『中国化する日本』

 3年くらい前に出た新進気鋭の歴史学者與那覇潤さんの大ヒットベストセラー本。書店でも人気ランキング第一位に入ってたのを見かけたんだけど、なんだかんだでスルーしちゃってて、そういやこの本まだ読んでなかったな、と買ってしまった。
 しかし当時はなんでこんなんがバカ売れしたんだろう。まず「中国化」というワードが「みんな死ぬしかないじゃない」ばりにキャッチーだったことが挙げられよう。
 この「中国化」という言葉が厄介で、まず一般的な歴史学で用いられる「中国化」・・・漢民族を中心とした中華文化に他の民族や国家が取り込まれてしまうような意味合い(台湾など)で使っていない。
 そういう中国脅威論がやりたい人はネット掲示板に行ってください、というわけだ。言っとくけど、この挑発的なセリフはオレじゃないからね!この本に書いてあるんだってば。それに、最後まで読めばわかるけど、お前が行けよってなっちゃうんだけどね(^_^;)
 與那覇さんが言いたいのは、中国の歴史は宗の時代でだいたい完成し、この宗こそが普遍的道徳観を持った独裁権力と“その他大勢”という、現代にも似た流動的な自由主義経済を最初に実現させた先進国で、それに比べれば日本はおろか西洋だって遅れてるぜっていう、高校までの歴史の教科書には載ってないけど、本人曰く大学の歴史学や学会ではもはや定説らしい中国観だ。
 ここまで読んで、親日反中の人は怒ってこの本を放り投げちゃうかもしれないけれど、実は與那覇さんは別に中国を持ち上げて日本や西洋を蔑んでいるわけじゃない。

 というかもっとひどい。こやつは遠まわしに中国も馬鹿にしている。

 日本も中国も西洋もメタレベルでまとめて蔑んで、茶化して(それになぜか映画やアニメなどのサブカルチャーもぶち込んで)ネタにしているという、まあ底意地の悪い本なんだ。
 これは客観的に論証するために、全てを相対化しているわけではないし、むしろ逆だ。自分でもちゃんと定義できていない曖昧な二元論(※でもキャッチー)を絶対的な尺度にしている時点で、全然実証的じゃない。
 與那覇さんが言うように、こんなことに現在の歴史学会がなってるんだとしたら、むしろやばいんじゃないかって思うんだけど(みんな思いつきで議論しとんのかい)、さすがに出版して3年経つとネット上にも冷静な批判をする人たちが現れて、ちょっとホッとしてます。よかった~やっぱり歴史学の人たちもまともなんだっていう。
 こんな「目立てば勝ちなんや」的なやり方でアリなら、真面目に研究をしているたくさんの歴史学者さんがわりを食っちゃうもんな。
 最近では国立大学で文系分野を教育学部を含めてごっそりリストラしちゃえみたいになっているらしいから、そう言う意味で今後は淘汰圧が上がって、どんなインチキやハッタリでもいいから話題になればいいと言う戦略を選ぶ学者もどんどん出てくるだろう。
 だから、小保方さん騒動もそうだけれど、そういうことをしなかれば学者の世界も不景気で食っていけないっていうのが『中国化する日本』の本当の裏テーマなんじゃねえの?って、私は思うよ。

 話がそれちゃったから戻そう。で、古代から現代に至るまでの日本史を、「中国化」VS「江戸時代化」という二元論を強引に当てはめているから、まあほころびがひどくて、ちょっとやばくなってくると、「あの学者も言っています」「学会では常識です」というリーサルウェポンを惜しげもなく繰り出してくるという。
 私さ、学者の本で、「~~さんという偉い人も言っています。だから正しいのです」なんていう論理整合性の担保の仕方をやっている本、初めて見たよw
 もちろん、自分の論の説得力を増すためにほかの学者さんの意見を引用したりするのは、当たり前のことなんだけど、この人のやり方って結局は責任逃れのツールとして使ってるんだよ。つまりもしこの本の理論の矛盾が、賢い奴に指摘されても「いや、これ私のオリジナルな説じゃないんで・・・」って逃げれるわけ(信じられないかもしれないけどこの本はマジでそんな“保険”がいたるところでかけられている。まあ確かにこの二元論自体は別に目新しいものじゃないんだよな。大きな政府か小さな政府かっていうだけの話で、高校の政経の教科書レベルなんだよね)。

 ・・・だから、いろんな学者さんの意見や学説を自分の都合のいいようにパッチワークして、「どうだ、偉い人がみんなこういっている。だからオレは正しい。高校の歴史の知識しかないお前らは遅れてる~wwプ~クスクス」なんて、やられても、まあネット掲示板の歴史オタクならわかるけど、アカデミズムにいるプロの学者がすることじゃないだろっていう。この当事者意識のなさはまさにネット民。
 素人にはアカデミズム=「大学では定説」を振りかざし、プロの学者の批判には「これ誰々さんの説ですから」っていうレトリックは学者として極めて不誠実で無責任だ。その分野に詳しくない人に偉そうに知的スノッブを振りかざす、どこぞの科学オタクと一緒である。
 たけしさんが言うように、オタクとは「有益な情報を知りたい」という価値観で知識を蓄積しているのではなく、「人の知らない事を知っている、オレつええ」という価値観で生きているので(こういうのを差異化という)、情報の中身は正直どうでもいいのだ。相手が知らず、自分だけが知っている情報を持っている、それ自体がオタクのアイデンティティなんだ。

 つまりネット掲示板のオタクを馬鹿にしている割には、この人自身の行動パターンが見事にそんなオタク像と合致していて、もう豪快にブーメランになっちゃってて、これはもう最初からネタとして書いてるのか?って頭を抱えてしまう。
 「~~っていう学者が言っていました、よって正しいんです」を「グーグルで検索したら出てきました、よって正しいんです」に置き換えれば、なんとなく分かるでしょ?
 だから、ホンマでっかTVのノリで読むべき本だったのか??岡田斗司夫ゼミのノリで読む本だったのか????オレにはわからない・・・

