったのって「理論に対するイメージ」なんだ。私って今までずっと「理論ってリアルをどれだけ正しく読み取って、演繹過程に誤りがないか」が重要だと思ってたんだ。科学理論なんてそうだよね。
でもさ、理論がそれ以上に大事なのって使い勝手の良さなんだよ。それがあまりに抽象化されすぎていて、時に事実と違っていても、人間は複雑なものを複雑なまま認識はできない。理論はまずもって道具なんだ。
この諏訪さんの説はおそらく正しい。現場を知っているだけある。でも使えないんだwどう使えばいいんだって。
子供が変になっています。それは本人や家庭や学校や社会にも原因がありますが、根本の原因はもっとマクロな系にあってグローバル化です。
入学時から何故か発生する学級崩壊に対処できない先生、集団生活が嫌いで学校からパージしちゃう子供、自分の子からナイフを突きつけられているお母さん・・・そういう現場で苦しむ人たちにこの結論はあまりに効果がない。
原因を現状に即して正確に追求しようとすると、原因がどんどん雪だるま式になっていって結局でかすぎて把握できなくなってしまう・・・
まるで手品ではないか!?
『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』
2012-12-02 23:46:18 (10 years ago)
どいつもこいつも刹那的。
高校の頃、クラスのガリ勉タイプの子と議論したことがある。「田代は世の中舐めている。お前は授業中も漫画ばかり描いてて好きなことしかやらないけれど、少しは自分の将来を考えて嫌なこともやれよ」って言われたから「でもたった一度の人生なんだし夢のために好きなことやったっていいじゃん。将来のためにやりたくないこと我慢してやって、その将来が来る前に死んじゃったら嫌じゃない?」って返したんだけれど、確かに当時の私は自分の好き勝手に生きてて、やりたいことばっかりやってた気がする。逆に言えば「好き」という短絡的かつ主観的な感情だけで、何かに熱中できたってこと。
そうやって生きないともったいないと思っていたし、まだ高校生なのに手堅い進路を選んだり、失敗したことを想定してリスク分散しているのは、自分の人生を見限るというかなんかつまらない生き方のように正直あの頃は思っていた。
将来の夢は安定した公務員ですってなんだよって。おじいちゃんかよって。
高校の頃そうやって意見が対立したその人とは、その後会ったことがないんだけど、風の噂では大学では博士課程に進んだらしい。で、私は教育学部に行って公務員である学校の先生の免許を取り、今に至るのだけど、どっちが結局クリエイティブな人生かっていったら、どう考えてもリスク分散を怠らなかったその安定志向の子だろう。これはなんとも情けない話だ。
きっと高校時代生徒会やったりして、好き勝手に自由に生きていた(つもりの)私のほうが、学者になったその子よりも生涯年収はずっと低いだろうし、不自由な暮らしをせざるを得ないということ。自業自得だ、自己責任だって言われれば全くその通り。
そう、このように、自由意志や自己責任論が大好きで、自分の好きなこと、自分が賞賛されるクリエイティブな仕事(だけが)したい人こそが、それこそ自業自得で下流に流されていくのだ。
――このメカニズムを著者の内田樹さんは下流志向と名付けた。
ここでの「志向」というのは、自分からそこを目指すという意味合いよりも、もっと生物学的な・・・虫や植物が光の方へよれてしまうといった意味合いに近いと思う。下流志向とは意思ではなく構造やシステムの“傾向”のようなものだと考えればいいのかも。
つまりハタから見れば下流に自ら突っ込んでいる「自称自由」なお間抜けさんは、自分が自分で下流へのルートを選んでいるとは全く自覚してないのだ。
なにせ弱肉強食の強者の論理を振りかざしているのは下流に流された社会的弱者たちなのだから。
で、若いうちは「社会なんて知ったこっちゃねえ。せっかくだから俺は自由に生きるぜ。夢が叶わなかったら死んでやるぜ、どうだワイルドだろ~?」とか、かっこいいこと言って結局将来を棒に振っちゃった人たち(青い鳥探しに行く人)を、「自分のためだけじゃなく社会のためにできることをやろう」って地道に働いてきた人(朝みんなが起きる前に雪かきをする人)が税金で間接的に面倒を見るという、本当とんでもない逆転現象がこれからの日本では起こるわけ。
なんと日本にはチャンスは今までたくさん与えられてきたのにそれを自ら棒に振ったニートの人が計測不能なほどいるらしいから。
そういった意味で新自由主義の改革は周到だったと思う。こういった構造的な格差社会の実現が全てネオリベの計画通りだとしたら世の中とんでもなく頭のキレる奴がいたもんだと感動すら覚えます。小泉さんただのXジャパンファンじゃないぞ!
