2012

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 Good-bye my earth!(C)ダライアスバースト

 2011年アナログ放送は見られなくなります。しかしデジタル放送も2012年見られなくなります。これを最初に発表したのはこのオレ、ゴーダイです!(チャーリーが乗り移ってます)

 ・・・というわけで2012年に世界は終わるんだってさ。前にも言ったけど人間ってその時代に希望がもてないと、すぐに終末思想に飛びついちゃうんだよ。
 なんか自分の思い通りに社会がなってくれないと「こんな世界なくなれ!」ってすねちゃう男子中学生みたいなんだけど、実際どんな人も多かれ少なかれこの病気は持ってます。セカイ系症候群。

 だからこの手の映画でご都合主義を批判するのは超野暮ってもんだい。ご都合主義を切り捨てて、この映画レベルの災害を起こしたら、ただの人類の絶滅を傍から見るシム・アース状態になっちゃうぞ。
 そんなリアルな終末映画を観たいニヒルな奴がいるなら教えてくれ。まあディザスターモノは、どの映画もいい加減同じことの繰り返しで、それでも災害の種類を変えてなんとか凌いできたけど、もうネタ切れなのは確か。
 この映画はその集大成として、これまでの災害モノの名シーンを隕石以外すべてやった気もする。
 となると本当に登場人物以下人類すべてが滅ぶ映画があってもいいかもしれない。
 それなら「ご都合主義」とか「またお涙ちょうだいの三文芝居か~」とかバカにできないだろ。だからそれが上映されたらお前ら絶対見に行けよな。 

 つまりバッドエンドが禁じられているハリウッド映画で災害モノを撮る以上、この展開に収斂しちゃうのは仕方がないんだって!作り手の気持ち考えてやってよ。なに私もこんなに弁護しているか分からないけどさw。
 
 確かにローランド・エメリッヒって、映像以外は相変わらず『インデペンデンス・デイ』以来ひどいけど、出てくる登場人物がけっこうバカで楽しいし(イエローストーン国立公園で「一人ジョッキー」を敢行したチャーリー様は最高!)、何万人もの人が死ぬ災害シーンを不謹慎にも爆笑シーンに昇華できるのはこの人だけ。
 シュワ知事のカリフォルニアが、地面ごと沈んじゃうシーンは笑った笑った。笑ったと同時に、この凄まじい崩壊シーンをどれだけの時間と労力をかけて作ったのかを考えると、ただ涙。

 さてこの映画は「科学的な設定にぜひ突っ込み入れてください」ってvicさんに言われて、観たんだけど、いやはや作中の科学者が言ってることはそこまで外してないですよ。
 物語の冒頭いきなり「ニュートリノ」と言う素粒子の説明から入るんだけど、この説明も意外と・・・っていっちゃあれだけど正しい。バカ映画の分際で。
 キャラとストーリー展開がバカ丸出しだから、SFとしてもバカだって思う人もいるんだろうけど、ニュートリノはあの説明で大体あってる。

 それに太陽から地球に飛んでくるニュートリノの性質が変わり、電子レンジのように地球を中から温め始めたって言うトンデモ説は、ちゃんと「そんな馬鹿な!」「ありえない」って作中の学者がちゃんと突っ込んでいるからよし!このエクスキューズがあればSFとしてOKじゃないか?
 ニュートリノの説明が正しかっただけで私は感動したよ。あれ池上彰並に分かりやすいぞ。しかも数秒で説明しちゃったじゃん。ここら辺は映画ブロガーの人もなかなか指摘していないでしょ。

 ちなみにニュートリノの性質が変化するって言う現象(振動)は事実。何で「変化」とか「変身」じゃなくてわざわざ“振動”って言うのかと言うと、ニュートリノは別の種類のニュートリノに変わったり、元のニュートリノに戻ったりを繰り返すから。
 ニュートリノって言っても「電子ニュートリノ(第一世代)」「ミューニュートリノ(第二世代)」「タウニュートリノ(第三世代)」ってオタクのように種類があるのよ。

 これらのニュートリノの振動現象を観測したのが、小柴教授が資金をかき集めて手下に作らせた地下のでっかい純水のプール「スーパーカミオカンデ」だ。
 この施設では、宇宙線(の陽子)が地球の大気にぶつかってできる「ミューニュートリノ」がスーパーカミオカンデで観測される前に「タウニュートリノ」に変化すること(=ミューニュートリノの振動)や、太陽からの「電子ニュートリノ」の(総量の)一部が「ミューニュートリノ」に変化すること(=電子ニュートリノの振動)を確認している。
 この映画の地球を破滅させる「殺人ニュートリノ(今勝手に命名)」は、これらのニュートリノの振動観測実験から着想を得たのであろうことは確か。

 ・・・と、専門的な話はこれくらいにして(あまり深くは私もよく知らないから)、率直に言ってニュートリノはほとんど質量がない。
 質量ほぼ0のニュートリノは、幽霊のように地球をすり抜けちゃうから、地球の地殻変動にはほとんど関係していない(ここは映画の説明通り)。今でも私は毎秒何千兆個もニュートリノ食らっているし。
 まあ気象学の分野になると、地球の気象に太陽がどれだけ影響を与えているかは諸説あるんだけど、ニュートリノの地質学的な影響は聞いたことないや。
 
 私は『2012』って、てっきり映像のインパクトだけで押し切って、破滅に至る理屈とかは「神の怒りじゃ~」「マヤの予言じゃ~」みたいなオカルトで済ますと思っていたから、けっこうSFとして辻褄を合わせようとしていたのは意外だった。バカ映画なのに。
 そういえば何気にエメリッヒ監督の『デイ・アフター・トゥモロー』も地球温暖化による寒冷化って言うSF的理屈付け(だけ)はちゃんとしていたよね。

 さて最後は、私の主観に基づくこの映画の残念な点を。
 
 まず長い!!度肝を抜く災害映像は「映画館で観たかった!」って思わせてくれたけど、ラストには「観に行かなくてよかった」ってなってた。もうこの長さの映画を映画館で見たらヘトヘトだよ。
 気合入った破壊シーンは情報量が多くて目が疲れるから、30分は削った方がいい。どうせ物語はあってないようなもの。簡単に削れるはず。