 最後にホンマでっかTVの池田清彦さんが歴史について、意外とクリティカルなことを書いていたので引用しよう。

 歴史は物語であり、事実ではないというのは当たり前のことである。

 江戸時代から明治時代になると、我々はあたかもそこで時代がものすごく反転したように思う。江戸時代の最後と明治時代の頭はまったく違うように思う。しかし、当時生きていた人から見ると、実はそれほど大きな差はなく、むしろ連続的な面が強かったろう。
(略)
 たとえば人間の二千年の歴史を再現しようと思えば二千年かかる。
(略)
 そこで、歴史を必ずある同一性でくくって、時代区分をし、適当な物語をはめ込んで、歴史があたかもある同一性でくくれるかのように話すのである。その意味で、客観的な歴史は存在しない。(『構造主義進化論入門』176ページ)


 與那覇潤もホンマでっかTVに出ればいいんだよね。「なんか頓珍漢なこと言ってるけど、しょうがないか、ホンマでっかの人だし」ってなるし。

 與那覇さんは、地歴の教員免許に必要な必修単位(おそらく日本史)にこの本をテキストとして使っているという。そして自説と異なる意見の学生には単位を与えないらしい。恐怖である。
 私の大学にもいたけど、こういうパターナリズムな奴ほど、「学生はもっと自分の意見を自由に言え」とかカッコイイこと言うんだ。言われたら言われで感情的になるのにな。どうせ今の学生なんて自分の意見を言う勇気もないとタカをくくって見下しているのだろう。
 まともな学生なら、こんなデタラメな本は相手にしないはずだ。したがって頭がいい学生は教員になれないというおかしなことになってくる。う~ん・・・教育学部なくてもいいかな(^_^;)

『構造主義進化論入門』

 教授になってしまえば、論文などあまり書かなくても、よほどのことがない限りクビにならないが、それまでは切磋琢磨で一生懸命競争をする。それはまさに自然選択そのものだ。自然選択は、生物がやっているかどうかはともかくとして、実は自分たちがやっていることである。

 ホンマでっか!?TVという、日本人のメディアリテラシーを養うために開発された、日本一胡散臭いTVプログラムに出演中の池田清彦さんの著作。
 こしさんからの課題図書ということで、今度のオフ会での話すネタにもなるし早速注文して読んでみた。
 ・・・いや~面白かった!
 なにより、これ、すごい読みやすくて上手な文章。わかりやすくて読みやすい文章は「いい論文」になる得るが、いい論文は後世には残らない。残るのはわかりづらくて雑多な論文というのは、漫画やアニメ等の物語にも言えるなあ。(^_^;)

 現在では、論文はなるべくクリアに要点だけわかりやすく記載し、系統立てて書かなければならないという解説書が数多く出版されている。それらの指導書に照らし合わせれば、『種の起源』は悪文の見本だ。何を書いてあるのかよくわからない。
 私は論文の書き方を学生に教えるときに、まず学会のレフリーつきの論文にアクセプトさせるようなものは、規範的にクリアに書かなければいけないと教えている。しかし、後世に残るようなものは、ダーウィンが書いたように、わけのわからない書き方でないと残らないといっている、クリアなものは普通は長く生き残らないのだ。(114ページ)


 確かに、読者の解釈の余地や引っかかりみたいなものがないと残らないような気がするよね。ダーウィンの『種の起源』以外にも思い当たるのはいくつかある。マルクスの『資本論』、カントの『純粋理性批判』、ラカン、ドゥルーズガタリ…全部わかりづらいし読みづらい(そして分厚い)
 押井守のアニメやエヴァンゲリオンなんかもそうだろ。アレみんなよくわからないで面白がってんだよな。よくわからないものを見せてハッタリかまして、受け手をケムにまくのが私はあまり好きじゃないんだよね。それを見たほとんどの受け手は絶対賢くならないだろうから。
 池田清彦さんの竹を割ったような書き方は、福沢諭吉を彷彿としてかなり好き。そしてなにより福沢さんがすごいのは、わかりやすいのに後世まで残っている!!!尊敬だ!

 しかし、バラエティ番組に出ているような学者は、もう全面的に怪しいというイメージを持つ人がいるけれど(大槻教授とか斎藤孝先生とか)、やっぱりそれなりの経歴や業績がないとテレビで活躍はできないと思うんだよな。
 確かに学者っていうのは研究や実験、論文が核になる仕事かもしれないけれど、学生の教育や、一般の人への啓蒙だって重要な役割だと思っている。これはスポーツで言うならば、前者が選手で後者が監督(もしくはコーチ)みたいなもんでね。
 さらに一般の人にも複雑な専門分野を噛み砕いて説明するっていうのは、相当頭が良くないとできないことだよ。だからスポークスマン的な学者がいたっていいんじゃないか。そんなサイエンスコミュニケーション的な話をこの前佐倉統さんとやり取りしたんだけど(^_^;)

 さて、この本を読むと池田さんや構造主義進化論がトンデモなんじゃなくて、科学という営みの本質が「トンデモ」を内包しているのがわかる。
 トンデモじゃない科学と、トンデモな科学があるんじゃなくて、科学はみんなトンデモ要素を持っていて、その度合いが相対的に違うってだけなんだろう。その指標はなんだっていうのがあるけれど、例えば論文のインパクトファクターや、その理論通りにやれば、同じ結果が得られるという再現性などが該当するに違いない。
 しかし、科学の分野によっては、この客観的再現性が難しい、もしくは不可能な分野もある。政治や経済の社会科学の問題、具体例を出すならば、需要を重視するケインズと、供給を重視するマネタリズムやサプライサイド経済学はどっちが正しいんだっていう話も実験のしようがないから難しい。

 しかし、もともと道徳や哲学の分野だった経済学が晴れて科学の文脈で研究されるようになったのは、やっぱり数値化できて、定量的に計算できる(可能性がある)からだろう。
 池田さんは科学において、この数式で表現できるというのは非常に重要だとしながらも、そのプロセスには大きな見落としもあるということを、言語学的な観点から説明している。ここら辺のくだりは私もサイト黎明期にコラムで書いたから読んでくれい。
 まあ、かいつまんで説明するならば、数や言語っていうのは、その対象が持つ雑多な「表情的意味」を一つの基準に抽象化し、残りのものは全て捨ててしまう性質があるから(私はそれを「言葉は差別的」と言ったが、本書では「文節恣意性」と呼んでいる)、現実をキレイにモデル化はできるかもしれないけれど、抽象化の基準を誤ると見当違いなモデルを組んでいる可能性もある。
 例えば火が燃えるのはフロギストンがあるとか・・・ここら辺の科学の底板の危うさは、ダーウィニズムが成立するまでの過程を古代ギリシャから網羅して紹介してくれているから十分に理解することができる。私も進化論の歴史は一度ブログにまとめたことがあるんだけれど、百科全書の編集委員、ディドロとダランベールや、精子にはちっちゃな人が入っているという有名なファンタジーを考えたシャルル・ボネが割と掘り下げられて説明されていて非常に勉強になった。