とにかく「日本中の親、教師を震撼させたベストセラー」だけある。今まで読んだ本の中でもトップクラスに面白い。佐倉統さんの『進化論の挑戦』、橋爪大三郎さんの『はじめての構造主義』に匹敵・・・つーかちょっとしたホラーだよw
最近感じていた世の中に対する違和感がめっちゃクリアになって、いやそこまでは分かりたくないってくらい分かって吐き気を催したくらいw
ここまで完成度が高い本だと、もう私がここであれこれ言うよりも524円出して買って読んでくれって感じなんですよね。本当蛇足になっちゃうんで。
とりあえず本書で私が気に入った部分をいくつか紹介。
それが憲法に規定してあるというのは、“労働は私事ではない”からである。労働は共同体の存立の根幹に関わる公共的な行為なのである。(11ページ)
大学入学者の学力低下は実際に教育の現場に立ってみると、しみじみ実感されます。(略)「小学生的」というのは自分の主観的な「好き/嫌い」「わかる/わからない」がほとんど唯一の判断基準になっているということです。(23ページ)
「努力しても仕方がない」と結論を出しているのは、いちばん多くのリスクをかぶっている階層なのです。(99ページ)
今日本で語られている自己決定論というのは「『他の人がなんと言おうと私は私の決めた通りのことをやる』というのを『みんなのルール』にしませんか?」というものです。これ変ですよね?(143ページ)
仕事について「自己利益の最大化」を求める生き方がよいのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では不可欠の重要性を持っているということはアナウンスされない。(153ページ)
でも「団結」って、もう死語ですよね。ポストモダン以降「みんなで仲良く支え合って生きる」という人間にとってほんとうにたいせつな生き方の知恵を私たちは文字通り弊履を棄つるがごとく棄ててしまったから。(239ページ)
私も「協調性」という意味では胸を張れる立場じゃないけど、でも自分の意志で自分のやりたいことをやったのは、周りのクラスメイトがあまりにも保守的だったことに違和感を感じていたからだったりする。
それが今の小中学校では、かつては少数派だった自分みたいな破天荒な奴が多数派になってしまった。みんなが「自由=自分の意志で好き勝手に生きること」こそが正しいと思っていて、そのためなら努力してでも納得のいかない苦痛に対して反抗&逃避を“選択”するわけだ。
このような唯物論的かつ経済的な反応を「等価交換の原理」と言う(この言葉自体は、諏訪哲二著『オレ様化する子どもたち』からの引用)。
このロジックはホントかどうかわからないけどすごい衝撃的で、まあ実際に自分勝手に行動して学校崩壊させている子がそういった現象学的なことを自覚しているわけないから確認のしようもないのだけれど。
でも実際、私にもそういったことがあった。大学でパワハラやセクハラをする教授に食ってかかっていったのも、まあ教員として許せないっていう自己満足的な正義感もあったけれど、こっちが授業料払っているのに、こんな授業はねえだろっていう等価交換の原理が働いたからに違いない。
しかし教育はコンビニや自動販売機のようなサービスではない。長いタイムスパンで考えないと評価のしようもないものなのに、私たちはまるでレジで卵を買うかのように教育を“購入”してしまう。で、数学を140時間買ったのにテストの点が上がらねえじゃねえか!ってクレームを付ける。
そのような短絡的な判断が結果的にボクらを下流に押しやっているのだ。
・・・え?お前だけだって??
高校の頃、クラスのガリ勉タイプの子と議論したことがある。「田代は世の中舐めている。お前は授業中も漫画ばかり描いてて好きなことしかやらないけれど、少しは自分の将来を考えて嫌なこともやれよ」って言われたから「でもたった一度の人生なんだし夢のために好きなことやったっていいじゃん。将来のためにやりたくないこと我慢してやって、その将来が来る前に死んじゃったら嫌じゃない?」って返したんだけれど、確かに当時の私は自分の好き勝手に生きてて、やりたいことばっかりやってた気がする。逆に言えば「好き」という短絡的かつ主観的な感情だけで、何かに熱中できたってこと。
そうやって生きないともったいないと思っていたし、まだ高校生なのに手堅い進路を選んだり、失敗したことを想定してリスク分散しているのは、自分の人生を見限るというかなんかつまらない生き方のように正直あの頃は思っていた。
将来の夢は安定した公務員ですってなんだよって。おじいちゃんかよって。
高校の頃そうやって意見が対立したその人とは、その後会ったことがないんだけど、風の噂では大学では博士課程に進んだらしい。で、私は教育学部に行って公務員である学校の先生の免許を取り、今に至るのだけど、どっちが結局クリエイティブな人生かっていったら、どう考えてもリスク分散を怠らなかったその安定志向の子だろう。これはなんとも情けない話だ。
きっと高校時代生徒会やったりして、好き勝手に自由に生きていた(つもりの)私のほうが、学者になったその子よりも生涯年収はずっと低いだろうし、不自由な暮らしをせざるを得ないということ。自業自得だ、自己責任だって言われれば全くその通り。
そう、このように、自由意志や自己責任論が大好きで、自分の好きなこと、自分が賞賛されるクリエイティブな仕事(だけが)したい人こそが、それこそ自業自得で下流に流されていくのだ。
――このメカニズムを著者の内田樹さんは下流志向と名付けた。
ここでの「志向」というのは、自分からそこを目指すという意味合いよりも、もっと生物学的な・・・虫や植物が光の方へよれてしまうといった意味合いに近いと思う。下流志向とは意思ではなく構造やシステムの“傾向”のようなものだと考えればいいのかも。
つまりハタから見れば下流に自ら突っ込んでいる「自称自由」なお間抜けさんは、自分が自分で下流へのルートを選んでいるとは全く自覚してないのだ。
なにせ弱肉強食の強者の論理を振りかざしているのは下流に流された社会的弱者たちなのだから。
で、若いうちは「社会なんて知ったこっちゃねえ。せっかくだから俺は自由に生きるぜ。夢が叶わなかったら死んでやるぜ、どうだワイルドだろ~?」とか、かっこいいこと言って結局将来を棒に振っちゃった人たち(青い鳥探しに行く人)を、「自分のためだけじゃなく社会のためにできることをやろう」って地道に働いてきた人(朝みんなが起きる前に雪かきをする人)が税金で間接的に面倒を見るという、本当とんでもない逆転現象がこれからの日本では起こるわけ。
なんと日本にはチャンスは今までたくさん与えられてきたのにそれを自ら棒に振ったニートの人が計測不能なほどいるらしいから。
そういった意味で新自由主義の改革は周到だったと思う。こういった構造的な格差社会の実現が全てネオリベの計画通りだとしたら世の中とんでもなく頭のキレる奴がいたもんだと感動すら覚えます。小泉さんただのXジャパンファンじゃないぞ!