 あと方舟はやっぱり宇宙船が良かった。もうあそこまでの大災害が起きたら地球を捨てる方がリアルでよかったよ。
 あんだけの規模の火山活動が起こって、地球の磁場が移動したのなら、惨事から数年で美しい夕焼けを見れるのはまず不可能で、おそらく地球の磁場シールドの出力が弱まって、宇宙の放射能がガチで入ってくる。
 でもその放射能も大気が頑張って防御してくれるだろうけど、なにしろ磁場シールドがない分、宇宙線を大気が全て受け止めるから大気の組成が変わったり、放散虫とかが死んだりして、人類の正念場はこれからになりそう。

 だからラストは地球を捨てて「グッバイマイアース!」しか無かったんじゃない?
 大丈夫!今の中国ならスペースコロニーの一台や二台、軽く作れる!
 いや~この映画は本当に中国がいいとこ持ってったなあ。中国が作った大規模な箱舟を見て「この短期間でここまでのものを作るとはさすが中国・・・!」っていうアメリカ大統領補佐官のセリフがもう面白くて。
 つまり非人道的に大量の人民を奴隷のように働かせられるのは、共産主義のこの国だけだろってことでしょ?すごいよね。

『オタクはすでに死んでいる』

 としおのたたかいはおわった。(MOTHER2風に)

 ・・・なんでこの本の内容で波紋が起きたのかが分からない。いつも濃ゆいオタク的極論を嬉しそうに喋る岡田さんが、この本ではかなり気を使っていちいちエクスキューズ入れて、むしろ論が薄くなっちゃっているほどなのに、それでも反発しちゃう人がいるのか。

 まあ受け取り方によっては、今時のオタク(第三世代オタク)を上から目線で批判している感じもするけど、でも岡田さんは「そんな時代をぼくは別に否定していないから、どうぞご勝手に」って言ってるじゃん。

 ああ、その冷めた態度が腹立つのか!

 いや、でもあとがきでかなり熱くこれからの若いオタクにエール送っている気もするけどな、まあいいや。第4世代以降のオタクなんかは、おそらくこの人すら知らなくなっちゃうんだろうから。かつてこの国でオタキングと呼ばれた男の知られざる戦いの物語を・・・

 とはいえ私はアニメも漫画も秋葉文化も全く無知です。この前もdescf氏に『ドラゴンボール』読んでいないの丸出しで「ナメック星人」を語り大恥をかいた・・・そんな奴です。
 だから前半は結構理解するのが困難だったんだけど、でも後半にかけて論が収斂してきて、最後まで読めば何が言いたいのかは解った。

 まずオタクが誕生する前に、日本にはまず「SFファン」もしくは「SFマニア」がいたという。
 ちなみに本書での「マニア」と「オタク」には厳密な定義の違いがある。それは「民族であるかどうか」。つまりオタク文化はあるけど、マニア文化は無いのはそのため。
 いわばマニアとは、共通の文化を形成して仲間となれ合うような事をしない孤高の存在であり、もっと言えば濃すぎて仲間と群れるといっても絶対数がいないのだ。

 たとえば本書32ページに「オタク人口と市場規模」という図があって、ジャンルごとにそれぞれのオタク人口を表している。
 これによればコミックオタクが25万人、ゲームオタクが16万人、アニメオタクが11万人、鉄道オタクが2万人だそうだ。あの鉄道オタクでさえたったの2万人!?
 これはまずいぞ、いったい日本に恐竜オタクは何人いるんだ!?って一瞬思ったんだけど、結論から言おう。日本に恐竜オタクはいない。いるのは恐竜マニアなのである。だから恐竜は文化たりえないのだ。

 文化を形成するほど恐竜が好きな人の人数がいないんだよ。その上もし日本にいるのが恐竜マニアではなく恐竜オタクなら、恐竜文化の普及に努めるはずだもん。
 でもネット上の恐竜好きってやっぱりそういったおせっかいな活動はしないで、己の恐竜道を追及している人ばかり。
 恐竜を一般に広めようと無茶なことしているのは、日本ではサイエンスライターの金子隆一さんくらいで、それにあまり同調しない恐竜ファンはなんてドライなんだ・・・
 『恐竜学最前線』や『ディノプレス』といった濃い恐竜専門誌が休刊する時、ぼくたちは何かアクションを起こしたのだろうか??
 
 ・・・と、いきなり横道にそれちゃったけど、とにかくオタク登場以前のSFマニアって言うのは「SF1000冊読んでやっと一人前!」とか言うほどのすっごい濃い人たちで、岡田氏いわく彼らはオタクを生み出す土壌を作った「オタク原人」だった。
 彼らSFマニアはSFを愛するあまり、程度の低いSFアニメ(=サブカル。ガンダムとかのことね)を認めなかった。おそらく「あんなのSFじゃない!」って感じだったんだろう。大丈夫。オレも『ガンダム』や『時をかける少女』なんてしょうもないアニメはSFじゃないと思うよ。
 また当時『スターウォーズ』のヒットでSF人気が過熱し、こういう一過性のブームには必ず現れる「にわかSF好き(=モグリ)」の増加もSFファンは嘆いていた。「オレはスターウォーズしか見ていないような奴をSFファンとは認めん!」とか。

 なんかすっごい想像できる・・・

 そんな中SFも好きだけど、アニメ、漫画といったサブカルも並列的に好きという岡田斗司夫さんのような人が現れた。
 いい歳してサブカルにはまる人への世間の風当たりはまだ強く、彼らはどんなジャンルだろうが「子供っぽい趣味を持つ」というだけで、アニメ好きも漫画好きも鉄道好きもミリタリー好きも、み~んな「オタク」という強制収容所的レッテルを貼られてしまう(なぜか「なんか暗い人」「社会性がない人」も、とばっちりを受けてオタクにされてしまった)。