 こういう古くて、もう間違いってされている学説は、現行の生物の教科書ではカットされるようになっちゃっているんだけど、こういう昔の学説を時系列順にちゃんと知っといたほうがいいと思うんだよ。先人たちの失敗があって現在の発見があるわけだから。そういう歴史なしでいきなり凄い発見なんてないわけで、いや、たまにあるけどさw
 例えば、昔は実験器具の精度が良くなくて、その理論の正しさが立証できなかっただけっていう話だってあるわけで、昔の研究の着想のおもしろさだって現在の研究に役立つことは大いにあるだろう・・・というか、どんな学術分野も古代から還元主義(本質主義、実念論、モデルや要素を重視)VS現象主義(構造主義、唯名論、現実や全体を重視)の戦いをしているしね。プラトンVSアリストテレスとか、プランクVSマッハとか、ポパーVSクーンとか、社会学だとヴェーバーVSデュルケムってところか。
 だからわりと人間ってず~っとおんなじテーマの論争を繰り返しているという。部分か全体か。部分で全体を理解できるのか、できないのか。

 そんな感じで、進化論成立の歴史が、ちゃんとそのモデルの根拠になった思想や哲学を込みで説明されている。これは進化論の入門書としては非常に素晴らしいと思う。
 科学はとりあえず正しいんだ!って思っている人は、たぶん、この哲学的な底板まで考えないのだろう。何度も言うように、本来、科学的な態度って、これって不思議だな、これって本当なんだろうか?というある意味懐疑的な態度であって、これは絶対に正しい(=間違っている)!みたいなアジェンダにはなりえないものだ。大体、進化論はおろか、核物理学もバイオテクノロジーも進化論も百年前後の歴史しかない。厳密には60年くらいなんじゃないか。科学の検証に時間がかかるというならこれは怪しいわけで。

 しかし、ある立場に立って研究するためには、そのモチベーションが必要だから、あえて自分が支持する立場をアジェンダ化するっていうのは、科学の研究もクリエイティブな活動である以上必要なんだろうけれど。そういった事情は共感できる。作家も自分が書いているものを絶対的に面白いって信じられないと書く気にならないしさ。
 だから、これ、生物学の本っていうよりは、科学哲学の本に近い。そう言う意味でレンジの広いアクロバティックな論考の本だと思う。(特にエピローグの「科学の挑戦」は「科学は錯覚である」という素晴らしい名言も飛び出し秀逸!)
 
 ほんで、本題の構造主義進化論。冒頭でネオダーウィニズム(=ダーウィン+メンデル)の不十分な点を指摘し、なんと本全体の5分の4が過ぎた時に初めて登場するんだけど(^_^;)、本人も言っているように、これは今の時点ではひとつのユニークな考え方に過ぎない。
 じゃあ、箸にも棒にも引っかからない、荒唐無稽な話なのかといえばそうではない。少なくとも思考実験としてはすごい面白い。それに数値化(モデル化)できなければ正しくないというのは、逆におかしな話だし。快楽を数値化したベンサムの功利主義は科学的に絶対正しいのかっていうとクエスチョンがつくだろう(ただこの人の理屈が下支えになって近代経済学は誕生)。
 それに、このような複雑なアプローチでの研究はコンピューターの発達でかなり進んでいると思う。ちょっと前まではDNA扱うだけでもマシンスペック的にすごかったわけだから。
 ちなみに、この理論自体は87年くらいに池田さんは考えている(当初は安定化中枢説と言っていたが、「似たようなので構造主義進化論っていうのが既にあるよ」って指摘された)。
 分子生物学全盛の80年代にDNA至上主義にケンカを売ったのがすごい。確かに20年時代を先取りした本であることは間違いない(^_^;)

 今後は、解釈系のシステムや、恣意的に構築されたルールの構造を実験科学の文脈でどうやって確認するのか、どこまでできるのかが課題になりそう。
 本書で出てくる、構造主義進化論(進化とは新しいシステムが追加され複雑化すること)における「多元的」っていう言葉は、構造主義の文脈でよく言われる文化多元主義とか相対主義っていう、時にラディカルな均質化というよりは、フラクタルとかの階層構造の意味合いの方がピンと来るな。多層的なシステムになっているというか。
 で、このモデルに一番近いのは、経済学のペティ=クラークの法則とかかもしれない。1次産業を基部にして2次産業、3次産業の順に栄えていくっていう。そしてそれらには優劣関係はない。農業と製造業の、どっちが産業として優れているかは比較しようがないからね。

 あとは表現の問題だよなって気がする。つまり「ネオダーウィニズムは不十分だ!」→よって構造主義的アプローチがそれを補完する・・・と「ネオダーウィニズムは間違っている!」→よって構造主義進化論によって駆逐される・・・だと受ける印象がかなり違う。
 迫力勝ちするのは後者だから、あえて過激な表現にしている感があるけど、こういう表現がカチンと来る人がいて、池田清彦はダーウィニズムを信じていないトンデモ学者だっていう烙印を押されるんだろうな(^_^;)
 実は本書のネオダーウィニズム(いきすぎたDNA一元主義)の欠陥は、ダーウィン進化論の申し子リチャード・ドーキンスも著書でまとめていて、でもそれもダーウィニズムの文脈で説明可能だ!って同じ事実から対極的な結論を導き出しているのが興味深い。
 こういう現象が起きてしまうのも、まずもってダーウィンの進化論(『種の起源』)の表現が曖昧で、親切に読解すればどんなことも予言しているように読めるから(遺伝子浮動とか中立説とか)、こんなんズりいし、反証できないよ!っていうツッコミは、なんか社会現象化したアニメ作品と、その熱心な信者を、アンチが批判している図式と似ている(ダーウィンが用不用説を支持していたところは無視かよ!とかw)。アンチが信者に何を言っても勝てないのと一緒だよねw理屈じゃねえんだ・・・
 ただ、私もダーウィニズムが構造主義生物学も取り込んじゃうような可能性はあるんだよなあw修正ネオダーウィニズムとか・・・構造主義ダーウィニズムとか、多元主義的ダーウィニズムとか・・・うわ、自分で考えててありえそうな気がしてきた!!
  