とにかく「日本中の親、教師を震撼させたベストセラー」だけある。今まで読んだ本の中でもトップクラスに面白い。佐倉統さんの『進化論の挑戦』、橋爪大三郎さんの『はじめての構造主義』に匹敵・・・つーかちょっとしたホラーだよw
最近感じていた世の中に対する違和感がめっちゃクリアになって、いやそこまでは分かりたくないってくらい分かって吐き気を催したくらいw
ここまで完成度が高い本だと、もう私がここであれこれ言うよりも524円出して買って読んでくれって感じなんですよね。本当蛇足になっちゃうんで。
とりあえず本書で私が気に入った部分をいくつか紹介。
それが憲法に規定してあるというのは、“労働は私事ではない”からである。労働は共同体の存立の根幹に関わる公共的な行為なのである。(11ページ)
大学入学者の学力低下は実際に教育の現場に立ってみると、しみじみ実感されます。(略)「小学生的」というのは自分の主観的な「好き/嫌い」「わかる/わからない」がほとんど唯一の判断基準になっているということです。(23ページ)
「努力しても仕方がない」と結論を出しているのは、いちばん多くのリスクをかぶっている階層なのです。(99ページ)
今日本で語られている自己決定論というのは「『他の人がなんと言おうと私は私の決めた通りのことをやる』というのを『みんなのルール』にしませんか?」というものです。これ変ですよね?(143ページ)
仕事について「自己利益の最大化」を求める生き方がよいのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では不可欠の重要性を持っているということはアナウンスされない。(153ページ)
でも「団結」って、もう死語ですよね。ポストモダン以降「みんなで仲良く支え合って生きる」という人間にとってほんとうにたいせつな生き方の知恵を私たちは文字通り弊履を棄つるがごとく棄ててしまったから。(239ページ)
私も「協調性」という意味では胸を張れる立場じゃないけど、でも自分の意志で自分のやりたいことをやったのは、周りのクラスメイトがあまりにも保守的だったことに違和感を感じていたからだったりする。
それが今の小中学校では、かつては少数派だった自分みたいな破天荒な奴が多数派になってしまった。みんなが「自由=自分の意志で好き勝手に生きること」こそが正しいと思っていて、そのためなら努力してでも納得のいかない苦痛に対して反抗&逃避を“選択”するわけだ。
このような唯物論的かつ経済的な反応を「等価交換の原理」と言う(この言葉自体は、諏訪哲二著『オレ様化する子どもたち』からの引用)。
このロジックはホントかどうかわからないけどすごい衝撃的で、まあ実際に自分勝手に行動して学校崩壊させている子がそういった現象学的なことを自覚しているわけないから確認のしようもないのだけれど。
でも実際、私にもそういったことがあった。大学でパワハラやセクハラをする教授に食ってかかっていったのも、まあ教員として許せないっていう自己満足的な正義感もあったけれど、こっちが授業料払っているのに、こんな授業はねえだろっていう等価交換の原理が働いたからに違いない。
しかし教育はコンビニや自動販売機のようなサービスではない。長いタイムスパンで考えないと評価のしようもないものなのに、私たちはまるでレジで卵を買うかのように教育を“購入”してしまう。で、数学を140時間買ったのにテストの点が上がらねえじゃねえか!ってクレームを付ける。
そのような短絡的な判断が結果的にボクらを下流に押しやっているのだ。
・・・え?お前だけだって??
『ウルトラセブン研究読本』
2012-11-26 23:47:14 (10 years ago)
マロさん一押しの本。とにかく内容がすごく濃い。この本の影響で今ウルトラセブンにはまって全話DVD借りてきましたwウルトラセブンウィルス感染・・・!
この本の詳細についてはマロさんのブログをあたってもらうとして、ここではウルトラセブンの考察なんかをちょっとだけ。
そもそも私ってウルトラマンが好きって言いながら全話見ているのはそれこそウルトラマンだけなんですよ。本当にウルトラマン(だけ)が好き。
だからウルトラセブンってちょっとしか見てなくて、まあ理由はウルトラマンと違って敵が宇宙人ばかりで怪獣がろくに出てこないじゃないですか。
わずかに出てくる怪獣も宇宙人が連れてきた宇宙怪獣ばかりだから、形態につかみどころのないプログレ系ばっかりで・・・とにかく私は恐竜とか怪獣が好きだから人型の敵にあまり熱くなれないんですよね。おこちゃまだったんです。
でもやっと28にしてウルトラセブンがわかる歳になったわけですよwウルトラシリーズの最高傑作と言われるだけはある。とんでもなくクオリティが高い。
そもそもウルトラシリーズってウルトラマンとウルトラセブンで完結させる予定だったそうなんですよ。だからやり残すことがないようにしようと、すっごい内容を濃く作っている。
もう脚本から演出、音楽、特撮技術まで全力勝負、完全燃焼のとんでもないエネルギーを費やしているのがわかる。
隊長!こうなったら玉砕戦法しかありません!
バカを言うなソガ!
ダン隊員なんて月収3万円で朝(=深夜)から晩(=深夜)まで働かされ、フルハシ隊員はダイビングシーンで酸素ボンベの代わりに塗装した消火器しょって水に飛び込まされたり・・・まあ唯一やる気がないのはひし美ゆり子くらいでw
とにかくみんなが本気で取り組んでいる。いや今の人だって本気で一生懸命作っているんだろうけれど、かつてのクリエイターは社会のためにコンテンツを作っていたんだよな。それがガイナックスあたりから自分たちが楽しむためにコンテンツを作りだした。
今の若者は人のためにも自分のためにもそこまで頑張れない。人生をかけてなにかひとつのことに打ち込めない。玉砕できない。
この頃の円谷プロってとにかく円谷英二のオヤジさんがいて「子どもに夢を」という強い思いが存在した。それを作り手たちが共有できていたというのもすごい。
ただ皮肉かな、ウルトラシリーズ完結編として作られたウルトラセブンのヒットで世は怪獣ブームになっちゃって、以降のシリーズではウルトラシリーズは金になるぞとマーチャンダイジングの論理が振りかざされ、ウルトラセブンに命をかけた職人達のいくらかは現場を去ったらしいんだけれど・・・
ETが流行ったとき地団駄踏みましたね。あんなETレベルの話なら快獣ブースカで何本も書いてる。シナリオレベルなら全くルーカスやスピルバーグに負けてない(市川森一)
こんなことを言えるなんて本当かっこいい。実際ウルトラセブンの何本かはスピルバーグ監督、影響受けたんじゃないかってほど画面の絵作りが似ている。
例えばガッツ星人のバリアーを張る円盤にジープの大舞台が立ち向かい全く歯が立たないシーンなどは『宇宙戦争』でほとんど同じシーンがある。
演出や特撮技術だけじゃなくウルトラセブンは脚本が子供向けと思えないほどガチンコで、とんでもなく骨太なプロットが数え切れないほどある。
これはもう企画部の金城さんや上原さんが自分たちで子供向けの王道(勧善懲悪)を覆しちゃったらしい。
プロとしては禁じ手って感じがするけど、それだけ強く訴えたいものがあったんだよね。今のクリエイターにはそういった厄介な気骨がないし、受け手もそういったお説教臭いテーマを必要としていない気がするからどうしょうもないんだけれど。なんか今のコンテンツって「メタ」はあるけれど「メタファー」がないんだよね。
何のための観測なの?それはいずれ自分たちが利用するためにやっていること
ノンマルトは悪くない!人間がいけないんだ!ノンマルトは人間より強くないんだ!攻撃をやめてよ!