 これがオタク第一世代(貴族主義的オタク)。つまりオタクは世間のサブカルに対する差別から生まれた。
 でもオタク自身は、「ああ、“オタク”って言うレッテルを逆にスケープゴートにしちゃえば、自分がサブカルにのめり込む理由を人に説明するとき便利だな。ぼくオタクだもんってだけ言えばいいわけだし」と呑気だった。
 なにしろオタクの第一世代を自負する彼らは貴族主義。オタクに対する世間の評価なんてどこ吹く風だった。

 またオタク第一世代は、研究対象となるサブカルコンテンツがまだそこまで多様化も進化もしていなかったから、ある程度自分が興味がなくても別のサブカルジャンルも追っていけた。
 たとえば特撮オタクがSF小説の有名どころを基礎教養としてちゃんと読んでいたり、そもそも排他的なSFマニアや世間との戦いからうまれた民族だったから、同族意識が強くてオタク的なサブカルチャーなら専門外でもどれも広く浅く知っていたのだ。ある種、他ジャンルのオタクへの礼儀と言うか。まあ、貴族のたしなみっていうのか。

 この風潮は私が思うにオタク第一世代がSFマニアの亜種だったことにも関係していると思う。
 なにしろSFを楽しむためには基礎的な科学の知識が必須だ。それを勉強せずに理解できるSFなんてマニアからしてみれば物足りないのだろう。「ガンダムはSFじゃない!」という議論の原因はここら辺だと思っている。「科学を学ばないでSFを語るな!」と。

 サブカルに寛容だったオタク第一世代もSFファンと重なっていたから、かなり勉強熱心だった。『マクロス』と『ムーミン』を分け隔てなく基礎教養としてたしなみ、もっと大きなアニメと言うメディアそのものをメタレベルで論じていたのだ。
 このように、彼らは「理想のオタク像のようなもの」に少しでも接近するために、それがサブカルであるなら、雑食的に自分の教養として取り入れたのである。
 
 さて、アニメやゲーム、漫画といったサブカルコンテンツの進化と共に青春をすごしたのがオタク第二世代(エリート主義的オタク)だ。
 貴族主義的オタク第一世代が、サブカルが理解できない庶民をある意味スルーしていたのに対して、第二世代はそこまで大人じゃない。「アニメが分からないのはお前ら世間がダメだからだ!」というスタンス。
 アニメの批評をするにしても、詳しくない人に分かりやすく説明しようともしない。アンチ池上彰。

 でも、第二世代は熱い。一般にもオタクやサブカルを広めよう!と燃えていて、オタクのアカデミズム化を望んでいた。
 「オタクはすごいんだ!」ってやたら世間を意識するのが第二世代。それは1988~89年の連続幼女誘拐殺人事件で、全てのオタクが「ロリコンで危ない犯罪予備軍」だと短絡的にメディアが報じたことへの反動だったりもする。
 このオタクに対するネガティブなイメージを払しょくしようと頑張ったのが岡田さんだったりする。「海外ではオタクってキモイどころかクールって言われているんだぜ?」って言ったり、オタクについて東大や海外で講義したのもオタクのイメージアップのためだった。 

 そして第三世代(自分の気持ち至上主義的オタク)。彼らの青年期にはサブカルのコンテンツはもうほとんど出尽くしていて、彼らはその進歩や発展の歴史も分からないし、はじめからジャンルが多様化しているので膨大なコンテンツをすべてカバーするのは事実上不可能となった。
 よって自分の中の「好きか嫌いか」「楽しいかつまらないのか」の感覚だけで古今の膨大なサブカルを選び、興味のないものはそれが例えサブカルでも触れなくなった。
 つまり「アニメ好きです」とか名乗りながらも『マクロス』が好きな奴は同じアニメなのに『ムーミン』を見ないのだ。これを「自分の気持ち至上主義」と言うらしい。

 そして岡田さんは自分がイメージしていたオタクと第三世代のオタクは余りにもかけ離れてしまったと感じたのである。これはよく言えばサブカルが発展し、オタクが社会的地位を得たことの証明だとも言える。
 オタク同士がサブカルにおける基礎教養を学び「オタク大陸」と言う共通のカテゴリの中で団結する必要はなくなった。それをオタクは死んだと岡田さんは言った。
 岡田さん本人も言っているように、それはオタク第一、第二世代の死であり、オタキングの死である。世間のオタク対するネガティブなイメージと戦ってきたオタキングの戦いの終わりなのだ。

 オタクは貴族だけのたしなみではなくなった。大衆文化となった。つまりオタクはもはや特権階級――ステイタスではなくなったというわけです。
 理想のオタク像に近づくために能動的にサブカルを学ぶオタクはもういない。オタクに教養はもういらない。オタクに哲学もいらない。
 だから個性的でクリエイティブであったオタクは、どんどん薄くつまらない人の集まりになってくる。彼らは大衆消費者とあまり変わらない。サブカルとの関わり方が受動的なのだ。

 最近はまって見ている岡田さんの「一人夜話」は面白い。しかしちょっと世代が下のオタク評論家東浩紀さんが女の声優とやっている番組はあまり面白くない。濃くないんだ。
 そう思うと私は別にオタクが好きなんじゃなくて、個性的な自分語りができる人が好きなんだと思う。

本を五冊衝動買い!