 構造主義進化論は今のところ思弁の産物にすぎず、論文が書けない。これで論文がどんどん書けるようになると、ネオダーウィニズムは終演するだろうと私は信じている。フォン・ベーアという有名な発生学者によると、生き残った理論は三つの段階をとるという。
 第一に、あまりにもばかげているということでみんなから無視される段階。第二に、みんな「そうかもしれない」と思いつつも、その理論によると論文が書けないし、主流の理論にも合わないので、自分自身が生き残るために無視している段階。第三は、「実は私もずっと昔からそう思っていたのだ」とみんながいう段階。この図式でいえば、構造主義生物学はまだ第二段階である。(164ページ)

『journalism8月号科学報道はどう変わるべきか』

 佐倉統さんがツイッターでこの雑誌に記事を書いたとかつぶやいてて、さっそく本屋さんに買いに行ったんだけど、どこにも置いてなくて、ほいじゃアマゾンで買おうってなったんだけど、そこも在庫切れでこの前やっと届いた、待望の雑誌。
 一連の小保方さん問題は私はブラックボックス化してる感がある科学研究の内幕を珍しく報道機関が切り込んでくれて、それだけでも興味深かったんだけど(科学者も人間なんだな、とか)、ツイッターとかではなんというか本気で怒っているような意識の高い人もいて、まあ偉いなあって思ったんだけど、そうやって真剣にこの問題を批判している連中も大半はSNSでいろいろ文句言うだけで、お祭り騒ぎが終わったら次のネタに移っちゃうような胡散臭さがあってさ、だったらもうちょい科学の現場に携わっている人たちの声を聞いたほうがいいんじゃないかってことで、この雑誌の今月号の特集には興味があったんだ。

 どこの誰かもわからない人の雑感よりは、専門家のまとまった文章の方がまだ相対的に信頼性があるだろっていう。コラムで一億層評論家時代とは当時の私もよく言ったもんで、私も含めて本当みんな適当なこと言うからねwお前はいつ自然科学の守護者になったんだって(^_^;)
 だいたい研究の不正がいけないのは当たり前だけど、そういうミスをした人に対して、みんなで責めてリンチする方もかなり悪質だと思うからね。こういう公開処刑の何が一番たちが悪いって、みんなが正義の側に立ってると思い込んでいるから罪の意識がないっていうことだよ。
 で、笹井センター長の自殺まで発展しちゃって、それでもなお石投げ続けている人が沢山いて、私はこういうことが起こるたび絶望しかないんだけど、つまりはこれって彼らが特別冷酷だったり鈍感ってわけじゃなくて、研究の不正は個人の問題に還元できる(もしくは相対的にしやすい)けれど、ネットリンチってある特定の問題というよりは現象になっているから、リンチに参加している人もそこまでひどいことやってるとは想像しにくいんだよね。
 こういう単体ではほとんど無害な雑魚キャラが膨大に集まると、単純な総和以上の効果が現れることを科学の世界では創発という。

 まあ、いいや。というわけで、今回も面白かった箇所をまとめます。

メディアは専門家からの働きかけに対し、合理的に対応できるだけの見識を持て
村上陽一郎(東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授)
 安全学で有名な人。科学者のコミュニティは社会や政治的なゴタゴタに干渉されるのをめちゃくちゃ嫌うよっていう話。この例として村上さんはボルティモア事件アシロマ会議を挙げる。 ボルティモア事件とは、1975年にデビッド・ボルティモアさんという科学者が同僚科学者に論文の疑惑を訴えられ、この疑惑に対する調査委員会が下院議員の働きによって組織されることになったのだが、これに対抗したボルティモアさんが全米の科学者に対して「科学の世界に政治が介入するのを断固阻止しよう」と呼びかけたという事件。
 アシロマ会議とは1975年、分子生物学の専門家がカリフォルニアに集まって、この神の領域の技術を今後どう扱っていくか、そのガイドラインを示した会議で、①実験で作り出した動物が繁殖できないように処理をすること(ジュラシック・パークで言うリジン欠乏策)、②実験生物の危険性に応じてラボの防護度合いを4段階に設定し物理的に封じ込める(いわゆるバイオハザード)、③IRB(倫理委員会)の設置の3つの規制措置が定められた。
 この時科学者が一番抵抗したのが③の倫理委員会設置だった。このIRBはメンバーの半分以上が外部の非専門家でなければならないという決まりがあり、これは科学の研究の独立性における重大な侵害行為だとしたのだ。
 しかし言うまでもなく20世紀後半からは、マンハッタン計画のような莫大な予算を食う研究が国家や産業界の自己目的のために行われるようになっている。『ジュラシック・パーク』のまえがきを引用するならば、「今やどの科学者も紐付きなのだ」
 村上さんはネイチャー誌は、全米科学振興協会という専門機関が発行しているサイエンス誌と比べて、科学的知識を一般の人に啓蒙する性質がもともと強い雑誌であり、あえてネイチャー誌は相手にしないという科学者の人もいるらしい。
 ただ経済学の功利計算みたいな感じで、科学雑誌の引用度の合計を計算することでその学説がどれだけ支持されているか(信憑性があるか)が分かるため(インパクトファクター)、論文誌の重要度は“ある程度”客観的な尺度を持つに至ったという。ここらへんは何年か前に読んだ『科学という職業』という本の感想記事を読んでくれい。
 ちなみに論文誌といえば査読という問題もあるが、これも人間関係のしがらみが少ない海外の研究者に頼んだりする人もいるそうな。
 村上さんはSTAP騒動も佐村河内騒動もあんま変わらないだろ、と言う(どっちもキワモノキャラ)。全く同感である。

 「割烹着」だの「リケジョ」だの「コペルニクス的業績」だの、ことの本質とは別次元の話を持ち出して、科学者の側の演出に協力する必然性があったのか。(10ページ)