ウルトラセブン!どうやら我々ポール星人の負けらしい。第3氷河時代は諦めることにする。しかし、我々が敗北したのはセブン、君に対してではない、地球人の忍耐だ!人間の持つ使命感だ!
教えてやろう、我々は人類が互いにルールを守り、信頼しあって生きていることに目をつけたのだ。地球を壊滅させるのに暴力をふるう必要はない。人間同士の信頼感をなくせばよい。人間たちは互いに敵視し傷つけあい、やがて自滅していく。どうだ、いい考えだろう
どーも人間は物覚えが悪くていかん。コーヒーの味が毎日違うんだからなあ
アンヌの部屋からこの爆弾を地球の中心にぶちこむことはできたんだ。それをしなかったのは最後の最後まで、私たちの科学の力がこの事態を何とかしようと・・・
それは、血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ…
と、とんでもない名セリフがウルトラセブンには数え切れないほどある。もう全部が秀逸なメタファーなんだ。
私は例え作り話でも「リアル」とまったく接点がない物って感動しないって思うんだけれど、ウルトラセブンってその点社会科学の文脈のSFとしてすごい優れていてマイケルサンデル毎週やってるようなもんなんだよね。
自分が描きたかったものって結局こういうものだったんだなあってなんか変に納得したというか安心できました。自分のやりたいことって時代錯誤かもしれないけれど決して間違ってないぞって。
おまけ
個人的に好きなエピソードベスト5
第一位『人間牧場』
サイエンスのSFとしてもっとも密度が濃いなあって思ったのがこの回。宇宙からやって来た知的生命体が若い女性を宿主にして自分たちのエネルギーを回収するというプロットは『魔法少女まどか☆マギカ』を40年以上先取りしている(つーかパクられた!??)。あと放射線治療とかやってるしね。私はやっぱりアイディア性のあるお話が好きなんだなあって。
またウルトラ警備隊がクライマックスで大活躍してセブンの窮地を救う回でもある。科特隊もそうだったけど、まだセブンまでは彼らの存在意義がちゃんとあったんだよね。ポール星人だってウルトラセブンに負けたんじゃなくて地球防衛軍の根性に負けたって言ってるしw
第二位『明日を捜せ』
自分で「私は古い人間だ」と言うキリヤマ隊長の意外な一面が楽しめる回。つーかオフのキリヤマ隊長もダンディw背広が似合うんだ。
市川森一さんはインタビューで「怪獣や宇宙人が出なくてもウルトラセブンは成立した。登場人物がしっかり描かれていたから。」と言っていて、確かに納得の回でした。
ウルトラセブンではウルトラ警備隊の各隊員を一人ずつフォーカスした回があって射撃の名手ソガ隊員がライバルと戦う回や、草食系のアマギ隊員の淡い恋のおはなし、フルハシ隊員のお母さんが箱根へやってくる回なんかもウェルメイドで感動しちゃった。人間ドラマだってやれるんだっていうw
第三位『V3からきた男』
私が最も大好きなキャラ、アウトローのクラタ隊長登場回。とにかくキリヤマ隊長との男の友情が熱い!キリヤマ隊長を演じた中山昭二さんって戦争で戦っているから「貴様」っていうセリフがすっごいしっくりくるんだよね。もうこんなセリフが様になる人なんて現代にいないよねwあと「生きてたらまた会おうぜ」選手権やったら絶対クラタ隊長の右に出る者はいないよねw
誠実&ワイルド、アイス&ファイア・・・本当名コンビだと思う。
第四位『狙われた街』
もう言わずもがなの名作。最後の最後でナレーションにグサリとやられる。放送時間的にもう話は終わったなって安心したところをこうだよw
画面、演出、脚本、すべてが独創的で素晴らしい。私があれこれ語るのは蛇足。見てくださいw
第五位『超兵器R1号』
こういう『ジュラシックパーク』みたいな展開の話大好きです。だからこの前書いた『80日間宇宙一周 CRIMSON WING』と似ている。ぐ・・・偶然テーマがかぶったんだよ!