 近所の別の本屋がリニューアル。理学書コーナーすらないツタヤに比べればなかなか品揃えがいいので、いろいろ衝動買いしちゃった。まいったな、うちもそろそろ本棚に本がおさまらなくなってきた。
 とりあえず今日買ったのは五冊。

『オタクはすでに死んでいる』 岡田斗司夫
 岡田さんの本と言ったら普通はベストセラーになった『いつまでもデブと思うなよ』しか売ってなくて、痩せの私にはダイエットなんてまったく縁がないから「ダイエット関係じゃなくて、岡田さんの別の本が欲しいのに・・・」ってぶつぶつ言ってたんだけど、今日行った本屋はダイエット本がなくて、こっちが売ってたという稀な例。これずっと読みたくて、注文しようかと思ってたくらいだったから、すっごい感動した。しかも680円。安い!
 オタキングと呼ばれた岡田さんの「オタク・イズ・デッド」発言は当時相当衝撃的だったらしく、脊髄反射的にオタキングに対して批判するオタクもいたそうなんだ。「オタク・イズ・デッドじゃなくてオカダ・イズ・デッドだろ」とか。
 しかしあの岡田さんのことだから、そんなありきたりの批判は当然想定していたはず。岡田さんのトークライブも、それをまとめた同人誌も、そしてこの本も読んでいないガヤが騒いでいた可能性もあるから、私はこの本を読んで岡田さんが何を言いたかったのか考察してみることにする。

『はじめての構造主義』 橋爪大三郎
 私は構造主義はけっこう好き。で、この本の巻末に構造主義にかかわる思想家が写真入りでまとめられていて、分かりやすくていいなと思って買っちゃった。
 私は本にお説教は求めていない。求めているのは自分の論考の素材になる知識と、その著者独特の笑えるような面白い観点。つまりエンターテイメントってこと。

『分子進化のほぼ中立説』 太田朋子
 おなじみブルーバックスです。ブルーバックスシリーズは最近置いていない本屋も多い。
 なすぼねさんあたりはもうとっくに読んでいるであろう本。今(?)話題の「ほぼ中立説」。いいよね。この説の名前。「ほぼ」ってところが曖昧な表現に逃げる日本人をうまく反映していて。そもそも木村資生さんの「分子進化の中立説」だって「白黒はっきりせんかい!」って欧米の学者に批判されたのに中立な上にほぼだよ?もう笑っちゃうよね。

『量子重力理論とは何か』 竹内薫
 こちらもブルーバックス。大好きな竹内薫さんの物理学の解説書。科学エッセイ以外読んだことがないから、文理融合を提唱する竹内さんがどれだけ量子力学を私のような素人に分かり易く解説できるのか確かめてみようと思った。
 ちなみにこの本の挿絵にちょこちょこ萌え系の美少女イラストが挿入されているんだけど、これやめろ。本のイメージが下がる。
 これは女性差別じゃなくて、私の萌え差別なんだけど、「う~ん」って考えながら読む難しい科学の本に「萌え」はいらない。うざい。目ざわり。オレに挿絵書かせろ。竹内さんをイラスト調にすっごい渋く描いてあげるから!タダで!
 竹内さんは理科離れを何とかしようとするあまり『ねこ耳少女の量子論』とかいうエキセントリックで節操のない本も書いちゃうから、それはやめてほしい。いよいよ「理系バカ=キモオタ」って図式が確立しちゃうぞ。
 それなら『50代からのちょい悪オヤジの量子論』の方がまだイメージいいと思うよ。「科学を学ぶ人ってかっこいい!」って子どもに思わせないといけないんだから。もちろん進行役はジローラモ兄貴だ。

『カンブリア爆発の謎』 宇佐美義之
 最後はこちら。カンブリア紀(五億年くらい昔の時代)の生物は、ひと昔前はカナダの化石発掘例から主に研究されていたんだけど、今は中国からもいろいろ見つかっていて、その研究の現状を大雑把に押さえるならうってつけの本かな?って感じで買いました。私は別に専門家じゃなくてファンレベルなんで。
 科学雑誌『Newton』よりは細かいこともまとめてあるし、なかなかオタクな本でいい。そして今を逃すとすぐに絶版になりそうで怖いから買っちゃった。
 著者の宇佐美さんはもとは物理畑の科学者なんだそうだ。科学技術振興機構のプログラムでたくさんの生物学者と交流したのが、この本誕生の理由らしい。
 こうやって生物学と物理学が力を合わせて進化の謎を解いていくのはいい流れだよね。今じゃ量子力学的に進化を研究しているわけだし。
 これからは細分化され過ぎた科学の溝を埋めるべく、違った専門分野と交流するコミュニケーション能力が研究者にとっては必須のようだ。
 ちなみに私はNBIC構想(ナノテク、バイテク、IT、認識科学の融合)大賛成です。

 そして本じゃないけどvicさん一押しの映画『2012』のDVDも借りてきました。この映画についてはあとでブログで記事を書きたいと思います。お楽しみに?

ロスト・ワールド ジュラシック・パーク

 「面白い度☆☆ 好き度☆☆☆☆☆ 曲☆☆☆☆☆」

 ハモンドと同じだ。

 ・・・とはいえ、映画の内容は前作と同じレベルには達しなかったよう。典型的なハリウッドの続編映画。
 そもそもあれだけ濃い内容の一作目を作っちゃったら、続編がそのレベルを維持するのはハリウッドのシステム上不可能なんだよね。
 どういうことかと言うと、一作目は正直あれほどまでヒットするとはプロデューサー側も想定していなかったと思うんだ。
 「え~今更恐竜映画~?ふる~い。ださ~い」って感じで制作陣は映画会社の重役どもにけっこうバカにされたのだ(・・・と勝手に妄想)。

 その証拠に『ジュラシック・パーク』には有名なスター俳優が出ていない。これにはスピルバーグが「ネームバリューではなくしっかりと演技ができる俳優を厳選した」って言ってるけど(なんか取りようによってどっちにも失礼なコメント)正直、キャストに予算がさけなかったんだろう。
 もしハリウッドが本気でヒット映画を狙うなら絶対主演はハリソン・フォードだったに違いない。んでハリソン・フォードのグラント博士は素手でティラノサウルスを殴り殺していた。
  
 そういう意味でハリウッドが本気にならなかったからこそ一作目は質の高いSFスリラーとして完成したんだけど、二作目は事情が違う。
 恐竜モノは売れると分かったドナルド・ジェナーロ並の強欲な映画会社は、金を出す代わりにいろいろと制作サイドに要求を通してきたに違いない。
 つまり誰もが楽しめる典型的なハリウッド映画にしろってこと。
 その為には前作の難解すぎて頭の悪い観客がついていけなかった「カオス理論」やら「遺伝子工学」やらの理系的要素は一切カット!あの前作で脚本を担当していたインテリでいろいろうるさそうな原作者は降板!
 そしてエメリッヒが制作中の「ハリウッド版ゴジラ」に対抗して、こっちも早めに手を打とう!よし、ラストに予定していたプテラノドンのシーンは全部没!ラプトルのシーンも大幅カット!あいつはちっこくて華がない!