 私なんとなく思うんだけど、小保方さんにとりわけ噛み付いている人って、この時点での報道でリケジョにちょっと萌えちゃった人なんじゃないかって思うな。私はハナから相変わらずバカバカしいなあって思ってたけど、あそこで盛り上がった人が、その後のダーティな展開に絶望して怒ってんじゃないかって。よく自分が贔屓にしてた美少女アニメのキャラが処女じゃなかったりするとめちゃくちゃ怒る人いるじゃん(^_^;)そういう話じゃないか。ごめん。

3・11に続くSTAPの衝撃 今こそ基礎科学報道を強めるべきだ
尾関 章(科学ジャーナリスト、元朝日新聞科学医療部長)
 科学雑誌は刊行日までその内容を記事として紙面に載せないという条件付きで、事前の報道資料や論文を提供しているという(プレリリースっていうやつ)。この時の情報公開解禁までの期間をエンバーゴ(抑留期間)という。

 エンバーゴで科学者の口は固くなる。リリースと会見で科学記者は忙しい。その結果、科学記者が自発的に大学や研究所を回って話題を拾う機会は狭められている。科学記者と科学者の平時の接触が減ったのである。(14ページ)

 尾関さんいわく80年代くらいまでは割とのどかで、普段の日に京都の大学に出かけて学者の話を聞いていたらしい。それも聞いた話を記事にするわけじゃなくて、その研究が熟したら記事にするみたいなことをしていたようだ。
 しかしこの風潮が10年ほど前になると「そんなすぐ記事にならない話をするために科学者の貴重な研究時間を奪っていいのか?」みたいに批判されちゃうようになったという。
 あと私も思ったけど、STAP細胞って記者会見の時、ネイチャー誌に掲載されるってなってたから、普通に考えて専門家集団の査読をクリアーしてんだし本当なんだろうなって思うよね。
 ただ細胞に刺激を与えるだけで万能化っていう理屈はさすがに記者の何人かも疑問に思ったらしい。細胞って普段から刺激にさらされてないか?って。

 細胞の初期化は、最近の研究でDNAなどにくっついた遺伝子発現にかかわる標識が白紙に戻されることで起こるらしいとわかってきた。標識の消去なら、細胞が酸性刺激のようなストレスを受けることで起こっても不思議ではない。(略)ただし、そうならば生体に不用意な消去を防ぐ安全装置が必要になる。こうしてみると、STAP論文は私たちの生命観を塗りかえるほどの問題提起をしていたことになる。高等動物の細胞分化は、ボタンのひと押しで消えるメモリー素子の記憶ほど危ういということだ。
 
 ここらへんの部分をもっと大々的に報道すれば、再生医療に役に立つどころの騒ぎじゃないぞってことになったんじゃないか?というわけだ。
 科学記者が担当するニュースは、国の政策に関わるニュースである「官庁情報」、医療や災害、ビジネスや消費生活に役に立つニュースである「実用情報」、そして純粋な科学の基礎研究を扱う「知的情報」の三つがあるが、この優先順位が官庁>実用>知的なんだとさ。まあ日本のマスコミには記者クラブ制度とかあるからなあ。
 基礎科学がマスコミの脚光を浴びる機会は、日本人のノーベル賞受賞の時か、未発見のものが見つかるみたいなわかりやすい成果が出た時くらいで、例えば80~90年代にカオス理論や複雑系といった科学界の新しい潮流を新聞紙面が読者に伝えることには成功していない。ジュラシック・パークのマルカム博士はなんだったのだろうか。
 原子力だってぶっちゃけ煎じ詰めれば誰もよくわかっていない技術なわけで、そこらへんの部分を報道すれば、原子力発電所の推進もっと慎重になったんじゃなかっていう。でも専門家がよくわからないって言うと、マジギレする奴いそうだもんな。そういう人を何とかするためにも学校でちゃんと理科(がぶっちゃけ誰もよくわかっていないこと)を教えないといけないよ。

 新聞にとって科学とは、たとえて言えば「科学まんじゅう」から基礎科学というあんこをえぐりとった皮のようなものなのである。(18ページ)

研究者が罪の意識を持たなくて済む「科学の軍事化」が世界に広がっている
池内 了(名古屋大学名誉教授=宇宙物理学、科学・技術・社会論)
 現代の科学には4つのトレンドがあるという。国家が科学研究のスポンサーになったという「科学の制度化」(でも大学の予算は削る)、ちょっとでも軍事的に使えそうな技術開発は金で買い取ってしまう「科学の軍事化」(しかも特定秘密保護法でここらへんを暴こうとする記者は逮捕されることに)ナノテク、ロボット工学、再生医療のように科学と技術の区別がつかなくなっている「科学の技術化」(科学的な原理を明らかにするよりも先に商品化)、そして「科学の商業化」(売れそうな技術は特許が命)である。
 だからライバルに追いつかれないように、論文に発表する内容は一部分だけで、再現実験を“あえて”できないようにさせていたりするという。科学のキモは客観的な再現性だったりするんだけれど、私も最初小保方論文は、この意味で世界中の学者が追試できなかったんじゃないかって思ったんだよね。なにしろあの人自身は200回以上成功させているしな。でも今理研がやってる再調査では22回やって全部失敗だったらしいけどな。小保方さんの秘密のレシピは存在するのだろうか。
 つまり現代の科学というのはロマン主義だったり崇高的なもんではなくかなりきな臭い。そこらへんもちゃんとマスコミは伝えたほうがいいんじゃないかって。
 池内さんはさらに科学だけでは解決しようがない問題を4つ挙げている(トランスサイエンス問題)。科学の守護者な人はよく考えたほうがいいよ。
①複雑すぎて直ちに科学では明確な回答が得られない問題
②共有地の利用に関してそのままでは悲劇になってしまう問題
③技術の妥協における基準の設定問題
④反倫理性を秘めている科学・技術に関わる問題
こうやってみてみると、理科的な問題は①くらいで②と③は経済学の問題、④は倫理学の問題でつまりは社会科が扱う問題は自然科学はカバーしきれないということがわかる。まあ社会科学っていう枠組みもあるけどさ。