好きな怪獣ベスト5も・・・どうでもいいだろうけど
第一位「核怪獣ギラドラス」
どうやったらこんな造形思いつくんだってくらいかっこいい。後ろ脚がじつはないんだよね。だからゾウアザラシやトドといった海生哺乳類を思わせる。
ちなみにギラドラスは『ウルトラセブン研究読本』でも表紙を飾った!つーかだから買ったっていうのもありますw
第二位「メカニズム怪獣リッガー」
知名度、人気ともにウルトラセブンではワーストな怪獣だけれど、こういう首の長い恐竜タイプの怪獣ってウルトラシリーズの初期って必ずひとシリーズに一体いてそれがどれもかっこいいんだよ。また作中ではかなり強い。みんな忘れてるけどw
成田亮さんから怪獣デザインを引き継いだ池谷仙克さんはこのリッガーをさらに発展させ『帰ってきたウルトラマン』の名作「キングザウルス三世」を生み出すわけで。ちなみに『ウルトラセブン研究読本』ではカプセル怪獣アギラは池谷さんがデザインしたって書いてあるけど池谷さんいわくアギラのデザインは成田さんの置き土産だったそうな。
第三位「宇宙蝦人間ビラ星人」
これもすごいデザインだよね。第一回目のクール星人からそうだけど中に人入ってないもんね!!そこらへんからもウルトラセブンとの差別化を試みたのかな。
ウルトラセブンの宇宙人って荒事は苦手だけど頭だけは切れるずる賢いタイプが結構いて、この手の侵略者は万策尽きるとセブンに円盤ごとあっさりぶっ殺される確率が高い(なんか可哀想。自業自得だけど)。
ちなみに喋り方がまんま「ワレワレハウチュウジンダ」で大爆笑wさらにテレビで放送してるからねw
第四位「宇宙竜ナース」
とぐろ巻いて円盤とか発想がすごい。ウルトラセブンってけっこうメカの敵が多いんだけどその中でもこれは異色作だと思う。人入ってないしね!(二回目)
デザインは印象に残っているけどナース戦ってイマイチ印象に残ってないwあっさりやられちゃったような・・・ヘビのような長い胴体でウルトラセブンを絞め殺そうとしたら「フン」って感じでバラバラにされちゃてw
第五位「双頭怪獣パンドン」
私は改造ではない方のが好き。『研究読本』の怪獣評論家は着ぐるみが「串カツみたいになっちゃった」って否定的だったけど私はこのなにがなんだからわからない頭の部分が結構好きですw結局パンドンって目はあるんだっけ?そういう好奇心をくすぐる形態だと思います。モグラの目みたいなもんだよね。あっても小さすぎてよくわからないっていうw
モグラめ、元気か!?
追記:一日経って気づいたんだけど好きな怪獣にエレキングを入れるのを忘れた!そしてなんで第三位にビラ星人なんかを入れてるんだろう・・・冷静になってみればそれほど好きじゃねえやこいつwウチワエビをモチーフにしたデザインはユニークで面白いけどね。でもこういったデザインの崩し方って私も中学生の頃オパビニア(『古代生物オパ』)で試みているんだよw
で、エレキングだけど、あれ、色がいいよね。宇宙ホルスタインって感じでw実際ピット星人のポケットモンスターか家畜って感じだったし・・・また尻尾が普通の怪獣よりも長いのも特徴的。武器に使ってるんだなっていうのがわかる。
しかしピット星人って軽い奴らだったよな。女子大生が「週末地球侵略行っちゃう?」みたいなノリで来てるもんね、それくらい宇宙人からしてみれば地球なんて道端に咲いた小さな花みたいなもんなんだろうね。
この本の詳細についてはマロさんのブログをあたってもらうとして、ここではウルトラセブンの考察なんかをちょっとだけ。
そもそも私ってウルトラマンが好きって言いながら全話見ているのはそれこそウルトラマンだけなんですよ。本当にウルトラマン(だけ)が好き。
だからウルトラセブンってちょっとしか見てなくて、まあ理由はウルトラマンと違って敵が宇宙人ばかりで怪獣がろくに出てこないじゃないですか。
わずかに出てくる怪獣も宇宙人が連れてきた宇宙怪獣ばかりだから、形態につかみどころのないプログレ系ばっかりで・・・とにかく私は恐竜とか怪獣が好きだから人型の敵にあまり熱くなれないんですよね。おこちゃまだったんです。
でもやっと28にしてウルトラセブンがわかる歳になったわけですよwウルトラシリーズの最高傑作と言われるだけはある。とんでもなくクオリティが高い。
そもそもウルトラシリーズってウルトラマンとウルトラセブンで完結させる予定だったそうなんですよ。だからやり残すことがないようにしようと、すっごい内容を濃く作っている。
もう脚本から演出、音楽、特撮技術まで全力勝負、完全燃焼のとんでもないエネルギーを費やしているのがわかる。
隊長!こうなったら玉砕戦法しかありません!
バカを言うなソガ!
ダン隊員なんて月収3万円で朝(=深夜)から晩(=深夜)まで働かされ、フルハシ隊員はダイビングシーンで酸素ボンベの代わりに塗装した消火器しょって水に飛び込まされたり・・・まあ唯一やる気がないのはひし美ゆり子くらいでw
とにかくみんなが本気で取り組んでいる。いや今の人だって本気で一生懸命作っているんだろうけれど、かつてのクリエイターは社会のためにコンテンツを作っていたんだよな。それがガイナックスあたりから自分たちが楽しむためにコンテンツを作りだした。
今の若者は人のためにも自分のためにもそこまで頑張れない。人生をかけてなにかひとつのことに打ち込めない。玉砕できない。
この頃の円谷プロってとにかく円谷英二のオヤジさんがいて「子どもに夢を」という強い思いが存在した。それを作り手たちが共有できていたというのもすごい。
ただ皮肉かな、ウルトラシリーズ完結編として作られたウルトラセブンのヒットで世は怪獣ブームになっちゃって、以降のシリーズではウルトラシリーズは金になるぞとマーチャンダイジングの論理が振りかざされ、ウルトラセブンに命をかけた職人達のいくらかは現場を去ったらしいんだけれど・・・
ETが流行ったとき地団駄踏みましたね。あんなETレベルの話なら快獣ブースカで何本も書いてる。シナリオレベルなら全くルーカスやスピルバーグに負けてない(市川森一)
こんなことを言えるなんて本当かっこいい。実際ウルトラセブンの何本かはスピルバーグ監督、影響受けたんじゃないかってほど画面の絵作りが似ている。
例えばガッツ星人のバリアーを張る円盤にジープの大舞台が立ち向かい全く歯が立たないシーンなどは『宇宙戦争』でほとんど同じシーンがある。
演出や特撮技術だけじゃなくウルトラセブンは脚本が子供向けと思えないほどガチンコで、とんでもなく骨太なプロットが数え切れないほどある。
これはもう企画部の金城さんや上原さんが自分たちで子供向けの王道(勧善懲悪)を覆しちゃったらしい。
プロとしては禁じ手って感じがするけど、それだけ強く訴えたいものがあったんだよね。今のクリエイターにはそういった厄介な気骨がないし、受け手もそういったお説教臭いテーマを必要としていない気がするからどうしょうもないんだけれど。なんか今のコンテンツって「メタ」はあるけれど「メタファー」がないんだよね。
何のための観測なの?それはいずれ自分たちが利用するためにやっていること
ノンマルトは悪くない!人間がいけないんだ!ノンマルトは人間より強くないんだ!攻撃をやめてよ!