 こちとらサンディエゴでティラノサウルス大暴走じゃ~!これで大ヒット間違いなしでっせ~!

 ・・・こんな感じで出来た映画と言ってもそれほど間違いじゃないと思う。ハリウッドの映画業界おそろしっこ~。そんなわけだからうっすい映画なわけですよ。濃い前作が二倍に希釈された感じ。やっぱり物足りなさは否めない。

 当時中学生の私も「ジュラシック・パークは続編やらない方がいいと思うんだけどな~。もう新しさもないだろうし・・・」って子どもながらにけっこう的確に予想していて、でも映画版公開前に発売された原作小説の出来が前作よりも良かったのでそれで期待しちゃったんだよな・・・えええ~!?消えるカルノタウルス超見てぇ!って。
 まあ後は『アリス・イン・ワンダーランド』を観た時と同じですよ。期待した私がバカだったって。ハリウッドの大作映画に過度な期待は禁物だよね。

 しかし・・・ここまで言ってあれだけど、この映画・・・決して面白くはない。面白くはないけどすっごい好きなの。ちょうど『ジュラシック・パークⅢ』と逆。
 
 例えばこの映画には、マルカム率いる(?)恐竜保護派(メンバーには元グリーンピースもいる)と、インジェン社の次期CEOルドロー率いる恐竜ハンターが、恐竜の孵化工場があった「サイトB」っていう島にいて、それぞれ「恐竜の環境を壊すな!」「恐竜は我が社の所有物だ。捕まえて何が悪い」って対立するんだけど、結局どっちも問答無用で恐竜に食べられだして、仕方なく思想の壁を越えお互いに協力するんだよね。
 ここはすっごい好き。自然界にとって人間の思想なんてまったくどうでもいいっていうのが見事に解る展開だよね。

 そして相変わらずキャラがいい。厳密に言うとキャラデザインがいい。それはすなわち俳優さんを選んでオファーした人のセンスと、衣装を担当した人のセンスがいい。
 とはいえ前作と比べて今回はちょっと無駄に人数出し過ぎかなとも思うけど(あと某古生物学者に謝れ)、それでもマルカムを演じるジェフ・ゴールドブラムさんはさらに渋くかっこよくなっているし、サラ・ハーディング役のジュリアン・ムーアさんもハマっていた。
 まあサラに関しては、キャラ設定が映画版は最悪で、ただのトラブルを呼ぶ不吉な女って感じだったけど、原作版はフィールド経験豊富なタフな動物行動学者だからね。絶対vicさんは見た方がいいと思う。男の私でもほれぼれするほどカッコいい女性だから。
 
 あと、映画オリジナルキャラ、百戦錬磨の猛獣ハンター「ローランド・テンボ」は外せないでしょう。このキャラは、前作でティラノサウルスをロケットランチャーで仕留めた、原作小説の恐竜監視員マルドゥーンって感じもするけど、演じるピート・ポスルスウェイトさん(『インセプション』にも出ていたとか!←気付けよ)がまたかっこいいんだ。
 そして冒険嫌いなメカニック「エディ・カー」役のリチャード・シフ兄貴は最高。もうとにかく出ている俳優がいい味出している。JPシリーズはスター俳優のネームバリューに頼らないってところだけは継承されてよかったなあ。

 世界観もなかなかいいのよ。ロストワールドはロストワールドでちゃんと世界観がある。やっぱりスピルバーグって映画内の世界観の構築にかけては天才だと思う。
 ジョー・ジョンストンのJPⅢの世界観はやっぱり前二作に比べて見劣りしちゃったもんな。なぜだか。すっごい巧いけどスピルバーグの模倣だよなって。
 
 というわけで好きながらも文句の残る二作目だったのでした(kenkoさんの口調がうつってるぞ)。もし私が二作目をいじれるならこうしますね。
 
①ラストのサンディエゴのシーンはまるまる没
 ああいう円谷的シーンはティラノ如きではなくもっとドバーンと巨大なハリウッド版ゴジラに任せましょう。

②映画『プレデター』のような光学迷彩恐竜カルノタウルスは絶対出す
 前作のディロフォサウルスに当たるポジションです。サンディエゴやるくらいならカルノのシーンに回しましょう。そこまで長尺のシーンじゃないし。

③草食恐竜の観察シーンを大幅増
 ひどいのが物語最初の『ハタリ!』のような恐竜捕獲シーンしか草食恐竜が出ないこと。せっかくハイ・ハイド(観察小屋)を作ったんだから、そこからヴェロキラプトルVSトリケラトプスの団体戦を見せてほしかった。これ絶対絵になったシーンだって!
 それに草食恐竜だって肉食恐竜以上に危険な奴はいたはずだ。原作ではそれがパキケファロサウルスだったんだけど、とにかくもっと草食恐竜出してほしいよ。出した方が絶対子ども受けした。

④やっぱりヴェロキラプトルの話にする
 JPといったらやっぱり最大の恐怖の対象はティラノサウルスじゃなくて、あくまでもヴェロキラプトル。ティラノサウルスの親子愛を描くなら、それと同じだけラプトルの臨界点寸前の共同体も描いて欲しかった(仲間同士でもすぐにカッとなって殺し合う)。ティラノ様よりも知能の高いラプトルが育児放棄しているのはすっごい興味深い設定だし。