科学と社会の乖離は想像以上に大きい メディアは文科省と文科相を批判せよ
佐倉 統(東京大学大学院情報学環教授=科学技術社会論、科学コミュニケーション論)
 ツイッターでもやり取りさせてもらっている私が尊敬する佐倉先生。でも今回の記事の内容は割とおとなしめ。佐倉さんはツイッターの方が「小保方てめえこのやろ」と絶好調だった気がする(※個人の感想です)
 STAP騒動について「最初の記者会見の際、何かおかしいぞ?と見抜くジャーナリストが一人もいなかった」のだろうか、と述べているが、佐倉先生もSTAP細胞が発表された時「え?原理がまったくわからないけど、すげえ!」みたいな感じにつぶやいていたような気がする(^_^;)
 ちなみに佐倉さんはSTAP細胞の再現実験は無意味だと言っていて(たった一度や二度の再現実験では決着がつかず、費用と時間が膨大に費やされてしまうから)、仮にこの再現実験が科学的な問題じゃなくて、社会的な納得を得るためにやるのだとしても、結果の評価基準をあらかじめ設定しておくべきだろうとコメントしている。
 最後の項目の「外部権力、とくに政治権力が科学的な真偽判定に介入するとロクなことがないというのは、歴史が証明している」は『恐怖の存在』でルイセンコ農法や優生学をあげながらマイクル・クライトン先生も言ってたなあ。

科学の不確かさをどう伝えるか 判断材料を提供する案内人として
元村有希子(毎日新聞デジタル報道センター編集委員)
 元村さんいわく、イギリス人は科学に頻繁に接する割に、科学を100%礼賛したり信仰していない、つまりいい感じの距離感が取れているという。言われて思い出したけどイギリスでは90年代BSE問題が起こって科学不信が高まり、その対策としてサイエンスコミュニケーションが発達、「どうせ素人にはわからねえ」という専門家と、「めんどくさいことはプロに任せちゃえ」という市民の間を取り持っている。
 そんなサイエンスコミュニケーションの視点から元村さんは有象無象のSNSを有効活用したらいいんじゃないかと希望を見出している。つまり池内さんの記事とかぶるけど、科学の問題は科学だけでは解決できないので、まあ素人との議論はうざいかもしれないけど、科学者も一応国の税金とかで研究している以上相手にしてやれというワインバーグのトランス・サイエンス論を主張している。
 ここらへんは私は程度問題な気もすんだよな。素人の無知さって恐ろしいからね(^_^;)そういうひとを相手にしていたらきりがないぞっていう。百人組み手かっていうw

社会の中の科学者のすがたを 等身大に描き出す報道を
神里達博(大阪大学特任准教授=科学史・科学論)
 個人的に一番面白かった・・・というか好みだった記事。映画やドラマに出てくる科学者キャラって未だにアインシュタインあたりで止まってねえかっていうw
 これは『ガリレオ』とか見ててもすごい不満なんだけど、この手のフィクションに出てくる科学者って「専門家」じゃないんだよね。「万能人」なんだよ。博物学者なんだよ。それは現代の科学者の実像とは違うだろって。たまに、ときメモの紐緒結奈とか『怪奇大作戦』の牧とか行き過ぎてて、お前は中世の錬金術師か!ってギャグになっちゃっているのもあるからね。
 作劇構造上の都合もあるんだろうけれど、おそらく作家って文系が多いから科学者をよく知らないんだろうね。知っててもあえてロマン主義の時代のステレオタイプ化された科学者を出したいっていう作家もいそうだけどね。
 私は科学者にかかわらず、学者タイプの、自分が興味のある狭い範囲しかモノを知らなくて、色々とめんどくさい部分も作品内で積極的に描こうと頑張っています(学者に怒られるで)。
 でもまあ、神里さんがいくらか挙げているけど、サイエンティストなんて言葉がない時代の人たちはやっぱ守備範囲が広くて、例えば科学革命を大成した超人ニュートンは中年以降は政治の世界に転身、造幣局長官として通貨偽造のシンジケートを摘発し、黒幕を死刑にしたり、錬金術にはまって水銀中毒でいかれちゃったという。
 またパスカルは、サイクロイド曲線のことを考えると虫歯の痛みが消える、よってサイクロイド曲線のことを考えることは神に許されているという、お前科学者かというめちゃくちゃ非論理的な思考をしていた。まあこの時代の人にとって無神論はありえないことだったんだけどね。さらに公共交通機関を考えたのはパスカルなんだって。
 ちなみに独創的で無私的で普遍的かつ懐疑的な科学のルールに則る科学者をCUDOSといい、自分の研究を所有しようとし、局所的かつ権威主義的で、研究を請け負う専門家タイプの科学者をPLACEと言うらしい。
 昔の古き良き科学者はCUDOS型で、現代のサラリーマン化した科学者はPLACE型なのかな?って思ったけど、科学者の理想系がCUDOS型で現実がPLACE型なだけなのかもしれない。

「科学の目」から「複眼の目」へ 進化が求められる科学報道と番組
室山哲也(NHK 解説委員)
 最も読みやすかった記事。テレビマンの書く文章ってやっぱ視覚的に訴えるところがあるのだろうか。面白かった。糸川英夫さんの「現代はプロセスカット文明」とはなるほど。科学まんじゅうのあんこがプロセスってわけだよね。ここが一番面白いのにな。意外と現代っ子って無味乾燥な世界で暮らしているのかもね。ポケモンや妖怪ウォッチはやるけど、実際に野山で虫取りはしたことないとか・・・でも現代っ子でもしてる奴はしているんだよな。

科学的根拠がどこに存在するか ジャーナリストは自分の目で確認せよ
津田敏秀(岡山大学大学院環境生命科学研究科教授)
 最も科学的な文章。福島の8つの地域の甲状腺がんの発生比率の資料からグラフを作って、どのような傾向や因果関係を導き出せるかを割と詳しく解説。『ジュラシック・パーク』でマルカム博士がコンプソグナトゥスという恐竜の数が増えていることを示すのに使ったポアソン分布が登場(※ただし『ジュラシック・パーク』のポアソン分布の使い方はちょっと信頼性に欠ける。コンピーの数が何千匹もいないから。ここらへんの指摘は本文中でも津田さんが取り上げています)。
 福島県の甲状腺がんと原発事故に伴う放射線との因果関係は、全国の甲状腺がんの発生率をやや高めに設定しても、まったくないと言い切るにはめちゃくちゃ確率が低いということになる(何らかの原因で甲状腺がん発生の確率=オッズが上がっている)。これを専門的に言うと「有害影響による病気の多発が見られ、それは統計的有意差があった」という表現になるらしい。
 この記事では95%の信頼性がある区間(つまりかなり上限値と下限値の幅のある区間をとっている)を用いているのでオッズ比の確率分布の95%をフォローしていることになる。100ミリシーベルトの低線量被爆でもがんの発病リスクは上がるのだ。
 しかし現在の日本では、タバコの煙を吸っても肺がんの確率は上がるけれど、すべてのがんの発生確率は上がらない(統計的有意な結果が得られない=信頼性のある区間にオッズ比1が含まれてしまう)、よってタバコの煙を吸っても発ガンのリスクは上がらないみたいな無茶な理屈が低線量被爆の問題では真面目に語られているという。
 これ以上被曝したら健康に影響が出るというしきい値はあるのかないのか、専門家でも意見がまっぷたつに割れているので、もうこれに関しては自己責任で個人個人がどっちかを選べばいいと思う。きのこたけのこあなたはどっち派?みたいな。私はタバコをそんなに怖がってないから、別に低線量被爆も怖くない。でも影響力ゼロはなんか怪しいと思う。