ウルトラセブン!どうやら我々ポール星人の負けらしい。第3氷河時代は諦めることにする。しかし、我々が敗北したのはセブン、君に対してではない、地球人の忍耐だ!人間の持つ使命感だ!
教えてやろう、我々は人類が互いにルールを守り、信頼しあって生きていることに目をつけたのだ。地球を壊滅させるのに暴力をふるう必要はない。人間同士の信頼感をなくせばよい。人間たちは互いに敵視し傷つけあい、やがて自滅していく。どうだ、いい考えだろう
どーも人間は物覚えが悪くていかん。コーヒーの味が毎日違うんだからなあ
アンヌの部屋からこの爆弾を地球の中心にぶちこむことはできたんだ。それをしなかったのは最後の最後まで、私たちの科学の力がこの事態を何とかしようと・・・
それは、血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ…
と、とんでもない名セリフがウルトラセブンには数え切れないほどある。もう全部が秀逸なメタファーなんだ。
私は例え作り話でも「リアル」とまったく接点がない物って感動しないって思うんだけれど、ウルトラセブンってその点社会科学の文脈のSFとしてすごい優れていてマイケルサンデル毎週やってるようなもんなんだよね。
自分が描きたかったものって結局こういうものだったんだなあってなんか変に納得したというか安心できました。自分のやりたいことって時代錯誤かもしれないけれど決して間違ってないぞって。
おまけ
個人的に好きなエピソードベスト5
第一位『人間牧場』
サイエンスのSFとしてもっとも密度が濃いなあって思ったのがこの回。宇宙からやって来た知的生命体が若い女性を宿主にして自分たちのエネルギーを回収するというプロットは『魔法少女まどか☆マギカ』を40年以上先取りしている(つーかパクられた!??)。あと放射線治療とかやってるしね。私はやっぱりアイディア性のあるお話が好きなんだなあって。
またウルトラ警備隊がクライマックスで大活躍してセブンの窮地を救う回でもある。科特隊もそうだったけど、まだセブンまでは彼らの存在意義がちゃんとあったんだよね。ポール星人だってウルトラセブンに負けたんじゃなくて地球防衛軍の根性に負けたって言ってるしw
第二位『明日を捜せ』
自分で「私は古い人間だ」と言うキリヤマ隊長の意外な一面が楽しめる回。つーかオフのキリヤマ隊長もダンディw背広が似合うんだ。
市川森一さんはインタビューで「怪獣や宇宙人が出なくてもウルトラセブンは成立した。登場人物がしっかり描かれていたから。」と言っていて、確かに納得の回でした。
ウルトラセブンではウルトラ警備隊の各隊員を一人ずつフォーカスした回があって射撃の名手ソガ隊員がライバルと戦う回や、草食系のアマギ隊員の淡い恋のおはなし、フルハシ隊員のお母さんが箱根へやってくる回なんかもウェルメイドで感動しちゃった。人間ドラマだってやれるんだっていうw
第三位『V3からきた男』
私が最も大好きなキャラ、アウトローのクラタ隊長登場回。とにかくキリヤマ隊長との男の友情が熱い!キリヤマ隊長を演じた中山昭二さんって戦争で戦っているから「貴様」っていうセリフがすっごいしっくりくるんだよね。もうこんなセリフが様になる人なんて現代にいないよねwあと「生きてたらまた会おうぜ」選手権やったら絶対クラタ隊長の右に出る者はいないよねw
誠実&ワイルド、アイス&ファイア・・・本当名コンビだと思う。
第四位『狙われた街』
もう言わずもがなの名作。最後の最後でナレーションにグサリとやられる。放送時間的にもう話は終わったなって安心したところをこうだよw
画面、演出、脚本、すべてが独創的で素晴らしい。私があれこれ語るのは蛇足。見てくださいw
第五位『超兵器R1号』
こういう『ジュラシックパーク』みたいな展開の話大好きです。だからこの前書いた『80日間宇宙一周 CRIMSON WING』と似ている。ぐ・・・偶然テーマがかぶったんだよ!
好きな怪獣ベスト5も・・・どうでもいいだろうけど
第一位「核怪獣ギラドラス」
どうやったらこんな造形思いつくんだってくらいかっこいい。後ろ脚がじつはないんだよね。だからゾウアザラシやトドといった海生哺乳類を思わせる。
ちなみにギラドラスは『ウルトラセブン研究読本』でも表紙を飾った!つーかだから買ったっていうのもありますw
第二位「メカニズム怪獣リッガー」
知名度、人気ともにウルトラセブンではワーストな怪獣だけれど、こういう首の長い恐竜タイプの怪獣ってウルトラシリーズの初期って必ずひとシリーズに一体いてそれがどれもかっこいいんだよ。また作中ではかなり強い。みんな忘れてるけどw
成田亮さんから怪獣デザインを引き継いだ池谷仙克さんはこのリッガーをさらに発展させ『帰ってきたウルトラマン』の名作「キングザウルス三世」を生み出すわけで。ちなみに『ウルトラセブン研究読本』ではカプセル怪獣アギラは池谷さんがデザインしたって書いてあるけど池谷さんいわくアギラのデザインは成田さんの置き土産だったそうな。
第三位「宇宙蝦人間ビラ星人」
これもすごいデザインだよね。第一回目のクール星人からそうだけど中に人入ってないもんね!!そこらへんからもウルトラセブンとの差別化を試みたのかな。
ウルトラセブンの宇宙人って荒事は苦手だけど頭だけは切れるずる賢いタイプが結構いて、この手の侵略者は万策尽きるとセブンに円盤ごとあっさりぶっ殺される確率が高い(なんか可哀想。自業自得だけど)。
ちなみに喋り方がまんま「ワレワレハウチュウジンダ」で大爆笑wさらにテレビで放送してるからねw
第四位「宇宙竜ナース」
とぐろ巻いて円盤とか発想がすごい。ウルトラセブンってけっこうメカの敵が多いんだけどその中でもこれは異色作だと思う。人入ってないしね!(二回目)
デザインは印象に残っているけどナース戦ってイマイチ印象に残ってないwあっさりやられちゃったような・・・ヘビのような長い胴体でウルトラセブンを絞め殺そうとしたら「フン」って感じでバラバラにされちゃてw
第五位「双頭怪獣パンドン」
私は改造ではない方のが好き。『研究読本』の怪獣評論家は着ぐるみが「串カツみたいになっちゃった」って否定的だったけど私はこのなにがなんだからわからない頭の部分が結構好きですw結局パンドンって目はあるんだっけ?そういう好奇心をくすぐる形態だと思います。モグラの目みたいなもんだよね。あっても小さすぎてよくわからないっていうw
モグラめ、元気か!?