⑤カオスの縁理論ちょっとだけでもいいからマルカムに言わせてやろうよ
 じゃないと主人公が数学者って意味がないじゃん!
 ちなみに小説のマルカムは「サイトBでの観察から恐竜絶滅の原因はすでに分かった」ってうそぶくんだけど(下巻26ページ)この仮説があまりに強引ですごい。
 一部の恐竜が内陸海岸沿いの湿原を掘り起こしたことで、水の流れが変わって、そこに生える植物のラインナップが変わって、前の植物に依存していた草食恐竜が死んで、それを餌にしていた肉食恐竜が死んで、草食恐竜が増えて・・・そんな連鎖反応によって今までの秩序が崩壊してあっという間にハイ絶滅!ザッツオール!ってすごいでしょ。これが真実ならサバンナの哺乳類はとっくに滅びさってるぜ。

 ウィキペディアの記事には「マルカムはサイトBのクローン恐竜の絶滅を説明した」とか別の人の指摘が書いてあるけど、あれ違うから(こういうことがあるからウィキペディアはやめたんだよな)。原作小説の下巻176ページを参照してください。

ジュラシック・パーク

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆ 曲☆☆☆☆☆」

 だがカリブの海賊は例え壊れたとしても人間を喰ったりはしないぞ。

 ついに満を持してこの映画の投入。なにしろこの映画って小学校の頃から通算500回以上は見ていて、この映画を語り出したら一冊の本が出来ちゃう危険性があるので、ブログ記事としては敬遠していたのです。
 でも一番好きな映画を語らないわけにはいかないし、インディ・ジョーンズファンで、すっごい楽しそうに『クリスタル・スカルの王国』を語るkenkoさんの記事を読んでたら、自分も語りたくなっちゃった。

 あ~もうなにから喋っていいか分からない!全部好き!一時期最初から最後までセリフ覚えていて、アクション・フィギュアを使って、とおしで映画どおりにジュラシック・パーク(以下JP)ごっこしていましたからね。
 また映画に出てくる弁護士がティラノサウルスに食われるトイレも、工作に強く資金もあるM氏の協力で、映画を一時停止してディティールを確認しながら木の板などで模型を制作。洋式トイレはシルバニア・ファミリーの陶器でできた便器を流用し、あのドリフのコントのような爆笑シーンを再現していました。本当にバカだったよな~。

 ・・・え~とじゃあ、この映画の最初の出会いから話したいと思います。この映画が公開された時私は小学校高学年だったんですが、なんと私JPって映画館に観にいってないんです。驚愕の事実。

 なんて野郎だ!って批判されるのは当然だけど、当時の私は恐竜映画で出来のいいものなんて作れるはずがないってタカをくくって、さらに知り合いの人があまり楽しい映画じゃなかったって言っていたので、「ああ、どうせちゃっちい人形が動くゴーモーションアニメ(当初JPもこの手法で行く予定だった)か、またはゴジラのような着ぐるみか」って感じで観ずに馬鹿にしてスルーしちゃったんです。

 しかも当時はJPの影響で世は恐竜ブーム。基本的にブームになるとアンチになるのがマニアだったりするので、今よりもずっと恐竜に詳しかった小学生の私は、このにわか恐竜ブームが大嫌いで、てめえら庶民に恐竜愛なんてあるわけねえだろ。それに便乗してクオリティの低いだっせえ恐竜グッズを売る連中も気に食わん!と金子節全開。本当に嫌な子ども・・・

 とにかくそれくらい悪態つくほどJP以前の恐竜映画はひどかった。もう怪獣映画と一緒で、ハリーハウゼンのストップモーションアニメの恐竜映画も、あの名作と言われる藤子先生の『のび太の恐竜』もティラノサウルスがゴジラみたくて嫌いだったし(藤子先生が描くティラノサウルスって頭がイボのついたティッシュ箱みたくて、これがまたダサいんだ)、世間の恐竜のイメージが怪獣と混同されているのが我慢ならなかった。

 よくオタク第一世代?の金子隆一さんが、恐竜マニアはまずSFや特撮が好きでゴジラの延長線上で恐竜に興味がむいたって言うけど、あんなの私から言えば恐竜マニアじゃない。
 金子さんが子どもの頃は日本の恐竜事情は最悪で、怪獣図鑑の巻末におまけとして恐竜の紹介ページがあっただけかもしれないけど、でも私は恐竜と怪獣を同列に語るマニアも大嫌いだった。
 怪獣は架空。でも恐竜の魅力は実在した動物と言う点であって、別の文脈で語らなければいけない!って本当に小学生の私は熱く語っていたんだよ。とにかくすごかったんだ。オレ基準の絶対視が。今振り返ると本当に痛々しいよね。
 
 で、結局どの恐竜映画も見ては失望していたんだ。あ~あ・・・って。これじゃ怪獣じゃんって。だから映画などのエンターテイメントに実在した動物としての恐竜を求めちゃいけないんだなって諦めてたから、JPも単なる怪獣映画だと思って観なかったんです。

 で、恐竜ブームはその後あっさり終わって、私とJPは潰れかけのおもちゃ屋で偶然再会する。そのおもちゃ屋は、恐竜ブームで大量入荷した恐竜のおもちゃの売れ残りを格安で売りさばいていたんだけど、そこのワゴンセールにジュラシック・パークのフィギュアがまじっていたんだ。
 その時の衝撃は今でも忘れられない。げええええええ!なんてクオリティなんだ!って。
 今まで日本で売っていたどんな恐竜のおもちゃよりも、それはリアルでカッコ良かった。大体皮膚の質感を出すためにゴムでできているなんて発想がすごい!
 日本のウルトラ怪獣のオモチャなどは基本ソフトビニール製で、ゴムで出来たフィギュア、しかも動いたり吠えたりするギミックが私にはすっごい新鮮だった。アメリカのおもちゃってかっこいいい!って。
 もうあっちのアクションフィギュアって箱からしてかっこいいんだよね。箱から出さずに飾っているコレクターがいるのも分かる。

jpstego.jpg

 ほら、かっこいいでしょ?映画版のJPにステゴサウルスは出ないけど。原作小説には映画のトリケラトプスの役どころとして出るんだけど。でも本当は映画でも核移植室のシーンで冷凍胚のサンプルとして名前だけ出るんだけど。しかもスペルミスでstegasaurusってなってるんだけど。