 我々日本人は観察(データ)に基づいた概念形成、すなわち科学に長けてないことを自覚したほうがよいと思う。(125ページ)

夏休み2014

 は~とうとう夏休みも今週でおしまい。というか8月全然ブログ書いてない!なんだかんだで夏休みの方が色々忙しいんだよな。特に今年はいっつも疲れていた気がする。
 でも8月の記事がトランスフォーマーだけなのはいろいろ嫌なので、夏休みを振り返ってみよう(もともとここって日記ブログだしね)。何があったんだっけ。

恐竜ギャラリー
ゴジラサウルスとディメトロドンと丹波竜を更新。
特にゴジラサウルスはタルボサウルスの子どもに次ぐ超難産で、最初にアップしたのもなんかイマイチで20カットくらいアイディア出して色々描き直してました。
ゴジラサウルスってさ、骨の写真が落ちてないのよ。論文も見つからないのよ。なんでもコエロフィシスの親玉的存在だったらしいけど(コエロフィシスの割にでかい)、コエロフィシスってすっごい痩せっぽちのヘビみたいな恐竜だからね。そんなゴジラよかマンダみたいなやつをどうやってゴジラっぽく見せるか、資料が全くない中苦しみあがきました。だったら描くなよって話なんだけど、ゴジラ最新作公開に合わせたいじゃん。
で、基本的なプロポーションは嘘つけないから、ポーズでコエロフィシス的ガリガリ感を和らげようってことになった。変にマッチョにするとコエロフィシスじゃなくてリリエンステルヌスとかディロフォサウルスに見えちゃうんだよね。
ディメトロドンはその点資料も豊富にあるし(なにしろ現物を写真撮ってきたし)、なんかパッと見オオトカゲっぽいから復元のイメージも明確にあって楽だった。
丹波竜も2時間くらいでささっと描いた割には重量感がでてお気に入り。とにかくゴジラサウルスが本当辛かった。カーペンターよ骨を見せてくれ。

葛生×2
ギャラリーのディメトロドンを参照。
こしさんとは今度課題図書を決めて、その本についての議論でもする予定。私も普段理系的な思考なんてしないからね。ロジックよりも感覚的に生きてます。

ソニックブレイド
お盆休みの一週間で、作画作業が終わっていた原稿にデジタルトーンを貼りまくった。すげえ辛い。仕事量膨大。いよいよ本編ではソニックブレイドが出てくるんだけど(おせえよ)、ちょっとトーンの量を制限したほうがいいな。コンピューターってただで何枚でも貼れるから際限がねえ。
大学の単位がほとんど取れたので今後はソニックブレイドをガンガン進める予定です。今ハゲのおっさんをたくさん描いてます。乞うご期待。

アオイホノオテレビドラマ化
実写だと痛々しすぎて見てられん(^_^;)
バイクのお姉さんが何か怖いキャラになっててなんか、すごい凹んだ。二次元の異性のキャラにここまで思い入れがあったとは恥ずかしい&ビックリ。みゆきって誰やねん、あの人はマドンナさんだろ!

テレビCM
東京サマーランドのデカスラが夏休み前半部門を受賞、カルビーひとくち劇場が後半部門を受賞。この二つは中毒的にハマってしまい、今も作業中にユーチューブでリピート再生しています。カルビーこの野郎

動物園
ワニやらオオトカゲやらの写真をバシバシ撮った。機会があったらネコみたいに直立して走り回るタイプのワニ、フルイタカンプサを描きたいから(ただ恐竜ギャラリーはゴジラで懲りたので当分お休みの予定です)。あとソニックブレイドの怪獣に使う哺乳動物の写真も。

今の高校生物の教科書
自分の時とかなり変わってる。特に90年代に進歩し確立したバイオテクノロジーの章が新設!しかも進化論についても木村資生やランダムドリフトまでフォロー、さらにディロングまで登場する網羅ぶりで、今の高校生うらやましいなあって思った。来年度は社会に続いて理科の単位も考えようかなあ。美術と社会と理科の単位を持っている人ってなかなかいないだろ。

平成ガメラ
マロさんに勧められて。夏期講習があったからまともに見たのは3部作の1だけ。2と3は後半流し見。2014版ゴジラに比べれば面白いけど、エメリッヒゴジラには劣るかなってくらい。そう言うと私が相当エメリッヒゴジラが好きって思われそうだけど、こういうのは相対的な評価だから(^_^;)一番好きなのはやっぱり最初のやつ。
ただ平成ガメラはジオラマがすごかったなあ。よくあんな細かいのを作るよ。そして壊すよ。ドミノ的カタルシスがありそうだよね。

 つーことで大したことやらずに夏休み終わり。そういや今年の夏休みってリア友に一度も会ってないな。すごいな、友達誰もいない人になってしまった!((o(。>ω<。)o))