追記:一日経って気づいたんだけど好きな怪獣にエレキングを入れるのを忘れた!そしてなんで第三位にビラ星人なんかを入れてるんだろう・・・冷静になってみればそれほど好きじゃねえやこいつwウチワエビをモチーフにしたデザインはユニークで面白いけどね。でもこういったデザインの崩し方って私も中学生の頃オパビニア(『古代生物オパ』)で試みているんだよw
で、エレキングだけど、あれ、色がいいよね。宇宙ホルスタインって感じでw実際ピット星人のポケットモンスターか家畜って感じだったし・・・また尻尾が普通の怪獣よりも長いのも特徴的。武器に使ってるんだなっていうのがわかる。
しかしピット星人って軽い奴らだったよな。女子大生が「週末地球侵略行っちゃう?」みたいなノリで来てるもんね、それくらい宇宙人からしてみれば地球なんて道端に咲いた小さな花みたいなもんなんだろうね。
『ウェブはバカと暇人のもの』
2012-11-20 17:02:14 (10 years ago)
揚げ足取りが大好きで、怒りっぽく、自分と関係ないくせに妙に品行方正で、クレーマー気質、思考停止の脊髄反射ばかりで、異論を認めたがらない(略)決定的な特徴は「暇人である」ということだ。書き込み内容や時刻から類推するに、無職やニート、フリーター、学生、専業主婦が多いと推測できる。『ウェブはバカと暇人のもの』59ページ
あ、オレだ。
著者はニュースサイトの編集者中川淳一郎氏。もうタイトルからしてすごいよね。ネットで話題になるには何をすればいいか心得ている人のタイトルのつけ方だよ。こういうのをバカと暇人への燃料投下というらしい。
案の定「てめーに言われたくねーよ」とか「バカや暇人に食わしてもらってるのはお前だろ」とか大騒ぎになってビジネス的には大成功?
まあ数年前に「週刊フジテレビ批評」でも取り上げられ賛否両論となった本だから、アマゾンのレビュー欄に星の数ほど感想はあるので(大体が脊髄反射的な酷評。きっと、無職やニート、フリーター、学生、専業主婦なんだろうな・・・)ここではこの本の内容についてというよりは、この本を読んで私が考えたことをいくつか。
とりあえずウェブでもなんでもバカは目立つということ。で多分ずっとバカな人はいない。RPGのステータス異常みたいなもんでバカって言う状態がある。でウェブはそのバカな「状態」をデータベースとして記録してしまう。
ガウス分布的に賢い人は全体に比べて少ない。賢くない人(≒バカ)がとにかく人口が多く、そういったひとが気軽にほぼノーリスクで匿名で発言できるようになっちゃった。だから下からの権力がものすごい。時に社会全体の不利益になるようなブレーキをかけてしまう。
結局正論だったり偉そうなこと言っても責任の矢面にはみんな立ちたくないから、集団のできるだけ後ろの方で先頭に向かって石を投げている。
戦略的にそのポジションが一番今はいいんだろうけれど群全体が崖に少しずつ近づいていることを知らない。このままじゃ遅かれ早かれみんな崖から落ちる。
これをイグアノドン(ベルニサルテンシス)のジレンマと名付ける。後ろにメガロサウルスはいないけれど。メガロサウルスはイグアノドン自身だというね。
あとウェブって同調圧力(ピアプレッシャー)が半端ない。これって中学生の集団とかに使う言葉だけどウェブの集団にも当てはまる。この圧力はプロフェッショナルというものを産まない。
プロっていうのはみんなが真面目だったらバカなことやって、みんながバカになったら真面目なことやる。プロは大衆に同調しない。
でもそういうプロはウェブではなかなか成功しないし、本当のプロはウェブに頼らなくてもリアルで評価される。
ウェブで勝利するのは恥も外聞も捨てた「迎合」。あえてバカに徹することでバカにバカにされればクチコミが発生する。上から物を言われるよりバカな人は自分よりバカな人をバカにしたい。
バカはバカの嗅覚でバカっぽい情報を嗅ぎつける。確かにほとんどのネットユーザーはためになる情報を欲してない気がする。それよりも上から目線でツッコめる対象を探している。
自分がバカだってことにバカな人は気づいていないから。作り手としてはどう考えてもマーケティング丸出しで恥ずかしくてやってられないよっていうのをやっちゃえばいいんだよな。結局はバカを気持ちよくさせるのが勝利の鍵。
典型的なのが今のエヴァンゲリオンだろうけれど。めっちゃ手の内がわかるけれど結局あの手法は強い。エヴァンゲリオンってコンテンツとしては大して質は高くないと思うんだよ。あれはコンテンツじゃなくてプラットフォームなんだよね。初音ミクとかもそう。そこに徹しているのがすごい。プロじゃなくてプロっぽいアニメオタクが作ったって感じ。
でもコンテンツの究極進化系ってそれなのかもしれない。たけしさんは日本人からどんどん「間」がなくなったって論じたけれどそれはよく言えば無駄なものが排除されて洗練されたとも言えるんだよね。それが文化として豊かかどうかはわからないけど。
ただ個人的には「そんなことやってよく恥ずかしくないよなあ」って。露骨に欲望を刺激するものに単純に反応してしまう。作り手の立場を想像するとなんかそれをやっちゃお終いよって。
だから東浩紀氏の指摘はその点正しい。見方を変えれば「動物化」しているように見える。微分するとそうでもないけれど積分するとバカに見えちゃう。
まあとにかく『アベンジャーズ』のコピーといいウェブの世界ではバカにされれば勝ちってことだよ。みんな何かをバカにしてツッコミたいわけで。
ウェブってそういう現象を可視化しちゃうからなあ。ウェブの動向を間にうけない方が絶対にいいな。ごく一部の世界だったりするし。それこそウェブでは暇な人が最強になるわけで。
だからウェブにどっぷり浸かると人間がバカに見えてきちゃう。でそれは自分がバカになっているってこと。人間の心理はそんな単純なものじゃなくてもっと繊細で複雑ってことを見失っちゃう。だから実際に会ってコミュニケーションとったほうがいいよ。暇なら外へ出ろw
ウェブにもそのコミュニティのルールはあるけれどそれってリアルの社会と互換性悪そうだし・・・
あ、オレだ。
著者はニュースサイトの編集者中川淳一郎氏。もうタイトルからしてすごいよね。ネットで話題になるには何をすればいいか心得ている人のタイトルのつけ方だよ。こういうのをバカと暇人への燃料投下というらしい。
案の定「てめーに言われたくねーよ」とか「バカや暇人に食わしてもらってるのはお前だろ」とか大騒ぎになってビジネス的には大成功?