 ・・・で、こんなかっこいい恐竜が出る映画だったのか!うわ~観ればよかった!って感じでレンタルビデオ屋で借りてみたのが私とJPの最初の出会いだったりする。

 前置きが長かったけど、ここからが本題。JPは本当に恐竜映画として新しかった。それは恐竜をCGで表現したって言うのも確かにある。CGで動物そのものを描写するなんて当時は考えられなかったから。これを観たジョージ・ルーカスは「いいな~!俺もスターウォーズでCGやりたい!」って言ったそうな。
 無論JPのCGは、映画史のエポックメイキングとして充分すごいけど、CG使用はフィル・ティペット担当のゴーモーションアニメからの急な路線変更のため、合計十数分しか使ってないし、JPはシリーズ通してCG以上に「スタン・ウィストンスタジオ」制作の実物大のアニマトロニクスの恐竜を撮影に(本当に苦労して)使っているから、JPの恐竜のリアルさはCGのすごさだけではないんだよね。
 だからJPはCG映画の金字塔である以上に、これまでの恐竜映画の、恐竜のミニチュア模型がぎこちなく動くダサいイメージどころか、一般人の恐竜のイメージすらも変えてしまったところが一番すごいところだと思う。啓蒙しちゃったのだ。

 恐竜って「愚鈍だったから滅びた」って言う進歩主義史観に基づくイメージをなかなか払しょくできなかったんだけど、60年代に群で狩りをする活発な小型肉食恐竜が発掘されて、そこから恐竜は現在の動物と同じく社会性があって、その一部はとても敏捷で鳥のように賢く、爬虫類なのに温血動物だったのかもしれないっていう学説が出てくることになる。
 この一連の恐竜に対する価値観の転換を恐竜ルネサンスって言うらしいんだけど、この恐竜ルネサンスは学会や一部のマニア以外はあまり知られてなくて、未だに一般向けの図鑑はのろまな恐竜像が描かれ続けていた。

 この恐竜ルネサンスをいち早く創作に取り入れたのが、常に時代の半歩先を感じ取るアンテナを持つJPの原作者マイクル・クライトンだ。
 この人は決して恐竜が好きなオタクではない。クライトンは学究精神にあふれた人で、自分の作品のテーマに選んだものは、何年もかけて真面目に先行研究するSF作家なんだ。
 だからクライトンが恐竜を取り上げる時に、未だ一般認知度の低い恐竜ルネサンスをフューチャーするのは当然だった。

 クライトンは、自身の小説に恐竜ルネサンスを代表する、賢い小型肉食竜ドロマエオサウルスの仲間の「ヴェロキラプトル」を登場させ、今まで恐竜の代名詞だったティラノサウルスを凌ぐ大活躍をさせた。
 これがもう怖いのなんのって。今までは「でかくて強力無比だが頭は弱いのが恐竜」って感じで、その代名詞がティラノサウルスのような大きな肉食竜だったんだけど、その恐竜のイメージは本書のヴェロキラプトルでことごとく覆される。
 彼らは小柄ですばしっこく、知能が高く人間の行動すら出しぬいてしまう。誰かが言ってたけど、まったくもって一番たちの悪い現代型の恐怖の象徴なんだ。
 映画でも最も最悪で恐ろしい恐竜としてヴェロキラプトルを置いてくれて(とはいえ映画ではこの演出は一作目だけなんだけど)、それがあの映画の“新しさ”になったんだ。

 思えばJPは“新しさ”にあふれていた映画だった。ついこないだも『アバター』っていう3DCG映画が新しい映画の代名詞だって言われていたけど、正直映像表現以外はすっごい古くさいSF映画だった。特に物語が。
 JPは映像表現(=CG)も新しかったけど、それ以上にJPの恐竜そのものが新しかったし、脚本のテーマ性も新しかったと思う。
 もう新しさを箇条書きするよ。

①恐竜ルネサンスを一般に広めた。

②恐竜を遺伝子工学でクローニングさせた。
 これは80年代のアメリカがバイテクブームだった時代性を取り入れているし、これまであった恐竜時代にタイムスリップするパターンや、現代に恐竜が生き残っている島があるコナン・ドイルの『失われた世界』のパターンとも全く違う、恐竜モノの新しいジャンルとなった。
 また「タイムスリップもの」だとジュラ紀と白亜紀の恐竜を一度に登場させられないという問題がある。これは詳しくない人には瑣末な問題だけど、これを適当にやるとマニアがサーってひいてしまう。
 ジュラ紀と白亜紀って時期によっては一億年近く離れているんだ。つまり戦国時代に人工衛星やミサイルを出すくらい、いやそれ以上にめちゃくちゃな話なんだよ。
 この「タイムスリップもの」を恐竜マニアも納得するように忠実にやったのがNHKのアニメ「恐竜惑星」で、いろんな恐竜に会うために、いちいちいろんな時代と場所に萌ちゃんが行ったり来たりするからすっげえつまらなかった。
 あのアニメは結局「萌え」の語源になっただけで、作品自体は恐竜マニアの支持を取ってエンターテイメントを犠牲にしちゃった様な代物なんだ。
 さてこの問題はJPではまったくスルーできる。JPの恐竜は現代によみがえったクローンなんだから、ティラノサウルスとステゴサウルスが同じ動物園に共存できるんだ!
 まあJPの恐竜は、そのほとんどが白亜紀後期の恐竜だから、そこまで気にしなくても良かったかもしれないけど、地質年代を「マーストリヒト期」とかのレベルまで知っている人にはやっぱり駄目なんだろうな。