トランスフォーマー/ロストエイジ

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 創造主よ。地球に手を出すな。

 上記のセリフはトランスフォーマーの正義の軍団オートボットの司令官オプティマス・プライムが最後の最後に言うセリフなんだけど、もう爆笑しちゃってさ。
 確かに!ってwほんと、映画やアニメの神とか創造主って、作った世界にちょっかい出しすぎよね。オレはすごいんだぞ!オレの前ではお前らなんて愚かで卑小な存在なんだぞ!って必死にアピールすることほど愚かで卑小なものはないよね。
 だからこの手の世界を創造した神に近しい存在ってしょぼくなっちゃう。沈黙は金って知らないのかって。
 しかしアメリカって『2001年宇宙の旅』みたいな題材が好きなんだなあってつくづく思った。世界は創造主によって構築されているっていう哲学が自然観の底板にあるんだよね。
 そういうのは非科学的だって思う人もいると思うけど、そういった自然観が近代以降ヨーロッパで自然科学を発展させた大きな原動力だったりするからね。古代ギリシャの目的論的自然観との対比で、実験や観察により自然界の法則を明らかにしていく科学的な見方を機械論的自然観っていうんだけど、自然がメカならそれを設計するメカニックが当然いるだろってことになるわけで。
 実際そういったメカニックなしでランダムに生物が進化していくブラインドウォッチメイカー(盲目な時計職人)の考え方ってアメリカ人には受けが悪いらしい。
 ダーウィン進化論っていうのは、竜巻に巻き上げられた鉄くずが、それこそトランスフォーマーみたいにランダムで組みあがって、竜巻が通り過ぎたらボーイングのジャンボジェット機になってたってくらいありえないだろっていう。
 そこでこの映画のスタッフはリチャード・ドーキンスのブラインドウォッチメーカー説とも、創造論者のID節とも異なる第三の学説を提唱したのだ!

 それこそトランスフォーミウム!

 念じるだけでどんな物体にも形を変えられる金属なのだ~!ジャ~ン!・・・ってグリーンランタンか!!
 あれじゃね?トランスフォーマーの神様ってあいつらじゃねえの?合流しちゃえよもうwなんか最近ではプリキュアシリーズでもプリキュアの神が登場して視聴者を騒然とさせているらしいけれど、やっぱり神ならばもっとどっしりと構えて欲しいよね。
 神から見て人類が虫けら同然なら、オレらだっていちいち虫けらの世界に干渉しないわけじゃん。もう眼中にないと思うんだよね。眼中無さ過ぎて偶然踏み潰しちゃったってことくらいはあるけどさ。
 ユダヤ教の神様みたいに、お前らはわしのルールを守らなかった!天罰じゃ~!とかやるのは、割と人類と同等くらいのたいしたことないやつなんじゃないのっていう。
 そういう不満というかツッコミがあったから、自分の漫画で創造主を出すことになったときはいろいろ考えたけどね。そしたら逆の意味でしょぼくなっちゃったっていうw
 つまり人類とスケールが違いすぎて、人類の役に全く立たない。それはそれで、お前ほんとに神か?って話になっちゃってねwでも人類側のそんな挑発に乗るほどオレの神は感情的じゃないからね。オレは神様だから、あれもできるぞ、これもできるぞ、どうだすごいだろウハハ!はなんか違うなあって。

 まあなんにせよ、トランスフォーマーの方々の誕生にはそのトランスフォーミウムっていう金属が関わっているらしいんだな。オレ達有機物の生物はよくわからないけど。
 あとなんと6000万年前の恐竜の絶滅にもトランスフォーミウムが関係していたのだ!なんか地上のあらゆるものを金属にしちゃうメタル爆弾(今勝手に命名。作中ではシードって呼んでた)が爆発して恐竜が金属になって滅んじゃったんだって。
 でもそんなもんで完全に滅ばないのがダイナソー。4体だけはしぶとくメタルになっても生き続け、トランスフォーマー化していたという。だから今回出てくる恐竜型トランスフォーマー(ダイナボット)は一応人間っぽい形にも変形するんだけど知能は恐竜のそれで、会話とかはしない。
 しかしダイナボットってすげ~懐かしいよ。というのも昔日本のテレビアニメでトランスフォーマーってやっててさ。別に私ロボットアニメとか好きじゃなかったんだけど、オモチャ屋に恐竜のオモチャってホントなくてさ。今の若い連中は絶対知らないと思うけど、ほんっとうになんもなくてさ。
 言ってみれば飢餓状態でさ。もう恐竜の形してたらなんでもよくてさ。ダイナボットの5対セット持ってたんだよね。すごい懐かしいよ。あいつらどこやっちゃったんだろ。
 今回の映画ではティラノサウルス(ちょいドラゴンぽい)、スピノサウルス(ノラネコさん曰くちょいアンギラスっぽい)、プテラノドン(ランフォリンクスぽい)、トリケラトプスの4体だったけど、昔はステゴサウルスとブロントサウルスがいたんだよね。で、言うまでもなくブロントサウルスが一番好きだったんだよね。
 だからブロントサウルス型ダイナボットが出なかったのは残念だったけど、冒頭の恐竜の時代のシーンでそれらしい恐竜の群れが出てたから良しとする。あいつらもあんなにいれば一頭くらいはトランスフォーマーになったに違いない。
 まあ最近のアクション映画は動きが機敏でさ。ああいう動きはブロントサウルスの形では無理があるって判断なのかもしれないけどさ。でもさ、あんなにディティールの細かいごちゃごちゃしたロボットがビル街で取っ組みあったり集団戦やられるとさ、もう目が疲れちゃってさ。これは一作目で私が嫌になっちゃった理由なんだけどさ。CGがすごいのは分かるけど目がチカチカしないか。隣の人なんて疲れ果ててグースカ寝てたぜって。映画本編も3時間近くあるしね。

 なんというか盛りすぎなんだよ、マイケルベイ監督は。面白いものとりあえず突っ込んどけ感がすごいよね。特盛映画というか、物量大作戦映画というか・・・
 すごいことをダレ場なしにどんどん上乗せしちゃえば、そりゃパワーインフレどころの話じゃないぜって。まあ小中学生くらいはそれで大喜びだから、いいんだろうけどね。
 だいたい対立勢力が多すぎるだろ。三つ巴は聞いたことあるけど、四つ五つ六つどもえ位になってたよ。作り手把握できてんのかい。トランスフォーマの脚本って足し算しかできないんだろうね。引き算や因数分解(整理)ができないから、長くグダグダになっちゃうんだろうね。でもまあ、ゴジラの悲劇からの反動で、わりと楽しかったけど。
 んで、結局最後までロックダウンっていうトランスフォーマーの勢力が謎だった。謎のまま倒されてしまった。(´;ω;`)あいつと主人公の相棒のメカニックがかわいそすぎる。彼らのリベンジを求む。ロックダウンリベンジ!
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