まあ数年前に「週刊フジテレビ批評」でも取り上げられ賛否両論となった本だから、アマゾンのレビュー欄に星の数ほど感想はあるので(大体が脊髄反射的な酷評。きっと、無職やニート、フリーター、学生、専業主婦なんだろうな・・・)ここではこの本の内容についてというよりは、この本を読んで私が考えたことをいくつか。
とりあえずウェブでもなんでもバカは目立つということ。で多分ずっとバカな人はいない。RPGのステータス異常みたいなもんでバカって言う状態がある。でウェブはそのバカな「状態」をデータベースとして記録してしまう。
ガウス分布的に賢い人は全体に比べて少ない。賢くない人(≒バカ)がとにかく人口が多く、そういったひとが気軽にほぼノーリスクで匿名で発言できるようになっちゃった。だから下からの権力がものすごい。時に社会全体の不利益になるようなブレーキをかけてしまう。
結局正論だったり偉そうなこと言っても責任の矢面にはみんな立ちたくないから、集団のできるだけ後ろの方で先頭に向かって石を投げている。
戦略的にそのポジションが一番今はいいんだろうけれど群全体が崖に少しずつ近づいていることを知らない。このままじゃ遅かれ早かれみんな崖から落ちる。
これをイグアノドン(ベルニサルテンシス)のジレンマと名付ける。後ろにメガロサウルスはいないけれど。メガロサウルスはイグアノドン自身だというね。
あとウェブって同調圧力(ピアプレッシャー)が半端ない。これって中学生の集団とかに使う言葉だけどウェブの集団にも当てはまる。この圧力はプロフェッショナルというものを産まない。
プロっていうのはみんなが真面目だったらバカなことやって、みんながバカになったら真面目なことやる。プロは大衆に同調しない。
でもそういうプロはウェブではなかなか成功しないし、本当のプロはウェブに頼らなくてもリアルで評価される。
ウェブで勝利するのは恥も外聞も捨てた「迎合」。あえてバカに徹することでバカにバカにされればクチコミが発生する。上から物を言われるよりバカな人は自分よりバカな人をバカにしたい。
バカはバカの嗅覚でバカっぽい情報を嗅ぎつける。確かにほとんどのネットユーザーはためになる情報を欲してない気がする。それよりも上から目線でツッコめる対象を探している。
自分がバカだってことにバカな人は気づいていないから。作り手としてはどう考えてもマーケティング丸出しで恥ずかしくてやってられないよっていうのをやっちゃえばいいんだよな。結局はバカを気持ちよくさせるのが勝利の鍵。
典型的なのが今のエヴァンゲリオンだろうけれど。めっちゃ手の内がわかるけれど結局あの手法は強い。エヴァンゲリオンってコンテンツとしては大して質は高くないと思うんだよ。あれはコンテンツじゃなくてプラットフォームなんだよね。初音ミクとかもそう。そこに徹しているのがすごい。プロじゃなくてプロっぽいアニメオタクが作ったって感じ。
でもコンテンツの究極進化系ってそれなのかもしれない。たけしさんは日本人からどんどん「間」がなくなったって論じたけれどそれはよく言えば無駄なものが排除されて洗練されたとも言えるんだよね。それが文化として豊かかどうかはわからないけど。
ただ個人的には「そんなことやってよく恥ずかしくないよなあ」って。露骨に欲望を刺激するものに単純に反応してしまう。作り手の立場を想像するとなんかそれをやっちゃお終いよって。
だから東浩紀氏の指摘はその点正しい。見方を変えれば「動物化」しているように見える。微分するとそうでもないけれど積分するとバカに見えちゃう。
まあとにかく『アベンジャーズ』のコピーといいウェブの世界ではバカにされれば勝ちってことだよ。みんな何かをバカにしてツッコミたいわけで。
ウェブってそういう現象を可視化しちゃうからなあ。ウェブの動向を間にうけない方が絶対にいいな。ごく一部の世界だったりするし。それこそウェブでは暇な人が最強になるわけで。
だからウェブにどっぷり浸かると人間がバカに見えてきちゃう。でそれは自分がバカになっているってこと。人間の心理はそんな単純なものじゃなくてもっと繊細で複雑ってことを見失っちゃう。だから実際に会ってコミュニケーションとったほうがいいよ。暇なら外へ出ろw
ウェブにもそのコミュニティのルールはあるけれどそれってリアルの社会と互換性悪そうだし・・・
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