③ジュラシック・パークというテーマパークがリアル。
 「恐竜サファリ」って言うアイディアはJP以前にもあった。でも自動車型タイムマシンでジュラ紀に行って野生の恐竜を見て回るとかそんなのだった。
 重要なのは、恐竜をよみがえらせたインジェン社がジュラシックパークを建設した理由がちゃんとあること。
 もともとクライトンは「のび太の恐竜」のように大学生が恐竜の卵を復活させる話を考えていたそうだ。でもその恐竜復活にかかる予算が莫大で、どうしても小説にリアリティがなくなってしまうとその設定を断念した。
 そこでクライトンはベンチャー企業が金もうけのために恐竜を復活させるというアイディアに路線変更。クライトン曰く「これはがんの治療じゃない」・・・つまり恐竜復活にかかった資金をパークの入場料で回収しようとしたわけ。
 クライトンはこのような金もうけしか考えない“公”の意識が欠如した、市場原理主義の暗黒面をこの小説で批判したんだけど、この部分は映画ではかなり薄められていたよね。空気読んだよねスピルバーグ。
 原作ではウォルト・ディズニーのあくどさを「ジュラシック・パーク」の創始者ジョン・ハモンドに重ねて間接的に叩いているんだけど、これってアメリカ文化そのものを批判するようなものだからなあ・・・

 しっかし映画では見事にこの「ジュラシック・パーク」っていうテーマパークを映像化したよね。ロゴマークといい、いちいちカッコいいじゃん。私はこの映画が一番好きなのはここかもしれない。この映画に出てくる架空のテーマパーク「ジュラシックパーク」自体がカッコいいんだよ。
 レストランの横の売店で売っているジュラシックパークのグッズとかやたらリアルじゃん。マグカップとか。ああいう小さなこだわりが映画内世界にリアリティを与えるわけだ。ファンタジーで架空の世界を作るときにこれは基本なんだけど、この映画もハードなSFながらも架空の世界を作るという上では同じだったんだ。いやあすごい!
 
 ・・・と、まあこのように「恐竜ルネサンス」+「クローン技術(数年後本当に実現)」+「テーマパークで飼育されている動物」というファクターが見事に融合してジュラシックパークの恐竜がキャラクタライズされているのだ。
 私はこれ以降恐竜ではなく、このカッチョイイSFを作ったマイクル・クライトンにはまってしまう。新しさってこんなにかっこいいんだ!と。
 いくら恐竜ルネサンスだ!って言っても、太古の生物であることに変わりのない恐竜ですら表現の仕方によってここまでクールでスタイリッシュに描ける。それがすごいと思った。
 
 そして恐竜モノに「複雑系数学」や「スーパーコンピューターによるネットワーク管理」「資本主義、科学主義への警鐘」を盛り込むって言うのがすごすぎ!クライトンさん盛り込み過ぎ!

 また見どころはほかにもたくさん。JPはとにかくキャラがいい!登場人物。アーノルドといい、ネドリーといい、どいつもこいつも立ってやがるw
 基本的にこの映画って孤島に取り残された登場人物が一人ずつ殺されていく、クローズドサークルタイプのミステリー小説に似ているんだけど、そのサスペンスフルな状況とキャラの濃さが巧くマッチしているというか。
 キャラについてはウィキペディアで私が細かく整理してまとめたから、当該記事を見てほしいんだけど、やっぱこの映画で一番いいのはマルカム博士だよね。覚えてないと思うけど、中学校の頃はK氏も同意していたんだ。「田代、マルカムカッコいいよな」って。

 あのニヒルなスタンスはまさに現代人。実際あれからコンピューターがものすごく社会に普及して、マルカムの予言通りに世の中はなったから(マルカムよりもニヒルな東浩紀なんてプロの評論家が登場する始末!)その反面マルカムがJPで言っていた言説に新しさはなくなっちゃったんだけど、それでも彼の意見が科学の本質を突いていたのには変わりがない。

 マルカムは基本的に進歩主義(=科学主義)を批判するから、それはSFそのものを批判していることにもなる。実際今SFが衰退しているのは日本において「科学の進歩がみんなの幸せをもたらすに違いない」という幻想が消滅したから。そんな幻想はウルトラマンの時代、高度成長期で終わってしまった。

 マルカムがかっこいいのは最新の科学(彼は常にコンピューターで複雑系の数理モデルを作成する)にふれながら、その最新の科学にきわめてドライで懐疑的だという点だ。
 最新の科学は科学の限界を突きつけるという。確かにゲーデルの不完全定理もハイゼンベルグ不確定性原理もそうだ。
 そもそも科学の基礎をなす数学自体が人間が勝手に考えた抽象概念にすぎない。数学とはただの了解事項、スポーツのルールと同じ性質のものなんだ。だから数式を解いて正しい答えが出るのは当たり前なんだ。人が考えたルールの上で遊ぶものなんだから。

 そしてマルカムのカオス理論は、一般人のロゴス――理解や感情移入の限界を超えたところにあると思う。だから彼の言説がニヒリズムとしてしか考えられない。
 だが待ってほしい。本来科学と言う学問は「客観的再現性」を重んじる。つまり人間の主観と無関係であるはずだ。
 しかしそれは科学の歴史において全くの虚構だったことも実はすぐに解る。世界の真理の探究という動機自体が宗教と密接に関係していたわけだし、科学の理念はともかく、事実としては科学は人間の為にあったことは間違いないはず。

 ただ、そんな人類のための科学(また科学の発展そのもの)が、いつの間にか科学が人間個人の主観のキャパを超えだした。だからほとんどの人は科学や哲学を嫌う。
 人間は自分たちが数万年しか歴史のないタダのサルだとは思いたくないし、最新の科学理論がつきつける人類の絶滅、地球や太陽、宇宙の死を受け入れられるほど、精神的に強くはない。人はそこまでニヒルには生きれないのだ。
 多くの人はつねに未来はきっとよくなるはずという無根拠な希望がないとやっていけない。だからマルカムは嫌われる。「お前の意見なんてまったくの無意味だ。ニヒリストだ」と。
 
 科学はいまや、何百年もの歴史を持つ信仰になってしまっている。そして、それ以前の中世のシステムがそうであったように、もはやこの世界に適合しなくなりつつある。
 しかし科学は、この世界とどう付き合うか、この世界でどう生きていけばいいのか、判断する助けとなってはくれない。汚染物質を造っても、それを使うなとはいえない。それもこれも、誰にも制御できない科学というものの責任だ。


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